◇
花火大会のため臨時で出ていたバスに乗り、俺達は沼津駅前から内浦へと戻って来た。
料金を払い、バス停の前に降りる。空気が抜けるみたいな音とともにバスのドアは閉まり、車通りの少ない県道を走り去って行った。
「うーんっ。帰って来たねぇ」
前を歩く千歌がそう言って伸びをする。それに倣うように、俺も怠くなった首を軽く回した。
「なんだかすごい静かに感じるね。いつもの内浦じゃないみたい」
「ふふ、そうだね。でも、曜は毎年同じことを言ってるよ」
「え? そうだっけ? アハハ。一年も経つと忘れちゃうよねぇ」
曜ちゃんが洩らした言葉に、笑みを浮かべて返す果南。曜ちゃんの言う通り、今の内浦はいつもと違く見えた。当然、夜の海岸通りに人通りは皆無。長いこと雑踏の中にいた所為で、少し喪失感みたいなものを感じてしまっている。
近くの砂浜に繰り返し打ち寄せる、穏やか波の音。どこかで鳴いてる鈴虫の鳴き声。耳を澄ましても、聞こえてくるのはそれくらい。
空を仰ぐとそこには欠けた月がひっそりと浮かび、その周りを囲うように夏の星座が瞬いてる。手を伸ばせばなんとか届くんじゃないか、と思ってしまうくらい、星たちがすぐそばにあるように見えた。
「あ。そう言えば」
「どうしたの、信ちゃん」
ふとあることを思い出し、スマホを取り出して今の時刻を確認する。ディスプレイに表示されてるのは二十一時六分。今朝の天気予報でお天気キャスターのお姉さんが言っていたことが正しければ、この時間帯にはあるものが綺麗に見えるはず。
訊ねてくる千歌と、俺の方を見てる果南と曜ちゃん。彼女たちにもよく分かるように人差し指を立てて空を指さし、もう一度上を向く。予報と予想通り、夏の夜空にはくっきりと星の二等辺三角形が映し出されていた。
「夏の大三角形。今日は綺麗に見えるらしい」
「わぁ、ホントだ」
「ハッキリ見えるね。信ちゃん物知り~」
「花火の次は星かぁ。なんだか綺麗なものばっかり見てるね」
千歌、曜ちゃん、果南はそれぞれの感想を述べながら、頭上に浮かぶ星座を眺めている。確かに、今日は空に浮かぶ輝きばかりを見てる気がした。
南東の空に浮かぶ夏の大三角形。似合わないかもしれないけど、俺は少しだけ星座に詳しい。日本では冬のオリオン座や
このまま帰るのも何となく勿体ない気がしたので、俺は近くにある手すりに腰掛け、三人の女の子に向かって雑学を披露してみることにした。
「あの一番明るいのが織姫星って呼ばれてる星。一等星より明るい零等星なんだ。よくベガって言われてる」
「へ~。あれが織姫様かぁ」
「手を振ったら見えるかな?」
「いやいや。あっちから見えたとしても、こっちからは絶対見えないでしょ」
「流れ星を流してくれるかもっ」
「そうだな。じゃあ手を振っておけ」
分かった! と言って織姫星に向かって手を振る千歌と曜ちゃん。なんでこの子達はこんなに素直なんだろう。面白、じゃなくて悪い人に騙されたりしないかと心配になっちゃうよ、ボク。果南は隣で呆れてる。無理もない。まぁそういうところも可愛いんだけどな、という本音は言わないでおいた。
「んで、その左斜め下の方にあるのが彦星。アルタイルって呼ばれる一等星だよ」
「なんで織姫様と彦星様は一緒じゃないんだろうね~、曜ちゃん」
「そうだね、ケンカでもしちゃったのかな?」
果南がこめかみを押さえ始めた。七夕の伝説も知らんのか、この二人のお嬢さんは。そこまで説明したら面倒くさくなりそうな雰囲気がバリバリ出ていたので、ナチュラルに無視しておいた。
呆れてる果南を見て少しだけ笑い、最後の星を見上げる。
「彦星の左上にあるのが白鳥座。デネブって言った方が有名かもな」
「うん、聞いたことあるよ。あれだね」
曜ちゃんが白鳥座を指さす。その姿を見て俺は両手の指で三角形を作り、それを頭上に掲げてみせた。
「今の三つを線で繋げたのが、夏の大三角形ってやつなんだよ」
そうやって見せると三人も倣って指で三角形を作り、夜空に手を伸ばしていた。
星が嫌いな人なんていない。世界中を探せばいるのかもしれないけど、俺は昔からそう思っている。
いつの日か、こうして誰かと一緒に夏の夜空を見上げていた気がしなくもない。それがいつの記憶で、どこでの出来事だったのかは、もう思い出せないけれど。
そうして、年下二人組は満天の星空を見上げながら旅館の方へ歩いて行く。俺も一度息を吐いてから、彼女達の背中を追った。
「ん? どうした、果南」
けど、果南は立ち止まったまま星を仰いでいる。何かがあるのか、と訝しみながら俺も同じように空を見た。そこにあるのは、数秒前と同じ美しい星達の淡い瞬き。変わってるものは何も無い。だというのに。
そうしてしばらくの間、俺達は向かい合って星を眺めていた。
「あ」
そんな時、満天の星空に描かれた光の線。時間とすればほんの一瞬。長いあいだ見つめていなければ見つけられなかった筈のそれを、彼女は待っていたのだろうか。
願いをかける暇も無く、流星は彼方へと消えた。それを見た果南は満足そうに息を吐いて、その視線を俺の方へと向けてくる。
「行こっか」
めずらしいものを見たからか、彼女は嬉しそうな表情を浮かべている。そんな顔を見ているとこっちまで嬉しくなって、思わず微笑んでしまった。
果南と向かい合って、一度だけ頷く。
「うん。行こう」
そうしてようやく、俺達は短い家路についたのだった。
◇
「お帰りなさい、みんな。花火大会はどうだった?」
「ただいま志満姉っ! あのねっ、うんとねっ、すっごくキラキラしててね、すっごく綺麗だったんだよ!」
「フフ、よかったわね千歌ちゃん。よしよし」
玄関で志満姉が迎えてくれていた。しかし、俺の意識はとんでもない語彙力を持つ夏蜜柑色の従妹に向かってしまっていた。あのね、千歌ちゃん? 大人っていうのはね、物事を相手に伝える時もうちょっと具体的な言葉を使うんですよ? 今どきの小学生でももうちょいマシな感想を言うんじゃないだろうか。すごい、俺の従妹(十九歳)。
志満姉に撫でられながらうぅーん、としいたけのように気持ち良さそうな顔をしてる千歌。見た目は変わっても中身が全然変わっていないことを改めて思い知らされた。胸に行ってしまった栄養をもうちょい頭の方に分けてやれ。
「ただいま、志満姉」
「無事帰還したであります、志満姉っ」
「あらあら、果南ちゃんと曜ちゃんも可愛い浴衣ねぇ。信吾くんも、両手いっぱいの花を持って大変だったでしょう」
「…………まぁ、それなりには」
「ふふ。男の子は大変よねぇ」
俺もよしよしと志満姉に頭を撫でられる。嬉しいんだけど、人目があるんで死ぬほど恥ずかしい。だが、俺のような分際で志満姉の手を払えるわけも無いので、仕方なく成されるがまま。果南の視線がバチバチ当たってる感じがしたのは気のせいだろう。
「志満姉、準備しててくれた?」
「もちろん。中に置いてあるわよ」
「ありがと志満姉っ。行くよぉ曜ちゃんっ」
「ヨーソローっ! 了解であります、千歌ちゃんっ」
そう言って蜜柑色と亜麻色の髪をした二人は旅館の中へとダッシュしていった。何が準備されているのだろう。つーか元気だな、あの二人。
「楽しそうでよかったわぁ。大変なことは何もなかった?」
「あぁ、実は一つだけあったんだよ。な?」
「うん。その、花火が始まる前に迷子の女の子を見つけちゃって」
「あらあら大変。それで、どうしたの?」
驚いたように右手を口元に当てながら訊ねてくる志満姉。果南と目配せしてから、あの出来事の経緯を説明する。
「市役所に電話したらその子を探してた親御さんがいたから、連れて行ったんだ」
「あんまりこの辺に慣れてない人みたいだったから、しょうがなかったのかもね」
果南の言う通り、あの家族は地元の人達では無かった。あくまでもなんとなくだから、実際どうなのかは分からないんだけど。
「そんなことがあったの。でも、偉いわね二人とも」
「いや、俺は電話をかけただけだから別に。それより見つけた果南の方が偉いよ」
「そんなことない。私、市役所に電話をかけるとか思い浮かばなかったもん。だから信吾くんの方が偉い」
「果南の方が偉い」
「信吾くんの方が偉いもん」
またそんな不毛な言い合いをする。俺達がうー、と顔を向かい合わせていると、それを見た志満姉はクスクスと上品な感じで笑い出した。
「ふふ、二人は仲良しなのねぇ」
「「な、仲良くなんか」」
「ほら、息ピッタリ」
「「…………」」
返答が見事にハモってしまい、俺達はまた顔を見合わせた。果南の顔が赤い。恐らく俺も同じように赤くなってる。くそ、なんか悔しい。
傍から見れば仲良しに見えるのかな、とかちょっと嬉しい気持ちになるけど、なんとなく複雑になったりならなかったり。
顔を反らして熱が冷めるのを待っていると、また志満姉が声をかけてくる。
「よかったわ二人が仲良しで」
「べ、別にそんなんじゃ」
「心配してたのよ。昔、あんなことがあったから」
何気なく、本当に自然に、志満姉はそんなことをポロリと口から零した。意味ありげな台詞。それを聞いた途端、果南が一歩、志満姉に近づいた。
「あんなこと?」
「志満姉さん」
俺が問い掛けた瞬間。それ以上は言わせないというように、果南は俺と志満姉の間に立ち塞がった。
同じくらいの身長の志満姉と果南は黙って向かい合う。背を向ける果南がどんな顔をしてるのかなんて、俺に分かるわけが無かった。
「─────あ。ご、ごめんなさい果南ちゃん」
「…………」
「わ、忘れちゃってたの。だから、つい」
志満姉はめずらしくあたふたしながら、向かい合う果南に向かって謝っていた。
でも、なんでこの人が謝る必要があるんだろう。今の会話のどこにそんな要素があった? 俺には何一つ分からなかった。分かるのは、果南が少し怒っていることと志満姉が焦っていること。どちらもあまり見たことがない姿だったので、不安になった。
「…………その」
「何でもないわ信吾ちゃん。忘れてちょうだい」
訊ねようとすると、志満姉は俺に向かってそう言って来た。何でもないわけが無い。本当に何でもないのなら、普通の人はそんな風に誤魔化したりしない。間違いなく二人は何かを隠してる。じゃあ、その何かとはなんだ? 俺には見当もつかない。
果南は何も言わずに背を向けている。俺は、その背中と長いポニーテールを黙って眺めていた。彼女は何を焦っているのだろう。俺に知られたくない、何かがあるのは間違いなかった。だけどそれはなんだ?
そう思って果南に問い掛けようとした。だが。
「お待たせーっ!!!」
「持ってきたよーっ!」
そんな感じで騒がしい二人が玄関から出てくる。空気を読め、この元気全開シスターズが。シリアスな雰囲気を一気にぶち壊されてしまった。玄関の外に流れている重たい空気に気づいた千歌と曜ちゃんは、はぇ? と頭の上にクエスチョンマークを浮かべながら俺達の方を見てくる。
「ああ。うん、ありがとね千歌、曜」
「? ……うん。大丈夫?」
「千歌は気にしないでいいの。それより、凄い量だね」
両手が塞がってる千歌の頭を優しく撫でる果南。千歌はよく分からない、というような表情を浮かべて首を傾げていた。
「あはは、凄いでしょ~」
「この日のために色んなお店を周ってかき集めてきたんだよっ。ね、曜ちゃん」
二人が抱えているのは、夏の風物詩の一つ。ザ・手持ち花火。それはいいんだが、量がえげつない。五十人くらい集めてパーティでもするんですか? と訊きたくなるくらいの花火の量だった。かき集めてきたって、それは店にある花火を片っ端から買って来たらそうなるわな。仕事で稼いだお金を何に使ってんだ。お母さんが泣くぞ。
「どんだけあんだよ。つーか、これ全部やんのか?」
「あったりまえだよ信ちゃんっ。花火を舐めちゃいけないんだよ?」
「別に舐めてねぇし」
意味が分からない言葉を放ってくる千歌。千歌と曜ちゃんの腕に抱えられている花火には色んな種類があった。東京じゃあまり騒げないけど、ここなら多少大きな声を出したって誰にも咎められない。
先ほどの重苦しい空気は無くなった。気になるけど、俺が空気を変えるわけにもいかない。なら今は忘れてしまおう。
本当に大事なことなら、何れ知ることになるのだろうから。ここには俺が知らない物語がある。
今はただ、そう思っていよう。
「じゃあ、花火大会二回戦。行っくよーっ!!!」
次話/恋に落ちる線香花火