いつか見た、あの夏の日まで。   作:雨魂

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Hand in Hand

 

 

 

 ◇

 

 

 

 ほのかちゃんを市役所に連れて行くと、俺と果南は親御さんから涙ながらの感謝をされた。少し照れ臭くなって、二人で顔を見合わせて頬を掻いたのは俺たちだけの秘密。そうして外に出た頃には、もう花火が上がっていた。

 

 すれ違う人達はその場に足を止め、大輪の花が咲き乱れる夜空を仰いでいた。花火上がった時にアスファルトの上に浮かび上がる輪郭がはっきりとした影を見つめながら、千歌と曜ちゃんが待つ桟敷席を目指す。

 

 花火が上がり始めて、道にあった人混みは先程と比べれば多少は少なくなっていたものの、まだ沢山の人が歩道にいる。花火に気を取られて立ち止まっている人が多い所為か、さっきよりも歩きづらい気がした。

 

 

「あっ」

 

「っと、すいません」

 

 

 隣を歩いている果南が向かい側から来た人と肩をぶつける。俺は咄嗟に足を止めて彼女の代わりに謝った。果南とぶつかった男性も頭を下げてから歩き出して行く。あの人もたぶん、花火に気を取られていたんだろう。

 

 

「大丈夫?」

 

「うん。平気だよ、ありがと」

 

 

 果南はそう言って歩き出したが、またすぐによそ見をしてる人とぶつかりそうになった。これじゃあキリが無い。はぐれないように気をつけないと。

 

 市役所前の交差点を抜けて御成橋の歩道を進む。だが、橋の欄干には花火を見物する客が数え切れないほど立っていて、細い歩道の道幅がさらに狭まってしまっていた。対岸側からこちらへ向かって来る人も多い。これでは桟敷席に辿り着くまで時間がかかってしまいそうだった。

 

 

「まいったな。これじゃ早歩きも出来ない」

 

「ゆっくり行こうよ。花火は一時間もあるんだし、ね?」

 

 

 果南がそう言ってくれる。彼女がそう言うのなら、頷かないわけにはいかない。仕方ないが、ここは急がず進むのがベストかもしれない。離れてしまったら元も子もないし。

 

 

「……そうだな。じゃあ、はぐれないように気をつけよう」

 

「うん。分かったよ」

 

 

 人混みの中で歩くペースを落とし、果南も俺との距離を近づかせてきた。橋の上を通り抜けた夜風が、甘い香水の匂いを運んでくる。良い匂いだな、と思った。それはなんとなく、海の中を歩いているような気分がする香り。

 

 打ち上がり続ける花火を横目に、すれ違う人達を避けながら俺達は細い歩道を前へと進んで行く。でも、時おり人を避け切れずに果南と肩をぶつけてしまう。その度に謝ると彼女は気にしてない、と微笑んでくれた。

 

 大きな花火でも上がったのか、空を見上げている周りの人達が歓声を上げて拍手をする。気にはなるけど、まだ視線を上げなかった。

 

 見失ってしまったら、困るから。

 

 

「さっきは、ありがと」

 

 

 ドンドン、と周囲に響く振動と音の中からそんな声が聞こえてきた。声はすぐ傍から。俺の隣から聞こえたものだった。

 

 

「一緒に行ってくれるって、言ってくれて」

 

 

 歩くスピードをさらに落とし、果南の顔に目を向けた。彼女は微笑を浮かべ、どこか嬉しそうな表情で俺を見ている。

 

 

「気にすんなよ。果南だって、あの子のために頑張ってくれただろ」

 

 

 自惚れるわけでもなく、謙虚に真実を語った。本来ならば俺一人で行って来ればよかったんだけど、意外と頑固なところがあるこの子はきっとそれを許さなかっただろう。

 

 正直にそう言うと、果南は首を小さく横に振った。

 

 

「私って頭があんまりよくないからさ、信吾くんみたいに咄嗟に何をすればいいのか考えられないんだ。だから、信吾くんが居てくれてよかった」

 

「そんな大したことじゃないって。俺に出来るのはあれくらいだっただけ」

 

「それが凄いんだよ。信吾くんはもっと自覚した方がいい」

 

「何を?」

 

 

 訊ねると、果南は少しだけ間を置いてから再び口を開いた。

 

 

「自分が思ってるより素敵な人だってことを、だよ」

 

 

 そう言って笑ってくれる果南。その顔を見て、心臓が反応しないわけが無かった。

 

 果南に褒められた。ただそれだけで、心は一杯に満たされたみたいになる。

 

 

「…………そんなに褒めても何もあげないぞ」

 

「あはは、分かってるって」

 

「ならいいけど」

 

「あ、でもブルーハワイのかき氷が食べたいなぁ」

 

「分かった。後で奢る」

 

「冗談だって。信吾くんは単純だね」

 

 

 また笑われた。だってそんな風に言われたらなんかあげたくなっちゃうじゃん。今なら一個と言わず十個くらい買ってあげてしまいそうだ。ホント分かりやすい奴だな、俺。

 

 

「優しいんだね、信吾くんは」

 

 

 そんなことを考えていた時、出し抜けにそう言われる。

 

 

「お互い様だろ。果南だって、俺なんかよりもずっと優しい」

 

「そんなんじゃないよ。だって、私は」

 

 

 そこまで言って言葉を切り、果南はひとつ咳払いをした。

 

 

「…………私は、信吾くんみたいに当然だなんて思えない。あの子に声をかけたのだって、元を辿れば自分のためなんだよ。だから、信吾くんは私と違って」

 

 

 優しいんだよ、と果南は目を反らして小さくそう零した。俺にはこの子が何を言おうとしてるのか、自分のことのようによく分かる。そして、理解すると同時にこう思った。

 

 俺と彼女はどこか似てる所がある、ってことを。

 

 

「ははっ」

 

「な、なんで笑うのっ。もう、信吾くんなんて知らないっ」

 

 

 思わず吹き出してしまうと、果南は頬を赤く染めてぷいっと顔を背けてしまった。あんまり似合わない言葉を使ったから恥ずかしかったのかな。でも、そんな姿もどうしようもなく可愛く見えた。

 

 

「ごめんごめん。別に変な意味で笑ったわけじゃないよ」

 

「じゃあ、どういう意味?」

 

 

 いじける子供みたいに唇を尖らせて訊ねてくる果南。そんな仕草や表情にときめいてしまうのは、もうどうしようもなかった。

 

 ふぅ、と息を吐いて一旦間を置いてから口を開いた。俺が喋り出す前に、花火の大きな音と光色が辺りに広がって行く。

 

 

「それは、俺も一緒だからだよ」

 

「一緒、って?」

 

「あの子を市役所まで送り届けたのは、俺が優しいからじゃない」

 

 

 そこまで言って、続きを言っていいのか少し迷った。けど、言わなくちゃいけないと思ったから、思い切って正直な想いを言葉に乗せた。

 

 

「俺は、果南のためにやったんだ」

 

「え…………」

 

「あの女の子のために頑張ってた果南を助けたかったから、手を貸したんだよ。だから、一緒だろ?」

 

 

 彼女は大きな目を開いて見上げてきた。そこには確かに、一人の男が映ってる。こんなに綺麗で素敵な女の子が、俺のことだけを見つめてくれている。

 

 橋の中間まで来た時、また花火を見ている人々の声が上がった。果南は何も言って来ない。だから、俺はもう一つ言いたいことを言った。

 

 

「それに、こんなにたくさん人が居るところで女の子を一人には出来ないだろ?」

 

「…………」

 

「道が分からなくなって、果南が迷子の案内所に連れて行かれたりしたら困るからな」

 

 

 そんな冗談を言ってみせると、果南は目を丸くして少し時間をかけてからふっ、と顔を綻ばせてくれる。

 

 

「…………ばか」

 

 

 歩きながら笑い合う。こうして一緒に居ることが、彼女が俺の言葉で笑ってくれたことが、その何もかもが嬉しくて笑った。

 

 そうしているとき、前から大勢の人が歩いてくることに気づく。

 

 

「果南」

 

「あ───」

 

 

 その場に立ち止まり、咄嗟に細い腕を掴んで彼女の身体を引き寄せた。

 

 人混みは止まない。はぐれないように気をつけようと思いながら、人の流れに逆らって歩き出そうとした時、浴衣の袖を誰かにぎゅっと握られていることに気がついた。

 

 果南が、俺の袖を握り締めている。顔が赤い。彼女は恥ずかしそうに目線をわざとらしく反らしていた。

 

 

「ごめん」

 

 

 はぐれるのが怖かったのか、彼女は強く俺の袖を握りながらそう謝ってくる。それでも人混みは押し寄せてくる。

 

 だから、しょうがない。はぐれないためには、こうするしかなかったんだ。

 

 果南は浴衣から手を離す。だけど、俺は彼女が離したその手を掴んだ。

 

 

「し、信吾くん?」

 

「…………袖じゃ、心許ないだろ。だから」

 

 

 俺は、彼女の小さな左手を優しく握った。

 

 今は夏の夜。人が多くて風もろくに届かない。そんな中でも、果南の手はひんやりと冷たかった。まるで、海の中から出てきた人魚の手を握っているような感覚だった。

 

 心臓が張り裂けそうになる。心拍数が上がり過ぎて、頭がぼーっとする。自分から繋いだ筈の右手が、情けなく震えてしまいそうになる。

 

 それでも、手を離すことはしなかった。

 

 

「…………」

 

「…………」

 

 

 異常に口の中が乾く。何故か無性に夏蜜柑が食べたくなった。皮が固くて剝きづらいけど、中に入ってる身は甘酸っぱくてみずみずしい、あの夏蜜柑がどうしても食べたいと思った。すれ違う誰かが夏蜜柑をくれるのなら、財布ごとくれてやってもいい、とバカなことを思ってしまうくらいに。

 

 互いに何も言わず、人混みの中を進む。俺が手を引き、果南がそれについてくる。こうしていれば絶対に離れることは無い。沸騰しそうな頭で分かるのは、たったそれだけ。

 

 

「………………ありがと」

 

 

 小さな声が聞こえる。

 

 そうして、そっと手が握り返される。

 

 花火の音が響き、祭りで賑わう沼津の街が色とりどりの明かりに変化する。それを眺めながら、俺と果南は御成橋を歩いた。人混みは絶えず、その人々は皆同じ方向を見つめている。

 

 恥ずかしいのは人前で手を繋いでいるからじゃない。もし、ここに誰も居なかったとしてもこうして情けなく顔を赤く染めていたことだろう。いや、むしろ二人きりの方が緊張していたかもしれない。

 

 

「ごめん」

 

「どうして謝るの?」

 

「その、嫌じゃないかと思って」

 

 

 心配性の心が果南に向かってそう問いかけた。外出中、家のコンロを消してきたかが無性に気になってしまう時みたいに、大丈夫なことが分かってはいるのにどうにも心配になってしまって。

 

 でも、そんな心情を否定するように、右肩の近くにある青い髪は左右に振られた。

 

 

「嫌じゃないよ」

 

「本当に?」

 

「うん。こうしてると、安心する」

 

 

 花火なんかよりも何倍も眩しい笑顔を浮かべながら、そう言われる。心臓を強く握り締められ、それから顔が紅潮する感覚を覚えた。

 

 それから俺達は手を握り合ったまま、千歌と曜ちゃんが待つ桟敷席に向かった。

 

 

 

 花火は鳴り続けている。

 

 俺の心臓も同じくらい強く、心音を鳴らし続けている。

 

 




次話/Blue Fireworks
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