私に渇望はない。
私に意志はない。
故に私には何もない。
そんな私にとって、今もなお鮮烈に輝く神座の歴史はこの夜空に輝く月よりも優しく、そして苛烈に私を包むのだ。
それが私の胸に空いた穴に流れ込み、今もなお私の胸を満たしている。
―・―・―・―
もはや幾度アレに攻撃を加えたのか数えるのをやめて久しい。
ありとあらゆる攻撃手段を使った。恥を忍んで絡め手も使った。
しかし、それらは総て届かなかった。
それに対して、自分の体には数えきれないほどの傷が刻まれている。
井の中の蛙になっていたつもりはなかった。それは自惚れでもなんでもなく、少なくともこの虚圏において自分に比肩しうる存在がいるとは客観的に考えられなかった。
ましてや下級大虚も中級大虚も寄り付かないような虚圏の外れで存在すらしない何かを妄信しているような存在がここまでの化け物などと誰が想像できるだろうか。
「クソッ……クソックソッ!! クソッ!!!!」
苛立ちを少しでも晴らそうと口から自然と飛び出す言葉によりさらに苛立ちが募る。自分がどれほど矮小な存在なのかを自分自身に証明されている気がしてならなかった。怒りによって視界が明滅しているような気さえしてきた。
「よくしゃべるな。お前は」
彼女が呆れ半分で言葉を紡ぎだす。無防備に、無遠慮に歩み寄ってくる。そんな奴に傷1つ与える術すら今の自分にはない。
「……なんでだ」
「……何がだ?」
感情に任せて口から言葉が飛び出す。
「それだけの!! それだけの力を持ちながら、なんで神なんかを信じるんだ!!」
「……ん?」
彼女は質問の内容が理解できなかったのか顎に手を当てて首を傾げた。
「じゃあ、お前は何故戦うんだ?」
「……は?」
「は? ではない。お前も何かの為に戦うのだろう? こうしてしゃべることもできる、神座の闘争を下らない妄想と一蹴するだけの知恵もある。ならばお前はそこらの獣とは違うはずだ。何かの為に戦うのだろう? 違うのか?」
「…………」
考えたこともなかった。己が兄を喰らって最上級大虚となり、第0十刃まで至った時にはよぎったのかもしれないが、それでもこうして言われなければ考えるに値しないとすら思っただろう。
即ち、次だ。
考える限りの強くなれる手段は尽くした。その結果として、事実自分は今この虚圏において最強の称号と言っても過言ではない第0十刃の地位にいる。
ならば、ここで終わりなのか? これが完璧と言えるのか?
ふざけるな。ならば何故今自分はこんな無様をさらしている。何故目の前のこいつは自分よりも高みにいる。
「ああ、そうか……」
気づけば、随分と野蛮な獣に成り果てたものだ。
自分を見つめる彼女の眼が妙に優しげだったのを、今でも無駄に覚えている。
――――――――――――
「あれが、万神殿か……」
「はい、少なくとも彼女はそう言っていました」
第8十刃、ザエルアポロの道案内の下、藍染惣右介、市丸ギン、東仙要の三人は有力な最上級大虚がいるという場所へ向かっていた。彼らは護廷十三隊に所属する身でありながら、護廷十三隊、ひいては尸魂界の長である存在に弓引く存在として、この虚圏を拠点にしようとしていた。
藍染の目的は王鍵の創造、ひいては尸魂界そのものの支配者である霊王を殺害することであり、そのための戦力として藍染が目を付けたのが、虚圏に存在する大虚。ひいてはそれらと崩玉によってより確実に成体が生み出されることとなった存在、破面である。
如何に並みの隊長格の倍の霊圧を有し、反則級の能力を持った斬魄刀の所持者である藍染とはいっても、たった一人で、それらを達成できるとは思っていないし、根本的に不可能である。
駒が必要だ。時に突撃させ、時に潜ませ、時に糧とし、時に切り捨てる。そんな駒が必要だ。それも1つではない、万全を期すならば少なくとも20。それに加え、捨て駒は多いに越したことはない。
すでに十刃というそれぞれが護廷十三隊の隊長格にも比肩しうる存在である破面の軍勢を手中に収めた藍染だったが、それでも十全であるとは感じなかった。
そんなときに藍染の耳に飛び込んできたのが、この虚圏において存在するはずもない神を信仰する最強の最上級大虚の噂だった。そんなものがいるなら疾うに接触がありそうなものだが、十刃の面々に話を聞いたところどうも事実らしいという結論に至った。
彼らが最強と言うのだから警戒をしすぎるのに越したことはない。そう判断した藍染は藍染自らその最上級大虚に会いに行くことにしたのだ。
変わり映えのない景色に若干ではあるが退屈を感じ始めたころ、視界の端に建築物らしきものが映った。
「おお……」
その時、藍染はらしくもなく感嘆の声を上げた。視界の端に映ったのはそれほどのものだったからだ。
基本的に虚圏には砂と石英で出来た枯れ木のようなものしか存在せず、バラガンのようなものでない限りは建築物を作ろうと思う事すらない。故に虚圏はどこまで行っても広がるのは砂漠のみのはずであった。
だが、そこには確かに神殿と呼べるものがあった。ギリシャの万神殿を参考にして建てられているであろうそれは砂漠の中に浮かび上がるように存在しており、それだけでも異様な雰囲気を放っていた。
そして、その神殿の主であろう大虚はその入り口で静かにたたずんでいた。
男とも女ともとれる体格。炭のような黒い肌。腰まで届こうかという血のような赤色の髪。頭以外を包む白いローブのような衣服は砂ぼこりで汚れてこそいるものの、何故かそこから汚らしいという印象が与えられることはなかった。この時点で通常の最大級大虚と比べてもかなり異質なのだが、藍染達の目を引いたのはその顔に着けている仮面だった。
彼の顔の口以外を覆うそれは、複数の種類の獣の仮面を縫い合わせたかのようなものであり、正面から確認するだけでも獅子と蛇の顔のようなものがうかがえた。
それは藍染達に気付いたのか、視線をそちらへと向けた。口元しか見えないためその詳しい表情は分からないが、少なくとも敵意を抱いているようには見えなかった。道案内として先頭を歩いていたザエルアポロがそれに向かって話しかけた。
「久しぶりだね、フリード」
「ああ、久しいな、ザエルアポロ。死神を連れてくるとはあまり穏やかじゃないがどうかしたのか?」
「警戒する必要はないよ。彼らは僕達の敵ではないさ」
「そうか、なら構わない」
ザエルアポロがそう言うだけでフリードの口調はかなり穏やかになり、自ら進んで藍染達の前に立った。
「初めまして、死神の皆さん。私はフリード・マルク。この万神殿の門番のようなものをしている。そこにいるザエルアポロとは……まぁ、腐れ縁のようなものだ」
フリードは藍染達の素性を理解したうえでも柔らかい物腰を崩すこともせず、丁寧なしぐさでお辞儀をした。藍染から見たその動作の中に敵意と呼べるものは存在しない。そして、藍染から見て脅威となるようなものも感じられない。かつて虚圏の神を名乗った者にしたように力でねじ伏せることも可能だが、むやみやたらと力を振るうのは愚か者以外の何物でもない。そう判断した藍染は優し気な笑みを浮かべて言葉を紡ぎだした。
「まずは、君たちにとって脅威であろう私達死神にこうして会話の場を設けてくれたことを感謝しよう。私の名は、藍染惣右介。こっちの二人は市丸ギン、東仙要だ」
「ご丁寧にどうも。それで、君達のような死神が私にどんな用かな?」
「その前に、君の後ろにある神殿について説明してはもらえないだろうか?」
相手がザエルアポロや他の破面が言うような変わり者だというのならば何が地雷原となるかわからない。他の破面から聞いただけでは彼女の信じる神とやらの存在を意図せず貶してしまうかもしれない。相手は少なくとも退化する前のザエルアポロを完封する程度の力があるというのだから、用心するに越したことはない。
「……そうか、君達には、あれが神殿に見えるか」
「? ……何か不快にさせたのなら謝罪するが」
「いいや、違う。せっかくだ。私が神殿を案内しよう。付いてきてくれ」
それだけ言うと、フリードは藍染達に背を向けて入口の方へと歩き始めた。
「どないします、隊長。罠かもしれんけど……」
「いや、ザエルアポロやハリベルの話が事実ならばそれはないだろう。少なくとも、私達が彼女の神に対して悪感情を抱いていないうちは彼女は敵でも味方でもないさ。それに……」
「それに?」
「興味はないかい? あのバラガンをして最強と言わしめる最上級大虚が妄信する神とやらがどんなものなのか」
「……まぁ無い言ったらウソになりますけど」
藍染とギンが短く言葉を交わしたのち、藍染達はフリードの後に続いて万神殿へと入った。
「ほぅ……」
「へぇー、こりゃまた立派な……」
「これは……」
万神殿の中に入ると同時に、藍染達は周囲の雰囲気がガラリと変わったのを感じた。いわゆる人間達が信仰している神など毛の先程も信じていない彼らであっても、ここには何かがあるという確信に近い何かを抱かせる。万神殿はそれほどの場所だったのだ。
シンプルながらにも所々に装飾が施されたこの神殿の中央部分であろう大広間の中心には空席の神座が存在し、それを中心に円形に広がっている空間を六等分するかのようにそれぞれに豪奢な装飾が施された扉があった。そしてそれらを照らす光の球体が所々を浮遊しており、より一層幻想的な雰囲気を際立たせていた。
バラガンが拠点としていた虚夜宮とはあまりにも違う文化的なその様は知性を持っているとしても明らかに虚が作ったそれではなく、藍染自身、ザエルアポロから事前に説明を受けていなければ自分以外にこの虚圏に深くかかわった何者かの存在を疑わずにはいられなかっただろう。
曰く、ありもしない幻想を追い求める最強の最上級大虚。虚でありながら戦う事にも強さにも一切の興味を見出さず、ただこの万神殿で祀られているという神々を世に広め、喰らう事しか知らない虚に神その存在を知らしめること以外に興味を持たない異端の中の異端。
それが彼女と交流のある破面にとってのフリード・マルクだった。
(なるほど、彼らがそう感じるのもうなずける)
「藍染様。彼女が最強の最上級大虚というのは事実なのでしょうか」
「君がそう思うのも分からなくはないが、彼らがそう言っているというだけで十分な証拠だと私は思っているよ」
そして藍染自身、目の前の虚の異質さを現在進行形で味わっていた。
目の前にいるはずのフリード・マルクからは霊圧と呼べるものを一切感じない。
これは最上級大虚云々以前にまず虚として異常事態と言えた。彼女の身体的な特徴は他の最上級大虚と似通った部分があるからと言って虚だと考えるのは早計なのかもしれない。もっと別の、例えば莫大な霊圧を捨ててそれら全てを膂力や防御力に宛てた虚であって虚ではない存在というのも考えられるだろう。藍染はそう考えていた。
空席の玉座の前で、フリードは藍染たちへ向き直った。
「改めて、万神殿へようこそ。藍染惣右介、市丸ギン、東仙要。君達を神座巡りへと案内しよう」
そして、神座巡りが始まった。
短くてすみません。テンポ悪いってレベルじゃなくて自分でイライラしてますが虚夜宮に行ったらスルスル進む……はずです。