謁見後、一行は仮眠をとってから出発の準備を開始した。
神の姿を見ると街の人々が興奮するため深夜――
「神王陛下、何かあればこの従者バラハに。光神陛下はグスターボにどうぞ仰ってください。」
レメディオスのあからさまな差別にイビルアイは仮面の下でピクリと眉を動かした。
「待て。一国の王陛下、それも神に従者を付けるだと?つい数時間前に光神陛下から無礼を働くなと言われたばかりなのにお前達は何を考えている。」
「我々は陛下方をお守りするため、一番力の無いものをお世話に回しただけだ。グスターボは光神陛下に重要なお話があると言っているし、何も間違っていないと思うが?」
「な!貴様よくもぬけぬけと――!」
蒼の薔薇の面々がイビルアイ!と周りで咎めるように声を上げるが、イビルアイはそれを無視して手に力を込める――と、神王が肩にポンと手を乗せそれを止めた。
「良いのだ。イビルアイ――と言ったかな。私は気にしていない。丁度良い、お前も乗りなさい。」
「へっ、陛下…よろしいのですか…?」
イビルアイの驚愕はその場の総意を代弁していた。
「良い良い。さぁ、乗りなさい。」
「へいか……。」
イビルアイは自分が神王の味方だと解ってもらえた事に僅かに胸を熱くした。
馬車には、アインズとフラミーが隣り合って座っている前に、イビルアイ、ネイア、グスターボの順で座った。
五人も乗っていると言うのに狭苦しさを感じさせない馬車は神聖魔導国の物だ。
アインズはグスターボとフラミーが話している間や、フラミーが眠っている間、警戒心の強そうな目付きの悪い少女と何かを話さなければいけない状況に先手を打てた事に安堵していた。
「それで、出来れば光神陛下には九色と呼ばれた我が国の大将格の者達の復活だけでもお願いしたいのです…。」
グスターボは出発から熱心に目の前の女神に頭を下げ続けていた。
「解ります。解りますが、皆納得できるのでしょうか。」
「納得させて見せます…。どうか…。」
フラミーは少し辛そうに目を瞑った。
「全ては向こうについてからです。すみませんが、グスターボさん。解ってください。」
そう言うと四対の翼で卵の殻を作るようにその身を包んだ。
神との約束はそう簡単に交わすことは出来ないとグスターボは思い知る。
「畏まりました。お聞き苦しい事を…申し訳ございませんでした。」
グスターボが頭を下げ、再び顔を上げた時にはフラミーは翼の殻に包まれ眠ってしまったようだった。
ネイアは眠りについた――まるで人々の夢見る美を凝縮したような女神をジッと見続けていた。
「…バラハ嬢。フラミーさんがどうかしたかな?」
つい先程まで熱心に流れる景色を眺めていた神王はチラリとネイアを伺った。
思いがけもしない質問に慌ててそちらへ視線を向けると、隣で黙って座っていたイビルアイも神王に加勢した。
「そうだ、ネイア・バラハ。あまりジロジロ見るな。女神相手じゃなくてもそれは失礼だ。」
「あ、し、失礼しました。」
その注意に最もだと頭を下げると、隣のグスターボも共に頭を下げた。
沈黙。
女神の心地好さそうな寝息だけが車内に響く中、ネイアは何か言わなければと精一杯頭を回転させた。
「へ、陛下方はご友人でらっしゃるのですよね。」
「そうだとも。」
「えっと…その…あ!神様は何をして遊ぶのですか?」
ネイアは言ってからやめておけば良かったと後悔し始めると、隣のイビルアイから冷たい視線を感じた。
しかし、神王からの反応は予想外にも楽しげで、温和なものだった。
「ふふ、そうだな。昔は我が支配地であるナザリックの空を作ったり、守護者…いや、君たちが呼ぶ所の守護神を生み出したり、色々したな。秘宝を探しに星の降る山に登ったりもした。そこには多くのドラゴンがいたものだ。懐かしいな。」
神の語る遊びは、最早遊びではなかった。
「…そこにいたドラゴン達はどうしたのですか?」
イビルアイが恐る恐ると言う具合に質問を投げかけた。
「ん?皆、我がナザリックの糧にしたとも。」
「ナザリックの…糧…。」
神々の遊びは神話そのものだった。
スケールが大き過ぎたせいかイビルアイは考え込んでしまった。
その後も輝く草原を支配する巨人を倒した話や、誰も踏み込んだことのない底無し沼を発見した話、無限に広がる星空を支配する竜を倒した話など――語る者がこの目の前の神でなければ俄かには信じられないような話が続いた。
「陛下方の神話は神聖魔導国に行けば読めますか?」
ネイアはもっと聞いてみたいと思った。
「あぁ…次々に部下達が神官長達と書き起こしていっているよ…。全く困ったものだ…。」
(何で困るんだろう?)
もっと世界中の人に見せるべきだと思うのに。
「さぁ、フラミーさんが起きてしまっては悪い。仮眠もしただろうが眠れる者は眠るのだ。」
優しい神王の声に皆頭を下げて目をつぶると、ネイアは神王の話した夢のような話を何度も反芻してから眠りに落ちた。
その間にも、少しでも早く向かうために馬車に乗らない者たちは必死に聖王国を目指した。
翌朝ネイアが目を覚ますと、神王が女神の顔にかかる前髪を静かによけているところだった。
その光景はとても美しく、ネイアは何故か――子供の頃に部屋に差し込む朝日で目覚めた時の清浄な空気を思い出した。
神王は視線に気づいたようで、こちらを向いた。
「わっ!んん。バラハ嬢、起きたかね。」
「あ!お、おは――」しー、と口元に人差し指を当てる神王に頭を下げ、声を小さくする。
「おはようございます、神王陛下。」
「うむ。おはよう。バラハ嬢。」
すると、グスターボもム、と声を上げて目を覚ました。
「おはようございます。申し訳ありません。思ったより眠ってしまったようです。」
「それは良かった。副団長殿。」
腕を組んでいたイビルアイも目覚めたようだった。
「んぅ……。はっ!神王陛下おはようございます。おはよう、バラハ、グスターボ殿。」
これはこれはと皆が頭を下げると、馬車が止まり、女神も目を覚ました。
恐らく朝食の為に止まったのだろう。
「ぁ?んんーー!はぁ、座って寝たのは久しぶりでした。おはようございます、皆さん。」
伸びをした後にぺこりと頭を下げる女神に皆慌てて頭を下げた。
(神様でも座って眠るような夜があるんだ…。)
「陛下方はもう少しゆっくりしてらしてください。私は団長と話し合いがありますので、先に行かせて頂きます。何か必要な物はございますか?」
ネイアはさすが副団長は違うと思った。あの団長では中々こうは気を使えないだろう。
「いいえ。私は大丈夫です。アインズさんは?」
「いえ。副団長殿、我々は何もいらない。バラハ嬢とイビルアイ嬢はどうかな?」
イビルアイはピクリと体を動かした。
「いびるあい…嬢…。」
確かめるようにその言葉を繰り返し続けている為、恐らく何も欲しくないのだろうと判断したネイアが代表して返事をした。
「何も必要ありません。お気遣いありがとうございます。」
グスターボは一つ頷くと馬車を降りていった。
「イビルアイ嬢はあまり眠れなかったかね?」
「あ、い、いや!陛下、大丈夫です!よく眠りました。」
イビルアイは柔らかく座り心地のいい椅子でぐっすり眠ってしまっていた。
最初は仮面越しに熱心に神の観察をした。
すると神は星を見ながらたまに小さく感嘆したり、並走する馬の筋肉を眺めてうんうん頷いたり、カクンと頭を揺らす女神に肩を貸したり…あまりにも善良すぎた。
睡眠が深くなり足がパカリと開いてしまったネイアのそれを優しく閉じたりする場面もあった。
ドラゴン狩りについて詳しく聞きたい気持ちがあったが、ツアーがそれを知らなそうなところを見るとここ六百年や千年の話ではない事だと一度胸にしまう事にした。
やはり自分のアンデッドを見る目は間違っていなかったとイビルアイは確信すると、神に見守られながら眠りに落ちたのだ。
神々が「やっぱり魔法によらない移動は良いものですね」と楽しげに話し始めると、外から副団長の朝食を告げる声が響いた。
ネイアは大急ぎで流し込むように朝食を済ませると一人佇む神王の元へ走った。
女神は物珍しそうに朝食を取っていて、グスターボやレメディオスにもてなされていた。
イビルアイも今は蒼の薔薇と朝食を取って、馬車での話を共有しているようだった。
「陛下!」
「これはバラハ嬢。」
背で手を組む神はゆっくりと振り返った。
「何をご覧になっているのですか?」
「あぁ、見たまえ。この連なる大山脈を。」
ネイアはそちらを見るが、特別変わったところのない何の変哲も無い山々だ。
「美しいな。これを見るために私はこの世界に来たのかもしれないとすら思うよ。」
(陛下はロマンチックな方なのかもしれない…。)
「陛下は今まで違う世界にいらっしゃったのですか?」
「ん?そうだとも。」
神々の世界がどんなものかネイアは想像の翼を広げる。
「光神陛下とも、そちらで?」
神は笑ったような雰囲気をまとって頷き、また楽しげに山と雲を眺めた。
神聖な姿にネイアはしばし見とれた。
朝食を皆取り終わったのか聖騎士達がガヤガヤと出発の準備に取り掛かり出すと、空から翼を広げた女神がふわりと降りて来た。
「アインズさん!お山すごいですよね!アゼルリシア山脈はトブの大森林に囲まれてたからまた趣が違う気がします。」
神王は一瞬それを受け止めるように腕を広げたが、すぐに後ろ手に組み直した。
「フラミーさん。本当ですよね、綺麗でいつまでも見てられそうですよ。ところで、もうご飯はいいんですか?」
「はひ!お腹いっぱいです!」
「ふふ、それは何よりです。」
また神々は仲睦まじく話し出し、あの山が特にいいとか、なんだかこの風景はあの日を思い出すねだとか、静かに盛り上がった。
ネイアは神様なのに山をあまり見たことが無いのかと一瞬思ったが、地表からはあまり世界を見たことがないのだという事に気が付いた。
もし見ていたら神様が普通にそこらへんを歩いていることになってしまうのだから。
出発から四日、いよいよ聖王国が近付いてくると、馬車からは海が見え始めた。
「綺麗ですねぇ。」
「本当綺麗です…。」
神々が熱心に窓の外を眺めてる様子を見ると、イビルアイはおずおずと提案した。
「光神陛下、よ、良ければこちらの窓の隣に座ってよくお外を見ては如何でしょうか?」
「それは狭いんじゃ無いか?フラミーさんには翼もある。」
神王の反駁にそれもそうかとイビルアイが唸ると、グスターボが解決策を提案した。
「それでしたら、自分が降りますので、ごゆっくりお外をご覧下さい。」
こういう時のグスターボの気遣いは流石としか言いようがない。
御者に止める合図を出すと、グスターボは丁寧に頭を下げ降りて行った。
ネイアによって伝達された「神々は地上から世界をあまり見たことが無い」という話は部隊全員を納得させた。
子供のように自分達で生み出したであろう世界を綺麗だと喜ぶ神々は自画自賛している事に気付かぬようでなんだか可愛らしいとネイアは思った。
「すみませんね、イビルアイさん。よいしょ。」
女神はネイアの隣に腰を下ろし、嬉しそうに神王と一瞬視線を交わした。
イビルアイも神王の隣に座ろうとすると、馬車が出発したのかガタンと揺れ、イビルアイは軽く神王の肩に寄りかかるように座ってしまった。
「あ、あ、陛下!申し訳ありません!」
イビルアイが慌てて頭を下げ立ち上がると、神王は笑ったようだった。
「何。気にすることはない。さぁ危ないから座りなさい。」
「ありがとうございます…。」
慈悲深い神の横顔をイビルアイは眺め続けた。
何となくその仮面の下は惚けているような気がする。
神々は飽く事なく外を見たりお喋りをしたりして夕暮れを迎えた。
翌日は夜明け前に聖王国に入るので一行は早いうちに移動をやめ、野営の準備を始めた。
女神は海に余程感動しているのか食事の時以外はこれまであまり馬車を降りなかったが、今日ばかりは降りたがった。
「あの、降りてもいいですか?」
その言葉に誰もダメだと言うはずもなく、ネイアがまず降りて周りの状況を確認すると、次いでイビルアイが降りた。
そして神王が降りると、女神もそれに続いた。
神王と女神は真冬の静かな海に夕日が落ちて行くのを物言わず眺め続けた。
グスターボも一応ネイアとイビルアイの隣に並んで、用事があればいつでも対応できるように控えた。
「神王陛下と光神陛下は、自然が…世界がお好きなんですね。」
ネイアの問いに闇の神は振り返る。
「美しい大地というのは何にも変えがたい宝だ。君たちにはまだわからないかもしれないが、いつかそれは自分達の欲求を抑えきれない者達によって破壊されてしまう時が来るだろう。」
そして光の神が続けた。
「私達はそれをする者達の台頭を許しません…それが例え世界を停滞させる事でも。」
二人はまるで恐ろしい何かを見て怯えているかのようにネイアの目には映った。
そして月が登り始めると、女神の頭の上にはゆっくりと白い不思議な花が咲いたのだった。
その光景はどこか非現実的で、美しかった。
神王が花が咲いたことを告げるように優しく花に触れると、女神は嬉しそうに目を細めた。
「陛下方は…未来が見えるのですか?」
イビルアイの質問に、気付けば耳を澄ませて神々の言葉を聞いていた聖騎士達はゴクリと唾を飲んだ。
「見えるんじゃなくて…見て来ただけですよ。ね。」
光の神の言葉に闇の神は辛そうに頷いた。
「フラミーさん、俺たちは…デミウルゴス達の言う通り本当にこの世界を手に入れなきゃいけないんでしょうね。」
そういうと闇の神は光の神の手を取った。
「この綺麗な世界を…皆にも見せないといけないですしね…。」
握り返された手は震えているようだった。
ネイアは神々の背中に、何かとても強い決意のような物を感じたのだった。
次回 #54 神の嘆き
自然保護団体ナザリック…!