いつか見た、あの夏の日まで。   作:雨魂

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君といた夏の日々

 

 

 ◇

 

 

 

「──────はぁッ、はぁッ」

 

 

 

 誰かが、息を荒げながら階段を駆け上がっている。長い階段の中腹辺りで、俺はその姿を見つめていた。

 

 千歌とよく似た橙色の髪。背丈は小さく、顔も幼い。その少年は汗だくになりながら階段を昇って行く。目線はずっと上を見ている。先に誰かがいて、その人のことを追いかけているみたいに。

 

 目の前を通り抜けていく、彼を見送ってからその後ろを追いかけてみた。

 

 

 

「あぁ、もうっ」

 

 

 

 しばらくして少年が階段の頂上に着く。彼は最後の段を昇り切った途端、疲れ果てたというようにその場に寝転がった。

 

 

 

「あははっ、今年もまた私の勝ちだね」

 

 

 

 そうしていると彼に一人の少女が近づき、顔を覗き込みながら声をかけていた。青い髪のポニーテールに白い肌。その少女に見覚えがないとは、口が裂けても言えなかった。

 

 

 

「…………また負けた」

 

「“来年は絶対勝つからな”、って言ってたのに。信ちゃんはいつになったら私に勝てるのかな?」

 

「う、うるさい。これでも三日に一回は近くの神社の階段を走ってたんだよ」

 

「私は毎日ここを走ってるよ?」

 

「嘘だろ。何を目指してんだ、果南は」

 

「うーん。信ちゃんの、お嫁さん?」

 

「ちょっとどういうことか説明してくれ」

 

 

 

 そこにいるのは、橙色の髪の少年と青い髪の少女。彼らがお互いの名前を呼んだ時点でそれが誰なのかを理解した。いや、違う。本当は一目見た瞬間から気づいていた。

 

 

 

「じゃあ約束通り罰ゲームだよ、信ちゃん」

 

「う…………汗だくだからやめといた方がいいと思うけど」

 

「やーだ。後でって言ったらまた逃げるもん」

 

「逃げないよ。多分」

 

「えへへ。逃がさないもんね、えいっ」

 

「ちょっ、果南。きついっ。今年のハグ、なんか去年よりきついんだけど?!」

 

 

 

 ─────あれは、()()()()()()

 

 そして、ここは淡島神社。あの長い階段をどちらが速くのぼれるか、二人は競争していたんだろう。

 

 なら、なんで今の俺はその二人を客観的に見つめているのか。考えてみて、なんとなく分かった。これは、夢なんだ。どうしてこんな夢を見ているのかは分からない。そもそも夢を見るのに理由なんてない。でも、俺は過去の自分がいる幻を見ている。

 

 彼らからは恐らく、ここに立ってる俺が見えていない。こちらの目線や足音に気づいてないのが分かったから、そうなんじゃないかと思った。

 

 たしかに、小さい時はよくこの階段を誰が一番最初に上まで行けるかっていう競争をしていた。俺は、少女に抱きつかれているあの少年のようにいつも二番目だった。でも、あの子に負けていたなんて記憶はない。誰に負けていたかさえも思い出せない。自分が一番になったことはないのは覚えてるのに、誰が一番だったかがわからない。その思い出が、失くしてしまったピースのように欠けている。

 

 そんなことを考えていると、二つの影が階段に立っている俺を後ろから追い抜いて行った。

 

 

 

「はぁ~、やっと着いた~」

 

「疲れた~。信ちゃんも果南ちゃんも速すぎだよぅ。もうちょっと手加減して~」

 

 

 

 蜜柑色と亜麻色の髪をした二人の小さな女の子。それが誰であるのかもすぐにわかった。

 

 

 

「お疲れ。千歌、曜。よく頑張ったね」

 

「お疲れさん。あと着いてすぐで悪いんだけど、俺を助けてくれない?」

 

「あー、ダメだよ信ちゃん。まだ私の罰ゲームは終わってないの」

 

「マジか。頼むから早く終わらせてくれ。暑くて倒れそう」

 

「あと三十分くらいかかるけどいい?」

 

「さすがに勘弁してください…………」

 

「やだ。ハグ~……」

 

 

 

 青い髪の少女はわき目も振らずに、今にも死にそうな顔をしてる少年にハグをしてる。なんだかそれを見ているとこっちまで死にそうになってきた。果南が嫌がる俺に無理やり抱きついてる。冷静に考えるとヤバい絵面だ。どうしよう。ていうかどんだけハグ好きなんだあの子。大人になった方のあの子しか知らないけど、今でも好きなんだろうか。いかん、夢の中だからって何を想像しても良いわけじゃない。

 

 

 

「えへへ、二人はホントに仲良しだね」

 

「千歌。そんなこと言ってる暇あるなら助け───嘘です嘘、だからそんなに締め付けないで果南さんっ」

 

「やっぱり仲良しだぁ。果南ちゃん、信ちゃんが帰って来たのがそんなに嬉しかったんだね」

 

「そんなことないよ、曜」

 

「だったら早く離してくれ」

 

「それはダメ~」

 

 

 

 賑やかな蝉時雨が淡島神社の頂上に響き渡っている。そんな中にいる四人の子供達。意味も分からないまま、その影のことを黙って見つめていた。

 

 四人の中の一人は俺。だけど、()の俺にはこんな記憶はない。これが本当にあった出来事の夢なのだとしたら、なぜ覚えていないのだろう。分からない。どうやっても、思い出すことが出来ない。

 

 けど、俺が十年振りにこの街に来た日。お遣いを終えて淡島から帰る時、千歌は言っていた。

 

 

 

『じゃあ今度は果南ちゃんに勝って一番になれるかな、信ちゃん』

 

 

 

 あの時は千歌が言ってる言葉の意味が理解できなくて、結局うやむやにしてしまったけど、思い返すとあれから違和感は始まっていたんだ。

 

 俺は松浦果南という名前の女の子を知らないのに、周りの人間は知っている筈だと言っていた。実際に会った時、初対面なのにあの子と会ったことがあるような気がしていた。でも、確かな記憶がなかった。もしかするとあの奇妙な感覚が、何かの答えを握っているのだろうか。

 

 そう考えている時、視界が徐々に白みがかってくる。そんなことにも気づかないように、夏の中で四人の少年少女は楽しそうに笑い声を上げていた。

 

 蝉の鳴き声が遠くなる。同時に目の前がホワイトアウトする。何が起こってるのかも分からないまま、俺は夢が動いている方へとついて行った。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

「信ちゃんはさ、将来何をやりたいの?」

 

「将来? どうしたんだよ、急に」

 

「知りたいなーって思ったから訊いたの。教えて?」

 

 

 

 次に目に映ったのは、夜の浜辺だった。ここは十千万旅館の前にある浜。この間、みんなで花火をした時と同じような光景だった。

 

 まだ幼い俺と果南が階段に並んで座っている。波打ち際の方では千歌と曜ちゃん、そして美渡姉らしき人が騒ぎながら花火をしていた。なんかデジャヴ。何も変わってねぇじゃんかあいつら。

 

 夢の住人である俺は、少年たちの後ろにある歩道の手すりの前に立っていた。

 

 静かな夜。空を見上げると綺麗な夏の大三角形が浮かんでいた。今にも星が降ってきそうな夜空が、やけに近くに見えてしまった。

 

 

 

「うーん。そう言われてもなぁ」

 

「何にもないの?」

 

「ないことはないけどさ。果南は何かあるの?」

 

「うん、あるよ」

 

 

 

 青い髪が揺れる。俺は手すりに腕を置いて、その声に耳を傾けていた。

 

 

 

「私はね、お父さんみたいなダイバーになりたいんだ」

 

「もうやってるじゃん」

 

「えへへ。そうなんだけどね、ちょっとだけ違うの。私は、ずーっと内浦の海で泳いでたいの」

 

「ずーっと?」

 

「うん、ずーっと。この海が大好きだから」

 

 

 

 幼い少女は笑う。大人になった彼女も、同じような笑い方をしていると思った。

 

 

 

「そうなんだ。いいなぁ」

 

「信ちゃんはやっぱり何もないの?」

 

「俺は、うーん」

 

 

 

 昔の俺は首を捻りながら必死に何かを考えているようだった。ここで彼がなんと答えたかなんて覚えているわけがない。そもそもこんな記憶は最初から無いのだから。

 

 しばらく時間を空けてから、少年は何かを思いついたような表情をしてから恥ずかしそうに少女から顔を反らした。彼の隣に座る少女と二人の後ろに立つ俺は、同時に首を傾げる。どうしたのだろう。

 

 

 

「…………やっぱり言わない」

 

「えー。どうして?」

 

「だって、恥ずかしいし」

 

「笑わないから言ってよー。お願い、教えて?」

 

「だ、だから言わないってば」

 

「言わないとハグするよ」

 

「言います。ごめんなさい」

 

「えへへ、えらいえらい」

 

 

 

 そう言って、青い髪の少女は少年の頭を優しく撫でていた。ていうかなんだ今の。一瞬脅迫が入ったような気がしたのは気の所為か? ハグって脅迫に使えるんだな。初めて知った。

 

 

 

「……絶対笑わない?」

 

「もちろん。信ちゃんのやりたいことを笑うわけないよ」

 

 

 

 少女のそんな返事を聞いて、少年は迷うような仕草をしてから意を決するように口を開いた。俺も気になった。昔の自分が描いていた夢がどんなものだったのかなんて、今となっては何一つ覚えていなかったから。

 

 

 

「────果南が、やりたいこと」

 

「「え?」」

 

 

 

 少年はぼそっと呟く。聞こえたけれど意味が分からなかった。思わず出してしまった声が、少女の声と重なる。それでも夢の住人である俺の声は彼女達には届いていないらしかった。

 

 幼い果南の声を聞いて、少年はバツの悪い顔をしながらもう一度言う。

 

 

 

「だから、果南がやりたいことだよ。俺も、果南がやりたいって思うことをやりたい」

 

「果南が、やりたいこと?」

 

「うん。なりたいものなんてないし、俺も内浦は嫌いじゃないからさ。その…………果南のことも、嫌いじゃないし」

 

 

 

 最後の言葉は声にならないくらいか細かった。けど、俺が立っている場所で聞こえたのなら、隣に座っている少女にも聞こえていた筈。

 

 今のは、どういう意味だったのだろうか。大人になった俺でも、子供の頃の自分が言った言葉を理解することが出来なかった。意味は分かる。けど、どういう気持ちでそう言ったのかが分からない。

 

 

 

「それって……」

 

「あぁもう、なんでもないっ」

 

 

 

 少年は恥ずかしそうに少女から顔を反らす。それでも少女は彼の顔を見つめ続けていた。

 

 

 

「……信ちゃん。果南のこと、好き?」

 

「───────っ」

 

 

 

 分かる。あの子がそう訊ねたい気持ちも傍観している俺にはよく分かった。だって、(あいつ)が言った言葉は、つまりはそういうことだった。

 

 少年は何も答えない。恥ずかしがっているのか照れているのか。今の俺ならどう思ってるだろう? 間違いなく、そのどちらもだった。

 

 

 

「私は、信ちゃんのこと好きだよ」

 

「………………」

 

「だからね、うれしい。私も信ちゃんとずっと一緒に居たい」

 

「ぁ…………」

 

 

 

 青い髪の少女が、少年の頬にそっとキスをする。それは子供らしい、淡く不器用で優しい口づけだった。

 

 

 

「えへへ、約束だよ? いつか私をお嫁さんにしてね?」

 

 

 

 守れる確率なんてどれくらいあるか分からない子供の約束。でもこんなに美しいものはきっと、この世に存在しない。

 

 少年はキスをされた頬に手を触れながら、恥ずかしそうに一度だけ頷いてみせた。それを見て青い髪の少女は嬉しそうに微笑んだ。

 

 星が瞬く夏の夜の夢。それを見つめながら、段々と自分が何を忘れているのかを思い出してきた。この夢の光景が実際に起きた出来事だというのならば、初めて果南を見たときに一目惚れしてしまったことにも根拠ができる。

 

 ただ、果南を忘れてしまったのは何故なんだ。あんな約束をしたのに、十年間も内浦に帰れなかった理由が、まだ分からなかった。

 

 どうして、()()()()()()()()()()()()()。何故、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 その理由を知りたいと思った時、また視界が白く染まって行く。二つの小さな背中がぼやける。潮騒が消えて行く。星が見えなくなって行く。

 

 最後に見えたのは、少年が隣に座る少女の手を握っている姿だった。

 

 リン、という鈴の音が何処からか聞こえた。

 

 




次話/海を恐れた意味
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