いつか見た、あの夏の日まで。   作:雨魂

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伝説の真実

 

 

 ◇

 

 

 

 20:31

 

 

『 送信:高海信吾

 ──────────────

 宛先:松浦果南 

 ──────────────

 件名なし 

 ──────────────

 

 急にメールしてごめん。

 

 明日の午後、少し会えないかな? 』

 

 

 

 20:36

 

 

『 受信:松浦果南

 ──────────────

 Re:件名なし

 ──────────────

 

 あ、信吾くんだ(*^^*)

 

 大丈夫だよ(^.^)

 

 仕事が終わってからなら空いてるかな。

 

 三時くらいでもいい?(=゚ω゚)ノ  』

 

 

 

 20:38

 

『 送信:高海信吾

 ──────────────

 宛先:松浦果南 

 ──────────────

 Re:Re:件名なし 

 ──────────────

 

 よかった。

 

 じゃあ、三時に弁天島で待ち合わせでいい? 』

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 雨音が静かな部屋の中に入ってくる。窓辺に座りながら、灰色に染まる外の世界を一人で眺めていた。

 

 明け方から降り始めた雨は天気予報によると、今日は一日中降り続けるらしい。ここ数日晴天が続いていたからか、その帳尻合わせをするみたいに大粒の雨が沼津市と駿河湾を濡らしていた。

 

 どんよりとした鉛色の空。それを映す、いつもは青い筈の海。水平線付近には靄がかかっており、いつもここから見える漁船が今日は一隻も居なかった。

 

 海からの風が吹く度にパチパチと音を立てながら、雨粒が透明な窓に叩きつけられる。普段はうるさい蝉達も流石に合唱は控えているらしい。代わりに、カエルの小さな鳴き声が部屋の中まで届いていた。

 

 曜ちゃんに相談をしたのが昨日の午後。俺はその日の晩にメールを打った。思い立ったのはいいが、何を打っていいか分からなくなり、たった二行のメールを打つために十分以上の時間を使ってしまった。それから返信が届くまでの時間は、今まで生きてきた中で一番長く感じた五分間だった。携帯が震えた瞬間、嬉しくて椅子から転げ落ちそうになってしまったことは誰にも言えない。見られてなくてよかった。

 

 誘い出すことには何とか成功した。弁天島を選んだのはただの直感。

 

 誰にも見られない、且つ、雰囲気が良い場所。本当ならもっとロマンチックな所に呼び出したかったのだけれど、この街にそんな場所は無い。だから、あそこを選んだ。

 

 

 

 告白する場所として、弁天島を選んだんだ。

 

 

 

 天気はあいにくの雨。しかし、それも良いと思った。二週間前、出会った時もちょうどこんな雨が降っていた。あの時は短い夕立ちだったが雨には変わりない。そう考えれば雨が降っていても構わないと思えた。

 

 千歌と二人の姉は買い出しとかで旅館を留守にしていて、叔母さんだけがここに残っているらしい。朝から千歌がうるさかったのはいつも通りのこと。明日は仕事が休みだというから、一緒に遊んでやろうと思う。

 

 内浦に居れるのは、あと三日。今日を除けばあと二日しか居られない。明後日の昼にはこの街を出て行く予定だった。だからこそ今日、決めなければならない。

 

 

「ちょっと早いけど、行くか」

 

 

 椅子から立ち上がって一度深呼吸をした。覚悟は決まった。もう後戻りはしない。

 

 階段を下りて玄関へと向かう。木張りの廊下も、いつもなら千歌の騒がしい声とか足音が聞こえるのに、今日は別の場所のように思えるほど落ち着いた雰囲気が漂っていた。違うな。これがこの旅館の本来の在り方なんだ。あの蜜柑色の女が居るから、ここは賑やかな場所になってるだけ。俺はあいつが居てくれた方が落ち着く。

 

 玄関にある下駄箱から靴を取り出し、土間の縁に腰掛けながら靴を履いていると背後から声が聞こえてくる。

 

 

「あら、信吾くん。どこかへお出かけ?」

 

 

 振り返ると、そこには緑色のエプロン姿の叔母さんが立っていた。気配がしなかったから少しびっくりしてしまった。一瞬座敷わらしかと思ったぜ。

 

 

「はい。ちょっと、野暮用に」

 

「そう。でも、雨だけど大丈夫?」

 

 

 叔母さんは雨が降りしきる玄関の外に視線を向けてそう言ってくれたが、俺は迷わずに頷いた。

 

 

「大丈夫です。大事な用だから、どうしても行かないといけないんです」

 

 

 たとえ雨が降っていようと槍が降っていようとも、今日だけは弁天島まで行かなくちゃいけない。

 

 真面目な顔でそう言うと、叔母さんは目を少し丸くしてから、ふっと微笑んでくれた。

 

 

「大事な用、ね。差し障りが無かったら教えてくれる?」

 

 

 叔母さんが訊ねてくる。いつもなら恥ずかしがって適当な嘘を吐いて誤魔化していただろう。でも、今日は違った。

 

 想いを伝える前に、嘘を吐きたくなかった。

 

 

「実は俺、好きな人が出来たんです」

 

「好きな、人」

 

「はい。だから帰る前にどうしても、その女の子に“好きだ”って言わなくちゃと思って」

 

 

 偽ること無く、叔母さんに打ち明ける。それを聞いた叔母さんは表情を変えずに俺を見つめていた。

 

 

「その女の子は、この街の子?」

 

「はい。小さな街の小さな島に住んでる、青い髪の女の子です」

 

 

 遠回しに彼女のことを表現する。それだけ言えばこの人ならすぐに分かるだろう。俺のことも、あの子のこと知ってる叔母さんなら応援してくれるかもしれない。

 

 そう思って言った。なのに、叔母さんは俺の言葉を聞いた後、悲壮な表情を浮かべる。いつもの温かい微笑が消えて、そこには雨のように冷たい眼差ししか残っていなかった。

 

 どうしてそんな顔をするのかが分からなかった。なんで叔母さんが俺が抱える想いを知って、悲しまなくちゃいけないのだろう。

 

 

「…………そう、なの」

 

「叔母さん?」

 

「やっぱり、こうなるのね」

 

 

 叔母さんは目を伏せて小さく呟いた。これ以上そんな顔を見たくなくて、逃げるように立ち上がった。

 

 帰ってきたら訳を聞こう。今はその時じゃない。今はただ、あの子に想いを伝えることだけを考えていよう。

 

 そう思って頭を下げてから玄関を後にしようとした。

 

 

「信吾くん」

 

 

 だが、叔母さんは声をかけてくる。後ろ髪を引かれるように、身体を半身にして振り返った。

 

 

「どうしました」

 

「この間、弁天島の話をしたの覚えてる?」

 

 

 弁天島の話。海の家を手伝った日の夜、俺の部屋で叔母さんが話してくれた内浦に伝わる伝説とかいうアレか。でも、なんでこんな時にそんな話をするのだろうか。

 

 

「誰かのことを思いながら鈴を鳴らすと、その人のことを忘れるっていう話、ですよね」

 

「そう。覚えていてくれて嬉しいわ。でもね、実はあの話には続きがあるの」

 

「続き?」

 

「うん。弁天島の鈴を振って、お互いのことを忘れてしまった二人が大人になってからの話。……聞きたい?」

 

 

 

 叔母さんは首を傾げながら言って来た。こんな時に聞く話じゃないのは分かってる。だけど、何故か思った。

 

 俺は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 だから首を縦に振った。

 

 

 

「よかった。じゃあ、短くまとめるから聞いてちょうだい」

 

 

 

 叔母さんはそう言ってから、俺に向かって静かな口調で喋り出す。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

「─────弁天島の祠にある鈴を振った花は喜助のことを忘れ、喜助も花のことを忘れて別々の人生を歩んで行きました。でも、それから十年が経ったある日、二人は突然自分に大切な人が居たということを思い出します。

 

 二人は既に大人になり、この街ではない別々の村で暮らしていました。内浦に住んでいた子供の頃、二人には確かに大切な人が居た。それを大人になってから花と喜助は急に思い出してしまったのです。

 

 名前も、顔も、声もちゃんと覚えてる。なのに、どうして忘れていたのか分からない二人は途方に暮れます。何故、あんなに大切だった人のことを忘れてしまっていたのだろう、と。

 

 それから二人は住んでいた村を出て、お互いのことを探し始めます。子供の頃住んでいた内浦に訪れて、花と喜助は記憶を頼りに大切だったお互いを探し続けました。

 

 そして、最後に二人は弁天島で十年振りに再会しました。

 

 

 それから記憶を取り戻した花と喜助は、二人で幸せに暮らしましたとさ─────」

 

 

 

「…………」

 

 

 

 叔母さんの話は、悲しい物語の続き。それは、脈絡の無いハッピーエンド。

 

 でも、不思議と他人事のようには聞こえなかった。

 

 

 

「これが、伝説の本当の終わり方。私が言いたいのはそれだけよ。行ってらっしゃい、信吾くん」

 

 

 

 叔母さんはそう言って踵を返した。俺は、その小さな後ろ姿が廊下の向こうに消えるまでジッと見つめていた。

 

 何故か自分でも気づかないくらい強く、手に持ったビニール傘を握り締めていた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 明け方から降り続ける雨は、気づけば少しだけ勢いを増していた。遠くの方で雷が鳴っている音が聞こえてくる。そんな中で傘をさしながら、弁天島の頂上で一人の女の子を待っていた。

 

 

「…………十年振り、か」

 

 

 そばにある小さな祠を眺めながら呟く。趣のある古い外観はあの頃と何も変わってない。変わったのは祠じゃなく、俺の方だった。この祠はこんなに小さかったっけ。もう少し大きかったような気がする。この十年間で背が伸びて、色んなものを見てきた自分はやっぱり変わってしまっているんだ、と祠を見て思い知らされた。

 

 降り続ける雨を眺めながら、旅館を出てくる前のことをふと思い出す。どうして叔母さんはあのタイミングであんな話をしてきたのか。あんな、嘘なのか本当なのか分からない話を、どうして。

 

 

「………………」

 

 

 叔母さんから聞いた伝説に出てくる祠を見つめた。あの中に入ってる鈴を鳴らした少女は大切な人に忘れられてしまい、その人を忘れるためにもう一度鈴を振ったという。

 

 それから二人は別々の人生を歩んで行く。だが十年経ったある日、突然二人はお互いをのこと思い出してしまい、それぞれを探し始める。

 

 そして、最後にここで十年振りの再会をした。

 

 考えてみればよくある恋の物語。叔母さんも最初に語ってくれた時、これは内浦に住んでいる人ならみんな知ってるおとぎ話だと言っていた。いい子にしないと弁天島の鈴を振ってくるよ、と子供を躾けるための脅し文句のようなものだと教えられたんだ。

 

 なのに、俺にはどうしても、それがただのおとぎ話だとは思えなかった。そんな、現実ではありえない話を本当にある話だと信じてしまっていた。馬鹿らしいのは重々承知だ。けど何故か、その伝説に出てくる登場人物と自分を、重ねて見てしまっていた。

 

 俺はあの子のことを知らなかった。でも、千歌も曜ちゃんも志満姉も、俺達は昔からの知り合いだったと言ったんだ。仲が良くていつも一緒に遊んでいた、と。あの子は俺が帰ってくることをいつも楽しみにしていたとも、曜ちゃんは言った。でも、俺にはその記憶が無い。本当に知らなかった。姿を見たことも、名前すらも聞いたことも無かった。

 

 だというのに、俺達は昔から知り合っていたとみんな口を揃えて言う。その意味がどうやっても理解できない。もし、俺が忘れていたとしたらそれこそおかしい。どうすればあんなに魅力的な女の子のことを忘れられるのか。

 

 いや、そうじゃない。

 

 もしそれが事実なら、俺は()()()()()()()()()()()()()()()()()()、ということになってしまう。

 

 解せないことはもう一つ。最初にあの子を見た時、どこかで会ったことがあるような感覚に囚われた。

 

 あれは、記憶の中にあの子が居たということを意味しているのだろうか。しかし、彼女の姿を見ても、名前を聞いても思い出せなかった。胸の中にあったのは、“どこかで会ったことがあるような感覚”。既視感(デジャヴ)と表現した方が分かりやすいかもしれない。そんな掴みどころのない不透明な()()を、初めて会った時に抱いたんだ。

 

 

「待てよ」

 

 

 ふとあることを思いついた。俺が一方的に覚えていない、もしくは忘れているのだとしたら、あの子はどうなのだろう。俺のことを覚えていないのか? 出会ってからそんな素振りを一度でも目にしたか? もし覚えていたのなら、彼女は『久しぶり』というような口振りで話をかけてきただろう。出会った時にそれがなかったのだから、あの子は俺のことを知らなかったと判断する他ない。

 

 

『…………信ちゃん』

 

「あ」

 

 

 そうだ。一つだけあった。散歩をしている最中、俺が後ろからを驚かせようとした時、あの子はそんな名前を呟いていた。

 

 あの子は俺をいつも『信吾くん』と呼ぶ。なのにあの時は『信ちゃん』と呼んでいた。しかも独り言で俺の名前を零す意味も分からない。考えれば考えるほど、思考が絡み合っていく。ああ、分からないことだらけだ。

 

 傘を持ってない方の手で後頭部を掻いた。告白をする前になんでこんなことで悩んでるんだ。色んなことを考え過ぎて頭ん中がごちゃごちゃになって来た。

 

 とにかく、今は想いを伝えることだけを考えよう。他のことは後回しでいい。ここまで来てしまったんだから、後戻りは出来ない。前に進むしか無いんだ。

 

 

「ふぅ…………」

 

 

 余計なことを考えてしまっていたけれど、その邪念を振り払うように頭を左右に振り、息を吐いて意識を()に集中させた。

 

 雨の中で、そうやって悶々としている時。

 

 

 

「──────信吾くん」

 

 

 

 背後から、待っていた誰かの声が聞こえてきた。

 

 

 

 




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