「……レオネ。レオネったら」
あの夜以来、レオネは脳みそを失っていた。
ぼけーっと頬杖をついて窓の外を眺めては、こうして外から誰かの声が聞こえると――
「――きゅーたさん?」
と呟き、窓の下を覗き込む。
そして、特進科が何か授業をしていると、途端に人間に戻るのだ。
「あ!キュータさーん!よくできてましてよー!!」
首席の謎のへなちょこ魔法を褒め、神官且つ教師が特大の咳払いをする。
「ミス・ローラン!ミス・レオネ・チェロ・ローラン!!良い加減になさい!!」
「――あ、し、失礼いたしましたわ」
慌てて座り直し、しばらくは真面目に授業を聞くのに、また時間が経つと骨抜きに戻っている。
ヨァナとファーは目を見合わせ苦笑した。
「……こりゃダメだ」
「復帰には時間がかかりそうね。授業に遅れたりしたら、あの子どうするのかしら」
「私らでなんとかしてやるしかない。あんな事があれば余韻の一つや二つにも浸りたくなる」
「……余韻って言ったってあれから何日経ってると思ってるのよ」
あの日、ヨァナとファー、ルイディナでもレオネを探そうと言って寮を出た時、神官達がちょうど学院へ向かって走って行くのが見えたのだ。
その後を追うと、準備塔から<
ギュッと首席に掴まった彼女はどこからどう見てもお姫様だった。首席も何やらとんでもなく高級そうな服を着ていて王子様にしか見えなかった。
髪の毛を上げていた首席はすごく新鮮で男らしくて、レオネの細い腕が首に回る様子は絵画じみてすらいた。
首席はいつもの爽やかさでレオネを父親に渡し、「じゃ、僕はこれで。また明日ね」と何の変哲もない挨拶を残して走って帰って行ってしまった。
引き渡されたレオネは大切そうに綺麗な何かを持っていて、父親が娘の重たさに耐えずに下ろしてやったその時からもう脳みそがなかった。
「――そこ!!」
教師に怒られ、ヨァナとファーは慌てて居住まいをただした。だが、怒られたのは二人ではなかった。
「ミス・エップレ!起きなさい!そんな事であなた、本当に亜人王になれると思っているんですか!」
と、ゆすられているのはルイディナだ。
「っあ、あ、はひ」
ルイディナは口から涎を垂らして顔を上げた。
「まったく。自覚を持ちなさいな。いいですか、皆さん。神官になると言うことは迷える人々を正しい道へ導くと言うことです。それが――」
長い説教が始まってしまうと、男女問わず皆のいや〜な視線が集まった。
他人のふりをしようとヨァナとファーは教科書で顔を隠した。
ルイディナも、あれから日中はずっと昼寝をして過ごしていて、学校が終わると夜遅くまでバイトをしているようだった。
ルイディナの爪は今日も美しい。しかも素敵なビーズまで付けていたりする。
二人も羨ましくないといえば嘘だが、親が高い学費を出して通っているこの学院の何かを疎かにしてまで没頭、と言うのは少しイメージがわかなかった。
ただ、ルイディナは彼らの村の姫だ。きっとヨァナやファーとは実家の金銭感覚も異なるのだろう。いや、ヨァナは両親共に働いていて割と裕福な家庭かもしれないが。
そう言う意味では、早急に人間に戻した方がいいのはレオネかもしれない。
彼女も父親が大神殿に勤められるような大神官で、神都のお嬢さんだ。とは言え、いつも金銭感覚は堅実だし、そういう神官がどのくらいお金をもらえているのか二人にはあまり想像ができない。自分たちの将来でもあるのに。
二人は目下の目標を定めた。
昼になると、レオネは一度人間に戻る時間だ。
「行きましょう、学食!」
「はいはい、首席いるといいね」
「ルイ、あなたどうする?」
むにゃむにゃと目をこするルイディナは「あたしはパス〜」とまた眠りに落ちた。
「午後は聖堂で聖歌だから気を付けなさいよ」
「ん〜」
ルイディナを残し、三人は学食へ向かった。
「ルイ、あれで大丈夫なのかしら……」
レオネの発言に、そりゃあんたもだと二人は突っ込みたかった。
三人はあたりをキョロキョロと見渡し、首席を探した。
まだいないか?と思っていると、首席は今日はテラス席のようだった。パラソルのついた丸いテーブルで男四人が食事をしている。
食事を持ち、三人は外へ出た。
「――キュータさん」
「――や、レオネ。ヨァナとファーも」
青空の下、もう食事をとり始めていた首席は今日も爽やかだった。
ちゃっかり二人も名前を覚えられている。
「よお、お前ら。もうここに席はないぜ」
ワルワラが意地の悪そうな笑顔を作ると、三人は食事を押し込むように机に乗せ、周りで一席だけ空いているような椅子を「これいいですか?」「すみません」と声をかけて回収した。
「……せま。おい、スズキなんとか言ってやれ!」
「え、うん。皆、他にいい席なかった?」
優しい問いかけに三人は笑顔で答えた。
「「「なかった!!」」」
「嘘つくな!!狭いだろうが!!」
座れなくて潔く諦めて三人で食べることもあるが、段々この力技に慣れ始めていた。
「ワルワラ君!喜んでよ!女子と食べれんだよ!?」
ヨァナがぐわっと顔を寄せるとすぐにそれは押し返された。
「いらない!!お前達みたいなガキンチョと食べても嬉しくない!!」
「ガキンチョですってぇ!
「お前らひよこみたいな体つきだからガキンチョだ!砂漠はもっと皆グラマラスだしな」
三人は自らを見下ろし、「お下劣!!」と吐き捨てた。
「ワルワラ、人の身体的特徴をそんなふうに言ったらいけないよ」
首席のフォローにはなっていない諌めに、ワルワラはふん、と鼻息を返した。
そして、納得のいかないファーが「私だって砂漠育ちよ」と言った。
「あぁ、お前は割といい女だよ。綺麗だし」
「え」
「――って、スズキなら平気で言ったかな」
ワルワラが爆笑するとファーはグーパンチで肩を叩いた。彼の肩は角の素材と同じで大変固く、叩いた手はよほど痛かったのか震えた。
そんな中、カインはほっと息を吐いた。
「びっくりした。ワルワラまでそんな風になったら僕と一郎太君だけ取り残されちゃうよ。ちなみに、一郎太君は?ミノタウロス派?人間派?」
「お、俺ぇ?俺は女のミノタウロスって母親と叔母さんくらいしか会った事ないからなぁ」
「じゃあ人間派かな?」
「うーん、どうかなぁ。俺どっち派って決めても……キュー様はどう思う?」
何故そこで首席に意見を求めてしまうんだ、ミノさん。
ヨァナは苦笑した。
首席は「一太が好きなように――」と言うと言葉を詰まらせた。
信じられないほど真剣な顔をして何かに悩む。
まるで未来の様々な選択肢に必死で思いを巡らせるようだった。
「一太、僕はそこまで考えられていなかったかもしれない。自分のことばかりで本当にいつもごめん。それも含めて時間がある。もしかしたら、置いていかれる辛さを知ることになるかもしれない。焦らないでいいよ」
「置いていく辛さを知るくらいなら、俺はやっぱりいいや」
「だから時間はあると言ってるだろ?そんなにすぐに決めようとしないでもいいんだよ」
「俺は十五年間かけて決めてるよ。それに大体キュー様が俺に頼んだんだろ」
「頼んだけど、それはそれとして考えなきゃダメだって話だろうに」
「血を残さなきゃいけないってんなら二の丸だって俺にはいるんですよ」
「それは二の丸の子で一太のじゃないだろ。本当によく考えてるのか?」
「考えてるっつってんでしょうが!!」
「考えてたらそんなに早く答えなんか出ないだろうが!!」
二人は立ち上がり睨み合うと「出ろよ、キュー様」と一郎太が空いてるスペースを指差した。
「え、け、喧嘩するの?」
「お、落ち着いて〜」
ファーとヨァナが宥めようとすると、カインは「させてやんなよ」と一郎太の皿の上にあった肉を食べた。
二人は空いているスペースへ向かって歩いた。
ミノさんが拳をボキボキ鳴らすと、周りも何だ?と二人へ注目した。
「俺が勝ったらもうぐずぐず言わせないですから」
「おかしいだろ。――僕に勝てるっていう前提が」
「手加減してやんねぇ」
「そう、僕は手加減してやるよ」
首席は腕輪を見せて笑った。
「「カイン!!」」
突然呼ばれたカインは「はいはい。はじめー」と雑に言った。
二人はローブを脱ぎ捨てるとドカンと拳をぶつけ合った。空気が振動して、パラソルがゴッと向きを変える。拳のぶつかり合いだけで風が巻き起こるなんてあり得るのだろうか。今のは偶然の風か。
「ち、ちょちょちょっと!!やめさせなくていいわけ!?」
「レオネ!!レオネ首席止めなよ!!」
「まぁ、時が来たらですわね」
「血が騒ぐねぇ。俺も混ざろうか」
ワルワラは楽しげだった。
拳が拳を受け止め、また拳を受け止める。
ひゅっと小さくなった一郎太が首席を足払いし、首席が地面に倒れると、観客と化している女子が悲鳴を上げた。
「誰か先生呼べよ!」
「首席が喧嘩してる!!」
そのまま首席が顔を上げずにいるというのに、一郎太の追撃は止むどころかスピードを上げようとした。
「させるかよぉ!!」
拳の先は首席の顔のすぐそばだったが、流石に頭に鉄拳を降り注がせることはなかった。一郎太が殴りつけた地面が捲れ上がる。
いや、拳でめくれたのではない。その直前、地面は青白く発光し、何らかの魔法が使われていたから。
土は巨大なトラバサミの形になって一郎太の全身を覆うように捕まえた。
「おいっ!キュー様こっから出せよ!!」
「……一太、手加減するなよ。僕は結局全力だったのに」
「うるせぇ!腕輪付けてるキュー様本気で殴るやつがいるかよ!!」
「甘いってじいに言われるぞ。それより、よく考えろ。私は時間はあると言っているだろう。望みは伝えたが、私はお前のことを考えているんだと何故わからないんだ?」
「っくそ!キュー様その言い方やめろよな!俺は今誰と話してんだよ!!」
首席はハッと言葉を詰まらせると「悪かったね、一太」といつもの優しい様子で言った。
首席は地面の発光している部分を足で消し、ミノさんを捕まえていた土のトラバサミは消えた。あれはなんて言う魔法だと周りから声がする。
「あ、キ、キュー様。ごめん」
「ううん、一太は悪くなかったよ。僕、少し頭冷やして来ようかな。向こうに<
「……キュー様」
首席はミノさんを抱きしめて背中を叩くと、背を向けていってしまった。
レオネは落ちていたローブをひとつ一郎太にぎゅっと渡すと、首席のローブを持ってすぐに後を追っていった。
「地雷だったかな?」
カインが言う。一郎太はため息を吐いて座った。
「……いいや。俺の伝え方が良くなかった。っていうかなんか全部良くなかった。なんだろな。将来のこととか絡むと、俺たち少しだけ難しくなることがあるんだよな。こうあってほしい未来と、こうしてほしい未来があって、本当は二人とも全く同じはずなのにうまく合致しないっていうかさ」
「いや恋人か」
途中までは真剣に聞いていたヨァナは思わず突っ込んだ。
一郎太は大声で笑った。
「そういう意味では少なくとも男じゃなくて女がいいわ」
「じゃあミノさん私と付き合ってみようよ!始まりは遊びでいいから!」
「お前思い込み強そうだし本気になりそうだからやだ」
「なんでよー!!本気の方がいいじゃんよー!!」
皆おかしそうに笑った。
そして、誰かに呼ばれたらしい教師達が駆けつけ、「何だ何だ!?」と首を傾げた。抉れた地面は
一郎太は首席の立ち去っていった方向をずっと気にしていた。
ナインズは人通りの少なそうな庭の芝生に寝転んだ。
今日も空は綺麗だった。木の上に
「皆、来るの早いね。一太に悪いことしちゃったな。僕のわがままに付き合わせようってのに。命令にならないようにするって決めてたのに」
わさわさと体を揺らす。ナインズの目では隣にいるハンゾウは見えない。ハンゾウ達は一度もナインズに認識された事はなかった。
「どなたと話してますの?」
レオネがひょい、と顔を覗かせてくる。
「キュータさんらしくありませんわ」
「はは。この前僕が言ったセリフ」
レオネも隣に座ると一緒に空を見上げた。
「僕だから言っちゃう言葉と、僕だから言っちゃいけない言葉が同時にあって参るよ」
「ご自身で分かっておいでなら良いじゃありませんの。一郎太さんだって分かってますわ」
「でもあんなに傷付けて……。あぁあ、自己嫌悪だよ」
ナインズはため息を吐いて目を閉じた。
さやさやと風に木々が揺れる音が心地よかった。
そして、ふと頭に触れられた。
「――ん?」
「髪の毛に草がついていましてよ」
レオネはナインズの髪を撫でると、その手から草をぽいと捨てた。
「はは、ありがと。でもレオネ、こんな所に座ってると痺れてまた立てなくなるよ」
「構いませんわ。そうなれば今度こそここに置いて行ってください。――ね、キュータさん。うまい言葉が見つからない時は、やっぱり体温が一番の薬ですわ」
「父王陛下も触れ合いは人の心を動かすって言ってたな。僕もそう思うよ。だからさ、一太と離れるなら、必ず背中を叩いてやらなきゃいけないって思った。そうしなきゃ一太置いてかれて泣いちゃうだろうから」
「ふふ、そうですわね。きっとそうでしたわ」
レオネが数度黒い髪を撫で、心地よさにナインズは目を閉じた。
「こんな風にしてもらうのも随分久しぶりだなぁ。母王陛下はよくこうして湖畔で過ごしてくれたっけ。大人になるってこう言うことかねえ」
「そうかもしれません。わたくしもこんな風にするのは初めて。きっと、大人になるってことですわね。――キュータさん、忘れないで。人を傷つけずに大人になることも、人に傷つけられずに大人になることも、絶対にあり得ませんわ。あなたは、不完全の完全なんですから」
ナインズは懐かしい言葉に笑った。
「そうだった。僕って不完全なんだよね」
「えぇ、そうですわ。何でも完璧に行くなんて驕ってはいけません」
「本当だね、ありがとう。レオネの言う通り。――そろそろいこうか」
「ですわね。授業も始まりますわ」
風に乗ってめぇ〜めぇ〜と声が聞こえてくる。二人は束の間の休息を過ごした。
ふと、ドサリと何かが落ちる音がして、起き上がりかけていたナインズはそちらへ視線をやった。
「キュータ……」
「あ、ミリガン嬢とレイ」
「ご、ごめん!!」
「――あ!アガート!!」
アガートがレイと走っていく。教科書が一冊落ちたままだった。
「追いかけます?」
「教科書置いて行っちゃったもんねぇ。やれやれ」
「ふふ、ふふふ。大変ですわね、あなた」
「な、なにが?」
「いーえ。午後わたくし聖堂で聖歌ですの。彼女達、この先の実験室に向かってたところでしょうし、行きがけにわたくしがロランにでも届けておきますわ。彼女、ロランのクラスでしたものね」
「あぁ、そうしてもらえると助かるよ。ありがとね」
「とんでもありません。さ、早く立って!もう行かなきゃ遅れますわ!わたくしもキュータさんも遅れられません!!」
レオネは自分のスカートの裾をパンパン叩き、身支度をすると教科書を拾った。
ナインズもさっと髪を払いもう一度草を飛ばした。
レオネが「それでは!」と言って駆け出すと、ナインズは手を振った。
「レオネは本当に元気だなぁ。おかげで僕も元気出たぞ」
思わず笑いがこぼれた。ナインズはレオネとは違う方向へ歩いて行った。
校舎裏、レオネは自分の足が痺れ切っていることに気がついて「ひぇ〜〜!!」と泣いた。
よく寝たルイディナはうんと伸びをしてバイト先に向かった。
今日は新しいバイトだ。
大神殿の芝生や植え込みの栄養を取り戻してやる。
学院の生活課でバイトや依頼を紹介してもらえるのでありがたい。ある意味冒険者と同じ制度だ。
今日の仕事は魔導学院信仰科の
一日やそこらでは終わらない。
「――では、こちらをよろしくお願いいたします」
「はい!お任せください!!」
とは言ったが、この芝生は中々広そうだ。それに、掛けたところと掛けていない所が分からなくなりそうなのが辛い。
「……とりあえず、やれるところまでやっちゃおっと」
サボらずせっせと魔法を掛けていく。
辺りが暗くなり始める頃には魔力もなくなり始め、クラクラとした体で芝生に横になった。周りはライトアップも始まり、いい雰囲気だった。
見回りの神官が
「本日はもうここまででよろしいのでは?」
「あ、あはは。もう少しやりたいなーなんて思ってるんですけど」
「我々はありがたく思いますが、あまり無理をされると明日に響きますよ。学院生さん」
「いえ!大切な陛下方をお祀りするところなので!!」
神官は悩んだようだったが「では、また見に来ますね」と感心したように戻っていった。
ルイディナはそこでしばらく目を閉じて過ごした。
(後五万ウール貯まったら、毛抜き薬が一つ買えるんだもんね)
ヘレフォード外科医院に行くと、いつも素敵なものがあって何かしら買ってしまう。
この間はマニキュアを買うつもりが、その場でネイルアートをしてもらった。中々いいお値段だったが、こんなに素敵なものは見たことがない。
学院でも皆が集まってきて褒めてくれる。
ルイディナはどんどん自分に自信が湧いてきた。
毛抜き薬はまず顔と首に使って、残ったら指に使う。
そして、次回は二本いっぺんに買って、両腕に。次もニ本いっぺんに買って両足。
そしたら、次は耳を少し短くしてもらって、周りから見えなくしてもらう。
その次は尻尾をとって、さらに次は口元のぷにぷにをなくしてもらって、またその次は鼻を人みたいにして――ルイディナは嬉しくて嬉しくて笑った。
「――よし!頑張るぞ!」
少し魔力が戻った頃、また芝生に栄養を与えて回った。
また神官が様子を見に来る頃には、イツマデがルイディナの上を飛び回った。
流石にこれ以上はダメだろう。
今日の賃金をたくさんもらい、ルイディナは寮に戻った。
大浴場で汗を流す。もう遅い時間なので誰もいなかった。それをいいことに、ちょいと顔の毛を剃り足す。また顔が痒くなってしまった。
そして、顎を剃りまけると「いちちち……」と声を漏らした。
こんな行為も毛抜き薬が手に入れば半年はおさらばだ。
また一生懸命半年働けば、次の毛抜き薬だって、他の部分を手術で整えながらも買えるはず。
ルイディナはふんふん鼻歌を歌って浴場を後にした。
寮には生活課に張り出されているのと同じ依頼が並んでいる。これを持って生活課で依頼を受けられる。
夜にできる仕事はないかな、と掲示板を眺めた。
「――あれ?これ、いいんじゃない?」
何科でも受けられる依頼は冒険者組合一階の酒場だ。
信仰科、特進科大歓迎と書かれている。
別にその二つの科の力が欲しいのではなく、いつか力をつけて学院を卒業する時、省などに入らず冒険者になってくれる優秀な
ルイディナはペロリと指を舐めると、依頼書を一枚破って明日生活課に持っていくことにした。
それから、またルイディナはせっせと働いた。
もう少しで毛抜き薬が手に入る。耳も切れる。
最初は耳を切ると聞いた時は恐ろしかったが、ピアスだって耳に穴を開けているし、何より冒険者組合で耳の短い
彼らは耳が長く見えるイヤーカフを付けていたので短い耳が気に入らないようだったが、全く痛そうではなかった。
冒険者の中には、ヘレフォード院長の言うように体に傷がある人も多くいた。
体が無傷でピカピカじゃないと怖いと思うのは、若いから感じる、ある意味差別的な意識だったのかもしれない。
ルイディナの意識はどんどん変わっていった。
そしてある日、冒険者組合の酒場で――。
「お前、金が欲しいのか」
一番端の席で、影と同化するようにミノタウロスが言った。
ルイディナはゴクリと唾を飲んだ。
「な、なんですか?欲しいは欲しいですけど……」
「ククク――そうかぁ。なぁ、うちで働かないかぁ?割りのいい依頼があるんだよなぁ〜。きっと気にいると思うぜぇ。何せ、荷物ひと運び五万ウールだ」
「……それ、どこで受けられるんですか?」
「ククク、どっかで受けるもんじゃあねぇ。俺が直接頼むからこそ、この値段さぁ。マージンが取られねぇ。嬢ちゃんは頭が良さそうだし、綺麗だからなぁ〜?」
ルイディナは少し気を良くすると、「それなら――」と言いかけ、本能が「あやしい」と囁いた。
そして、ヘレフォード院長の声がよぎる。
『――美の魔法を欲しても、大金を欲しても、決して怪しい者には近寄らないように』
「……や、やめておきます。あたし、学校の生活課の依頼バイトしか受けないんで」
「……そうかよ。後悔しても知らないぜ」
ミノタウロスが言うが、ルイディナは空いているグラスを持ってその場を離れた。
そのミノタウロスは「その傷、見えなくできますよぉ〜」と冒険者に声をかけていた。
ルイディナは先ほどの提案を断った事を少し後悔したが、もっと働こうと決めて今日も組合の中を駆け回った。
毛のない体、犬や猫みたいじゃない耳、つんと尖った鼻、華奢で如何にも魔法が上手そうな指。
何より、神王陛下や光神陛下とお揃いの見た目。
誰よりも才能に溢れる首席とお揃いの見た目。
ルイディナは鏡の前に立った。
『ははっ!人間だぁー!!やったー!!』
ぴょんぴょん跳ね、尻尾のないつるつるのお尻を振った。
『うわぁ!ルイ、美しすぎませんこと!?』
レオネが驚いてひっくり返ると、ルイディナはくるりと回って体を見せた。
『っどう!私だって捨てたもんじゃないでしょ!』
『おぉー!すっごーい!これでやっと仲間になれたって感じだね!』
ヨァナも拍手をしてくれる。ファーはやれやれとため息を吐いた。
『元から仲間は仲間よ。だけど――これで本当の仲間ね』
『うん!私もこれで人間だからね!!』
だからさ、ね。
ルイディナは振り返った。
『――ね、首席君、ミノさん。あたしも、あなた達と恋してみたい!』
『ルイディナ、可愛いね』
『ルイディナ、そんなに綺麗だったんだな』
うん、そうなの。
あたし、これが本当の姿なんだ。
それに、これからもっともっとまた綺麗になっていくからね。
「へへ、へへへ」
ルイディナは思わず幸せに笑みが溢れた。
「――イ。――ルイ」
遠くから声がする。ルイディナは眩しいそちらに引き寄せられるように――ハッと目が覚めた。
「――っんぁ!?ぁ、首席くん!?」
覗き込んでいたのはヨァナとファーだった。
二人は揃って特大のため息を吐いた。
「はぁー……。何かと思ったら、姫まで首席ぃ?」
「彼、ほんとに罪な男ね。まぁ、あの美貌と物腰じゃ仕方ないわ」
「あ、あはは。いや、ミノさんもカッコいいんだけどね」
ルイディナはまたかゆくなっている顔をぽり、とかいた。
「ねぇ、あなた最近大丈夫なの?来週から中間考査入るわよ?」
「あ、えっと、そ、そうだっけ!はは!」
「レオネも首席絡みにならないと脳みそ空っぽだし、あなたたち二人大丈夫なの?」
ルイディナはとりあえず落第しなければ補習くらいは受けても良いと思ったが、最近の授業は何をやっているのかよくわからない。
「えーと、ノート、貸してもらってもいい?」
「いいわよ。そのために私達信じられないくらい真面目に授業受けてたんだから」
「お金取りたいくらいだよ!ははは!」
ヨァナがいうと、ルイディナの頭にカッと血が登った。
「い、いらない!!別にいいよ!!」
「あ、え?ひ、ひめ?」
荷物をガサリと持つと、ルイディナは教室を後にした。割りの良さそうなバイトだって断って、汗水垂らして働いているのに、そう思いながら。
取り残されたヨァナは呆然と立ちすくんだ。
「え、あ、ち、違うよ?私、お金なんて……」
「分かってるわよ。あなたは何も悪くなかったわ」
「で、でも、あんなに怒っちゃって……」
「……うーん……なんだか、最近の姫は本当におかしいわね」
ファーがつぶやくように言う。
最近のルイディナは顔に毛がないからか、目の下のクマがとてもよく見えた。顎やおでこなどに小さな傷もいくつかあるし、痒そうに赤くなっているところもある。
いつも疲れていて眠そうで、先生である神官も彼女を当てたところで起きやしないと見限っているような気がする。
魔導学院は別に義務教育ではないので、成績があまりに悪ければ落第だってするし、場合によっては退学だってある。
やる気がないなら勝手に立ち去って頂いて結構、それがスタンスだ。
ある程度のレベルまでは先生達もそもそも優秀な若者達を心配してくれるが、やる気が見られなくなれば構うことはない。他の皆を一生懸命見てやらなければならない。
悩みがあれば告解室に行き神官に聞いてもらうことも、必要だと思われれば休学からの復学もできる。
ルイディナは、そう言う意味では今教師達から見放され始めているのではないだろうか。
ただ、これで中間考査で点数を取れれば、誰ももちろん文句は言うことはない。完全実力主義国家なのだから、性格が悪かろうが態度が悪かろうが関係ないのだ。
「……レオネは……」
二人は窓の外を眺める二人目の姫に視線を送った。
レオネはうっとりと窓の外を眺めていた。
「……次の授業行こうって言うわよね?」
ファーが確認する。ヨァナは先程のことがショックだったのか即答しなかった。
きっと、窓の外には首席がいて、あそこに張り付いていたいはずだから。
「え、っと……」
「大丈夫。レオネは平気よ。見ててね」
ファーはヨァナの肩を叩くとレオネへ向かった。
「レオネ、そろそろ次に行くわよ」
「――ぁ、ファー。そうね。行かなきゃなりませんわねぇ。――あ、キュータさんだわ」
「当然でしょ。来週から中間考査なんだからしっかりして」
「……中間考査?来週から……?」
「そうよ。ぼんやりしてたらあなた、しまいには落第するわよ。来週からなんだから」
「中間考査、来週から!?」
レオネは二度も現実を確認してから人間に戻った。
信じられないくらいに瞳に光が宿り、ファーとヨァナをみる。
「わ、わ、わたくし!!わたくし大丈夫かしら!?」
「ダメでしょ。あなた一体どれほど長く首席しか見てなかったと思っているの?」
「わわわわわ、や、やってしまいましたわ!!私の!バカ!!大バカ!!ファー、ヨァナ!!」
「なぁに」
「ノート貸してください!!」
レオネがべったりと床にひれ伏すと、ファーとヨァナは大声で笑った。
「うふふ。いいわよ。代わりに――」
「代わりに?」
「いくら出せる!!」
ヨァナが元気よく言うと、レオネはムム、と頭に手を当て――「わ、わたくしのマニキュア、一ヶ月塗り放題でいかが!!」
それを聞くと、二人はますます笑った。
「いらない!」
「えぇ!?こ、困りますわ!お願い!助けてぇ!!」
「冗談!お代はいいよ!私達、人を救う神官になるんでしょ!」
「よ、ヨァナぁ、ファー!」
レオネは二人に抱きつくと思い切り頬擦りをした。
「ありがとぉー!!」
「ふふふ、でも、貸しひとつなんだからね!」
三人は笑って次の授業へいった。
そこからのレオネは凄まじかった。
昼は弁当を持ってきて二人のノートを写し、学食にも行かなかったし、窓の外にうつつを抜かすこともなかった。
一緒に勉強しようかと言ったが、レオネはどうせ口もきかずにやるから二人は学食へ行ってと送り出した。
ノートを渡して、ヨァナとファーは学食に行った。
学食は人がまばらだ。中間考査に向け、特進科は特に少ない。
ただでさえ難しい魔法の理論の授業もあるのに、彼らは難易度の高い実技がある。信仰科にも実技はあるが、特進科の比ではない。
神との接続が叶っていない者達はさらに必死だ。そこの点数を埋めるだけの知識を勉強しなくてはならないのだから。
二人は適当なところに座ろうとしたが、気になる集団を見つけてしまった。
「――レオネいないけど、行く?」
「行きましょう。レオネのためじゃなくて、私達の青春のためよ」
「大賛成ー!」
二人はやはりテラス席に出た。
「元気にしてるかしら!男子諸君!」
テラスのウッドデッキ部分に直接腰掛けていた男子四名が振り返った。
「――ん、ヨァナとファーじゃないか」
「やぁ、首席、ワルちゃん、ミノさん、貴族君」
二人はそのすぐ後ろにある席に座った。
「……僕は貴族じゃないんだけど」
カインはおかしなあだ名に全く満足しておらず、頭痛に悩まされるようだった。
「俺もワルちゃんじゃない。変なところで名前を区切るな。大体お前ら中間考査迫ってるのに優雅にこんなところで飯なんか食ってていいのか」
二人は椅子の向きを男子達に向けて座った。
「皆何やってんの?特進科って難しいんでしょ?」
「こいつ聞いてねぇ!おい!ファー!!お前もいいのか!!こいつちゃらんぽらんだぞ!!」
「ヨァナは成績いいわよ。彼女、なんて言ったって聖ローブル州から来てるんだもの。ご両親も聖騎士だし」
「こ、こいつがぁ!?」
ヨァナは得意げにピースしていた。
「私も聖騎士になるんよ。どや。筋肉もあるで」
「ない」
「ある!!」
「あそ」
ワルワラは何も聞かなかったことにして、地面に顔を戻した。
「で、スズキ。第三位階や第二位階に上がる時の明確なタイミングがあるのか」
「ある。僕はそう思ってる。――陛下方もただ無意味に位階を分けていないんだよ。一定一定の水準を越えないと、利用できる位階は上がらない。ほら、教科書のここにも」
首席が教科書を開く。首席を左右で挟むカインとワルワラはそれを覗き込んだ。
「これは宗学の教科書だけど、やっぱりこっちも目を通したほうがいいと思う。こっちはより概念や哲学的な話が多いから、つい皆魔法学の方を読みたがるけど――」
「原点は宗学か」
「そうなるね。ワルワラは賢いな」
「お前に言われても嫌味だよ」
二人は親友のように笑った。
カインはせっせとノートを取った。
「――でも、ワルワラの信仰は
「俺達は
小難しい話してるわねぇと聞きながら食事をしていたファーは一度フォークを置いた。
「それで言ったら、私達も仏様が一番身近だわ。だけど、それとは別に絶対神がいることは理解してる。多分、陛下方以外の神も崇める皆がそうだと思うわよ」
「そうだね。信仰は信仰として置いておいて、理解することが大事だよ。宗学には陛下方の定めた謂わば世界のルールが書かれてる。それを頭に入れられれば十分」
ヨァナとファーは首席のルールだけ覚えればいいなんて言う言葉にぽかんとした。
信仰科の生徒もいるところでとんでもないことを言ってのけるものだ。
「キュー様、俺もそこ読む」
「はい、どうぞ」
ミノさんと首席はすっかり仲直りした様子だった。
ミノさんは教科書を受け取ると芝生に寝転がり、宗学の教科書を読んで行った。徐々に夏服に切り替わりはじめているので、ミノさんはもうローブを着ていなかった。夏服の薄いローブもあるが、人によっては着用しない。
ミノさんは暑いようで、かなり大きく開けられた胸元からもっさりと赤い毛が出ていて、獣人系生徒の目は釘付けだ。おそらくセクシーなのだろう。
「ミノさんは神との接続できてないんだよね?テストやばそうだね」
「ま、適当にやるよ」
「なんか心配だなぁ」
ミノさんがゴロリと背中を向けるとカインが二人へ振り返った。
「一応言っておくけど、一番ヤバいのは僕なんだけど」
「え。貴族君勉強できそうなのに」
「キュータ様は皆ご存知の通りだけど、ワルワラだって実技がほとんど満点に近いんだよ。一方一郎太君は筆記も九割に近い。僕は今火の車なの」
「が、頑張れ!頑張れ貴族君!君、このグループにいるからすごいやつだと思ってた!!凡人もいたんだね!!」
「……なんか癇に障る言い方というか……失礼だなぁ」
「ふふ、本当に失礼だね。カインは特別な人になるってのにね」
首席は何か意味深に自分の漆黒の瞳を指さしていた。
「ですね!頑張ります!」
カインはすぐにノートと教科書に齧り付いた。
皆が一生懸命勉強している中、首席は飛んでいく蝶を目で追ったり、分からなそうな唸り声が上がるとそこにアドバイスをするばかりで、自分は勉強している様子はあまりなかった。
「……首席の余裕ってやつ?」
「これで次学年トップじゃなくなったらちょっとは人気も下がるかしら?」
「そこが狙い目だね」
「「あ」」
二人は一つのことに思い至ると、食事をし終えて首席の肩を叩いた。
首席に勉強する隙を与えず人気が下がれば、レオネも手が届くともう少し自信を持って思えるのでは。
「ねぇ、首席。レオネは模範生としてクラスで勉強してるわよ」
「そうなんだね。頑張ってって伝えておいてね」
「いや!自分で伝えろ!私らは伝書鳩か!!勉強なんかやめて自分で伝えろ!!」
「そ、そうだね。確かに。ごめん」
「そうと決まれば行くよ!!」
「え、今?」
「ん?キュー様、俺も行くよ」
ヨァナとファーは首席を引きずって教室に帰った。
両腕を掴まれて連行される様子に、周りの目が集まる。
「これ、若干の快感だね!」
「同意するわ」
「じ、自分で歩けるよぉ……」
情けない声だ。あの日レオネ姫を塔から救い出した王子様だと言うのに。――ただ、ローブのまくられた腕は意外とがっしりしていた。
教室に着くと、ルイディナがそそくさと逃げていく。
首席はその背を目で追った。
「――彼女、変わった?」
「ん……ちょっとね」
「背中だけなのによく見てるわね」
三人で廊下の先をひとしきり眺めると、首席はそろり、そろり、と信仰科の"C組"に入っていった。
キャッと小さな歓声が上がり、首席は「しー」と口に手を当てた。
そっとノートを覗き込むと、レオネは真剣そのもので、教科書の字を指でなぞってはノートと見比べて自分のノートにまとめていた。
首席は静かに隣に座り、抱えていた教科書を広げて自分も勉強を始めてしまった。
「……え、話しかけないの?」
「いや、いいのよ。二人の世界になれば――ってミノさん!!待ちなさい!!」
平気で教室に入って行こうとするミノさんをファーは捕まえた。
「な、なんだよ」
「今は二人にして」
「レオネは俺がいても気にしないよ」
「そう言う問題じゃない!あんたも首席離れしなさい!!また喧嘩になるわよ!」
「断る。適正な距離にいないと何かの時に困る。とくに今は人が多い。見失ったら困る」
「あのねえ、あなた首席のなんなの?」
二人は呆れ返っていた。
「側仕えだよ」
「――え?そ、そうなの?なのに、特進科で筆記九割近いの?」
ミノさんはやれやれと息を吐いて二人の後ろに向かった。コト、コト、と蹄が床を叩く。
その足音を聞くと、レオネはパッと顔を上げた。
「一郎太さん?――あ、キュータさん」
「よぅ」
「や、頑張ってるね」
「当然ですわ。情けない点数は取れませんもの。キュータさんと一郎太さんもお勉強されてる?」
「まぁ、ほどほどにね」
「俺も落第しない程度に」
「あなた方、もっとちゃんとなさって。一郎太さんも補習なんてなったらどうなさるの?」
「え、そんなもんあんの」
「当然。下手したら一人で受けることになりましてよ。――キュータさんもあまり気を抜いていますと、すぐにトップから引き摺り下ろされますわ」
「次はきっとワルワラが学年トップになるよ。頭いいし、魔法もうまい」
「……悔しくありませんの?」
「なぁ?レオネ言ってくれよ。キュー様、ワルワラなんかに負けんなよって」
「ははは、勝ち負けじゃないよ。でも、筆記の方はある程度はやってるから。大丈夫。心配しないで」
「もう。本当に頼みましたわよ。さ、そろそろお二人とも教室に戻られて。わたくしもやりますから」
「そう言うと思ったよ。頑張ってね」
「はい!」
「じゃな」
二人はさっさと立ち去ってしまい、ヨァナとファーはレオネの下へ向かった。
「レオネ、やる気出た?」
「呼んで来てみたわよ」
「わたくし元からやる気満々でしてよ。でも、二人ともありがとう。わたくし、頑張ります!!」
レオネは首からかけている小さな巾着を服の中から取り出すと、それを握りしめた。
「それなぁに?」
「単なる目印ですわ」
「……うーん?」
「さ、腑抜けていられないわ。わたくし、模範生でいたいもの!」
「おぉ……!」
「レオネ!」
二人は元に戻った友達を前に歓声を上げた。
レオネいい子だなぁ。オリビアちゃん本当にうかうかしてられないわねぇ。
ルイディナ、怪しいバイトはぎりぎり踏みとどまったけど、お友達との仲がズタボロやん!
次回!明後日!!
Re Lesson#16 ありのままで
れりご〜