「おっはようございま〜すッ!今日も張り切って魔王退治へレッツゴー!!」
「勇者殿!!最前線にいるはずのあなたがどうしてこちらにいるのでしょうか!!」
「俺もよく知らない!!」
悠時の眼前に広がるのは、大きな湖と、そこに沈む洞穴。
午前7時45分と示す【時剣クロノス】の塚を見て、悠時は唸った。
「12時間でどうこうできる?これ」
「さ、さぁ……」
基本的に、洞窟……その奥に住む魔獣の討伐には、かなりの時間がかかる。
地上にある洞窟ならまだ交代しつつ魔獣と戦えば、三日か、しばらく期間をかけて戦えるのだが、水中となれば状況が違う。
軍部が考え出した案は、湖の水を全て吸い取り、洞穴に侵入して戦うという案だった。
「やる気でないなぁ……どうせ八時になればやらなきゃいけないんだけど……」
「し、心中お察しします……しかし勇者殿、勇者殿がこのようなところにいて良いのですか?魔王城を攻略中と聞き及んでおりましたが……」
「……うーん……今のところ、魔王を倒すのは難しいかもしれんなぁ」
「というと?」
「魔王軍の幹部連中って、幹部なだけあって魔王に与えられてる加護が尋常じゃないのよ。一晩経てば全員復活するし、魔王の娘が防御タイプだからかなり『時間』を削られる。この前なんか、結構手こずって魔王の娘の戦う直前に『時間切れ』。せめて仲間がいればな」
「そうですか……しかし、勇者殿がこちらにいるということは、最前線に主戦力がいないと言うことになりますが……」
「その辺も抜かりはない。昨日のうちに時間を進めて戦っておいた」
「……は?」
「今頃、最前線では昨日の俺が戦ってるはずだ」
【時】の女神は、そして勇者は、これくらい規格外でなければならない。
昨日のうちに時間を早めて『明日の八時前後』に跳び、強制的に出勤時間にした後、きっかり十二時間戦って、しっかり時間を早める前に戻って、『今日』に来たのだ。
もちろん、軍部から「明日予定を空けておけ」という召集書を貰ってから動いたので、本人も湖に来ることになるとは予想していなかったのだが。
「すごい……それ、何回も繰り返してたくさんの勇者殿が一緒に戦えば最強の部隊じゃないですか!」
「それがそうも行かなくてねぇ。別の時間の俺と会うと、つじつま合わせのためになにが起こるかわからんのよ。下手したら、誰かが無かったことになってしまうかも……」
兵士の喉が、ゴクリとなる。
冷や汗を垂らしつつ兵士が時計を見ると、たった今八時になっていたことに気がついた。
「勇者ど……の……」
「あぁ、わかってる。出勤だな。今回の標的は湖の底の洞窟に住みつく魔獣。足の生えた魚というだったが本当か?」
「き、切り替えが早い……」
兵士が仲間に指示を出すと、湖の水がみるみるうちに抜かれていく。
悠時……ユウジは、剣を抜くと二、三首を鳴らし、先程まで立っていた場所から飛び降りた。
そう、まだ水の抜ききれていない湖の縁から。
水飛沫が上がり、魚影のようにぼやけて見えるユウジの姿は、みるみるうちに湖の中へと進んでいく。
兵士が慌てて追おうとするも、水がまだ残っている。
単独で突っ込んでいった勇者を追うため、兵士は意を決して飛び込んだ。
湖の底に見えるのは、口をぽっかりと開けた直下の穴。
息が持つかはわからない。一応皮の袋に空気を詰めて、キツく縛ってから懐に入れているので、あとしばらくは酸素が持つことだろうと兵士は心底不安そうな顔で己を鼓舞した。
しだいに光が通らなくなり、視界が暗くなっていく。
洞窟……縦に造られた穴の中に潜り込み、標準装備である鉄の籠手の重さを使って沈みゆく。
勇者の背が見えないことに疑問を感じつつも、水を抜き切れば己の部下たちが殺到してくるだろうと、一人くらい水中を泳ぐ。
穴が横向きになっていくにつれ、視界は完全の闇に閉ざされる。
視覚が必要なくなったことによって、その分鋭敏になった聴覚と触覚が、今まで戦績を上げ、数十の精鋭部隊をまとめ上げる兵士の唯一の拠り所となって情報を送る。
自らが水を掻く音に加え、血管を流れる空気の音が響く。そこで、ようやく息がもたなくなってくる。
皮袋の中の酸素を肺いっぱいに吸い込み、兵士は再度水を蹴った。
時が止まったような感覚だ。兵士は闇の中で自嘲気味に笑う。
「ごぼっ」
口を開くと酸素が漏れることに気づいた。
「………」
こうして、視覚が無くなれば、あるのは無駄に積み上がる思考と文字列のみ。
水の音、空気の音、岩の形、冷たくなる体。
……死ぬのでは?
兵士の頭に一抹の不安がよぎったとき、目の前に何かがキラキラと反射する。
水面。
そう気づいた時には兵士の痺れていた足はもがくように水を蹴っていた。
やがて、光が眼前に広がった時。
「ぶはぁっ!!げほっ、がはっ……」
「早いな。本当に人間か?」
「あなたとは、違って……人間です……」
ユウジは後ろから苦しそうに言い放つ兵士の姿を見てふぅと一息つき、手に持っていた松明を渡した。
兵士の体は、震えて紫色になっていた。気づいた兵士は自分のそばに熱をたぐり寄せる。
ユウジの荷物の中から、色とりどりのハーブや木々が飛び出てくる。
それらは自由に動き回り、閉鎖空間である洞窟の中に根を張った。
「勇者殿、これは……」
「魔物だ」
「魔物ッ!?」
「ドリアード。常に自分の居場所を求めている魔物だ。木の姿をしているが、近くの不純な物を取り込んで成長する。もちろん、木としての性質はそのままにな」
だから水没しても生きている。
ユウジはそう付け足すと、ドリアードに向かって視線を送った。
ユウジが勇者たる力、【時】を操る力により、ドリアードの【時間】が加速され、その場にあった二酸化炭素がみるみるうちに酸素に還元されていく。
無論光も吸収するが、ドリアードにとって太陽光は必需品ではない。ドリアードは夜にだって活動するのだ。
「は、はぁ……つまり、もうここで窒息する心配はない、と」
「勘がいい。その通りだ。あと……あそこに今回の魔物がいる。すぐに討伐してくる」
「えっ、あっ、ちょっと!!」
ユウジはその場から離れ、剣を片手に洞窟の奥まで進んでいく。
大きく広がった空間に、生臭い匂いと多量の湿気が広がる。
ユウジはポケットから蛍便を取り出すと、中の蛍───これも魔物───を放った。
蛍はのびのびと飛び、天井に張り付くと光を放つ。暗いところを嫌う彼らの性質である。
浮かび上がったのはユウジがいた世界の金魚を思わせる体躯に、無造作に生えた6本の足。人間のものと酷似している生足が、ぺたぺたと音を出す。
生足金魚。そう名前のつきそうな魔物はユウジの姿を認めると、大きく体を震わせた。まるで虫のさざめきのような、耳障りな音。
「ギャグ漫画か」
ユウジは剣を抜き放った。
それだけでいい。
重なる。
たった一度の斬撃。それが『時空斬』である。
過去のユウジ、今のユウジ、時空の彼方から呼び集められた、『時空斬』を使うユウジが、この【時間】に集まって全く同じ一閃で攻撃する。
無論、この【『時空斬』を放ったユウジ】も、他の時間軸の【『時空斬』を放ちユウジ】に切り取られ、斬撃の一部となる。
ユウジにのみ与えられた、使えば使うほど重なっていく斬撃。
ゆらめいた残像は、生足金魚に吸い込まれ、いともかんたんに生足金魚を息の根を止めた。
「……残り時間はあと9時間と37分。さて、どうするか」
ユウジは、決して「ぶっ壊れ」ているわけではない。
タイムリミット。それと、そのタイムリミットの中で一度しか使えない『時空斬』の積み重ね。
それぞれが、今のユウジを作り出しているのだ。
「……あれが、勇者殿の実力」
後ろから見ていた兵士は、生唾を飲み込んだ。
廃れて信者の居なくなった【時】の女神が選んだ男の、得体の知れない強さの片鱗をその目に焼き付け、兵士は強く渇望した。
あの勇者と同じくらいの力を手に入れられれば、いずれは勇者と肩を並べられる。
魔物に滅ぼされた故郷を、再生できる。
時は進む。
いかに、ユウジが強くとも。
時は進む。
いかに、
時は進む。
時は進む。
時は進む。
◇
「ユウジ……あなたはいつ、時間から解放されるの?」
「このままじゃ元の世界に帰るどころか……このまま、時の狭間に消えてしまう……」
「ユウジ……早く魔王を……」
「魔王を、倒して───」