ども、燕尾です
日曜日。
バイトも終わり、今週から始まるテストに向けて軽く勉強しているとき、携帯電話に着信が入る。
番号を確認すると見たこともない番号からの着信。
「……」
最初は無視して切ったのだが、もう一度携帯が鳴り響く。番号はさっきと同じだ。
だろうなと思いつつ、夏樹は電話に出る。
「こんな時間に何のようだ」
『どうして一回電話切った?』
声の主はやはり咲太だった。非通知か、わけのわからない電話番号は大抵咲太からなのはわかっていた。
それでも一回切ったのは、当然面倒くさかったからだ。
「もちろん知らない電話番号から出てはいけませんって、母親から習ったからに決まっているだろう」
『秋月がそんな殊勝な心がけをしているなんて知らなかった』
「で、日が変わって数時間経った夜中に掛けてきた非常識の咲太君はどうしたのかな?」
『非常事態だ。助けてくれ』
夏樹の嫌味を聞いた上での咲太のこの発言。大方何が起きているのかはわかった。
「どうせ麻衣絡みだろ」
『秋月は麻衣さんのこと覚えているのかっ!?』
「そりゃあな。あんな面倒くさい女、忘れたくてもそう忘れないわ」
『その忘れる事態が起きているからこうして電話しているんだ』
「大体、麻衣のことを覚えている奴が峰ヶ原高校の連中ぐらいしかいないんだろ?」
『よく分かったな』
言われなくても考えればすぐ分かる。咲太のことだから先に佑真や理央に連絡しているだろうし、そもそも麻衣がこうなった原因は峰ヶ原高校にあると夏樹は考えていたからだ。
『なら話は早い。どうしてこんなことが起きてるか考えて欲しい。解決策を見つけて欲しい』
「断る、面倒くさい」
『こんなときまで、冗談言わないでくれ』
「俺が言う面倒くさいが冗談だったことがあるか?」
咲太は黙った。何度も聞いている夏樹の面倒くさいが嘘だったことは一度もないからだ。
「もう手遅れさ。明日には峰ヶ原の生徒も麻衣のことを忘れてる」
『どういうことだよ…』
咲太の声に怒気がはらむ。しかし夏樹が咲太の様子にビクつくわけはない。
「そのままの意味だ。この世界の人間は桜島麻衣のことを忘れる。明日じゃなくてもそのうち忘れられて、消えていく」
桜島麻衣という存在は人々の記憶から消え去り、観測されなくなった麻衣はこの世界から消える。
『僕は忘れない。絶対に』
「そうかい。ま、寝て次の朝にうっかり忘れてないことを祈るよ」
『微塵も思っていないこと言うな』
苛立ったように電話を切る咲太。それに対して夏樹は飄々とした様子だ。
「さて、寝るかな」
麻衣が消えようとしている今も、それに咲太が抗おうと奮闘している今も、夏樹には関係ない。人生なるようにしかならないのだ。
だからあくまで夏樹は普段どおりに過ごすのだった。
「よう、辛気臭い顔してんな。咲太との初めてのお泊りデートは上手くいかなかったのか?」
「……え?」
昼、学校に来た麻衣に声を掛けるととんでもないものを見るような目で夏樹は見られた。
「おいおい、役者がそんな間抜けな顔してていいのかよ」
普段なら間抜けな顔なんてしてない、と反論を受けるのだが麻衣からその返答は返ってこない。
「あなた、まだ私が見えるの……?」
「まあな」
「私を、覚えてるの……?」
「そりゃあ、二年ほぼ毎日話し続けてる奴を忘れることはそうないだろ」
すると麻衣は何を血迷ったのか、いきなり夏樹の手をとった。
「ちょっと来て!!」
「おい、何するんだ」
「いいから、来なさい!」
面倒くさい、と呟きながらも俺は麻衣に引っ張られていく。
どこに連れて行かれるのか考えなくても分かる。
「麻衣さん、それと…秋月?」
麻衣に連れられたのは咲太のクラス。咲太はもちろん、違うクラスのはずの理央がそこにいた。
「よう、二人とも。俺帰っていいか?」
「帰らないの」
最低限の挨拶を交わした夏樹は帰ろうとするが、そうはさせないというようにぐりぐりと麻衣に足を踏まれる。全力に近い強さで踏んでいることから、本気で言っているのだろう。
「おい咲太、そんな憎い目で俺を見るな」
「麻衣さんと手を繋いで足を踏まれているのに、それは無理な話だ」
どんなところに嫉妬しているんだ咲太は。
人の性癖に口出すことはしないが、嫉妬の矛先を夏樹に向けないで欲しいものだ。
「さすが梓川、こんなときでもぶれないブタ野郎だね」
「それで、俺は何で連れてこられたんだ?」
もうさっさと終わらせて欲しい夏樹は話を促す。
「秋月、もう麻衣さんのことを覚えているのは僕たちしかいないようなんだ」
「佑真は?」
「国見は覚えていなかった。朝桜島先輩について話しかけたら『誰だっけ、それ』って困ってたよ。他の生徒がどうかまではわからないけど」
「佑真が忘れた理由を、理央はわかるか?」
そう夏樹が問いかけると、理央はほんの少し気まずそうににした。しかし、その理央の様子に咲太や麻衣は気付いていなかった。
「おい、咲太。まだ麻衣のことを覚えていそうな人間を当たって来い」
「急に、どういうことだよ」
「昨日麻衣と行動してたなら、駅とかで峰ヶ原の生徒に見られたぐらいはあるだろ」
「見られたかもわからないのに麻衣さんを覚えていそうな人間なんて――いや、いる…!」
「あ、ちょっと咲太!」
心当たりの合った咲太は一気に駆け出した。そんな咲太を追って麻衣も離れていく。
二人の姿が遠くなって、声が聞こえなくなったところで夏樹は理央に確認する。
「それで、何か心当たりはあるんだな」
「秋月は昨日寝たか?」
「まあ、そこに行き着くよな。理央は?」
「私
単純な話、人間どのタイミングで物事を忘れるかを考えれば答えなんてすぐに出た。
「こうして目の当たりにすると、寒気が走るよ」
「この空気にか?」
理央は頷いた。
「こうなる前から、あの人がこの学校の中で空気のように扱われていたことに。私自身も空気を読んでさもこの状況が正しいかのように、何の疑問もなく、受け入れていたことに」
「大元の原因は麻衣自身だけどな」
麻衣がそうであることを望んだのだ。空気となり、一人の世界にいることを願い、そういう風に振舞った。それに対し周りは麻衣の望みを、麻衣が出した空気を読んで空気のように扱うようになった。
最初はクラスから始まり、それは次第に学年へ、そして最終的には学校全体まで広がった。
「今の空気は"みんな"が作り上げた。麻衣を含めてな。その空気は基本的に麻衣を中心に広がっていく」
関係のない人たちが麻衣を忘れた始めた原因はそこにある。麻衣が望む空気が伝染していったのだ。
「だが拡散され過ぎた空気はもう麻衣を媒介にしなくてもいいように、一人歩きするようになった。そして今の状況が起きている」
だから咲太にはもう手遅れだといったのだ。どう足掻こうと空気は勝手に広がっていくのだから。
「そこまでわかっているなら、解決策もわかっているんじゃないのか?」
「解決するのは咲太と麻衣だ」
「こういうときでも空気読まないんだね」
「読んだところで俺にはどうしようもないから読まないんだよ。俺にはこの空気を変える力はないからな」
後は任せるとだけ言って夏樹は自分の教室に向かう。
ただ夏樹にはまだ理央に言ってない事実があった。
「あ、最後に一つ。俺は今日ぐっすり寝たぞ?」
「は? それはどういう――」
「じゃ、頑張れよー」
全部は言わず、夏樹はその場から離れていった。
次の日、火曜日。今日からテスト期間だ。
「ねえ夏樹。あなたはまだ私を覚えてるかしら?」
「だから忘れてないって言ってるだろ。鬱陶しい」
「双葉さんはもう私のこと見えてもなかったし覚えてなかったわ」
「それじゃあ俺や理央の仮説は正しかったってわけだ」
そして理央は自分で実証することでその仮説を証明させたのだ。
「私は、どうしたらいいのかしら」
「知るか、いつも通りにしてればいいだろう。もうなるようにしかならんし、不安なら愛しの咲太を信用しとけばいい」
「あなたはブレないわね」
「理央曰く、俺は空気が読めないらしいからな」
それにブレていないのは夏樹だけじゃなく、周りの連中だって同じだ。皆、普段と変わらない生活を送っている。
麻衣という存在がいないのは皆にとって普通で、日常なのだ。
「お前、テストはどうするんだ?」
「用紙を貰えないんじゃ受けようがないわよ」
「なんだったら俺が貰ってやろうか?」
そう申し出ると、麻衣は明らかに警戒し始めた。
「何が目的?」
「別にテスト中にうろちょろされると鬱陶しいから、暇つぶしできるものを渡そうとしているだけだ」
麻衣が触れたものは見えなくなる。なら余分に一枚貰って渡せばそれで済むだけの話。
「でもそうだな。麻衣がそんな目で俺を見ているなら、お望み通り何か要望しようじゃないか」
じっと麻衣の目を見据える夏樹。
その視線を受けた麻衣は服の上から女としての部分を隠すようなポーズを取った。
「わ、私に何させようとしているのよ、変態!!」
「咲太と一緒に何か甘いものでも奢ってもらおうと思っていただけだけど?」
麻衣の考えるようなことなんて、夏樹は一切考えていない。
勘違いしたことに麻衣の顔はみるみる紅くなっていく。
「麻衣が咲太に劣らないブタ野郎だったことは伏せといてやる」
「ぶ、ブタ…!?」
「とにかく。俺は麻衣に対して恋愛感情だとか男としての欲望だとか思ったことは一度もない」
断言する夏樹に麻衣は複雑そうにする。
しかし夏樹が言っていることは事実だ。不思議なこと――でもないが、夏樹は麻衣に恋心を抱くことはなかったし、まして麻衣に欲情したことはまったく無かった。
そのことを夏樹が本気で言っていると感じ取っているからこそ、麻衣は複雑そうにしているのだ。
「そこまではっきり言われると、さすがにムカつくものを感じるわね」
「面倒臭いやつだな、ほんと」
この手の話に正解など無いのだろう。
どう言っても間違い。一体どうしたらいいというのだ。
夏樹は思考を放棄することで解決する。
「とにかく全部終わったら咲太と甘いもの奢れ。それでゴールデンウィークからのことはチャラにしてやる」
「……夏樹の癖に生意気」
麻衣はまた俺の脚を踏んできた。だがそれはまったく痛くなく踏んできたというより、乗せてきたというほうが正しい。
「この際だから言わせて貰うが」
そんな麻衣の行動に、夏樹は口角を少し上げる。
「俺たちは同い年だ」
いかがでしたでしょうか?
ではまた次回に