◇
「─────注文聞いてきたよーっ。ヨキソバ三つとシャイ煮二つだってーっ」
「ヨーソローッ。ヨキソバ、承りましたであります!」
「オーウ、シャイ煮プリーズッ。イエーィ!」
「おい善子っ、さっき言った客の堕天使の涙はどうした? まだ来ないのかってクレーム来てんだけどっ」
「だからヨハネって呼べって言ってるでしょっ! …………クク、そのような客にはこう言ってやりなさい。『堕天使の涙はそう簡単には流れない。欲しければアナタの生々しい血をこのヨハネ様に捧げなさい』、と」
「そう言うのいいから早く作れっつーのっ! …………って、おい! 焦げてる焦げてるっ。ちゃんと見てろって!」
「あれ、おかしいわね。こんなに炎が出るなんて聞いてないわよ」
「ちょ、善子ちゃん! 燃えてるっ、堕天使の涙燃えてるよ!?」
「フフ、流石は堕天使が落とした涙ね。…………ゴホッ、ケホッ、目が、目が痛-いっ!」
「何やってんだお前はっ! 早く消せ────ってぎゃああああああああああああっ! 目があああああああ!?」
バ○ス! じゃなくて、俺の目が死んだ!? 何これ! ジョロキアって燃えるとこんなに強烈な刺激を放つのかよ!
「痛い痛いっ、み、水っ。早く水かけなきゃ」
「ちょっと待て千歌っ。油に水をかけるとヤバ」
「それーいっ」
「きゃああああああああああっ!?」
「おわああああああああああっ!?」
「オーウッ! エクスプロージョンッ」
今度は堕天使の涙が爆発した。厨房だけじゃなくて店内の方にも煙が行っちゃってる。そして客たちの悲鳴が聞こえてきた。もうヤダ。どうすればいいんだよ、コレ。
「………………地獄絵図だ」
「鞠莉ちゃん、シャイ煮できた!?」
「ちょっとステーイ……あら? ごめーん千歌っち。鶏肉が切れちゃった。代わりにフォアグラを入れていい? 値段は五十倍くらいになるけど~」
「ダメに決まってんだろっ。会計でお客さんが白目剝くわ!」
「えー。モー、シンゴはケチなんだからぁ」
「そういう問題じゃねぇ……」
頭痛くなってきた。なんでここにはまともな奴がいないんだ。唯一曜ちゃんがまともだけど、他が酷すぎて目も向けられない。むしろ目が開かない。
ドタバタワーワーしてる厨房の中で痛む頭を抱える。なんでこんなことになってるんだ。もう現実を見たくない。俺が想像してた海の家の手伝いはこんなんじゃなかった。
しかし、そんな立ち直れない哀しみに打ちひしがれている時、すいませーん、と店内の方からお客さんの声が聞こえてくる。
「た、ただいま参りまーすっ!」
「うぅ、本当の堕天使の涙が出てきたわよぉ。ぐすっ」
「フォアグラがダメならキャビアでもいいかしら? それなら一杯五万円で抑えられるわよ~」
どうやらここでは頭を抱えることすら許されないらしい。意味の分からない自称・堕天使と金髪お嬢さまを放っておいて、俺は店内へと駆け戻る。
─────事の始まりは数時間前に遡る。この地獄のような店で働くことになった
◇
「大変大変大変だよーっ!」
内浦に来て五日目の朝。階段を駆け上がってくる忙しない足音で俺は目覚めた。昨日も零時過ぎまで美渡姉に酒を飲まされてこちとら絶賛二日酔いだっつーのに。寝起きまで落ち着けねぇのかこの旅館は。
近づいてくる足音を布団の中で聞いていると、猛烈に逃げ出したい衝動に駆られた。絶対めんどくさい何かが始まるのは目に見えてる。賭けてもいい。
けど昨日は酔っぱらいながらも部屋に鍵をかけたし、俺が開けない限り外からは入れない。よし、こんな時は狸寝入りだ。イヤホンで音楽を聴きながら布団に包まれば、あのうるさい声も聞こえない。
そう思いながら枕元に置いた携帯を取り、耳にイヤホンを装着してダンゴムシのように丸くなった。ドンドンッ、と部屋のドアを叩く振動が聞こえてくるが、声までは聞こえてこない。よし、このままもうひと眠りしてしまおう。反応しなければちょっとおバカなあの従妹も諦めるだろう。
「信ちゃーんっ!」
「おわっ!? なんでっ?」
そんな計画もこの夏蜜柑女に一瞬で打ち砕かれる。せーいっ、と勢いよく毛布がひっぺ返され、二回目の眠りへと落下しかけていた筈の意識は完全に覚醒することになった。ていうかこいつには女としての恥じらい的なものは無いのだろうか。もし寝てる俺が全裸とかだったらどうしてたんだろう。
「早く起きて信ちゃんっ、一大事なんだよっ!」
「俺としてはこの状況が既に一大事なんだがそれは?」
布団に寝転がったままの俺の腹の上に乗り、肩を揺すってくる千歌。ああもう、朝っぱらから騒々しい奴だな、まったく。
「つーかなんでお前部屋に入って来れてんだよ。鍵かかってたろ?」
「ん? 千歌がマスターキーを持ってるからに決まってるじゃん」
何言ってるんだろ信ちゃん、バカなのかな? と顔が語ってる。どうしよう、全力で吹っ飛ばしたい。残念ながらこの旅館にはプライバシーという概念が欠落しているらしい。俺にはプライベート空間というものを持つ権利が無いのだろうか。無いんだな。潔く諦めよう。求めるだけ時間の無駄だ。
「はぁ…………で、何が大変なんだって?」
「あ。そうだよ信ちゃんっ」
なんだよ千歌ちゃん。って、近い近い。顔に息がかかる。あ、なんかちょっといい匂、何でもない。
「それがね─────」
◇
布団の上で胡坐をかきながら、十千万と描かれたエプロンを着てる千歌の話を聞く。
話によると、どうやら向かいの砂浜にある海の家で働いてるおじちゃんが夏風邪で倒れてしまったらしい。
夏休みの真っ只中の今、店を閉めてしまうと色々と大変なことになってしまうという。売り上げとかそう言った面を考えれば、確かに一日でも休んだら相当な痛手になるのはなんとなく分かった。
明日からは娘さんが手伝いに来てくれるらしいが、今日一日は誰も手伝ってくれる人がいないという。
「そんで、海の家を手伝わなきゃならないってわけか」
「そういうことなのだよ信ちゃん」
どういう経緯でこの旅館にその話が来たのかは不明だが、千歌が一大事だと言っていたのはそのことらしい。しかし、何故俺にまで白羽の矢が立っているのだろう。
「他に手伝ってくれる人はいるのか?」
「曜ちゃんと果南ちゃんに声をかけてみたら、曜ちゃんは来れるって言ってたよ」
「果南は?」
「仕事があるからダメだって~」
そう言われて気分がちょっと落ち込んだ。いや、別に期待してたわけじゃないけどさ。……ほんとだぜ?
「そうか。んでも、曜ちゃんだけじゃ足りないだろ」
「そうだと思って、高校の時の友達に声をかけてみたんだよ。そしたら二人捕まったよ」
「捕まったとかいうなよ。なんか意味深に聞こえんだろうが」
言葉の綾なのは分かっているが、こいつが言うと不思議と違う意味に聞こえてくる。ドンマイ、捕まえられた友達。
「だから信ちゃんも手伝って~」
「えー。二日酔いで頭痛いんだけど」
むしろここに来てから二日酔いじゃなかった日がない気がする。
「いいから手伝ってよーう。千歌のお願いだよーう」
「俺のメリットは?」
「うーん。千歌と一緒にお店で働けること、かな? えへへ」
「却下」
「うわーん、嘘だよ~」
即答したら泣きつかれてしまった。どの辺にメリットらしさがあるんだろう。そうだな、水着の上にそのエプロンを着てくれるなら問題な───落ち着け俺。
ベタベタと鬱陶しい千歌から逃げていると、ドアがまた開かれた。今度は誰だ。
「邪魔するぞー。って、何やってんの?」
「美渡姉~。信ちゃんが手伝ってくれないって言うんだよ~」
入って来たのは千歌の姉である美渡姉。どうでもいいけど、この部屋には常時誰でも入れるフリーパスでもあんのか。
「おはよう、美渡姉。何しに来たの」
「ん、おはよう。千歌が大事なものを持たないで先走って行ったから、代わりに持ってきてあげたんだよ」
「大事なもの?」
「そうそう。なんか海の家のおじちゃんからこれを貰ったんだよね」
そう言って美渡姉はポケットから数枚のチケットを取り出し、それを指の間に挟んでプラプラと揺らしていた。
「何それ。水族館のチケット?」
「あーっ! 花火大会のチケットだ!」
「え? 花火大会?」
花火大会に行くのにチケットなんているのか? いや、そんな話は初耳だ。
「そう、これは地元民でもなかなか取れない桟敷席のチケット。ちなみに一番良い場所のやつ」
「なんで美渡姉が持ってるの? ズルい~」
なるほど、そういうことらしい。でも千歌が言った言葉は俺も気になった。なんでそんなにレアなものを美渡姉が持っていて、あえて見せびらかしてきてんだろう。嫌がらせか? この人ならあり得る。十二分にあり得る。
「海の家を手伝って、最低限の売り上げを越えればこれをやるってさ」
「ホント!?」
「ホントだよ。けど、そこの男はやらないって言ってるんだよな~。それじゃあこれはやれないぞ~」
「くっ」
この姉貴はどうしてこういう言い方しか出来ないんだろう。そんなことを言われたらやらない、とは言えないじゃねぇか。
わーわー言ってる千歌にぶんぶんと身体を前後に振られながら、美渡姉が持つチケットを見つめた。千歌ちゃん、止めて。頭痛いの、僕。
千歌がそう言ったからには、あのチケットは相当手に入りにくい代物らしい。そして彼女はそれを欲しがってる。ということは必然的に今度の日曜日、一緒に花火大会に行く曜ちゃんもあの子もチケットを持っていないということになる。
あれを使えば良い場所で綺麗な花火が見られるんだよな。そりゃ、できることなら見やすい所で見てみたい。さすればやらなければいけないことは一つだけ。
「どうする、信吾」
「…………やってやるよ」
確かにすすんでやりたくはないが、景品があるのなら話は別。そしてあの子が喜んでくれるなら、と考えればやらなくてはいけないという気持ちにならなくもない。
「わーいっ。信ちゃんありがと~」
「くっつくなってっ、ああもう、離れろ千歌っ。俺は別にお前のために手伝うわけじゃない!」
「えへへ。そう言わないでよ~。信ちゃんは照れ屋さんなんだからぁ」
「誰が照れ屋だ」
甘える猫のようにすり寄ってくる千歌のおでこに手を置いて抑えつける。ここで手伝ってやる、と言った時点で千歌のためにもなってるという事実には触れないでおくことにした。俺が手伝うのはあのチケットを手に入れるため。以上、それだけ。
「んじゃあ、そういうことでよろしくー。食材とかは海の家に置いてあるし、旅館のも使っていいから頼んだよ」
「うん、分かった~。よーし、信ちゃんっ。日本一の海の家を目指して一生懸命働くよーっ!」
「はいはい。苦情を受けないくらいには頑張ってやるよ」
決まった直後からエンジンがかかりまくりの千歌と未だに低血圧の俺。ま、海の家って言ってもそんなにデカい所でもナシ。一日くらいなら何とかなるだろう。
───その安易な考えを後々死ぬほど悔やむことになるとは、この時点では一ミリも想像していなかった。
◇
旅館で色々と支度をしてから、俺と千歌は海岸に建つ海の家に向かった。相変わらずぼろっちい外観。趣があると言えばポジティブな言葉に聞こえるけど、もう少しなんとかなんないのだろうか。流石に建て直すってのは無理なので手は付けられないけど。助っ人とはここで待ち合わせをしているらしいが、今のところまだ誰も現れていない。
内浦は今日も気持ち良く晴れており、絶好のバカンス日和だった。砂浜には既にちらほらと海水浴に来てる家族連れや若い男女のグループが見える。
ふと視線を右に移すと、少し離れた所にもう一軒の海の家がある。こちらとは違って真新しく、今どきのお洒落な雰囲気の店。何も知らずに遊びに来ていれば、間違いなく向こうの海の家を選んだだろう。というか。
「あっちもあるんだし、俺達いらなくね?」
「いるのーっ! ここは昔からの常連さんも多いんだよー?」
この間と同じ水着姿の千歌にそう言われる。俺も一応水着だけど、上半身には白いラッシュガードを着てる。男の身体を見ても宣伝にはならないからな。その辺は女性組に任せよう。
「ふーん。んでも、それだけじゃ目標の売り上げは越えられないよな」
「だからこそ千歌達が頑張るんだよっ!」
グッとサムズアップ。俺は小さくため息。そう簡単ならいいんだけどな。
「はいはい。っていうか、そろそろ準備しなきゃヤバくないか?」
「そうだね。もうすぐバスが着く頃だけど」
そんな話をしている時、海岸近くの停留所に一台のバスが停まるのが見えた。ボーっとそっちの方を眺めてると、青いエナメルのバッグを肩に掛けた亜麻色の髪をした女の子がこちらへと駆け寄って来る。
「お待たせーっ。ごめーん、遅くなっちゃったー」
「おはよー、曜ちゃんっ。まだ時間あるから大丈夫だよ~」
現れた一人目の助っ人は、千歌の幼馴染であり船乗りを目指している女の子、渡辺曜ちゃん。俺としてはこの子がメンバーにいるという事実だけで安心してしまった。
「おはよう曜ちゃん。今日も可愛いね」
「おはヨーソロー! えへへ、ありがと。信ちゃんも可愛いよ」
「バカにしてんのか」
「褒めてる褒めてる」
満弁の笑顔でそう言う曜ちゃん。昔もこんな感じのやり取りをした記憶があるな。なんか懐かしい。というか俺も可愛いってなんだ。
「で、他の助っ人は来てないよな」
てっきり同じバスに乗ってくると思ってたんだけど、違ったのだろうか。千歌の交友関係なんて曜ちゃんと果南くらいしか知らないので何とも言えない。願わくばまともな奴が来てほしい。
だが数秒後、そんな淡い祈りは木っ端微塵に打ち砕かれることになる。
「あ。あれかな」
「ああ、そうだね。あれだね」
「え。どれ」
千歌と曜ちゃんは空を見上げながらそう口を揃える。いや、なんで空なの。普通に考えておかしいだろ。
二人に倣って上空を仰いでみる。すると、淡島がある方向から一機の小型ヘリらしきものがこちらに向かって飛んでくるのが見えた。千歌と曜ちゃんは明らかにあのヘリを見てあれだ、と口にした。
「…………まさか」
砂浜に近づくにつれて、段々と大きくなってくるヘリの機体。嘘であってほしいという俺の小さな願いを打ち砕くように、ヘリは徐々に高度を下げてきた。
海岸の人が少ない所に着陸しようとしてるらしいが、降下する時のダウンウォッシュは当然こっちにまで来てる。なんだなんだ。
飛んでくる砂が目に入らないように手で顔を隠していると、ヘリの機体の横に付いてる扉がガラッと開く。
「チャオ~ッ!」
なんかヤバい奴が来た。人も見ていないのに決めつけるのは悪いが、こんな人騒がせな登場をする奴がまともなわけがない。
そうしてヘリは砂浜の上に着陸し、中からひょいっと一人の女の子が下りてくる。ん? なんか見覚えがあるような。
「あれは」
「鞠莉ちゃーんっ! こっちこっち~」
千歌と曜ちゃんが下りてきた女の子に手を振る。その子は金色の髪を手でかき上げながら、こっちに向かって歩いてくる。
あ、そうだ。この街に来た初日、淡島ホテルで見た女の子だ。
薄紫色の大胆な三角水着で、左右の腰の辺りには大きなリボンが付いてるデザイン。頭には大きな丸いレンズのサングラスが掛けられてる。遠目からでもスタイルがとんでもないことが視認できた。そういえば俺と同い年って言ってたよな。見えない、全然見えない。歩き方もなんかモデルさんみたいだし。なんで千歌はあんなハイレベルな女の子と知り合いなんだろう。謎は深まるばかりだ。
「おはよー、鞠莉ちゃんっ」
「ハロー、エブリバディ。千歌っちがピンチだと聞いて飛んで来たのデース」
指をひらひらっと動かして外人みたいな挨拶をしてくる女の子、もとい、マリー。うん。マジで飛んで来たな、確かに。ということはこの子が二人目の助っ人か。大丈夫だろうか。
「おはよう。えっと」
「あら? そこにいるのはこの前のボーイじゃない。どう? 内浦のバカンスは楽しんでるかしら~」
金髪の女の子はそう問いかけてくる。どうでもいいが距離が近い。これも外国スタイルなのだろうか。そうされると無意識に胸の谷間の方へと視線が動いてしまうので、ちょっとやめてほしい。
「まぁ、それなりにはな。それより今日はよろしく、マリー」
「フフッ、オーケー。名前を覚えてくれて嬉しいわ。よろしくね、シンゴ」
パチッとキュートなウィンクを一つ。不意な攻撃に鼻から血的な何かが出てきそうになったが、咄嗟に手で抑えながら上を向いて流れてくるのを耐えた。あんまりそういう唐突な刺激は心臓に悪いので止めてほしいのであります。
「ん。よし、これで二人だな。あとの一人はまだなのか?」
携帯で時間を確認すると、あと三十分ほどで開店時間になってしまう。あらかた準備は終わってるからいいけど、それでも細かい作業は残っているので早めに始めたいのだが。
「あれ、そういえばわたし、バスで一緒に来たんだけどな」
「そうなの? どこ行っちゃったんだろ」
千歌と曜ちゃんがきょろきょろと辺りを見渡す。水着でも着てるのかな、と思いながらふと海の家の屋根へと視線を向けた。
「──────クックック、このヨハネを魔界から呼び戻すとは。流石は共に地獄を駆け抜けたリトルデーモン。でも安心なさい。ヨハネの手にかかればこの地上に遍く下等な人間どもを全てリトルデーモンに変えてみせるわ」
そしたら屋根の上になんか居た。違うよな。あれじゃないよな。俺は認めないぞ。あんなのが千歌の友達だなんて信じたくない。
「あ、善子ちゃんっ!」
「善子じゃなくてヨハネっ!」
「マジか…………」
もう駄目だ。何があったらこんな濃い人間達と出会えるんだろう。俺はorzみたいな姿勢で軽い絶望を抱いていた。
そんな状態になってると屋根の上からお、下りれないー、とかいう訳分かんない声が聞こえてくる。じゃあどうやって上ったんだあの女。
しかし、これで三人の助っ人は揃ってしまった。その事実だけは変えられない。どうしよう、始まる前から超不安だ。
◇
いつまでも凹んでいても話は始まらないので、俺は気を取り直して他の四人と一緒に海の家の中に入った。
「じゃあ、とりあえず分担を教えてくれ」
旅館から持ってきた食材が入ったクーラーボックスを机の上に置いて、俺は千歌に訊ねた。
「うん。えっとね、ホールが千歌と信ちゃんで、厨房が鞠莉ちゃんと曜ちゃんと善子ちゃんだよ」
「オーウ、またこの三人なのね。あの頃を思い出すわ~」
「えへへ、そうだね。よろしくね、鞠莉ちゃん、善子ちゃん」
「だからヨハネよっ。…………フフ、この三人ならまたあの悪魔が降臨した空間を作り出せるわ。任せなさい」
何それ。過去に同じような出来事があったらしいのは千歌から聞いていたが、そんな禍々しいものになったという話は一切聞いてない。
曜ちゃんはともかく、あとの二人がとにかく不安だ。特にあの黒いビキニを着てる黒髪団子の女。あいつは間違いなくヤバい。俺の第六感が千歌と肩を並べるくらいのヤバさだと、さっきからひっきりなしに警鐘を鳴らしまくってる。
「…………大丈夫か?」
「大丈夫よ! ていうか、あんた誰?」
思わず心の声が漏れてしまった。すると、その声を聞いたお団子の女が食いついてくる。
「その人は千歌の従兄の信ちゃんだよ、善子ちゃん。昨日教えたでしょ?」
千歌が代わりにそう言ってくれる。すると黒髪の女は俺の頭から足元までをジーっと観察していた。なんだよ。そんなにめずらしいのか。
「ふーん。これが千歌の
「誰がリトルデーモンだ」
ルビでしか分からない呼び方はやめろ。そしてなんで俺がよりによって千歌のリトルデーモンにならなきゃいけないんだ。つーかなんだよ、リトルデーモンって。
背の小さい黒髪の女は上目遣いで顔を見上げてくる。顔は可愛いが、中身に問題があるのが出会って数秒で分かってしまっているので全然心が惹かれない。
そうしていると黒髪団子は俺から一歩離れ、なんかすごく痛々しいポーズを取り始めた。どうした。
「私はヨハネ。見ての通り、魔界からこの地上に堕天した史上最強の堕天使よ。よろしく」
どの辺が見ての通りなのかまず一切不明なんだが。もうツッコミどころが多すぎてどの辺からツッコめばいいのか分かんなくなってきた。
「ん、そっか。よろしくな善子」
「だ、誰が善子よっ! 私はヨハネッ。ていうかなんで知ってるのよ!」
「や、さっき千歌が言ってたし」
ヨハネとか自称しておきながら実名が善子とかちょっと可哀想だな。めちゃめちゃ真面目そうな名前じゃん。申し訳ないけど、ギャップがあり過ぎて少し笑えてくる。
うー、と下唇を噛んで俺を睨んでくる自称堕天使ヨハネ。なんか面白いのでこれからは善子と呼んでやろう。こいつは年下だってことがなんとなく分かった。
「生意気なリトルデーモンね! いいわ。後悔しても知らないんだからっ」
「だから俺はいつからリトルデーモンになったんだ」
バチバチと睨みを利かせてくる善子。他三人はまたこれか、みたいな顔でこっちを見てた。
「じゃあ早速準備しまショーウッ!」
マリーが元気よくそう言い、おー! と周りは便乗する。
超不安だが、桟敷席のチケットをゲットするためにはやるしかない。
「なら厨房は任せたぞ、曜ちゃん」
「ヨーソローッ。この曜ちゃんに任せなさいっ」
いつも通りの敬礼をみせる曜ちゃん。とても頼もしい。
厨房を担当する三人が店の奥へと入って行く。残されるのはホール担当の俺と千歌。バイトでも接客してるし、千歌も若女将(笑)を自負してるくらいだからこっちは問題はないだろう。多分。
「じゃあ千歌達も準備しよっか」
「そうだな。頼んだぜ、若女将さん」
「了解なのだっ。えへへ、楽しみだなぁ」
笑いながらそう言って、千歌は開店へ向けて準備を始める。俺も彼女の嬉しそうな顔をしばらく眺めてから支度に取り掛かった。やれやれ、一体どうなることやら。
次話/堕天使とお嬢さま