どうも、燕尾です。
第五話です。
テスト二日目水曜日。
「おい、秋月。秋月っ!」
「あん……?」
大きな声が上から聞こえて夏樹は目を覚ました。
目を擦り誰だと確認すると試験官の教師だった。寝起きで寝ぼけているのか教師の口がひくひくと痙攣しているように見えた。
「テスト中に熟睡とは随分と余裕だったんだな、秋月?」
「実際余裕でしたからね」
今日最後のテストは日本史。早々に解き終わった夏樹は退屈していた。
暗記系のテストは捻る要素もないため、解き切れば他にやることはなくただ待つだけで時間を持て余すだけだ。
暇で仕方がなかった夏樹は最初隣にいる麻衣にちょっかいを掛けて筆談でもして暇を解消しようとしたのだが、うるさい、静かにしなさいと窘められて終わった。
もはやする事がない俺はおとなしく時間まで寝ることしたのだ。
「なんだったら今すぐ採点してもらってもいいですよ。たぶん満点なんで」
「……ちっ」
「舌打ちは駄目でしょう。満点取った生徒に対して」
「まだ確定してないぞ!」
採点なんて待たなくても夏樹にはわかる。なぜなら夏樹は高校のテストは満点しか取っていないからだ。
「ま、なんだっていいです。そこまでテストの点数に固執してないんで」
「本当に嫌なやつだな、お前は」
そう言って、教師は俺の答案用紙を回収して教室を出て行く。
「……今のはさすがに私もどうかと思うわよ?」
夏樹と教師のやり取りを静かに見ていた麻衣がそんなことを口にする。
「いいんだよ。どうせあと数ヶ月の付き合いなんだから。教師なんて成績さえ取ってれば煩いこと言わんし」
「教師からしたらこれ以上扱いにくい生徒はいないわね」
「麻衣ほどじゃないだろ。もっとも、今は扱われてすらいないんだが」
軽く反論しただけなのだが、麻衣は黙ってしまった。
調子の狂う反応されて俺はどうしたものかとため息を吐いた。
麻衣の状況はなっても変わらないままだ。理央も麻衣の存在を忘れ、麻衣を覚えている残りの存在は夏樹と咲太の二人だけ。
しかし咲太はもう時間の問題だ。今日の朝に咲太を見たら酷い有様だった。
睡眠が記憶を失うトリガーとなっているのを理央で確信した咲太はなんとか寝まいと今日で三徹目だったのだ。
「ねえ夏樹。今日のこの後空いてる?」
「帰ってバイト行く」
「付き合って」
「どこにだ」
「ここで勘違いしないあたり、さすが夏樹ね」
勘違いする要素がどこにも見当たらない。麻衣が意図的に言っていることぐらい夏樹にはわかっていた。
「で、お前は何がしたいんだ」
「買い物がしたいの」
それは咲太に頼めばいいだろう。咲太だったら麻衣の誘いなら尻尾を振って付き合うはずだ。
「咲太じゃ駄目なの。夏樹じゃないと」
「おちょくってるなら帰るぞ、こら」
「私は至って真面目よ」
それにしては麻衣の言葉のチョイスに夏樹は悪意を感じるし、笑いをこらえて言ってるのがバレバレだ。
「お願い」
しかし、一瞬にして麻衣の空気が一変した。
「咲太に頼めない以上、もう夏樹しか頼れないの」
夏樹は一瞬迷った。これがさっきまでの演技なのか、本音なのか。
「……仕方ねえな」
だからこそ夏樹は面倒くさそうにしながらも麻衣の頼みを引き受けた。
「ずっと聞きたかったことがあるんだけど」
麻衣の買い物に付き添いであるところに向かっている最中。肩を並べて歩いている麻衣が問いかけてきた。
「どうしてあなたは私のことを忘れないのかしら」
「忘れて欲しいのか?」
「そうじゃない」
いつもの麻衣だったら"別に夏樹に忘れられてもいい"みたいな強がりの言葉を返ってくるのだが、状況が状況だけに素直になっていた。
「真面目に、答えて」
逃がさないように夏樹の目をしっかり見る麻衣。
「あなたは普通の生活を送っている。朝に起きて、学校に行って、バイトして帰ってきて寝て……皆と変わらない日常を送っているのに、どうして私のことを覚えられているの?」
「……」
「寝ることが記憶を失う引き金だってことはもうわかってる。だから咲太はあんなことをしてる。でも夏樹はなにも変わってない」
「理央曰く、俺は空気が読めない奴だそうだ」
「それはわかる。というか読めてると思ってたの?」
即答し、さらに追撃する麻衣に夏樹はあまりいい気はしなかった。
しかし普段の行いを振り返ればそう思われても仕方がないとまで言われてしまえば反論できなかった。
「でも、そういうところがたまに凄いと思ってるわ」
「安いフォローありがとさん」
「本当のことよ。高校生が、社会が勝手に作ったどうでもいいルールに縛られずに生きていく。そんなことできるのはほんのわずかだから」
「その賞賛が空気の読めない奴だっていうのはよく皮肉が効いてるな」
「私はそれが全部悪いとは思ってない。それはしっかり自分を持っているってことだから」
何ごとにも流されず、縛られず、イエスにノーを、ノーにイエスを叩きつけられる人間は芸能界でもそういないと麻衣は言った。
どんなに間違っていることでも、大衆から求められる通りの答えを出さないといけない。そういうことを無意識で感じ取ることを芸能界では強要されることが多い。そんな中での生活を続けてきた麻衣だからこそそれなりの説得力はあった。
「話が逸れたわね。とにかくわからないの。いつものままのあなたが」
夏樹は頭を掻いて息を吐く。それはどちらかというと悩んでいるというより呆れているようだった。
「そこまで言っていてわからないっていうのも不思議なものだな」
「どういうこと?」
本気でわかっていない麻衣の様子に夏樹は深く息を吐いた。
「俺が未だに麻衣のことを忘れてないのは、今麻衣が言ったことがほとんど答えだ」
「説明を省かないでちゃんと説明して」
「麻衣が認識されなくなった大元の原因は麻衣に原因があるのはわかってるな」
麻衣は頷く。今さらここでわからないなんて言う阿呆じゃなくて本当によかったと心から思う。
「麻衣の振る舞いで生まれた"空気"。他の連中たちは無意識にその"空気"を読むようになっていたんだ」
最初は、桜島麻衣には関わるなという空気を意識していた他の生徒も次第に意識せずに麻衣とは関わらないことができるようになっていた。
そして学校内で暗黙の了解で出来上がった"空気"を麻衣は学校内から学校外に持ち出した。空気の根源は麻衣だから学校の空気は麻衣に帰属してついて行き、そこからまた広がった。
「ちょっと待って、それが正しいならどうしてここまで広がっていくのよ。私についてくるなら範囲は私の周りだけでしょ?」
「基本的にはな。だが、広がりすぎた空気は麻衣を必要としなくても伝わるようになった」
空気は簡単に人に伝わる。無意識に読み取った誰かの空気をさらに誰かが無意識に読み取る。
「麻衣がもう空気になりたくないと願おうと、人々の日常で桜島麻衣は空気になった。世界もまたそんな空気を読んだんだ」
これで麻衣がいない世界の出来上りだ。世界すら空気を読んだのだ。
「ならどうして俺は忘れないのか、そろそろわかるんじゃないのか?」
「あ……」
そう問いかけると麻衣は小さく洩らした。ようやく気付いたようだ。
「俺だって空気を読むときは読む。ただ読んでも仕方がない空気は読んでも意味ないから読まない。それは意識的な問題だが」
大半の理由は面倒くさいから読まない。だが、夏樹は根本的なことがある。
「俺は無意識下でも空気がまったく読めないらしい」
夏樹は壊滅的に空気が読めない。何ごとにも流されず、縛られず、イエスにノーを、ノーにイエスを普通に叩きつける人間だ。常識はあるが夏樹は基本的に空気が読めない。
「周りがどうであろうと世界がどうであろうと――俺には関係ないんだよ」
夏樹の日常には、桜島麻衣の存在がいる。朝や昼、放課後の時間。ただの他愛のない、くだらない話ばかりをしているが、夏樹には桜島麻衣と積み上げてきた時間がある。だから忘れないのだ。
夏樹だって自分の知らない誰かが消えていても気付きもしないだろう。なぜならそれは関わりのない、知らない人間なのだから。
ただそれだけのこと。誰もわかっていないようだが、単純なことなのだ。
「そう…」
麻衣は神妙な面持ちで呟いた。
「まとめると夏樹は世界からも空気が読めないと認定されて、見放されてたのね」
「おい」
間違っていないのだが、こうも堂々と指摘されると非常に腹立たしくなる。
「そうなったら意地でも空気を読んでやりたくなるわ」
「そう言っている時点で夏樹には無理よ」
くすくすと笑う麻衣。そんな麻衣に夏樹はさらに顔が歪む。
夏樹が今さら空気を読もうと躍起になったところでできないのは自分自身がよく分かっていた。
「ちっ、あのまま話さないで悩ませておくのが一番だったようだ」
「安心しなさい、そういうところはきちんと空気読めてるのだから」
麻衣に褒められても、夏樹は全然嬉しくなかった。
そんな話をしているうちに、目的の場所へと着いた。
「いらっしゃいませ」
二人並んで店に入るも、店員の視線は夏樹にしか向かない。
しかし今さらのことで、夏樹と麻衣は店内を歩いていく。
「で、お目当てのものはなんだ?」
周りから見たら夏樹一人で買い物に来ているようにしか見えないので、独り言を言う変な奴だと気付かれないように問いかけると、麻衣はあるものを指差した。それを見て夏樹はそうだろうなと思いつつも一応聞いておく。
「本当にそれでいいのか」
「ええ。構わないわ」
麻衣は頷いて手に取る。それも夏樹なんかがなに言っても覆ることのない決意の表情で。
「じゃあ、会計してくるわ」
麻衣の意思を尊重して、夏樹は受け取った物をレジに通すのだった。
いかがでしたでしょうか?
次回でバニーガールは完結させる予定、です。