アインズは自分の研究室にある疲労回復ベッドにナインズを寝かしてやった。
ここも随分使った。今や不死に繋がりそうなあらゆるアイテムが置かれている。ポイニクスロードや仙人鳳凰の羽を始めとし、人魚の生肝や
ナインズは自分で見ると言っておいて倒れた事を恥じているのか顔を覆っていた。
アベリオン四脚羊は、当然元はアベリオン両脚羊だ。
ここでは腕を切り落として他の生き物の腕を付けてみるとか、腹を割いて内臓を交換するなどと言う実験も行われていた。肉親同士を用いた事例から、人間と他の生き物──亜人だけでなく動物なども使い、そこに魔法をかけて癒した場合の変化の観察も行なっていた。
初期ロット達は悪魔の手術によって改六と遜色ない姿を持たせている。──と言うより、この初期ロット達の姿を目指した交配を進め、改六は生まれた。
始まりはこうだ。
二足歩行のままだった頃は檻の中で待機させてる間、膝を抱えて座っている者がほとんどだった。
そのせいで尻が不衛生になりやすく、さらに、一斉に水浴びをさせてやる時も上から放水するだけではとても汚れが落ち切らなかった。
一人一人の尻を洗うことは大変手間なので悪魔達の管理がしやすいよう、改良は進められた。
腕と足のつく向きを変えて四足歩行にすることで、上からの放水で一気に尻や体を流せるようになり、皮膚の状態維持に大きな成果を上げた。
関節は二足歩行から見れば逆関節に設置することによって腹を下に座りやすくする手助けとしつつ、二足歩行に戻れなくされた。
そして、言葉を話すと周りの者と話したり相談したりして、どうにか死ねるように手助けしてやるなどのこともあるため、喋る機能も奪われた。脳に細工した結果、額は不自然に隆起し、目も魚眼のように飛び出してしまい、顔も大きくなった。
首は括ったり、仲間に噛み付かせて絶命しようとする可能性があるため排除。
手が使いにくい仕様をカバーするために口と鼻も草食動物を見習って長くされた。骨の入っていない、筋肉と皮膚だけの部位なのでぷるぷるしている。バクが伸びている鼻と唇で果物を掴んだりもするように、彼らもそれができる。歯が奥に入っているので仲間を噛みにくいという思わぬ長所もあった。
効率良く皮膚を回収する為に皆肥えて腹を引き摺る直前まで行っている。
食事には四脚羊が夢中で食べるように、良い物も混ぜてある。
ただ、腹を床に擦るようになっては皮が台無しになるので腹囲の管理に悪魔達は大変うるさい。
一度の皮剥で、両脚羊の頃は前見頃と後見頃、
まさに、悪魔達の血と汗の結晶である。
それだけ飼育数も減らせる為、飼料や手数も減る。これ以上ない成果だった。
自己再生もできるトロールを使うという手もあったが、自己再生が邪魔して改良がしにくいうえに皮も剥ぎにくく、飼料がずいぶんと必要になるため結局トロールの利用は早々に打ち切られた。
この完成された姿になるように交配や手術を進めておよそ二十年。
未だ四脚羊から生まれてくる子供が両脚羊のことがある。
四足歩行にした結果、四足の異種との交配も、お産もスムーズにいくようになったが、四脚羊同士を掛け合わせるとそう言うこともある。
両脚羊で生まれた者は四脚羊へ改良されてから母体のところへ引き渡される。それまでは両脚で生まれると食わせていたが、資源として厳しく頭数管理をしているので今ではそう言う勿体無いことも減った。
悪魔達は日々、四脚で生まれるように良い実りを追い求めている。
ちなみに新しく生まれてきた四脚羊達は自分たちの姿や状況に疑問を持った事はないようだ。だが、親達の反応と痛みからの逃走のためにデミウルゴス達には相当の恐怖心を持っている。
全て手術でこの姿を得た第一世代は未だ全てを覚えているし──奪えたと思っていた知能はまだ半端に残り、言葉にならない言葉を紡いでいるらしい。
もしかしたら、一番新しい世代も言葉になるかならないかのギリギリの知能で祈りを紡いでいるかもしれない。
今日、ナインズがナザリックを飛び出してすぐの頃、牧場からは悲鳴に近い報告が入った。
──古傷にすら届く第六位階以上の回復魔法によって、初期ロットの四脚羊が両脚羊の姿を取り戻した。
まさかとは思ったが、超遠距離にいて回復魔法すら届くとは。
アインズはナインズの持つ祈りを聞く力とやらの威力に眉間を抑えた。
ユグドラシルで近しいものといえば、幻術を極めた者が使う超遠距離
遠隔視した対象の仲間を自らの前に幻術として生み出し、それを世界に本物だと信じさせることで幻術に掛けた魔法をどんなに遠くにいる仲間にでも同じ効果を付与することができる。ただし、攻撃魔法は使えず、支援系魔法と情報系魔法のみを掛けられる。
あの力もパーティー機能やフレンドリィファイアの解禁されたここの世界なら"仲間"という制限を解き放たれて誰にでも使えるものになっていただろう。
ナインズの力も、きっとユグドラシルだったならば<
四脚羊達は両脚羊に戻った仲間へ泣いて鳴いて擦り寄ったらしい。
老いた両脚羊は「神様に祈りが届いた」と言い、今、四脚羊達はアインズ一行の会話を聞いて昼間の出来事にさぞ色めき立ったことだろう。
神が来てくれたと。
「……父様、解放しましょう」
ナインズはゆっくりと腕を顔から退けた。
「あの生き物は言葉を言葉として綴る事ができない……。だけど……彼等だって命と愛があって生きています……。彼らをあるべき場所に返してください……」
首を振る。アインズは幼子にするように、大切にナインズの前髪を撫でた。
「そんな場所は存在しない。彼らのいるべき場所はここだ」
起き上がったナインズに、デミウルゴスから水が差し出される。しかし、ナインズは受け取らなかった。
立ち上がり、研究室の外の夕焼けを──牧場の入り口を眺めた。
「……なぜなんです」
「ナインズ。お前は養豚場の豚に本当の家があると思うのか?あれは品種改良された猪だ。その豚を森へ返せと言うのか?」
「……もし豚が死にたいほどにそれを望むのなら、僕はそうした方がいいと思う」
「では……返すとして、その場所を譲るのは誰だ。どの生き物だ。食われるのはどの生態系だ。お前は場所を奪われ、生態系に手を出された夏草海原の者達の嘆きを知っているはずだろう。それに、夏草海原に溢れた旧都市国家連合──カルサナス州出身の者達があの後どうしたか知っているか?」
ナインズは黙った。知らないのだ。
「──そうだろう。私達は夏草海原を守り、夏草海原の怒りを鎮めるため、そして、夏草海原への無自覚な領土拡大を一切許さんために彼らにはそれぞれ希望する都市への移住を強制させた。治安維持のために財産の没収などは行わなかったし、土地は国が買い取った。金銭としては何不自由のない移住ができただろう。では、彼らはそれで幸せだったか?──そんなはずはない。彼らにとっては祖父母が開拓した美しい故郷を奪われたのと何一つ変わらない。見知らぬ町、見知らぬ人々の中で始める新しい生活が苦しくないわけがない。今までやっていた営みとは違う営みや文化を前に、彼らは夏草海原をお返しくださいと祈っただろう。全ての生き物が納得することなどあり得ない。私達は取捨選択をしなければならない」
「……夏草海原は救いに喜び祈りをやめた。代わりに次の祈りがうまれる……」
「そういうことだ。際限などない。豚とて野に放てば、養豚場に帰りたいと乞い願う」
ナインズがログハウスを後にするのに続く。
無言で牧場を見下ろしたと思うと、ナインズはやはり首を振った。
「……それでも、この祈りは尋常じゃない……」
アインズにはあの家畜達がナインズに一体どんな形で祈りを届けているかなどわかるはずもない。
「……解放は諦めます。せめて、命を終わらせてやってください……」
「……悪いが、断る」
「……何故なんです。……全てを救う力すらお持ちのはずのあなたが」
「……お前には幼い頃言ったはずだ。無駄に奪う事は未来のお前自身から奪うことに繋がる。その事をよく覚えておくように。ここの者達の命を奪う事は未来のお前自身、未来のナザリックから奪うことに他ならない」
夏草海原を任せると言われた幼き日の言葉は、今もナインズの中に生きている。
アインズはその瞬間をいっぺんの曇りもなく覚えていた。
「我々は奪える立場にあるのだ。お前は自分のやろうとしている事が、お前自身とナザリックに本当に必要なのかよく考える必要がある。──あの者達は
「……
「これはまた……何とも言えん物言いだな。
「
「いや、理解できていない。よく分かった。
「分かっています……分かっていますよ!だけど、それでも……!それでもここは、この場所は、あまりにも嘆きに満ちているとは思わないんですか!その
「だから知る必要などないし伝えていない。そもそも、命は平等ではない。世界は不公平だ。生まれた瞬間から不公平は始まる。才能を持って生まれる者がいれば、持たずに生まれる者もいる。生まれる環境だってそうだ。裕福な家庭、貧困に喘ぐ家庭。生き物は皆、生まれた瞬間から不公平なのだ。だが、それで良い。それが正しい姿だ。そして、私がつけた順位が高い者の踏み台になる命がある。ここの生き物は私の中で一番下の命だった。それだけのことだ」
「あなたは……!あなたって人は……!!」
ナインズが杖を抜くと、デミウルゴスが焦ったようにアインズを見上げた。
「分を弁えろ。たった五十レベル代のお前に何ができる?笑わせる」
「例え、父様が与えてくれる力がそれしかないとしても、僕にはこれがある……!」
「──何?」
ナインズは静かに腕輪を抜き、地面に放った。
アインズの骸の中の瞳はぞろりと動いてその様を追っていた。
「一度も使ったことのない不完全で脆弱なその力で何をする」
「ここを吹き飛ばすくらいのことができる事を僕が知らないとでも」
「……誰の命を糧にする。それは生贄を欲するぞ。ここを破壊するためにここにいるすべての家畜の魂を用いるか?お前はそれが本当に救済になると思うか。お前は真にして偽りの存在だ。爆発も生贄の吸い上げもコントロールはしきれまい。辺り一体を飲み込むその力がアベリオン丘陵のどれほどを穢すかなど想像もつかない。この美しき大地を……。驕ったものだな」
「確かに父様の言うとおり、僕がしようとしている事は丘陵の破壊にも等しいかもしれない。この結果が未来のナザリックから奪うことにもなる。だから、僕はこの罪を背負う」
「罪を背負う?」
聞き返してくる瞳が燃える。ナインズがこれまで見てきたどんな父の姿よりも恐ろしかった。
命をその指先一つで弄ぶ絶対者。
ナインズは他に
「新しい種の剪定と、品種改良、牧場の運営。痛みが伴うとしても、リセットして、僕がやり直します」
「簡単に言えたものだな。完璧な運営になるまで私は何年待てば良い。デミウルゴスと悪魔達は何年もかけて完璧な生き物を作り出したのだ。ナザリックの資源の枯渇は常闇の素材の頻用にも繋がる。金貨の精製も、軍需強化も賄うあれを低位の
「リミット?何のです」
「お前の想定はただのんべんだらりとこの美しい箱庭が続くことだろう。だが、後八十年もすれば次のプレイヤーが──破滅が訪れる。私は全てを犠牲にできるのだ。お前を含む愛する者達が少しでも危険に晒されないように、ナザリックの勢力が負けないように、組織の強大化は全てに優先される。一分一秒を無駄にできない。お前は八十年後に訪れるかもしれない破滅からナザリックを守れるか?もしくは、その災厄にナザリックが打ち滅ぼされた時──神を失い、統制を失い、家を、家族を、愛する者を失う国民になんと詫びて生きる。そして、死にゆく私や守護者達に、なんと詫びる。……お前にその業が背負えるのか。無理だろう。命の順列とは、そう言うものだ」
ナインズの中を躊躇いと恐怖が蠢いた。
「ナザリックを滅ぼす災厄が存在するなんて、そんなことがあり得るんですか」
「だからお前は驕っていると言っているんだ。ツアーすら恐れる本当の災厄が来るだろう。規模は分からんがな。その戦いにはフラミーさんとアルメリア、それから──お前を出す事はない。例え荒れ果てた大地になったとしても、ナザリックすら失われていたとしても、お前達さえ最後に生きていれば私はそれでいい。だが、お前はその業の深さに耐えられるはずもない」
「母様が生き残れば、父様は再び戻って来られるんじゃ……」
「全ては謎だ。フラミーさんの力ですら届かないと言う可能性もある。おそらくは星に願いを届けてくれるだろうが──少なくとも、失われたナザリックまでは及ばない。守護者達とは永遠の別れになる。だからこそ、力の枝葉の一番外側の、価値も大した事はないように見えるこの牧場でさえ私達には不可欠の存在なのだ。何の犠牲もなく、誰の痛みもなく生きていけると思うな。──だが、お前の心を蝕むのなら──デミウルゴス」
デミウルゴスは静かに膝をついた。
「──は」
「──不詳の息子がごねて仕方がない。品種改良の時間だ」
深々と頭を下げる。まさしく神へ行うに相応しい礼だ。
「どのようにいたしましょう」
「望ませろ。自らがその立場に相応しいと喜んで身を差し出すように。乳牛が乳を搾られたがるように、殉教者達が神に命を差し出すように」
「畏まりました。ここで生きることで得る絶頂の幸福を」
「手間を取らせるな」
「とんでもない。それこそ、私達の喜びでございます」
「ふ──行け」
再び立ち上がり、デミウルゴスは地獄の穴の中へ降りて行った。
喜んで皮を剥がされたがるようにするなんて、それは明るい地獄の始まりのような気がした。
「……仕向けるんですか」
「あぁ、仕向ける。──だが、お前はスルターン小国で見てきた
ナインズはあそこの者達が心から食われることを望んでいるのを目の当たりにした時、あそこを地獄だと思っただろうか。
美味しそうだと言うワルワラを地獄の門番だと思っただろうか。
考古学博物館で見たあの国の歴史を否定しただろうか。
──答えは全て、否だった。
「……興味深く思いました。あそこの食った食われたは……正直言えば、理想だと思いました」
「そうか。私もだよ。小麦は自らの勢力範囲を拡大させ、穂を食う我々を歓迎している。望むのなら、本当はそれでいい」
「……はい。ですが、利用する者にも、利用される者への感謝と尊敬があって然るべきなんです」
「当然だ。私は──いや、私もフラミーさんも、いつでもそう思っている。ここに必要なのは、利用される彼らの意識改革だけだ」
アインズは落ちている腕輪を拾い、ナインズの手を取ってそっとそれを通した。
「……私とデミウルゴスに少しチャンスと時間をくれないか」
「……ここまで放置したというのに、本気で仰っているんですか」
「本気だ。私が何より大切なのはお前なんだから。お前が望むのなら、ナザリックの損失でない限り、全てを叶えてやりたい」
ナインズは父と過ごした子供の頃の事を思い出していた。木に登ったり、森で焚き火を起こしたり、どこかの小川のへりに座って釣りをしたり。
魚の管理を兼ね、父とは釣りによく行った。全てを余すことなく使うことは奪った者の責任であると口すっぱく言われた。
守護者達も同じように執務室でいつも注意されているではないか。
ああ、ナインズは理解した。
闘技場のモンスターの死に尊厳を求めて飛び込んでしまう事も、ここで利用される者達に心を寄せてしまう事も、尊敬で結ばれているならば食う食われるすら許してしまうことも、全ては父が教えたことだったと。
あの祈りの中、その父が辛くなかったはずがない。責任を持つと言うことの重さを、ナインズは思い知った。
「……父様。ごめんなさい」
「いいや。過保護なせいでお前を迷わせた。話すべき事は話さなくてはならないな。もう、大人になろうとしているというのに……。私の方が悪かったんだ。すまなかったな」
ナインズは杖をしまうと首を振った。
「お前は理解ができる。頭のいい、本当によくできた男だよ」
「いえ……せめて、僕が品種改良と環境改善はします。お手間は取らせません」
「それは私やデミウルゴスの仕事だ。信用して任せてくれ」
アインズは息子を抱きしめると背を数度叩いた。
「私が良しというまで、ここの祈りはもう聞かないでくれるな」
「……それはたまには聞くかも」
「監査か。やれやれ。だが、すぐに聞こえなくしてやる。死を乞う祈りなど」
「……ありがとうございます。でも、これって本当に幸せなことなんでしょうか。父様達も、スルターン小国の意識を変えさせようとしているのに」
夕陽が落ち、紫色に染まり始めた空。
アインズは見上げて言った。
「それは、我が国にいつかスルターン小国を取り込むために必要だからするだけだ。本当のところを言えば、本人達が望んでそうあるのだから、私はそれはそれで構わないと思っている。あの国はあの国で幸福だっただろう」
「……はい」
「だが、私は世界が美しく続き、ナザリックが永遠にあるように管理しなくてはならない。スルターン小国もミノタウロス王国も、別にわざわざ我が名を冠する神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国にならなくてもいいと言うのが本音だ……が、やらねばならないだろう。──本当に必要なのは国名を変えることでは無く、共通した認識だけだというのに」
「それは……?」
「魔法を求めて豊かになれ。死の時には我が下へ帰れ」
それだけ言うと、アインズはナインズの肩を叩いて地獄の穴へ吸い込まれて行った。
ナインズは自らに収まる腕輪の感覚と、父の気配の余韻を確かに掴んでいた。
「……魔法を求めて豊かに……」
その響きはあまりにも優しく感じて、空を仰いだ。
つがいの鳥が鳴いて飛んでいく。
アベリオン丘陵には、夏の切ない匂いが流れていた。
階段を降りた先で、デミウルゴス達悪魔は早くも会議を開いていた。
「デミウルゴス、悪いな」
「いえ。そう言うことも面白いではありませんか。我々を見て小水すら垂らしながら逃げていく羊が、今度は我々を見ると狂喜乱舞して寄ってくるわけです。皮の品質管理のためにも意識を変えさせると言う事はいつかは必要だと思っていましたが、ここが転換点になりましょう」
デミウルゴスは楽しそうだった。意識を変えると言う事は一筋縄ではいかない。
ご褒美が貰える程度では皮を剥がれることに対する割に合わないのだから。
それに、薄暗い地獄が明るい地獄に変わるだけだ。
「ゆっくりやっていけばいい──と言いたいところだが、ことは急を要する。ある程度大胆に改革してもいい。例えば放牧の時間を持つとか、檻の大改装を行うとかな。予算は十分に持つ。お前が思うように、なんでもやってくれ」
「ありがとうございます。結局、国民を平和的に管理することが一番の利益を上げると言うアインズ様の最初のご指示に戻ってきてしまうわけですね」
「今回は思いがけず、だがな。ここでそれをやっても手間ばかりかかってしまうな。ただ単にナインズの体調のためだけだ」
「それこそ、何よりも大切なことでございます」
「……それは……そうだな」
アインズはぎしりと椅子にもたれかかった。
あの怒ったナインズの顔。今にも泣いてしまいそうで、本当にかわいそうだった。
(残念だけど今日はお出かけやめて、抱っこして寝てやるか……)
青年相手にパパはちょっとおバカだった。もちろんナインズは笑って逃げ回った。ベタベタしすぎですよと言うナインズを捕まえると、ナインズはおかしそうに笑いながら結局観念してそのまま寝たらしい。
後に、牧場は気色が悪い程に皮を剥がれたがる者達で溢れる。
ナインズに大量の黒い祈りが届くこともなくなった。
だが、普通の感覚であればここで起こる全てはやはり悍ましいと言わざるを得ないだろう。
心から望んでいて、本人が幸福であれば良いと言うのは上位者達だからこそ出る感想だ。
姿を歪められ、本来の生活を奪われ、仮初の幸福の中で異種族との間の異形を産み落とす母体と何も知らない家畜として生まれてくる子供。
ナインズは数え切れない異形の中で育った子供だ。
恐怖公の眷属すら愛しく思う家族の一部である。
本来ならば姿形に対して多くのことは思わない。
肉塊にすら可愛いと微笑むこともあるだろう。
それに、彼は良くも悪くも賢く平等すぎた。博愛主義者であると言うこともあるか。
ナインズは他者の命を食うことで自分が生きている事を知っている。
「いただきます」
「ごちそうさま」
その精神だった。
そこに尊厳があるならば、異形達を解放しろと騒ぎ立てる事もなければ、家畜を放てと迫ることもない。
──普通のリアルを生きたプレイヤー達が耐えきれない事であったとしても。
この日から、ナインズは
所は変わり、ナザリック地下大墳墓。BARナザリック。
「ソウカ……。安心シタ」
じい──コキュートスは愛するナインズの小さな家出の顛末に白い息を吐いた。
「だから、アインズ様達はナインズ様をあのような下賤の旅にも出したわけですねぇ」
デミウルゴスの尾は揺れていた。
「ソレモ随分心配シタモノダ。ヤハリ御方々ノサレル事ニハ意味ガアル」
「全くです……。今回、ナインズ様は随分いろいろな事を学ばれた気がするよ。もうただの赤ん坊ではないんだね」
「本当ニ大キクナラレタ。アノ背中ヲ見ルダケデ私ハ……ウ……」
コキュートスが肩を震わせると、カウンターの向こうからそっとピッキーがハンカチを出してくれた。
「……その調子では普段本当に訓練ができているのか心配になるよ。ナインズ様はまだレベルも低い。満足されるには早すぎる」
「……ソノ通リダナ……。安心シロ。訓練ハ滞リナイ」
五十レベルを越えた頃から、かなり成長スピードが落ちている。
レベルアップに必要な経験値量が莫大になっているのだ。
老齢の竜達と同じほどの力だと思えばこのレベルを越えていくことの難しさにも納得する。
だが、漆黒聖典や一郎、二郎のことを思うと──
「……ヤハリ、アル程度ノ敵トノ実戦ガ必要ダ」
「命を奪うことで得られるものは大きいだろうからね」
今はシャルティアの下で金貨利用制限を施したナザリックの自動ポップのアンデッドを狩ったりもしているが、もうたいした経験値にはならない。
「御方々トゴ相談シ、今再ビ、ナザリックノ本来ノ力ヲ呼ビ覚マシテ頂ク必要ガアリソウダ。秋ガ来ル前ニ、モウ少シデモ力ヲ付ケテイタダク。長距離転移ヲ覚エラレテシマッタ今、腕輪ヲ外セバイツドコヘ飛ンデイッテシマワレルカ分カラナイ」
「それがまた心配どころです。少ししたらハンゾウより上の存在が必要になるかもしれません。隠密に長け、決してナインズ様に置いていかれることのない存在……」
二人で唸り声を上げようとしたその時、バンっとものすごい勢いでBARの扉が開いた。
「ンンンンこの私が!!ン父上に変身して付いていきましょう!!」
パンドラズ・アクターだった。
「──アウラはどうだろうか」
「マーレトセットナラ上手ク行クカモシレン」
二人が再び会話に戻ろうとすると、パンドラズ・アクターは二人の間に顔を突っ込んだ。
「話、聞いてました?」
「……聞いていたか?と聞きたいのは私達の方だよ。完全不可視化で付いていくと言いたいんだろうけどね、魔法が解けるタイミングで見つかるのが目に見える。そうなれば、"父様、僕を見張っていたんですか"とお怒りになるに決まっているでしょう」
「一理あります」
「ヤハリ、何ダカンダト引キ留メテクレル一郎太ガ鍵ニナッテシマイソウダナ」
コキュートスの吐き出された長い冷たい息がかかると、パンドラズ・アクターの袖はぴきぴきと僅かに凍った。
「後は、ンパトラッシュをペットと言って連れ歩いて頂くとか」
「目立つでしょう」
「先に国民に似た生き物を流行らせれば」
「似た生き物ねぇ……。少なくとも私は見たことがない」
「そこは、ちょちょいとなんとかなりません?」
「……ならないね」
とかなんとか言いつつ、念の為デミウルゴスは牧場の片隅であれこれ交配したらしい。祈る知能がない者は相変わらずやりたい放題だった。
神都、大神殿。一般開放書庫。
ずり落ちかけていた丸いメガネを外すとレオネはうんと伸びた。
「──はぁ」
「疲れた?」
向かいに座っていた人に突然そんなことを言われると、思わず肩が跳ねた。
「っえ、あ」
「や。今日も頑張ってるね」
いつもと同じ顔でキュータが笑い、レオネは思わず安堵に顔が緩んだ。その向こうには一郎太もいて手を挙げている。
「当然ですわ。──出ます?」
「レオネの用事が終わってれば。終わってなければいいよ。すぐ帰るから」
「今日の分は済みましたわ。見てらしたでしょ」
「そうだね。結構待った」
「もう。そんな事おっしゃるなら声をかければよろしいのに」
「いいよ、邪魔するほどのことじゃなかった」
レオネが片付けを済ませると、三人は書庫を後にした。
外の噴水は今日は上半身が魚の半魚人が水浴びをしていた。噴水の中で「ふぅー」と息を吐いて座っていると、巨大な魚が縦に刺さっているようにしか見えなかった。
三人で水の飛んで来ないあたりに腰掛ける。
夏真っ盛り。燃えるような日差しだった。
「それで、いかがでしたの?」
「うん、しこたま叱られたよ。誰かさんのおかげでね」
「ふふふ、ははっ。ふふふふ、ははは!おかしい!ふふふふ!」
レオネは口元を押さえて小さく笑おうとしたが、どうにも収まらないらしく最後は子供の頃のように大きな声をあげて笑った。
「ふふ、失礼しましたわ。本当におかしくって。でも、救えたんでしょう?」
「……正直、まだ救えてないんだ。でも、父様が彼らの心が癒されるようにしてくれると約束してくれた。時間はかかるかもしれないけど、なんとかするって」
「あなたが救おうとしたからだわ。よくやりましたわよ。良かったですわね」
「ふふ、ありがとう。でも、懲りたよ。何にだって理由はあるんだって思わされたって言うかさ。しかも、今回も結局僕が騒いだだけで、行動するのは父様達だ。僕はどうしようもない息子だよ」
「あら、次同じことがあったらどうされるの?」
「……同じことをすると思う。しなかったら、全てを見過ごされて彼等はいつまでもあそこで苦しみ続けることになっていただろうから。でも、もう父様に杖は二度と抜かないな」
横で聞いていた一郎太がひょいと身を乗り出す。
「……そこまでしたの?キュー様」
「うん。腕輪も捨ててね」
「そ、そしたら……?」
「ははは、分を弁えろって言われた。その通りだったね。僕ってクソガキのくせに、なんか知ったような気になってたらしい。驕り高ぶるってやつ。首席とか言われていい気になってたかな?それとも、祈りが聞こえるようになって自分が一人前になったとでも思ったか」
一郎太が「あぁあぁ」と苦笑する。彼も詳細を聞かされた訳ではなく、ちょっとナザリックの様子から異変を感じていたにすぎない。
ナインズの足元に鳩が寄ってくると、ナインズは一羽を拾い上げて羽を撫で付けてやった。その手の上にレオネの手が乗った。
「──でも、救えた」
「……これからね、ありがとう。また君のおかげだよ」
ナインズは鳩を空へ放してやるとごそりと胸の中に手を入れた。出てきた花束は絶対そこには入っていなかっただろうと思えた。
「レオネにお礼。地表部で摘んできたよ。リボンもそこの雑貨屋で買ったやつだから。……高価じゃないし、受け取ってくれる?」
「お礼なんてよろしいのに。でも、嬉しい。いただきますわ。この辺りでは見ない花ですわね。綺麗」
「良かった。──レオネ、僕は明日からまたナザリックを出られなくなる。罰とかじゃなくてね。秋が来る前に、もう少し力を付けた方が良いって」
種族レベルと呼ばれるものが上がらないように、不要な接触を絶って訓練をしなくてはいけないとコキュートスは言っていた。祈りもあまり聞いてはいけない、何になってしまうか分からないと。
花束の匂いを嗅いでいたレオネはナインズの横顔を見上げた。
「……そうですのね。少し寂しくなりますわ」
「秋なんてすぐに来るよ。学校が始まったら、また校門で会おう」
「楽しみにしていますわ。また成長されて戻って来られるんだものね」
「良い夏を送ってね」
「あなたも」
ナインズはレオネの頭を抱えて引き寄せると、額にキスをして放した。
「──祝福に感謝いたします」
「僕の方こそ」
二人は微笑みあった。
「じゃあ、またね」
「はい。一郎太さんも、また」
「ほいよ。気をつけて帰れよ」
それぞれの行き先が分かれていく。
やはり、ナインズはレオネに振り返った。彼女も振り返っていた。
目が合うと、レオネは花束を大切そうに抱え、顔いっぱいの笑顔で手を振った。
「頑張って!!」
「君も!!」
こちらも笑顔で手を振りかえす。
大神殿に戻ると、頭の後ろで手を組んだ一郎太が呟いた。
「あれだけでいいの?」
「あ、他の皆にも伝えておいた方が良かったかな?レオネは訓練に期待してると悪いかと思ったけど」
「……そうじゃなくて。別にここに来られなくたって<
「うん?それ必要?」
一郎太は自分の額をパチンと叩き、そのまま溜め息をついて歩いた。
その後二人は秋までの間、信じられないほどの訓練に励んだらしい。
はぁ……( ;∀;)本当に正妻だ……
良かった、皆に服を着せてとか言い出さなくて(?
おフラさんの「裸でいさせないで」に引っかからないくらいの見た目になってたことも安心しました!
次回明後日!
Re Lesson#30 ミノタウロスの兄弟