しばらく飛ぶと、珪岩で出来た巨大な石の柱、石塔が立ち並ぶ奇妙な光景が広がっていた。
石の塔達には無数の穴が空いていて、カッパドキアの奇岩群をさらに大きくしたようなものだった。
遠くには帝国の持ち物だと思われる村々が見える。
アインズは何だかんだで帝国に踏み入れた事がない為、近いうちに訪れたいと思った。
「あそこです!陛下!女神様!!」
ティトは部族の中で育ち、竜と空しか知らずに生きてきた。
この集落では春先に珍しく大きな地震が発生し、混乱した竜達が起こした事故によって両親を亡くした。
以来兄と二人でそれぞれ両親の仕事を継ぎ、何とか日々を暮らしていた。
「兄さん、マッティ兄さん。僕もいつか兄さんみたいに帝国のロイヤルエアガードに騎乗指導に行きたいなぁ。それで、帝国で暮らすんだ。」
子供の頃から外の広い世界に憧れる、母親によく似たもしゃもしゃ頭をした弟にマッティは苦笑した。
「俺は父さんの代わりに行かなきゃいけないからそうしているだけさ…。あの国は昔と違っておかしいんだ。やめた方がいいよ。」
「おかしいって、何が?」
マッティは長い真っ直ぐな金髪を全て後ろに束ねて結ぶと、少し躊躇ってから語った。
「帝国は去年近くの国に降ったと父さんが話していただろう?今じゃあアンデッドが行き交ってるんだよ。俺も行くまでは信じてなかったけど…あの力は強大すぎる。」
ティトは生まれて一度もアンデッドを見たことはなかったが、生を憎むそれは恐ろしく残忍だと聞いていた。
カルネ村と同じように平和な田舎のこの集落にはアンデッドはそう滅多に湧かなかった。
「じゃあ、帝国にはもう生きている人はいないの?」
「いや…いるさ。これまでと変わらない街にアンデッドがうろついているだけなんだ。でも…恐ろしい噂も聞くし…俺は怖いよ…。」
ティトには憧れの兄がいつもより小さく見えた。
「…それでも、僕はいつか街に行きたいなぁ。」
ティトは最初、とんでもない事態を引き起こしてしまったかと思ったが、兄の話からしてアンデッドが王として敬われ、それも神聖な存在を引き連れている筈がないとすぐに気が付いた。
きっとこの王は何らかの魔法によってその身を変えるイタズラ好きの可愛い王様なんだろうと当たりをつけると、やはり王はすぐに人の姿になった。
王は中々城を出られないと聞くし、もしかしたらそうして身分を隠して旅行をするものなのかもしれない。
たまに帝国から来る
視線の先には生まれて初めて見る女神と、それに祝福された王が楽しげに竜に乗っている姿があった。
兄は帝国は良くないと言ったが、この王の神聖魔導国なら良いと言ってくれるかもしれない。
岩の穴から竜に乗った人々が出入りしている光景はティトの日常だ。
ここはやはり田舎だと思う。
(魔導国は都会なのかなぁ。ルーイン隊長閣下は怖い人だけど、連れて行ってくれないかな。)
どんどん近づいてくる集落を前にティトは一度余計な思考を振り払い、王に警告する。
「陛下、女神様!そろそろ降下します!」
王達が頷いたのを見ると、首に下げていた
竜の鳴き声と同じ太い音が響くと竜たちは円を描くようにくるりと身を翻し降下して行く。巨大な石塔に囲まれる広場の一角に入ると、小さな手のついた翼を広げながら速度を殺してよたよたと着地した。
そこではいつものように兄が手を振って待っていた。
「ティトおかえり!この人達は?」
「ただいま、兄さん!竜の谷で会って、僕たちの街を見てみたいって言うから一緒に帰ってきたんだ!」
「竜の谷で?」
王は何か魔法を使ったのかフワリと重力を感じさせない動きで竜を降りると、女神を恭しげに持ち上げて、ゆっくりと地面に下ろした。
(エルニクス皇帝陛下だって女神に祝福されてはいないよね。)
祝福された国がどんな場所なのか想像を膨らませていると、王は女神を背に隠すようにくるりとこちらへ向いた。
「ティト、中々良い体験だったぞ。さて、私こそ――」そこまで言うと、ふと口をつぐみ、少し声音を変えてから続けた。「いや、私はゴウンです。」
ティトはまたイタズラだと思ってクスクスと笑った。
王は笑うティトをチラリと見ると、闇に手を突っ込み、黒い服を取り出して後ろに送った。
すると王の背からは羽を隠すように黒いローブを着込んだ女神が出てきた。
お忍び旅行に相応しい格好だとティトは思った。
「私達は旅の途中でティト君に会いましてね。この人は仲間で
「フラミーです、お願いします。」
女神がぺこりと頭を下げると、兄も頭を下げた。
「それから、こっちの者達は護衛で、これは…亜人のコキュートスと――。」
「息子のパンドラズ・アクターです。」
ティトは、アハッと声を出すと、ハッとして口に手を当てた。
(本当にこの人達は冗談がお好きなんだな。ふふ。)
兄がチラリと視線を送ると、ティトの様子から何かを納得したようで少し笑い声を上げた。
「どうも!俺はマッティです。旅の人なんて珍しいな。」
何も知らないマッティが王と平気で握手をした。
いつかこの王が自分の身分を明かした時に兄が驚きに転げる姿を想像すると、それだけでティトは笑いがこみ上げてくるようだった。
「ゴウンさんはどこに向かってる途中だったんですか?」
「ミノタウロスの国に行ってみようかと思いましてね。何、研究の一環のようなものですよ」
「あぁ、だからあの数の護衛を雇ってらっしゃるんですね。すごいな。」
マッティがルーイン隊長とその部下達と軽く会釈を交わすと、ティトは横から身を乗り出した。
「あの!ゴウン様は一週間はここにいられるんですよね?」
「あぁ、しかし最長で一週間だ。どのくらいいるかは街の様子によるだろう。」
できれば一週間いっぱいいて欲しいと思った。
少しでも魔導国について教えて貰って、自分でも働けそうな職――主に竜の世話などがないかを聞いて見たかった。
「そうですか。四日もあればこの街は充分見て回れると思いますよ!」
兄が余計なことを言った事にティトは僅かに焦り、兄のたくましい腕を掴んだ。
「に、兄さん!兎に角竜達を竜舎に帰しに行こう!」
「ん?あぁ、そうだね。ゴウンさん達も良かったらご一緒にどうですか?」
王と女神は顔を見合わせると、王は嬉しそうに答えた。
「是非お願いします!」
陽光聖典達へ自由にしているように言い、ニグン、コキュートス、パンドラズアクター三名を連れてアインズとフラミーは竜舎に来ていた。
「ほー竜からこんな風に鱗がとれるなんて初めて知りましたよ。彼らはただの移動手段ではない訳ですね。」
ティトとフラミーが楽しそうに鱗取りをしているのを眺めながら、アインズは繁殖用の
双子の情操教育に実に良さそうな光景だ。
そしてまだ本体は見たことがないが、ツアーの鱗は恐らく高額で捌けるはずと益体も無いことも考えた。
そろそろ竜王の一体や二体を素材に欲しい。
ドラウディロンの腕輪のような強力なアイテム作成は、大抵竜王が自分の親の亡骸から数十年の月日をかけて作成する事が多いらしく量産は叶わないようだった。
「古くなったものしか取らないんですけどね。ロイヤルエアガードに騎乗指導に行く時にこれも持って行って武器屋や防具屋に持ち込むんです。本当ここの生活は文字通り竜におんぶにだっこですよ。」
はははと声を上げるマッティになるほどなるほどと頷いた。
「パンドラズ・アクター、国ごとの特色や、部族毎に持つ文化は無形文化財としてきちんと残すようにしろ。調査隊を作れ。
恭しく頭を垂れるパンドラズ・アクターと、ニグンの感嘆を聞いて、今のは実に王様らしい物言いだったかも知れないとアインズは我ながら感心した。
近頃の勉強の成果が出てきているようだった。
今日からしばらくは先生役の悪魔が不在のため勉強会は休みになったが、きちんと日々復習は重ねなければいけないと心のメモに書き留める。
「ゴウンさんは身なりから言って高貴な方だとは思っていましたけど、摂政会に勤めているんですか?」
「まぁ大体そんな所です。ミノタウロスの所に行くのも国の用事半分ですね。」
「お役人さんは大変ですね。あれは人を食うから恐ろしいでしょう。」
いやいやと応えていると、フラミーとティトが鱗取りを済ませたのか手をつないで戻ってきた。
仲睦まじい姉弟のような様子にアインズはほっこりした。
「私ここの生活すっかり憧れちゃいました!」
アインズへ楽しげに話しかけるフラミーの隣でティトは苦笑した。
「ここには何もありませんよ。僕はいつか街に出たいんです。」
「何でですか?ここには美しい空と土があるって言うのに。」
フラミーらしい、いや。リアルを生きた人らしい感想だとアインズは思う。
ティトは思いもよらなかったとでも言うような顔で「美しい…空と土…。」と繰り返していた。
「ティト。お前にはまだ難しいだろう。それは失うまで気付ける物ではない。」
それを聞いたマッティとティトは一瞬惚けた。
「ゴウンさんもフラミーさんも、何だかすごく長く生きてるみたいですね。いや、フラミーさんは
「いえ、ちっとも。」
フラミーのまるで飾らない言葉にアインズは笑った。
一行は蟻塚のような石塔を降りて行くと、ホール状に少し広くなっている所に出た。
そこには何処かで見た事がある気がする巨大な竜の像が置かれていた。
「…この竜は……。」
アインズが竜の像を見上げていると、フラミーの手を離したティトが近寄って来た。
この弟は自分がアンデッドだと知っている為いつそれを暴露するかと冷や冷やする。
マッティに名乗った時も不敵に笑っていたし、せっかく自分を人間だと信じ込んでいるマッティとはあまり一緒に居て欲しくない。
最悪タイミングを見計らって記憶をいじろうとアインズは決めた。
「ゴウン様、これは竜神様ですよ!竜神広場は石塔にひとつはあるんです。物凄い力をお持ちなんですよ!」
普通の観光案内にホッとする。
「竜神か。力を持つと言う事はこれは実在するのかな?」
「はい!竜の谷に今も眠っていると聞きます!」
ほう、とアインズが言うと、マッティもティトを補足するように口を開いた。
「昔々この街を邪神から救ったと言い伝えがあるんです。以来ここは竜神様を祀り続けています。生活も竜に支えられていますしね。」
アインズは目を細めて顎に手を当てた。
「でも竜神様は数百年に一度しか目覚めないらしいんで僕達も見たことはないんですけどね!」
「アインズさん、その竜危険なんじゃ…。」
フラミーは近寄ってきて小さな声でそう告げると、不安げに見上げて来た。
「…大丈夫です。始原の魔法は全ての竜達から奪ったんですから…。」
アインズはフラミーの肩に手を乗せながら、妙な既視感に竜の像から目を離せなかった。
すると、アインズの脳裏に一瞬チカッと見たこともない景色がよぎった。
巨大な黒竜が怒りに荒れ狂っている姿が――。
(…なんだ今の。)
アインズが頭を振っていると、地面がゴゴゴゴ…と言う音とともに大きく揺れだした。
「わ!まただ!!兄さん!!」
「ティト!急いで竜舎に戻るぞ!!すみません、俺たちはちょっと竜の所に行きます!」
兄弟が慌てて走って行くのを見送ると、アインズは肩に乗せた手でそのままフラミーを自分の胸の中に引き寄せた。
天井や壁からパラパラと埃や砂が落ちて来て、竜神に祈りを捧げに来ていた人々が悲鳴を上げる。
地震に慣れている日本人二人は真剣な顔はしているが怯えている様子はなかった――が、揺れは更に激しくなり、立っている事も難しくなっていった。
パニックになりかけた人々は床に伏せて頭を抱えていた。
建物の高い場所程揺れると言うのは日本人なら当たり前に思い付く事で――地上がどれ程の揺れかアインズは冷静に考えていた。
すると何かに亀裂が入りバキバキと割れて行く激しい音が外から聞こえ出し――次の瞬間、地響きを伴い巨大な何かが落ちる爆音が響いた。
フラミーは音に肩を震わせるとアインズの腕の中でギュッと目をつぶった。
その音は外で何が起きたのかをすぐに人々にわからせたようで、更に悲鳴が上がった。
「耐震設計されているわけがないか!」
悪態を吐くと揺れは徐々に収まり出し、アインズはフラミーの上に少し掛かった砂埃を払った。
「平気ですか?フラミーさん。」
「は、はい。音はびっくりしましたけど、私はぜんぜ――」
覗き込むようにしていたアインズと、見上げたフラミーの鼻がぶつかりかけると、二人はサッと離れた。
「父上、外の様子を見に行きましょう。」
「あ、あぁ。そうだな。」
冷静なパンドラズ・アクターに頷くと、五人は近くにある穴へ向かい、外の様子を見た。
そこでは立ち並ぶ石塔がひとつ、真ん中でポキリと折れて広場に向かって倒壊していた。
そこには多くの人間と
「あー…もったいない。」
アインズはせっかくここ独自の文化と景色があったと言うのに目の前の惨状にガッカリした。
「神よ!聖典の無事を確認して参ります!安否確認が済み次第、街の人々の救助の御許可を!!」
ニグンの声にアインズは頷いた。
「行け。私達も下りる。救出劇だ。慈悲深い魔導国を見せ付けてやれ。」
力強い返事を残すとニグンは駆け足で立ち去っていった。
アインズ達が
しかし殆どの者は即死だろうと思えた。
何万人が死んだか解らない大惨事を前にアインズは自分の国が少し心配になった。
「パンドラズ・アクター、我が国の建物の耐震性能はどうだ。」
落ち着いた様子でそう言うと、息子は頭を下げて何か資料を取り出した。
「全ての木造物件には耐震、耐久力を増す筋交いが入っております。石造物件は柱のスパンに決まりを設け、更に制震装置を義務付けてあるので恐らく問題ないかと。」
「全く素晴らしいな。誰だそんな事を提案したのは。」
「は、流石にございます。父上。」
アインズは鎮静された。
「……竜王国が心配だ、デミウルゴスに繋いで向こうの様子を聞け。最悪ペストーニャとルプスレギナを出すことを許可する。」
アインズの言にパンドラズ・アクターは頭を下げてからこめかみに手を当てた。
「コキュートス将軍閣下!!」
陽光聖典が集まったのかニグンが駆けてきた。
「全員無事カ。」
「二名軽傷、五名重症、三名が死亡しました!」
「ナニ。ソレデ死体ハ。」
「ございます!!」
それを聞いたフラミーがコキュートスの下に駆け寄る。
「コキュートス君、回復と復活を。」
「フラミー様、申シ訳アリマセン。オ願イイタシマス。」
「いえ。アインズさん、私ちょっとそこまで行ってきます!」
「頼みます!パンドラズ・アクター、竜王国はどうなんだ。」
アインズはフラミーを見送ると、こめかみから手を離したパンドラズアクターがすぐに状況報告を行なわず、何かを考える様子から向こうの惨状に想像がついた。
「父上…それが…。」
「仕方あるまい。元から殆ど崩れていた街だ。どれ程の死傷者が出た。」
アインズはやれやれと頭を振った。
「いえ…竜王国は…揺れていないと…。」
「何だと?バカな。あれ程の揺れだぞ。」
「…しかし…。」
確かに揺れていないとでも言うような雰囲気に、アインズは少し悩むとつぶやいた。
「……震源が浅く近い…。プレートの擦れから発生した揺れではないと言うのか…。」
アインズの背筋を冷や汗が流れた。
次回 #17 始原の実験
不穏な空気が流れ始めてる…やだよぉ…。
もう少しほのぼのしようよぉ…。
> バハルス帝国の南西に珪岩で出来た巨大な石の柱が立ち並んでいる場所があり、そこに無数にある洞窟内でワイバーンを飼い慣らしている人間種とおぼしき者達が部族を形成している。
だそうですぞ!
皆さんの中のライダーの集落はどんなでした?
https://twitter.com/dreamnemri/status/1140833221359202304?s=21