◇
「あーっ、疲れたーっ」
茜色に染まる砂浜の上に、夕日と同じような髪色をした少女がぱたりと寝そべる。
少し前まであんなにも青かった海も、ふと気づけば顔色を変えた太陽の色彩にすっかりと塗り替えられてしまっていた。
ブルーシートの上に寝転がり、半分が蜜柑色に染まった空を仰ぐ。彗星のような細長い飛行機雲が、沈み行くお日様を追いかけるみたいに伸びていた。耳を澄ませばあれだけ騒がしかった蝉時雨も、今では静かなひぐらしのバラードに音色を変えている。
「うーんっ、目いっぱい遊んだね~。こんなに海で遊んだのなんて小学生以来かも」
パラソルの下でスポーツドリンクを片手に持った曜ちゃんが、海辺に倒れる千歌を見ながらしみじみと零す。
「うん…………そうかもね」
仰向けに寝てる俺の頭の上に立つ果南という女の子は、海を眺めながら曜ちゃんの言葉に相槌を打つ。俺は空を見てるフリをして彼女のことを見つめていた。果南は白い薄手のパーカーを羽織っており、裾が長いので丈の短いワンピースみたいにも見える。
「な、何?」
「い、いや何でもない。ごめん」
「……何でもないなら謝らないでよ、もう」
目を反らして咄嗟に謝る。またチラッと果南を見たら顔を赤くしてパーカーの裾をさり気なく両手で伸ばしていた。
上半身を起こし、前方に広がる橙色の海に視線を向ける。そうして黄昏ながら、今日の騒がしくも楽しかった一日を噛み締めた。
「楽しかったねーっ!」
満弁の笑みを浮かべた千歌が、俺達の方へと駆け寄って来る。あと数十分もすれば夕日は海に落ち、やがて夜がこの街を包む。名残惜しいが、この一日はこれで終わりだ、とひぐらし達が教えてくれていた。
「懐かしかったね。あの頃みたいでさ」
曜ちゃんが微笑みながらそう言ってくる。ちょうど俺も同じことを思っていた。本当に、あの頃に戻ったみたいだった。
「そうだな。俺もそう思うよ」
「ふふ、みんな大人になっちゃったのにね」
後ろに手を組んだ千歌がそう言う。その通りだと思いながら、その嬉しそうな顔を眺めた。
「あ、そろそろバス来ちゃうや」
「もうそんな時間かぁ。う~、帰りたくないよぉ」
「えへへ、やっぱり千歌ちゃんは千歌ちゃんのまんまだね」
立ち上がって荷物を纏める曜ちゃん。長いこと一緒に居る彼女でもこいつが変わってないのが分かるくらいだ。本当に千歌は変わってないんだろう。
「じゃあね、曜。気をつけて」
「それじゃ。まだ俺はここに居るから、また今度遊ぼう」
「うんっ、もちろん。楽しかったよ信ちゃん」
「ならよかった。風邪引かないようにな」
「大丈夫っ。千歌ちゃんの家からもらった蜜柑を食べてるから夏風邪は引かないのですっ」
何それ。あの夏蜜柑にそんな効能あんのかよ。帰ったらバクバク食おう。
「じゃあね~、曜ちゃーんっ」
「バイバーイっ。また今度ねーっ」
三人で手を振ってバス停に向かう曜ちゃんを見送る。そうして一つ、息を吐いた。
「じゃ、片づけて俺達も帰るか」
「そうだね。日が暮れる前に終わらせちゃおう」
そう言い合って、俺達は広げたブルーシートやパラソルを畳み始める。
そうやって後片付けをしている時、旅館の方から人影がこっちに来るのが見えた。
「おーい、千歌-っ」
「あれ、美渡姉? どうしたのーっ?」
「志満姉が買い出し行くみたいだから、夕飯の準備手伝ってーっ」
「えーっ。もう、今日は休みって言ってたのに~」
現れた部屋着姿の美渡姉は、歩道から千歌を呼んできた。千歌は納得いかないというように頬を膨らませていたが、その気持ちも分からなくもない。けど仕事ならしょうがないだろう。
「後はやっておくから行っていいぞ、千歌」
「うん。私もいるしだいたい片付いたからもう大丈夫だよ。行ってきな」
「うー。ごめんね果南ちゃん、信ちゃん。じゃあ行ってくるよ」
「おう。美味い夜飯、期待してる」
俺と果南がそう言ってやると、千歌はカバンを持って立ち上がった。
「うんっ。ビックリするくらい美味しい夜ご飯を作って待ってるよっ」
向日葵みたいな笑顔を浮かべて駆けて行く千歌。アイツはやっぱり変わってない。
「じゃあ、ささっと終わらせるか」
「ん。そうだね」
千歌を見送り、俺と果南は残った後片付けを進める。数分でそれは終わり、一カ所に荷物を纏めてから俺は欠伸を一つ。腹減ったな。夕飯前に夏蜜柑でもつまんでおくか。
そんなことを考えながらも、果南と二人きりであるこの状況に少しだけ胸をときめかせていた。話したいことはあるけど、なんだか急に二人になった途端に話しづらくなってしまった。気まずいわけではないけど、やっぱりちょっとは緊張する。
何処からともなく流れてくる夕餉の香り。裏山の方からはカナカナと夕暮れを告げる声が、家路につこうとする俺達の背中を押してくるようだった。
海猫が鳴く声。視線を移すと、近くにある桟橋に横一列に並んだ可愛らしい海猫達が俺達の方へ視線を向けて羽根休みをしていた。
橙色から藍色へと絵の具を足して行くように、内浦の景色は夜へと変わって行く。海から吹く優しい海風が、隣に立つ女の子の青く綺麗なポニーテールを揺らした。
「これでいいかな」
「あ、あぁ。手伝ってくれてありがとう」
「ううん。私も一緒に遊んだんだから、これくらいどうって事ないよ」
礼を言うと、果南はふっと自然に微笑んでくれた。何気ない表情の変化にも心臓がドクンと大きく脈打つのを自覚する。遊んでいる最中もどさくさに紛れながら俺はこの子のことを見つめていた。
やっぱり、俺は何故か彼女に惹かれてしまう。綺麗な見た目も、喋ってみて分かった少しサバサバしてる性格も、年下の幼馴染たちに見せる大人っぽい雰囲気も、遊びながらはしゃぐその姿も、全てが心拍を加速させた。
今日一日、一緒に過ごしてみて分かった。昨日、バス停で出会った時、俺は間違いなくこの子に一目惚れしてしまったんだ。一緒に居る時間が長くなればなるほど、そう思わずにはいられなかった。
出会ったばかりなのにこんなことを思うのは気持ち悪いのかもしれない。でも、俺はこの子に惹かれていることだけは確か。それは理性ではどうしようもなく、この心は感覚的に引き寄せられてしまってる。
「今日は、楽しかった」
首の後ろを掻きながら、青い髪の女の子にそう言う。何を言えばいいのかよく分からなかったから、ありきたりで月並みなそんな言葉を選んだ。ただ、嘘ではない素直な気持ちを言葉に乗せて。
「うん。私も楽しかったよ」
「なら、よかった。それとなんていうか、ちょっと嬉しかったよ」
昨日のバス停での出来事を思い出しながら、前に立つ青い髪の女の子に言う。
「また会えて、嬉しかった」
恥ずかしいけど、遊びながら思っていたことを正直に口にした。誤魔化しにはならないけど、精一杯の笑顔を浮かべながら。
頬が紅潮するのを自覚する。自分で言っておいて照れるとか何やってるんだろう、俺。
果南は目を丸くして俺の顔を見ていた。急にこんなことを言われたらそりゃ困るかな。
「今日はありがとう。また会えるといいね」
「…………うんっ。私も、また会いたい」
そう言って微笑む顔に、また見惚れてしまう。これで何度目だろう。回数が多すぎて数えることすら出来ない。
少しだけ桃色に染まる頬と曲がる目元。血色の良い艶やかな唇。
それらはどうにも俺には眩しすぎて、直視し続けることが出来なかった。
「じゃあ、また」
「うん。それじゃあ」
「あ、近くまで送ろうか?」
「ううん、大丈夫」
「そっか。なら、気をつけて」
「ありがと。信吾くんも気をつけてね」
「俺はすぐそこだから、果南よりは安全だよ」
「分かんないよ? 車に轢かれちゃうかもしれない」
「それこそ大丈夫。俺は足が速いから」
「ふふ、そうだったね」
そんな何でもない会話で笑い合う。なんだか、物凄く幸せな空間に居る気がした。
「またね、果南」
「それじゃあね、信ちゃ……信吾くん」
果南は途中で咳払いをして俺の名前を呼んでくれた。俺も、初めて会った筈の彼女の名前を口にする。
果南は背を向けて砂浜を歩き出し、俺はその後ろ姿を見送る。海に還る日はまだ少しだけ顔を出している。どうか、あの子が安全に家へ帰れるようにもうちょっとだけ海を照らしてください、と心の中で祈る。
「……懐かしかったよ、本当に」
遠ざかる女の子が砂浜の上にそんな言葉を零して行く。潮騒に掻き消されそうなその声も、俺の耳にはちゃんと届いた。
言葉に含まれる意味までは分からなかったけれど、俺が思ったのは一つ。
「俺も」
──────そんな気がしていた、と。
次話/果南と信吾