世界が塗り変わった。夜空から星と緑の月が消え、残された赤の月もやけに大きい。
地面は、見えない。見渡す限り、数えるのも馬鹿らしい程の数の骨が転がっている。僅かに動けば乾燥した骨がバキリと砕ける。
そして、その骨に突き刺さった数多の剣は、魔剣だ……。
数えるのも億劫になるほどの剣が地面を埋め尽くす骨の墓標だとでも言うように突き刺さっている。いや、墓標ではない、死してもなお殺そうとした痕跡だろう。
「こ、ここは………」
「骨の、大地……」
「あれ、二人とも……」
勇者は己の隣に突然現れた賢者と剣聖に気付く。二人も目を見開いていた。
目の前にはユダとユダが率いるゴブリンの群。と、ゴブリンが苦しみだした。
「これは、お兄さんが……?」
「多分……」
賢者の言葉に勇者が応える。どうやらこの世界に引きずり込まれたのは自分達とゴブリンだけらしい。と、そのゴブリン達が急に苦しみだした。
「GOROBU!?」
「GROORO!!」
皮膚は焼かれたように黒く染まりボロボロ崩れ、肉は溶け骨がカラカラと落ちる。生き物が溶ける光景に、思わず顔が青くなる。自分達の体に変化はないようだが……。
「お前達は溶けねぇよ。ここにそういう
「心象、世界?」
「俺や其奴が与えられた力の、行き着く先。己の心の中を体の外に顕現させ世界を塗り替える魔術の終着点だ」
「心……これが、お兄ちゃんの?」
「そうだ。お前に力を与えた神が寄越した、「あらゆる剣を形成する要素」と、俺自身が願うゴブリン共の消滅という
世界の書き換えなんて、何て無茶苦茶な……!そう戦慄する賢者。剣聖もその馬鹿げた内容に目を見開く。導師と勇者は目を細め、勇者が口を開く。
「ゴブリン共って……兄ちゃん自身も?」
「ああ。だから俺は、本物よりこの世界の維持時間が短い……神共が抑止なんてもんを作ってねぇから、それで漸く本物の同時間ってとこだな」
そういって地面に刺さっている剣を蹴る。クルクル回りながら浮かんだ剣の柄を正確に蹴り矢のように飛ばしてきた。
「───ッ!!」
「まあ、防ぐよな。だが──」
勇者が弾き、しかしユダは慌てない。白骨の大地に突き刺さっていた剣が次々に浮かび上がりその剣先を四人に向ける。
「お前達の相手は無限の剣──たった四人で、何処まで相手できる?」
「───!姉ちゃん、賢者を!剣聖!」
「うん」
「ええ!」
勇者の叫びと同時に無数の剣が降り注ぐ。導師は『影』を操り弾き、或いは飲み込み別の場所から吐き出し剣同士をぶつけ、賢者はそんな導師に守られながら呪文を唱える。勇者と剣聖は己の技量で剣を弾いていた。
ただ飛んでくる剣など魔神王を討った彼女達に対処できないわけがない………ただの剣なら。
「───ッ!」
炎を纏った剣、触れると凍り付く剣、切った傷が治癒されない剣、ここにある剣は全てが魔剣だ。さらに言えば彼がその気になれば剣は爆弾へと変わる。そうならないのはあくまで彼が彼女達を生かそうとしているから。
勇者は飛んできた魔剣の一本を掴みユダに向かって投げつける。
「ちぃ!」
ギィン!と持っていた剣で弾く。ほんの一瞬、剣の掃射が止まる。その一瞬で勇者は足下の骨を踏み砕き駆ける。
直ぐに周りの剣が爆発するが、聖剣の加護を持つ勇者に大したダメージは与えられない。そのまま
「神造兵器か、厄介な……」
「よく解んないけど、これ兄ちゃんにとって厄介ってことだね!」
聖剣の加護で強化された膂力でユダを吹き飛ばす。ここらは足場が悪く、踏ん張れなかったユダは骨を踏み砕きながら後退り、その背後に剣聖が迫る。狙いは、腕!
クン、と指を動かすと一本の剣が飛んできて剣聖の剣を弾き、追撃しようとしたユダはしかし慌ててその場から飛び上がる。
地面から無数の『影』が飛び出してきた。それは空中にいるユダを追ってくるので飛行剣を投影しその上に乗り逃げようとするが賢者が魔法で暴風を起こす。
「『
バランスを崩し落下したユダは新たな魔剣を取り出しその炎で周りを囲む。『影』はそれでも追ってくるが噴き出す炎に押され真っ直ぐ進めず人間である剣聖は焼かれれば死ぬので距離をとる。賢者は、このレベルの炎を吹き飛ばすには相応の呪文を唱えなくてはならないので顔をしかめる。
勇者は──
「せぃ、やぁ!」
炎の渦を、切った。どうなってるんだこのガキ!と思わず心の中で叫ぶ。
レベルのないこの世界で此奴だけレベルがあるんじゃないかと思えるほどの成長速度に、バグレベルの性能。
此奴こそ
「ちぃ……神殺しの──」
「ッ!夜明けの───」
「──暴乱!」
「──一撃ぃ!」
太陽の爆発!
それに相対するは神として置かれた駒を数多葬り去った怪物の放つ魔法の嵐。
「やはり防ぐか、太古の魔術の雨を──これだから究極の一はやりにくい」
と、賢者の魔法が完成したのかユダの周りの気温が下がり、次の瞬間凍り付いた。しかしピキリと罅が入りユダが氷の破片を吹き飛ばす。
その破片を足場に剣聖が駆け上がって来た。
「はぁ!」
「やぁ!」
二方向からの同時攻撃。骨の大地向かって吹き飛ばされたユダは無数の『影』に縛り付けられた。
「……………」
「大人しくして貰うよ」
「断る」
「───!!」
そういって、剣を降らせ『影』を切り裂く。拘束技は無意味だろう。ユダは、本当に体が動かなくなるまで戦う気なのだ。
それを改めて痛感した四人と、改めて彼女達が本気で自分を
「──ここまでか」
「?お兄ちゃん──」
はぁ、とため息を吐いたユダは魔剣を取り出す。
本来なら勇者達を痛めつけて、それで終わりにすればよかったがそろそろ殺さない、っていう選択肢が消えそうだ。後はまあ、
そして、ユダは己の胸を魔剣で貫いた。
「「「───!?」」」
「ぐ、ご──は、はは……これで、殺さないって選択肢は……消え、たなぁ」
「………そこまで、して……そこまでして、私達と生きたくないの?私は、お兄ちゃんがどれだけ血に汚れていたって気にしないのに!」
「く、はは……バカな、ことをほざくな………人とゴブリン、そもそも…共に、あろうとすることが……間違いだ」
固有結界が消える。都の方から動揺した気配が伝わってくる。彼らからすれば突然ゴブリンの大群が勇者達と共に消えて、勇者達と勇者達と戦っていた黒い鎧のゴブリンだけが再び現れたように見えたことだろう。
「まだ……まだ『
「ゴブリン相手に寝る女がいるかよ。つーかんなもんつかわせねぇ……」
ユダはそう言って魔剣を抜く。大量の血がこぼれる中、しかし倒れずに勇者達を見る。
「………三人とも、悪いな……最期に、そいつと戦わせてくれ」
そう言って勇者を、己の一番弟子を指す。
「俺、が……最初に鍛えた……俺の一番弟子。どれだけ強くなったか、みせてみろよ、殺す……気でな。どのみち死ぬんだ……ゲホ、お前が殺したことにゃならねぇよ」
「…………兄ちゃん」
「早く、しろよ、それとも俺を無意味に殺したい、か?」
「────っ」
勇者が聖剣を構える。ユダも…その構えは、同じ。当然だ、師弟なのだから。
ユダの魔剣が禍々しいオーラを放つ。
「混沌の──」
勇者の持つ聖剣から聖なる輝きが溢れ出す。かつて神が生み出した勇者選定の剣であり設定を詰め込みすぎ、勇者自身の覚醒だの後付けによる力の解放などで神もどんびくチートアイテムと化した聖剣の力を、本気で使う。その技はかつて師から寝物語に聞かされたとある天使の名。
「明けの──」
「罪禍!」
「明星!」
邪悪な力の濁流と聖なる力の奔流がぶつかり合う。間にあった地面が空間ごと消し飛ばされる。数秒の拮抗の後、聖なる輝きが魔力を飲み込んでいく。
上で神々が連打連打連打と叫んでいることだろう。
「───ハハ。ああ、強いなぁ………安心した」
魔剣が砕け散る。濁流が消え、聖なる奔流が─────
目を覚ます。傷が癒えていた。
何処とも知れぬ緑の広野。遠くで何か機械装置が動いているのが見える。その機械装置は人の骨で組まれていて、動かすのはゴブリン達。
空を見上げる。淀んだ夕空。黄ばんだ太陽が、何とも忌々しい。
しかし、何処か懐かしい。細胞が、この場を覚えている。
「目覚めたか」
振り返ると、妙な男がいた。人ではない。恐らく混沌の軍勢なのだろうが、これまであった怪物の中で一番強いだろう。
「我は魔神王の一角。貴様の戦い、みさせて貰ったぞ」
背後には鏡。恐らく本物の転移の鏡だ。ふむ、と周りを見回す。そういえばこの男魔神王と名乗ったか?まあ勇者が複数いるように魔神王も複数いると聞いたが、所詮は駒だろう。
「まさかゴブリン如きでも鍛えれば勇者とやり合えるとはな。他の愚か者共は殺せ殺せと喚いている。この戦力全てが私のものだ………お前に命じる、ここの小鬼共を全て鍛え上げろ」
「ここは何処だ?」
「ここは緑の月だ──貴様、我のはな────」
魔神王が鏡ごと切り裂かれた。下半身が後ろに倒れ上半身が落ちる。混乱し、何が起こったのか理解しようとした瞬間頭を踏みつぶされる。ゴブリン達がゲラゲラ笑い出した。
「ここが緑の月………」
ここにゴブリン共が居るのは、生まれてきているのは知っていた。しかし向かえなかった。おそらくはゴブリンとしての本能なのだろう。ここから出たいと、今も脳が訴えている。
ここには何もない。草も木も水も……あるのは飢えて死んだ同胞の骨と岩だけ。ここは酷くいやだ。
空に浮かぶ青い星。彼処に行きたい。彼処には全てがある。欲しい欲しい。彼処にいる奴らが羨ましい。妬ましい。
「────ハッ」
そんな本能を、笑い飛ばす。やめておけと。彼処に向かったところで勇者に殺されるのがオチだと。臆病なゴブリンの本能が、故に行きたくないと叫びだし落ち着く。と、鞭を持ったゴブリンが何か叫んできた。機械装置を指さしている。あれをお前も動かせ力があるんだから、よく聞けばそう言っている。
斬り殺した。緑の大地が赤く染まる。
「──GORO?GYAGYAGYA!!」
と、ゴブリンの一体が何時も偉そうな奴の死体をみて笑う。ははぁん、あの鎧がやったんだな?よし、強そうだし媚びを売ろう。良い思いをさせてくれそうだ。
グシャリと踏みつぶされる。
「はは!はははは!」
ああ、みろ!小鬼が居るぞ、こんなに沢山!全て俺の獲物だ!俺が殺すべき敵だ!
さあ殺そう!すぐ殺そう!本能のままに、欲望のままに、理性のままに!
一年前から、緑の月に異変が起きた。最初は誰も気にしないほど小さな、しかし段々と広がる異変。
緑の月が赤く染まりだしたのだ。血のように赤く。その赤は段々と広がっていく。数か月経つと赤く染まった場所から順に白く染まる。
そんな異変に誰もが首を傾げるが、月など向かいようがない。いったい何時緑の部分が消えるのか、完全に白く染まるのか、そんな賭事が行われた。
月にいって調べようもないんだ、そんな周りの言葉を無視して、月に向かう者達もいたが──
ゴブリンを生み出す醜悪な何か。なにか、としか形容できない不気味な肉の塊に剣を突き立てる。これが最後の一匹。ビチビチ暴れ体中に突き刺さった剣が時折抜け、血が噴き出す。こんな気持ち悪い見た目なのに、驚くことに女の血の臭いなのだ。或いは元々人間だったのかもしれない。しかし彼には関係ない。ゴブリンを生むなら殺すまで。理性を保つ良い薬になった。しかしそれも今日で終わり。何時かのように胸に剣を突き刺そうとして、バキリと骨が踏み砕かれる音が聞こえた。まだ生き残りがいたかと振り返り、ゴブリンじゃない存在を見つけた。
「まるであの時」
「ある意味、彼の望む形が心象に投影されていたんでしょう」
ローブを着た小柄な少女が骨と死体と剣だらけの大地をみて呟き、豊満な胸を持つ剣士の女性が肩をすくめる。
「うわ、何あれ気持ち悪い!」
「あれはゴブリンを産み出すものだよ」
小柄な剣士の少女が彼の背後にあるものに気付いて悲鳴を上げくすんだ金髪の眼鏡の美女が応える。最後に、一人の少女が歩み寄ってくる。
「久し振り………帰ろう?」
「……ナンだ、オマエラ………」
「────っ」
「まあ、やはりそうだよな。一年以上だ……誰とも会話せず、ただ殺し続ければ、
「………?」
「まあいいさ。取り敢えず、お疲れさま。地上の方も終わったよ………君が生きてるのは知っていた……君の残した剣が残っていたからね。君の死後消えない君の剣は一つだけだ」
何を言っているのか、彼には理解できない。ただ無意識に小柄な剣士が持つ二本の剣のうち片方をみる。
まあいい、それより死ななきゃ……まだここに一匹残って───
「───?」
少女が腕に抱きついてくる。邪魔だ、と殴り飛ばそうとして、何かに腕を掴まれる。振り返るが何も居ない。けど、誰かが居たような気がする。
「帰ろう……今度は、今度こそ………無理矢理にでも連れて帰るから」