「貴様!!なんて者を連れてきたんだ!!」
敵の消えた謁見の間で赤マントは深く頭を下げたまま叱られていた。
「申し訳ありませんでした!!」
「お前達の昇格は無しだ。いや、ミノス!!お前は降格だ!おい。マントを剥がせ!」
「お、王よ!お待ちを!!王であればあんな者達を殺すことなど容易かったはず!!」
賢王は未だ拭いきれない冷や汗の中ミノスと呼んだ赤マントを見つめた。
「…それは当然だ。」
「我らを守る為に奴らを迷宮に落としたとは言え、まさか殺されそうになった訳でもないのにご無体な!!」
赤マントは必死だった。
この男は何としても上り詰めなければいけなかった。
家で待つ母のため。
「…ッチ。その通りだ。次は許さんからな。降格も無しだ。行くぞ弟者。」
王は吐き捨てると弟と共に下がって行った。
赤マントは額の汗を拭い少しおどけたように呟いた。
「…ひゅーあぶりーあぶりー…。」
「り、リーダー。あいつらは一体何だったんですか…?」
「知るかよあんなバケモノ。ありゃ賢王でも無理だ。ま、迷宮落ちしたんだ。生きては出られんだろ。」
赤マントは副リーダーと部下達を連れて謁見の間を後にした。
外にはもう夕暮れが訪れ始めていた。
「今日はもう帰るか…。馬も無し、昇格も無し。とんでもない一日だったな。」
「本当ですねー。」
ハハハとミノタウロス達は笑い合った。
「気晴らしに飲みにでもいくか?」
「あ、俺は少し用事があるんで。」
「そうか。じゃあ、また明日な。」
赤マントは一人帰路に着いた。
先ほど感じた命を絞り取られるような感覚がまるで嘘だったかのように街はいつも通りで、平和的だった。
知り合いと軽く手を張り合い、別の班の者に頭を下げられたりしながら進む。
家につくと途端にほっとする。ミノスは玄関をくぐった。
「母さん、ただいま。」
「坊や、お帰りなさい。早かったね、ご飯できてるわよ。」
「ははは、坊やなんて歳じゃないよ。」
ミノスは照れ臭そうに笑うと年老いた母親と軽く抱き合い、マントや装飾品を外した。
母親はキッチンに戻るとその日のシチューを皿に盛りながら背中越しに愛する息子に声をかけた。
「今日、お隣の奴隷だった子が粗相をしたって屠殺場に送られたわ。」
「…そっか…。」
「それで、ご主人が精肉できたらお裾分けしてくださるって…。」
「何だって?困ったな…もう庭に埋めてやれる場所もないし…。」
この親子は国内で最も流通している人肉を食べはしなかった。
息子は一度でも口にすればその味を忘れられないだろうと匂いを嗅ぐだけでわかっていた。
この国では人以外の肉はあまり需要がないため流通量も少なく非常に高価だ。
世の奴隷達は、屠殺した後に肉としては売れないような屑部分を肉骨粉にし、腸詰めにした物を大抵食わされていた。
口だけの賢者によって奴隷階級まで引き上げられた人間達は、賢者の崩御と共に奴隷と家畜に分けられた。
賢者は一度人間を口にし、あまりの美味さに目を剥いたが、二度とその肉を口にしなかったらしい。
日々食いたい食いたいと苦しみに転げながら。
何故賢者がそれ程頑ななまでに人間を口にしなかったのかは未だに謎だが、当然それだけうまい人間達をミノタウロス達は決して忘れる事など出来るはずもなかった。
当時、人間の家畜制度が廃止され奴隷制度が立ち上がった時には大量の闇市と人間狩り、奴隷攫いが横行していた。
今ではすっかり家畜が再び世に出回ったので闇市や奴隷攫いは落ち着いたが――奴隷を繁殖させ、ある程度教育することはコストがかかるため、未だに近くの人間の村では人間狩りを行う事がある。
とはいえ、派手な真似はできない。一番近くの村は強力な
まれに暴れ回る者もいるが。
ミノスがしばらく母と二人で食事をとっていると、家の扉をノックする音が響いた。
急いで机に並べられていた母親の食事を部屋の隅の床に置き、母親は床に座り直した。
「誰だ?食事時に。」
母親の
「――リーダー、忘れもんですよ。」
「あ、あぁ。そうか。ありがとよ。これこそ王に捧げるべきだったな。明日もっていくか?」
副リーダーがわざわざ持ってきたそれは白い蕾だった。
「はは、確かに。でも――」
副リーダーはキョロキョロと辺りを見渡してから小さな声で言った。
「お袋さんにいい土産じゃないですか。黙っておきますよ。さ、受けとって」
半ば無理に蕾を渡すと、副リーダーは「じゃ、俺はこれで。」と話を切り上げた。
床に座り奴隷として正しい過ごし方をする人間の母親に、副リーダーは軽く頭を下げて立ち去って行った。
ミノスはいい部下を――いや、いい仲間を持ったと亜人の女から落ちた蕾を眺めながら思った。
「賢者を称えて人肉食をしない」とミノスはずっと偽って来たが、副リーダーにだけは真の理由を話していた。
自分は人の子だから、それを食えないと――。
稀に賢者食と呼ばれる食事をする者たちはいたが、その出汁が出ているスープや血にすら手を付けないのはかなりの異端だった。
ビーストマンとの戦争に出ていた時は人肉の兵糧が出されていた為に、協力者がどうしても必要だった。
副リーダーにならと真実を話し、以来ミノスは副リーダーに助けられながら過ごして来た。
まだリーダーではなかった時から、二人は二人三脚で昇格を重ねた。
ミノスは力強く優しい男で、何より信心深いと王達にも大層気に入られていた――はずだった。今日この時までは。
扉を閉めると母の食事をテーブルに戻して、ミノスは気恥ずかしそうに蕾を母に渡した。
「これ、母さんに。」
「こんな高価そうなもの、どうしたの?」
「あー…今日会った亜人から貰った。綺麗だろ。」
「売ったら食費になるんじゃ…。」
ミノスは苦笑した。
確かに人間以外しか食わないこの家の家計は常に火の車だ。
しかし――
地下室で匿われるように生きた子供時代。
少年の世界の全ては母親だった。
腕の立つ旅人に全てを奪われそうになった時、少年は一番大切な物だけを持って逃げた。
「いいよ。母さんにあげたいんだよ。」
そういうと優しい息子は食事を始めた。
母親はそんな息子をしばらく見つめてから、自分の耳にその美しい蕾を掛けた。
小さな家で匿われるように生きる今。
母親の世界の全ては息子だった。
腕の立つ旅人に全てを奪われそうになった時、母親は一番大切な物だけを持って逃げた。
「ありがとうね。」
強制転移させられた一行は幅員三メートル程度の通路にいた。
道はあちらこちらに続き、どう見てもそこが迷路だと物語っている。
壁は四メートルほど上の天井までぴっちりくっついていて、果たしてそこがどんな広さの場所なのかも分からなかった。
「ッチ。失態だ。」
「父上、ここは…。」
パンドラズ・アクターは掛けられた茶番の縄を払って床に捨てながら尋ねた。
「おそらくさっきの宮殿がギルドの地表部だ。ここは地下階層だろう。」
ナザリックであれば別々の場所に送られるが、幸運なことにそこには全員がいた。ある意味親切だ。
コキュートスも縄を千切り、不要だとは分かっているが――アインズの腕の中でそのままでいたフラミーの縄を解いて落とした。
フラミーはコキュートスに軽く礼を言うと手首を撫でて、後ろから自分を抱いているアインズを振り返るように見上げた。
「あ、あの…ごめんなさい…。」
「なんで貴女が謝るんですか?俺が早まったせいですよ。」
アインズはフラミーのお団子をモスモスと押した。
しかしフラミーは不安そうにもう一度謝った。
「でも…すみません…。」
「フラミーさんのせいじゃないですって。それより、口、大丈夫ですか?」
フラミーは日本で暮らしていて"殺気"や"力"なんて物は一度も感じたことはなかったし、当然この世界に来てからも一度もそういうものを感知したことはなかった。
しかし、あの時フラミーは確かにアインズから出た激しい力を感じたのだった。
腕輪に呼ばれたユグドラシルの激流の如き力を前にフラミーは凍りついた。
確かにツアーの言う通り力はいつか人を変えてしまうかも知れないと。
「フラミーさん…大丈夫ですか…?」
思考に没頭しかけると、いつもと変わらないアインズがフラミーの頬に触れて様子を覗き込んでいた。
「あ、アインズさん!いつまでも優しいあなたでいるって誓ってください!」
フラミーは体の向きを変えて、アインズの肋骨に両手をついて縋るようにそう言った。
「え?俺はいつまでも変わりませんよ。そんな事よりも口――」
「で、でも…さっきのアインズさんは…。」
口なんかどうでも良いとでも言うような雰囲気のフラミーに、アインズは少し考えてから尋ねた。
「…もしかして俺、怖かったですか?」
「…はい…。」
「ご、ごめんなさい。俺、つい…。」
アインズは小さくなったように見えるフラミーを抱き締めて翼の隙間に入れた手で背中をポンポン叩いた。
近頃ではもう翼の付け根がどこにあるのかすっかりわかるようになっていた。
アインズがフラミーを慰めている横でパンドラズ・アクターは敵を探そうとスキルを用いてあたりを探っていた。
「パンドラズ・アクター、どうだ。」
「…敵どころか、生きている者は何もいないようです。トラップもありません。」
「そうか。トラップは金がかかるから切ってあるんだろう。よくやった、もう元に戻っていいぞ。」
息子は頭を下げるとくるりと回りながら卵頭に戻った。
「こんなことにはなったが…拠点の存在が確認できたのは収穫だ。後はギルド武器だな。<
しかし何も起こらなかった。
「なに!?では<
しかし何も起こらなかった。
アインズは呪文が発動しないことにナザリックの玉座の間を思い出した。あらゆる転移を阻害する玉座の間は
「…思ったよりタチが悪いな…。」
かつてナザリックに攻め入った千五百人がここにいたなら、お前の言えた義理ではないと思っただろう。
フラミーは腕の中からアインズを見上げた。
「あの、私悪魔達を出して出口を探させます。」
「あ、そうですね。お願いします。」
アインズから少し離れたフラミーは両手を前に突き出し、
「<悪魔召喚>。」
しかし、悪魔が出てくる様子はなかった。
「そんな、じ、じゃあ<
「…余程ここのギルドは性格が悪いようだ。コキュートス、やるぞ。」
アインズとコキュートスは近くの壁を触った。
「ハイ。ヤッテミマショウ。」
「<
魔法は壁に吸い込まれるように消えていった。
すぐ隣でコキュートスが繰り出した剣戟は、激しい音を鳴らしたが壁に傷一つつけずに弾かれた。
「アインズさんの<
「…いや、
「えー…そう思うとここに恐怖公さんや眷属が居なかっただけ作った人は優しいんですか…?」
「………そうかも」
アインズはようやく、ほんの少しだけナザリックの作りを反省した。
次回 #25 蕾
この親子、フラミーさんの物盗んで生き延びられる気がしない!!
ようやく次回ははむはむチュッチュを目指しますですよ。(え