いつか見た、あの夏の日まで。   作:雨魂

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 I tried to forget you, (あなたのことを忘れようとした)

 but the harder I tried, (でも、忘れようとすればするほど)

 the more I thought about you.(私はあなたのことを想っていたんだ。)




第2章/夏の日々
あの夏空に青く澄み


 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 息が出来ない。上手く、身動きが取れない。

 

 浮上しようともがくけれど、動けば動くほど身体は下へと沈んで行く。

 

 肺の中にある空気が口から泡になって出て行ってしまう。身体とは逆に、泡は上へと昇って行く。

 

 段々と苦しくなり、空気を欲して思わず塩辛い水を飲み込んでしまう。吐き出そうとするけど、一度体内に入ってしまった水はもう何処にも出て行くことはなかった。

 

 全身に針金を巻かれたように身体が動かなくなる。そのまま何も出来ずに、何処かへとゆっくり落ちて行く。

 

 水面に注ぐ陽の光が遠くなる。昼が夜に変わるみたいに、辺りが徐々に暗くなって行く。

 

 手足が痺れ、意識が朦朧となり、視界もぼやけて見えていたものが見えなくなった。

 

 なんとなく分かった。自分はこのまま何処までも沈んで行くのだろう、と。誰にも見つかることなく、そこで朽ち果ててしまうのだろう、と。

 

 そうなるのが嫌で、宛てもなく手を伸ばした。届く筈も無い手を、空気のある場所に向かって。

 

 でも、その手が掴むのは満ち溢れた水だけ。水の中にいるのにそんなものを掴んだところで何にもならないのは自分でも分かっていた。

 

 それでも、助かりたかった。

 

 助けてほしかったんだ。

 

 声も出せない。音も聞こえない孤独な世界で、何度も救いを願った。

 

 誰でもいいからここから自分を出してほしい。苦しいのは嫌だ。痛いのは嫌だ。

 

 

 このまま死んでしまうのは、嫌だったんだ。

 

 

 

「─────ッ!」

 

 

 

 海の中で、声にならない声を叫んだ。蝋燭が消える前に見せる最後の輝きのように力の限り、大きな声で誰かの名前を呼んだ。

 

 返ってくる声はない。それでも信じていた。

 

 あの子ならきっと、助け出してくれることを。

 

 目を瞑り、そこにあった筈の意識を手離す。身体は自然に底へと向かって行く。

 

 そして、完全に意識が途絶える直前。

 

 

 何かが、手に触れたような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 第二章/夏の日々

 

 

 

 

 

 

 

「おーきろーッ!」

 

「ヘぶッ!?」

 

 

 

 腹の上に衝撃を受け、文字通りスリープモードだった俺の意識は誰かによって強制的に起動させられた。ふざけんな、バグってデータが消えたりしたらどうすんだこの野郎。

 

 目を開けて最初に入って来たのは木造の天井。いつも見てるアパートの天井じゃない。

 

 聞こえてくるのは細やかな波の音と小さな船の汽笛。懐かしい畳の匂いと柑橘系の甘い香りが鼻をくすぐった。

 

 腹の上にはゆさゆさと絶え間ない振動。何かが俺の上に乗っている。それを認識した時、ようやく意識は正常に動き始めた。

 

 

「信ちゃん起きて~。起きないと千歌のお婿さんにしちゃうぞっ」

 

「寝言は寝てから言え…………」

 

「あ、起きちゃった。えへへ、信ちゃんおはよ~」

 

 

 仰向けの状態のまま、腹の上に乗っかっている人間に向かって言った。青いノースリーブの寝間着を着たそいつは、昨日十年振りに再会を果たした俺の従妹に当たる女、だった気がする。だが何故俺の上で正座してる。意味が分からん。この街にはそうやって人を起こす風習でもあんのか。

 

 

「……誰が誰のお婿さんになるって?」

 

「聞かれちゃったかぁ。でも、起きちゃったからもう言わなーい」

 

 

 そう言って頬を赤らめる千歌。自分から言っといて何恥ずかしがってんだよ。マジで起きてよかったと安堵する。こんな奴のお婿さんになったら間違いなく疲労で倒れるぞ。ていうかなんで俺がお婿さんなんだよ。普通女の子ならお嫁さんになる、とかじゃないんですか? 

 

 

「せっかく千歌が毎朝起こしに来てあげようかと思ったのになぁ」

 

「なんだその地獄のような日々は」

 

 

 そんな感じで、腹の上に乗っかる猫みたいな千歌を下ろしてから上半身だけをむくりと起こした。あの衝撃はこいつが飛び乗って来た時のものだったらしい。

 

 なんか変な夢を見てた気がするけど、この従妹のせいですっかり忘れてしまった。少なくとも良い夢ではなかったので、特別に許してやろう。安眠を妨害した罪は許さないがな。

 

 部屋に備えられた掛け時計に目を移すと、針は朝の八時を示してる。少し遅いがしょうがない。昨日は夜遅くまで美渡姉に酒を飲まされてふらっふらになりながらなんとか布団に入った記憶が微かに残っている。

 

 

「信ちゃんお酒くさーい」

 

「仕方ないだろ。文句を言うならお前の姉貴に言え」

 

 

 なんであの人あんなに酒強いんだよ。泡盛をジョッキで一気とか聞いたこともねぇぞ。

 

 二日酔いで痛む頭を手で抑えながら、布団の横に座る従妹に顔を向ける。まずもって、どうしてこいつが俺の部屋にいるんだろう。鍵を閉め忘れたか? それなら俺が悪いんだが、年頃の男の部屋へ勝手に入ってくるとはどんな度胸してやがるんだこいつ。俺が赤ずきんじゃなくて狼だったらどうすんだよ。なんかの間違いで食べちゃったりするかもしれないんだぞ。いや、それは無いな。こいつに手を出す甲斐性も勇気も俺には兼ね備えられていない。

 

 

「で、俺に何か用か、千歌」

 

「そうなんですよ信ちゃんっ」

 

 

 朝からテンションの高い奴だ。声でけぇつっーの。痛む頭がさらに痛くなってくる。

 

 ずいっと前かがみで詰め寄ってくる千歌。ノースリーブの胸元の隙間から黄色い下着がチラッと見えたのは俺だけの秘密。

 

 

「今日はねっ、一日お休みを貰ったんだぁ」

 

「ふーん。そりゃよかったな」

 

「テンションが低いよ信ちゃんっ! 伏せをしてるしいたけよりも低いよっ。そんなんじゃ内浦の海に飲み込まれちゃうぞ!」

 

「お前が高すぎんだよっ。どうでもいいから早く要件を言えっ」

 

 

 酒臭いと言いながらも詰め寄ってくるこの従妹はイマイチ何を考えてるのかよく分からん。昔からそうだったけど。

 

 懐かしい畳の匂いと、外から聞こえてくる穏やかな潮騒。そんなものを感じていると十年前を無意識に思い出してしまう。しかし、俺には内浦に戻って来たという感動を抱くことすら許されないらしい。

 

 

「遊びに行くんだよ信ちゃんっ!」

 

「はい?」

 

 

 そんな感じで、俺の内浦で過ごす夏休みの二日目はスタート。何やら波乱の予感がするのは決して気のせいじゃないと思う。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 夏休み、快晴、内浦、遊び、若い男女。その組み合わせで連想されるものって言ったらなんだろう。

 

 

「えーいっ」

 

「あ、やったな曜ちゃんっ。それならこうなのだーっ!」

 

「わぷっ?! あはは、冷たいよ千歌ちゃん~」

 

「気持ちいいねーっ!」

 

 

 そう、海である。ていうかそれしかないでしょ。

 

 横で『早く早く~』と急かされながら朝飯をかき込んだ直後、水着を着ろと命令され、強制的に連れて行かれたのは旅館の前にある砂浜。

 

 目線の先できゃっきゃうふふ、と水を掛け合っているのは昨日十年振りに再会した従妹とその幼馴染。

 

 対する俺は砂浜に敷いたブルーシートと立てたパラソルの下に座って、橙と亜麻色の髪をした二人の女の子が遊んでいるのを遠巻きに眺めている。めちゃくちゃ懐かしいなこの感じ。二人の背が少し大きくなっただけで、景色はそのまま。それ以外に変わったものはない。昔に戻ったみたいな感覚がこの身を襲ってきた。

 

 

「おーい信ちゃーんっ」

 

「信ちゃんもあそぼーよっ!」

 

 

 海に浸かる千歌と曜ちゃんが海に近づかない俺に向かって声をかけてくる。俺は海から離れた安全地帯で二人のことを見つめていた。

 

 千歌に手を引かれて浜辺に行ったらそこには水着姿の曜ちゃんが俺達を待っていた。曜ちゃんも短大が夏休みに入ってるらしく、今日は俺達と遊ぶために連絡船のバイトは休んできたと言ってた。『千歌ちゃんに誘われて行かないわけにはいかないよっ!』と、意気揚々(ようよう)と語っていた曜ちゃん。曜ちゃんだけに。死ぬほどつまんないギャグを考えてしまった。海だけに水に流してくれってか。それもつまんねぇな。

 

 

「俺はいいから二人で遊んでろ~」

 

「大丈夫だよーっ。怖くないってっ!」

 

「そうだよっ、もし溺れたらわたしと千歌ちゃんが助けてあげるから~」

 

 

 それが一番怖いってのが分かってないのかアイツら。

 

 気にすんなーっ、と二人に声をかけてからシートの上に寝そべった。天気予報によると今日は昨日よりも暑くなるらしい。参ったな。

 

 

「………………」

 

 

 目を閉じて、その鳴き声と波の音を聞きながら一つ深呼吸をする。爽やかな夏の匂いと潮の香りが鼻を通り抜け、自分が海に居るということを改めて自覚した。

 

 

「海、入らないの?」

 

「え?」

 

 

 そんなことを考えている時、誰かが頭上から声をかけて来た。咄嗟に目を開き、それが誰なのかを視認する。

 

 

「おはよ、信吾くん」

 

「あ、えっと。君は昨日の」

 

「果南だよ。昨日ぶりだね」

 

 

 俺の顔を覗き込んでいたのは、昨日バス停で出会った青い髪の女の子。

 

 なんでこんな所に居るんだろ、と思ったがその格好を見てなんとなく理由を察した。

 

 白地に青のストライプが入った水着で豊満な胸を包み、輝くような白い肌を日光に晒していた。というかヤバい。なんつースタイルをしてるんだろうこの子。本当に同い年なのか、と疑いを持ちたくなってくる。

 

 

「ん? どうかした?」

 

「い、いや。なんでもない、です」

 

 

 水着姿に見惚れてました、だなんて口が裂けても言えない。

 

 上体を起こして彼女の方へと振り返る。首を傾げて俺のことを見ている女の子は間違いなく、昨日雨宿りをしてる最中に出会った女の子。また会えればいい、とか言ってたけど、こんなに早く再会できるとは欠片ほども思っちゃいなかった。

 

 

「また会ったね。日光浴してたの?」

 

「まぁ、そんな感じ。えっと…………」

 

 

 なんて呼べばいいんだろう。松浦さん、じゃちょっと他人行儀過ぎるか? 彼女の方は俺を名前で呼んでくれてるんだし、それに倣って俺も果南ちゃんでいいかな。いや、でも見た目と大人っぽい雰囲気からしてちゃん付けは失礼かもしれない。かと言って呼び捨ては何様だと思われそうだしな。

 

 

「あぁ。果南、でいいよ」

 

 

 そう言って青い髪の女の子は微笑む。彼女がそれで良いというのなら断る理由はない。

 

 

「じゃあ、果南」

 

「ん。よろしくね、信吾くん」

 

 

 名前を呼ぶだけでも緊張する。この子の顔を見てただけなのに、なんだか体温が上がった気がした。

 

 

「今日は、どうしてここに?」

 

 

 その違和感は今は置いておくことにして、果南に訊ねる。すると彼女は海の方に視線を向けた。

 

 

「千歌達に呼ばれてきたんだよ」

 

「千歌に?」

 

「あ……そっか。やっぱり、知らないよね」

 

 

 果南は忘れていた、というような表情を浮かべてそう言った。

 

 

「千歌と曜は私の幼馴染なんだ」

 

「あぁ、あいつもそんなこと言ってた気がする」

 

 

 ってことはこの子も千歌に誘われたんだな。そういうのは先に言っとけっての。俺の心臓が大変なことになるだろうが。

 

 そうして話をしていると、海の方から声が聞こえてくる。

 

 

「おーい、果南ちゃーんっ」

 

「こっちにおいでよーっ」

 

 

 千歌と曜ちゃんはやって来た果南に気づき、こっちに向かって手を振っていた。

 

 

「いま行くよーっ。じゃ、行ってくるね」

 

「ああ、うん」

 

 

 果南はそう言って、千歌達の方に向かって砂浜を駆けて行く。俺は座ったまま、離れていく後ろ姿をボーっと見つめていた。

 

 なんか、あの子といると調子が狂うな。意識しないようにしても気にしてしまう自分が嫌になりそう。

 

 初めて会う女の子だっていうのに、こんなことを考えてしまうのもおかしい気がする。でも、考えずにはいられなかった。

 

 千歌と曜ちゃんと話をしてる姿を遠くから見てるだけでもなんだかグッと心臓を掴まれるような感じがしてくる。この感覚は、なんなのだろう。

 

 

 

「…………でも」

 

 

 

 

 

 やっぱりあの子、どこかで。

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

「それじゃあやるよーうっ!」

 

 

 バレー用のボールを持った千歌がハイテンションでそんなことを言ってくる。おーっ! とその横で曜ちゃんはノリに乗っていたが、座っていただけの俺には何をやるのかさっぱり分からない。

 

 

「……何をやるって?」

 

「あの太陽よりも熱いバトルだよ!」

 

 

 なに言ってんだこいつ。暑さで頭がやられたか。そんなの元からだと思わないだけ良心的だと思ってほしい。それだけで意味が分かるのはお前のお母さんと姉ちゃんだけだ。俺は普通の人間なんだからちゃんと説明してください。

 

 

「あはは。千歌ちゃん、お昼ご飯をかけて遊びで勝負がしたいんだってさ」

 

「勝負?」

 

「うん。チーム戦の三回勝負。で、負けた方が海の家でお昼ご飯奢りだって」

 

 

 曜ちゃんが千歌が発した謎の言語を日本語に訳してくれる。ありがたい。今日も可愛いぜ、曜ちゃん。

 

 

「そうなのですっ! いやぁ、燃えてくるねぇ信ちゃん!?」

 

「や、べつに」

 

 

 やけにこぶしを効かせた声でそう言われた。露出が少ないビタミンカラーのワンピース水着を着てる千歌。ビキニじゃなくてちょっと安心した。

 

 

「じゃあチーム分けをしよっか。平等に決めようね」

 

 

 そう言った曜ちゃんは水色のひらひらが付いたホルターネックの水着。素晴らしく似合ってる。拍手を送りたいくらいだった。

 

 

「ま、そういうことならやってみるか」 

 

 

 仕方なく立ち上がり、羽織っていたラッシュガードを脱ぐ。

 

 

「じゃあチーム分けをしよーう」

 

 

 そう言って、千歌はカバンの中から先の方に色の付いた四本の割り箸を取り出す。

 

 

「せーの、で引くよ? みんな準備はいーい?」

 

 

 千歌が握る四本の割り箸をそれぞれが持って、俺を含めた三人は頷いた。

 

 

「行くよ、せーのっ」

 

 

 そして、一斉に割り箸を抜く。俺の箸には青が塗られている。確認すると千歌と曜ちゃんは赤。となると、必然的に俺の仲間は。

 

 

「私は信吾くんとだね。よろしくね?」

 

「あぁ。うん、よろしく。迷惑かけないように頑張るから」

 

「それは私も同じだよ。一緒にがんばろ?」

 

 

 青の割り箸を持つ果南は笑いながらそう言ってくる。

 

 

「やったー、曜ちゃんと一緒だーっ」

 

「頑張ろうね千歌ちゃーんっ」

 

「「おーっ!!」」

 

 

 

 と、肩を組みながら謎の結託を見せる千歌と曜ちゃん。なんだかそれは、いつか見たことがあるような光景で、眺めながら少し笑った。

 

 

 

 

「ふふ…………懐かしいなぁ」

 

 

 

 

 二人を眺める果南が何気なくそう呟いたのを、俺は聞き逃さなかった。

 

 




次話/懐かしかったよ
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