眠る前にも夢を見て   作:ジッキンゲン男爵

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#56 奇跡の上に

 会議室には救いを求める声が響いていた。

「神王陛下…どうか…お力をお貸し下さい。」

 そう言って多くのものが跪く。

 初日には女神にしか跪かなかった人々は、首を横に振るだけで、会議室にも姿を見せなくなった女神よりも、確かに命を救ってくれる神王に強い信頼を寄せ始めていた。

 特に比較対象がいるせいか神王の慈悲深さに皆胸を打たれているようだった。

 

 ネイアは即物的だと思ったが、これもまた仕方のない人の弱さ――闇なのだと思った。

「困ったものだ。私はフラミーさんについて来ただけだと言うのに。」

 その言葉に皆がぎゅっと唇を噛みしめていると、衛士達が無粋にも部屋に駆け込んで来た。

「か、神よ!!グラトニーが、グラトニーが出ました!!」

「人々を食い漁っています!!」

 神は瞳の灯火を消した。

 神よ、と叫ぶ人々の中、神王はゆっくりとその瞳に炎を燃やした。

 

「終わらせるか。」

 そう言って神王が立ち上がると、人々の視線はその後ろに集まった。

 

 不思議そうに神王が振り返ると、そこには銀色の髪を下ろした女神が立っていた。

 

「あ…フラミーさん…。」

「アインズさん、行きますよ!」

 

 その女神の声は明るく、人々の信仰が闇の神に充分集まったことを知らせた。

 

「ほらな、だから言っただろ。」

 ガガーランのおどけたような声が響き、神官達が気恥ずかしそうに頷くとラキュースも優しく笑った。

「あなた達は生きていく上で切っても切り離せない闇を、やっと受け入れる事ができ始めたのよ。」

「全く世話の焼ける国だ。」

 イビルアイは嬉しそうに腕を組んだ。

 

+

 

 人々は、女子供を盾にする亜人達に涙を飲んで投石した。

 生きるためには闇も光も必要なのだと、ネイアや神官の日々熱心な訴えかけや、闇の神の言葉を聞いて心を動かしていた。

 すると、その中についに亜人を扇動したグラトニーを名乗る邪悪な悪魔が姿を見せた。

 

 グラトニーは頭部を持たず、人の腹部分に顔がついていて、背徳的なピンクの体をしていた。

 その巨大な口がパカリと開くと長い舌がべろりと顔中を舐めた。

 その邪悪さに人々が息を呑むと、門の上にいた者達をものすごい勢いで吸い込み始め、捕まえ、貪る。

「聖王国の皆さん。私は腹が減っているのですよ。貴方達人間は実に美味い。さぁ、ここを我々の牧場にしてさしあげましょう!!」

 グラトニーの声に後ろの亜人達が血を沸かせるように歓声を上げた。

「食って食って食い散らかすのです!!ここは飢える者の食卓ですよ!!ヒィーハッハッハッハァー!!」

 耳をつんざくような笑い声をあげると、片手を天高く掲げる。

 

 人々は手の上、天に視線を奪われる。

 そこには巨大な炎の塊が門に向かって降り注ごうとしているところだった。

 

「そんな――――」

 

 見たものは死んだ。

 

+

 

 門を完全に破壊され、逃げ惑っていたはずの人々は、街の中心広場に追い詰められ、囲まれていた。

 後ずさりをする事すら叶わない程に人が密集している。

 

 収容所では自分達の子供を、親を食わされた。

 亜人達は大笑いで美味いだろうと言っていた。

 皮を剥がされた者も大勢いる。

 そこから滴る血を飲まされ、狂った隣人もいた。

 この広場は、再び地獄になるのか――。

 誰もが絶望的な近い未来を予見すると、馬に跨ってこちらへ近付いてくる複数の影が見えた。

 それは聖騎士団を率いたレメディオスだったが、いつも何もしていないそれの登場に、人々は大した希望を見出せなかった。

 

「現れたな!グラトニー!!貴様、聖王女様をよくも!!」

「ん?なんだか見たことのある顔ですねぇ。――あぁ、わかった。ふふ、頭冠の悪魔(サークレット)よ。」

 グラトニーの後ろに闇が開き、そこから枯れ枝のような悪魔が現れた。

 その悪魔はレメディオスの妹ケラルトと、聖王女カルカの頭部をさくらんぼうのように飾っていた。

 

 それが目に入った瞬間、レメディオスは血の逆流を感じた。燃え盛るように体温が上昇し、愛する二人の変わり果てた姿に吠えた。

「ッき、きっさまぁぁああ!!」

 レメディオスはその手の中の聖剣に目一杯の力を込め、死を冒涜するような目の前のサークレットと呼ばれた存在に攻撃を繰り出す――が、悪魔は何の痛痒も感じていないようだった。

 

 鬱陶しいとばかりにサークレットが無造作に腕を振るうと、たったそれだけの動作で、レメディオスは人々の中に吹き飛ばされた。

 レメディオスが激突した者達は苦しみから声を上げた。

 

「「「団長!!」」」

 

 聖騎士団が叫び人混みの中レメディオスをなんとか立たせると、レメディオスは大きく熱い息を吐いた。凍えるような街の中、口から吐き捨てられた呼気はぼわりと白く広がった。

「大丈夫だ!まかせろ、こいつらは邪悪な存在なんだ!我が聖剣の真の力を今こそ思い知らせてやる!!」

 レメディオスはついにその聖剣の力を発揮した。

 善良なる市民や聖騎士達、レメディオス本人は特に何の変化も感じないが、目の前の邪悪な二人には聖なる光が眩しく見えているはずだ。

 レメディオスは再びサークレットに向かって獣のように駆け出した。

「だぁあありゃぁぁああ!!!」

 全身全霊のその一撃は、サークレットと聖王女の顔を繋ぐ枝のような部分の根元を狙い繰り出された。

 人間ならそこに刃を受ければ致命傷だ。

 

 しかし、生き物が上がるとは思えないような金属音に近い激しい音が鳴るだけで、悪魔は再び何の力も感じないとばかりにその場所をぽりぽりとかいた。

「なんですか?あれは。」

 サークレットは困ったように呟いた――いや、困っているのではなく馬鹿にしているのだろう。

「相手が弱すぎても考えものですね。これでは引き立て役にもなりません。」

 グラトニーは自分を引き立てる事も出来ないサークレットとレメディオスの戦いに呆れているようだった。

「な、なぜ…なぜなんだ…。」

 愕然とするレメディオスは手も足も出ない目の前の悪魔たちにラキュースの言葉を思い出した。

「復活魔法の力を司る女神に拒否されれば…復活魔法は使えない…?」

 周りの騎士達はその言葉を聞くと、今の状況の訳に思い至った。

「そんな…私は光神陛下にはずっと…祈りを捧げ信じてきたのに…この私に聖なる力を貸す事をやめたとでもいうのか…?」

 

「勝手に絶望してますよ。面白いですねぇ?」

 グラトニーはそう言うと、ヒュオっと音を鳴らし、猛烈な勢いで息を吸い込み始めた。

 爆風の中、レメディオスよりも悪魔の近くにいた数人がその口に吸い込まれていく。

 必死に踏ん張るレメディオスも、台風のような吸気に食われるのかと思った次の瞬間、風は止んだ。

 二人の間には優しき闇の神が立っていた。

 

「そこまでだ。悪いがお前には私のストレス発散に付き合ってもらうぞ。」

 

 再びの地獄に突き落とされそうになった人々は大歓声を上げた。

 神王を応援する声が広場中に広がる。

 すると空からポタリポタリと赤い液体が降りだし、ついには赤い小雨に見舞われた。

 何事かと見上げれば、今までどんなに乞うても決して救いの手を差し伸べてくれなかった光の神が上空から真っ赤な血を振りまいていた。

 それに触れると、傷だらけだった人々は途端に癒えて行った。

 瀕死で担がれていた大量の人々も、レメディオスに突っ込まれ苦痛に声を上げていた人々も、町中に諦め置いていかれてただ死を待つだけだった人々も、目の前の奇跡に、神王と女神を想い涙し感謝した。

 

「これは…神の血……。」

 街の評判の薬師の呟きが、何とかその場に追いついたネイアの耳に届く。

「人を癒す…神の血…。陛下、陛下方はやっぱり自分を傷付けてでも人々を救うのですね…。」

 ネイアはその慈悲深さと、普通の人間ではあまりにも辛く耐え難い生き様に気付けば涙を流していた。

 一緒に走ってきた蒼の薔薇はネイアのそれを聞くと拳を握り締め、つい目を逸らしたくなる衝動に駆られる。

 いつの間にかかなりの怪我をしていたイビルアイは深くフードを被り、さらにその上にガガーランのマントを羽織っていた。

 イビルアイは自分の肩を抱きながらネイアの隣に並ぶと、ネイアの手を取り、遠く自らの血を流し続ける女神と、目の前で悪魔に立ちはだかる神王を交互に見続けた。

 この血を浴びれば怪我は治るのに、イビルアイが敢えてそうしないのは、きっと神に頼るだけではいけないという意思の表明だろうとネイアは思った。

 

+

 

 神王とサークレット、グラトニーの戦いは壮絶を極めた。

 しかし、神王も悪魔たちもまるでじゃれ合うようにそれを楽しんだ。

 いや、そう見えただけなのかもしれない。

 目の前で行われる激しい魔法の応酬に、時には荒れ狂う砂塵を舞い上がらせ、時には残っていた家々を破壊し、街を殆ど更地にして行った。

 最初にサークレットが倒れると、そこに女神は降りた。

 なにかを話しかけているように見えるのは恐らく弔っているのだろう。

 女神は笑っていた。

 邪悪な命の終わりを喜ぶと言うよりも、まるでこれまでの生を労うような笑顔は人々に衝撃を与えた。

 人々が女神に目を奪われていると、神王の絶大な力を前に、グラトニーも地に伏せた。

 すると神王は大量にアンデッドを生み出した。

 死して尚聖王国のために戦いたいと願った聖騎士はその奇跡によって死の国から呼び戻され、残った亜人の討伐に駆け出した。

 そうして広場は何とか秩序を取り戻し始めらのだった。

 

 女神はサークレットから恭しく二つの頭部を外すと、見たことも聞いたことも無い強大な魔法をかけた。

 輝きが二つの頭部に集まると、聖王女とケラルトは体を取り戻し、二人はゆっくりと目を覚ました。

 

「こ……ここは……」

 聖王女は何があったのかも分からず、仰向けに寝転がったままただ目を泳がせた。

「カルカ様……?」

 ケラルトの声からその存在に気付くと、聖王女はケラルトに優しく微笑んだ。

「ありがとう、ケラルト……。復活させてくれたの……?私、グラトニーに振り回されて死んだわよね……?」

「カルカ様……私は――え?」

 何かを言おうとしたケラルトは呆然と空を仰いだ。いや、空ではなく、聖王女とケラルトをまじまじと覗き込む者がいたのだ。

 その瞳は美しい金色で、今にも何か言いたげだった。

「あなたは……?」

 聖王女の質問に、その者は神官達をちょいちょいと呼び寄せた。弾かれたように神官たちが駆け寄る。

「――カルカ様!カルカ・ベサーレス様!!この方こそ、この方こそ光の神であらせられます!!」

「光の……神……?」

「はい!!この光神陛下が御身を復活させてくださったのです!!」

 神官は神々の降臨やこれまであった事、そして一月にも及ぶかと言う苦難の日々を伝えた。

 皆誰もが涙ながらに話をした。

 アンデッドとなった人々を闇に返し供養してくれた神王も未だ寝転がる二人の元へ向かっていた。

 

 いつから来ていたのか王兄カスポンドも神官の向こうで軽く手を挙げ聖王女の復活を祝った。

 そして絶望した様な顔のレメディオスに何やらこれまでの必死の抵抗に労いの言葉をかけているようで、レメディオスは再び手の中の聖剣を強く握りしめていた。

 

「そう……。そうだったのね……」

 未だ座っている事も辛いと言う様な二人に、神王が近付いて行くと、どこからか真っ赤な液体を取り出した。

 人々はすぐにそれが何なのか分かった。

 神は二人にその血をバッと振り掛けると、女神に頷いた。

 すると、力の湧いた聖王女とケラルトの叫びが響いた。

「「レメディオス!?」」

 

 レメディオスは、女神の背に剣を振るっていた。

 しかしその剣は女神には届かず、守ろうと間に入った王兄カスポンドの身を貫いていた。

「――ッウ……!」

 苦しげな王兄の声が辺りに満ちる、レメディオスは震える手で聖剣を王兄から引き抜き、ドシャリとその身は地に崩れた。

「殿下!」「お兄様!!」

 駆け寄れば王兄は既に絶命していた。即死の一撃だ。

「そんな…王兄殿下…貴方が…こうしろと…なんで…。」

 レメディオスの呟きは混乱の喧騒の中、誰の耳にも入らなかった。

 聖騎士達の手で捕縛されたレメディオスは吠え出した。

「そんな…お、おかしい!!いや、私は間違っていない!これも殿下の御心に従ったまでだ!私はずっと正義を行なってきた!!そうだ、お前にも祈りを捧げ続けた!!なのに…くそ!!なのになのに!!!」

「レメディオス黙りなさい!!」

 王女の命令も無視し、レメディオスは続ける。

「こんなの間違っている!!守れた!!お前が最初から私に力を与えていれば!!全ての収容所の子供達だって守れたに違いないんだ!!殿下もそう仰ったのに何故邪魔を!!くそ!くそ!!お前は、いや!お前も、お前も神なんかじゃないんだろう!!」

 そう言って神王と女神を順に指差すと、女神はびくりと肩を震わせた。

 今まさに神の血によって人々を回復させた女神は、神王に顔を向けると、神王は黙って顔を左右に振った。

 

「許さない、許さないぞ!!分かった!貴様らだ、貴様らが犯人だったんだ!!」

 レメディオスは支離滅裂な事を叫ぶ。

 聖王女の命令で動きだした聖騎士達に引きずられながら、レメディオスは魂を震わせるように慟哭した。

「決して私は許さんぞ!!暴いてやる!!絶対に暴いてみせるからなぁああ!!」

 

 ネイアは哀れなその生き物はきっと救われることはないだろうと思った。

「あいつは自分で選んだんだ。世界は光だけでは救われない事を神々は示し続けたのに、光だけで世界を満たしたがったエゴが、結果的に多くを殺したんだ。」

 隣でネイアの手を握るイビルアイは怒りに震えているようだった。

「それでも…それでも光を求めたくなってしまう私達はどうしたらいいんでしょう…イビルアイさん…。」

「どうすることもできないさ。光だけを求めたくなってしまう心の闇を受け入れろ。」

 イビルアイの言葉にガガーランが頷く。

「目を逸らすなよ。その闇から目を逸らしたら、光を求めるはずが光に見放される。」

 

 ラキュースは話をする仲間たちから離れ、哀れな獣のようになって引きずられていくレメディオスを一瞬振り返ると神王と女神の前に跪いた。

「神王陛下、光神陛下…。その身を呈した王兄殿下に、再び命を与えては頂けませんか…。」

 二柱は悩んだ。

 聖王女もそれを見ると、闇の神にも何の抵抗もなく共にラキュースの隣に跪く。

 聖王女はその身に起きた奇跡と神官達の話をきちんと理解していた。

 女神は数度目を泳がせると、あの日のように静かに首を振った。

 闇を抱いてそれでも生きろと、女神は言ったのだ。

 果たしてレメディオスはこの罪を償い切れるのだろうか。

 ラキュースと聖王女は深々と頭を下げ、無言のまま了承の意を示した。

 神王はその様子に満足げに頷くと聖王女に告げた。

「この者の尊き命はこちらで弔わせて貰おう。――<転移門(ゲート)>。済んだ後に体は綺麗にしてお返しする。祀ってやってくれ。」

 恐らく誰よりも素晴らしい世界に旅立てるだろうと人々はその闇に神王が王兄を連れて入る背中を見送った。




次回 #57 帰路

グラトニーちゃんはピンクでまん丸で、丸に手足がついてて、
足は赤くって、食べたものの能力をコピーできるよ!
とってもかわいいね!

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