Re Lesson#32 幕間 秋の日常
カッツェ平野。
私はかつて、そこで霧だった。
多分、そうだと思う。
黄金の季節にたなびく麦。
あちらこちらに建つ人々の営み。
命の実りの途切れぬ地。
ああ、羨ましい。
仲間達はもうずっと前にどこかへ行った。
私は霧のたった一粒。
たった一人。
この場所で、営みを見てきた。
ああ、嫉ましい。
「っは!……はぁ……はぁ……!!」
ブリタ・バニアラは飛び起きると、今見たはずの夢を思い胸を押さえた。
思い出そうとしても夢はもう遠く消え去っていて、残ったのは痛みだけだった。
「あいたたた」
昨夜飲みすぎたのか、頭痛はするし、なんとなく胃ももたれている。
あぁ、これのせいで変な夢まで見たのか。
下着姿の体でよいせとベッドを降りる。
薄着ではもう肌寒い季節だ。
ベッドに掛けてある羽織り物をさっと着て、ぺたぺたと裸足で窓へ向かう。
窓を開けば、外は黄金に輝いていた。
カッツェ穀倉地帯は今年も豊穣に沸いている。
「はぁー!良い朝だなぁ」
ブリタが冒険者をやめてここに越してきたのはおよそ三年前。
その経験を買われて、今では自警団のリーダーとして働いている。
手には未だに剣タコがあるし、この歳になったと言うのに化粧っけ一つない。
鳥の巣のようなボサボサの赤髪はいつも目いっぱい引っ張って一つに括っている。
冒険者時代にいいなと思った相手もいたが、男に愛情を注いでどうこうと言うタイプでもなく、女一人ここまで来てしまった。
──と言うのに。
「よう」
外から馴染み深くなった声が聞こえると、ブリタは窓を覗き込んで見下ろした。
「まぁた来たの」
「あぁ、ここは畑をよく見渡せる。流石に畑を守る為に越してきただけはある。──それにしても、今日も随分遅く起きたな」
「平和の証なんだから喜んだら?」
「せっかく雇ってるのに平和すぎるのも問題だ」
人の家の玄関先の椅子で勝手にパイプをふかす男──ダニエル・オルノはここに来てからの付き合いのおっさんだった。
もう五十手前の彼は、神聖魔導国によるエ・ランテル土地買い上げ時に、ここ、カッツェ穀倉地帯に乗り込んだ。
リ・エスティーゼ王国支配下の時代はまるで金のない、半ば物乞いのような生活をしていたらしい。
魔導歴一年の晩秋にスタートした農業開拓に繰り出す契約を結び、不安はありつつもちっちゃな地主を夢見た彼は、今や立派な大地主だった。
およそ二十年間、スケルトンやゴーレムを貸し出されながら、真面目にこの地を国の食糧庫と言わしめるだけの場所に育て上げた。
最初の年はなんだかんだ大変だったらしい。
決められた日には守護神のマーレ・ベロ・フィオーレが大地中に栄養を齎してくれたが、雨が思ったように降らなかったり、降りすぎたりと言うこともあった。
当初はマーレこそ最も偉大な神ではないか、と畏怖する者もいたくらいに、守護神の力におんぶに抱っこだった。雨を降らせたり、大地の栄養価を怖いくらいに高める様は光と闇よりもよほどダニエル達を救った。
ただいくら耕す力と栄養があっても、毎日つきっきりで守護神がいてくれるわけでもないのでイレギュラーはどうしても発生するものだ。
そんな時には小さな諍いも起こった。行き先のない学もない者達が寄り集まってやっていたのだから。
誰それの
そうして続けて行けば続けて行っただけ土地は本来の姿を取り戻し、いつしかどこから来たのかも分からないような獣や虫も住み着き、守護神の土地の栄養補充も減っていった。もちろん、今でも年に何回かは来てくれる。神聖魔導国の作物のうまさがピカイチなことにも頷ける。
穀倉地帯の豊かさが存分に知れ渡ると、元貴族の三男達や、新しい商売を目論む者も乗り込み、カッツェ穀倉地帯は農業地域のみならず、街や商業地域も大きく発展した。
十分に栄えると、それまでは小さな自治体のような扱いだったと言うのに、ここはザイトルクワエ州カッツェ市の名をドンと冠することができた。
「今年の収穫もまた臨時で雇い入れた奴らが来てくれる。もう少ししたら発注した依頼の返事もくる頃だ」
ダニエルはパイプの煙をぷかりと吐いた。
「ダニー、スケルトンを借りた方がいいんじゃないの?寝泊まりする場所もいらないし」
「俺がここで俺の畑を見てられるのも精々後二十年だ。やり方を覚えてくれるやつを一人でも多く残さなきゃならないだろう。俺は子供も妻も持ってなけりゃ兄弟だっていない」
「じゃあ、いつかはここの畑を誰かに譲るわけ?勿体無い」
たくさんの実りが波のように揺れる。人に譲るにはあまりにも惜しいと思ってしまうのは、ブリタが欲張りなのだろうか。
「俺も勿体無いって思うけど、あの世にゃ畑は持っていかれない。ここの生活を気に入って俺のやってる事を引き継いでくれるやつをたくさん引き込まなきゃ、ここまでやったことが勿体無い」
「ふーん、後継者探しねぇ。なんでさっさと結婚しなかったのさ。そう言う事も期待してここに来たんじゃないの」
「そりゃ期待した。でもこれやってる方が楽しいって毎日を過ごして、気が付いたらおっさんになってた」
「笑えないねぇ」
「ブリタも似たようなもんだろうに」
「まぁね。あたしも結局これが一番楽しい」
玄関先にかけてあった剣を抜き放つと、自分の顔が映った。現役の頃よりは多少衰えているが、その眼光はまだ鋭い。
「ま、ここは魔物も少ないけどな。
とは言え、空からサンダーバードやコカトリスが来る事もあるので、弓も使える自警団はやはり重宝される。
二人は空をいく、魔物ではない鳥を見送った。
「──そう言えば、収穫前といえばそろそろ来る頃よね」
「あぁ。依頼の返事は多分来週には来る」
「違う違う。校外学習の季節も来るでしょ」
ダニエルはそれを聞くと、ぱかりと口を開けた。
「ヤバい。そうだった!まだ準備が済んでない!」
「馬鹿だねぇ」
「俺はもう行く!!」
ブリタは苦笑してまぬけな雇い主を見送った。
秋になると、ザイトルクワエ州エ・ランテル魔導学院と、スレイン州神都魔導学院から学生達が校外学習に来る。カッツェ市の管轄はザイトルクワエ州でも、位置としては二都市の間にあるためだ。
信仰科からは実りや大地の癒し、病を学ぶため。
薬学科からは薬草類や植物の見極めを学ぶため。
特進科からは生活に密着した全ての魔法を学ぶため。
教育科と普通科の行き先はまた異なる。
風が吹くと、パンツ丸出しの足が冷え、ブリタはクッシュン!と大きなくしゃみをした。
「はぁ。もうすっかり秋ね……」
鼻の下をぐしりと拭き、窓を後にする。
弓の稽古を付けに行かなくては。
その家の足元にはふわりと一つの胞子のような、霧のかけらのようなものが落ちた。
秋に落ちる神都。
「──あの人、またいる」
夏休みが終わって授業も始まった魔導学院の図書館で、教育科のキャロルは足を止めた。
窓の前のベンチで、窓辺に大量の本を積み上げて読むあの人。
手元には分厚い書類。
窓から吹き込む風で黒い髪が靡く。
隣には赤毛のミノタウロスが寄りかかって昼寝をしていた。
「ん?あぁ、あの人、特進科の首席でしょ?」
「え?首席って散々もてはやされてた?」
「そう。入学式の時は仮面付けてたもんね」
「知らなかったぁ」
「知らないのなんてキャロルくらい。本の虫も良いところ」
「えへへ。あの人、前は全然図書館なんて来てなかったよね」
「そうね。どんな本読んでるのかしら?意外と下らないやつかな?」
友人のナニーが首を長くする横で、キャロルは綺麗だなぁとあの二人を眺めた。
ふと外から落ち葉が舞って入ってくると、寝ていたミノタウロスの耳がぴくりと動いた。
よいこらせと体を起こして、首席の黒い髪についた落ち葉を取った。
首席は『ありがとう、起きてた?』と小さな声で言った。
『寝てたよ。キュー様、休憩は?』
『もう少ししたらね』
『さっきもそう言ってましたよ』
『そうかな』
『うん、寝なよ』
『じゃあ寝ようかな』
微笑むと足をベンチに乗せ、ミノタウロスの膝にごろりと転がった。
ミノタウロスは窓の外を眺め始め、首席は寝ると言ったのにそのまま転がって本を読み続けた。
「……綺麗」
日のさす図書館で、時は静かにすぎた。
「あの二人の組み合わせのファンっているらしいわね」
「仲良さそうだもんね……」
ふと、ビュオッと強い風が吹き込む。
落ち葉はキラキラと舞いながらキャロルの足元に届いた。
拾い上げた金色と赤色の混ざり合う葉。
パタリと静かに窓は閉じられた。
いつの間にか首席は座り直していて、窓を閉めたミノタウロスはその辺に散らばる葉を集めていた。
「──悪かったな。それ」
キャロルの所まで来たミノタウロスに手を伸ばされる。
キャロルは首を振った。
「ううん。綺麗だった。風があんなに気持ちいいなんて思わなかったよ」
「はは、お前いつもいるもんな。外って気持ちいいぜ」
「知ってたの?」
「あぁ。キュー様の事よく見てる」
キャロルの顔がカッと赤くなった。
「え、えっと、ごめんね。首席さんも気付いてたかな」
「そりゃな。あんまりじろじろ見られるの得意じゃない人だから」
「あの……ごめんね。綺麗だなって思って」
「そうな。本当に。綺麗な人だよ」
ミノタウロスは本の片付けを始める首席を眺めて言った。
つられてぼうっと眺めてしまう。
いつの間にかナニーが首席の手伝いに行っていた。
『ありがとう。悪かったね。風が思ったより強くなったよ』
『う、ううん!いいの!何読んでるのかなぁって思ってさ!』
恋をするような顔でナニーは首席を見上げていた。
「──それ、こっちで捨てておくけど、いいの?」
ミノタウロスがキャロルの手の中の葉を指差す。
キャロルはくるりと葉を回すと大切に抱いた。
「大丈夫。大事にするね」
「変なやつ。外に行きゃいくらでもあるぜ」
ミノタウロスはひらりと手を振ると首席の下へ戻った。
「この葉っぱはこれしかないよ」
この秋の図書館を詰め込んだ一枚を、キャロルは大切にポケットにしまった。
また翌日。キャロルは一人で図書館に来ていた。
あの窓辺にはいつもの二人。それから、知らない男の子。
『──キュータ君と一郎太君も来れたら良かったのにね』
『湖?』
『うん。楽しかったよ』
『ふふ、ロランは活躍したんだもんね。手紙を読んで行きたかったなって散々一太と話してたよ。ねぇ、一太』
『本当。俺なんか二の丸と訓練してただけだから行けたのにな』
『なんて、一郎太君はキュータ君置いてはこないでしょ』
『そうでもないぜ』
三人は小声で笑った。
見られるのが好きじゃないと言っていたし、近くの本を取り出して目を落とす。
儀典について書かれた本だった。あまり面白くない。
キャロルが好きなのは、恋の小説だ。
そうして話を聞いていると、ふといい香りがした。
キャロルの後ろを綺麗なハニーピンクの髪が靡く。
優しそうな女の子だった。
三人の下へ付くと彼女は立ち止まった。
『──や、レオネ』
『ごきげんよう。お仕事のこと、捗ってらっしゃって?』
『ほどほどにね。毎年同じじゃつまらないと思って僕なりに何かを足したいんだけど……あんまり小僧感が出ても困るなと思ってる所。──借りる物は決まった?』
『えぇ。大神殿にはない本がいくつかありましたわ』
『流石に大きい図書館なだけはあるね。朝はゆっくり聞けないし、君の天使の進捗を聞きたいな』
『聞いて驚かれないで。何も進展はありませんでしてよ』
『ぷ、ははは。良いよ。出てから聞かせて』
首席は立ち上がると、彼女の背を優しく押して歩き出した。
綺麗な景色だったのに。
キャロルが残念に思っていると、首席とふと目が合った。
「またね」
「──あ、はい」
ひらりと首席とミノタウロスが手を振ってくれる。
キャロルは手を振りかえした。
『キュータ君、誰?』
『図書館でよく会う子だよ』
本当に昨日初めて気付いた訳ではなかったのかとキャロルは耳を赤くした。
その後も何度も彼のことは見かけたが、挨拶以上のことはなかった。
そして、建国記念日を境に彼はパタリと図書館に来なくなった。
キャロルは図書館に来るたびにあの窓辺を確認している。
あの二人の、燃えるような、輝くような時がそこには流れている気がした。
キャロルの宝箱にはあの日の落ち葉が大切にしまわれている。
「ワルワラに話さないの?」
一郎太は喫茶店マスコンパスの外の席で通りを眺めるナインズに尋ねた。
「──何を?」
「いや、キュー様が今忙しい理由」
「ふふふ、僕は建国記念日の式典を任されたから今は放埒に身を投じれないんだ──って?」
「まぁ、そんなところ」
「僕が誰だか察するだろ?」
「あいつなら良いんじゃないの?」
ナインズはいつも通りの優しい顔で、温かいチャイを飲むと、それを置いた次の瞬間には悪い顔をした。
「僕もそう思うから言わない」
「なんで?」
「僕はもう二度と自分が何者なのかは言わないと決めたし──勝手に気付いた時のあいつの驚く顔を見てやりたいから」
「っぷ、キュー様悪いやつだなー」
「ははは」
「ははは」
二人で笑っていると、ふと通りをイシューが歩いていくのが見えた。
「──お?珍しい。仕事終わったのか?」
「どうかね?声掛ける?」
彼女がこちらに気が付かなかったのは、秋は一番一郎太が目立たない季節だと言うこと以外にイシューがどことなく急ぎ足だったということもあるかもしれない。
約束の地オブジェ前のベンチで座って誰かを待っているようだ。
そこにコートを抱えて走るリュカが来ると一郎太はナインズと目を見合わせて笑った。
「何だ。うまく行きそうじゃん」
「本当だね。湖行って見直したかね?」
「リュカもナンパ野郎追い払ったんでしたっけ」
二人で眺めていると、リュカはイシューに飴を一つ渡して隣に座った。
イシューはそれを咥えると、「で?用事ってなに?」と告げた。
「いや、ちょっと話したいと思っただけ」
自分の分の飴は手の中でくるくる回し、リュカは言葉をいくつか考えた。
「なんか悩んでるの?大丈夫?」
「んー。もう秋だよなぁって」
「そうだね。すっかり秋」
「働くって休みが短くてやんなるな」
「同感。あー皆学生だからキュータと会い放題で羨ましいよ」
「ははは、エルもこないだ"我が殿下と会う時間が思ったよりない"ってぶつぶつ言ってたしな」
「エル様も誘って今度中々会えない大人の会でもしようかね。夜ならキュータも会えるよね」
「そだなー」
二人の間を冷たい風が抜ける。
リュカは持っていた上着を着込んだ。
「なんかさぁ、働き始めたからかな。俺、最近急激に大人になってる気がするわ」
「はは、あんた一番ガキみたいなくせして?」
「うるせぇ。お前が一番ガキだろ」
「一番お姉様の間違いでしょうが」
「体ばっかり大人」
「すけべ野郎。こないだもじろじろ見てた」
「み、見てねぇし」
「あのね。見られてる方はわかんの。ガキンチョ。──はー。キュータは絶対あんな目で女子見ないよ」
「そーですね。キュータはお前のこと女子として見てないからね〜」
「うっさ!それを言ったらあたしだけじゃないじゃん!」
リュカの中に小さな意地悪な気持ちが生まれる。こう言う気持ちは確かにガキくさいかもしれない。
「レオネは抱きしめられておでこにチューされたらしいもんなぁ」
イシューはリュカに振り返ると鬱陶しそうに「誰から聞いたのさ」と告げた。
「ロランからだけど。夏休みになる前。レオネの祈りに救われたって、祝福のキスらしいぜ。知ってた?」
「……知らない。レオネ、なんで話してくれなかったんだろ」
「お前がぶん殴ってくると思ったんだろ」
ちらりとイシューを見ると、思い悩むような雰囲気になっていた。リュカは少し意地悪すぎたかとその肩をぽんぽん叩いた。
「ま、あの二人いつも通りだし、神官くらい祝福すんだろ。神様の子供なんだし」
「……レオネ、預かっただけだからとか言って見せたがらないけど、目印もレオネだけは魔石の原石貰ってるんだよね。たまたまあったものを家出騒ぎの時に受け取ったって言ってたけどさ……」
「……そんなに落ち込むなよ。俺まで落ち込むだろ」
「ごめん……。なんか、一番のライバルはオリビアだと思ってたから、なんか……おかしいなぁ……」
「……なぁ、お前、いつまでキュータの事好きでいる予定なの?」
「いつまでなんて分からないよ……」
「レオネやオリビアをキュータが選んだら?」
「関係ないよ。一人しかお嫁さんもてない人じゃないし、あたしはあたしの気持ちを大事にしたい」
「あいつ、お嫁さんは一人もいらないとも言ってたぜ?」
「何さ。どっちか選んだらとか言ったのはあんたじゃん。意地悪」
「ごめん」
「……謝らないでよ」
リュカはしおらしくなったイシューの肩に手を回した。
「何。近いんだけど」
「お前が諦めるトリガーが必要なら、俺をそれにしてくれないかな」
「何何何!近い近い!近いって!」
至近距離で覗き込むと、イシューの瞳はギュッと閉じられ、体まで小さくなってしまった。
男も女もないようなやつだと思っていたのに。
「……隕石でも落ちてくればキュータがお前を選ぶかもしれないから多くは言わないけど、俺はお前の事待ってるよ」
リュカはイシューの肩を抱き寄せるとおでこにキスをした。
「──っちょっと!!キモい!!」
「何。祝福だろ」
「あんたの祝福なんかいらない!!大体祝福になってない!!バカ!!」
イシューは荷物を抱えると走って行った。
「うーん、やっぱりキュータレベルじゃないとああ言うのはうまくいかないか……。好きでもない男にやられたら普通にキモいよなぁ。と言うか犯罪か?」
多分キュータがやる時は下心がないんだろうなと思う。それが透けて見える自分がやると、ただただセクハラだった。
リュカは失敗だったなぁと立ち上がり、何か温かい物でも飲んで帰ろうと歩き出した。
そして、知った顔がニヤニヤとこちらを見ていたことに気が付いた。
「……あいつらぁ」
ズンズン近付いていくと、キュータと一郎太がいい笑顔で座っていた。
「よー、リュカ。やったじゃん」
「や、気付いたね」
「や、じゃない!やったじゃんじゃない!何見てんだよ!!」
「ふふ。リュカ、もう少しだよ。頑張れ」
「全然もう少しじゃないし誰のせいでこんなだと思ってんだよ!」
キュータはきょとんとすると一郎太に顔を寄せた。
「誰のせいなの?一太」
「はははは!イシューのせいだろ!」
「ちが……くそー!もー!!」
リュカはじたばたしてから二人の席に座った。
アーウィンタール、旧帝城。
腰ほどの高さの美しい植え込みが迷路のように並ぶそこで、サラトニクは庭師のカーディオと土いじりをしていた。
「──あ、ぼっちゃん。そこは切りすぎないでください」
「分かってる。私が何回やってると思ってるんだ」
子供の頃から変わらず、暇な時はこうして一緒に庭の草木を愛でている。
「……ここの形が気に食わないな」
「もう庭師になったらどうですか?」
「バカを言うな。私は州知事になる。──だが、どうしてもここの形が気に食わない……」
ぶつぶつ言いながら葉を引っ張ったり押し込んだりしていると、エンデカとジルクニフが城から駆けてくるのが見えた。
「──何だ?父上まで珍しい」
脚立から降りると、タオルを持ったエンデカが有無を言わさずにサラトニクの顔をごっしごしと拭き始めた。
「な、なんですか?父上」
「早く着替えろ!アルメリア様が見えた!!」
「え?お約束していませんが」
「お前が手紙で今日は休みだと言っていたから、来てみたとおっしゃっているんだ!!」
「──はは、お可愛らしいことで」
「バカを言ってないでさっさと着替えろ!!シャツとズボンだけで、それじゃ丸切り庭師だ!!」
「まぁ、庭仕事を──あ」
サラトニクが見上げた先で、窓が開いた。
いつものアルメリアのための部屋から顔を出した彼女は今日も悪魔的に美しかった。
「サラ、忙しそうですね!」
「いえ!下らない趣味です!」
アルメリアがよいせと窓枠に足を掛けると四人はギョッと飛び上がった。
「ア、アルメリア様!!」
そのままぴょんとそこを飛び出すと、サラトニクは両手を出して駆け出した。
(ま、間に合わな──)
アルメリアの広げた黒い翼がバンッと大きく広がる。
そのまま、数度の羽ばたきでアルメリアはゆっくりとサラトニクの腕の中に降りた。
思わずそのまま抱き留めると、アルメリアの柔らかい髪が鼻をくすぐった。
「どうです。見せに来ました」
「し、心臓が止まるかと思いました」
「ふふ、落ちません。もう百回ナザリックで落ちましたから」
サラトニクは安堵から、子供の頃のような本当の裏表のない顔でへらりと笑った。
「はは、良かったです」
「お前にはその顔の方が似合いますよ。従順な羊のよう」
「羊を引きつれる者になれなければ私など興味もないくせに何を仰ってるんですか」
「ふふ、そうですね。私は賢いお前が好きです」
アルメリアがぺたりとサラトニクに抱き付くとサラトニクは頬を寄せた。
「また父上に怒られます」
「怒られれば良い。私もお父ちゃまに怒られます」
「陛下に怒られる方が怖いですね」
二人は少しだけそのまま過ごすとそっと離れた。
「アルメリア様、お茶でも飲んで行かれますか」
「お前が良いなら」
秋晴れの下で笑う彼女の手を取り、サラトニクは頷いた。
「当然です。アルメリアをそばに置かせてください」
アルメリアは昔の言葉に顔を赤くすると頷いた。
「置いて下さい……」
カーディオは胸を押さえて悶えた。
ジルクニフは頭を抱えて悶えた。
「休みと言っても、やることがないのよね」
アルベドに与えられている自室にはたくさんのアインズ人形、フラミー人形。ナインズ人形とアルメリア人形も添えられている。
アルベドはとりあえずアインズ人形を抱えるとぱたりとベッドに倒れた。
「あぁ……アインズ様……。初めてをあなた様に奪っていただけないと、フラミー様にもナインズ様にも抱いていただけない……」
アインズはとんでもない防波堤になっていた。
一人突破されると、後に控える二人の身に危険が迫る。
「あぁ〜ん!アインズさまぁ〜!」
人間形態のアインズを抱えると、全NPCが呆れ返るような真似を始める。
あの寝室に飛び込んでアインズとフラミーいっぺんにめちゃくちゃにして貰えたら良いのに。
ビッチであると言う言葉に忠実に、アルベドは自分を慰めた。
その時、糸が繋がる感覚に苛立ちながらつなぐ。
『──アルベド』
予想外の声に絶頂と驚きからびくんと体が跳ね上がる。
休暇を言い渡されている時に珍しい。
アルベドは先ほどの苛立ちを一瞬で霧散させた。
相手がデミウルゴスやシャルティアならアルベドは情事を続けたまま<
「っはぁ……はぁ……。こ、これはアインズ様!一体どうなさったのでしょうか!」
『大した事はない。明日、私とフラミーさんの予定を一つ二つ確認してくれ。昨日言おうと思っていたんだが、すっかり忘れていた』
「さ、さようでごさいましたか。かしこまりました。今から確認に伺うことも可能ですが」
『いや、お前は休暇を楽しめ。ではな』
アルベドはベッドの上でぺたりと頭を下げた。
「……あぁ、モモンガ様……。楽しめとは……くふふっ。くふふっ!」
今度は骨のぬいぐるみを引き寄せ、アルベドは情事を続けた。
休日。魔導学院、大図書館。
「──はぁ〜やっと座れた」
本を抱えていたロランが窓辺のベンチに座る。
その隣にはレオネがいた。
「あなたおじさんみたいですわね……。ロランはまた趣味と勉強?」
「そ!レオネは天使出す勉強?」
「えぇ。相変わらず。まだ出せませんのよね……」
「第二位階からでしょ?一年次じゃ難しいんじゃないの?」
「分かってますわ。でも、このままじゃキュータさんに迷惑ばかりかけてて居心地が悪いんですもの」
「……良いじゃんか。王子様に護ってもらえて」
「わたくし、そんな柄じゃなくてよ」
レオネが本を開くと、ロランも「ふーん」と気のない返事をしてから本を開いた。
二章を読み終わって顔を上げてみると、ロランは隣で居眠りをしていた。
「……ロラン、ロラン。起きて」
「ん、んん……」
ずるりと体が崩れて肩で休み始める。普通こう言うのは男女逆ではないだろうか。
レオネはため息を吐くと、そのまま本を読んだ。
三章を読み終わる頃、ロランはハッと目を覚ました。
「っあ、あ!ご、ごめんね」
「構いませんわよ。旧友に肩を貸すくらいの事」
「ははは、レオネ優しいね」
「でも、そろそろ目を覚ましておいた方がいいわ。わたくし、ここを読み終わったらこれ借りてもう帰ろうと思いますの」
「え、帰っちゃうの?」
「大神殿の書庫と違って借りて帰れますでしょ。あなたに肩を貸していたらなんだか凝りましたわ」
「あ〜、ごめんねぇ。ねぇ、レオネこの後お昼ご飯でも食べようよ」
「ご飯?あなたと二人で?」
「うん、たまにはさ」
ロランは能天気そうに足をプラプラさせて言った。
「……どうしようかしら」
模範女子レオネは悩んだ。おとぼけロランとは言え、彼も一応男子だし。
うーん、と悩んでいると、ロランはもう立ち上がっていた。
「ほら!行こう!」
「……はぁ。まぁ、良いですわ」
手を伸ばされ、それを掴んで立ち上がる。
二人は貸出手続きを行い学院図書館を後にした。
休日は学食は開いていないが、購買は開いている。
各々好きなパンを買うと紙袋を手に良さそうな場所を探した。
普段は人気のある池のそばの東屋も、休日で生徒が少ない今はガラガラだ。
池で魚が跳ねるのを横目に二人は座った。
「ここ、良いですわね」
「うん。本当に!」
午後はここで本を読もうかと思った。買ったカレーパンを出して頬張ると、ロランもクロックムッシュにかぶりついた。
水の音と風の音を聞きながら、別段何を話すこともなく二人は昼食を済ませた。
レオネが本を開くと、ロランも同じように本を開く。
「──ねぇ、レオネ」
「なんですの?」
風に髪が流されるのを止めながら、本を眺めてレオネは答えた。本の上にひらりと落ち葉が舞い込む。
「レオネはキュータ君のこと好きなんだよね」
「えぇ、好きだわ。とても。それがどうかして?」
「いーや、考査の時、校門でキスしてもらえて良かったね」
「バカね。あれはそんな物じゃなくてよ。聞いてましたでしょ」
「ふーん、レオネは覚悟あるの?もしキュータ君に選ばれた時の」
「ないわ。わたくしでは荷が重すぎるし、不相応にも程があるもの」
「え?あれ……?」
「もう、本当に何ですの?」
「ご、ごめん。熱でもある?」
ロランがペタリと額に触れ、レオネは訝しむように手を退かした。
「元気でしてよ。何だって言うんですの?」
「い、いや。レオネなら"選ばれる覚悟ならとっくにしてましてよ"とか、言うのかと……」
「もう子供じゃありませんもの。あの方に選ばれると言う事は自分のことだけじゃありませんわ。世界の中心の存在になって、人々を導き続け…………時に、苦しむと言う者を介錯してやるほどの日々が待っていますのよ。しかも、気品も出自もなくちゃ国民は納得しませんでしょ。少なくとも、普通の家の出の女では無理よ」
そう言いながら、レオネは落ち葉をぽいっと本の上から捨てた。
「それが何か?」
ロランは静かに首を振った。
「……君、大人になったんだね」
「十六なんてそんな歳でしょ。六歳のままじゃいられませんわ」
「……レオネが選ばれる気がないなら、僕、言っておこうかな」
リュカは告げなかったらしいけど……と口の中で転がした。
「何?」
ロランは向かいに座るレオネを真っ直ぐ見つめた。
「……あのさ、レオネさ。僕と付き合ってみないかな」
「……はい?」
レオネの頭の中には大量のハテナが浮かんだ。
「付き合う?どこにですの?」
「……僕と恋人になってみないかって言ってるの」
「……意味がわからないんですけれど。何?誰かに何か脅かされてますの?」
「違うよ。僕、レオネが好きなんだ……」
ポカンと口を開けてしまう。そんな要素がどこにあったのかと。
「えっと……夢かしら。あなたはロランで、わたくしはレオネでしてよ。相手を間違えてるとしか思えないんですけれど……」
「間違ってないよ。この間、戻ってきたキュータ君にキスされてるの見て、僕なんか敵わないって思った……。でも、君がキュータ君に届かないって思ってるなら、僕って場所もあるんだって、言っておきたかった……。どうせ届かないなら、僕がなんとか忘れさせて見せるから。いろんな事、キュータ君みたいに気付けないけど頑張るよ。レオネ……どうかな……。僕と付き合って見てくれないかな……」
ロランは赤い、自信のなさそうな顔でレオネを見上げた。
「わたくし……できないわ……」
小さくなったレオネはスカートをギュッと握った。
「わたくし、神官ですもの……。あの方のために祈らなきゃ……」
「祈るくらい、誰といたってできるじゃないか。神官だからって結婚できないわけでも、恋人作れないわけでもないんだし……」
「わたくしはわたくしの人生をあの方のために使うの……。わたくしという神官はそうだったの……。あなたの気持ちはありがたいけれど……でも……できないわ……。ねぇ、ロラン。どうか他に良い人を見つけて……」
「……付き合えないって分かってるのに……変だよ……」
「わたくし、もう決めたから……。……それに……わたくし……あの方のこと──」
深く愛しているの、と言う事は不敬だろう。レオネは唇を噛んだ。濁りのない祈りを一生捧げたい。
ロランは何かを言おうとしたが、それ以上の言葉は飲み込んだ。
「……ごめん。やっぱり、早かったね」
「時間の問題じゃないの……。お願い、ちゃんと誰かを見つけて」
「……その気持ちが変わったら教えて」
レオネの髪の毛が掬われ、そこに口付けを落とすとロランは本を抱えて東屋を去っていった。
レオネは呆然とロランを見送った。
どうか他に良い誰かを見つけて欲しい。待ったって何の意味もない。
気持ちは少しも揺らがなかった。触れられた髪を切りたいと思ってしまったほどに。
第六階層、湖畔。
一郎太は一郎の指示の下、増築された屋敷の一部を白いペンキで塗っていた。
「一郎太、そこが終わったら二郎丸の方の様子を見に行ってやれ」
「えぇ、俺これ終わったら稽古行こうと思ってたのに」
「コキュートス様に呼ばれてるのか?」
「呼ばれてないですけどー」
「じゃあ二郎丸の方も見てきてやれ。お前は兄だろう」
「うーい」
だるそうな声を上げ、一通りの作業を終えると一郎太は隣のシンメトリーになっている屋敷へ向かった。
美しい芝生を踏み締め、屋敷の玄関前を通り抜けて、建物の反対側に回る。
「おーい、二の丸ー」
「──あ、いち兄」
顔を上げた二郎丸は鼻の頭を白くしていた。
「はは、お前ここついてるよ」
「え?あ、へへ。本当だね」
ごしりと拭くと腕と顔に白い線となって伸びた。
「あぁあぁ……そんなにして。で、どう?進んでる?」
「進んでるよ。いち兄もう終わったの?」
「終わったー。父者が見てこいってさ。叔父者は?」
「父者は母者と中の方の確認に行ったよ。あと手伝ってくれる?」
「いいぜ。お前、いっぺん顔洗って来て良いよ」
「へへ、やった!」
二郎丸がとっとこ家へ向かっていくと、一郎太はちょっと雑な塗り残しを丁寧に塗っていった。
二郎丸は意外と適当なタイプだが、一郎太は粗野な雰囲気がある割に細かかった。
一郎が手伝いに行けと言うのもそう言うわけだ。
「ふんふんふーん。ふふーん」
その辺に生えている香りのいい草をひょいとくわえ、学校でしょっちゅう聞こえている聖歌を歌いながら塗っていく。ナインズの好きな歌でもある。
さく、さく、と芝を踏む足音がする。
「ただいまー!」
二郎丸が戻ると一郎太はその顔と腕が元通りの赤毛になっていることを確認した。
「綺麗になったな」
「ありがと!壁も綺麗になってるね」
「お前もう少し丁寧に塗らないとアウラ様とマーレ様に怒られるぜぇ。ナザリックにある建物として相応しくないって」
「あぁ〜」
「あぁじゃなくてさぁ──」と言ったところで、一郎太は顔を上げた「──ナイ様」
「え?ナイ様?」
二郎丸の耳にもさく、さく、と足音が聞こえると、本当に家の陰からナインズがひょいと顔を出した。
「や、二人とも働いてる?」
「うぃーどしたんです?神都行く?」
「ううん、差し入れ」
「お!やりー!」
一郎太が作業を終え、尻で手を拭くとバスケットを持ったナインズの元へ向かった。
二郎丸もそのあとを追う。
二郎丸の前で「一太、お尻で手なんか拭かないの。白くなってるよ」「えぇ?嘘ぉ」とやり取りが交わされる。
(いち兄とナイ様、やっぱり変わったな……)
三人で湖畔に腰を下ろし、バスケットを開く。
中には料理長が作ったクッキーとぶどうジュース、グラスが入っていた。
「わ〜!いち兄、嬉しいね!」
「本当だな!父者達にも食べさせたいな」
「もう渡したよ。一郎さん達にはおつまみとワイン」
「まじ?ナイ様ありがと!」
「ありがとうございます!」
「僕は持ってきただけだけどね」
一郎太が早速クッキーを食べ始めると、ナインズは三人分のジュースを注いで行った。
「あ、ナイ様僕やりますよ」
「いいよ、僕は好きでやってんだから」
何となく面倒を見てもらう感じがして居心地が悪いが、一郎太はそんな事を露とも思わないようだった。
二郎丸はその様子を羨ましく思った。
「──ね、ナイ様、いち兄」
「ん?どした?」
「はい、二の丸の分」
ナインズからグラスを受け取ると、二郎丸はしばらくそこに視線を落としてから口を開いた。
「……僕は百レベルにはなれないかもしれないって、知ってる?」
二人は目を見合わせると、それぞれ頭を撫でたり背を撫でたりしてくれた。
「まだそう決まったわけじゃないんだろ?」
「そうだよ。二の丸だって毎日頑張ってるじゃない」
「……でも、僕……二人には一生追いつけないかも……。もう二度と二人に並べない……」
「はは、僕も子供の頃一太と二の丸の背中見ながらそう思ってたよ」
「ナイ様走るの遅かったもんなぁ。いつも待って待ってって」
「……でも、ナイ様はすぐに追いついてました」
「いつまで経っても追いつかなかったし、今でも追いついてないと僕は思ってるよ。体だって二人はどんどん大きくなるしさ。二人ともいつでも僕より大きい。多分、もう追いつかないね」
ナインズは笑うと大きな二郎丸にもたれて目を閉じた。
「……僕、もっと頑張って訓練します」
「頑張りすぎないでね」
ハンゾウの朝は早い。
壁に張り付きながら、仲間と交代で眠る。
護衛対象のナインズはメイドに「神都行ってくるね」と告げるとたったか出て行ってしまった。
ハンゾウ・ザ・リーダーは本日の予定を確認しながらその後を追っていく。
第八階層にたどり着くと、一郎太が待っていた。
「いちたー!待った?」
「いーえ。別に」
二人が並んで歩き出す。
大神殿に付くと、ハンゾウは鏡の守護者
「パラダイン様、少し怖いんだよね」
「怖い?なんでですか?」
「うーん……。前から前のめりな感じはしてたけど、近頃はなんか、襲われそうな気配がすごくて」
「ははは。じいちゃんにまでモテるようになったか」
ナインズが苦笑して大神殿の噴水の傍を歩いていく。
ハンゾウはそこで一度立ち止まると噴水へ深々と頭を下げた。
不可視化して噴水の前にいたアインズとフラミーは頷いて返した。
「九太がフールーダのところにお出かけだ」
「ほんとですね。儀式魔法の入れ替えの説明受けにいくんでしたっけ?」
「それは前回で終わったらしいですよ。ほら、ずっと昔任せた転移門の作成。あれ。手伝って欲しいって頼まれたらしいです」
「ははーん、
「それです。ミイラ男とスペクター使ってあと一歩の感じなんですけどね。今日からはルーンも使ってみるのなんのって言ってました」
「ナイ君、お父さんに色々話してる」
フラミーがぷくりと頬を膨らませるとアインズは笑った。
「ちょっと前まで母様母様だったのに、いつの間にかね。男同士の方がいいこともあるかな」
「えーん、ちょっと寂しいです」
「俺も花ちゃんもいますよ」
不可視化したまま、よっこらせとアインズはフラミーを持ち上げた。周りを行き交う人々を時折避ける。
「──それにしても、こうも透け透けだと面白いこともないですね」
翼をバサバサと震わせたフラミーは頷いた。
「透け透けじゃないお出かけしましょうね!」
「それですね。あ、アルベドが予定はオッケーだって言ってました」
「やったー!」
二人はお出かけを楽しみに一度ナザリックへ帰った。
至高の存在の気配が遠くで消えると、ハンゾウは少しだけ残念そうにした。
魔導省についたナインズは広い玄関でエルミナスと手を振り合った。
「キュータ!一郎太!二人ともお待たせ」
「や、エル。わざわざ悪いね」
「おす。相変わらずちっちゃいな」
「ははは。二人が大きくなるのが早いんだよ」
二人は魔導省の中をエルミナスに案内されて行った。
中庭に巨大な三本の柱が聳えるところに出る。
そこには特進化の教師達──フールーダの高弟が大量に集まっていた。
「──殿下!お休みのところ申し訳ありません」
「いえ。クレント先生、これですね」
こうなると隠す事は難しいとゾフィや他のクラスの高弟達にも身分は明かされていた。
ゾフィは通りでと苦笑し、ジーダに「そうなると本当の一位は私のところのリッツァーニ君かな」と笑い、ジーダは「私のところのバジノフ君を忘れてないかな?」と笑い返した。
ハンゾウはナインズの進む足元にいた蜘蛛をひょいと退けてやった。蜘蛛は不思議そうにしてからちょこちょこと立ち去っていった。
ナインズ達が何か魔法の話を始める。ハンゾウにはあまり興味はない。
ここは人間達にしては多少やる者達が揃っているので無礼な真似を働かれないようにしっかりと目を配った。
そして、無礼な老人が姿を現すとハンゾウ達は臨戦体勢になった。
「おおぉぉ!!殿下、よくぞいらっしゃいました!!」
フールーダはナインズの足元に滑り込むと、両手を胸の前に組んで見上げた。
「殿下!!今日も腕輪を外していただけますかな!!」
「は、はい。まぁ……」
腕輪を一郎太に渡すと、フールーダは爆風に押し流されるように叫び声を漏らした。
「──っおおぉぉ!!」
ナインズから放たれる圧倒的な力に酔いしれている。入学前の時は第五位階や第六位階だった力──つまり、フールーダと同じ物だったので、単なる興奮で済んだが今の第八位階まで扱うその身を前にフールーダはたまらんと舌なめずりをした。
これはフールーダと同じ能力を持つ者にしか見えない力の奔流だ。
「まさしく、まさしく神話の領域……!私は第六位階の壁を越えられずに何年もの時を過ごしてきたと言うのに……!!やはり……陛下方に付いていけば良いのですね……!!どうか、殿下!!私めにその祝福の片鱗をお与えください!!」
いいとも言われていないのに靴に向かって行き、舐めまわそうとするとナインズが引き下がっていく。
ハンゾウはハッスル爺さんを止めさせるために近くで見ていたジーダとゾフィを小突いた。
二人は互いに叩かれたと思い、ハッとするとフールーダを止めに行った。
「師よ!お、落ち着いてください!」
「師!!祝福は迫るものじゃあないでしょうよ!スズキ君──じゃなくて、殿下に嫌われる!」
一つミッションをこなすとハンゾウ達はふぅ、と額の汗を拭った。自分たちで手を出せないと言うのは非常に疲れる。
時には耳元でこっそり「誰か止めた方が……」と囁いたり、風を起こしてみたり、虫を飛ばしてみたり、ハンゾウ達の知られざる戦いは続く。
おやつどきの神都。
オリビアは今日、ある目撃情報を元に人探しに行くことにした。
近頃キュータは約束の地オブジェそばにあるマスコンパスというカフェによくいるらしい。
髪を結び、目印のブックマークを髪に差し込む。
くるりと回って今日の自分を確認した。
「ふふ、百点!」
カバンを持つと家を飛び出し、マスコンパスへ向かった。
どうか今日いて下さいと神様に祈り、オブジェの前を通り過ぎた。
「──わぁ!」
一郎太がテラス席に座っているのを見つけると、オリビアは駆け寄った。テーブルの上にはたくさんの書類があった。
「一郎太君!」
「お、オリビアじゃん。どした?」
「へへ。キュータ君探しに来ちゃったぁ」
「ははは。いて良かったな。もう出るかって言ってたんだよ。ねぇ、キュー様」
一郎太が隣に顔を寄せる。
オリビアの目は滑り、次の瞬間、メガネをかけたキュータを見付けた。
「や、オリビア。見えてなかった?」
「み、見えてなかったぁ。どうして?」
「リアちゃんが
「えぇ〜。やめてよぉ」
「ははは。ごめんごめん。たまに学院の子に声をかけられたりしてね。レベル差──力の差があると結構見付けて貰えないしこれはもう使えないな。いくらなんでも行き過ぎだ。それで?僕のことわざわざ探してどうかした?」
席を薦めてもらうと、オリビアはちょこりと腰掛けた。
「どうもしないけど、顔見たくなっちゃった。夏の間会えなかったから。私、遊びに行きたいところもしたいこともたくさんあったの」
「うん、悪かったね。秋や冬じゃ間に合わない?」
「間に合うよ!ふふ、いつでも間に合う!」
「良かった。じゃあ、まず何からしようか」
頬杖をついた顔の美しさにオリビアは頬を染めた。
「お茶!もう出るって言ってたけど……良いかな?」
「良いよ。好きなの頼みな。一太もなんか頼んで」
オリビアは一郎太とメニューを覗き込むと、ちらりとキュータのカップを覗いた。
「キュータ君、何飲んでた?」
「チャイだよ。シナモンたっぷりで」
「じゃあ私もそれにしておこっと」
「俺マキャティアにしとこかな」
キュータが店員を捕まえて注文を済ませてくれると、オリビアはうっとりとその姿を見た。
声変わりした姿も、長い髪も、全てが素敵だった。
「ふふふっ」
「──ん?」
「ううん!ねぇ、新学期はどう?」
「楽しいよ。今はちょっと忙しいけどね。オリビアは?」
「楽しいけど、やっぱり一緒に魔導学院行きたかったってまだ思っちゃうなぁ。キュータ君の隣に座って授業受けたかった」
「ははは、ありがとね。懐かしいね」
「うん。懐かしい。昔っからキュータ君の隣はやっぱり私だって思ってるんだ」
「今も座ってるもんね」
「ふふふ。そうだね!」
注文したチャイと、頼んだ記憶のないカヌレが届くとオリビアは首を傾げた。
「あれ?お店の人間違えたかな?」
「ううん、僕が頼んだよ。秋になっちゃったお詫び」
「わぁ、ありがとぉ!」
「一太も食べな」
「やりー!」
オリビアがこの大好きが届きますようにと祈ると、ナインズはぴくりと手をとめた。
「──オリビア。君、今何か祈った?」
「あ、え?」
「僕は友達の祈りは聞かないことにしてるんだけど、あんまり近くで強く祈られると届きそうになる」
「あ、あ!あの!!ご、ごめんね!!」
危ないところだったとオリビアは顔を赤くするとチャイに口を付け、「あち」と漏らした。
「はは、治癒する?」
「する〜!」
魔法がその身を包む。
オリビアには分かっている。この人の優しさは全ての人の下へ届けられているものだと。
今はまだ伝えてもそっと受け流されてしまう。
届いて、しっかりその胸に残してもらえるように、今はまだ大切に育まなくては。
大切に育むと言えば、少し前にイシューの召集でバイス組女子四人は集まった。レオネが祝福のキスをしてもらったと言う話を聞かせてもらったのだ。レオネは神官相手の祝福を大袈裟に言って回って……とロランに呆れていた。照れる様子でもなく、本当に祝福だったのだ。
オリビアは今祝福して欲しいと言ったら、彼はキスをしてくれるのかなとキュータの横顔を眺めた。だが、どんな感じだったか聞いたら、レオネは「祈りを聞かれてる感じ。見透かされてるのかしら」と呟くように言っていたし、それを聞いた三人は「そんなの困る」と目を見合わせてしまった。
たくさんの下心や、愛されたいと言う気持ち、抱きしめられたいとか、キスをしてほしいとか、そう言う祈りや願いまでもし知られたら、乙女としてはとても耐えられない。
だから、三人とも「次あったら祝福してもらおうね」とは言えなかった。
「さーて、せっかくおかわりもしたし、もう少しこれもやろうかなぁ」
キュータが書類をトントンと合わせ、何枚かめくっていく。
「キュー様も休めばいいのにな」
「オリビアも一太も美味しそうに食べてるし、僕は今文句なしに休まってるよ」
チャイで温まった体で甘いカヌレを口にしていたオリビアは一瞬きょとんとすると、幸せに笑った。
あら〜!日常詰め合わせ幕間〜!!
図書館の子、なんかメランコリックでしたね。きっと二度と出てこない。
次回明後日!
Re Lesson#33 カッツェ平野の凶兆