いつか見た、あの夏の日まで。   作:雨魂

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最終章/君と見た、あの夏の夢。
相談ヨーソロー


 

 

 最終章/君と見た、あの夏の夢。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 花火大会から二日が経った昼下がり。貸し与えてもらった部屋の窓際に置かれた椅子に座りながら、外に広がる綺麗な駿河湾を目に映す。手には読みかけの小説と微糖の缶コーヒー。机の上には手を付けてない夏蜜柑が置かれている。

 

 見ていた海から目を離し、再び小説の続きを読もうとする。だが、そこに書かれている文字の内容がまったく頭に入ってこない。決してこの小説を書いている人の文章が下手なわけじゃない。なら何故、趣味である読書がこんなにも身にならないのか。

 

 

「はぁ…………」

 

 

 問題は読み手にあるということだ。どれだけ小説が素晴らしくとも、読む人間が腐っていたらそれは駄作にすらなりやしない。

 

 そう。俺はまさに今、腐っていた。もちろんそれは安い比喩だけれど、考えることすら出来ないこの思考回路は腐っていると表現してもなんらおかしくはないだろう。それくらい、花火大会が終わった日から二日間、何もしてこなかった。出来なかったという方が正しいかもしれん。

 

 

 

「何やってんだろ」

 

 

 

 終いには読んでいる小説の文章がモザイクのように見えてきた。生産性も無いそんなものを俺はただ眺めるだけ。その行為に何の意味があるのだろう、と冷静に考えたらこれが不毛な行為にしか思えなくなってきたので、開いたページにスピンを挟み、文庫本を机の上に置いた。

 

 

「…………」

 

 

 椅子に座ったまま首を後ろに下げて、だらしない格好で天井を見上げる。

 

 花火大会が終わった後、俺はあの子のことを好きだったということに気づいてしまった。数日経っても気持ちは変わらない。むしろ時間が経つにつれて、その想いが徐々に大きくなっているのが自覚できてくる。

 

 顔や声を思い出すだけで自然と体温と心拍数が上がる。なんだか落ち着かない気持ちになって、やたら酸っぱい夏蜜柑が食いたくなる。最後の現象は謎だが、これは間違いなく恋の病だ。経験が無いわけじゃないからそれが分かる。久しく感じていなかったこの感情の起伏や変化。そんなものを、あの子に抱いてしまっている。

 

 しかし、問題はここからだ。好きだと気づいたのは良しとしよう。だが、それからどうしていいのか、何も決められないままでいたのだった。

 

 

「ふぉ~…………」

 

 

 変な声を出しながら机に突っ伏す。

 

 この二日間、何をする時にでもこれからやるべきことを頭の中で模索し続けていた。考えればやらなくちゃいけないことが浮かんでくるんじゃないかと思って時間を過ごしていたというのに、結局はこの様である。大切な時間を無駄に浪費して、一歩も前に進めていないままでいる。俺は一体何がしたかったのだろう。うん、分からん。

 

 机の上に身体を突っ伏し、目だけを部屋の壁にかかったカレンダーへと向ける。この街に来て大体二週間が経っていた。色んなことをやって、だいぶ騒がしい夏休みを謳歌したとは思ってる。けど、最後の最後でこんな問題が待ち侘びているとは思いもしなかった。

 

 

「あと、三日か」

 

 

 この内浦に居られるのは今日を含めずに、あと三日。三日後の日中には東京へと帰らなくてはならない。

 

 それは分かっているのだけど、やっぱりどうすればいいのかが決まらない。残された時間の少なさも理解しているのに、まだその場で足踏みをしているだけ。

 

 話はそう簡単には行かないのは分かってる。だからこそ、上手く前に進めない。向こう側に欲しいものがあるのに、その間にある水溜りに嵌るのが怖くて足を前に出せない。思い切って行けば何かは変わるかもしれないのは分かってる。しかし、そこで断られてしまったり拒絶されたりしたらもう立ち直れないだろう。今度こそ、この街に帰ってくることが出来なくなってしまうかもしれない。だったらこのまま好きという気持ちを東京に持ち帰って、来年またここに来ればいいじゃないか。

 

 

「いやいや」

 

 

 浮かんで来た考えを、頭を横に振って否定する。それはダメだろう。あんな可愛くて性格も良い、言ってみれば非の打ちどころがない、完璧な女の子がいつまでもフリーだと思うのはナンセンスだ。淡島にダイビングをしにくる若い男の誰かに奪われてもおかしくはない。だったら、この想いを一年間も置いておくことなんて出来やしない。

 

 

「あー…………」

 

 

 そうだ。あんなに可愛くていい子を放っておくわけが無い。()()じゃなく、()()が。

 

 好きになったものはもう仕方ない。だからこそ、この三日のタイムリミットの中でどうにかしなくちゃならん。

 

 

 ハーフパンツのポケットに入れていた携帯を取り出し、連絡先の中にあるマ行を眺めた。一番上に表示されるあの子の名前。内浦に来た二日目、四人で砂浜で遊んだあの日。これは、その時に失神してしまうくらいの勇気を出して訊いた連絡先。

 

 確か、俺から訊いた筈なのにあの子は自分の方から俺のメールアドレスを先に入力してきたんだ。ちゃんと届くかどうか試験メールを送るね、と言われ携帯に届いたのは『信吾くん、元気かなん?(*'▽')』という信じられないほど可愛い文章。それを読んだ瞬間うっかり気絶しそうになったことは忘れない。

 

 連絡してみようかと迷う。あの子は今、何をしてるんだろう。普通に考えれば仕事をしてるんだろうけど、もしそうじゃなかったら。

 

 電話をかけたりしたら、やっぱり迷惑かな。電話をかけたとして、俺はあの子と何を喋るんだろう。

 

 言いたいことはある。でも、それを言ったら何もかも終わってしまう気がする。だからなのか。この電話番号をタッチするだけであの子の声が聞けるのに、そうすることがどうしても選べなかった。

 

 

 携帯をポケットに入れて椅子から立ち上がった。そして、窓を開けて夏の空気を部屋の中に入れる。海風に乗って運ばれてくる、潮の香りと蝉時雨。遠くを眺めると、数隻の漁船が煙を上げて果てしない青の上に漂っていた。数匹の渡り鳥が風に乗り、鳴き声を上げながら何処かへ向かって行く。そんな何気ない夏の景色。十年間、忘れ続けていた青い世界。どうしても、この街の海を眺めていると心が波打つ。まるで、汀に静かに打ち寄せている、あの白波のように。

 

 何故か、海を見ている間は少し悩みを忘れることが出来た。

 

 

「考えてるだけじゃ、何も変わんないよな」

 

 

 今の俺に出来ることと言えば、この悩みを誰かに打ち明けること。その誰かは、一人しかいない。あの子は今日もあそこにいるだろうか? まぁいい。分からないけど、とにかく行ってみよう。

 

 うじうじ考えてるだけで何もしないのは昔からの悪い癖。たまにはあの従妹のように何も考えずに突っ走ってみるのも、悪くはないのかもしれない。

 

 

「行ってみるか」

 

 

 一度、背伸びをしてから開いた窓を閉めた。

 

 閉める直前、蝉の鳴き声が止んだ気がした。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 太陽が一番高い所を過ぎた内浦は、一日の内で最も気温が高くなる。時おり吹く涼しい潮風だけが火照ったこの身を癒してくれた。そんな中、ある場所を目指して海岸沿いを進んで行く。

 

 あわしまマリンパークの入り口を通り抜け、連絡船が停留している桟橋の方へと向かった。今日はやけに沢山の海猫が桟橋で羽根休みをしている。仲良さそうに身を寄せ合うその姿を見て、なんだかちょっとほっこりしてしまった。

 

 そんなことを考えながら一隻の連絡船が停まっている場所まで歩いて行き、あの子の姿を探す。連絡もせずに急に訪れてしまったからな。居なくても文句は言えないか。

 

 

「…………今日は、休みなのかな」

 

 

 しばらくの間、桟橋の上で連絡船の方をボーっと眺める。すると運転席らしき所から船長さんが出てきた。その姿を見て安堵しながら、小さく息を吐く。

 

 

「あれ、信ちゃんだ。おっはヨーソローっ」

 

 

 少し驚いた顔をしてから微笑み、声をかけてくれるセーラー服の船長さん。船内の掃除でもしていたのか、手にはデッキブラシと水色のバケツが握られていた。

 

 

「おはヨーソロー。って、もうお昼過ぎだけどな」

 

「あはは、そうだったね。ごめんごめん。それで、今日はどうしたの? また淡島までおつかい?」

 

 

 ひょいっと船から桟橋に降りてくる曜ちゃん。相変わらず可愛いな。どっかの従妹さんと交換したい。曜ちゃんが従妹だったら俺も文句は無かったよぅ。

 

 

「いや、違うよ。曜ちゃんは今日もバイト?」

 

「うん、そうなのです。えへへ、でも見ての通りお客さんは全然なんだけどね」

 

 

 曜ちゃんは掃除用具をその場に置き、セーラー服の胸元をパタパタして服の中に風を入れ始める。視線が自然と胸の方へと行ってしまったのは生理現象。これはあれだ。どこから見ても目が合ってしまうモナリザの目、みたいなやつ。その仕草をしてる女子の胸に視線が行かない男はこの世に存在しないと個人的に思っている。それはいいとして。

 

 

「そっか。お疲れさま」

 

「ありがと。信ちゃんはお散歩でもしてたの?」

 

 

 曜ちゃんは俺の視線に気づくことなく訊ねてくる。なんだかちょっとエロい目で見てたことが申しわけなくなってきた。反省しよう。だが後悔はない。

 

 ここに来た理由。それは。

 

 

「実は、その。曜ちゃんに用があって」

 

「……ダジャレ?」

 

「違う違う」

 

 

 そう言うと、曜ちゃんは目を細めてこちらを見てきた。くっそつまんないギャグだと勘違いしたであろう彼女の顔には『そんなこと言いにバイトの邪魔をしに来たの? いいから早く海に向かってヨーソローして』と書かれている、ように見えた。曜ちゃんは優しいからきっとそんな酷いことは思っていない、筈だ。この子にそう思われてたら本当にヨーソローしてしまうかもしれない。でもしょうがないじゃん。マジで曜ちゃんに用があったんだもん。

 

 

「じゃあ、わたしに用ってなぁに? 信ちゃん」

 

「ああ。ちょっと、曜ちゃんに相談したいことがあって」

 

「あれ? 相談? なんでわたし? 千歌ちゃんじゃダメなの?」

 

「それはまぁ、色々と。考えてみたら曜ちゃんが一番いいかな、って思ったんだ。バイト終わった後でもいいから、ダメかな?」

 

 

 そう打診すると、曜ちゃんは腕組みをして少しだけ何かを考えていた。吹いてきた海風に、緩くパーマがかかった亜麻色の髪がふわりと揺れる。

 

 

「うん。わたしでいいなら、いいよ。力になれるか分からないけど」

 

「ホント? よかった」

 

「これから三十分休憩だから、その間でもいいかな?」

 

「もちろん。ありがとう、曜ちゃん。忙しいってのに」

 

「いいっていいって。信ちゃんの頼みなら何だって聞いてあげるよっ」

 

 

 そう言ってから曜ちゃんはえっへんと胸を張る。流石は曜ちゃん。器の大きさが桁違いだぜ。しかし、最後のワンフレーズを聞いてふとやましいことを考えてしまった自分が嫌いになりそう。夏の海に消え失せろ、俺の煩悩。

 

 

「相変わらず優しいね、曜ちゃんは」

 

「えへへ。褒めても何も出ないぞ~」

 

 

 照れたような笑顔を浮かべて、曜ちゃんは足元に置いていたブラシとバケツを両手で持った。

 

 

「じゃあ、少し待ってて。すぐに戻ってくるから」

 

「ああ、うん。行ってらっしゃい」

 

 

 そう言ってから曜ちゃんはパタパタと建物の方へと駆けて行った。確かにここは風がよく吹くから涼しくていい。あの子がここが良いって言うのなら、ここで話をしよう。

 

 耳を澄ませると、穏やかな波の音がやけに透き通って聞こえた。空には一匹の海鳥が太陽の周りに円を描くように羽ばたいている。

 

 突然、猫のような鳴き声が聞こえ、そっちに目を向けた。少し離れた所の桟橋の縁。そこで羽根を畳んで休んでいる二匹の海猫が、こちらを眺めていた。

 

 

「…………どした?」

 

 

 訊ねるとにゃー、と返事が返ってくる。

 

 なんて言われたのかは、上手く想像できなかった。

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

「お待たせ、信ちゃん」

 

「お疲れさま。はい」

 

「おっ、ありがとっ。ちょうど喉渇いてたんだ~」

 

 

 桟橋の縁に座りながら、曜ちゃんにさっき近くの自動販売機で買って来たスポーツドリンクを手渡す。彼女はそれを受け取り、微笑みながらキャップを開けて美味しそうに喉を潤していた。

 

 俺も飲みかけのアイスコーヒーを一口飲んだ。苦みとほんのりとした甘みが口の中に広がる。缶コーヒーを右脇に置くと、左隣に曜ちゃんが座ってくる。ふわり。不意に鼻を擽る、爽やかな石鹸のような香り。

 

 

「休憩くらいゆっくりしたいだろうに、ごめんな。曜ちゃん」

 

「いいのいいの。どうせ一人で暇だったからさ」

 

 

 足をぷらぷらと前後に動かす曜ちゃん。邪魔じゃないかと不安だったけど、そう言ってもらえて少しだけ安心した。

 

 

「それで、相談って何かな?」

 

 

 足元にある海を眺めていると曜ちゃんが訊ねてくる。自分から切り出そうと思っていた手前、少しだけタイミングがずらされたような感じがした。けど、訊いてくれたのなら言わなきゃ。

 

 ちょっとだけ緊張しながら、話そうとしていた言葉を口にする。この子になら言っても大丈夫だ、という強い安心感があったからか、自然に言葉が出てきた。

 

 

「実は、その、果南のことなんだけど」

 

「果南ちゃんのこと? 何かあったの?」

 

 

 そう切り出すと、曜ちゃんは首を傾げてこちらを見てくる。やっぱりこの子は気づいてない。それもそうか。俺だって気づいたのは二日前なんだから、先に他の誰かが気づくなんてことはあり得ない。

 

 気持ちを落ち着かせるため、一度空を仰ぐ。旋回していた海鳥は、もう何処かへ行ってしまっていた。

 

 少しの間を空けてから、口を開く。

 

 

「率直に言うと、惚れてしまった」

 

「???」

 

 

 そう言うと、曜ちゃんはもっと分からないという表情を浮かべた。頭の上に三つのクエスチョンマークが見える。俺が言わんとしてることの一割も理解してない顔だ。オーケー、そういうことか。曜ちゃん、こんなに可愛い顔してるのにどうやら恋愛には疎いらしい。

 

 他人に想いを伝えるってのは難しい。今みたいにエッジの効いた言葉では伝わらない。けど、分かりやすければ分かりやすいほど恥ずかしい言葉になってしまうのはこの世界の理。

 

 息を吐いて覚悟を決める。そうだ、誰にでも分かるように言葉の角を削り取ってから話せば理解してもらえる。そう考えて腹を括り、曜ちゃんへ果南に対する想いを打ち明けた。

 

 

「…………俺は、果南に恋してしまったんだ」

 

 

 うわぁああああああああああ。死にてぇえええええええええ。何キモいこと言ってんだよ俺。マジで一回人生をやり直して来い。どうせだったらもっと粋な台詞をカッコよく言える男に生まれ変わって来いっつーのバーカバーカ! 

 

 言ってから猛烈に後悔をしてしまう。たぶん顔は既に真っ赤になってることだろう。もうヤダ。お嫁に行けない。間違えた。お嫁さんを貰えない。それも違うな。

 

 

「へぇ~…………」

 

 

 曜ちゃんはしれっとそんな声を出していた。驚かないのか? てっきり超驚くもんだと思っていたんだが、ちょっと拍子抜けしてしまった。

 

 そうやってしばらく、和やかな時間が過ぎて行く。

 

 すると隣に座る亜麻色の髪をした女の子がプルプルと小刻みに震え出した。どうした。横を向いて確認すると、真っ直ぐ前方を見つめている曜ちゃんの顔が段々と赤くなって行くのが目に見えて分かった。漫画みたいな頬の染め方だな、とわけの分からないことを思ってしまうほどに分かりやすい変化。

 

 それから曜ちゃんは一度息をすぅっと大きく吸った。

 

 そして。

 

 

 

「えええええええええええっ!!!???」

 

 

 

 そんなおいしいリアクションをくれたのでしたとさ。

 

 座りながらパタパタとよく分からない動きをし始める曜ちゃん。両手を頭の上に乗せて、不自然な感じで小刻みに動いていた。どうしよう。曜ちゃんが壊れてしまった。

 

 

「ちょ、曜ちゃん。落ち着いて」

 

「おおおお、落ち着くってなにっ!?」

 

「落ちる落ちるっ! 危ないって曜ちゃんっ!」

 

「うわぁああああっ、どうしようどうしようっ! どうすればいいんだよーう!」

 

「だからとりあえず落ち着いて───」

 

 

 閑話休題。我を忘れて暴れ始めた曜ちゃんを海に落とさないようにするのはかなり至難の業でした。力強いんだもんこの子。結局後ろに押し倒すような形で止めてしまった。俺まで落とされそうになったから本気になってしまったぜ。まったくもう、純粋なんだから曜ちゃんは。

 

 

「───なるほどね。それで、わたしに相談に来たんだ」

 

「そういうこと。……分かってくれて助かるよ、本当に」

 

 

 ようやく落ち着きを取り戻した曜ちゃんは、俺が言った言葉の意味を飲み込んでくれたらしい。しかし、顔はまだ赤い。うっかりさっきみたいな曜ちゃん・ビーストモードに入らないように注意せねば。今度こそ海に落とされてしまいかねない。

 

 

「でも、なんでわたしなの?」

 

 

 曜ちゃんは自分のことを指さしながらそう訊ねてくる。この子は多分、自分以外にも相談できる相手が居ると思っているんだろう。如何せん、そう上手く見つからないのが人生なのだよ。

 

 

「相談できそうだったのが、曜ちゃんしか居なかったんだよ」

 

 

 この街に知り合いも多くはないし、俺達のことを知ってる人も少ない。だからこそ、曜ちゃんしか打ち明けられる相手が居なかったんだ。

 

 え、千歌? 知らない子ですね。

 

 

「そっかぁ。それならいいんだけど」

 

「ああ、無理言ってごめんね」

 

「うん、それは別にいいんだけどさ。そもそも、信ちゃんはどうして悩んでるの?」

 

 

 曜ちゃんはストレートにそう訊ねてくる。なかなかの直球を持ってるな、彼女。しかもコントロールは悪いと来た。これじゃあ受け取るのが大変だ。

 

 頭の中で少し考えてから、その質問に答える。

 

 

「俺はこの街の人間じゃないし、そんな奴に急に告白されても困るかなって思ってさ」

 

「? そうだね。でも、言いたいんでしょ?」

 

「まぁ、そりゃそうだよ」

 

「じゃあ言っちゃえばいいのに」

 

「そう簡単じゃないから相談してるんだよ」

 

「うーん。そう言うものなんだ」

 

「そう言うものなんだよ」

 

「難しいね、恋愛って」

 

 

 曜ちゃんは腕組みをして何かを考えるような表情を浮かべていた。恋愛は難しい。その考えには同感。簡単なら悩む必要性なんてありはしないんだから。考えても答えは出ない。けど、考えてばかりでは前には進めない。それが恋愛なんだってことを今、俺は強く思い知らされていた。

 

 さわさわ、と穏やかな夏風が沖の方から吹いてくる。汗をかいた首筋の熱を冷ますように、それは身体を撫ぜた。曜ちゃんはまだ難しい顔をしてる。そうさせてしまってるのは俺。それを思うと申し訳ない気持ちになる。

 

 俺のことを知っていても、果南のことを知っていても、答えは出せない。当事者ではない曜ちゃんにそれを求めるのは、確かに酷な話かもしれない。

 

 

 

「でも」

 

 

 

 変なことを言ってごめん、と謝ろうとした時、曜ちゃんは腕組みを解いてこちらへ顔を向けてくる。

 

 

「果南ちゃんも信ちゃんのこと、好きだと思うけどな」

 

 

 そして、そんな宛ての無い言葉をポロリと零した。

 

 根拠の無い言葉に、首を傾げる。この子は嘘を吐くような女の子じゃない。だからこそ、どうしてそんなことを言うのかが分からなかった。

 

 

「それは、どうして?」

 

 

 分からないからそう言った。でも、曜ちゃんも分からないような顔をしていた。

 

 ()()()()()()()()()()? と彼女の顔は語っていた。俺にそんなことが分かる筈が無いだろう。逆にどうして分かると思うんだ。

 

 曜ちゃんは少しの間を空けてから、その理由を喋り始める。俺は黙ったまま、彼女の言葉に耳を傾けた。

 

 

 

「だって、昔から仲良しだったでしょ?」

 

 

「……………………え?」

 

「果南ちゃん。信ちゃんが帰ってくるの、いつも楽しみにしてたんだよ?」

 

 

 

 理解できない、曜ちゃんの言葉。それは、俺がおかしいから分からないのか? いいや、違う。俺はおかしくなんてない。なら、曜ちゃんがおかしいのか? それも違う。だって、この子は嘘なんて吐かない。そして、嘘を吐くとしても()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 なんだ、それ。どうしてそんなことを言うんだ。彼女の中のどんな記憶がそう言わせているんだ? 

 

 分からない。

 

 

「ちょっと待ってくれ」

 

 

 昔から俺と果南が仲良しだった? 

 

 果南は俺が帰ってくるのを楽しみにしていた? 

 

 

 俺は、二週間前にあの子に出会ったばかりなんだぞ?

 

 

「信ちゃん、覚えてないの?」

 

 

 頷く。覚えてないんじゃない。あの子のことなんて知らなかった。身に覚えすらないんだ。

 

 なのに、どうして俺がすべてを知っているような口ぶりで曜ちゃんは話している。

 

 

「なんで、そんなことを言うんだよ」

 

「なんで、って。わたしが信ちゃんと初めて会った時から、信ちゃんは果南ちゃんと遊んでたでしょ? 最初は果南ちゃんが信ちゃんのことを紹介してくれたんだよ?」

 

 

 記憶の抽斗の中を探す。それでも、そんな記憶は何処にも見当たらない。思い当たることすらない。

 

 曜ちゃんと出会った日のこと。確かに、その日を俺は覚えていない。けれどそこに果南が居たことなどもっと覚えていない。それどころかあの子の記憶など、何一つありはしない。

 

 あるのは、ただ一つ。夕立の中、バス停で抱いた奇妙な感覚。見たことが無い果南を見たことがあるという、あの違和感。あれが何かを暗示しているというのか? でも、そんなものは現実じゃあり得はしない。

 

 

「嘘だろ…………?」

 

「嘘じゃないよ」

 

 

 曜ちゃんの目は本気だった。偽りなど何一つ含めていない、と彼女の青い瞳は伝えている。

 

 そうだ。思えば千歌も同じようなことを言っていた。ここに帰って来た日、お遣いをしに淡島にある果南の実家に言った時、千歌は言ったんだ。

 

 

 

『信ちゃんも、果南ちゃんに会いたかったでしょ?』

 

 

 

 淡島神社まで続く階段を誰が一番最初に昇り切るのか、という勝負で俺はいつも二番だった。そしていつも一番だったのは、果南だったとあいつは言ったんだ。

 

 他にも不自然な会話が思い出せる。花火大会から帰って来た時、志満姉が言った言葉。その言葉を聞いた果南がやけに怒っていたこと。

 

 何なんだ、一体。俺の知らないところで、何が起きているんだ? どうしてみんな、俺が果南を知っていると思ってる。どうして、今までその違和感に気づけなかった。

 

 

「──────っ」

 

 

 突然、強い頭痛が襲って来た。左手で頭を抑える。ズキズキと音が鳴るような強い痛み。何かが思い出せ、と訴えているような気がした。そんなことを言われても、思い出すことなんて出来やしない。

 

 俺は、二週間前に出会った青い髪の女の子に恋をした。

 

 でも、そこには何かが隠されている。それは何なんだ? 

 

 頼むから、誰か。誰でもいいから、教えてくれ。

 

 

「そうだ。思い出した」

 

 

 曜ちゃんの声が聞こえる。蝉や波が織りなす夏の音がやけに大きく聞こえてくる。

 

 頭を抑えたまま、彼女の方を見た。曜ちゃんはジッとこちらを見つめていた。曇りのない眼で、何も知らない俺のことを見ていた。

 

 

 そして、少しの間を置いてから曜ちゃんは口を開いた。

 

 

 

「果南ちゃん。昔はよく信ちゃんのこと、好きって言ってたんだよ?」

 

 

 

 

 




次話/伝説の真実
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