「あ、ああ……」
だくだくと愛しいヒトの血が流れている。かろうじて血を止めていた、そして致命傷を負わせた悪鬼の拳が太陽の光とともに崩れ落ちるとともに、だくだくと、だくだくと。
「呼吸を、呼吸で止血を……」
「いや、俺は死ぬ」
彼は淡々と自身の死を受け入れる。
「いやです! 生きてください! 結芽は! 千寿郎くんは!」
「そうだな、結芽には心を燃やせと、それと炎柱をどうか継いでほしいと伝えてくれ」
「人の話を聞いてください! 生きてください!」
無茶な願いだ。かなうはずもない願いだ。
「……思えば、おまえがそこまで感情を出してくれたのは初めてか」
「あ、ああ……」
自己嫌悪で言葉が出ない。そうだ、この人は毎日のように、否、常に炎のようにまっすぐと私を愛してくれた。
だけど、私はどうだ。己の罪だ、なんだと言い訳をして、感情を出さなかった。ここまで愛してくれた人に、愛を伝えたこともなかった。怖かったのだ、自分の気持ちが、愛が、到底届かないことに。
「千寿郎には……」
彼は私を慰めるために強引に、それでいて優しく抱き寄せる。そして遺言を言い続けた。
「それと夜見……」
結局、私は煉獄杏寿郎の遺言を果たすことができなかった。何一つとして、私にはできなかった。
夜、山、そして見知らぬ土地。わかることと言えばそのぐらいだろうか。
とにもかくにも、親衛隊は途方に暮れていた。具体的には、獅堂真希、此花寿々花、糸見沙耶香の三名は途方に暮れていた。
なにしろ任務に出て、荒魂退治をしたまではいいが、気がついたらこんな山奥にいたのだから。
おまけに御刀すらなくなっている。これでは写しに任せて無謀な下山も不可能である。
となると、一番の選択肢は、遭難の観点からすると山を登ることになるが、それすらも夜なので危うい。そもそも任務は市街地だったので、山を登るなんて念頭に入れていなかった。はっきり言って八方ふさがりである。
「まったく訳がわからないな……」
「訳がわかる人なんているのでしょうか……」
真希と寿々花の二人をしてもこのような状況は訳がわからない。市街地で任務をこなして、気がついたら知らない山でした。このような状況を理解できる人間なんていてたまるかという話である。
「こんな時、薫がいてくれたら……」
心細そうに沙耶香が言う。
「確かに色々なところに飛ばされている彼女なら、ここがどこだかもわかるかもしれませんが……」
あいにく益子薫は別任務でいない。そもそも親衛隊3名の時点で過剰戦力もいいところである。
「――ん?」
どうしようもない状況をどうにかしようと考えていると、がさがさと音がした。動物、人間、最悪荒魂かもしれない。御刀がない今では動物でさえ命の危険がある。否、悪意さえあれば人間ですら命取りとなってしまう。
だが、三人はおびえることなく一塊となり、身構えた。命の危険など、彼女たち刀使にとっては日常であった。
「うぅぅぅ……」
現れたのは人だった。それも女性。いやにボロボロな和服を着た女性であった。
おかしい。なにもかもがおかしい。
今時、和服なんて珍しい上に、夜の山という状況にも似つかわしくない。TPOだけで言えば落第もいいところである。
なによりもおかしいのは、この女性から血のにおいがしたことである。
呆気にとられることはなかった。
その上で、このボロボロな女性は目にも映らぬ速さで、襲いかかってきた。
「肉ぅ! ヒャハハハ! 鬼狩りに出会ったときにはおしまいかと思ったが、おまえらをクエバアアアア!」
もはや運がよかったとしかいえない。獅堂真希の体が咄嗟に動き、沙耶香と寿々花を突き飛ばした。ボロボロな女性の狙いはどうやら寿々花だったらしく、攻撃は空振り、というよりも勢い余って木に激突するに終わった。
「ウゥゥ、逃げるなよお! あの梟面の鬼狩りが来ちまうだろうがよお!」
今度は真希を狙って突っ込んできた。だがそれも不発に終わった。
真希が返り討ちにしたとか、他の二人がどうにかしたとかではなく、誰かがこの女をぶっ飛ばした。ただそれだけである。
「あ、ああ! 許してくれ! もう人間は食わない! だから許してくれ!」
先ほどまでの威勢は何処へやら。女は必死に命乞いを始めた。そして逃げた。
だが、三人にとってそんなことはどうでもよかった。
問題なのはこの女をぶっ飛ばした人が誰だったかであった。他人のそら似というにはあまりにもそっくりそのままで、だが本人だと言うにはあまりにも非現実すぎた。
毛先だけが黒い白髪、どことなく梟を思わせる顔立ちをした学ランのような服を着た彼女を、三人は知っていたからだ。
「夜……見……?」
折神紫親衛隊第三席、皐月夜見その人であった。だが、彼女は死んだはずであり、遺体すらもノロに飲み込まれて残らなかった。だからあり得ないのである。あり得ないが、しかし見間違えるはずもない。
「……なぜ、皆さんがここにいるかはわかりませんが」
その声も、間違いなく皐月夜見のものであった。
「仕事を終わらせてから話しましょう」
灰色の煙のような紋様をもった刀を抜き、その目は憎悪に燃えていた。