あれから一週間。
「っう……うぅ……!!あぁ……!」
諸王の玉座で、今日もナインズはうなされていた。
昼夜を問わない祈りは、ナインズに眠ることを許さず、その苦しみは一分と鳴りを潜める事はなかった。
「か、かあさま……かあさま……!」
フラミーの手がその耳を塞ぐ。
「──大丈夫。いるからね」
誰とも何の言葉も交わさず、ひたすらここで神に祈る者たちの声を聞いた。
「あぁ……人々は……こんなに苦しんで……!」
「聞かないで。お母さんの音を聞いて……」
ナインズは必死になって母の血の流れを聞いた。
この状況なので、今はフラミーとアインズ、時折守護者としか会っていなかった。
アルメリアは一度会いに来たが、この姿にショックを受け連れ出された。
今、一郎太にはナインズがいなくても学校に行って貰っている。彼は今までにない真剣さで授業を聞いて来ているようだ。
毎日ノートだの、メモだのをアウラに預けてくれている。ただ、それはナインズの下までは届いていない。
ふと、扉が開くとナインズはまた強く苦しんだ。
すぐさま扉は閉ざされ、アインズとパンドラズ・アクターが急ぎ足で現れた。
「──諸王の玉座ほどじゃないんですが、情報遮断系のアイテムを作って来ました」
アインズが言うと、パンドラズ・アクターは膝をつき、クッションの上に乗る指輪をそっと掲げた。白い波が真っ青な世界を模した石を包むような大きく太い指輪だった。石の中を覗き込めば、雲が流れていくのがうっすらと見えた。
アインズの声はどれだけナインズの耳に届いているだろう。
「着けてやってくれ」
「かしこまりました」
パンドラズ・アクターはナインズの指にそっと指輪を入れた。
「……効くと良いのですが……」
ナインズの様子は変わらなかった。いや、少しは落ち着いたかもしれない。
「……
諸王の玉座も、この玉座の間も、確かにナインズの体には良さそうだった。
祈りの声が小さくなる魔王の玉座は聖域になってしまった。
「と、父様ぁ……」
アインズはすぐに手を取った。
「どうした?」
「うぅ…………すみません……すみません……父様……。でも……この指輪……いいみたい……」
「謝る事じゃない。良いんだよ。大丈夫」
頭を撫でてやるアインズの声は若く優しかった。
ナインズが目を閉じ、また苦しむ声が大きくなると、三人は肩を落とした。
「……ナイ君はこうなる前から何かがおかしいって言ってたのに……」
フラミーが呟く。ぽつりとナインズの頬に涙が落ちた。
くだらない事を言っている暇があったら、もっとよく調べてやれば良かった。
ナインズの種族には変化があった。十まで満ちていた神の子の他に、
学校に行っている間ナインズは大して訓練をしていなかったのだ。
「……すみません……」
アインズの謝罪が響くと、ナインズはぼんやりと目を開いた。
確かに指輪は少し効いているようだった。
「あぁ……父様……母様……。お二人は……‥祈りの声をどうしてるの……?」
聞いたこともない物を前にアインズは言葉を失ったが、ナインズの頭を抱くフラミーは一つの澱みもなく答えた。
「救ってる。皆私が救ってるんだよ」
「じゃあ……母様が……こうしてる間は……?」
「お父さんが救ってるよ。順番にね。心配しないで。大丈夫」
ナインズは目を閉じるとぽろぽろ涙をこぼした。
子供の頃は早く祈りの声を聞いて、皆を助けてあげたいと思ったのに。
なのに──
「こんなに……醜いのに……。そう思うことすら……許されない……気がする……。っう……!」
祈りを聞いた事がないフラミーには想像で応えることしかできなかった。
「……いいの。ナイ君が救ってあげることないんだから。お母さんが元気なうちは、それがお母さんの仕事だから」
「は、はは……そ、それじゃ……、母様……、永遠だ……」
「そうだよ。永遠にそれは私の仕事なの。だから、手伝いは必要ない。ナイ君が何かをする必要はないよ。私とあなたは違う」
ナインズは少し突き放されたように感じたが、それはナインズを酷く安心させた。
「……かあさまは……完璧なんだ……ね……」
「そう。私は生を司る神様だから。生きとし生けるもの全て、私が救って導いてる。だから、ナイ君は聞こうとしないで良いからね」
「……聞こうと……する……」
ふと、あの日を思い出した。ここから出られなくなった日の始まりを。
「……あぁ……あの日……人の胸の内が……心の声が……分かればいいのにと……ぼくは……」
アインズとフラミーは目を見合わせた。
「……それからなの?ナイ君、やめなさい。人の心を覗きたいなんて思う事はやめるの。考えたり察したりすることと、覗き込む事は違うんたがら。……
「……そしたら……僕は……元に戻れるの……」
「戻れる……。祈りを聞く力は──その
フラミーが一気に言う。何の確信もない言葉だった。ただ、そうと思って対処するしかない。そうでなければ、神はひとときも休まらない。
アインズも手を握ったまま告げた。
「口で聞けば教えてもらえることをわざわざ覗き込んで知ろうとしないでいいんだ。人の心は覗くものじゃない。祈りだって聞くものじゃない。人々の祈りはどうだ。醜いだろう。きっと、自分勝手なんだろう。お前ほどの男が失望するほどに」
ナインズは涙を流したまま何度も頷いた。
「……でも……誰かの……幸せを……祈るひとも……いる……」
「そうだね。きっとその祈りは気持ち良いよね。それを聞いてごらん。耳を傾けて……」
ナインズには、まるで天から自分に糸がぶら下がって繋がるように感じた。
心の中で一本の糸を手繰り寄せる。
──どうか、幸せになって。
その祈りは、ナインズを癒やした。
ほぅ……と柔らかな息が漏れる。
「ナイ君、聞こえた?」
「……聞こえる。誰かが誰かの幸せを祈ってる……」
「うん……。他には……?」
──この子の未来が明るい物になりますように。
──どうか、誰からも愛されますように。
優しさだけを聞こうと集中するが、それは難しかった。
──私だって愛されたい。もっと見てほしい。
「っ──うぅ……」
小さな欲望が流れ込み、フラミーが頭を撫でた。
「探してごらん。よく探して……」
「はぁ……はぁ……」
──何を感じてもいいの。
──自由へ羽ばたいて。
ナインズは何度も頷いた。
「あぁ……きっと……導くから……」
「ナイ君、それはナイ君の仕事じゃない」
「……そう……かな……」
「そうだよ。何のために神官がいるの?」
「……ああ……神官……。そうか……」
目を閉じる。
聖歌が聞こえてくる。
平和を祈る声がする。
人を救おうとする人達がいる。
神の子の身を案じ、幸福を願う人たちの声がする。
ナインズは心の中で神官の祈りの糸を大切に握りしめ、他の物をそっと手放した。この束だけを握っていたかった。
しばらく、学校でもよく聞こえていた耳馴染みのある聖歌を一緒に歌った。
途切れ途切れの、掠れたナインズの声がぽつりぽつりと玉座の間に満ちた。
「はぁ……。だから神官はいるんですね……。自分勝手な生き物の祈りで、母様達が潰れないように……。救いの手が届かない人達にも光が訪れるように……」
「そう……そうだね。……神官を大切にしないとね……。皆があなたの成長を、不完全と言う名の完全を見守ってる」
「はは……はは……。最近……また……それを聞くなぁ……」
フラミーはナインズを抱きながら思う。
もし、この子の種族レベルが十に満ちて真なる神になり人の祈りを聞き続け、人々を救うのだとしたら──この子はナザリックの敵になるかもしれない。
その時、フラミー達はどうするべきなのだろう。
ナザリックの方針を変えてしまう事が一番楽だろうか。
本当の慈善団体になれば──だが、そうなれば国を支えるあらゆるものが崩壊するかもしれない。
ナザリックを支えるための闇の側面は上げれば切りがない。
国では無くなれば、統率を失い生き物は進化を望む。
フラミー達の守りたかったものはいつか壊れてなくなる。
そして、救いを求める声は増えるだろう。
ナインズは苦悩を得るはず。
あまりに壮大な話に頭が痛くなりそうだった。
とにかく、この種族レベルが上がるような事は極力防がなくてはならない。
「はぁ……少し、楽になった……。久しぶりだ……」
「良かった」
アインズも安堵に息を吐き、そばにいたパンドラズ・アクターへ指示を出した。
「国中の神殿にナインズの心の平穏を祈るように伝えろ。属国や友好国にもだ。ただし、一般の者達はいい。すぐについでで自分勝手なことを祈りだす」
祈ったから何かいいことあるかなとか、そう言うことを思うかもしれない下賤には祈らせたくなかった。
アインズにはナインズがどうやって祈りの声を選択しているのか不明だったが、混ざり込まられては困る。
それからまた幾日。
ナインズは少しづつ調子を取り戻し始めていた。
時に苦しみながらも食事をとり、短い睡眠をとった。
フラミーの膝からも下り、玉座に座っていられる。
ナインズは今日も聖歌を歌っていた。聖歌で満ちる玉座の間は神話の世界のようだった。
「ナイ君、良かったね」
「はい。これを聞いてる間はすごく楽です。それに、この祈りの声が聞こえてくる
「……安心した」
「母様も父様もすごいです。地獄かと思いました」
「ははは。地獄だよ。そんなもの。一つも聞かないでいいよ」
「……本当は手伝えたら良かったんですけど」
「神官を大事にしてあげれば十分。ナイ君は彼らが人を助けるときの心の支えになるからね」
「はい」
ナインズは助けられながらでもいいから誰かを助ける者になろうと決めた。
この天からぶら下がってくる糸をひとつひとつ選んで、時に放し、時に捕まえればいい。
「僕、そろそろここを出ようかな」
「……大丈夫?扉が開くだけでずいぶんうるさいみたいだけど」
「うん。やってみます。ここまでできるようになったから」
ナインズはフラミーと手を繋いで
押し寄せる祈りの声に、眩暈を覚える。
玉座の間ですら聞こえてしまうのは、シャットアウトしようとする力と、祈りを引き寄せようとする内発的な力がぶつかっていたからかもしれない。
<
ナインズは
「っうう……!!っあぁ!!なんて、なんて醜いんだ!!なんて苦しいんだ!!あぁ!!救いが!!救いが欲しい!!」
叫び声が第十階層に響くと、一斉にNPC達があちらこちらから現れた。
「ナイ君、中へ!無理しないで!」
「っぐぅぅぅ!!私は、私はお前達に──貴様らに──!!」
「ナイ君!!」
欲望と絶望、平和、愛情、数え切れない祈りに触れられ、彼らの一番の救済方法を考えた。──死だ。
川を血へ変えようか。
家畜を全て殺してしまおうか。
雹を降らせようか。
暗闇で世界を覆ってしまおうか。
洪水のうちに全てを沈めようか。
山を割り、火を吹かせようか。
蝗に全てを食わせてしまおうか。
悍ましい病に膝をつかせようか。
地を揺らし、積み上げた全てを崩そうか。
二度と晴れない雨を降らせようか。
──あぁ。十の災厄を。
神という存在はもしかしたら悪魔と大差ないのかもしれない。
災いを呼び、人智を越えた所から救いのように見える糸を垂らし、人を試す。
人を見張るように言いつけた天使達が人に憧れれば天使を、生み出した人々が天に届く塔を建てれば人々を──彼らは平気で断罪する。
気に入らなければ地獄の底への案内人へと変わるのだ。
あまりにも身勝手な存在だった。
「聖歌を探して!!」
母の声が遠くから聞こえた。抱きしめてくれているというのに、驚くほど遠くから聞こえた気がした。
ナインズは数えきれない量の糸をとにかく捨てた。
一本一本を捨てるたびに、一本一本が痛みを呼ぶ。
「はぁ……!はぁ……!!っぐぅぅうう!!」
「九太!!もういい!!中へ戻れ!!──ええい!もう運ぶからな!!」
いつの間にか父の声もする。
ナインズは頭を抱え、真っ白な糸だらけの空間を走っていた。どんな闇よりも深い白い場所だ。
何度かき分けても、神官達より圧倒的に多い神を求める救いの声を前に道に迷う。
神官を見つけたと思っても、神官だって人間だ。
自分の欲望がないなんて、そんな事は無理だ。
──あぁ、誰か。誰か!誰かの幸福を祈ってくれ!誰か!!
ナインズは糸の中で崩れて泣いた。
ふと、触れた糸から、自分の赤ん坊の未来を祈る声がした。
幸せと、少しの戸惑い。何にも変え難い大きな愛。
あたたかい。
それを握りしめて、泣きながら聖歌を探した。
『──あなたを守りたい』
遠くで、優しい声がした。
『──あなたの居場所を守りたい』
転びそうになりながらも、そちらへ向かう。
『──何にだってなれる。何だって感じていける』
数え切れない糸を手放した先には、やはり白い糸があった。
『──きっと人々を救ってみせる』
優しい響きにその糸を抱くと、ナインズは知ってる匂いがした気がした。
「……レオネ」
あぁ、そうだ。だから、だから君がそばにいる時僕は──。
両腕を広げたレオネはナインズを抱きしめ、祝福の口付けを額に落とした。
『──わたくしは殿下の心の剣、そして心の盾ですもの』
「……ありがとう……」
ナインズの周りから一斉に糸が飛んでいく。
神に救いを求めず、神すら救いたいという願いはあまりにも透き通っていた。
黄金のようにすら見える糸と高潔な決意は、ナインズを心をきつく抱きしめた。
あんなに深い闇だと思ったはずの白が消えて行く。
レオネの歌う聖歌が聞こえる。
心の中を強い風が吹き渡り、黄昏にも夜明けにも見える大地の上で、ナインズは空へ向かって全ての糸が飛んでいく様を確かに見た。
最後に金の糸も手放すと、ナインズはやっとこの力と付き合っていけるような気がした。
その時、ズズン……と扉の閉まる重たい音が響いた。
目を開けると、ナインズはまた玉座の間にいた。
「……父様?」
「無理をする必要はないんだから……。休みなさい……」
いつの間にか父に抱えられていたが、ナインズはそっと父の体を押した。
「……どうした?」
「歩けます。いえ、僕はやっと、祈りとうまく付き合えそうです」
「だから無理をするなって」
「あれ?」
ナインズのこの清々しさとは全く温度が違う。
アインズはナインズをちゃんと抱っこしてまた玉座に座らせた。
「あの、僕もう行けます」
「行けなかった。それどころか、お前の抑制の腕輪が鳴り響くほどに力が荒れ狂っていたんだ。まだだめだ」
「え?そうなんですか?」
ナインズの腕にはまるそれは、いつも通りの知らん顔だ。
「……でも、もう鳴りも止んでるみたいですし」
「ここにいるから止まってるんだ。お前は自分の中の始原の──いや、とにかく力を暴発させでもしろ。誰を殺し何が起こるかわからない。……ツアーの言う通り利用実験をもっと早くやってみるべきだったんだろうか……。いや……今はそんなことを考えても仕方ない……」
アインズは頭を抱え、ナインズの足元に座ってしまった。
「……あの、父様が玉座に掛けてください」
「いい。そこにいなさい。諸王の玉座はお前のためになる」
「でも僕こんな所座ってられないです。父様にも悪いし……」
「いいから。またゆっくり外は試せばいいんだ……」
ナインズは頬をぽりぽりかくと、そろりと椅子の上に立ち上がり、肘掛けを跨いだ。
「何やってる!!──と、大きい声を出して悪かったな。ただでさえ祈りがうるさいのに」
一瞬で見つかり、あまりの父の迫力に飛び上がった。だが、骨の父の怒りは一瞬で霧散した。
「あ、いえ……えーと……行こうかなーって。期末考査ももうそろそろのはずですし」
「何をバカな事を!!──などとまた怒ってしまったが、お前が悪いわけではないからな。今は念の為にフラミーさんにナザリックにいる全員を連れて偽りのナザリックへ避難するように頼んだ。だから──ね。九太はもう少し父ちゃんとゆっくりしよう?」
「あの、ツアーさん呼んでください。そしたら多分平気って言うから……」
ナインズがもじもじしてアインズを見上げる。
アインズは訝しむようにナインズを見た。
「……九太、ほんとに何ともないのか?」
「はい。分かりました。この、祈りを聞く
「……ここにいるからじゃないのか?」
「多分外でも平気です。それに、僕、どうしてレオネの近くにいたいのかようやく分かった」
「あ、そ、そう。そうなの。良かったね?」
「はい。彼女、僕のために──ナインズ・ウール・ゴウンのために、ずっと祈って歌ってくれてました。僕の心の剣で盾だって。ちゃんと聞こえてきたんだ。人々を救う神官になるんだって。僕の感じる全てを縛らないで、僕を守りたいって」
あの時、言葉で聞こえて来た以外にもたくさんのレオネの祈りがナインズを包んだ。
目を閉じ、あの糸に触れればいつでも聞こえる。
『──あなたの幸せを、誰よりも深く──』
糸をまた放すと、ナインズは笑った。
「神様の幸せを願うってすごいね。いろんな神官やいろんな人も願ってくれたけど、神の子に祈ってる気がする。そんな夢見たいなもんじゃなくて、レオネだけは鈴木九太を見つめてた。ははは。すごい子だよ、ほんとに」
「……じゃあ、お前はレオネちゃんの純粋な祈りのそばにいたかったわけか。それが大切だったんだな」
アインズは玉座の足元に寄りかかり、清々しいナインズを見上げた。
「うん、あの子の感覚は、やっぱり僕に必要だ」
「ははは、良かったな。良い友達ができて」
「はい!学校行ってて良かったなぁ!」
「とんでもない目にもあったけどな。はぁ……」
「僕はそれでもやっぱり良かったと思います。いつかはこうなっただろうし、世界にはいろんな人がいるらしい。綺麗な心も、欲望に満ちた心も、今にも闇に堕ちてしまいそうな心も色々ある。だけど、少しづつ神官達と、僕は僕なりに救っていければいいんだ」
ナインズがまた少し大人になったような気がする。アインズは鼻の下をかいた。
「そうだな。まぁ、適当に救ったり救わなかったりすればいいさ」
「ははは、父様それ神様としてどうなんですか?」
「いーのいーのを醜いのって絶対いるだろうから」
ひらひら手を振ると、ナインズはおかしそうに笑った。
二人は玉座の間の扉を押し開けた。
「──どうだ?」
ナインズが目を閉じる。
聞こうと思わなければ聞こえてこない声達。
「はい!大丈夫です!──っわ!!」
ひょいといとも簡単に抱き上げられ、誰一人としていないナザリックで、ナインズは父に抱きしめられた。
父は多分、泣いていたと思う。
骨の硬く冷たい感触を抱きしめ返し、ナインズは自分の幸福に胸を満たした。
自分の呼吸音しかしない。
世界のように広大なこの城には今、ナインズしか生きた者はいないのだ。
アインズはそっとナインズを下ろすと、くしゃりと頭を撫でた。
「学校はどうする」
「明日から行きます!」
「そうか。じゃあ、明日レオネちゃんにお礼を言うんだな。滅多にそんな友達はできんぞ」
「本当ですね。訓練の約束も破っちゃったし、早く会いたいなぁ。恋しいってこういう事なんですかね?」
「ははは。そうだな──え?恋しいの?」
「多分恋しいんだと思う。閉じ込めたくはないけど、レオネで頭と胸がいっぱいみたいです」
アインズの頭の中には盆と正月とクリスマスと法要と灌仏会と春分と秋分と世界の終わりと始まりがいっぺんにやってきた。
「え、ど、どうするの?好きって言うの?」
また父ちゃんの威厳はなくなっていた。
ナインズは首を振った。
「僕はレオネの祈りを知ってるから。あの子は神官になる。僕は、彼女を応援します。いつか大神殿に入って、きっと人をたくさん救う。その時、僕の隣は休まらない。祈りも救済も忘れられる誰かの隣がきっと似合う」
「……おい、お前……それは……苦しいんじゃないか……」
「はは、母様の言った通り。叶わないと思うと苦しいのかも」
困り顔で笑ったナインズはフラミーにあまりにも似ていて、アインズは何か、心が掻きむしられるようだった。
「ま、まださ?僕の隣は休まらないとかそんな事決めなくてもいんじゃないの?様子見て好きって言ったら……?」
どこかの家のお嬢さんも親とやったやりとりだった。
「もし彼女にナザリックで死なずに生きて欲しいと思う日が来たら言います。でも、僕は彼女の祈りを聞いていたいだけかもしれないのに、そんな事許されるのかな」
「う、う〜ん……。それは……う〜ん……でも、良いのかなぁ……」
「良いんです。はー。さっぱりしたらお腹も空いた気がします」
「……誰もいないし、たまには二人で何か食べるか。パンと目玉焼きくらいできる。母さんにだけ、とりあえずもう平気って言っておくから」
人の姿になりながら父が歩き出すと、ナインズはそのすぐ横に駆け、二人はよく似た顔で笑い合った。
その後二人でいざ目玉焼きトーストを頬張ろうとすると、ナインズの部屋にはもうとんでもない人数がなだれ込んだらしい。
フラミーとアルメリアはナインズを抱きしめて泣いた。
ナインズは大袈裟だと笑ったが、皆泣くのがやめられなかった。
守護者達はその後、しつこくナインズの部屋から離れずに過ごしたらしい。
「皆仕方ないなぁ。いいよ、好きなだけここにいてくれれば」
優しい神の子は二週間ぶりの笑顔を見せた。
まるで、一週間の眠りから目覚めた日の支配者のように。
「ナイ様ぁー!!」
「いちたぁー!!」
第七階層で久々に会った二人は駆け寄り、勢いも殺さずにそのまま飛びつきあった。
ナインズが子猿のように抱っこされるような姿になり、一郎太は泣きながら回った。
「良かった、良かったぁー!!」
「ははは!心配かけたね!連絡もできなくてごめんよ!」
「俺、俺ずっと待ってたんですよぉ!でも、絶対良くなるって分かってました!それも、期末考査までには百パーって!」
「さすがぁ!期末考査、今日からなんだってね」
ナインズが一郎太から降りると、二人は肩がぶつかるような距離を歩いて大神殿へ向かった。
「流石のナイ様も参ったでしょ。へへ。今回だけは満点じゃなくても良いですよ」
「ふーむ、満点以外は一太の許可がいるのか」
「当たり前でしょ。手抜くかこういう事にならなきゃ満点取れるんだから」
二人がよいせ、と鏡をくぐり部屋を後にする。
廊下でばったり会った神官達はナインズを見ると目を丸くした。
「で、殿下……?」
「おはようございます!皆さんの祈りと聖歌のおかげで、何とか戻ってきました!」
「殿下ぁー!」
神官はおいおいと泣き、他の神官は慌てて神官達を呼びに行った。
「長くなりそうですね」
「はは、ほんとだね。続きはまた後でって言わないと」
二人の想像は的中し、最高神官長から神官長、聖典まで勢揃いで皆ナインズの無事を喜んだ。
ナインズは皆に清い祈りを捧げてくれた事を感謝し、祈りが届くと言うことに神官達は張り切りパワーをグンと上げた。
それまで、祈りについて神々から言及されたことはほとんどなかったが、この日を境にナインズへの意識が「神の子」から「神」へと大きく変化を見せ始めた。大変暑苦しい信者達だった。
二人は遅れないように小走りで学校に向かった。
もう少ししたら遅刻になるような誰もいない時間だ。
だと言うのに、いつもの門の前から渋々と言う具合に立ち去ろうとする二人の人影。
ナインズと一郎太はそれが誰なのか理解すると笑い合った。
ナインズどころか、一郎太まで来ないことに肩を落としているレオネと、レオネの背をさするロラン。
二人が消沈して門の中へ歩いていくと、ナインズはスピードを上げた。
「レオネー、ロラーン!おはよー!!」
「おーっす!」
二人は飛び跳ねるように振り返った。
「き、キュータさん」
「キュータ君!!一郎太君!!」
ロランはかばんを放り出してナインズに抱きついた。
「うわっ!──ロラン!心配かけたね!!」
「キュータくーん!わぁー!もー!なんだよぉー!死んじゃったかと思ったよー!」
「ははは!思ったより僕ってしぶといみたい!」
男子で再会を喜ぶ様子にレオネはほっと息を吐いた。
ロランの捨てられたかばんを拾って行く。
「ロラン、落としましてよ!あなた薬学科なんだから割れ物だって入ってるかもしれないのに!」
「あ、はは。ありがと。レオネ」
ロランはかばんを受け取ると、くっついた砂をパンパンはたいて落とした。
「……でも、気持ちはよく分かりますわ。本当に、よくお戻り下さいました」
レオネはナインズを見上げた。
二人の髪を風が撫でた。
「ありがとう。レオネのおかげで戻ってこれた」
「……何仰ってますの。わたくし、何もしてませんわ。毎日大神殿の書庫でただ勉強を──ぇ?」
ナインズはレオネを抱きしめると、レオネの祈りの糸を思い出した。
「聞こえたんだ。レオネの声が。君の祈りが」
「……キュータさん」
「ありがとう。祈り続けてくれて。ずっと、ずっと前から。僕が倒れる前から」
あたたかかった。側にいる事がこんなに落ち着くなんて。
「……わたくし、あなたの心の盾ですもの」
「うん、僕の心の
「……良かった」
レオネは目を閉じ、ナインズの背をさすった。──一郎太もロランの背をさすった。
二人は離れ、両手を握り合った。
「どうも僕には君の祈りと歌が必要らしい」
「うるさいかもしれませんわよ?」
「うるさいくらいがちょうど良いよ。レオネの声を聞いてると元気が出る。僕がまた何かを見失って倒れても、君の声を探してきっとまた立ち上がるよ」
「わたくしも……。あなたのために祈り続けますわ。それに、歌い続けます。あなという羽がどこまでも飛んでいけるように」
「ありがとう、僕の──僕だけの神官長」
ナインズがレオネの額に祝福の口付けを落とす様は、まるで聖なる儀式のようだった。
「……祝福に感謝いたします」
「……僕こそ」
二人はそっと離れると、いつもの様子だった。
「──ロラン、悪かったね」
「あ、え。い、いや。全然。キュータ君こそ、なんか気を使わせたみたいで」
「ロラン?なんですの?」
「いや。なんでも。ねぇ、一太」
「ん、そすね」
ナインズはどうか幸せに、とレオネのこの先を心の中で祈った。この祈りは母の下へ行くのだろうか。
「こらー!!もう考査始まるぞー!!」
校舎の方から聞こえる教師の声に、四人は駆け出した。
また放課後、と手を振り合い、それぞれの教室へ続く廊下と階段へ散って行く。
ナインズはもう一度レオネに振り返った。
パチリと二人の視線はあったが、お互い微笑み合うだけで何も言わなかった。
駆け込んだ教室で、クレント教諭は泣きそうな顔で二人を招き入れた。
カインなどは泣いて泣いて、この後試験なのに平気なのか心配になるほどだった。
ワルワラがナインズの頭をぐりぐりと拳ではさむ。
やめろと一郎太に引き剥がされたが、結局またワルワラはナインズに飛び付いた。
ペーネロペーも、パルマとジナも、クラスの皆がナインズを迎えてくれた。
ナインズは学校に──世界にいろんな人がいて、レオネを育んでくれて本当に良かったと一日笑って過ごしたらしい。
「ナインズの変貌か……」
竜の身のツアーが復唱する。
その顔の隣に腰を下ろしていたアインズは頷いた。
「ここまで力の響きは伝わってきていたよ。だが、腕輪で封じ切れたみたいだね」
「あぁ。あれはよく役に立つ。とは言え、これ以上力が大きくなる前に流石に実験した方がいいかもしれん」
「誰とどこを生贄にするのかはよく考えた方がいいよ。善良な者達相手ではナインズがそれに耐えられない」
「──ちょうどいい場所を探さなくてはな」
「滅ぼすのにちょうどいい場所……か。君はやっぱり魔王だね」
「ナインズに必要なら魔王になるくらい造作もない。神の裁きを受け業火に焼かれるべき場所はいくらでもある。お前はもちろん止めないでくれるんだろう」
振り返った先にいる竜王は冷たい瞳でどこかを見つめていた。
「──世界のために必要ならね」
アインズはフンと息を吐くと立ち上がった。
「私は戻る。手配をしなくては」
「誰とどこを操るつもりなのかぜひ聞いてみたいよ」
「操っていることがバレればナインズが耐えられない。探すだけさ。神を冒涜するような──愚か者達の住む場所を」
……(;ω;)
レオネ・チェロ・ローラン、子供の頃はロランとの喧嘩で何度も名前がピックアップされていましたが、ローランは天使から聖剣デュランダルを授けられる英雄の名前でした。
レオネそのものも、(雄)獅子、勇者の意味だったり。
チェロは人間の声に一番近いなんて持て囃されていますが、彼女は聖歌を歌って神の子の剣になるために生まれてきていたんですね。
男爵知らんかったわ。(?????
レオネの凄さになんかもう感服しました。君、なるべくして生まれたきてたんやな……。
オリビアちゃんが正妻だと思ってたよ。本当におめでとう。
次回、明後日です!最終回かと思った〜〜!!!!(?
Re Lesson#26 放埒の旅
出ちまえ出ちまえ、放埒の旅!