保健室にて__
気持ちよさそうに寝息を立てる空。疲労感から轟に運んでもらった後、すぐに眠りに落ちた彼女。
そんな彼女の元に決勝戦前の爆豪が訪れていた。
「倒れんなら最初から出場するんじゃねーよ、バァカ」
爆豪は、手の甲で彼女の頬を優しくさする。自分が触れた瞬間、彼女の表情が一瞬笑ったように見えたのは、己の傲慢さ故の錯覚だろうか。
ーー私は知ってる、勝己がそんなことしないって
そう言って自分の手を握ってくれた時のことを彼女はもう忘れてしまっただろうか?
爆豪はかつて彼女がくれた言葉を思い出していた。
そんなことを考えながら、爆豪は保健室を後にする。
麗日を負かし、切島を負かし、常闇を負かし、上がってきた決勝戦。
対戦相手は轟。
ーー放って置けないんだもん
ふざけんな
トーナメントの組み合わせが発表された際、彼女が発したその台詞。その上彼女から轟への視線は、十年以上接してきた自分が見たこともないようなモノ。
4歳から15歳の現在まで、彼女が他者とマトモに接してきたのは自分と緑谷だけ。どんなに突き放し、暴言を吐いても離れなかった彼女。他とは関わろうとすらしないのに、何故か自分と緑谷には縁が切れないようにと定期的に会うことを望んでいた。
公園で遊んでいた6歳の頃から、自分の目標の一つ_雄英入学を先に果たし、世間からも注目されるほど活躍をする15歳までずっと一緒にいた。彼女のことなら何でも知っていると自負していた、彼女の親友は自分だけだとも思っていた。
しかし、彼女が原因不明の意識不明になった時
爆豪は初めて気づく
自分は彼女のことを何も知らなかったのだ、と。彼女は自分のことを話さない。いつも話すのは自分で、それを静かに聞いているのが彼女、そんな関係性の幼馴染。
彼女が眠ってから聞きたいこと、気づいたことが止めどなく湧き出てきた。
失って初めて気づくとよく言うが、本当にその通りだと自分を嘲笑した。
九年間、付き合ってみてなんとか分かっていた“彼女の背負っている何か”
意識不明になるまでお前は何を背負っていたんだ。
何で怪我なんかした。
何で何も言わなかった。
なんで、なんで、なんで
けれど、待ち望んだ彼女は質問すらも許してはくれなかった。
予めその質問をされる事がわかってたかのように、彼女は対面して直ぐに言った「二年前のことは聞かないで欲しい」という願い。
どこか辛そうに様子に話す彼女を見ていると強気にはなれず、それでもいいと無理やり自分を納得させた。
そして、雄英に彼女が編入した。
それも自分と同じクラスに。
二年前から進歩しなかった関係が、やっとこれで前よりも良く、子どもの頃とは違う_近しい対等な関係性になれるのだと信じて疑わなかった。
だが、彼女は変わった。正確には、性格が変わったのでは無く、自分と緑谷に接していたあの明るさと優しさが他者へも向かうようになった。
ーー新しい友達ができるのは嬉しいものなんだね。知らなかったよ
嬉しそうな笑顔と共にそう言って報告してきた彼女。
俺だけを見ろ
当たり前にあった独占の消失は、自身の手から離れていくような感覚を強烈に焼き付ける。
俺から離れていくな
空と爆豪の出会いは、爆豪が4歳の時。ドラマチックな出会いでも、極めた偶然でも、何でもなかった。
空は爆豪と緑谷が住む町で一番大きな家_柊家の一人娘。その彼女がたまたま爆豪が遊んでいた公園に訪れたのが始まり。一度、その時に言葉を交わした、しかしら何を気に入ったか分からないが、彼女は定期的にそこに現れるようになった。理由は勿論爆豪、緑谷に会うためだ。
爆豪は彼女を相手にしなかった。いつも以上に暴言も吐いたし、突き放しもした。でも彼女はなぜか離れていなかった。
そして出会ってから数ヶ月した時、
爆豪の態度が一変した出来事が起こった。
ある時、お遊戯会を目前に控えた幼稚園の練習中、クラスの女子一人がこんなことを言い出した。
「爆豪君とてつなぎたくない!」
小さな女の子だ、好きな男の子でも他にいるのだろうか、と先生たちは少し可愛くも見ていたが、その女の子が言った言葉は全くもってそんなものじゃなかった。
「だって怖いもん!爆豪君の手握ると怪我させられちゃう!」
今の爆豪がその言葉を聞いても何とも思わなかっただろう。しかし、幼かった彼は深く傷ついた。そして初めて自覚した、凄い、派手、と言う言葉に彩られてきたが、危険、だという自分の個性に。
帰宅後、爆豪は一人で馴染みの公園へと足を運んでいた。なんとなく家にはいたくなかった。
「あ、勝己怪我してる、大丈夫?」
あぁ、またこいつかと爆豪はシカトを決め込もうかと思ったが、彼女が怪我だと言って掴んだのは数時間前に触れることを嫌がられた自分の手だった。気がつけば、小さな擦り傷が確かに手の甲にできている。
「こんなのなんてことねぇよ」
「ダメだよ。バイキンが入っちゃったらたいへんだもん」
「離せよ!俺に触んな!」
彼自身は認めないだろうが、傷つく言葉を吐かれ、どうしていいかわからずやけになっていた爆豪は、純粋な心配をそのまま受け取ることなどできず、それを拒否する。
「俺に触ると怪我するぞ!」
「なんで?」
「え…なんでって」
「あぁ、個性のこと?大丈夫
私は知ってる、勝己がそんなことしないって」
「!!」
「お前、俺が怖くねぇのか」
「ぜんぜん!本当に怖いこともっと知ってるもん」
「はっ、歳上ぶりやがってムカつく奴だな」
「ははっー、本当だもん」
何が始まりだ、と聞かれれば
きっとその一言がはじまり。
それからはただ突き放すだけの存在ではなかった、公園へ行くたびに彼女が遊びに訪れないかを期待していた。
なんとなく思い出した幼少期の頃の記憶に、何考えてんだと爆豪は馬鹿らしく思い、荒々しく控え室のドアを開ける。
「あ?」
決勝戦の自分の控え室だと思った部屋にいたのは、轟。
「何でてめェがここに…控え室…あ、ここ2の方かクソが!!」
突然入ってきた爆豪に、轟は一度彼に視線を送るが、何も言わずそのまま正面を向く。シカトにも受け取れるその行為を通常より苛ついいる今の爆豪が、しかもその相手轟に無心でいられるはずもない。
「部屋間違えたのは俺だけどよ…決勝戦相手にその態度はオイオイオイ…」
爆豪は轟の座っている机を爆発させる。
「どこ見てんだよ半分野郎が!!」
数秒前に落ち着かせたはずの気持ちが轟を前にして、止めどなく溢れ出す。この気持ちの名を爆豪は知っていた。
「それ…緑谷にも言われたな。あいつ、無茶苦茶やって、他人が抱えてたもんぶっ壊してきやがった…」
こいつの何に空は惹かれた?
「そういえば爆豪、お前柊と幼馴染だったよな」
気安くあいつの名前を呼ぶな。
「柊は、昔からあんななのか?」
たった数ヶ月前だ、こいつが空と会ったのは。
あいつのこと何も知らねェくせして
何かを考えながらも、柊という轟声は優しく柔らかだ。これは、ただの友としての態度では無い、そんな本能的勘から爆豪の危機感が揺れ動く。
「二年前何があったんだ?」
彼女のことを知りたい。そんな瞳をする轟。
そんな目であいつを見んな。
二年前何があったか
クラスメイトの連中にも聞かれた質問だった。しかし、その質問に対して爆豪が知っているものは何一つなかった。それは爆豪と緑谷が無意識に話題にするのを避けている問題。聞くことすら許さない空の固い意志が作り出した暗黙の掟だ。
「ぜってェ、ぶっ倒す!!」
爆豪が言えるのはそれだけ。この苛つきを収める方法、相手を倒すこと以外、今の彼には思い付かない。
ーー空様、それは可笑しいですよ。
ーーなんで?
ーーだって…それを何に使い、何を守るかはあなた次第なんですから。
なぜ、忘れていたんだろう。
こんなにも大切な思い出を。
轟戦の最中偶発的に思い出した過去の一場面。それは空が今の人格へと変わる為に多大なる影響を与えた人間の言葉。
気が狂いそうなあの家で、空が人格を曲げずにいられたのは、間違いなくその者の存在があったからだ。
そういえば、私が風邪をひいた時、一度も様子を見に来てくれなかった両親や兄弟とは違って、彼はずっとそばに居てくれたっけ…
ーー空様、御気分はいかがですか?
そうやって何度もなんども持ち前の綺麗な笑顔を乗せた顔で覗き込んでくれた。
「……ん」
目を覚ますとそこは見覚えのある天井。何度かお世話になっていた雄英高校の保健室のモノ。そして
「轟君!?」
見れば、保健室のベッドの中にいる自分とその側に轟の姿があった。咄嗟に時計を見ると自分の戦いが終わってから随分と経過しているではないか。少し休んだら直ぐに観客席へといく予定だったが、どうやら熟睡してしまったらしいと分かる空。
「すまない、起こしたか」
「ううん!」
あくまで自然的に起きたのだと空が言うと、轟は体育祭が終わって様子を見に、今来たばかりだと説明した。来たタイミングと空が目覚めるタイミングが運良く重なったらしい。
「まだ目覚めてないから帰りなって行ったんだけどね、顔だけでもどうしても見たいって言うもんだから…」
見舞いとはいえ、女子がまだ寝ている側に男子を置くのはどうかと思ったリカバリーガールは少し申し訳なさそうにしていたが、空は気にしていない旨を伝える。
「怪我はないって聞いたが、大丈夫か」
「……うん。疲労感はかなり取れたよ」
わざわざ来てくれてありがとう、と空が言うと、轟は少しの間を置き、側にあった椅子を移動させて腰を下ろした。
「あの後の試合で、お前と同じようなことを緑谷にも言われた。…あいつのはお前よりもっと無茶苦茶だったけどな」
「……………そっか。…ん”〜、見たかったなぁ、二人の試合」
再放送されるテレビで見てみるかと決意する空。
力弱い雰囲気を漂わせる轟の姿は、どれほど空や緑谷の言葉が響いたか、よくわかるものだった。
「緑谷とお前の言葉で、一瞬…親父を忘れた」
「うん」
「自分がやって来たことは間違っていたのか、正しいことなのか、分からなくなった…」
「うん」
赤裸々に心のうちを話してくれていることに、轟からの信頼を感じる空。
「なぁ…柊」
「ん?」
「ありがとな」
「………………」
轟の晴れた顔が、空の胸を大きく鳴らす。
「今まで俺に正面からぶつかってくるやつなんていなかったから、なんか…すげェ効いた」
轟は静かなる冷たい雰囲気をいつも漂わせていたのだろう。そしてあのNo.2ヒーローの息子として周囲に扱われ続けていた。そんな彼に簡単に近寄れる者が少ないのは当たり前だ。
しかし、今彼は見る限り角が取れたような柔らかな物腰が加わっている。だいぶ話しかけやすくなったといったところだろう。
「ふふっ、はははっ!!」
「…?」
「なんか偉そうに図々しく言い過ぎたかなって、怒られるなって覚悟して言ったのに……」
事実、図々しくも言わなければ、轟の心の氷は溶かされていなかったに違いない。
しかし、彼は怒るどころか、空に礼を言ってきた。それがひどくおかしかったのか彼女は笑う。そんな彼女に感化されて轟も口元が緩んだ。
ーー私の優勝は自発的な願いではなく、父、他親族の皆に命じられた義務の一つだったんだ
同じ境遇を伝えてまで自分を救おうとしてくれた、今でも耳に残っている彼女の言葉。
空が憎しみに塗れた轟の顔に類似点を見つけたように、轟もまた、その言葉が紡がれた瞬間、彼女の瞳にはぬぐい切れぬ憎悪が宿っていたことに気がついていた。
「お前はそうなのか」
「?何が」
「お前は、過去を詮索されたら怒るか」
「…………」
急な話題転換、笑っていた空の表情が一瞬にして強張る。
「お前は、俺と似ていると言った。ならお前、苦しんでるんじゃねぇのか。お前が俺を救おうとしてくれたように俺はお前を救いたい。例え叶わなくても、俺は柊を知りたい」
「……………」
「……………」
「どうして、どうして私のことを知りたいの?」
「それは…」
なぜ、と聞かれたことで轟自身も一瞬時が止まったように沈黙した。
ーー何故だ、俺は何で柊を…。
手を握られ、優しい温かみを感じながら見た
__1位やったね!楽しかった!
歓喜の笑みをこぼす彼女。
ーーそうだ、俺はあの笑顔をもう一度…
数時間前に目にした彼女の笑顔を瞬間的に思い出しただけで、自覚していなかった感情が爆発的に沸き上がって来た。
ーーお前男の顔してたぞ
あの時は、その意味が全く理解できず完全に否定した轟。
しかし、今その言葉を痛いほど痛感する。
「俺が柊を…」
「轟君と私は似てないよ。あなたは騎馬戦で私を信じた、昔の私にはそれすらできなかったから」
しかし、轟を待っていたのは
“完全なる拒絶”
彼女の心の氷はまだ溶かせない
誰にも
空はベットから起き上がって、その場を去ろうとする。一刻も早くここから逃げ出したい、轟にはそんなように見えた。
「私、勝己に会わなきゃ。じゃあ、また学校でね轟君」
拒絶の二文字をはっきりと告げられた轟は、彼女を止めることはしなかった。いや、できなかったと言った方が正しい。空への気持ちを理解できたと同時に、自分の心と彼女の心の距離を自覚させられたことは、傷に近いモノ心に刻み付けられた気分だったからだ。
自身だけ取り残された空間から、保健室のドアを開けて去って聞く彼女の背中を見つめていることしかできなかった。
(痛ぇ…)
轟は無意識に自身の心臓部の体操服を鷲掴みする。
勝己、その名を彼女の名から聞くときはいつも胸が痛くなる。
切島から言われた時のように、轟は心の中で呟く。
なぁ、柊
お前気づいてないだろ
爆豪の名前を呼ぶ時
他の誰よりも一番優しい色をしていることに。
(おさまれ、おさまれ、おさまれ…!!)
逃げるようにして保健室を出た空は、全力で廊下を走り抜けながら、自身を落ち着かせるため何度も何度も念じる。
ーーお前は、過去を詮索されたら怒るか
ーーお前は、俺と似ていると言った。ならお前、苦しんでるんじゃねぇのか。お前が俺を救おうとしてくれたように俺はお前を救いたい。例え叶わなくても、俺は柊を知りたい
完全なる拒絶をした空も、実際彼の言葉が迷惑に感じたからでも、不愉快に感じたからでもない。わざと失礼なほどに拒否した言葉を吐いたのは、その言葉に大きくぐらついたからだ。
逃げ出したのは、あのままあの場にいれば、無意識に口が過去を話してしまいそうになったからだ。
(家のことは全て二年前に終わったんだ。今更誰かに話して話を大きくして振り返すことは愚策だ。そう…
全部…終わったんだから)
空は、迷惑をかけてはいけないという一心だけで、過去を誰にも話さないわけではない。
彼女の持っていた問題は大怪我を代償として二年前に決着している。決着している話をいつまでも引きずり、誰かに話すのは、自身も辛い過去を思い出し、周囲も動揺する。そう考えると話さない方が利口に思えた。
全て終わった___
“このときだけ”は、そう思っていた。