怪奇大作戦 in IS 作:恐怖の町
血の玉
「な、なんだよアレ!?」
「もう、ツイてねーな!!」
「とにかく、逃げるぞ!」
顔を汚し、時折恐怖で腰を竦ませながら、それでも迫り来る何かから生き延びるために逃げる二人の男。二人とも髪をボサボサにして、所謂チャラいと呼ばれるような格好をしていたのだが。真夜中、雑木林の中を駆け、木の枝を避けて、鬱蒼とした茂みを潜り、一心不乱に走り続ける。空はまるで、粗大ごみの不法投棄を行っていた二人を許すまいとばかりに雷が鳴っていた。
「かんちゃん! 今何処にいるの!?」
「先回りした! 監視地点から東へ3キロ!」
別の場所では、ある物を追い続ける女性が二人。水色の髪に赤い目。眼鏡をかけた、平均的な背丈をした少女と、うっすら赤いツーサイドアップに垂れた目をした少女。それぞれ別の場所にいて、ISのプライベート・チャネルで通信を行っていた。水色の髪の少女はプライベート・チャネルの機能の一つである相互位置確認操作をオンにして、位置を知らせる。
しかし、彼女がまだ二人を確認出来ていない内に男の内の一人が落ち葉の絨毯に足を滑らせ、無様に転倒してしまう。振り向くと、透明な球体のようなものがすぐそこまで迫り。
「おろろぅjdfldんをsっd」
透明な何かに襲われ、飲み込まれたと思えば、その瞬間に透明な何かは、真っ赤に染め上がった。悲鳴を上げようにも、上げることも出来ずに、その男は球体に取り込まれて成す術もなく蹂躙されていく。球体が男から離れると共に、彼は倒れてしまった。
それを見て、もう一人の男は腰を抜かし、腕を必死に動かして藻掻く。四つん這いになりながら、必死に助けを求めた。似つかわしくもない金切り声を上げる。
「あっ、あっ、あっ、アアァッ! たっ、助けっ!」
「こっち! こっち! ……っ!?」
その声を聞いて、少女が茂みを抜けてその場に駆けつけることに成功した。が。
「ヒッ!? ヒッ……ギャアアアアdkgんぢsんfxlんfksk………」
しかし、それは一足遅かった。男は少女に手を伸ばそうとしたが、赤い球体に飲み込まれてしまう。
「……………」
男を貪る赤い球体に竦み、少女は目を見開いてその様子を見ることしか出来なかった。
それが何秒か何分か、少女には分からなかったが、暫く経ち、赤い球体は男を吐き出した。
それを受け止める少女。
「キャアアアアアアアアアア!!」
男は、目がくり抜かれ、緑色に干からびていた。
翌朝。
警察の手によって灰色のシートの上に遺体は横たわっており、周りでは警官が物々しく作業をしている。また、後から殺されたとされる遺体────先に殺されたらしい方は、遺体の損傷が激しく、全身がシートで覆われているが、こちらは緑色に萎んだ身体が露わになっている────では、女性が、それの足を持って、まるで気持ち悪いものを見るような目(といっても、一般人が見れば吐き気を催したり失神する程の気持ち悪さではあるが)をしていた。
水色のショートヘアに赤い目をした、こちらは長身の女性。まるでフィールドワークにでも行くような格好からは、彼女のスラッとしたシルエットが伺える。また、黒いリュックを背負い、腰には扇子が差さっていた。
女性が足を眺めていたら、男性刑事の一人が近づいて、やめるよう促した。どう見ても警察の人間ではない者が遺体を素手で触っているのだ。警察には事件解決のために、事件に関係のあるものを押収し、管理する義務と権利がある。つい先日転属してきた頭の固そうな新人である男性にとって、目の前の女性は、傍から見れば捜査を妨害しているとしか見えなかったのだ。
「貴方! ちょっと何してるんですか?」
「ねぇこれ、酷い水虫だと思わない?」
「はい?」
迷惑がる刑事を他所に、遺体の率直な感想を呟いたと思えば、手を招いて、共感を求めてきた。警官が困惑していると、遺体の足を置いて、立ち上がる女性。
「貴方が、新しい人ね? 私はSRIの
妖艶な笑みで挨拶する、楯無という女性。腰につけていた扇子を開くと、扇面に『お見知りおきを』という文字が記されていた。
また、警官は『SRI』という文字を聞くと、すぐさま態度を返し、挨拶を行う。
「あっ。本日付けで警視庁SRI担当になりました、
「宜しくね♫」
葛城には、彼女はとても不思議な……、いや、奇妙な人だと思われているに違いない。葛城は応対に困っていると、胸を扇子で突かれた。
「千冬さんは転属かしら?」
「いえ、織斑さんの下に自分がつきます」
「ふーん」
楯無はそう流すと、再び遺体の足を観察し始める。
「あっ、あ、あの、触るなら手袋をつけて下さい…………」
ブスッ
「ちょっと!」
葛城が注意し終える瞬間、楯無は扇子からペンのような物に持ち替え、遺体の足に勢いよく刺した。
勿論葛城は仰天する。
とそこへ、とても固い顔をした女性が割り込んできた。目は細まって、まるで他人を見下すかのような形相をしており、黒髪のセミロングには、中途に髪を束ねた痕のようなものがついている。真っ黒なスーツは身体のラインを強調するかのようにピチピチでセクシーなのだが、鬼の形相が全てを打ち消している。
「葛城。何を騒いでいる」
「織斑さん。この方が、素手で遺体を触った上に、鑑識の許可も無く、変な器具を………………」
「あら、手袋はしているわよ」
ニヤッとした笑みで楯無が反応すると、彼女自身の手首より少し下あたりをつまみ出した。すると、ペリペリ……という音と共に、薄皮のような物が剥がれ始めた。特殊なゴム繊維で出来た手袋である。
「あっ」
「直径1マイクロメートルのステルス注射針よ。ISのハイパーセンサーでも検出出来るか出来ないかってところね」
「……優秀なのは承知しているが、今回もまた犠牲者が出た。これではSRIに捜査協力をしている意味、あると思うか?」
痛いところを疲れたか、楯無の声のトーンが下がる。
「監視していたエリアに現れたんだけどねぇ……。あと一歩だったのに」
「カメラには逃げていく被害者しか見えなかった上、目の前にいながら助け損ねるとは」
楯無はバツが悪そうに唇を尖らせる。確かに監視していたとはいえ、対象を逃して、更に犠牲者まで出してしまうとは失態だ。
「でも、君たち警察だって何も出来ていないと思うんだけどな〜」
不意に楯無の後ろから歩いてきたのは、足場の悪い雑木林の中であるにも関わらずダボダボの服を着た、垂れ目の少女。
その言葉を聞いて、千冬は本音のこめかみについたSRIインカムに向かって、ググッと顔を近づけた。SRIインカムは、SRIのメンバーが企業訪問等失礼がある時を除く外出時に情報共有のために全員右こめかみに装着している。トランシーバーとしての役割以外にも、小型カメラも内蔵されており、現場の情報をダイレクトに事務所に伝えることが可能だ。
千冬は、その映像を見ているであろう人物に向かって一言文句を呟く。
「虚」
そのカメラの先、SRIの事務所にある、一台のデスクモニターの前に座る三つ編みの女性、
「礼儀を知らない人たちでごめんなさいね」
一方、カメラを睨み続ける千冬。
「……千冬さん、顔近すぎだよ〜」
まだ怒りは鎮まっていないのは目に見えているが、千冬は顔を離す。
「それで、被害者は?」
「若い男二人。粗大ごみを捨てるために、森に入ったみたいだわ」
「また同じ手口ですか? お嬢様」
「ええ。《》全身の体液を抜かれてミイラ化している《》わ。でも、今回は、以前と違う状況が三つ」
その言葉を聞いて、千冬と葛城、そして本音が顔を楯無へと向けた。
「一つ目。犯行は監視エリアで起きた」
「でも犯人は、監視カメラには映っていなかった」
「そうね。二つ目。生存者がいる。凶器がウイルスやガスの類なら…………」
「そこにいた
楯無は無言で頷く。簪は、楯無の妹だ。
本来プライベート・チャネルは、声に出さなくても相手と意思疎通が出来るものなのだが、簪へ遺体が投げ捨てられた時、簪の心は恐怖で染まったのだろう。心の中まで絶叫が支配したのだ。
「かんちゃんはまだ意識不明で、急性の脱水症状みたいだから、命に別状はないみたいだけど…………」
「本音。簪ちゃんは大丈夫だから、貴方は捜査に集中しなさい」
「三つ目。遺体の内の一つが、完全にはミイラ化していなかったわ。残った水分は明らかに細胞内液だった」
一通り報告し終えた楯無に、今度は別の
「たっちゃん」
「はい?」
「遺体の周りの土や石も採取しておいて」
「分かったわ」
紅茶を片手に、虚の側に現れた一人の男。縦にうっすらと白いラインの入ったスーツを着て、モニターを覗き込んでくる。その長身青年を、牧史郎といった。弱冠16歳の少年である。
「……どうして紅茶は私の口に合わないのだろうか」
牧は、紅茶を一口飲んだ後に、そう呟いた。
事実、SRIの中心メンバーは、五人の高校生で構成されている。更識姉妹と布仏姉妹、そして牧史郎。虚は高校三年生、楯無と牧は高校二年生、簪と本音は高校一年生という若さだ。何故このような若者がSRIのメンバーなのかは、彼らの『家』と、SRI誕生について語る必要がある。
彼らは元々(今もそうだが)、暗部『更識』の人間である。更識家は、代々『楯無』の名を襲名しており、世界の裏でヒシヒシと動いている組織に対して目を光らせ、対処している対暗部用暗部である。布仏家は更識家を支える分家である。牧史郎も訳あって今は更識家に住んでいる。
しかし、そんな彼らは今、特殊な科学犯罪の調査を余儀なくされている。それもその筈、その犯罪の技術が第三者の手に渡ってしまえば、更に大勢の人間が死ぬ可能性があるからだ。また、現代において最強の兵器と称される、『インフィニット・ストラトス』通称『IS』に技術転用でもすれば尚更である。
現に、SRIが調査にあたった『氷の死刑台』事件において、相性の悪さや限定的な状況下があったものの、犯罪技術にISが敗北しているのである。世界の抑止力でもあるISの敗北は記録から抹消されたが、事実は覆ることはない。
この状況に危機感を持った日本政府は、暗部に犯罪技術の漏洩防止を求め、楯無を中心とする『特殊科学捜査研究所』通称SRIが生まれたのである。その頃更識家では、現楯無の高校入学、そしてロシア国家代表就任を契機に、十七代目からその座を譲り受けていた。そのため、彼女が信頼する者達が集い、結果として少年少女の集まりとなったのである。
時は過ぎて、SRIのラボ。
光源はホワイトボードに向けてある古いLED照明だけの暗い部屋で、白衣に身を包んだ牧が、現場から採取したある物をポリ袋に保管した物を持っていた。周りには虚と楯無が腕を組んで考えていた。
「予想通り、たっぷりと浴びていました。細胞内液、骨髄液。そして……尿」
「蝉みたいに、逃げる時に、おしっこしていったということね」
「ああ。身を軽くするために余分な物を捨てていったんだ」
「じゃあ、目的は…………」
「おそらく血液です」
牧がそう言いながら、事件の概要や憶測等が書いてあるホワイトボードの前に立つ。そして、被害者達の写真を指さしながら、こう言い放った。
「
事実、被害者は全員、明確な共通点が無かった。
「年齢性別は問わないようね」
虚が不審がる。勿論、どうしてこのような無差別的な犯行なのか(勿論、そう決まった訳ではないが)楯無も気になっていた。
「それに、血液型に拘ってないところも引っかかるわね」
被害者の写真の下には簡単なプロフィールがあり、その中には血液型も書かれている。ボードの右上に貼ってある男はAB型だったのだが、真ん中辺りに貼ってある女性はB型。他もバラバラであった。
「簪ちゃんは、美味しそうに見えなかったってこと?」
「え〜? もし私が犯人だったら簪ちゃんなんて迷わず食べちゃうわよ?」
「……簪に直接聞く必要がありそうですね」
「おーい、マッキー」
牧がそう言うと、丁度いいことに、本音から連絡が入った。三人はホワイトボードの向かいにあったパソコンのモニターの方へ振り返る。本音は簪から証言を聞く為に病院へと向かっていたのだ。
「かんちゃんの意識、戻ったよ」
「良かった…………」
楯無は胸を撫で下ろす。
「中継に繋ぐよ」
本音はこめかみのマイクを、ベッドで寝ていた簪の方へ近づけた。モニターには簪の顔が大きく映っている。
「かんちゃん、起きて!」
ゆっくりと目を開ける簪。そして、まるで死に際の言葉のように、一句一句区切って話し始めた。
「赤い……大きな……血の玉が…………男を……飲み込んだ」
血の玉。その言葉に、一同は眉を潜める。
「血の玉?それが……犯人?」
楯無が喋ろうとするが、その謎の存在を前に、肉迫出来ずに言葉が詰まってしまう。
「赤い……大きな…………玉だった」
「前回の現場でも、赤いUFOを見たっていう目撃証言はあったんだけどね……」
と、後ろで腕を組んでいた医師が口を挟む。
「患者さんの体内からはLSDに似た成分が検出されてます」
LSDは、リエグル酸ジエチルアミドの略で、非常に強烈な作用を有する半合成の幻覚剤だ。
「LSDなら、光や炎が代表的な幻覚になりますけど……」
「犯人がLSDをばら撒きながら犯行に及んでるんじゃ、目撃証言も何も、当てにならないじゃない」
「そもそもそんな物が飛んでいたとするなら監視カメラに映る筈なんですが」
ここで、暫く思考の渦中にいた牧が、口を開いた。
「そうだ。簪の足の裏を見せてくれ」
「え? はい」
「赤い……大きな……血の玉…………」
簪がボソボソと繰り返し呟いているが、本音は牧からの支持に素っ頓狂な声を返してしまう。どうして……と思いながらも、布団を捲り、足の裏をカメラに映した。
「………を、って何してるの本音」
「えっ!? 簪ちゃん水虫に感染してたの!?」
「あ…………うん。でも、軽微って言ってたから、直ぐに治るって」
「良かった……」
「お姉ちゃん、そんなに心配しなくていいって」
「それにしても、水虫……はっ」
虚は何か閃いたらしく、牧の方へ振り向く。男も水虫にかかっていた事を思い出す。
「男の足に体液が残っていたこととの関連を調べてみます」
牧はそう言うと、机に置いてあった、犯人が撒き散らしたらしい被害者の体液を内封したポリ袋を持って、楯無を読んだ。
「あ、たっちゃん。一つ調べて貰えないかな」
「ん?」
「吸血鬼の翼」
「え?」
「血の玉なんて物が飛んでいるならどうやって飛んでいるのか、そいつを解明したい」
「分かったわ」
その応答を聞くと、牧は部屋を後にした。
「おねーちゃん、私はどうしたらいい?」
「本音。犯人は、溢れた血液を垂らしていった可能性があるわ。飛行経路を特定出来るかも」
「了解」
本音はダボダボの服で敬礼をして、病室を出ていった。病室に残ったのは、ベッドの上の簪と専属医、そしてナースの三人。
「私は…………」
簪はそう言いかけようとしたが、医師に阻まれてしまった。医師はナースと共に、ベッドを治そうとしてくる。
「安静にしていて下さい」
「いえ、大丈夫ですから……」
そう言って起き上がろうとする簪。それを拒む医師。
「大丈夫じゃないから」
「治りました」
「治ってない」
「大丈夫ですから」
「いいから安静にしてなさい」
………………。
本音は二人の男が襲われた現場付近をぶらりと歩いている。その後ろには、特殊な懐中電灯とゴーグルをかけた葛城刑事が、這いつくばっていた。地面を青白い光で照らし、血痕を探しているのだ。
「ごめんねかっちー。こんなこと手伝わせちゃって」
「一刻を争う状況ですから。…………さっきから何やってるんですか?」
「ISのハイパーセンサーで血痕を探してるの」
「視認範囲を一気に調べられるなら、僕はいらないじゃないですか……ISって、便利ですね。でも女性しか扱えないだなんて」
「いやー? 意外といるかもよ?
ISは女性しか使えないからISなんだよ。ISを扱える男なんて、いる筈がないと、溜息をつく葛城。
「そんな夢のような存在、いる訳ないじゃないですか……。それにしても、赤い血の玉が犯人だなんて、本気で言ってるんですか」
「ウチの担当なら、先ずは常識を捨てた方がいいよ〜」
「非常識になれと?」
「あり得ない事が、当たり前のように起きるから、覚悟した方が良いと思うよ」
と、不意に本音が足を止めた。
「おっ!」
本音はハイパーセンサーを通して、苔のついた石の上にべっとりと付着した何かを補足した。言わずもがな、血痕である。
また、辺りも見渡すと、血液が付着している石が、まるで道標のように点在している。この血痕を辿っていけば、犯人に辿り着く事が出来るだろう。
「血痕! やっと見つけたぞ〜、犯人の足跡」
二人はその血痕を辿っていった。
ザザッ!
「「うわっ!」」
二人とも、血痕に夢中で下を向いてばかりだったので気配に気付かず、声を出して驚いてしまった。大袈裟に飛び上がる。
茂みの中から現れたのは─────
小太りの少年だった。
黄色い半袖のTシャツに、短パン。キャップを被り、虫籠と、虫取り網を持っている。今は夏真っ盛り。昆虫採集に来ていたようだ。
「何してるの?」
「ごめんね。今、お仕事してるんだ〜」
脅威でない事を確認した本音は、優しく話しかける。
「ゴミとか捨てちゃ駄目だからね」
少年はそう言うと、森の奥へ駆け出していった。虫取り網を振り回して、「やぁ、やぁっ」と叫びながら。あれではいつまで経っても採れないと、顔を見合わせる二人。
恐怖と隣り合わせなのも相まって、溜息が漏れた。
一方、SRI本部。
事務所の奥にある検索デスク───他にもパソコンはあるが、これだけは別物で、ハッキング用の設備が充実している───の前で、楯無は紅茶を飲みながら、マウスを動かしていた。画面には、英語で書かれた検索結果が羅列している。電灯も付いておらず、薄暗く、目は怪しげだった。
ピッ
「きゃっ?」
急に画面が変わった。覗き込むような牧の顔が大々的に映し出され、
「ラボへ、ご足労願えますか」
牧がパソコンに映し出したのは、菌の写真だった。
「白癬菌です。このタイミングで水虫にかかるなんて、簪は本当に運がいい」
「運がいいって……私の妹の事を馬鹿にしないでくれる?」
「とにかく、ヒントをくれました。流石です」
少し不機嫌な楯無を他所に、牧はホワイトボードに貼られていた写真の一枚、現状で最後に殺害されたと見られる男の顔写真を取る。
「男性の被害者も水虫でした。治療法の違いが生死を分けたようです。男性は塗り薬、簪は飲み薬」
「犯人は《》抗生物質が嫌い《》……ということかしら?」
そう楯無は言った。……が、牧は目線をモニターの方へ向ける。
抗生物質が嫌いという、犯人の特徴は分かったものの、凶器の特定には至らず。ラボにいる三人は頭を悩ませた。
しかし、この後事件は急加速することとなった。
血痕を探していた葛城と本音の二人。
ザザザザザザザ……
ドローンのプロペラの回転音とも取れる音が、段々大きくなっていく。それに先に気付いたのは葛城だった。
顔を上げる。
「ちょっと、あれ……」
葛城の目に映る『
いや──────移動している。
木の葉を撒き散らし、獣道に沿って移動しているのだ。透明な何かが。
「UFOかな?」
本音は首を傾げる。だが、顔は険しくなっていた。
嫌な気配を嗅ぎ取り、少しづつ後退りする。
「こういう時SRIはどうするんですか?」
葛城が問う。一瞬の間の後、いつもとは全く違った口調の、本音の言葉。
「逃げます」
「え?」
その瞬間、本音は元来た道を走り出す。いつもはとてもゆっくりとした動きしかしない彼女だったが、ダボダボの服を着ていながら、とても素早い。遅れて葛城も身を起こして走り出す。
後には、木の葉を撒き散らしながら迫る何かが。
『何か出たよぉ!』
本音の鬼気迫る通信がラボにいる牧と楯無、そして虚の元に入った。
ラボにいた三人は直ぐにパソコンに注目する。林道が映っているが、本音は肝心の何かに背を向けて逃げているため、牧達には何が出たのか分からない。
「血の玉か!?」
『いえ、血って言うか、見えない何かとしか………!』
暫くその見えない何かから逃走する二人。葛城が後ろを一瞥すると、それは駆動音と共に追ってきている。本音はまだまだ余裕そうだが、葛城は早くも息を切らしていた。
「かっちー、これに隠れよう!」
服のポケットから、銀色に光るシートを取り出す本音。それを人間二人分を覆える程に広げて、葛城に渡す。
「こんなのでどうするんですか!?」
「いいから、早く!!」
困惑する葛城を、茂みの奥に押し込み、シートを身体に被せて隠れる。僅かな隙間からその透明な物体を観察する。
と、先程までこちらを補足して追っていた
二人が一安心したのも束の間、
「今度は何してんの?」
子供の声。二人は目を見開く。
声の主は、先程出会った虫取り少年だった。
だが、今は、目の前にいる
少年は、
二人が
動き出した! 少年を補足し、彼の血を吸おうとしているのだ!
勿論それを黙って見ている訳にはいかない。
二人は飛び出した。
「僕! 逃げて!!」
葛城が叫ぶ。
一方、その光景を別の場所から見ていた男は。
「よせ! 何をやっている?」
白い防護服を着て、必死に操縦桿らしき物を動かすその男。カチャカチャと右に左に動かすものの、反応していないらしく。
目の前のモニターには、全身が白く反応している虫取り少年の姿。じわじわと大きくなっているのは、こちらから迫っているためだ。
「やめろ!? 言う事を聞け!!」
マスク越しの曇った声が大きくなっていく。
「え、なに、なに?」
本音は困惑する虫取り少年を押し倒し、葛城は二人にシートを被せた。
しかし、葛城は逃げ遅れ。
「うわっ!」
「うわああああああああああああsfkfkそdんfんfkっxsん」
「葛城さん!?」
シートに隠れた本音が、あだ名も忘れながら声をかけたが。もう全て遅かった。
「……………」
カメラから送られてきた映像に、ラボにいた三人も顔を顰める。
押し倒した際に膝でも擦りむいていたのか、少年は泣き喚いているが、誰もそんなことを気にする事は出来なかった。
血の玉が葛城から離れる。残っていたのは、体中の水分を吸いつくされてミイラ化した、葛城の遺体だけ。
本音は、目を見開きながら俯き、シートに隠れた。
その真っ赤な姿を表した血の玉は、何処かへ飛び去っていく。
そして、防護服の男は、身震いしていた…………。その目は、段々と狂気の果てに満ちて。
千冬は、懐から出した遺体の写真を、そっと机の上に置く。その遺体は、紛れもない。ついさっき殉職した葛城健二だった。
その写真を持って眺める牧。
「………………もう一度聞く。SRIに捜査協力している意味、あると思うか?」
千冬の中には、部下を失って相当たる怒りを秘めているのだろう。今、千冬は衝動を必死に押し殺している。彼女に強靭な心がなければ、すぐにでも牧に掴みかかり、その首を捩じ切っていたかもしれない。
千冬は、元IS操縦者にして、日本の国家代表であった。そして、
─────静かに怒りを露わにする千冬に対して、牧は表情一つ変えずに言った。
「凶器は、分かりました」
捜査の進展に、千冬は腕組みをし、目を細める。
「麦角菌。生存者からLSDが検出されたと聞いて、気にはなっていたんですが」
LSDは、一般的には人為的に化学合成を行うことで製造されるが、自然界にも極小数存在していた。
それが、麦角菌による誘導である。
「……確証は」
「少年の捕虫網から、ほんの僅かですが、キノコの菌糸のようなものが検出されました。彼のお手柄です」
「キノコの菌糸って?」
楯無が疑問を振りかけてくる。
「麦角菌の一種には、昆虫の体液を吸って成長するものもいる。一般には、冬虫夏草と呼ばれています」
「冬虫夏草が、犯人と」
「マッキー、でも、あいつからは、機械音がしてたよ?ラジコンみたいな」
本音はいつもの陽気な声で喋っているが、その傍らでは拳を握りしめていた。
「本音。君はあの時何故
「…………手持ちで一番絶縁性が高いのがあれだったんだよ〜」
「むぅ……」
その言葉に、牧は頭をほぐす。そのまま、ホワイトボードの前に立ち、書かれた字を消し始めた。
「恐らく」
左半分を真っ白にしたホワイトボードに、牧が黒いペンで何かを書き始めた。
「相手は赤外線カメラが取り付けられた機械だ」
凶器を簡略化した円を書き、その左下に棒人間───今は本音を表しているらしい───をつける。
「だから、サバイバルシートを被っていた本音は、相手に探知されずに済んだ」
今度は、円に毛を生やし始める牧。
「この機械には、冬虫夏草が取り付けられていて────」
赤いペンに持ち替え、棒人間に血を吸われた過程として、円へ伸びる矢印をつける。そして、円には周りに一回り大きい赤い円を描き、黒い円を覆うように塗りつぶす。
「コイツが、人の血を吸いつくして、────血の玉となる」
冬虫夏草を取り付けて、その作用で人の体液を吸い尽くす
「でも、……………………生きている人間から血液を吸い取る冬虫夏草なんて、本気で言っているのか?」
「専門家に聞いてみましょう。冬虫夏草の権威として、中国にまで招かれた人物です」
そう苦悶する千冬に対して、牧は一冊の本を取り出した。
『寄生菌類概論』。冬虫夏草のスケッチが表紙に描かれている本を千冬に渡す。
千冬が本裏表紙を捲ると、著者が写真付きで書かれていた。
『
「貴方が、牧史郎さんですか?」
椅子に座る初老の男性。メガネをかけて、趣深そうな顔をした左喜沢は、眉間に皺を寄せて喋り始めた。
左喜沢の研究所に、牧が自ら出向いていた。後ろには、警官のジャケットを着て、カバンを肩に背負った千冬が立っている。
薄暗いの部屋の壁には、趣のある振り子式の掛け時計。本棚にはレポートが挟まったファイルらしきものが並べられている。机の上には、紙の山や冬虫夏草と思しき標本が入ったペトリ皿。
簡単に言えば、よくある研究室というものだった。
「お噂は、お聞きしていますよ」
優しく笑みを浮かべる左喜沢だったが、その顔は、切羽詰まっているようにも、千冬には見えた。千冬の目は細まる。
「言われている事は、検討がつきます」
探り合い、儀礼的な挨拶。いや、左喜沢はバレないことばかりに集中しているな、と、千冬の目が光る。この人は犯人だと、彼女は確信していた。だが、足りない物があった。
「それで……?」
会話権が千冬に移る。きつくなっていた目尻を下げる千冬。
「中国のベンチャーで、具体的にどんな事を?」
「ああ。会社は新しい抗癌剤として、冬虫夏草を、認可させたかったんです」
「肝心の冬虫夏草は、乱獲で絶滅しかけている筈ですが」
「手に入らなければ、新しく作ればいい」
新しく作る。その言葉に、牧は内心ぎょっとした。そして、こう問いかける。
「自然の理を乱しても?」
しかし、左喜沢は、顔に影を潜ませながら、首を少し傾げてこう言った。
「自然? 人間も、自然の一部ですよね? なら、生命体の活動そのものが、自然の摂理の内ではありませんか?」
牧は、口に手を添えながら、窓へゆっくりと歩く。
「増して、それで人の命が救われるのであれば、すぐさま新しい種を見つけ、育て、繁殖させるのが……罪ですか?」
人の命は救って当然、と主張する左喜沢。
左喜沢の顔半分は、影で覆われて、とても不気味であった。対して牧は、窓の近くに置いてあった研究試料を一つ手に取って、こう返した。
「技術と知識があるのにそれを行わないのは、寧ろ罪だと、私も、思うことがありました」
「……まあ、残念ながら、西洋医学のテーブルに乗せうる程の効能は、生涯で出来ませんでした」
左喜沢は溜息をついた。
「会社の望む結論を出せなかった、か……」
またも左喜沢の乾いた息。やはり彼には、並々ならぬ、冬虫夏草に対しての思いがあるのだろう。この道を突き通さなくてはならない
「こんな報告では、事業計画が根本から狂うと、ご立腹でした」
と、いつの間にか、牧の目はその話題から逸れ、写真立てに注意を向けていた。本棚の一角に飾られたその写真を注視する。
「……何か?」
「お孫さんですか?」
左喜沢は、何も言わずに立ち上がる。そして、その写真を寂しげに眺め始めた。
左喜沢を含めた三人の男女に囲まれた、赤い服を着た少女。左のこめかみあたりに髪留めをして、とても可愛らしい。緑地公園で取られた写真らしく、芝生が広がっていた。
「可愛い、孫です」
その写真を眺める左喜沢の目は、牧にはとても苦しそうに見えた。
「由利新山で連続している殺人事件で、新たに犠牲者が出た。私の部下だ」
「と言いますと、刑事さん?」
千冬は無言で瞬きをした。
「お孫さんと同じくらいの子供を助けようとしてだな」
「こっ、子供!?」
子供。その言葉を聞いた時、左喜沢の顔に明らかな動揺が見て取れた。声は掠れ、目を見開き、血の気が引いていた。
「子供が、狙われたんですか?」
震えた声で喋り、よぼよぼと椅子へ戻る左喜沢。また、牧の目には、隋唐時代に描かれたとされるような絵画も目に留まっていた。
「この日本で、新種の冬虫夏草を作れる人物は他にはいません。それに、子供が狙われたと聞いた時、明らかに動揺していた」
研究室を退室した二人。牧は、これだけあれば取り上げられるだろうと千冬を説得するが。
「そんな曖昧な根拠じゃ、参考人にも引っ張れんぞ」
「任意同行でもいい」
「牧!」
千冬の一喝。ビクッとして牧は立ち止まる。
「私だって、出来る事なら無理矢理引っ張って尋問でも何でもすれば楽だ。だが、今の時代、それをするには必要な物が一つある。それは何だと思う?」
その問いに、牧は答えない。千冬に後ろ姿を見せて、突っ立っているのみだ。
「証拠だ。現代は、証拠がなければ人は動かん。冬虫夏草だけでは、あの飛行する血の玉は成り立たんだろう」
「確かに冬虫夏草は飛びません。でも、協力者がいたのなら……」
「仮にいたとしよう。教授を警察が引っ張ったとして、それが共犯者に知られたらどうなる?」
「…………更なる犠牲者を出す行動に駆り立てられる、か」
どのような毒が入っているか分からない入れ物を開けて手を突っ込むのと同じように、犯行が暴かれるのを恐れた犯人がどんな行動をするのかは安易に分かるものではない。
牧はその事実に唇を噛んだ。
「警察が動ける証拠を手に入れる事が、お前たちSRIの役目だ。それが出来る組織だからこそ、SR……」
ピリリリリリリリ!
不意に千冬の携帯電話が鳴った。すぐに応答する。
「織斑だ」
それから、数分間の沈黙が流れ。と、千冬が携帯をカバンの中にしまった。
「上からの通達だ。SRIに、これ以上の捜査協力は必要ないそうだ」
突然の無慈悲な宣告。無理もない。SRIが捜査に乗り出してからも、幾つも惨劇が繰り返されているのだから。それに、SRIの捜査によって命を落とした者もいる。そんな状況において、これは妥当な判断だった。
「失礼する」
千冬は、踵を返して歩いていった。キビキビとした足取りの彼女を、牧は物憂いそうに見つめることしか出来なかった。
しかし、そのくらいで捜査の手を引く彼らでは無かった。
SRI本部では、デスクワークを一段落させた虚が、軽く伸びをして、カフェカウンターへと向かっていた。先程まで、今回の事件の状況を整理していたのだ。
「肩が凝ったわねぇ……。まだ私、おばさんじゃないけど」
そう呟きながら、電気ケトルの電源を入れて、お湯を沸かし始める。
カフェカウンターは、牧のたっての要望だった。コーヒーにこだわる牧は、SRIの事務所を作るにあたって、楯無に頼み込んだのだが、紅茶にはこだわりがあったものの、コーヒーには全く無かった楯無が、カフェカウンターを作るなら紅茶専用にしろと、猛反発したのだ。この喧騒は、更識家で三日三晩続いたが、虚の『紅茶用品もつければいいじゃないですか』という、至極単純な提案によって収まったという話は言うまでもない。
────閑話休題、虚はSRIで一番苦労している人間と言ってもいい。普段から個性的なメンバーを纏め上げ、警視庁に事件の調査状況を逐一伝え、パイプ繋ぎに奔走する。それに暗部の仕事まで重なって、休息の時間は極端に少ない。
ピーッ
電気ケトルがお湯が沸いたのを知らせる。虚はそれを待ってましたと言わんばかりに電気ケトルを持ち、茶葉を入れておいたポットにお湯を注ぐ。
何分か経ち、紅茶をカップに注いで一口。
「さて、次は千冬さんに説得しに行かなくちゃね…………」
虚の仕事はまだ終わらない。
本音は、葛城刑事が殉職した場所から少し離れた所で、必死に血痕を辿っていた。手で触れない程虫が嫌いな本音だが、夏真っ盛りで、こんな茂みの中を四つん這いになりながら血痕を探していた。虫が嫌いという理由でこれから救える筈の命を無駄にすることは出来ない。葛城刑事のためにも。うっすらと開いている彼女の目には、火が灯っていた。
「かっちー、絶対に犯人をとっ捕まえてやるからね」
家の周りを木々に囲まれた、焦げ茶色の家。そこに、一台の銀色のセダンが現れた。数十年前、それこそ自動車といえばセダンやカローラが代表的だった時代もあったが、今やセダンを見かける事は少ない。
車から慌てて降りてきたのは──────左喜沢だった。額に脂汗が滲み出ている彼はそのまま家の門を開けて、家の中に入っていく。
その家の地下。そこでは、白衣を着た、三十代くらいの男が、ぼんやりと立っていた。彼のかけている眼鏡には、彼の目に移る異形の生物の姿を反射させて。
そこに、ドスドスという音に気付いて、男は階段の方を向いた。やって来たのは、左喜沢だった。彼は顔を真っ白にして男に顔を合わせる。
「あ! 松戸君!」
「あぁ、お義父さん。今度の
松戸と呼ばれたその男は、地下室の中にある強化ガラス一枚で隔たれた先にある、『
しかし、今の左喜沢にとって、そんなことは眼中に無かった。
「子供を狙ったと聞いた!」
それを松戸が聞くと、急に言葉に詰まり、下を俯く。
「いや……僕、止めようとしたんです。ですが、あの……あれが制御不能になって。まるであの、冬虫夏草が、意思を持って、マシンを乗っ取ったみたいに」
「そんな……、そんな無責任な言い訳が、通用すると思って「言い訳はしません」……」
「マシントラブルは許されることじゃない」
そう言って、松戸は
「見て下さい」
培養土から何本も太い柄を伸ばし、丸いイボのような物をつけた
「僅かですが、子供の血が含まれているこいつらは、今までとは比べ物にならない」
「まるごと全部子供の血だったら、凄いことになるかもしれないんです」
今回を起に、子供の血に新たな可能性を見出す松戸。
「ミキの治療が間に合うんです「松戸君!」」
「君はそれでも子を持つ…………親なのかね?」
松戸の両肩を掴む左喜沢。元は二人で始めたものだったが、左喜沢の心は大きく揺れ動いていた。どうして
「制御が効かないのは、機械じゃないんだ、君自身なんだよ…………!」
左喜沢の目から見ても、松戸は明らかに暴走していた。元々『いなくてもいい人間』に対して行っていたが、もう松戸には見境がなくなっていた。ただ研究のために人殺しをするというマッドサイエンティストと成り果てていたのだ。
「ここでやめる訳にはいきません。……やめれば、ミキは死んでしまう」
そう言って、松戸はゆっくりと歩を進める。その先には、彼の愛すべき娘の写真。
「アヤとの最後の約束なんです。この子だけは……僕らが救ってやらないと」
松戸の狂った意思に、左喜沢は、机の上のノートパソコンの画面をふと見やった。側に置かれているのは、黄色いガーベラの花と、あの家族写真。ミキが真ん中に写っている、研究室のものと同じ写真だ。
パソコンの画面には、『ちびっこ林間学校 キャンプ体験』と大きな見出しのあるホームページが開かれている。
左喜沢がすぐに察しがついたが。しかし、それを言い出す勇気など、彼には無かった。
義父の釈然としない顔を見ていた松戸だったが、特段焦りもせず、そっとパソコンを閉じる。お義父さんなら、分かってくれるだろう、と。
「…………分かりました」
「?」
「今まで通りお義父さんの仰る、『いなくてもいい人間』を、選びましょう」
「ああ……。頼むから、そうしてくれたまえ……。それからなんだか、警察が勘付いているようだ。次の『採血』はもう少し、様子を見てからにしよう」
「はい……」
「松戸君…………。くれぐれも「心配なさらないで下さい」」
「僕だって、子供が悲劇に見舞われた時の苦しみは、十分過ぎるくらい知ってますから」
その言葉を聞いて、左喜沢はおぼつかない足取りで部屋を出て行こうとする。自分達のやって来た事は、本当に良かったのか。ミキのために。アヤのためにも。こんな事をして良かったのか…………。
壁を伝いながら、階段を上がる。最後に、途中で立ち止まって松戸を一瞥した。
モニターの前の椅子に座り、先程閉じていたパソコンを再び開く松戸の姿が、そこにはあった。
左喜沢の懇願は、彼には届いていなかった…………。
コポコポと、昔ながらのサイフォン式のコーヒーメーカーが静かに音を立てる。
その様子を、カウンターの椅子に座りながら、牧はじっくりと眺めていた。
そんな時である。
「牧ちゃん。吸血鬼の翼、見つけたわよ」
「おっ」
待っていましたと言わんばかりに、椅子から立ち上がる牧。楯無は、大型ディスプレイに、とあるサイトの一ページを開いた。
ヴィィィィィィィン
サイト内の動画には、室内を縦横無尽に飛び回る、黒い球体の姿が。そして、サイトの左上を見るとそこには、誰でも一回は見た事のある、有名な会社のマークがあった。
「無人偵察機…………」
「開発を進めたのはNASA。大気のある土星の衛星タイタンでの船外探査用にと、開発を進めた技術が基礎となっているわ」
と、画面の中の無人偵察機が、不意に消えた。しかし飛行音はしている。牧は眉を少し上げた。
「最新型は光学迷彩の機能まであったわよ」
牧の中では、もう殆どのピースは集まっていた。足りないピースは、この凶器を手に入れうる人物、ないしはそのヒントのみ。
「これの開発に携わった日本人技術者はいるかな?」
「相手はNASAに委託された兵器メーカーですから、セキュリティが……」
楯無は肩を落とす。兵器メーカーともあれば、とんでもないレベルのセキュリティが課せられている事は、容易に想像がつく。その反対を突かれたケースもあったが、基本的に考えれば、兵器の情報が漏れれば、その分人の命が危険に晒されることもある。だから、絶対に盗まれないように盤石なセキュリティになっていることは、当然のことだった。
「それはそうだね……」
フゥ、と息をつく牧。あと一歩のところだったが、ここからではゴールへ辿り着くことは出来ない。どのルートを……。そう考えながらカウンターへ戻ろうとしたその時だった。
「だから、パッとは出ないわよ」
立ち上がる牧。振り返ると、楯無はニヤッと笑みを浮かべていた。
「私を誰だと思ってるのよ。暗部更識家当主、楯無おねーちゃんよ♫」
その言葉を誰に言っているのかは置いておいて、牧もつられてニヤリと口角が上がった。
「ちょっと待っててね」
そう言って、キーボードを叩き始める楯無。牧も、カウンターへと戻っていった。
作業は一段落し、後はプログラムがセキュリティを突破してくれるのを待つばかり。大型ディスプレイの前の机の前の椅子に座った楯無に、牧はコーヒーを振る舞った。
「ご苦労様」
「ありがとございます」
マグカップに入れられたコーヒーを両手で持ち上げようとする楯無。と、牧は小皿を用意して、その中に、角砂糖を入れた。
……三つも。
「砂糖三つも? 砂糖の摂り過ぎは毒にしかならないわよ」
「過剰摂取が毒になるというのは、塩も同じなんだが……」
そう言いながら、向かいに座る牧。もちろんその手には、マグカップに入れられたコーヒーを持っていた。
「何故だろうね。体は、毒を要求する」
不思議だね、と顔で表しながら、コーヒーの中に角砂糖をポンポンポンと入れていった牧。スプーンでかき混ぜる。一方の楯無は、入れるか入れないか、右手でつまみながら迷っている
「塩気がなきゃ味気無いし、糖分も、どうしても欲しい時って、あるわよね」
「生死も同じだ。復讐、貪欲、憤怒」
「どれも、ストレスを身体に与えるための毒でしかない」
楯無は迷った挙げ句、角砂糖を入れて、スプーンを使って溶かす。
「だが毒を体に入れると、不思議と安らぐ」
そう言って、二人はコーヒーを一口飲んだ。
「あっま!」
ピッ
「あ……」
と、ここで画面が切り替わった。画面に映し出されたのは、八人の日本人の顔写真。
「日本人は、八人程、関わってますね」
呑気に呟く楯無だったが、牧は違った。
二×四に羅列している顔写真の下の段、左から三番目の写真の男に、牧は見覚えがあった。
眼鏡をかけた、いかにも真面目そうな男性。
その男は、研究室に飾ってあった写真───左喜沢の孫娘が真ん中に写っているもの───の中に写っていた男の内の一人と、顔が似ていた。いや、これは同一人物だ。そう牧は確信する。
牧はその松戸の写真を睨みつけながら、コーヒーを飲んだ。
本音は、血痕を辿り続けて、焦げ茶色の屋根のある家に辿り着いていた。
「ん〜?」
ふと、血痕を目で追ってみると、血痕は家の近くに建てられていた、灰色のテントに続いているではないか。
まるで木の枝から生えたような造形のポストのついている家の表札を見ると、ローマ字で、『SAKISAWA』と書かれている。
血痕の終着点は、左喜沢教授の別荘だった。
IS『ミステリアス・レイディ』を装備した楯無が、牧を抱きかかえながら、真夏の空を飛んでいく。所謂、『逆お姫様抱っこ』状態だ。また、機体の周りをナノマシンを含んだ水のベールで包まれており、それが光学迷彩の機能を果たしているため、外から楯無達を見る事は出来ない。
「教授の孫娘、松戸ミキは現在七歳。三年前から、原因不明の奇病を発症している。細胞が急速に老化をする病なんだが……、遺伝子にも、染色体にも異常がない」
「つまり、プロジェリア症候群でも、ウェルナー症候群でもない……?」
「過剰な遺伝子のメチル化が細胞の老化を早めているらしい」
「原因が分からなければ、治療法も分からない。……可愛そうね」
生物の機構としてのメチル化とは、体内の酵素によって触媒され、重金属の修飾や遺伝子発言の調節、タンパク質の機能調節等に関わる重要な機能ではあるが、牧の言う通り過剰なメチル化は細胞老化を早めることになる。
言わば、遺伝子が錆び付いてしまうのだ。
楯無は牧を一瞥した。牧は苦渋の表情を浮かべている。
「だから出来ることは、対処療法だけになる。冬虫夏草は古来より、不老不死の秘薬という伝承がある。……左喜沢教授はもしかしたら、中国で本当に、抗老化作用のある冬虫夏草の新種を発見したのかもしれない。そして……それを密かに日本に持ち帰り、遺伝子改良を加えたのかも……!」
千冬は、捜査線が張られた事件現場で、一人立ち尽くしていた。
千冬にとって、そのような出来事は何回かあった。SRIとのパイプに置かれる前も、彼女は凶悪犯罪に直面する事が多く、時に『返り血を浴びる女王』等と言われた時もあった。それだけではない。現役時代は仲間とのいざこざで、代表候補生が自殺することもあった…………。
これ以上失いたくないと思う反面、これだけ多くの者の死に直面し、自分は失い続ける運命なのか、と思うことも時々ある。
「くっ……クソッタレ」
思わずそんな言葉が飛び出る。いつもは自分の感情を表に出さないよう心がけているが、彼女の心は押し潰されそうであった。
「いちか…………」
いつか、
ピリリリリリリリ
ピリリリリリリリ
そんな時だ。携帯電話が鳴ったのは。
「……私だ」
『血の玉の飛行経路の終点に、左喜沢の別荘がありました。これで任意同行は求められないかしら? 今、牧君とお嬢様を向かわせました』
電話をかけてきたのは虚だった。
「もう、SRIに捜査する権利は無いのだが」
『千冬さん。もう一度、SRIを信じてくれませんか?』
千冬は、携帯を翳したまま、突っ立っていた。
椅子に座って、ぼんやりと家族写真を見つめていた松戸。真ん中に写っているのは、最愛の娘。しかし、今は病に伏している。
あの子の笑顔がもう一度見たい。アヤとの約束。絶対に、ミキを助けて見せる。それだけが彼の生きがいだった。
彼は、写真立てを机に置いて、写真を伏せる。
そして、吸血鬼のスイッチを入れた。
ゆっくりと歩を進め、テントへと向かう本音。
ゴオオオオオオオオ
と、急にテントの布が開き、中から黒い球体が飛び出した!
咄嗟に彼女は茂みの中に隠れる。
チャキッ
黒い球体は、機械的な音と共に一瞬の内に透明になり、周りに冬虫夏草を纏わせながら、飛んでいった!
ザザザザザザザザザザ
本音に気付いたかは分からないが、飛翔体は、一直線に何処かへ飛んでいったかのように、彼女には見えた。
「飛翔体を確認。追跡するよ〜」
本音は黄色いポーチからサバイバルシートを取り出し、頭に被せながら飛翔体を追い始めた。
『今、飛翔体が左喜沢の別荘を飛び立った』
暫く考え込んでいた千冬。だが、意は決したようだ。
「……私に出来ることは」
『……ありがとう』
木々の間を縫って飛んでいく飛翔体。その速さには、流石の本音も追いつく事は至難の技だった。ISの使用許可は出ているものの、木々で鬱蒼とした森の中でISは展開出来ない。
「速い〜。追いつけない〜」
病院では、簪が既にYシャツを着て、ネクタイを締めていた。
『簪ちゃん。貴方が一番現場に近いわ。無理させて悪いけど、本音を援護して。ISの使用を許可するわ』
「了解」
身支度を整えた簪は、丁度入り口にいた看護師に一礼して、立ち去っていった。
「ありがとうございました」
「えっ?」
ピリリリリリリリ
ピリリリリリリリ
左喜沢の携帯に電話がかかってきたのは、飛翔体が飛び始めてすぐの事だった。銀色のセダンに乗ってある場所へ向けて運転していた彼は、車を林道の脇に止める。が、助手席に置いてある携帯電話に手が出せないでいた。
ピリリリリリリリ
ピリリリリリリリ
ピリリリリリリリ
ピリリリリリリリ
暫く戸惑っていた左喜沢だったが、彼は電話に出た。
「……はい?」
電話の主は、牧だった。
『教授。またあれが飛んでいます。動かしているのは、娘婿の、松戸ですよね?』
『あれが何処に向かっているのか、教えて下さい』
このままでは、大勢の子供達が、死んでしまう。だが、ミキは……ミキは……。
『教授!』
数分間の沈黙。しかし、その沈黙を破って、左喜沢は重い口を開いた。
「恐らく…………キャンプ場だ。子供達を、襲うつもりだ」
キャンプ場へ向かって真っ直ぐ突き進む飛翔体。
しかし、キャンプ場の子供達はそんなことはいざ知らず。
鍋に入れたカレーを煮込む子供。
テントを運んでいる子供。
ボールで遊んでいる子供。
それぞれが思い思いに林間学校を楽しんでいた。
『由利新山三島沢の上流で、小学生を中心とした林間学校が開催中』
虚から連絡が入る。
本音はようやく林道へと出る事が出来た。この道を真っ直ぐ行けばキャンプ場につくことが出来る、と。
ゴォォォォォォォォォォ
「かんちゃん!」
IS『打鉄弐式』を纏った、簪が降りてきた。
「急いで、敵はキャンプ場!」
「かんちゃんはISに乗って大丈夫なの?」
「早く!」
本音もIS『九尾ノ魂』を展開、林道に沿ってキャンプ場へと向かう。
「飲んで」
不意に、簪が本音に薬を渡してきた。
「何これ?」
「私の水虫の飲み薬」
「わーい、間接キス〜」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょう」
本音ははしゃぎながらそれを飲み干した。
「あっ! まだ日にち残ってるし、本音飲み過ぎ!」
ゥゥゥゥゥウウウウウ
パトカーのサイレン。下を除くと、黒塗りの警察車両が法定速度ガン無視(多分)で走っていた。
中には、飛翔体鎮圧用の機動隊と、織斑千冬の姿が。
「本当にこれで終わりにしなかったら全員クビだ!」
そのまま現場へと向かう二体のISと警察車両。だが。
「!?」
「かんちゃん?」
ふと、ハイパーセンサーをズームさせる簪。
「!」
と?火球が簪達目がけて襲ってきた。まるで野球の球の如く、カーブやストレートを多用しながら遅い来るそれを、彼女らは避けていく。
「かんちゃん、あれは……」
「『ゴールデン・ドーン』……スコール・ミューゼル!!」
遠くに見えるのは、金色のIS。火球を放つそれは、こちらへと向かってきた。プライベート・チャネルに通信が入る。
スコール・ミューゼル。秘密結社『
『お久しぶりね?子猫ちゃん』
「貴方達の目的は、……あの冬虫夏草?」
『さぁね。取り敢えず今は、牧史郎さんとお話しがしたかったのだけれど』
「牧さんは今……別の場所」
『残念だわ。……そうそう、早く行ってあげたら?狐ちゃん』
「………………」
『あら? 止めはしないわよ?』
今の本音は、いつになく臨戦態勢だった。スコールとは、並々ならぬ因縁があるのだ。それは、簪に逆らう程に。
「本音、早く行って」
「やだ、かんちゃん行って」
「っ…………本音!」
「…………分かった」
二人の睨み合いの末、折れたのは本音だった。本音はスラスターを更かして、キャンプ場へ向かう。
「…………本当に止めないの」
『私も言ったことは守る人間ですから。それと、貴方とも、話したい事があるのよね』
「今度は何?」
と、スコールはその顔をグイッと簪に近づけて、顔のバイザーを外した。
「子猫ちゃん。原因不明の奇病を患った少女の命と何処にでもいる有象無象の子供の命。
「えっ? な、何言って」
「フフッ。それじゃあね。子猫ちゃん」
一言。それだけ言って、スコールは去っていった。
「…………命に優劣なんかないよ」
簪は、一言そう呟く。暫くそこから動けない彼女だった。
透明な飛翔体に、最初に気付いたのは、赤い帽子を被った少年だった。
「おい、なんだあれ」
玉葱の皮を向いていたが、シンクの奥の道から、何かがこちらへと向かってくる。
他の人達もそれに気付き、集まりだす少年達。
一方、左喜沢の別荘の地下室。松戸は、操縦桿を動かし、モニターには、白く反応している子供達を捉えていた。
と、画面の脇から、見覚えのある人間が手を広げて、道を塞いだ。
慌てて操縦桿を下げる松戸。
「お義父さん!」
「松戸君! 辞めなさい!」
その必死な状況を、子供達はよく飲み込めていないらしく、付き添っていた大人共々、困惑した様子で見ていた。
「何をしてる!?」
松戸の声は左喜沢には聞こえず、左喜沢の声は松戸には届かない。
しかし、左喜沢は計画に共に携わり、この機械の危険性をよく知る人間だ。こんな危険な物体の前に躍り出るなどあり得ないと、操縦桿をカチャカチャと弄る。だが、もう操縦桿は効かなかった。血の玉は前身を止めない。
「何あれ?」
「わかんなーい」
しかし、子供達も不思議がって見ているだけ。左喜沢は子供達の方へ向き、身振り手振りも合わせて危険を知らせた。
「子供達! 早く、安全な場所へ、移るんだ!」
「お願いだから退いてくれ…………。お義父さん!!」
「松戸君! もういい加減にしなさい! ミキも、アヤも、誰もこんなこと、望んでなんかいないんだぁ!! ウワァーッ!」
そう言って左喜沢は、自分の命すら顧みずに飛翔体に向かっていった。彼は成すすべも無く飲み込まれ、飛翔体は血で真っ赤に染め上がる。
「グァーッ! がーーdkslwmsdldlwもkdmslzmsmをdkd」
そんな悲鳴を上げ、血を吸われていく左喜沢。
そして。その光景を見ていた松戸は、発狂した。
「………………ァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」
血の玉に振り回され、遂に吐き出される左喜沢。しかし、それは体液を吸いつくされた屍でしか無かった。
「キャアアアアアア!!」
巻き起こる悲鳴。現場はパニック状態に陥ってしまう。
モニターを見て、一人叫ぶのは松戸。
「なんでですかお義父さん! 全部、ミキのためじゃないですか!! お義父さん!」
と、そこへ牧と楯無が現れた。
項垂れる松戸の姿を見て、二人は今まさに惨劇が行われていることを悟る。
「松戸……!」
涙を流す松戸の目線の先には、ノイズが走ったかのようなモニター。左喜沢の血を吸った影響で、カメラはもう何も写してはいなかった。
「今すぐあれを止めて!」
楯無が叫ぶ。
「無駄だ。あれはもう、…………満腹になるまで止まらない」
二人は目を見開く。
現場へは、サイレンの音と共に機動隊と本音が到着した。
「みんな! 早く逃げて!」
「一班二班前へ! 壁を作れ! 三班、スパイク準備!」
機動隊は、即座に移動し、ライオットシールドと、アサルトライフルを構える。
「俺には、ミキだけなんだ……」
松戸は、膝をついてがっくりとうなだれる。
ミキは、原因不明の奇病に冒されており、治療法もないため、左喜沢と松戸は、遺伝子改良を施した冬虫夏草を使ってどうにか延命用の薬を作ろうとしていた。だが、その冬虫夏草の開発には、人間の、それも子供の血が必要不可欠だったのだ。
そして、松戸浩一郎の妻であった、松戸アヤとの約束。アヤは、ミキの病を治すため、自らの血をも冬虫夏草に捧げ、既に他界していた。自分の血でミキが助かるならと。しかし、現実は非情だった。
しかし彼は諦めなかった。自分の娘のためだと言い聞かせて、『いなくても良い人間』を中心に様々な人間の血を集めた。そして、いつしか罪悪感というものは殺した人達の数だけ磨り減って消えていき、遂に娘と同じ子供にまで手を出してしまう……。
「そのために、他の子供達の命まで奪うんですか!」
「俺は親として、出来ることをやってる」
松戸には、もう、家族以外の存在を他人という言葉でしか見ることが出来なくなっていた。いや、もはや人としてすら見えていないのだろう。
牧は、腰を落とし、光を失った松戸の目を真剣に見つめる。松戸の顔は、まるで生気が抜けていた。
「奥さんが生きていたら、貴方のこと、許すと思いますか」
その言葉を聞いて、ゆっくりと顔を上げる松戸。
「許すよ。決まってる。全部ミキのためなんだから」
そこまで、罪を犯して、自分に嘘をつきつづけてまで、助ける必要があるのだろうか。牧には、それが分かっていた。彼は捜査員である前に科学者だった。目の前の松戸以外にも多くの科学者と出逢い、彼等の心中に痛い程触れてきた人間である。その中には松戸と同じく、近親者の難病を治すために科学者の道を歩んだ人間もいた。
だが、人の倫理を外れることは、許されることではない。
牧は松戸を睨み続ける。
松戸は、その目を、暫く見つめた後、ゆっくりと腰を上げる。牧も立ち上がる。が、不意に松戸は間を抜けて、逃げ出した。
「松戸!」
「牧ちゃん!」
二人はそれを追う。
「撃てーっ!」
ガガガガガガガガガガガガッ!
ガガガガガガガガガガガガッ!
隊長の掛け声と共に、血の玉に銃弾が浴びせられた!
銃口から火花を散らし、弾は命中する。
しかし、相変わらず血の玉は回り続ける。高速回転する冬虫夏草に遮られ、銃弾が効いていない。
松戸が逃げ込んだ先。
それは、投薬の素となる冬虫夏草を飼育していた部屋だった。
「これが…………貴方と左喜沢教授の、『希望』なのか?」
その不気味な姿を見て、牧は顔を強張らせる。
「臨床データは良好だ。このまま投薬を続ければ、娘は絶対に治る」
「もうここまでだ。これ以上、続けさせる訳にはいかない……!」
「この手に浮き輪を持ちながら、娘が溺れるのをただ黙って見ていろというのか!?」
「それが……人の生き血で膨らむ浮き輪なら……!」
ガガガガガガガガガガガガッ!
ガガガガガガガガガガガガッ!
射撃を続ける機動隊。しかし、銃弾は高速回転する冬虫夏草に弾かれ、
「うっ……ウワアアアアアアアアア!!」
その時、射撃をしていた機動隊員の一人が、急に悲鳴を上げ、呻きだした!
それに気付いた周りの隊員が、急いで防弾チョッキを脱がせ、それを振り払う。
防弾チョッキには、白い菌のようなものがついており、菌糸がバキバキと今も伸びている。冬虫夏草の一部だ。
弾かれた破片にも、冬虫夏草が付着しており、それが防弾チョッキの上から隊員の体へい侵食していったのだ。
「大丈夫!?」
遅れて簪が到着した。簪は機動隊員を一瞥して、目を見開く。
「破片にも菌がついてるよー!」
「撃つなーっ! 撃ち方やめ! 距離をとれーっ!」
シールドを構えた隊員達が、怯えながら後ろへジリジリと下がる。ISの装備を使おうにも、威力が高すぎて菌が周囲にばら撒かれてしまう。彼らに段々と迫る血の玉。彼を倒す術はないのか……?
「弱点はないの……?」
と、本音がハッとして指を指した。
「かんちゃん、アイツの下!」
血の玉の下。奥に干からびた左喜沢が見えるが、それは関係ない。
血の玉の真下の部分だけ、浮遊するための空気を吐き出す穴が空いており、冬虫夏草の守りが無かった。そこから本体を攻撃すれば!
「あれね……!」
そう呟いてから、簪の行動は速かった。
機動隊のシールドによる防護ラインをすり抜けて駆け出す。先程機動隊員が投げ出して落ちていたアサルトライフルを広い、血の玉の真下に滑り込む。アサルトライフルを構え、見えない本体と対峙した。
「嘘ォ!?」
「くたばれ、化け物!!」
本音が驚き、簪が今まで聞いたこともないような野太い声を上げる。
そして、ライフルのトリガーを思いっきり引いた。
ガガガガガガガガガガガガッ!
ガガガガガガガガガガガガッ!
ガキンッ、ガキッ、バキィン!
銃弾が金属に当たったかのような音が響き、
ウィィィィィィィィィィィィン
回転が止んだ。と、共に血の玉が崩れ、簪に降り注ごうとしていた。
「キャッ、キャアアアアアア!!」
「かんちゃん!!」
本音は走り、自分諸共簪にサバイバルシートを被せた。
ベチャッ
松戸の目は、ここまで追い詰められて、かえって生き生きとしていた。
「牧史郎。貴方の事は知っている」
そう言うと、冬虫夏草の柄の一つを、ゆっくりと握った。すると、細い蔦のようなものが何処からともなく、松戸の手に絡みつき、皮膚を食い破って侵食していく。
松戸は死ぬ気なのだ。
「松戸、止めろ!」
「牧ちゃん!」
止めようとする牧。松戸には大勢の人間を殺した罪がある。生きて償わなせなければならない。しかし、これ以上近付くのは危険であった。楯無が必死に牧の腕にしがみつき、牧を静止させた。
「ハァ…………ハァ…………」
「全て…………貴方に預けます」
段々と声が掠れていく松戸。
「貴方なら……この研究を続けられる」
牧は呆然と突っ立っている。
「薬を精製してくれ。……ミキを、救ってくれ……!」
「あの子にもう一度、命を……、笑顔を!……与えてくれ」
侵食が進み、もう目は、白くなり、肌も緑に変色している。
「頼みます……」
牧の目の前で、松戸は、死んだ。
「松戸……!」
「牧ちゃん!」
牧は手を伸ばすが、楯無に反対の腕を引っ張られ、外に連れ出される。培養室の扉を閉める楯無。
牧は窓にへばりついた。もう松戸は、まだ欠片はあった人間性も失い、生き物としての形を残してはいなかった。娘のために生き続けた松戸の最期。牧と楯無は、窓に手をついて、ただただそれを見ることしか出来なかった。
一方、キャンプ場。もうすっかり日は沈み、辺りは夕闇が迫っていた。
機動隊の目の前にある、サバイバルシートは、二人が覆われているが、その上には、左喜沢の血を含んだ冬虫夏草が、べっとりと貼り付いている。そして、シートはボコボコと動き始めた。
不気味なそれに近付く千冬。
「早く出て来い。機動隊の手を煩わせるな」
と、千冬がそう言うと、簪と本音の二人が、涙目になりながら飛び出してきた。
「ウワァ〜ン!」
「付いてる!付いてる!」
「服脱がせてぇっ!」
すぐさま機動隊が、二人のスーツを脱がせる。騒ぐ二人。全身をウネウネ動かして、女性としてみっともないが。
千冬がフゥ、と安堵の息を漏らした。この元気な様子を見れば分かる通り二人は無事だった。
左喜沢の別荘には、やっと警察と、虚が到着し、現場捜査が始まっていた。
楯無は、部屋に置いてあった防護服を着て、写真撮影に協力している。
机の前で立ち尽くしている牧の元へ移動する虚。
「貴方の判断でいいわ」
徐に、机の上に伏してあった、かの写真を持つ牧。同じ科学者として、また牧自身として、やはり残念でならなかった。
「……サンプルだけ残して、後は全て燃やして下さい」
「それが最善の方法?」
「……そう思います」
そっと写真を立てる牧。
「後は僕で、出来るだけのことをやってみます」
コトッと音がした。
「焼却して下さい」
キャンプ場では、牧の意向を聞いて、簪が指示を出した。
黄色い防護服を着た男達によって、燃やされていく冬虫夏草。
黄色い光は、この寂しい闇夜を優しく照らし出すようだった。それぞれがその炎を、複雑な思いで見つめている。
こうして、松戸の犯行は終わりを告げた。
牧と虚は、灯油が撒かれている培養室を見つめていた。
「『我が子のためなら世界を敵に回してもいい』」
虚は呟く。
「どんな親でも、そんな野心を、心に宿している」
牧も、目線を落としながら、呟く。
「愛する者を救う技術と方法があるかどうか…………。松戸や左喜沢教授と、他の親達との違いは、それだけなのかもしれない」
左喜沢の研究していた冬虫夏草、松戸が開発に携わった無人探査機。そして、娘が患った難病。
それ単体で見ればそれらは全くの無関係の代物であった筈であったが、それらは偶然にも噛み合い、そして、惨劇を生み出す血の玉へと昇華してしまう。
二人は迷うことなくその機械へと手を伸ばした。然して回り出したのだ、その機械は。彼らの純粋な願いを原動力として。
「愛情は、最も致死性の高い毒ね……」
そう言う虚だったが、牧は虚に向けてゆっくりと首を横に振った。
「いえ……」
「一番の猛毒は、この花の花言葉…………」
牧は、机の上に差してあるガーベラを見て、こう言った。
「『希望』です」
牧は地下室を立ち去っていく。それと共に、培養室に火が放たれていく……。
2019年4月29日 初稿
2020年10月24日 改稿