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一時間ほど屋台が建ち並ぶ界隈を練り歩いたところで、桟敷席に移動しなければならない時間になっていたことに気がついた。
「千歌。そろそろ移動した方がいいんじゃないか?」
「え? もうそんな時間なの? う~、時間過ぎるの早すぎるよぉ」
千歌はスマホを取り出し、現在の時刻を確認しながら残念そうな顔をする。しかし、その言葉は時間が無くて充分に楽しめなかった奴が言う台詞であり、顔の横にお面をつけて両手に収まらないくらいの綿菓子やらりんご飴やら金魚やら水風船やらを持ってる奴が口にするものじゃない。どんだけ祭りを楽しんでんだこいつ。
「そうだね。でも今日の一番の目的は花火なんだから、そっちを優先しないと」
「曜の言う通りだよ千歌。それに、花火が終わった後でも出店は回れるでしょ?」
「…………うん。分かった。みんながそう言うなら我慢する」
曜ちゃんと果南が物足りなさげな千歌を諭してくれて俺達は早速、有料の桟敷席へと向かうことに。チケットを持ってない人達も移動する方向は一緒なのか、人の流れに逆らわずに歩く。
屋台が並ぶ場所を抜けて、人通りの多い道を進む。歩く位置はさっきと同じで千歌と曜ちゃんが前、その後ろを俺と果南がついて行く。
しばらく歩くと桟敷席らしき場所が見えてきた。ここの席はさっき案内を見たところによると、あゆみ橋と御成橋と呼ばれる橋の間、そして御成橋と永代橋の間に席が設けられているらしい。チケットには五組の“ほー二十”と記号と数字が書かれている。
「どっちから入ればいいんだろうね」
「あっち側みたいだよ千歌ちゃん。ほら、ホテルの横に書いてある」
曜ちゃんが指さす方向には、五組と書かれた白い看板が掲げられてあった。
再び人混みの中をかき分けながら、俺達は進む。はぐれないように目だけで彼女らを追った。近くに居るから大丈夫だろうけど、万が一の事があるとマズいからな。
「っと、どうした? 果南」
あと少しで入り口に辿り着くと言う時、果南が急に足を止めた。それに気づいた俺も同じように立ち止まる。
「あれって」
それだけ言い残し、果南は桟敷席の入り口とは離れた方向へと歩いて行く。
「おい、どこ行くんだよ」
「ん? どしたの~?」
名前を呼んでも彼女は振り向かずにどこかへと向かって行った。俺達が止まったことに気づいてくれた千歌と曜ちゃんもこちらへと戻ってくる。
何があったのか分からず、首を傾げながら果南の後を追う。青い髪のポニーテールはこの人の中でも目立っているため、見失うことは無かった。俺の後ろからは千歌と曜ちゃんもついてきている。
ホテル前のバス停。そこで彼女はしゃがみ込み、誰かと話している。
ようやく追いついて人混みから出る。そこで、俺は果南が何をしようとしていたのかを気づいた。
「迷子、か?」
「そうみたい。ねぇ、どこから来たか分かるかな? お母さんかお父さんは?」
果南の前に居たのは泣きじゃくっている小さな女の子。恐らく四歳から五歳くらいだろう。辺りを見る限り、両親らしき人影は無い。それもそうか。そうじゃなければこの子が泣いてるわけがない。
果南は優しく話しかけてるが、女の子は涙を流すだけで質問に答えてくれなかった。だがこの子が迷子であることは誰が見たって明らか。見つけてしまった以上、見捨てるわけには行かないだろう。
「ど、どうしようっ。こんな人の中から見つけるのなんて無理だよっ」
「お、おおおおおお落ち着いて曜ちゃんっ。こういう時は焦っちゃダメなんだよっ」
曜ちゃんと千歌が辺りを歩く人混みを見ながら焦るようにそう言った。たしかに千歌の言う通りだが、お前もちょっと落ち着け。
だが、曜ちゃんの言葉も間違いじゃない。こんな小さい子がこの状況ではぐれてしまったら、尚更見つけるのは難しいに違いない。
大会の本部は市役所にあると案内板には書いてあった。そこに行けば迷子のアナウンスをしてもらえるかもしれない。いや、その前に電話をしておく方がいいか。
「大丈夫だからね。すぐにお姉ちゃん達が見つけてあげるから」
果南はそう言ってその子にそっとハグをする。すると、大きな声で泣いていた筈の女の子が魔法にかけられたように急に泣き止んだ。え、何、今の。
それからその子は徐々に果南の質問に答えてくれるようになっていた。子供をあやす天才なのだろうか。少なくとも、あんなことは普通の人には出来ない。
「ちょっと待ってろよ。えーっと、電話番号は……」
携帯で沼津市役所の電話番号を調べる。それはものの数秒で見つかり、すぐにダイヤルした。
「信ちゃん。どこに電話してるの?」
「市役所だよ。本部があるのはあそこらしいからな」
俺の記憶だと、市役所は御成橋を越えた所にある。距離はあるが、行けと言われたら数分もかからず着ける筈だ。人さえ居なけりゃ俺がひとっ走りしてきたってのにな。恨むぜ花火大会。
そんなことを考えていると、電話はワンコール目で繋がった。
『はい。沼津市役所です』
「あ、もしもし。今、花火大会に来てる者なんですけども」
『はい? どうかしましたか』
電話に出たのは多分、中年くらいの女性。事務的ではなく、おっとりとして優しい感じで話してくれる。電話の向こうでは俺達の周りで流れているのと同じ祭りの音が聞こえていた。
「一つ確認したいんですけど、この祭りの本部ってそちらにあるんですよね?」
『そうです。こちらに管理総本部が置かれています。何かご用件がありましたか?』
ビンゴ。女の子にハグをしてる果南と目が合って、一度頷いてみせた。
「実は、リバーサイドホテル前で迷子の女の子を見つけたんです。この場合、どこに連れて行けばいいですかね」
『そうですか。リバーサイドホテルの前……あ、少々お待ちください』
電話口の職員はそう言ってから一旦電話を保留にした。どうでもいいけど、保留中の音楽はカノンだった。それからすぐに声が聞こえてくる。
「もしもし?」
『お待たせしました。ちょうど今、こちらに迷子を捜してる方がいらしてました。そのお嬢さまのお名前は分かりますでしょうか?』
「あ、そうなんですか。ちょっと待ってくださいね」
携帯の通話部分を手で押さえながら問いを投げる。
「果南。その子の名前、分かったか?」
「え? あ、待ってね。お名前はなんて言うのかな?」
「…………
女の子は小さな声で名乗った。俺にもちゃんと聞こえてる。この雑踏の中でもハッキリとその名前だけが聞き取れた。
「サンキュ、果南。もしもし」
『はい。分かりましたでしょうか』
「えっと、ほのかちゃんっていう四歳か五歳くらいの女の子です」
『ほのかちゃん、ですね。…………あ、やっぱりそうです。訊ねてきてる方から教えていただいたお名前と同じです』
職員からその言葉が聞けて、安心して小さく息を吐いた。よかった。向こうに親御さんがいるなら、俺達が連れて行けば問題は解決する。
「そうですか。じゃあこれからそちらへ連れて行くことにします」
『わざわざありがとうございます。すぐにご両親にもお伝えいたします。申し訳ありませんが、お名前をお聞きしてもよろしいでしょうか?』
「高海です」
『高海さまですね。はい、ではお手数ですがよろしくお願いします。お連れ様には素晴らしい方が見つけてくださった、と報告しておきますのでご安心ください』
「いえいえ。こちらこそ、ありがとうございました。では」
通話を切ると千歌と曜ちゃんが詰め寄って来る。近いっつーの。果南はまだほのかちゃんとハグをしてる。いいなぁ、あの女の子──じゃない。
「ど、どうだった? 大丈夫だったっ?」
「お前らはまず離れろ。話はそれからだ。…………うん。市役所で親御さんが待ってるらしい」
「「よかったぁあああ」」
そう言ってやると、千歌と曜ちゃんは同じリアクションと言葉を吐いて安心した顔で何故か抱き合っていた。何してんだお前ら。
そんな二人を置いて、俺は迷子の女の子、ほのかちゃんの前にしゃがみ込む。
「よかったね。お母さんとお父さん、ほのかちゃんのことを探してくれてたみたいだよ」
細い髪を撫でながら教えてあげる。だが、女の子はよく分からないというようにボーっと俺の顔を見つめていた。いつの間にかすっかり泣き止んでおり、また泣き出す様子も見られない。すげぇな果南、マジで魔法でも使えんのかよ。
「あ、ありがとう信吾くん。私、全然そんなの思いつかなかった」
「気にすんなよ。俺もこの子に気づけなかったんだし」
果南が気づかなかったら、きっと俺も気づけなかった。だから彼女の方が感謝されるべきだろう。
そう思いながら立ち上がる。すると俺に倣うように果南も女の子の手を握って立ち上がった。
「なら、私が市役所まで行ってくる。みんなは先に行ってて」
果南は何も出来なかったことに責任を感じているのか、真面目な顔でそう言って来た。
しかし、その提案に頷くことはしない。なに言ってるんだこの子は。自分が悪いわけじゃないのに。
「そういうわけにいくか。俺も一緒に行く」
「え……?」
「千歌と曜ちゃんは先に席取っててくれ。すぐに戻るから」
俺がめずらしく真面目な顔をしてるのが効いたのかどうなのかは分からないが、千歌と曜ちゃんはおずおずと頷いてくれた。
桟敷席はここから百メートルも離れてないし、花火の時間が迫って来てるから、人通りも比較的少ない。なら、果南と比べて危なくないのは彼女達の方だった。あそこなら警備もちゃんとしてるし、変な輩に声をかけられる可能性も少ないだろう。
「分かったよ。気をつけてね、信ちゃん、果南ちゃん」
「何かあったらすぐに電話するんだぞ? 絶対だからな」
「うん。大丈夫」
二人はこくりと頷く。千歌はこの間のこともあるし、ちゃんと反省もしてるだろうから、よっぽどのことが無い限り大丈夫だと信じる。
それよりも、一人で迷子の女の子を市役所まで届けようとするこの子の方が心配だった。だから、俺は彼女について行くと決めた。
まぁ、俺が電話したのに果南が連れて行っちゃおかしい気もしたからな。
「じゃあ、行ってくる。行こう、果南」
「あ…………うん」
そうして千歌と曜ちゃんと別れて、迷子の女の子を市役所まで届けるために歩き出した。
花火が打ち上がるまであと十分ほど。開始までには間に合わないかもしれないけど、それよりもこの子を無事に送り届けるのが最優先だ。
また後でねー、と後ろから声をかけられ、二人に手を振った。果南は迷子の女の子の小さな手を握ってくれている。
さっきまで泣き続けていた橙色の髪をした“ほのか”という女の子はもう、泣くことは無かった。
次話/Hand in Hand