鬼火の尾、野狐の牙   作:雄良 景

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 コン コン コン


 あな恨めしき、あやにくなり―――――


 コン コン コン


 醜き人の欲深さぞ


 コン コン コン


 あらゆる凶事、忌事ぞ
 罪深き者どもに降り注げ


 コン コン コン


 ―――――焼き尽くせ、喰らひ尽くせ


 コン コン コン


 痛いぞ憎いぞわりなしぞ
妾はゆめゆめ赦さんぞ


コン コン コン


 逃げらるるなどな思ひそ
ひとり残さず―――――





「いい加減にしなさい」





桃太郎侍来たり

 

 

 

「ふんふんふ~ん」

 

 

 陽気な鼻歌が響く。ここは地獄の裁判所。閻魔のお膝元で、赤紫の癖の強い猫っ毛をふわふわと揺らしながら鬼狐(きこ)がゆっくりのん気に歩く。

 

 

「等活地獄に人が足りん!」「おいっ裁判前に亡者が逃げ出したぞ!」「たっ、大変だ! 衆合地獄の鬼女と叫喚地獄の鬼女がグラビア勝負を…」「クッソいい加減にしろこっちは忙しくて見に行けないんだうらやましい!!」

 

 

 しかしもちろん、年中人手不足の地獄が暇を持て余しているわけではなく。ヒイヒイ言いながら走り回る獄卒たちをしり目に、鬼狐は気にせず目的地へ歩き続けた。

 いくら周囲が忙しそうでも、鬼狐が罪悪感や肩身の狭さを覚えることはない。図太さがナンバーワンの自分だけがオンリーワンといった反日本人的精神構造(偏見)。

 ともすればスキップすらしそうな勢いで、鬼狐はとうとう閻魔の執務室へ足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

 

「閻魔大王! 黒縄地獄の予算が…」「大変です、亡者の団体が到着しました! 拘留所がいっぱいいっぱいで!!」「血の池地獄の設備が壊れました!」「新しい拷問具の手配なのですが」「閻魔大王!」「閻魔大王!!」「閻魔「閻魔大王「閻魔大「閻魔大王!!!」

 

「ああ~っ全部鬼灯君に言ってよぉ~っ!!!」

「あらまあ、大変そうどすなぁ」

 

 

 ―――――閻魔は唸る。日々無くならない地獄業務の多さに、元来あまり(まつりごと)に向かない頭で一生懸命指示を出すが、キャパシティを超える仕事量に脳はとっくに限界を迎えていた。泣きたくなるような気持ちで、優秀で威烈、なにより地獄壱と言ってもいいほど有能な補佐官の名を呼ぶ。

 

 そんな地獄の権力者とは思えないような情けない姿に、鬼狐はのんびりとした声で話しかけた。

 

 

「あっ智嘉(ちか)ちゃん!」

(かがりび)さま……!!」

 

 

 見たらわかるだろう、と言いたくなるよなセリフに、閻魔はパッと顔を上げて発言者を見た。ザワ、と獄卒たちに動揺が走る。

 狐尾を揺らしてにこにこと笑う娘っ子―――――燎 智嘉の物言いは、言葉選びこそ丁寧なものだが方言のまま、口調は軽い。おおよそ『閻魔』に対してと考えれば無礼が過ぎる。けれど閻魔は其れを咎めず、久しぶりだねえ、と目尻を緩ませて歓迎した。

 

 

「3か月ぶりくらいかなあ。最近どう? あ、今日はどうしたの? お休み? 遊びに来たの?」

「お久しぶりどすなぁ。まだまだお仕事中どすえ。鬼灯さまに用事があったんどすけど、あのお人は今いてはりますのん?」

 

 

 のほほんとしながら、智嘉は探し人を明かす。

 

 『鬼灯』―――――それは閻魔大王の第一補佐官。その有能さ・カリスマからこの地獄の裏番長とまことしやかに囁かれる実力派の鬼神である。

 

 智嘉の用事とはすなわち仕事だ。智嘉は獄卒である。担当地獄は―――――阿鼻地獄。八大地獄で最も過酷といわれる地獄の最下層。

 

 それだけ過酷ならばさぞ獄卒も忙しかろうと思われるのだが、意外や意外、実はそうでもない。

 なにせ亡者が阿鼻地獄に到達するまでには2000年もの時間がかかるのだ。判決を下された者のほとんどがまだ落ちている途中。阿鼻の獄卒は定時退勤ができる。

 それだけ聞けばホワイト部署に聞こえるが、そこはさすが最下層。亡者の叱責のために誂えられた最も過酷な地獄の底は、獄卒ですら精神に異常をきたしかねないまさに地獄。結果としてかなり有能な獄卒のみが生き残るが故の仕事回転率を持つ修羅の世界。耐え抜けるものだけに許されたホワイト勤務は、ある意味獄卒の中では勇者の証のように扱われる。

 

 そんな最下層に3000年(・・・・・)勤続する獄卒の笑顔を見ながら、閻魔はつられたように笑って答えた。

 

 

「鬼灯君はね、今なら針山地獄あたりじゃないかなぁ。早く帰ってきてくれるといいけど…」

「針山地獄! えらい遠いとこどすなぁ。……相変わらずおせわしないご様子で。まああのお人が優れてるさかいこの仕事量なわけで、なんとも言えへんどすけど」

 

 

 ふうむ、と今度はその狐目の端を上げて智嘉が唸った。仕事のことで会いに来た自分が言うなという話かもしれないが、相変わらず忙殺されているらしい鬼灯をそれなりに心配しているのだ。

 有能な(ひと)はこれだから。忙しいのは仕方がないが、休み方を知らないわけでもないくせに。

 

 「(あて)がここで言うとってもあんお人の仕事が減るわけちゃいますが」とため息を吐いた智嘉に、閻魔は帰ってくるまで待っているかと声をかけた。

 

 

「お気遣いおおきに閻魔さま。せやけど鬼灯さまもの元へはこっちから出向きます」

 

 

 「それでは(あて)はこれで、失礼いたします」そう言って智嘉が踵を返したところで―――――ひとりの小鬼が、閻魔の元へ飛び込んできた。

 

 

 

 

 

 

「閻魔大王さまーーっ! った、大変ですっ!」

 

 

 智嘉の横を通り過ぎ閻魔に飛びつくように駆け寄った白い猫っ毛を揺らす小鬼は、今しがた発生したとんでもなく大変なこと(・・・・・・・・・・・)を報告しようとした。

 しかし―――――

 

 

「おいお前! 順番は守れよ!」

「そうだぞ先ず俺だ!」

「違うこっちだ! 閻魔さま、叫喚地獄のことについてなのですが!」

「あっずるいぞお前!」

 

 

 智嘉が話している間は大人しく待っていた他の獄卒たちが、横入り小鬼に食って掛かった。その喧騒に、背を向けて歩く智嘉は肩をすくめる。地獄はいつでも人不足。早く自分の案件を済ませたい獄卒たちによる取っ組み合いが始まるかと思わせる剣幕の言い合いに、小鬼はその小さな体を怯ませる。

 

 しかし、だからといって退ける話ではないのだ。小鬼は勇気を振り絞り、他の声をかき消すように叫んだ。

 

 

「そっ、それどころじゃないんですってば!! ―――――桃太郎(・・・)が攻めてきたんです!!」

 

 

 ―――――ぴたり。智嘉の足が止まった。

 

 

 

 

 

 

「針山は異常なし。……まったく、閻魔大王は何でも私に仕事を回してきて」

 

 

 地獄の端の方。バインダーを片手に仕事をこなしていた鬼灯は、ほやほやとした上司の顔を思い浮かべ握ったボールペンにちからを籠める。

無くならない仕事にサボる上司、削られる睡眠時間。小さくため息を吐いたところで、鬼灯はふと近づいてくる鼻歌に気が付いた。

 

 

「ふふふ、ふっふふっふ、ふんふふんふふ~ん……あ、居った居った。こんにちは、鬼灯さま」

「おや、智嘉さん。こんにちは。ご機嫌ですね」

「そうでっしゃろか? それより、お仕事のお話なんどすけど」

 

 

 くりん、首をひねった智嘉の癖の強い都言葉(きょうとべん)に少し目を細めた鬼灯は、変わらず平坦な声で「どうぞ」と続けた。

 

 

「ひとつは、まぁた天国から人材派遣依頼どす。中身はいつもどおり、仙桃を管理する人員が欲しい、せめて芝刈りくらいしてくれ~だのなんやの」

 

 

 天国、と聞いた時点で眉間にしわを寄せた鬼灯は、すべて聞き終えると鋭い舌打ちを放ち「この忙しいって時に余計な仕事を…天国の世話までしていられませんよ」と切り捨てた。

 

 

「大体、芝刈りってことは仙桃関係でしょう。そもそも仙桃をたくさん作って妙薬を確保しようとする天国の政策には反対なんです。慎ましく栽培してれば十分天国の人材で事足りるくせに……万能薬を大量製作するなんて、人格(ひと)が堕落します」

「ええ、ええ、天国(あちらはん)も欲深いどすなぁ。何をそないに恐れるのやら。備えよ備えよと、過ぎたることばっかり」

 

 

 智嘉はにんまりと笑って、鋭い爪のある指で自分の腹を数回撫でた。

 

 

「うふ、うふ、何でもかんでも腹にため込もうとするさかい、ほぅら、腹が張って、皮膚が引っ張られて、薄ぅなって―――――底が透けて見えそうや」

 

 

 冷たく笑いながら肩をすくめた智嘉は、一転して「人手不足は地獄の方が深刻やちゅうのに」とため息を吐いた。

 

 

「ふたつめは、不喜処地獄のついてどす。こないだ犬が2頭退職してまいましたさかい、えらいピンチのようどすなぁ。まあ、人足りてはる地獄なんて阿鼻くらいやろうけど。なんとかシフト組んで回しとったようどすが、そろそろ限界のようで」

 

 

 ―――――これについては、さすがに鬼灯も瞳に不憫そうな色を持たせた。不喜処地獄の獄卒はほとんどが動物である。元来鬼灯は動物好きであるし、不喜処の獄卒たちはまじめな子が多い。

 一生懸命頑張っている部下を想う気持ちは、鬼灯の鬼ハートにもあるのだ。

 

 

「人手不足、人手不足。ほんま地獄の第一課題やわ。人は足らへんのに仕事は増える。いややなぁまったく。そろそろ、抜本的な働き方改革のひとつでも打ち出さな…首回らへんくなりそうや」

 

 

 ジロリ、と鬼灯は剣呑な視線を智嘉に向けた。そんなことを言って、智嘉がこの人手不足を大いに利用している(・・・・・・)のは知っているのだ。

 まあ、それでも確かに現状を問題視しているのは嘘ではないだろうから、鬼灯はため息ひとつで見逃すことにした。智嘉が人手不足の地獄に貢献しているのも確かだからだ。

 

 

「人員というものは増やせばいい訳ではありませんからね。甘やかすつもりはまったく(・・・・)ありませんが、かといって見境なく起用して問題が起これば、結局その処理で仕事が増える」

「ご尤もどすなぁ。ややこしい話どす。それに、結局育てるのも楽ちゃうさかい、ベテラン勢は仕事増えますし…長ぁい目で見るなら、結果出るまでの苦労は仕方があらへんのやけど。

 

―――――ああ、そうや」

 

 

 うんうんとワザとらしく頷いた智嘉は、それからなんとも嘘くさい満面の笑みを浮かべてポン、と手を打った。

 ピクリ、鬼灯のこめかみが震える。その笑い方があまりに嫌いな男にそっくりだったのだ。嫌なところが似た、と苛立ちが湧く。

 

 

「むこうで獄卒の子ぉが騒いどったんどすが、どうやら地獄に『桃太郎』がいらはったそうどすえ。うふ、うふ、鬼退治でっしゃろか」

 

 

 

 

 

 

 ―――――桃太郎、という人間をご存じだろうか。

 おそらく多くの人はこの日本で最も高名な英雄を思い浮かべることだろう。

 

 『鬼』という概念を持つ者は皆、その名を恐れる。

 なぜなら『桃太郎』は『鬼退治』の権化。名前すらもが『退魔』を示すちからを持つからだ。

 

 桃から生まれた、桃太郎。現代にも広く伝わる退魔の大英雄。

 その知名度はあまりに驚異的で、存在が概念にすらなったひとりの人間。

 

 

 

 

 

 

「長いこと天国でゆっくりしてもろうてましたけど、不満があったのでっしゃろか。まあ、なににせよ、日の本が誇る大英雄さまの御来獄や。丁重なおもてなしが必要どすなぁ」

 

 

 キャアキャアとした声で智嘉が笑う。それは聞きようには有名人へのミーハーな反応だと思われるかもしれないが、それにしては吊り上がったくちの端の歪なこと。鬼灯はカチリ、持っていたボールペンのをノックした。

 

 

「そういえば、桃太郎のお爺はんは山へ芝刈りに行かれてましたなぁ。桃太郎も鬼退治に出るまでは鎌を持って草を刈っとったのでっしゃろか」

「そうそう、桃太郎といえば、お供の猿犬雉! 天国ではお供も一緒に暮らしてるちゅう噂を聞いたけれど、今日もお連れでっしゃろか。いやあ、会うてみたいなあ。聖獣て聞いたさかい、きっとお強いのやろうなぁ。そらぁ、地獄の亡者どもなんぞ恐れるに足らへんやろ!」

 

 

 にこにこと話す智嘉に、鬼灯はもう一度大きなため息を吐いた。言いたいことは良く分かった。気づきは間違いではない。けれど、この回りくどい言い回しはどうにかならないものか。

 

 

「うふ、うふ、天国はそないお暇なのでっしゃろか。桃太郎ほどの英雄を持て余すやなんて、贅沢なこっとすなぁ」

「……御一行はどこに?」

「はて、どこどしたか。受付らへんに来たて聞いた気がするなぁ。ご丁寧なこっとすなぁ」

 

 

 うふ、うふ、と笑う智嘉をしり目に、鬼灯は針山地獄から踵を返した。向かう先は―――――

 その後ろをご機嫌についていく智嘉は、何でもないことのように言葉をつけたした。

 

 

「そういえば、御一行は『一番強い鬼を出せ』? て騒いでるそうどすえ。おお、怖い怖い。このご時世に地獄で鬼退治どすか。使命に熱心なご様子で、全く恐れ入るばっかりや」

 

 

 それを早く言え。

 何が『ご丁寧なこっとすなぁ』だ。どう考えても受付を大人しく通っていないだろう。そう言えば最初に『鬼退治でっしゃろか』とか仄めかしてたな。

 青筋の浮かんだ目の前の額に「うふふ、」と上機嫌になった智嘉へ、鬼灯はさすがに軽いデコピンを食らわせた。

 

 

「あ痛ぁ! しょ、職場内暴力!」

 

 

 もちろん無視である。

 

 

 

 

 

 

 「ああっ鬼灯さま!」

 

 

 鬼灯が受付前に到着すると、気づいた獄卒が大慌てで出迎えた。忙しいところをわざわざご足労いただくなんて…受付担当として、結果的に上司に仕事を増やしたことへの罪悪感が募る。

 

 ―――――それに。

 

 獄卒はちらりと鬼灯の後ろを見た。そこには相変わらずにこにことした智嘉がいる。

 

 ―――――とんでもく恐ろしい(・・・・)ヒトまでご一緒だと、背筋に怖気が走る。

 

 ブルリ、と身を震わせた獄卒は智嘉と目が合ってしまう前に頭を下げて視線をそらした。

 

 

 ―――――それはそうとして。

 実はこの獄卒は、今の今まで桃太郎の相手をしていたひとりなわけで。

 その相手が、こんな態度を取れば、すなわち桃太郎も気づいてしまうわけで。

 

 

「そいつが上官だな!! おいお前―――――俺と、勝負しろ!!」

 

 

 まあ、こうなるわけで。

 

 

 

 

 

 

「生前悪い鬼の退治でご活躍なさったのを誇るのはいいですが、大義を見失っちゃあいませんか」

「いーや、見失ってないね。俺は鬼と戦ってこそ(・・・・・・・)桃太郎なんだ」

 

 

 すっぱりと、相変わらず八つ橋を知らないような鬼灯の冷徹が炸裂する。しかし、桃太郎はまるで応えた様子もなく、さらりと言い返した。

 

 にゅう、と智嘉の開いてるかわからない狐目が歪む。

 

 

( うふ、うふ……かわいそうなお人どすこと。 )

 

 

 智嘉の目に映る桃太郎は、あまりに客観的に自分を見てしまった、かわいそうな人の子だ。 

 

 『桃太郎』は『鬼退治』の代名詞。彼の没年はいつだったか。天国へ行ってどれほど経ったか。

 

 かわいそうに、かわいそうに。

 

 智嘉はお供の動物たちに酷いことを言われて憤慨する桃太郎を、笑いながら眺めた。

 

 

( 鬼灯さまったら、そないにいじめて、えげつないお人やなあ )

 

 

 うふ、うふ、と智嘉は笑う。こんな情けない目にあって、それでも退けられない桃太郎を笑う。

 

 

「殴る蹴るのタイマンはったろかァ!!?」

「あっ、殴る蹴るでいいならありがたいですシンプルで」

「さすがは英雄さま! 鬼にも優しい選択肢をご用意してくれはるなんて、器が大きゅういてはる」

 

「アッ、い、いや待って暴力はって、ヒギャア!!」

 

 

 金棒を構えた鬼灯の気迫―――――まさに鬼神。あまりの迫力に青ざめた桃太郎は、鬼灯の後ろからひょっこりと顔を出した智嘉に情けない声を上げた。

 

 急な登場人物に驚いたのもある。けれど、それ以上に―――――

 

 

「な、なななななっ……」

 

 

 その恰好に、真っ赤になってフリーズした。

 それもそのはず。智嘉は仕事着でそこにいた。―――――その仕事着が問題なのだ。

 

 

( っま、前掛けと、ししし下は(パンツ)だけじゃん!!? )

 

 

 なんで誰も突っ込まないんだよ! 桃太郎は心の中で叫んだ。

 

 

 智嘉の格好はいたってシンプルだ。上は金太郎の前掛けのような布が一枚に、下は後ろ前に履いた褌一丁。どこから見たって健全とは言い難い。むしろマニアックに全振りしている。

 どう見ても痴女だ。衆合地獄のイメクラでも見ないような格好だ。

 

 ―――――しかし、桃太郎が知らないだけで鬼灯は3000年前から何度も注意している。その恰好はいかがなものか、と。

 

 けれど智嘉は、鬼狐なのだ。とある神獣よろしく利便性のために人型を取っているが―――――元の姿は『狐』である。というか生まれは野生の狐である。

 むしろ野生動物にこれだけ服を着せているだけでも頑張ったほうなのだ。

 

 そんなことを知らない桃太郎は、地獄はやっぱり危険なところだと身震いした。

 

 

( お、女の子にあんな格好をさせるなんて…! やっぱり俺が、退治しないと(・・ ・・・・・・)……!! )

 

 

 桃太郎は決意を固めた。

 

 

 

 

 

 

 しかし、いくら桃太郎が決意を固めようと相手は地獄きっての鬼神である。いくら桃太郎でも分が悪い。

 

 

( 特に今の桃太郎はんは、本来のちから出せてへんやろうし )

 

 

 桃太郎は強い。しかし、それは単純な腕っぷしの話ではないのだ。

 

 

 

 桃太郎の本来の強さは―――――『心』にある。

 

 

 

 圧倒的ちからを持って村人たちを虐げた悪鬼たち。

 その姿を見て桃太郎が感じたのは『怒り』だ。

 怯え、媚びへつらい延命を求めるのではなく、彼はただ怒った。

 愛する人々を傷つけられたことに怒った。だから立ち上がった。

 

 ―――――たったひとりでも。

 

 

 桃太郎の強さの根源は、その魂の美しさだった。

 誰かのために矢面に立つその(うつくしさ)が、あらゆる魔を退けるほどもちからを持っていたのだ。

 

 

 聖獣を3匹もお供に得た幸運はその魂の美しさからくるものだ。

 だから、今の彼では鬼灯に届かない。

 

 自分のことだけを考えて刀を向ける桃太郎は、ようするに『解釈違い』なのだ。

 

 

( まあ心中はお察しすけど。彼も人の子やさかい持ち上げられれば多少は堕ちてまうこともあり得るやろう。せやけど、さて。 )

 

 

 ―――――何がきっかけかは知らへんが、自分の魂の堕落に気づいてもうたことが悲劇なのかもしれへんなぁ。

 

 

「うふ」

 

 

 『桃太郎は鬼と戦ってこそ』―――――後世に語り継がれた彼の偉業。それは結果ばかりが色濃く残り、とうとうその始まりを思う人は少なくなったように感じられる。

 

 

 第三者からの視線。それは、数多の英雄に共通する最大の苦悩なのかもしれない。

 勝手に期待して、勝手に落胆される。

 それは途方もない苦痛でありながら、それでも『応えなくては』と思ってしまう善性こそが彼らを英雄(かれら)たらしめる呪い(ゆえん)なのだろう。

 

 

 かわいそうな人の子。智嘉は笑う。目の前で必死に恥をかいているかつての英雄を笑う。

 

 

 仕方なかったのだろう。そうでもしなければ―――――誇りを取り戻せなかったのだろう。

 再び神話を繰り返すことで、彼はかつて胸を張った『桃太郎(じぶん)』を取り戻そうとしたのだ。

 

 

 智嘉は分かっていても救わない。ただ笑うだけ。愉快な見世物だと笑うだけ。

 

 けれど、ここには鬼灯が居た。

 

 

 

 

 

 

「情けなくないのですか」

 

 

 ずいぶんと手加減された平手打ち。かけた言葉は冷たくとも、その声はどこか情を感じさせる。

 けれど、それは桃太郎の歪んだ心には響かない。ただ、おまえが、害悪(オニ)が何をと反発心を膨れさせるだけ。

 ―――――そう、桃太郎には。

 

 

「桃太郎…もうやめようよ」

 

 

 ―――――何年共に居ただろうか。

 聞き慣れた声は、鬼灯のものと違い桃太郎によく聞こえた。

 それは桃太郎を馬鹿にするものではなく、ただ、友を思う音だった。

 

 鬼灯の声が桃太郎に響かなくとも、―――――そこに感じられた、道を誤る者を正そうとする音は桃太郎を想うものによく響いた。

 

 そうして、背を押されたように桃太郎に届けられた声の、温かさ。

 それは、ねじれることなく桃太郎の心の響いた。

 ポロリ、桃太郎の頬を涙が伝う。

 

 

「あんたが好きだから、一緒にいるんだ」

「もういいよ、止めようぜ桃太郎。……俺らはそのままのアンタが好きなんだ」

 

 

 それは、無償の愛にも等しい。

 

 ―――――かつて彼らが、桃太郎とともに旅をしたのは。多勢に無勢な鬼を相手に、怯むことなく立ち向かったのは。

 

 愛する人たちを思う桃太郎の心があまりにも愛しくて。

 鬼が島の悪鬼どもと比べればあまり小さく頼りない体で、それでも刀を片手に立ち上がった愚かさが可愛くて。

 その瞳に宿る炎に魅せられたから。

 

 

( 分かってるんだ、本当は。本当は、こんなことしたって意味ないなんて。分かってるんだよ。―――――それでも、 )

 

 

 

 ―――――あれが桃太郎?

 ―――――え~思ったより普通~

 ―――――ほんとにあんなデブが鬼退治したのか…?

 ―――――あ~でもお供の動物って聖獣なんだろ?

 ―――――お供ありきってことか~ちょっと幻滅

 

 ―――――かわいそうだよなあ、お供も。せっかく聖獣でも、あんなのがゴシュジンサマならさぁ。

 

 

 

( 俺はもう一度、英雄(ももたろう)に戻りたかったんだ )

 

 

 

 ―――――この世とあの世にある生命の中で、これほど友を思い友に思われたいのちがどれだけあるだろうか。

 

 

 

( けど )

 

 

 

 少なくとも、目の前のいのちが紡いだ言葉は桃太郎の肩の荷を優しくおろした。

 ねじ曲がって歪んだ桃太郎の心を、優しく優しく解いて抱きしめた。

 

 

 

( お前たちは、桃太郎(おれ)そのまま(おれ)ならそれでいいって、言ってくれるんだなあ )

 

 

 

 智嘉は少し目を開く。ギラ、青い瞳が少し煌めく。

 

 

 ―――――桃太郎はある意味吉兆の子だ。

 鬼退治に行って、『たまたま鬼が全員泥酔していた』から『すべての鬼に勝つことができた』?

 いくら鬼が酒好きだろうと、そんな奇跡的な偶然の確立がどれだけ低いと思っている。

 

 幸運の子。恵まれた子。運命の子。―――――運命を背負わせられた子。

 

 

( とんだ三文芝居やな )

 

 

 けれどそれでも、智嘉の心は震わない。

 

 

 

 

「………うん、―――――みんな、……………ごめん 」

 

 

 

 

 

 

「ところでよければ、お供の皆さんは地獄で働きませんか」

 

 

 

 

 

 

「ほな、おせわしない鬼灯さまに代わって(あて)が地獄を案内しまひょ。鬼灯さま、構いまへんか?」

「ええ、よろしくお願いしますね智嘉さん。手続きはこちらで済ませておきます。取り合えず、今日は『顔合わせ』程度の扱いで話を進めてもらいますから、そのように」

「はい、はい、その通りに。ほなついてきとぉくれやす」

 

 

 うふ、うふ、と笑う智嘉がくるりと踵を返す。桃太郎は慌てて少し泣き腫れた目をそらした。―――――智嘉の格好は背中が丸見えなのである。

 桃太郎は室町生まれだ。今までいた天国は奇抜な人は少なかった。だから晒す肌の多い智嘉は非常に破廉恥で直視するのが厳しいのだ。

 童貞と言うことなかれ。この男、鬼退治の功績で散々美女(室町基準)に侍られても結局ひとりにも手を出せないまま死んだ筋金入りのヘタレなのだ。というか、あの、尻尾で隠れてるけどお尻が……

 

 もだもだしている桃太郎をしり目(・・・)に、お供たちは意気揚々と智嘉についていく。

 

 

「ねえねえ、えーっと、智嘉さま? 職場ってどんなとこ?」

「はあい、みなさまが配属されるのんは『不喜処地獄』て呼ばれるところどす。簡単に言えば、生前動物をいじめた亡者を、動物がリンチにする職場でっしゃろか。

あ、せやせや。聞かなあかんことがおました。みなさまは―――――

 

 

 

 

 

人肉はお好きでっしゃろか(・・・・・・・・・・・・)?」

 

 

 

 

 

「うふ」

 

 

 

 

 

 ―――――桃太郎は、おぞ気の走る背筋を反らせて慄いた。

 

 

 ―――――ここは地獄。叱責の責め苦を持って罪人を悔い改めさせる場所。天国行きとはいえ、ただえさえ亡者のひとりである桃太郎が恐れを抱くのは何らおかしなことではない。

 そこに、この悪辣な質問。そして、振り向かない丸見えの背中から感じる―――――黒い炎。

 

 

 桃太郎は震える目でお供を見た。人肉が好き? そんな質問に、なんと答えるのだと。

 

 

「えっ人肉? お肉は好きだけど食べたことないな~お腹壊さないかな?」

「うえ、そうか地獄だもんな…そういう仕事になるか…いや、やるさ。仕事だもんな」

「為すべきことを為す。罪を悔い改めさせるための仕事だ」

 

 

 ―――――すげえなあ。

 

 桃太郎は、とても自然に強張っていた体からちからが抜けるのを感じた。

 シロはあんまり何も考えていないだろう。けれど、柿助とルリオはそれを『仕事』として受け入れた。

 器が違う、というより―――――魂の格が違う。

 

 桃太郎は背筋を伸ばした。鬼退治の桃太郎が何を恐れているか。地獄はそういうもので、すべきことをするだけだ。―――――こんなことで後ずさりしていれば、お供たちに会わせる顔がないだろう。

 

 もう鬼退治はしていないけれど―――――自分は英雄『桃太郎』なのだから。

 

 

 智嘉は振り返り、まっすぐ立つ桃太郎を見てにっこりと笑った。

 

 

「ちなみに桃太郎はんは不喜処ちゃうどすえ」

「あえっ!?」

 

 

 だって『みなさま』って! ―――――そう言いかけた桃太郎はハッと気づいた。

 

 

 ―――――『お供の皆さんは』地獄で働きませんか

 ―――――生前動物をいじめた亡者を、『動物が』リンチにする職場どす。

 

 

 そういえばそんなこと言ってた。

 

 

 

 

 

 

「うふ、うふ、桃太郎はんったら、すっかりお顔が強張ってはるんどすもの。なんぼ人手不足の地獄でも、人肉食の種族でもあらへんお人に『喰らえ』なんて言いまへんよ」

「そそそ、そーっすよねぇ! あはっ、あははっ!!」

 

 

 勘違いに恥ずかし気に笑う桃太郎に、智嘉は目を細めた。―――――それでもこの男は、やれと言われたらやっただろうかと。

 

 顔は見ていないが雰囲気で分かる。今、桃太郎は確かにお供の返答を聞いて意識を研ぎ澄ませた。

 そうして振り返って見た顔は、まさに英雄の顔だった。

 

 

( せやけどまあ、さすがは英雄さま。普通、人間として、お供の回答はドン引きするものや思うけど )

 

 

 人を喰らえるといった友に対して、桃太郎は並び立つことを選んだ。なるほど確かに英雄だ。思考が常人離れしている。

 

 どぎつい質問だった自覚はある。けれど仕方あるまい。なにせ鬼灯が仕事内容の説明をすっかり忘れて契約(はなし)を進めてしまったのだから、これくらい脅しておかないと。

 

 

( あのお人がそないな説明義務違反(ケアレスミス)するやなんて、やっぱしお疲れなんやろうな。そろそろゆっくり休んでもらわな、死んでまうんちゃいますか? )

 

 

「勘違いさせたようですんまへん。まずはお供のみなさまをご案内しますえ。職場には先輩もぎょうさんいてはるさかい、どうぞご安心ください」

 

 

 ちなみに不喜処の獄卒は動物だけじゃない。もちろん鬼もいるのだから、就職していれば亡者がいることもおかしくない。まあ叱責側に亡者がいるのは非常の非常に(めちゃくちゃ)稀なのだが。だから桃太郎が不喜処に配属されてもおかしくはないのだ。

 

 ――――――まあ、もし桃太郎を不喜処に配属させても、彼が手を汚すことはなかっただろう。智嘉は一瞬鋭くなったお供たちの視線を思い出し、うふ、と笑った。

 

 

( へえ、へえ、分かってますがな。『桃太郎』は『魔物殺し(おにたいじ)』。人間相手の仕事なんて、させまへんさかいご安心を )

 

 

 そもそも、この英雄に向かない仕事だというのは分かりきったことなのだ。彼は悪逆の王や疎ましき賊を討伐したのではなく、あくまで『善良な人々を害する人外(オニ)を打ち滅ぼした』英雄なのだから。

 

 

「愛される男も大変どすなぁ」

「え? え、はは………?」

 

 

 桃太郎はよく分からなさそうに笑って誤魔化したが、お供も智嘉は何も言わなかった。

 

 

 

 

 

 

「ほな桃太郎はんの職場へ行きまひょか」

「あ、はい、お願いします…」

 

(あっ、よかった…俺にも仕事あった…)

 

 

 不喜処へ向かえば、鬼灯から連絡を受けたらしい夜叉一が待っていた。その厳つい顔(スカーフェイス)に桃太郎とお供たちは震えあがる。

 

 夜叉一は聖獣ではないが、長年不喜処地獄の獄卒を務める大ベテランだ。鬼の中にも夜叉一に一目置く者は少なくない。経験が生み出す風格は、聖獣(かくうえ)であるはずのお供たちに尊敬の念を抱かせるには十分だった。

 

 ひどく興奮した様子のお供たちと別れ、智嘉と、『実は求められているのはお供だけで自分は放り出されるのでは』と危惧していた桃太郎は歩き出す。

 

 

「桃太郎はんは天国で働いていただきますえ。確認どすが、生前植物やらの世話の経験は?」

「あります、一応。家業はもともと芝刈りだったので…」

「ええ、ええ。仕事内容は要するに果樹園どす。住み込みのお仕事になるさかい、詳しゅうは家主に聞いとぉくれやす。そんお人が果樹園の管理人でもあるさかい。家具はひと通り経費で揃えられるけど、もともとのお住まいから運び込むものはあるんやのん?」

「の、のん? いえ、大丈夫です…って、住み込み!? ですか!?」

「うふ、いろいろ勉強になる場所どすさかい、きっと身になりますえ。お供のみなさまも社員寮に部屋を用意されますよって、ご安心ください」

「は、はあ…」

 

 

 全く初耳の事実に桃太郎はギョッとした。しかし智嘉はケロリとした表情で話を進めるので、桃太郎もついつい流されてしまった。人が良すぎやしまいか。

いやしかし、これから職場の先輩になるであろう(推察)智嘉がそう言うのであれば、そういうものだと受け入れるしかないというのが桃太郎の思考回路だった。に、日本人……

彼は、どうか変な人ではありませんようにと祈るしかできない。いやそもそも、天国に住んでいるのだからよっぽど変な人ではないはずだ。桃太郎は自分を励ました。

 

 

「ああそうや、家主についてどすが」

 

 

 相変わらずのほほん、とした声で智嘉は言う。

 

 

「度ぉが過ぎて手に負えへんくなったら、一発しばいとぉくれやす」

 

 

 桃太郎は不安しかなくなった。

 

 

 






「あなたはまだ幼くものを知りません。故に、多くを知り賢くなれるよう『智』という字を贈ります」
「あなたはまだ生まれて間もなく、その命は何も成せていません。故に、誇れるものにれるように『嘉』という字を贈ります」


「『智嘉』。それが今日からあなたの名前です」



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