自室のベッドの上にただ蹲る。何もする気にならない。なにもしたくない。もう動きたくない。
あのレヴューに負けてから、心は完全に折れてしまっていた。
認めよう。露崎と当たって一瞬でも慢心した自分を。根拠のない自信で勝てると思ってしまっていた情けない自分を。
勝てるわけがなかったのだ。今も高みを目指している彼女らとただ這いつくばって上を見ているだけの自分。どう考えたってどちらが上かは明白だ。
ただ時間が過ぎていく。辛い。辛い辛い辛い! けど、何もしたくない。死のうと何かをする気にもなれない。
無気力。空っぽ。抜け殻。今の己を表すのならそれがお似合いのゴミくずだろう。
(……あっ)
ふと、一枚の写真に目がいってしまう。
家族の写真。三人が笑っている写真。見たくない。そんな幸福見たくはないのに。目が離れない。目をそらせない。
ふと涙がこぼれる。止まらない自身の感情。何故泣いているのか。悲しみか。絶望か。情けなさか。
訳がわからないが、どうにも止まらないその何かが溢れ続ける。
「……そうだ」
体を起こし、部屋から出る。唐突に向かいたい場所が出来る。行かなければ。あの場所へ。
家を出て、バイクに乗り目的地に向かう。それしか、今は心になく。その感情だけを動力に。
ねじを巻いた機械のように、ただ体を動かしその場所へ。父の墓へ。
そこはあまりにも静かな場所だった。人の気配もなく、何か居る気配がしなくもないその空間。生者が目的もなく訪れるべきではない場所。
それでも、ここに来てしまった。
水の入った木の桶を持ちながらゆっくりと進み、目的の墓に向かう。
決して軽くないその荷物を運びながら、ようやくその墓の前に到着する。
父の墓。大好きだった優しい父が眠っている場所。
あの事故があって母の病院と同じぐらいには行きたくはないと避けていた場所。
そんな場所に、現実から目を背けるためだけに来た自分があまりにも、どうしようもない。
「……お父さん」
持ってきた水を墓に掛け、墓を洗う。
少し、またと少しとゆっくりと水を掛け墓を磨いていく。
どれくらいやっただろうか。時間はわからない。気づけば桶の水は空になっていた。
「お父さん」
線香に火を付ける。あのなんともいえない匂いを嗅ぎながら、それを線香入れに入れる。
そして、持ってきたお供え物を置き、手を合わせる。
「――ごめんなさい」
言葉が漏れる。それは何に対する謝罪なのか。
ここに来なかったことへのか。
母から目を背けていることにか。
あのオーディションであまりにも情けなく負けたことにか。
それとも、あの事故に自分が居合わせられなかったことに対してか。
「ごめんなさい。ごめんなさい、ごめんなさい――」
謝ったって、自己満足で感情を出したって全く意味は無い。
けれどもう、言葉が、涙が止まることはなかった。止められなかった。
一度吐いた言葉は決してどうにもならない。例え何に謝っているのか。それを本人がわからなくなっていてももうどうしようもない。
どれくらい、この場に居ただろうか。どれくらい涙しただろうか。気づけば空は茜色になっていた。
目をこすりながら、ようやく墓から離れこの墓地を去る。
決して楽になったわけではない。それは許されない。あの場に行って何か解決したわけでもない。わかっている。
家には帰らず、バイクである場所に向かう。しばらく走りその場所に到着する。
あの日と変わることのないくたびれた廃墟。かつて、最初に死を決行しようとした場所。
バイクをその辺に止め、建物に入る。
あの日と全く変わることのない階段を重い足を動かし強引に上り、屋上に到着する。
ドアを開け、外に出る。空は、すでに暗くなって星が見える。
星。ある戯曲の一節がふと頭を巡る。
小さな星を摘んだなら、あなたは小さな幸せを手に入れる。大きな星を摘んだなら、あなたは大きな富を手に入れる。
結局、私はどちらの得れず。どちらも掴もうとして失敗した哀れな女。
けれど、今度こそ。もう終わり。
そうしようと柵を越え、狭い足場に立つ。後は、ここから飛び降りるだけ。それで終わり。
足が動かない。それだけなのに、それで終わりなはずなのに。
怖い。前は軽く一歩を出せたはずなのに今は無性に怖い。こんなになっても死ぬことに対してもまだ恐怖を感じるのか。なんと情けない。
無理矢理にでも足を踏み出そうとする。
その瞬間、またこの瞬間にあの電子音が鳴り響く。なんなのだ。なんで邪魔をするんだ。どうして、こんな地獄を見せようとするんだ。
舞台に誘われる。あまりにも、無情に。その理不尽に。ただ、流されるだけだった。
舞台に立つ。再び、この奇天烈な舞台に。もう、ここにも何にも希望もないのに。
もうほっといてくれ。もう終わらせてくれ。疲れた。辛い。嫌だ。嫌だ嫌だ。助けて。
「人には定めの星がある」
スポットライトが一点に集まる。そこに映されるは一人の少女。
かつて、あの学び舎で共に学んだ少女。
「きら星。あけ星。流れ星。己の星は見えずとも」
皆をまとめ、あの変わり者の多いクラスで大場ななと中心から支えていたその少女。
「見上げる私は今日限り」
あの天堂真矢よりも。誰よりも真面目で、折れることを知らなかった強い少女。
「九十九期生。星見純那、掴んで見せます。自分星!」
星見純那。今の自分にはあまりにも大きく、遠い存在に見えるその少女がこの舞台に立っていた。
「では、レヴュー。開演です」
舞台が組み上がる。あの誰よりも真面目で面倒見の良い彼女の心に。矢が放たれる。
どうでもいい。もうどうでも良い。今はただ、今は何かに当たりたい。このどうしようもない気持ちをどこかにぶつけたい。
繰出される矢を無視して、駆け出す。
それはもはや人には見えず。飢えた獣同然。人でありながらそこまで堕ちた哀れな少女のなれの果て。
「――うわあぁ!」
ただ、やけくそに剣を振るう。もはや舞台の上の演者ではなく。見る物すべてがそれを哀れんでしまうぐらいには情けなく。ただ強引に斬りかかる。
「――星夢さん!?」
ようやく。相手が誰か気づいたらしい純那。無理もない。かつて、彼女が見た少女と。 あの星夢誘とはあまりにも違う。人をよく見ている彼女ですら、わずかに誰かわからないほどには雰囲気も何もかも変化してしまっていた。
「くそ。くそくそくそ!」
斬撃は当たらず、星見に綺麗に避けられる。当たり前だ。こんな素人が振った方がまだ当たりそうなほどにやけくそなその斬撃はこの舞台では絶対に当たらない。
「――もう嫌だ。なんで、なんでこんな目に。なんで、どうして――」
「――星夢さん?」
舞台は自身の心を表わすかのように変化する。
気づけば、自身の剣は折れていた。
もはや、舞台少女としてのきらめきすら折れてしまった。
星見が近づいてくる。もうどうでもいい。どうでもいいんだ。とっとと終わらせてくれ。私にとどめを刺してくれ――。
「星夢さん」
気づけば、星見はすぐそばまで来ていた。弓矢で一発当てれば終わりなのに。お前ならば外さないだろうに。
なんで、どうして。どうして、そんな悲しそうな目で見てくるんだ。
「見るな。なんでそんな目で見る!? お前も。花柳も!」
「……星夢さん」
「なんでそんな声を出す!? 天堂も。西條も。露崎も!」
「星夢さん」
「もううんざりだ! もう嫌だ! とっとと終わらせろよ! もう――」
「星夢さん!」
頬に衝撃が走る。何だと思い、前を見てみると星見がこちらの顔を両手で押さえ、しっかりと目が合うようにされる。……えっ?
「こっちを見なさい! 星夢誘!」
星見がこちらに強く言葉を放つ。
なんだというのだ。こんな負け犬に何を言いたいのか。なんでこんな無駄なことをするのか。
「貴女がなんでそんな事になっているのかは知らない! けど、舞台にいるときはぐらいはしっかりと立ちなさい!」
星見が更に言う。なんて厳しい言葉。なんて恐ろしい言葉。
けれど、温かい。そこには優しさが。こんなやつにも真摯に向き合うその優しさが感じ取れる。
「貴女はなんで舞台に立つの!? 思い出して! 星夢誘!」
その言葉でふとよぎる一つの記憶。少女の記憶の彼方。己の忘れていた誓い。あのピクニックで両親に言った夢。
「わたしね! しょうらいりっぱなすたぁになる! おかあさんとおとうさんにすごいぶたいをみせてあげる!」
それはただの言葉。子供のくだらない戯れ言の一つ。今までこの舞台の道を歩んできたことには関係ないのかも知れない。
けれど。けれども。
(――ああ、そうだ。そうだった)
何もなかった心に火が灯る。空っぽの体に少しずつ力が戻る。舞台への活力、この世界に向き合う意志が少しずつ戻る。
(私は、私は!)
舞台が変わる。先程までの絶望を象徴する悍ましい黒い煉獄から、何もかもを燃やせる情熱の赤き炎に。
私の、星夢誘の心情を映し出す舞台へと。
「私は!」
折れていた剣の刃が変わる。ただの凶器であったその刃から自身のきらめきを象徴する光へと。
舞台少女星夢誘は蘇る。再び舞台に立つために。かつての夢を。今の夢を。愛する両親に見せるために。この世だろうがあの世だろうがこのきらめきを届けるために。
「聖翔音楽学園元九十九期生。星夢 誘!」
星見の問いにはっきりと答える。例えあの学園を去っていても。あの学園で学んだことは変わりない。あの日々は決して無意味ではない。
剣を構えて星見に向き合う。今日初めて相手の顔を見た気がした。
いや、このオーディションで始めて相手を向き合ったような気がした。
彼女も少し、安心したような顔をこちらに見せる。まったく。相変わらず優しいやつだ。
「相変わらず甘いやつだな。そのまま倒せば勝ち星だったろうに」
「そんな貴女に勝ったって、ちっとも私は嬉しくないわ」
私の軽口に星見が軽く返してくる。本当になんでもないように言ってのけるその少女はやはり甘い。とっても甘くて優しくて。ずっと憧れる強いやつ。
お互いに一瞬見合う。せっかく待ってもらったんだ。なら、最高の自分を。星見純那が望む最高の私で全力で挑む――!
動くのは同時だった。星見は距離を取りながら矢を放つ。
それを避け、払いながら距離を詰めていく。舞台はめまぐるしく動く。星見の舞台に。私の舞台に。一つの物語を象っていく。
どれくらい経ったのだろうか。この終わりのない舞台。それに終わりが見え始める。
建物の上に上がる。どこにいても正確にこちらを狙ってくるその矢を上手く対処しながら、頂上に到着する。
狙ってくる矢を避け、どこから放たれているかを正確に把握する。――いた! あそこだ!
「はあぁぁ!!」
全力で地を蹴り、星見目掛けて全力で飛び出す。
星見が空中にいる私目掛けて思いっきり矢を放つ。
全力で放たれるそれを思い切り弾く。
そして、その勢いのまま星見の上掛けを落とす。
「レヴュー終了です」
キリンが終了を告げ、幕が下りる。
楽しかった。こんな気持ちで舞台に上がったのは久しぶりだった。やっぱり楽しい。
「――ありがとう星見。やっと、やっと向き合える様な気がする」
「いいわよ、別に。いかに優れた人間でも、時には我を忘れる事もある――ウィリアム・シェイクスピアもそう言ってるし」
星見が笑ってこちらに言う。負けて悔しそうなのは当たり前だが、それでも前向きな笑顔。
それでこそ、星見純那。私の憧れた強さを持つ人。
「今度、何があったか聞かせてね」
「……おう」
会えるかなんてわからない。連絡先をあの学校で交換したことはない。そんな奇跡はあり得ないかも知れない。
けれど、こんな不思議な舞台もあるのだ。
いつかきっと、いつかまた会えるのだろう。
もう死のうなんて思わない。始まる前のあの空虚な気持ちは、何故か恐ろしいほどにすっきりとした気持ちになっていた。
読んで下さっている方ありがとうございます。第五幕。純那ちゃん戦です。書きたかったところの一つなのでここまで書くことが出来てよかったです。
例によってキャラに違和感があったなら申し訳ございません。
話も後二~三話で終わりだと予定しています。頑張って書きたいと思いますのでよろしくお願いします。