敵中横断二九六千光年   作:島田イスケ

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クバ・リブレ

卓の向こうでエプロン着けてギョウザを焼く古代を見ながら、森は、本当はわたしがそこに立ってその仕事をやりたいのにと考えていた。

 

思い出すのは子供の頃の〈罰〉の記憶だ。正月に町の餅つき大会に行き、いつか餅を食べるのでなく人に供する側になりたいものだと考えながら家に帰って、母に水風呂に投げ込まれた。その記憶――あの家からやっと自由になれたのに、今もやっぱり料理をふるまう役になれずに、食べる側のままなのか。

 

カクテルをただ持ってきて、古代に手渡すだけの役すら新見に取られてしまった。先にわたしが気づいていればよかったのに、と思いながら、古代がグラスを受け取って新見に礼を言うのを眺める。

 

〈シンガポール・スリング〉だ。本当のそれは、ジンとチェリー・ブランデー、レモンジュースをシェイクして、炭酸で割ったカクテルだ。立食パーティなどで出すには最適の酒とされているが、もちろん今の〈ヤマト〉では、本物のそれを飲むことはできない。シロップでそれらしき味を付けたニセ酒だ。古代はうまくもなさそうにひとくち飲んでグラスを置いた。

 

おや、と思う。いつか医務室で佐渡先生と酒を飲んで笑っていた古代を見ていた森には意外な光景だった。

 

いや、直接に見なくとも、あのときの古代のようすは〈ヤマト〉艦内で語り草になっている。新見もまた意外そうに、

 

「炭酸の入ったお酒は好きじゃないの?」

 

「ええまあ」と言って古代は森の方を向いてきた。「あの、それは?」

 

「これ?」と言った。「〈クバ・リブレ〉。ラムのコーラ割り」

 

無論、本当のレシピでは、という意味だ。森がいま飲んでいるのはコーラ風味のシロップで味を付けた偽物だ。古代はふうんと頷いて言った。

 

「まだそっちのがよかったかな」

 

新見が言う。「それもらってきましょうか」

 

「いえ、いいです」言ってギョウザを焼く手を動かす。

 

何よ、と森は思ったが、しかし口を挟むわけにもいかない。ジュージューと音を立てる焼き上がりのギョウザを古代が皿に盛るのを眺めながら、

 

「ギョウザか」と言った。「パーティのメインの料理をギョウザにしたのはいろいろ理由があるんだけど……」

 

「うん」と島が箸を伸ばしつつ頷いて聞く。

 

なぜギョウザなのかと言えば、理由のひとつは単純だった。冥王星の敵に勝ち、遂に外宇宙への航海を始めるお祝いに、クルーに何か少しでも普段と違うものを食べさせたい。だが食材は限られる。でんぷん餅と肉ペースト、促成栽培野菜の三つで作れるものは何かと言って、浮かんだのがギョウザという――。

 

それが単純な第一の理由だ。元々他に有力な候補がさしてなかったのだ。ギョウザの皮でギョウザの餡をくるむのも英語の〈ワープ〉に違いない。ワープに次ぐワープの旅の成功を祈るパーティの主菜にはちょうどよかろうとの考えもあった。

 

それが二番目の理由である。三番目の理由として、航空隊のパイロットでも一度に大量に作れることが必要とされ、ギョウザなら大丈夫だろうとの判断になった。

 

基本的にはこの三つだが、しかし、それとは別にして――。

 

「冥王星で野菜がみんなダメになってしまったからよ。微塵に細かく刻むしかなかった。ある意味それが最大の理由……」

 

森は言った。野菜の促成栽培農場は、多くの機器が破損してまだそのままの状態だ。敵のビームを直接受けたわけではないが、全艦内が冷凍庫となってしまったなかですべてが凍りつき、野菜はみんなダメになった。

 

種から育て直すにもまず設備を修理しなければならないのだが、他に優先すべきが多くて後まわしになっている。野菜はとにかく食える部分を選り分けたが、『食える』と言っても微塵に切るしかないとなれば――。

 

「それでギョウザよ」

 

と、森は古代の顔を見て言った。古代は軽く頷いただけだ。

 

当然だろう。そんな事情は、ギョウザのタネをこしらえながら聞いているに違いない。何を今更、あらためてこの男にわたしが言い訳するみたいに言わなければならないのか。

 

そうだ。念を押さなくていい。タネ作りから焼き係まで古代にもさせると決めたのはこのわたしだ。そして今、他の艦橋クルーと共にこの場にやって来たのだって、言ってやるためだったのだから。

 

皆の前で面と向かって、これはあの喧嘩試合の罰なのよと。わたしの方がこの船の中で立場が上なのよと。古代君、あなたは士官としてまだ全然なってなんかいないのだから、そんな仕事から始めるのが当然なのよ。文句あるかと。

 

そう言ってやるために来たのだ。しかし本当に面と向かうと、妙にドギマギとしてしまう。

 

まただ、と思った。別に聞かれてもいないのに、言わなくていいことを言う。促成野菜農場が被害を受けたままなのよ。これはどういうことかと言うと、と、古代に向かってまくしたてかけ、あやうく思いとどまったところ――自分を見る古代の顔に、『それをおれに言ってどうする』という色が浮かびかけたのに気づいたからだ。

 

そうだ。前にも、これと似たようなことがあった。と言うより、度々(たびたび)だ。タイタン以来、古代と一緒になるたびに、同じことをやらかしている。船務科長としての自分の悩み事を、聞いてくださいと言わんばかりに……。

 

どうして、と思う。古代はその都度(つど)戸惑い顔をするばかりで、わたしが話すことなんか右から左に耳を素通りさせているのは見て取れるのに。わたしが抱える問題はこの男に直接関係ないとわかっているはずなのに。

 

なのになぜかどうしても理解させねばならぬ気になり一方的に話してしまう。島や新見や部下にも言わないようなことをどういうわけなのか……。

 

今もまた、そうしてしまうところだった。それを途中でやめられたのは、古代が自分を見る表情に気づいたというだけでなく、あの小展望室と違って今は他の者達の眼があるからだ。

 

島や南部や新見の前でまた古代にハアハアと生返事を返されて、挙句に相原あたりから『そんな話を古代にしてどうするの』と言われてしまうことになる。

 

そうなるのがわかったからだ。ギョウザがワープの連続の旅の成功を祈る料理だくらいのことは、ここにいる者は皆知っている。

 

どうしてだろう。ラムに似せたものらしいこのやたらに甘い香りのする酒のせいだろうかと森は思った。〈クバ・リブレ〉。古代にそれは何かと聞かれ、応えに対して返された言葉が、『あなたと同じものが飲みたい』とでも言われたように聞こえた。

 

それでうろたえてしまったのだ。新見でなく、わたしに向かって、『あなたが飲んでるそれと同じものをボクも飲みたいから持ってきて』と言われたように感じてしまった。『何を』、と思ってみてから勘違いに気づくまでに二秒ばかりの時間がかかった。

 

どうかしている。古代の言葉に他意のあろうはずもない。こんなものはそもそもたいした飲み物じゃないし、こんなところで誰かとふたりで飲んだからどうだというものでもない。

 

大体、わたしが自分からこの男に持ってきてやるというならともかく、なんで言われて持ってこなけりゃいけないのか。わたしは古代がそう言うならと喜んで取ってくる気ででもいたのか。

 

まさか。もちろん、それはない。なのにどうしてと森は思った。新見が古代にグラスを渡しているところが(うらや)ましく思えたのか。わたしだって誰かひとりくらいに同じことをして礼を言われてみたかったのか。

 

その手頃な相手と言えば、眼の前にいる古代だった。なのに新見にその役どころを取られてしまった。

 

そんなところなのかな、と思う。だがそれ以上に、わたしは古代が羨ましいのじゃないかと感じた。

 

卓の向こうで古代は結構、ギョウザを焼く仕事を楽しんでるように見える。古代だけでない。山本や、航空隊のパイロット達もまたそれぞれに与えられた役を楽しげにやっているようだ。

 

加藤以外は、だが――しかしあの二尉も、そろそろ許してやらねばならないだろう。

 

パーティなのだから、と思って酒をひとくち飲んで、森はあらためて古代を見た。

 

やっぱりわたしは、本当は、いま古代にやらせている仕事を自分でやりたいのだ。なのにそうはいかないから、罰だという理由をつけて代わりに古代にやらせている。

 

そうして言いたかったのだろうか。ここに来て面と向かって、どう、感謝しなさいよと。あなたにほんとはわたしがやりたいいちばんいい役をやらせてあげてるんだからね、と。そうして自分が飲んでいるのと同じ酒をこの男に手渡して……。

 

そんなふうに森は思った。古代はギョウザ焼きにかまけてもうこちらを向きもしない。


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