ありがとうございます!!
さっきまでの大騒ぎが嘘のように静かになった自室で、フラミーはベッドに潜り込んだ。
が、眠気は訪れない。
それもそのはずだ。
ベッドルームの扉の脇には直立不動のメイドが控えている。人を立たせて自分だけ眠れる者がいるだろうか。
(落ち着かないよ……)
フラミーがベッドをゆっくり出ると、指示を貰おうとメイドが少し動いた。
夜遊びなんてと怒られるんじゃないかとドキドキしながらゆっくりと反応を伺うように伝える。
「やっぱり……寝るのはやめて、少しお外を歩こうかなと思います」
「かしこまりました。護衛につく兵の準備は出来ておりますので、すぐに連れてまいります。それから、御髪はまた結われますか?」
打てば響くように応えが返り、フラミーはひとまず怒られなかったことに安堵した。いつものお団子頭は全て下ろされていた。
無くした力は世界を渡るものだけだと言ったのに何故未だ護衛をつけると言われてしまうのだろうか。
モモンガに助けを求めたいが、常に誰かしらがそばにいる為、最初に実験して以来一度もモモンガと
ついでに外の空気を吸うのに誘おうかとも思うが、他にも実験してみたい事があると言っていたモモンガを気まぐれに付き合わせても悪いかと、やはり連絡をしない事にした。
サラサラとしたサテンのくるぶしまであるネグリジェに、同じスタイルのガウンを軽く肩に羽織ってドレスルームに向かう。動きながらうまい言い訳を探した。
「自分で
守護者と動くと言われては守護者を信じる他ないメイドは、了解の意を示し、部屋を任されたことに密かなる喜びを感じ、小さなガッツポーズを決めた。
ドレスルームに入ったフラミーは背中がざっくりと大きく開いた、膝下丈の黒いタンクワンピースと、背の開いていない深い紫色の大きなフードのついたローブを手に取った。一番手近にあったものだ。
着替えを手伝おうといそいそと近付いてくるメイドに、脱いだガウンを渡した。自分のドレスルームだが、こんなガウンなど持っていた記憶も無く、しまう場所に検討がつかなかった為だ。
「あの……すみません、片付けてもらえますか?」
「もちろんでございます!どうぞ私めにお任せください!!」
着替えつつ趣味やどんな音楽を聴くかなど話しをふってみたが、趣味は至高の御方々にお仕えすること、音楽は特に聞いたことがないと言われてしまい、友達になるにはもう少し時間がかかりそうだと思うフラミーだった。
ただ、モモンガと違い女同士の為――あるいは孤児院という大所帯で育った為か着替えに付き添われる事には大した違和感を感じず、背のホックやリボンを留めることを自然と任せていた。
じっと立たれているような状況でなければ人がそばにいることに対してはストレスが溜まらない性分だ。もちろん、真夜中にこうして付き合わせてしまっていると言うストレスはあるが。
メイドがたくさんのピアスが掛けられた金のピアススタンドを持ってくると、アバターだった頃は付けっ放しだった赤紫のひし形の魔法石をあしらった大ぶりのピアスを迷わず取った。フラミーは全てのピアスに施された魔法の効果を覚えている。
メイドに礼を言うとフラミーは部屋を後にする。
扉脇に控えるクワガタのような蟲型モンスター達に守護者と約束をしたと嘘をつき、そそくさと第一階層へ転移して行った。人に嘘をつくと言う状況に一瞬ハラハラした――が、不思議とそんな気持ちもどうでもいいと消えた。
己の精神構造にカルマ値と言う歪みが生まれている事にフラミーは気が付かなかった。
薄暗い霊廟を進みながらフードを目深にかぶり、ゆっくりと階段へ向かう。
月明かりが霊廟を、階段を、自分までも青白く染め、まるで海に沈んだ神殿を歩いているような、美しく荘厳な雰囲気に思わず胸が高鳴った。
(私もナザリック攻略時にギルドに入れていたら良かったのになぁ)
静謐な空間に物思いに少し目を伏せると、数人の足音がし、短かい一人の時間に別れを告げた。
ゆっくりと瞼を開ければそこには
わずかに驚くが、悪魔達だと思うと何故か安堵し、フラミーは微笑んだ。
「皆さん、こんな時間まで働いてるんです?」
「は。畏れながら」
すると、答えた魔将達の陰から、スッとさらにもう一人悪魔が姿を現した。
「デミウルゴスさん……」
「これはフラミー様。このような所へお一人でいらしたのですか?兵はどうされたのでしょう?」
優しい声音と視線に後ろめたさを感じつつ、守護者と約束が、と口から出かけたでまかせをどうにか引っ込める。
えーそのーあー……と言葉にならない言葉を出し時間を稼ぐと、閃いた。
「あ、そう。えっと、ここにデミウルゴスさんがいると小耳に挟んで来てみたんです」
これでここまで来る為についた嘘はチャラになったとフラミーは心の中で自らを喝采した。
(そう、私は
デミウルゴスは優雅な笑いを浮かべた。
「これはこれは。仰ってくださればこちらから出向きましたものを。それで、どのような御用向きでしょうか」
そんなことを聞かれてもデミウルゴスには用なぞあるはずもない。
最初から用があるのは"外"だけだ。
「えっと……ちょっとそこまで出ようかなーなんて」
繕いもせず返す言葉に悪魔はその顔を喜びで染め上げた。
「なるほど。そういうことですか。畏まりました。喜んでご一緒させていただきます。――お前達はここに残り私がどこへ行ったか伝えておけ」
「畏まりました。デミウルゴス様」
叡智の悪魔は何かを察したように魔将へ軽い指示を出した。
フラミーは当たり前についてくるデミウルゴスを斜め後ろに従え、ようやく外に出たいと言う小さな願いを叶えた。
モモンガは自室にあるドレスルームで、ちらりと己の骨の姿を鏡で確認した。
(フラミーさんは増えただけましだよなー。俺なんて実戦使用しないでなくなっちゃったもん……)
感情の起伏が激しくなると抑圧されるように平坦なものになり、欲望は全体的に薄くなっていた。
そんな事を思いながら、グレートソードを一本手に取り、ゆっくりと構え――奮おうとした瞬間剣は床に落ち、金属音を響かせた。
モモンガは何も持っていない骨の手をギュッと握りしめた。
生きたように動き回るNPC達の存在とは裏腹に、この体にはゲームのような縛りがある。やはりまだまだ調べなければいけないことが山積みだと確信した。
「片付けておけ」
モモンガのそばには
ナーベラルは「は」と短く返事を返し、落ちた剣を片づけた。
これでよし、モモンガは心の中で唱え、
「私は少し出る」
「では近衛の編成を行います」
「いらん。私は――そう、極秘裏にしなければならないことがある」
常にメイドやら近衛やらその身の回りにいるストレスは、いくら精神状態をなだらかにされるとは言えかなり応えた。
男として女がはべってくれているという喜びよりも、自分の生活圏を侵されていると言う気持ちが大きい。
そして、誰も彼もが――
「畏まりました。いってらっしゃいませ、モモンガ様」
こう従順なるしもべとして頭を下げる。
モモンガは突き放してしまったと言う若干の罪悪感と共に一人で部屋を後にし、第一階層へ向かった。
たった一人、自分と普通に付き合ってくれるフラミーに声を掛けたかったが――もう寝ると言っていたのだから我慢するしかない。
外へと続く階段から月の光が降り注いでくる。
この先にどんな景色があるのかと冒険心をくすぐられ、足早になり、いよいよ外が見えると言うタイミングで、三魔将が現れた。
(な、なんでこんなところに魔将が!?)
考えてもわからないため無視して通り過ぎようとすると、背後から透き通った女性の声がかかった。
「待たせたわね、デミウルゴス」
デミウルゴスもいるのかとモモンガが声に振り返れば、アルベドがそこに立っていた。
「あら?これは!モモンガ様!近衛も連れずにどちらへ?ああ、こんなところでお会いできるなんて……もしかして運命……?」
月光に照らされながらアルベドが頬に両手を当てうっとりとこちらを見上げる様は、独り言の内容とは裏腹に一幅の絵画のようだった。
そして、鎧を着ていると言うのに何故か自分がモモンガだとバレたのかと混乱する。
(――……指輪か?転移してここに来たせいか)
モモンガは状況を理解した。
「デミウルゴス様はつい先程ここを通られたフラミー様に付き従って行かれました」
三魔将の一人、憤怒が答えるが、アルベドはそれを無視して自分の世界に入り込んでいる。
「もしかしてモモンガ様、私がここに来ることをご存知で会いに来て下さったのでしょうか?」
ああ!と声を漏らしながら悶えるアルベドを他所に、モモンガはモモンガで別のことを考えていた。
(フラミーさんはもう寝ると言っていたけれど、デミウルゴスと外に……?どうせなら一緒に出たかったな……)
満天の星の下、フラミーは感動していた。
飛べる気がする。
自分の体の一部となった翼をはためかせようとすると、翼の上から着込んだローブが邪魔になっている事に気がついた。
こんな事ならズボンにすれば良かったと思いながら、目深にかぶっていたフードを払うように脱ぐ。
すると緑の香りをはらんだ風が、フラミーの長い、いつもは結い上げている銀色の髪を揺らした。
リアルの自分の髪よりも、サラサラと柔らかくなびく髪が気持ちいい。
「なんと言う美しさでしょう……」
そう言うデミウルゴスに、フラミーは頷いた。
「本当ですね。こんなに綺麗な星空が見れるなんて思いもしませんでした」
この世界に来て初めて心穏やかに微笑んだ。
満点の星空はリアルで見る空とは違い、青、黒、紫と様々な色が混ざり合いながら瞬く星々を強く際立たせていた。
――リアルの空は汚染され、腐ったような空気に侵され、常に毒々しく分厚い雲に覆われていたせいで星など見えしなかったのだ。
それはもちろん、太陽や月も同じことだ。
「星空……。いえ、この星達も、フラミー様の前ではくすみましょう」
デミウルゴスが何に向かって美しいと言ったのかようやく気付いたフラミーはツンと尖った自分の耳と顔に少し熱が溜まるのを感じた。
こんなキザなセリフを言われたのは生まれて初めてだった。しかし、デミウルゴスの向こうに彼を創造したウルベルトの事をフラミーは幻視した。
「デミウルゴスさんはお上手ですね」
そのような……と言うデミウルゴスの言葉と世辞を軽く聞き流しながら、フラミーはローブを脱ぐと腕にかけた。
露わになった背と肩、足が、夏の終わりに向かう切ない空気と触れあう。
六枚三対の白銀の翼と、腕を大きく広げ、――腕の中にあるローブを少し鬱陶しく思いながら体いっぱいに風を感じた。
黒いタンクワンピースから藤色の肌を露わにし翼と髪を風に任せ月光に照らされる姿は、まるで月の光を栄養に咲く花のようだった。
「お持ちします」
ローブを受け取ったデミウルゴスは、ドラゴンのような皮膜をもつ黒翼を背に出し、いつでも飛べますとでも言うように視線を送った。
これで飛べなかったら恥ずかしいと思いながらも、鳥が何も教えられずとも空を飛べるように、頭の中には生まれた時から翼を持っていたものと同じように飛び方が浮かんでくる。
思い切り一度はためかせ、地をドンッと蹴るとフラミーは高く高く飛び上がっていった。
貧困層だったフラミーは飛行機に乗った経験もなく、まさしく生まれて初めての本物の空だった。
高く上がると二人はピタリと止まった。
翼はあるものの、魔法の力で飛んでいるようで、翼を動かさずとも空中に留まることができた。それはデミウルゴスも同じだった。
見渡せば遠くには雪を頂く高山、風が吹くたびに波打ち輝く草原、月と星の光だけが照らすどこまでも続く地平線。
そのあまりの雄大な景色に、フラミーは訳もなく涙が出てきた。
「い、いかがなさいましたか?フラミー様」
慌てるデミウルゴスは珍しく両の瞼をしっかりと開き、その宝石の瞳をのぞかせていた。
「あんまりにも世界が綺麗で……。私、生まれて初めて空に上がったの」
そう目元を困ったように下げ、溢れ続ける涙を拭う事もせず困ったように微笑むフラミーに、デミウルゴスは強い衝撃を受けた。
何百年、下手をすれば万と言う単位の時を生き、世界を創造した神とすら戦争をしたと聞く
(世界を渡るような想像を絶する秘術をお持ちだった御身を空へ向かわせなかったものは一体……)
わずかに思考の海に潜り込みかけると、未だポロポロと溢れる綺麗な涙に我に返った。
「わ、私もウルベルト様と共にナザリックの中の空を飛んだことはありましたが、実を申しますとナザリックの外の空は初めてでございます」
うろたえながらも今までの数百年の自分の人生――いや、悪魔としての生を振り返り告げた。
「じゃあ、私達、一緒ね」
「はい。一緒でございます」
悪魔達が囁き合う空はどこまでも透き通っていた。
デミウルゴススキー☆
2019.06.01 氷餅様 誤字修正ありがとうございます!適用させて頂きました!
2019.06.04 kazuichi様 誤字報告ありがとうございます!適用させて頂きました!
2019.06.20 KJA様 誤字のご報告をありがとうございます!適用させて頂きました!