いつか見た、あの夏の日まで。   作:雨魂

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指切りしよう

 

 

 ◇

 

 

 

 学校の前を通り抜けて坂道を下り、俺達はまた海沿いの道路を歩いていた。気づけば太陽は西の方へと傾き始め、降り注いでいた激しい日差しも今は落ち着きをみせている。

 

 道路の脇にはぽつりぽつりと民家が建ち並ぶようになり、それを横目に俺達は人通りない道を進む。

 

 

「あれ」

 

「ん? どうしたの、信吾くん」

 

 

 しばらく歩いていると、見ている景色に覚えがあることに気がついた。敷地の広い民家と海縁(うみべり)の間にある横道。その向こうには小さな山がある。

 

 

「ここ、見た事あるような気がする」

 

「あ…………」

 

 

 少し早歩きをして、津波避難場所と描かれた小さな看板の前で立ち止まった。間違いない。俺はここを知ってる。

 

 

「確か、この向こうに小さい祠があるんだよな」

 

 

 赤い鳥居があって、階段を上るとそこには緑の木々に囲まれた祠があるんだ。一回だけ来たことがあったな。何をしに来たのかは忘れたけど。

 

 日が暮れるにはまだ早いし、時間にも余裕がある。久しぶりにあの場所を見てみたい。

 

 そう思い、その場所に向かって足を踏み出した時。

 

 

 

「──────そっちはダメッ!」

 

 

 

 突然、果南が大きな声を上げた。

 

 驚いてすぐさま振り向く。どうしてそんなことを言うのか分からず、疑問だけを抱えたまま彼女の顔を見た。

 

 果南は俺のことを軽く睨みつけるように、目を細めてこっちを見つめている。その視線には言葉では形容できない、()()が含まれていることだけが分かった。

 

 海が鳴らす静かな音と、遠くで聞こえる車のクラクション。訝しみながら、口を閉ざしたままの彼女に問いかける。

 

 

「どうして?」

 

 

 素直に分からなかった。なんでそんなことを言うのか。何故、動き出した俺を止めるためにそこまで声を荒げなくてはならなかったのか。

 

 その問いかけを聞いた果南は、数秒間そのまま固まっていた。だが急に我に帰ったようにハッと目を見開く。

 

 

「ご、ごめんっ。何でもないから、気にしないで」

 

「? 何でもない?」

 

 

 そんなわけがないのは火を見るよりも明らかだった。何でもないのなら、普通はあんな風に他人を止めたりはしない。

 

 果南は嘘を吐いてる。分かるのは、それだけ。それ以上も以下もなかった。

 

 

「とにかく、そっちは行きたくないんだ」

 

「そうなのか。なら、いいけど」

 

 

 理由を訊いても恐らく彼女は答えてくれない。だから何も言わないことにする。

 

 ただ、気になりはした。そんなの当然だろ。こんな何かを含ませられるような止められ方をして、気にならない方がおかしい。

 

 

「うん……行こ?」

 

 

 果南は俺の左手首を掴み、先へと引っ張って行く。彼女は明らかにこの場所から逃げようとしてる。

 

 一体あそこに何があるんだろう、と彼女に手を引かれながら考えた。でも、答えは見つかる筈もない。

 

 あの横道の向こう側にある、階段を上った先にある祠。名前は、なんて言ったか。

 

 

「あぁ」

 

 

 聞いたこともない鈴の音が、耳の奥で聞こえた。そして、同時に俺は思い出す。

 

 

 

 そうだ。あの場所の名前は─────弁天島。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 本格的に日が傾き、あれだけ強烈に輝いていた太陽も今では角の無い穏やかな橙色の光を内浦の海に注いでいる。

 

 俺達は来た時と同じ道を戻り、散歩を始めた桟橋の前に立っていた。

 

 

「…………疲れた」

 

「あはは、そうだね。流石に私も少し疲れちゃったよ」

 

 

 途中で何度か休憩をしたとは言え、ほとんど歩きっぱなしだった。なんか日に当たり過ぎて顔がヒリヒリする。東京に帰る頃にはバッチリ日焼けしそうだなこりゃ。

 

 両手を組み、夕暮れ空に向かって背伸びする果南。横でそれをやられると自然と視線が胸の方に行ってしまうのでちょっと止めてほしかったが、俺は鋼の意思で目を反らす。

 

 

「でも、楽しかったよ」

 

 

 海を眺めながら、素直な気持ちを言葉にした。手を下ろした果南はふぅ、と息を吐いてから返事を返してくれる。

 

 

「それならよかった。ごめんね、なんか無理やり付き合わせちゃって」

 

「いいよ。というか、俺の方こそ案内してもらって助かった。どこに行けばいいかなんて分かんなかったし」

 

 

 あの洞窟から見た綺麗な海とか、一人だったら絶対に見ることが出来なかった。他にも色々あったけど、この子と一緒でよかったと思える。

 

 

「……そっか。私も、楽しかったよ」

 

 

 そう言って、果南は笑顔を浮かべる。可愛らしいその顔に、再び目を奪われてしまった。

 

 黄昏にはひぐらしと潮騒。海の上には寂しげに浮かぶ一隻の船。そして、アスファルトに伸びる二つの影。

 

 一日が終わる。そう思うと、少し名残惜しい気がした。けど、この子と会うのは今日が最後じゃない。きっとまた会える。何も根拠が無いのに、そう信じていた。

 

 

「…………じゃ、また今度」

 

「うん。あ、そうだ」

 

「ん? どうした」

 

 

 何かを思い出したような声を出した果南は、深呼吸をしてからまた俺の方へ目を向けてくる。上目遣いで潤うその瞳に、思わず引き込まれそうになった。

 

 

「あ、あのさ。信吾くん、今度の日曜日って空いてる?」

 

「日曜日と言わず毎日暇だぞ?」

 

「そんな自慢気に言われてもな……」

 

 

 しょうがないじゃん。予定なんて入れる宛てなんてないんだもん。

 

 

「で、日曜日がどうかしたの?」

 

「あ、うん。その、今度の日曜日、沼津で花火大会があるんだよ」

 

「あぁ、あの花火大会か」

 

 

 昔は帰ってくる度に連れて行ってもらった記憶がある。どうせ今年も千歌に連れて行かれるんだろうと思ってたけど、それがどうしたのだろう。

 

 

「そう。でね、千歌達と行く予定だったんだけどさ、よかったら信吾くんも一緒に行かない?」

 

 

 果南は上目遣いでそう言ってくる。そのあざとい表情にまたもやドキッとしたのは許してほしい。誰に許されるのかは分からんが。

 

 つーか千歌の野郎、知ってたんなら早く言っておけっつーの。後で懲らしめてやろう。

 

 

「いいよ」

 

「え、ホントに?」

 

 

 断る理由も無いので、もちろんそう言った。というかむしろ一緒に行っていいんですか、と言いたいくらいなんだけどね。

 

 

「ホントだよ。俺が断ると思った?」

 

「うん、ちょっとだけ不安だった、かな。でも、ホントに行ってくれるんだよね?」

 

 

 果南はまた訊いてくる。どうしてそう思ったのかは分からなかったが、彼女が不安になるなんて少し意外だった。

 

 

「行くよ。っていうか行かせてください」

 

「ふふ、何それ。私が誘ったのに」

 

「なんか偉そうに答えるのも違う気がしたから、俺の方からお願いしてみたんだよ」

 

 

 お辞儀をしてそう言う。今のが俺の本音。それを聞いた彼女はクスクスと笑う。

 

 

「じゃあ、約束だよ?」

 

「ああ。なんなら、指切りでもするか」

 

 

 そう言って、右手の小指を立ててを果南の方に差し出す。少し恥ずかしいけど、約束するのならこうするのがいいと思ったから。

 

 果南は一瞬驚いたような顔をしたけど、すぐに頷いてくれた。そして、右手を上げてくれる。

 

 

 

「うんっ、約束」

 

 

 

 夕焼け色に染まるその笑顔は、今日見た表情の中で一番素敵だと思った。

 

 もうすぐ日は海に還り、街は橙から藍色へと色を変える。蝉時雨からひぐらしの歌声。やがてひぐらしから鈴虫が奏でる優しい音色へと、夏の音は移ろい行く。夜空には星が煌めき、淡い月明かりが海を照らし出す。そうしてまた日は昇り、今度は朝焼けに内浦は包まれるのだろう。

 

 これは、何でもないありきたりなこと。俺達はそんな中で息をしながら、指と指とを繋いでる。

 

 いつもは平凡な時間が、今は大切に思える。俺にとっては限られたこの数日間。あって当然の月並みな夏休み。

 

 ただ、それだけでは終わらせたくなかった。だから、夕暮れの中で願う。

 

 

 

 少しでも長く、楽しい夏を過ごせますように。

 

 

 

 それ以上願うのはきっと求め過ぎだと思う。与えられるものも無いのに、たくさんの何かを欲しがるのは子供がすること。でも、せめてそれくらいのことを願うのは許されていいと思った。

 

 そんなことを考えてる自分の心を見つめて、ある一つの事実に気がついた。

 

 俺は間違いなくこの子に惹かれてしまってる。呆れるくらい明らかに。情けないけど、自分ではどうしようもないくらいに。

 

 けど、この想いを否定はしない。むしろ肯定しなければ後悔してしまうと思った。

 

 今はただ、この感情を受け入れていよう。それだけでいい。それだけで、十分だ。

 

 

 

 そうして、どちらともなく指は離れて行く。俺達はさよならをしてそれぞれの家路についた。

 

 それから旅館に帰った後、頼まれていたプリンを買い忘れて千歌に騒がれたのは言うまでもない。

 

 




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