ただ走る。何もかもから逃げられるようにと。
走る。嫌なことから目を背けられるようにと。
全力で走る。例え、意味など無くても、それが自身の何よりの弱さだとわかっていても。
天堂真矢に負けたあの日。あの日から、この胸の痛みは取れることはない。
何をしても、どうやってもこれは離れることなく自身を蝕む。
「──くそっ」
脳裏に映るはあの瞬間。彼女に上掛けを落とされるあの一瞬。彼女のその絶対的なきらめきに魅せられ負けを認めてしまったあの場面。
勝てない。絶対の存在からそう言い渡されたかのような絶望は止まることなく自身を焼く。
何度も激情を露わにした。思い切り叫んだ。物にも当たった。
自分が最低だとわかっている。それでも、感情を一番表に出せる愚行を繰り返しても、この胸のどろどろは取れることはない。
もはや、走るのも体を調整するためではない。
ただのストレス発散。ただのやけくそ。無意味。そんな事はわかっている。そんなことは理解している。
けれど、けど今やれることは。今この苦痛から逃げ出せる様な行為はそれしか思いつかなかった。
(……何やってんだ。私)
ふと、正気に戻り足を止める。気持ちが冷め同時にこの無力感と虚しさが心を満たす。
どうしようもない。そう自覚しながらゆっくりと家に帰る。それはまるで歩く屍。あの廃墟で自身を終わろうとしていた時と何も変わっちゃいない。
どうにか家に帰り、軽く水を飲みそのままリビングのソファに横たわる。食事は喉を通ろうとしない。自分の部屋に戻る気力も無い。
何もしたくない。何も考えたくない。
そのまま目を閉じる。もうどうでもいい。今はただ、この無力感に。この重さに身を浸す。
それが例え底なしの沼だとしても。這い上がれぬ絶望の入り口だとしても。
「おかーさん! わたしね!」
夢を見た。幼い頃。かつての記憶。これはピクニックに行ったときか。
父が運転する車で風が心地良い丘に向かい夕日を見るまで遊んでいたあの幸せの記憶。 無理言って一日中両親とずっと遊び、それでもあの優しい母と父は何ら嫌な顔もせず付き合ってくれたそんな思い出。
これが夢だとはわかっている。こんな幸せ。今の私には叶わない幻想だと。
「わたしね! ────」
幻想の少女は何かを言っている。何を言ったのかは覚えてはいない。
何か夢について語ったような気がする。
それを両親は笑って、叶うと良いねと応えてくれたのも覚えている。
ああ、だけど。思い出せない。自身の一言だけは。かつての言葉は。
自身は何を夢見ていたのか。それは決して思い出せはしない。
目を覚ます。何か夢を見ていた気がする。とても幸せな夢。そのまま浸っていたい幻想。そんな何かを見ていたような気もする。
どうでもいい。もうなんでもいい。すべては終わってしまった出来事。どんな結果であれ自分はあのオーディションに負けた。もう望むべく結末も得られない。
どうしよう。もういっそここで死ぬのも良いかもしれない。家にある物で死ぬのは飛び降りるよりは辛いかも知れない。
まあ死ぬのなんてどちらでも良いだろう。どうせ、最後には何も感じなくなるのだから。
キッチンに包丁を取りに行こうとしたその時、またあの電子音が鳴り響く。あのオーディションへの誘い。どうして、私は負けたのでは──。
急いで携帯を見る。画面にはオーディションを告げる画面。どうやら、まだチャンスはあるらしい。
なら、もう負けるわけには行かない。だって自身にはもうこれしかない。これしか、救いがない。
だから勝たなくちゃ。勝って望むべく舞台を掴まなくては。
舞台に立つ。あの日と変わらないその舞台。
さて、今日の相手は一体誰なのか。もう一度天堂や西條とやることになったら本当にどうしようもない。あんな奴らに勝てるわけがない。
お願い。お願いだから。どうか、どう戦える相手を──。
刹那、舞台が暗転する。光が一点に集まり一人を照らす。
「きらめく舞台ときらめく貴女。どちらも同じくらい好き」
声が聞こえる。その声は知っている。
いつも愛城の世話をしていた少女。
ある時からさらに愛城に対しての執着が激しくなった女。
あの中でも優れた才をみせてはいたのに。反比例するように自信が欠如していた少女。
「回る回る舞台の上に。私も一人で立てるなら」
あの頃とはまるで違う。
あの何もかも愛城に頼り、愛城を柱にしてきたやつとはまるで違う意志を感じれるはっきりとした声。
「九十九期生。露崎まひる。貴女と一緒に。自分の意志で」
露崎まひる。かつて、誰よりも弱そうだったその少女が立ちふさがる。
そんな風には見えないのに、大きな壁として。
「本日のレヴュー。開演です」
キリンの合図と同時に全力で距離を詰め斬りかかる。
露崎はその刃を軽やかに避け、持っているメイスを勢いよく振りかざす。
全力で勢いよく下がる。さっきまでいた場所の足下は抉れており、その威力を象徴している。何だあれ。どんな威力だ。
「──やあっ!」
「ちぃ!」
露崎が続けてその得物を振るう。その威力の重さを感じさせない軽やかな振り。
こいつのバトンの操作技術を嫌というほどに思い出しながら自身の剣を両手で握り受ける。
それぞれの得物がぶつかり、衝撃が走る。重い。わかっていたが恐ろしいほどに重い。これがあの露崎の力。あの誰かにすがるだけだった少女のきらめきなのか──!
「──露崎ぃ! 随分と変わったなぁお前!」
「──そういう、星夢さんも!」
金属音が響く。どうにか受けきってはいるが一発一発の重さに体が悲鳴を上げる。全力で守りに力を注いでようやくでしかない。次第に対応できなくなっていく。
あまりにも。あまりにも鮮やかにそのメイスを扱う彼女に押されていく。
「──くそっ!」
重くて軽いその一撃をどうにか避け、なんとか距離を引く。
瞬間、全力で身をかがめる。刹那、何かが頭上を勢いよく通り過ぎる。何事かと露崎の方を見る。
「──!?」
再び、何かがこちらに向かってくるので全力で回避する。言葉は出なかった。
飛んできていた白い何か。ボール。野球のボールだ。……嘘だろ?
「──えいっ!」
舞台が彼女に向かってボールを放る。それをこちらに打ち返してくる。
無数のボールはもはや銃弾よりも恐ろしく。ただ避ける事も叶わない。
その砲弾の嵐に吹き飛ばされ、舞台に情けなく転がる。
「──っ」
息が出来ない。体が全力で酸素を求めて呼吸をしようとする。
ああ、くそ。露崎に。あの露崎なんかに! 私が。こんなところで!
露崎がこちらに向かって走ってくる。強引に体を起こし、剣を振るう。
けれどその一閃は綺麗に避けられ、露崎の一撃が私の上掛けの留め具を飛ばす。
「レヴュー。終了です」
一瞬。あまりにもあっけなく勝負は決まった。勝者は光に照らされ、敗者は情けなく失態をさらす。
それが定石。例えこの不可思議なオーディションでなくてもそうなるであろう当たり前の常識。
「……くそっ。くそくそくそ!」
「……星夢さん」
「なんでお前なんかに! なんで、愛城のお守り役のお前に!」
情けなく感情をさらす。すでに幕は下りた。何をやっても無駄なあがきでしかない。
むしろ、こんな醜態は無意味どころかあまりにも情けない。
けれど、叫ぶしかなかった。この哀れな私の心を。もうどうしようもない。
わかってはいた。露崎は情けなくなんかない。ただ、自信が無かっただけ。実力も運も、なにより運命がなかった自分とは違う。けど、けれど──。
舞台の幕は下りる。あまりにも醜く。あまりにも情けなく。
どうしようもなく哀れで悲しいその嘆きと共に。
読んで下さっている方ありがとうございます。第四幕。まひるちゃん戦です。まひるちゃんの口上は嫉妬のレヴューを参考に変えてみました。華恋ちゃん以外を相手するまひるちゃんは舞台版しか参考に出来なかったので難しかったです。
追憶はたぶんありません。そのまま次の幕に行く予定です。理由としてはまひるちゃんとこのオリキャラがそこまで交流がなかったのが理由の一つです。