眠る前にも夢を見て   作:ジッキンゲン男爵

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Re Lesson#16 ありのままで

 魔導学院、薬学科。

 

 アガートは中間考査最終日の最終問題を前に、ペンを止めた。

(……アゼンの葉の効果的な利用方法……)

 実家が薬草屋なので薬草系の授業には強いが、こういうマイナーな素材には少し疎い。

 これは確かに座学でやったなと思うが、よく思い出せない。

(えーい!成分の抽出はすり潰すか煮るに限る!ここは煮てすり潰して抽出じゃ!)

 適当に的外れではなさそうな答えを書き上げ、これにてフィニッシュだ。

 

 昨日は実験と実技だった。レシピを渡された状態にて錬金術で実際に薬の調合を行った。

 教室の一番前に色々な素材が置かれ、自分たちでそれを集める必要がある。大体皆レシピを読み込んでから素材を取りに行くが、良い部分が最後まで残っているとは限らない。状態の悪い物や、葉が若すぎる物などが残っていることもあるし、何がその薬の調合にベストな育成度合いなのかを見極める必要がある。

 皆で一斉に素材を取りに行くにしても、大きな出来の差が出てしまうというわけだ。

 

 藁半紙のプリントを教師に提出すると、静かにアガートは教室を出た。

 考査期間中は廊下で友達を待ったりすることは禁止されている。

 

 レイを待ちたいが、とにかく校舎から出てしまわなくては。

 階段を降りていき、校舎を後にする。

 外では特進科が実技試験を行っていた。

 教師が何人も出ていて、生徒の列がいくつもできている。

 

 アガートはここで時間でも潰すかと、庭に続く階段に腰を下ろした。

 暇なので特進科の様子に耳をすませてみる。

 

『次、ペーネロペー』

『はい、<第零位階・製紙(ペーパーメイキング・0th)>。――<浮遊(フローティング)>』

 セイレーンの女の子は目印を書きもせずに綺麗に真四角な紙を作り出すと、それを浮かび上がらせて教師の下へ送った。

『形、良好。厚み、良好。操作性、良好。うん、いいね。次へ行きなさい』

 ぺこりと頭を下げ、隣の教師の下へ。

 

 こちらは桶が置かれていた。

『ここからは第一位階だ。気負うことはない。使える者も多いが、使えることが必須ではないからな。じゃあ、あの桶を綺麗にしてからそこの線まで水を入れて』

『はい。<清潔(クリーン)>、<水創造(クリエイト・ウォーター)>』

 足元に置いてある桶に水が湧き出していく。

 線ぴったりに水が収まると、教師はそれを覗き込んだ。

『濁りなし、味――良好と。』

 指を入れて舐めなくてはいけないとは割と勇気のある大胆な仕事だと、アガートへ思う。

『じゃあ、元の通りにして行ってね。方法は問わないよ』

 教師が桶から離れると、セイレーンは再び杖をふるった。

『<水破壊(ディストラクション・ウォーター)>!』

 桶の中の水が弾けて消える。

『力加減、良好。使用距離、適正。選択魔法、適正。お疲れ様。一応第二位階の方へも行くかな?』

『はい、やらせてください』

『じゃあ、あっちに並んでね。――はい、次!カイン・フックス・デイル・シュルツ!』

 

 セイレーンが向かった先には、キュータがいた。いつも一緒にいる褐色の肌の少し怖いワルワラの後ろでニコニコして様子を見ていた。

 

(……キュータ)

 

 この間は芝生に寝転んで、女の子に頭を撫でられているなんてとんでもない場面にでくわした。

 近道はやめて違うルートで実験の教室に向かうと、落として行ってしまった教科書をその女の子がロランの所に持ってきてくれた所だった。

「あら、ミリガンさん」

「……私の名前知ってるの?」

「えぇ、存じておりますわ。ロランからもキュータさんからもお噂はかねがね」

「ど、どんな……?」

「気になる、って。おっちょこちょいでらっしゃるんでしょ。ふふ、これではわたくしも目が離せませんわ。お気をつけなさって」

 落として行ってしまった教科書を差し出してくれた手の爪はキラキラ光っていてものすごく綺麗だった。色々な種族がいるので、基本的に制服を着用していれば他のことには制限がない。

「……どうかされて?」

「あ、ううん。ありがとう」

「気になさらないで。それではご機嫌よう。ロランも」

「うん、レオネばいばーい」

 ロランと軽く手を振り合い、彼女は去っていった。

 

 レオネ、という名前だけがアガートの中には残った。

 如何にも洗練された神都のお嬢さんという感じで、なんだか気後れした。

 オリビアなんかは気安くてお茶に行ってみたいと思わされたが、他方レオネと同じ温度で何かを語らうことは難しそうだと思った。

 だけど、あんなにキラキラして目立つような子相手に、あの中身が素朴なキュータがついていけるわけもないし、全然戦える――

 

『――無駄だと思うぜぇ?』

 ふと、聞き知った声がして思考を中断した。

 自分が言われたのかと思ってドキリとした。

『いいからやってみなさい……。君は理解は深いんだから……。種族的な足枷があるって言ったって、なんとかなるかもしれないよ』

 一郎太がゼロ位階の監修をしている教師に諭され、『へぇい……』とやる気のなさそうな返事をしていた所だった。

『<第零位階・製紙(ペーパーメイキング・0th)>』

 しかし何も起こらない。

 教師は一郎太の足元に四角を書いてやった。

『ここに作ってごらん。焦らないでね』

 優しく導いてもらい、一郎太は苦笑している。

『一郎太君ー!がんばれー!』

『カイン、ゼロ位階できたからっていきなり人ごとになりやがってぇ……』

『ふふ、僕はやる時はやる男なのさ』

 その後何度か試したが、彼は結局魔法は使えなかった。

『いやいや、種族ハンデを負ってよく頑張ったよ。また筆記の方で力を見せてくれれば良いからね。じゃあ、お疲れ様』

『はーい、すんませぇん』

 一郎太が皆に慰められながら小走りで列を抜けていく。あまり落ち込んでいる感じはしなかった。

 そのまま、キュータの下へ向かうようだった。いつの間にか彼の周りには自分の分の試験が終わったらしい特進科の人集りができていた。庭は広く、クラスごとにたくさん試験を受ける生徒達がいる。

 

 あそこは多分、第三位階の場所だ。

 

『スズキ君、君は第二位階まではパスで良いからね』

『あ、あはは。僕もゼロ位階からが良いんですけど』

『何言ってんの。今更そんなのやっても時間の無駄でしょ。クレント先生からも無駄なことはさせないで良いって頼まれてるんだよ。いつも何か言い訳して魔力使わないように節約してるけど、君特待生なのに放課後に依頼バイトでもしてるの?』

『いえ、特に。でもそれ、楽しそうですね。依頼バイトかぁ。やってみようかな』

『あーいらないいらない。頼むから君は勉強に集中して。学院創設以来の秀才が無駄なことする必要はないんだから。卒業したら嫌でも働くんだしね。スズキ君、もう少し自覚した方がいいよ。エルサリオン魔法学校に行ってる同じ成長期の純血の上位森妖精(ハイエルフ)達や力が頭打ちになった上位森妖精(ハイエルフ)達を超えるレベルに立てるかもしれないんだから』

 

 周りがざわめき、離れたところで耳をそばだてるアガートすらごくりと唾を飲み下した。同じ成長期に差し掛かる純血の上位森妖精(ハイエルフ)達というと、それだけで百才を超えているはずだ。それだけの力と知識が、たった十六才の体に詰め込まれているなんてとんでもない話だ。それに、彼らは適性が高く第三位階まで使える者も多いが、それ以降にも進めるのはやはり一握り。

 あそこの州知事、タリアト・アラ・アルバイヘームが第六位階を使う稀有な存在だと言うのは有名だが、我らが逸脱者、フールーダ・パラダインも同じく第六位階を操る。

 アガートはキュータという存在の特異性を改めて思い知らされた。生徒、教師、誰からも期待を向けられるのは当然だった。

 

『さ、じゃあ第三位階の説明をするよ。魔力系からの課題は<雷撃(ライトニング)>、生活系からの課題は<温泉(ホットスプリング)>、信仰系からは<神聖光(ホーリーライト)>が来てるけど、どうする?って言っても、全部使えるのは最終年次でも片手で数えるくらいだけどね。信仰系は……対抗戦で<太陽光(サンライト)>使ってたから得意かな?』

『えっと……なんとも言えません。とりあえず<温泉(ホットスプリング)>でお願いします』

『まぁそうね。簡単なのから行ってみようね』

 キュータはローブを脱いで身軽になると、袖を捲った。ローブはワルワラが受け取った。

 目を閉じて集中する。そして杖を振った。

『<(ホットスプ)――』

『ちょっと待ったぁああ!!』

 キュータの前には一郎太が盗塁でもするかのように滑り込んだ。

『こら!!一郎太君危ないだろうが!!』

 教師の怒鳴り声が響く。アガートもどんな神経をしていればあんな真似ができるんだと苦笑した。

 

 一郎太がはちゃめちゃに叱られ始める頃、アガートの肩が叩かれた。

「ん――レイ!」

「よっ!終わったっすよ。スズキさん――旦那はどう?」

「一郎太が邪魔して笑ってる。ねぇ、最後の問題の答えって何?」

「ん?多分、熱に弱いため、発熱しないように適度なスピードですり潰して、効果が半減していく前にネレの木の樹液を混ぜて薬効変化を止める、っすよ。結構書くこと多くて焦ったね」

「……最後の問題落としたな」

「あぁあ。あんたさん早かったから最後の問題余裕で終わったのかと思ったら……。――お、やるみたいっすよ」

 

 キュータは一郎太に腕輪を奪われ、眉間を押さえていた。

「一郎太さん、旦那から何か取っちゃった。魔法の装備みたいなのに取られて大丈夫なんすかねぇ……。あんなに落ち込んで。良い装備なしでやれってかぁ?」

「ねぇ。たまに一郎太がわからない。ちょっとでも装備減らしたらへなちょこ魔法になっちゃうかも知れないのにね」

 二人は可哀想な首席を眺めた。

 

『もー……。ほんっとに……。先生、使う順番を変えます』

『構わないぞ。好きなものからやりなさい』

 キュータは頷き、一歩前へ出た。

『――攻撃魔法を使います。離れてください』必要な声かけを行い『――<雷撃(ライトニング)>!』

 その優しげな雰囲気とは掛け離れた力が迸る。

 的として立ててあったはずの木の板は蒸発して消え去り、大地は捲れ上がり、その爆風が校舎の窓ガラスを揺らした。

 穴が空いた地面を教師達が覗き込む。

『い、威力、良好。使用距離、適正。操作性、良好。これは……森司祭(ドルイド)の先生呼ばなきゃ直せないな……』

 事態を理解した先生が一人職員の部屋へ駆けていく。

 

 アガートの隣でレイが髪の毛についた土埃を払うためにぶんぶん顔を振った。

「やっぱり旦那、バケモンっすね。実は十六才じゃないんじゃないの?五十五才とか?」

「いやどんな見た目の五十五よ」

 

 二人で笑っていると、キュータは杖を天に向けた。

 

『ワルワラ、こっち見るなよ。その綺麗な魔眼が痛む』

『ち、何が綺麗だ。まぁ、ありがとよ』

『――<神聖光(ホーリーライト)>』

 

 対抗戦の時に使った目を刺すような光の魔法とは違う種類なのか、眩むほどではない光があたりに満ちる。

「はー、信仰系まで使うってどういうことっすか、本当に」

「信仰系も魔力系も使うってことは、キュータは一応神官なのかね?」

「さぁ。薬学科にゃようわからんっすね」

 教師達が光の届く距離を確認したり、持続時間を測ったりすると、魔法の輝きは消えた。

 

 そして、最後の魔法は唱えられた。

『<温泉(ホットスプリング)>』

 先ほどの魔法で開けた穴にぼこぼことお湯が湧く。土の穴なので、泥色だ。

『――<清潔(クリーン)>』

 お湯が綺麗になると、キュータは靴と靴下を脱ぎ捨て、裾を捲って足を入れた。

『はぁ。疲れた』

 

 アガートは頭を抱えた。

「はぁ、疲れたって……そういうレベルの魔法か……!疲れたじゃないでしょうに……」

 最終年次だって、どれか一つを使えるとか、魔力切れを起こして倒れるとか、そういうレベルの魔法だというのに。

 

 キュータの周りに生徒達がどんどん集まり、勝手に足湯の会が始まっていく。彼らは別に濡れても汚れても最後には<清潔(クリーン)>や<乾燥(ドライ)>、<水破壊(ディストラクション・ウォーター)>があるのでお構いなしだ。女子だっている。

 春というには暑く、夏というには過ごしやすい季節の中で、特進科は湯を蹴って笑った。

 

「アガートも行ったらどーなんすか?」

「いや、場違いすぎるでしょ」

「でも――あれ。また旦那とられるぜ」

 レイが指さす方にはレオネがいた。彼女が何科かは知らないが、少なくとも特進科ではない。

 友人二人と平気な顔をして駆けつけて行く。

「……行く」

「よっしゃ」

 

 アガート達が辿り着く頃には、教師達も集まり、「これに入ればあれ程の第三位階が使えるとしたら、我々も入りたいものですな」「だとしたら、まだ埋められませんね」「少し休憩して第四位階の試験課題も決めなくては」と笑っていた。

 判定を下す教師すら凌駕する力の痕跡をあっという間に片付けるのが惜しい様子だった。

「――キュータさん、ちゃんとやってくれたんですのね」

「――ん、レオネ。なし崩し的にね」

 彼女を見上げるキュータの笑顔は居心地が良さそうで、アガートはやはり躊躇った。

「レオネはどうだった?」

「付け焼き刃なりに。それより、うちの先生が今度第三位階の信仰系魔法を見せに来てほしいっておっしゃってましたわ。先生方もあれもこれも使えるというわけじゃありませんしね。一緒に何種類か生徒に見せて比べさせたいみたいでしたわ」

「……えぇ。一太もいないと無理なんだけど。うまく説明できる気がしないよ」

「わたくしが伝えておきますわ。側仕えがいないと何もできないおぼっちゃまだ、って」

「はははは!そりゃ良いね」

「そんなの良くない!――あ」

 アガートは思わず突っ込むと口を塞いだ。

 レオネの友人二人と、特進科の笑っていた皆がアガートを見た。

「あ、ミリガン嬢。教科書、痛んでなかった?」

 キュータは女子との逢引き現場をアガートが見たことを全く気にする様子がなかった。ということは、あれは逢引き現場ではなかったか。

 となると、レオネは本命ではなさそうだ。アガートの気持ちはすっかり軽くなった。

 

「うん、無事だったよ。キュータが持ってきてくれたらよかったのに。そしたら、約束してた乗合馬車(バス)乗ってでかける話、できたでしょ」

「ん?そう言えば約束してたね。ずいぶん時間が経っちゃったね」

「今日行く?せっかく学校も早く終わったし」

「構わないよ。こっちもこれで終わったからね。一太、良いかな」

 

 そこで一郎太を誘わないでくれと思ったが、ワルワラの顔に温泉の底から掬った泥を塗って遊んでいた一郎太は「オッケー」と返事をした。

 キュータが湯から上がる。ローブの内側から、本当にそんな所に入っていたのかと疑いたくなるようなタオルを出して、足を綺麗にしてから靴下と靴を履いた。お湯はまた少しづつ濁り始めている。誰かがすぐに<清潔(クリーン)>をかけて透き通った。

 一郎太も湯から上がるために手から泥を落とし始めると、アガートはほんのちょっとの勇気を出した。

 

「ね、入学前みたいにまた二人だけで行こうよ」

 周りが静まるのを感じた。女の子達が耳をすましている。男の子達が目を見合わせている。皆、「二人だけ」という言葉の真偽を確かめているようだった。

 構わないよ、と軽口を返してくれると思った。

 だが、キュータは首を振った。

「――ごめん。それはできないんだ」

「どして?楽しくなかった?」

「楽しかったよ。でも、この間は実はイレギュラーでね。僕、基本的には一人になれないんだよね」

 困った顔をさせている。もしかして、デートはしたくないと言われているのかも。アガートは恥ずかしさで顔が赤くなってしまうのを止められなかった。

 すると、キュータの隣で足を浸していたカインがアガートに振り返った。

「大丈夫、ミリガンさん。さっきレオネも言ったけど、冗談じゃなくキュータ様は側仕えがいないと何もできないおぼっちゃまなのさ」

 

 もし本当に本人もそんなふうに思っているとしたら、可哀想だった。

 確かにあの日のお店選びはなんだかチグハグだったし、金銭感覚もおかしかったけれど――。

 厳しい母の下で、自分の思うように何もさせてもらえていない故に手に入れられる力があれだとしたら、あんまりにも――あんまりにも――。

 

 アガートはもっとキュータをひとり立ちさせてあげたいと思った。

「逃げよ!!」

「えっ」

 キュータの手を取って走り出す。

 一郎太の足は早いが、あのお湯の中でいきなり駆け出せば友達全員がずぶ濡れのどろどろだ。魔法で消せるとはいえ、かける範囲や人数が増えれば魔力が尽きかねない。

 逃げるなら今しかない。

 校舎の陰に向かって走り、視線が遮られる直前にちらりと足湯を確認すると、やはり一郎太は皆に気を遣ってあの中から駆け出したりはしていなかった。

 それに、大笑いするワルワラに足や手を魔法で綺麗にされている。

 

 そのまま足を止めずに茂みに向かう。彼らからはもう見えていない。

「ミリガン嬢、逃げるってどうして」

「どうしてもこうしても!あなた、もっと一人で自由に世界を見たって許されるのよ!!」

 アガートは肩で息をしていた。

「一人で……自由に……?」

「そうよ!!誰にも気を遣わないで、邪魔されないで!!そうしたって良いのよ!!初めて会った時、あなた私に僕の名前なんか聞かない方がいいって言ったけど、あなたのこと首席だって知らない私といた時楽だったんでしょ!?」

 アガートは側仕えがいないと何もできないなんて決め付ける地元の友達たちとも、厳しい母親とも違う。

 キュータは驚いたような顔をしていて、校舎の向こうから「キュー様ー!」と一郎太の声がすると、アガートを抱え上げた。

「えっ?」

「掴まって」

 ギュッと首に掴まると、キュータは木に向かって走り出した。

「ちょ!前!前!!」

「知ってる!!」

 一気に飛び上がり、幹を蹴る。衝撃がドンと体に伝わり、いつの間にか二階のバルコニーに降ろされた。

 お姫様抱っこの何かに浸る暇もなかった。

「う、嘘!?魔法!?武技!?」

「しー、見つかるよ」

「あ、う、うん」

 アガートは自分の口を手で押さえ、二人でそうっと下を覗き込んだ。

 下には「キュー様?どこ行った?」とキョロキョロする一郎太。

「キュー様、も〜やめてくれよ〜……」

 トコトコと足音を鳴らして、一郎太はキュータを探しに行ってしまった。

「ふふ、はは!やった!ははは」

 キュータはイタズラ小僧の顔をして笑っていた。

「ふふ。本当だね!頑張ったよキュータ!」

 二人は手をパチンと鳴らした。

 

「で、乗合馬車(バス)に乗ってどこに行くって?」

「どこでも良いよ。ただ乗合馬車(バス)に乗りたいの。できれば展望席!こないだ乗れなかったし」

「はは、女の子は本当に展望席が好きだなぁ」

「ダメ?」

「良いよ。今日は自由の日だから」

 

 キュータは立ち上がるとアガートの手を引いて立たせてくれた。

 二人は校舎を出るまでもこそこそと廊下を見たり、ちょっと知らないクラスに入って隠れたりして外を目指した。

「あ、一年首席君だ」「さっき見た?第三位階全部やってたの」「えぇ!?嘘でしょ!?」「三年次が慌ててるって」「パラダイン様が見たかったって大騒ぎらしい」

 すれ違う人たちが皆キュータの噂をする。

 アガートなど少しも目に入らないようだ。

 

「――キュータ、こっち」

「ん?」

 手を引いて実験室へ向かう。

 バロメッツ畑の方から出れば正門から出るより目立たない。

 二人は何度も外を確認しながら、ついに校舎から脱出した。

 校門も潜らず、搬入口から外に出る。学院はかなり広いので、あちこちに出入り口がある。キュータはバス停に向かいながらおかしそうにまた笑った。

「ついに出ちゃったな。帰ったら一太や両親にどやされる」

「ほっときな!忘れて!最悪私の寮泊めてあげるから!!」

 キュータはまた驚いた顔をしてから、困ったように笑った。

「それは流石に、ね」

「あ、ご、ごめん」

 アガートは自分が言った言葉の意味を理解すると真っ赤になった。何人も並ぶバス停でとんでもないことを。

 

 乗合馬車(バス)はゆっくりと止まり、アガートは今日は前回のお返しだと思い二人分のお金を払うと展望席へ上がった。

 一番前の席の道路側に座る。通路側にキュータが座ろうとしたところで、「キュー様!!」と怒号が響いた。

 乗合馬車(バス)の下で一郎太が怒って腰に手を当てていた。肩で息をするカインとレオネもいる。それから、ワルワラが手を振っていた。彼だけは「行ってこーい!」と笑っている。

「っげ、もう見つかった。やっぱり一人じゃないと流石に巻けないか。――構うな!!出してくれ!!」

 身を乗り出して魂喰らい(ソウルイーター)がいる方にそんなことを言った。

「ちょっとちょっと、御者なんていないんだから」

 アガートはキュータの発想に苦笑した。

 ふと、乗合馬車(バス)が動き出した。

 慌てて最後の生徒が乗り、スピードを上げて行く。

 追いかけて来た皆を取り残して進むと、キュータは小さくなって行く一郎太に実に楽しげに手を振った。

「はは!一太!やっぱり追いかけっこって楽しいね!!」

「楽しくないわ!!コキ――じぃに言いつけますよ!!」

「わ、それは勘弁しといてほしいなぁ」

「勘弁できるかー!!――カイン、次何分!?」

 

 そんな会話もほとんど聞こえなくなる頃、椅子にもたれたキュータはまたいたずらっ子の顔で笑った。

「はは!ははは!面白いなぁ!」

 見つかってしまったけれど、これはこれで良いかとアガートも思った。追いつかれるまでは二人きりなのだから。

「ね、キュータってずいぶん力があるのね。さっきびっくりしちゃった。魔法かと思った!」

「それね、火事場の馬鹿力ってやつ」

 いたずらに微笑んで縁に頬杖をついた姿はあまりにも美しかった。長い髪が風に揺れて流れて行く。

 

 いつまでも見ていたかった。こんなに綺麗なものがこの世にあったなんて知らなかった。

 中身が伴っているというのがまたすごい。

 皆が高嶺の花で手が届かないと言って告白一つしない今こそ千載一遇の大チャンスなのでは。彼の抜けている所やふざけた一面も知られていない。

 ここなら、いつも一緒にいる一郎太もいないし、ライバルのレオネもオリビアも、アナ=マリアもいない。

 アガートは意を決するとゴクリと喉を鳴らした。

「あ、あのさ。キュータさ。こういうの楽しいじゃない?」

「同感だねぇ」

「……私と、良かったらなんだけどさ、私と付き合っ――」

「ん?――ごめん、ちょっと待ってくれる?」

 キュータは通路側に身を乗り出し、後ろの席へ振り返ってしまった。

 その目は真剣に細められ、この大切な時に何を見ているんだとアガートも渋々後ろを確認する。

 

 何席か後ろには、多分、獣人の女の子が眠りながら乗合馬車(バス)に揺られていた。多分とついてしまうのは、獣人系というより、亜人のように見えたからだ。

「……彼女、毛はどうしたんだろう」

「毛ぇ?どうしたって何がよ?」

「前は顔や手も毛が生えてたはずなのに、何かあったのかな?」

「はぁ……。獣人なんだから夏になって毛が抜けたんじゃないの?何がそんなに気になるっていうのよ」

「……毛が抜けるって言ったって……前はあんなに痩せてもなかったし……顔も疲れてて……なんだか……」

「もー!何だか何!心配なの?名前も知らない子なんでしょ?」

「名前は知らないけど、僕の古い友達の――レオネの友達みたいなんだよ」

 アガートはその名前に口を噤んだ。

 そんなことに気がつきもしないのか、キュータは唸っている。

 

「……レオネちゃんは気が効くでしょ。そのレオネちゃんがほっといてるんだから大丈夫なんじゃないの……。だいたい、女の子ってちょっとしたことで変わるんだよ」

「……そういうもの?」

「そう。だからそっとしといてあげなよ」

 キュータはようやく納得が行ったのか前を向いた。その様子の変化はアガートの言葉を一切疑わずに受け止めてくれていると言うのが伝わって来て、落ち込みかけた心が撫でつけられたようだった。

 あの日雑貨屋でアガートのままで良いと言ってくれた言葉が嘘じゃないというのも嬉しかった。

 

「ふー。風、気持ちいいね」

「ほんとね。だから仮面なしも悪くないって言ったでしょ?」

「君の言う通り」

 風に乱れる髪を掻き分ける仕草まで文句なしに素敵だった。

 

 行く宛があって乗ったわけではない乗合馬車(バス)だし、追っ手がきっと一本後ろにいるので、二人はいつまでも揺られて過ごした。

 

「――それでね、レイが来たから答えを聞いたの!」

「答えは何だって?」

「熱に弱いからゆっくり擦りおろすだって!」

「ははは。それじゃ、ミリガン嬢は間違いだったわけだね」

「そーなの!試験の最後に出すような大事な情報ならもっと強調して授業で語ってよって思っちゃった!うちのステ=ブル先生――あ、こないだの蛾身人(ゾーンモス)の先生なんだけどね、ステ=ブル先生ったら何でも簡単に言ってくれちゃってさぁ!」

 キュータはおかしそうに笑った。興味深そうに何でも聞いてくれた。

 アガートもつい夢中になって色々なことを話した。

 実家の薬草畑の事、神都と違って皆そんなにオシャレなんかしない事、国営小学校(プライマリースクール)に行ってたって放課後には手伝いをさせられた事、そのおかげで今こうしてここにいられる事、父親を尊敬している事、毎日の授業の事、寮の事。

 

 自分のことをもっと知ってほしかった。

 

 もう一度勇気を出して言ってみようか。

 あなたのことが大好きだって。

 付き合ってみたらきっと楽しいって。

 二人で手を繋いだりして、一郎太から逃げ回って、またこの宝石のような街へ飛び出そうって。

 

「ね、キュータ。私ね」

 

 乗合馬車(バス)は止まった。

「――終点だね」

「あ、うん。そうだね」

 

 アガートはキュータに手を引かれて乗合馬車(バス)を降りた。

 こんな風にしてもらって乗り物から降りるのも、乗るのも、彼といるときだけ。

 

 終点はもう、隣の街だった。

「ずいぶん遠くまで来たなぁ」

「本当ね。帰りもたくさん時間がかかりそう。楽しかったなぁ」

「また来れば良いよ。乗合馬車(バス)なんていくらでも通ってるからね」

 次の約束が生まれる。

 アガートはキュータを見上げた。訪れようとする夕暮れがその瞳を照らして、まるで瞳が金色に光っているように見えた。

 

「キュータ、大好きよ」

 

 思わず口をついて言葉が出た。

 キュータはアガートを見下ろし、言葉の意味を探るようだった。

 

 二人の前に次の乗合馬車(バス)が止まる。

「キュー様!!」

 展望席から一郎太がズドン!と降りてくると、アガートは思わず肩を揺らした。

「キュータさん!」

「キュータ様、な、何ともなさそう……」

 レオネとカインも慌てて降りてくると、キュータの無事に胸を撫で下ろしていた。

 

 そして、レオネがキュータにツカツカと歩み寄った。

「キュータさん!あなた何考えてらっしゃるの!!一郎太さんから離れてたらソレは外せないのに!!何かあったらどうするおつもりですの!!」

 胸をトントンと指先で何度も叩き、どんどんキュータを追い詰めた。

 隣でカインもへなへなとしゃがみ込み特大のため息を吐いた。

「流石に僕も肝が冷えました。一郎太君なんか時間が時間がって焦ってるしさ」

「キュー様見えるところにいたから良いけど、夜が来たらどうすんだよ!仮面だって俺が持ってんのに!!」

「はは。ごめんごめん。心配かけて悪かったね。一応時間は確認してたんだけどね。でも、本当にごめん」

「――ること、ない」

「ん?」

「謝ることないよ!」

 アガートはキュータと三人の間に割って入ると、キュータを指さすレオネを睨んだ。

「間違ってないじゃない!たった数十分、何が悪いの!あなた達はいつも自由に過ごしてんでしょうけど、キュータは首席だって言われて、この顔だし、ずっと人に見られて、側仕えがいないと何もできないなんて言われて……僕は目立つのが好きじゃないなんて言うようになっちゃったのよ!?可哀想だって思わないの!?ちょっとは首席だのおぼっちゃまだのじゃないただのキュータ・スズキでいさせてあげなさいよ!!」

 

 一郎太とカインは目を見合わせた。

 そして、レオネはアガートから目を逸らした。

 

「あなたの仰ることはもっともですわ……。その点は本当に反省してますけれど――」

「けれど、じゃないでしょ!反省してるふりして、本当はあなたキュータを自分の思い通りにしようとしてるんじゃないの!?」

「――そ、そんな」

 どんどん頭に血が登っていくと、アガートの肩にキュータの手が置かれた。

「ミリガン嬢、皆を責めないでほしい。ごめんね。気持ちは嬉しいんだけど。でも、三人は本当に僕のためを思って言ってるからさ。自分の思い通りにしてやろうなんて気持ちで、僕を一人にしないんじゃないんだよ」

「キュータ、でもあなた――」

「本当に。彼らほど僕を思ってくれる友達はいないって分かってるから」

 

 アガートが「私の方が」と言いかけると、知らない声がした。

「――レオネ?」

「……ルイ?ルイディナ?」

 憔悴したレオネが目を見開く。その視線の先には獣人の女の子がいた。――いや、亜人の女の子がいた。

 ルイディナと呼ばれた子は頭から顎までぐるりと包帯を巻いていて、戦場にでも行って来たようだった。

 

「ル、ルイ!怪我をしたの!?大丈夫!?頭を打ったの!?」

「へへ!耳切り取ってもらって来ちゃった!どうかなぁ!って言っても、包帯取らなきゃわからないかな!」

 くるりと回ってみせた彼女は幸福そうだが、耳を切り取るなどと言う恐ろしい言葉にアガートは今の今まで頭の中を占めていた熱が引いて行くのを感じた。

 

「ど、どうって、あなたそれじゃまるで亜人だわ!!」

「へへへ。そうでしょ!!獅子体人(リヨンイェッタ)には見えないでしょー!本当は毛抜き薬からにしようと思ってたんだけど、少しづつ医院でも部分的にやってもらえるらしくってね!毛抜き薬をいっぺんに買って自分でやって失敗するより、剃りにくい所だけやってもらうことにしたんだー!レオネもやってもらいなよ!それで――次は私、尻尾を切ってもらうの!」

 

 ゾッと背筋が凍った。

 この疲れ果てて痩せた顔でそんな事を言う彼女が、とても正常だとは思えなかった。

「な、何で!?なんてことを!!あなた、あなた大切な自分の体を!!」

 レオネが顔を真っ青にして言うと、ルイディナは明るく首を傾げた。

「何で?何でって、あたしもね!レオネやヨァナ、ファーみたいに綺麗になりたいから!それで、いつか人間になりたい!ふふふ、頑張って働けば、一年次のうちに――」

「お、おやめなさい!!何を言っているの!!人間になるなんてそんなことできないわ!!」

「ッできなくないよ!!レオネは何も分かってないよ!!ヘレフォード外科医院じゃ、森妖精(エルフ)が耳の形を尖ったものに変えたり、海の人(シレーネ)が鰭の先を人間の足の形にしたり、人魚(マーマン)が鰭を二つに割ってもらったり、茸生物(マイコニド)が顔の形を削ったりしてるんだよ!!手術だったら簡単にできるの!!」

「例えできたとして、その方達は生活を良くするためにしているんでしょう!?あなたが耳を切ってしまうこととは全く話が違うわ!!」

「違わない!あたしはあたしの人生を良くしたいの!!」

「なんで耳や尻尾を切ることが人生を良くすることになるの!?いいわ、わたくしが今すぐ低位のものでもポーションを買いに――」

「や、やめて!!やめてよ!!」

 

 ルイディナは恐怖から身を守るように後ずさった。そして、様子を見ているアガート達を見ると、開き切った瞳孔で笑顔を作った。

「あ、あたし、あたし亜人みたいでしょ……?」

「亜人みたいだけど……なんで亜人や人間なんかに……馬鹿げてる……」

 アガートがぽつりと呟くと、嫉妬と憤怒の顔で睨まれてしまった。

 失言に気が付き口を塞いだのも遅く、キュータが「馬鹿げてるなんて言うんじゃない」とアガートに耳打ちをした。

 

「君――ルイディナって言ったかな。人間になりたいの?」

「あ、うん……そうなの。あたし、人間になりたいんだ!へへ。人間っていいよねえ。綺麗だしさぁ!あたしも首席君やレオネみたいになれるかなぁ」

「……君は今までの姿であんなに綺麗だったのに、わざわざ人になる必要なんてないんじゃないの?」

「え?え?で、でもさ。ほら、こうやって亜人みたいになったら、首席君も声かけてくれてさ。へへ。あたしね、皆みたいになりたいんだ。皆キラキラしてて本当に羨ましい。たくさん恋をして、たくさん魔法を使って、たくさん認められて、それで、キラキラしたい!」

「うん、いい夢だね。恋をして、魔法を使って、認められて、きっとルイディナは夢を叶えるよ」

「キ、キュータさん……?」

「そうでしょ!レオネ、聞いた?ふふっ!早く尻尾も切りたいなぁ!そしたらもっと綺麗になれるのに!!」

 

 キュータはそっと腕輪を抜いて一郎太に放った。

 

「でも、どの夢を叶えるためにも尻尾を切る必要なんてないんじゃないかな。あの日、クラス対抗戦で、僕は君を見て綺麗だと思った。よく覚えてる。君に傷がなくて安心したんだから」

「え?あれ?お、おかしいな。え?えへへ。あんな、獣みたいだった私のこと、お、覚えてるの?」

「覚えてるよ。人間になりたいなんて、やめておきなよ。ルイディナ、君には君の、君の種族には君の種族のいいところがある」

 

「でも……人間になったら……人間になったらもっと皆綺麗だって言ってくれるはずなのに……。毛を剃った時も皆綺麗だって……」

「人間に近くなったからじゃないよ。君が綺麗になろうとしてる姿が綺麗だったんだよ。僕はあの三角の耳がなくなってしまったのが悲しいな」

 

 キュータはそっと音もなく短杖(ワンド)を取り出して握った。

 それに気付かぬまま、ルイディナは頭に触れると「いてっ……」と呟いた。

 

「だから、人間になるのはおよし。大丈夫、君の良いところは皆わかってるし、何かになりたい気持ちも皆わかってる」

「皆……わかって……」ルイディナの瞳が揺れる。「――ううん、分かってない。分かってるはずないよ!」

「どうして。僕らだってこの姿を選んだわけじゃない。一郎太だって人間の姿じゃない。だけど――」

「どうせ首席君もそっちの子みたいに馬鹿げてるって思ってるんでしょ!それであたしが人間になるの邪魔しようってんだ!!何かになりたい気持ちがわかる!?嘘つかないでよ!!自分は選ばれた人間だからって、そうじゃない人の選択をばかにしないで!!――そんなに陛下方に似せてもらって生まれて来ておいて、知ったような口きかないでよ!!」

 

 後少しだと思われた説得が崩れ去り、キュータの肩が跳ねて後ずさる。

「い、いや。僕は――」

「ルイ……!やっぱり聞こえていたの……」

「羨ましいよ!!そりゃこんな劣等感なんか味わう瞬間もないでしょうね!!あたしなんか、特別なあなたとは違うんだよ!!」

「ルイ!ルイディナ!!よして!!」

「陛下方に似せてもらってない人が陛下方に似せられてる人になりたいって思うのがそんなに変!?あたしだって神官の端くれだよ!!あたしだって、あたしだってそうなりたいんだよ!!」

 ルイディナが叫ぶ。キュータはしばらく自分の顔を押さえて話を聞いていたが、ルイディナの手首を掴んだ。

「……分かった。分かったからこっちへ来なさい」

「な、なに!なによ!」

「いいから!ここでは目立ちすぎる!!」

 

 こんな時に一体キュータは何を言っているんだろう。

「ガルル……!放してよ!噛むよ!!」

 ルイディナが放して貰えない様子に怒ってキュータの杖に噛み付く。アガートは「ひっ」と声を上げた。

「キュー様!」

「杖だ、問題ない!」

 キュータはそのままルイディナを引っ張って路地裏へ入って行ってしまった。

 レオネと一郎太も駆ける。アガートも、と思うと、その前にカインが立った。

「な、何。シュルツ君」

「ちょっとミリガンさんは僕とここにいてくれないかな。悪いけどさ」

 

 放してと際どい声が路地裏から聞こえてくる。通行人も何事かと道へ視線を注ぐ。治安維持の衛士が来てしまうんじゃないかとドキドキしていると、「ッ来い!!」とキュータの大声が響いた。

 ドッ、ドッ、ドッ、と地が揺れる。その正体が走り来る死の騎士(デスナイト)だと言うことはすぐに分かった。走りながら、すらりとフランベルジュが抜き放たれる。

「つ、捕まっちゃう!キュータが捕まっちゃうから退いて!!」

「っあ!ミリガンさん!」

 アガートはカインを押し除け、死の騎士(デスナイト)が入り口に立つ路地へ向かった。

 

 中ではルイディナが肉食獣のように唸り声をあげて、まだキュータの杖に食らいついていた。

「ルイディナ、よく聞くんだよ。親子なんか似るなっていう方が難しいんだ。だけど、僕はあの人たちから生まれた割に、姿形以外に似てる箇所なんかひとつもないって感じることだってある。力だって、天地創造なんて僕には一生かかってもできやしない」

「ガルルル……――っは?」

「父王陛下と母王陛下のお作りになったナザリックに暮らしているけれど、地下なのに空がある理由も分からないんだ。僕は本当は、ルイディナみたいに悩める皆を守るために強くならなきゃいけないけど、僕は自分の力を制御しきれないらしくて普段はあんな物まで着けてる」

 キュータはそばにいる一郎太が持つ壮麗な腕輪へ向かって顎をしゃくった。

「どうやったら父王陛下や母王陛下のように、全知全能の神になれるのか、そんなに似てるっていうなら僕に教えてくれ」

「あ、い、いや……あ、あの……」

「困るだろ。でも、いいかい。誰だって何かになりたいんだ。父王陛下達までそうかは知らないけど、こんな顔だけど僕だってそう思う。だけど、君がやろうとしてる事はいつか後悔を呼ぶって僕にはわかるんだ」

「し、首席……くん……?」

「キュー様、もう時間がないよ!」

「わかり切ってること今更隠してどうするんだよ」

「だけど、そこまで見せてやることないから!無理することないって!」

 死の騎士(デスナイト)の陰から首を何とか伸ばして覗き込むアガートの瞳には、漆黒だった髪が星のような銀色に輝き、涙を流しているように目の下へ亀裂が入っていくのが見えた。

 

「――僕だって好きでこうじゃない。だけど、僕も僕なりにやってる。今日は遊び半分に逃げ出してみたけど、君も、時には逃げ出してもいいけど、君のままでできる事を一緒に探さないか。どうか自分自身の生まれだけは否定しないでほしい」

「キュータさん……」

「あ、あわわわ、あわわわわ」

 ルイディナが尻餅をつくのと同時に、アガートも路地の外で尻餅を付いた。

 

「耳、治させてくれないか。頼む。僕のエゴだって分かってるけど、いつか君が故郷に帰る時に君の仲間やご両親が悲しむんじゃないか、君自身が傷付くんじゃないか、怖いんだ」

「は、は、はひ。そ、それは……」

「ありがとう。<重傷治癒(ヘビーリカバー)>」

 第三位階の回復魔法だ。ルイディナの三角の耳が包帯の中からプリンっと飛び出し、顔や手にあった剃り負けた部分が綺麗に治っていく。流石に毛が生えるようなことはなかった。

 ルイディナは耳に触れると、残念そうに肩を落とした。

「ルイ?あなたの耳は本当に綺麗ですわよ。それに、あなたのそのお耳で遠くにいるキュータさんの声を聞き取ってもらわなきゃ、誰がわたくしにキュータさんが言ってる事を教えてくれるの?盗み聞きもできなくなってしまいますわ。わたくし、あなたのそのお耳がすごく好きだし――うらやましくてよ」

「れおね……」

「……レオネそんなことしてるの?」

「あら、いけませんでした?」

「いいけどさぁ……」

 ルイディナはワッと泣き出すとレオネに飛びついた。

「れおねぇえ〜!!」

「仕方のない子。わたくし達、違うから良いんじゃありませんの……」

「うぅ、ごめん、ごめんねぇ!!」

 

 キュータは――ナインズはルイディナに向けていた杖をくるりと自分向けた。

「――あんな話をした後で悪いんだけど、僕はいつもの姿に戻らせてもらうよ。自分ばっかりごめんね」

 杖がふわりと振られると、銀色だった髪も、金色だった瞳も、目の下にあった黒い涙のような線も、全ては消えてしまった。

 

 ナインズはそのまま死の騎士(デスナイト)へ振り返った。

「ありがとう、来てくれて。助かったよ」

 死の騎士(デスナイト)は頷くと、塞いでいた道をそっと開けて去って行った。

「それにしても、この髪型でもそんなに似てるかなぁ」

 ナインズは自分の髪に触れるとため息を吐いた。

 レオネに背をさすられて落ち着いたルイディナは顔を上げた。

「あ、い、いえ。あのー、キュータ・スズキ様?」

「何?」

「その、存じ上げなくて……。まさか、あなたが……その、そんな高貴な方だとは……」

「……はい?」

「いえ、す、すみません!皆知ってたんですね!!ごめんなさい!!ずっと無礼で申し訳ありません!!」

「……ち、ちょっと待って。ルイディナ、君、僕に陛下方に似せてもらって生まれて来ておいてって言ったでしょ……?」

「そ、それは人間種が、皆神王陛下そっくりだなーなんて……へへ。でも、あなた様がお強かったのは、本当に血を引いてらしたからだったんですねぇ。はは、て、てっきり人間種はめちゃくちゃ優遇されてるのかと」

 ナインズはパチンと自分の顔を打つとその場にへたり込んだ。

 

「嘘だろぉ……。僕は何やってんだよぉ〜……」

「……ルイ、あなた対抗戦の時の一郎太さんの話聞いてたんじゃ……」

「え、い、いや?ミノさんの話?あの時地元の皆さん何話してたっけ……?お返しかなんか高級品せびったんだっけ……?」

 レオネもその場にへたり込むと、ちらりとナインズの表情を確認した。

 

「……キュータさんが早まりましたのよ」

「……いや、あれ言われたら普通勘違いもするでしょ。って言うかレオネも勘違いしたくせに」

「……何も言い返せませんわ。……杖、傷付いてません?」

「それは平気」

「あのさー、陛下に連絡してルイディナの記憶消してもらっとけば?」

 一郎太があっけらかんと言い放つとルイディナはゾッとした顔をした。

「え!?そ、それだけはご勘弁を!!誰にも言いません!誓います!!誓います!!二度と人間になりたいなんて、闇を受けれないなんて言いません!!お願いします!!ど、どうか!この通り!!」

「どーする?」

「ルイディナ、君本当に言わないだろうね」

「言いません!!誓います!!」

「はぁ、記憶消してまた手術するとか言い出しても困るし、手術したはずの場所が治ってるとか混乱されても困る。今回は彼女を信じるよ」

「ありがとうございます!!殿下ぁ!!」

「……レオネ、見張っておいてよ。この調子じゃすぐに噂になる」

「わかりましたわ。――ルイ、あなた普通にしてなさいな」

「ふ、普通?どんなだっけ……」

「そのままよ。あなたそのままでいるの。だから、殿下じゃなくて首席君。あなたそう呼んでいたでしょ」

「えーと……しゅ、しゅ、首席君!!」

「……まあ、いいよ。さて、皆そろそろ帰りの乗合馬車(バス)に乗ろう。もうずいぶん遅い」

 

 ナインズは手を差し出し、苦笑に彩られた一郎太がそこに腕輪を戻す。

 四人は路地裏を出た。

 

「キュータ様、お疲れ様。やっちゃったね」

「カイン、外の見張りありがとう。僕本当にやっちゃったよ……」

「ははは、まぁ、今日の自由の代償ですね」

「えぇ……罰が重すぎる……」

「やさぐれないやさぐれない」

 ナインズは何回か目のため息を吐くと、ふと顔を上げた。

「――待て、ミリガン嬢は?」

「あ、えーと……途中で帰るって言うから一応口止めはしておきましたけど……さっき乗合馬車(バス)乗ってっちゃいましたよ」

「……ちゃんと言わないでくれって頼んだ方が良さそうだ。女子寮行くか……」

 

 ナインズは想像以上に重い天罰に父親へ心の中で謝罪した。




るいちんやるとこまでやっちゃったんですね!
治されちゃってお金がもったいない!

次回!Re Lesson#17 スズキの正体
明後日13日です!
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