いつか見た、あの夏の日まで。   作:雨魂

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果南めぐり

 

 

 ◇

 

 

 

 果南が内浦を案内してくれるということだったので、俺は彼女が行きたい方へついて行くことに。果南が選んだのは俺が進もうとしていた方向の逆で、三津シーパラダイスがある方向だった。

 

 

「へー、大学生ってそんな感じなんだね。大変そう」

 

「そうでもないよ。休みは無駄に長いし、数えてみれば暇な時の方が多いからね」

 

「でもいいなぁ。私も東京の大学に通ってみたい」

 

「けど、海が好きな果南には合わないかもな。あるのは人の海だけだし」

 

「あー、それはちょっとやだな。私、人ごみとか苦手なんだよね」

 

「はは、だと思った」

 

 

 

 そんなたわいもない会話をしながら、俺達は海沿いの県道17号線を歩いて行く。あの商店は昔からあったな。観光案内所と釣具屋も変わってない。

 

 見覚えのあるその景色を眺めていると、ふと昔の記憶を思い出す。

 

 

「あ、ここ」

 

「どうかした? 信吾くん」

 

「昔、あそこの釣具屋から竿を借りてこの辺で釣りをしたっけな」

 

 

 うっすらと覚えてる。叔母さんの知り合いの店で気前の良いおっちゃんにタダで竿と餌を渡されて、向かいの堤防で千歌達と釣りをしたことがあった。

 

 アジやらハゼやらがバンバン釣れてバケツが一杯になって持って帰れなかったんだよな、確か。無駄に釣りが上手い曜ちゃんが釣った大物が目を離した隙に海鳥に持っていかれて、何故か千歌が泣いてた記憶がある。改めて考えてみると意味がわからない。結局、俺が最後に釣った大物を姉ちゃん達に見せて誇らしげになってたけどな。

 

 

「…………そう、なんだ」

 

「懐かしいな。またやってみるか」

 

 

 久しぶりに釣りでもしたい。海が嫌いなのに釣りは好きってよく分かんないな、俺。

 

 釣具屋の前を通り抜け緩やかな坂道を上り、坂の頂上付近に辿り着いた時、また見覚えがある場所を見つけた。

 

 

「ここは確か」

 

「長浜城の跡地だよ。行ってみる?」

 

「うん。行ってみよう」

 

 

 車通りの無い道路を横切って渡り、林の中に隠れた石段を上がって行く。するとその先に小さな祠が現れて、さらに奥へと進むと広く拓けた空き地に出た。

 

 高い位置にあるため、コバルトブルーの駿河湾が綺麗に見下ろせる。さわさわと穏やかな夏風が周囲にある木々を揺らし、同時に過去の記憶をそっと運んできてくれた。

 

 

「ここでもよく遊んだな」

 

 

 この広い空き地で近くに住んでる千歌の友達の中にまざって、鬼ごっこやらかくれんぼやらをして日が傾くまで遊んだ思い出がある。でも、なぜかあの頃よりもだいぶ狭く感じてしまった。昔はあんなに広いと感じていた場所だったのに。

 

 

「ここはこの辺に住む子供たちの遊び場だからね。ほら」

 

 

 

 果南に言われて目を移すと、短パン姿の小学生数人が空き地を走り回っていた。今は夏休みだもんな。ああ、あの大きな木にも見覚えがある。あそこから千歌が下りられなくなってそのまま日が暮れそうになり、俺も一緒になって泣いてた気がする。結局美渡姉が来てくれて、千歌を下ろすのを手伝ってくれたんだ。あいつも泣き虫だったけど、今思うとそれに付き合わされる俺も相当泣き虫だったな。

 

 そこから足を進めて木造の展望台に乗り、下方に広がる海を見下ろした。数隻の漁船が等間隔で横に並んでいる。それは誰かがひょいっと手で動かしたみたいに綺麗に整頓されていた。

 

 内浦の漁港が遠くの方に見え、その上方に連なる新緑。少し移動して角度を変えてみると、遥か彼方に超デカい山のシルエットが見える。

 

 

「あれが富士山?」

 

「そうだよ。今はあんまり見えないけど、秋くらいになるとくっきり見え始めるんだ」

 

 

 地元民である果南がそう教えてくれる。なるほど。年中見えるってわけじゃないのか。そりゃそうだよな。今は夏の真っ只中なんだから、雪があるのもおかしいし。

 

 ひと通り長浜城跡から見える景色を堪能して、俺達はまた県道へと戻った。まだ時間はそこまで経ってない。俺の体力が尽きるまでとことん、果南が行きたい所について行ってやろう。

 

 

「じゃあ学校の方に行こうか。見せたい場所があるんだ」

 

「学校って、あの坂の上にある高校か」

 

「そ、浦の星女学院。私と千歌と曜の母校だよ」

 

「やっぱりみんなあそこに通ってたんだな」

 

 

 小さい頃、旅館の前にある砂浜から高台にある校舎を指差して『チカはいつかあの高校に通うんだよっ!』ってよく言ってたな。あの時はそんなのまだ遥か遠い未来の話だと思ってたのに、気づけば入学するどころか卒業してしまっていた。長いな、十年って。

 

 

「うん。高校時代は色々あって大変だったけどね」

 

「色々って?」

 

「ふふ、秘密っ」

 

 

 何気なく問いかけたら満弁の笑みでそう返されてしまった。一体何があったんだろう。気になるな。あれか、数人で力を併せて廃校になりかけた高校を救ったとかか? もしそうだったら大変だ。一生忘れられないくらいの思い出になるだろう。

 

 

「えー、教えてくれよー」

 

「ダーメ。恥ずかしいから」

 

 

 恥ずかしいとな。そんなことを言われたらもっと気になってしまうじゃないか。よし、帰ったら千歌に訊いてみよう。教えてくれなかったらコーラを渡すフリをしてアイツが嫌いなコーヒーを飲ませてやる。

 

 さらに俺達は県道を東に向けて進み、信号機のある十字路を直進し、長井崎トンネルに入った。ここのトンネルは名前の通り長い。うっかり千歌みたいなクソつまんないギャグを思いついてしまった。

 

 俺は自然に車道側を歩き、果南はその隣を進む。

 

 

「見せたい場所ってどんな所なんだ?」

 

「うーん。一言で言えば神秘的な所、かな」

 

「へぇ、神秘的ねぇ。楽しみにしておく」

 

「そうして。きっと信吾くんも気に入ると思うから」

 

 

 トンネルを抜け、すぐに県道を右に曲がる。そうしてしばらく汀の小道を歩くと左手に海が見えてきた。この辺りは俺も来たことがないので、当然景色には見覚えがない。右手には林があり、今日もミンミンミンミンと蝉達のライブがそこら中で行われていた。頼むからもう少し落ち着けと言いたい。

 

 

「っと、ここだ」

 

「え、そっちなのか?」

 

 

 前方にはまだ道が続いているのに、果南は横にある林の中へと入って行く。見たところ整備されているような道は無く、人が歩いて出来たような跡だけが雑木林の中へと続いていた。

 

 

「そうだよ。虫がいるかもしれないけど、そこは我慢してね」

 

 

 先に行った果南に手招きをされ、歩いていた道路を一瞥してから彼女の後を追った。

 

 雑木林の中は日差しが遮られており、少しだけ涼しさ感じた。だがやはりというかなんというか、蝉の鳴き声はさらに喧しく聞こえてくる。

 

 

「おっと」

 

「大丈夫? 信吾くん」

 

 

 傾斜のついた道を進んでいると、ある所で足を躓いてしまった。それに気づいた果南がこっちを振り返って手を伸ばしてくれる。少々恥ずかしかったけど、せっかく伸ばしてくれた手を払うわけにもいかず、俺は彼女の手に自分の手を重ねた。

 

 

「ありがとう。よっ、と」

 

「どういたしまして。もう少しだから頑張ってね」

 

 

 俺達はさらに林の中を進む。するとある所で急に傾斜がなくなり、そこから平坦な地面が現れた。

 

 また転ばないように注意しながら、先を行く果南の背中について行く。その途中でふと頭上を見上げると、背の高い木々の隙間から木漏れ日がスポットライトのように降り注いでいた。さっきまで海をそばで感じていたのに、今度は緑の中にいる。そう自覚すると、なんだか不思議な感じがした。

 

 

「ん?」

 

「見えてきたね。あそこが私の見せたい場所だよ」

 

 

 しばらくすると、入り口が岩に囲われた洞穴みたいなものを見つけた。穴はちょうど俺の身長くらいで、横幅は一人じゃないと通れないくらい狭い。なんでこんな所に洞穴なんてあるんだろう。

 

 

「入れるのか?」

 

「うん。隙間があるから意外と中は明るいんだよ。ちょっと狭いけど、行ってみよ?」

 

 

 そう言って果南は先にその洞穴に入って行く。出てこれなくなったりしないよな、と若干の不安を感じながらも彼女の後を追った。

 

 

「うわ。こんなに涼しいのか」

 

「やっぱり言うと思った。そう、ここは夏でも涼しいんだよ」

 

 

 洞穴の中には天井に空いた隙間から光が入り込んでおり、足元が見えるくらいの明るさがあった。入り口よりも中の方が広く、地面も岩などは無くて歩くのにも支障はなかった。

 

 一番驚いたのは中の温度だった。果南が言った通り、洞穴の中は世界が変わってしまったかのように冷たく、かなり居心地がいい。前方からは時折涼しい風が吹き込んできて、それも夏の温度に当てられたこの身体を癒してくれるようだった。果南がここを俺に見せたいと言った理由が少し、分かったかもしれない。

 

 

「こんな所あったんだ。全然知らなかった」

 

「そうでしょ? この辺に住んでる人しか知らないんだよ」

 

 

 先を歩いていた果南が立ち止まって教えてくれる。そうなんだろう、と薄々ながらも感じていた。そうじゃなかったらもっと有名になっていてもおかしくない場所だ。

 

 

「なんかいいな、ここ」

 

 

 涼しくて風通りもいい。一休みをするんであれば最高のスポットだろう。

 

 

「よかった。でも私が見せたいのはこの先にあるんだよ」

 

「そうなのか?」

 

「うん。ついてきて」

 

 

 そう言われ、さらに洞穴の奥へと歩いて行く。俺は果南の歩く度に揺れる綺麗なポニーテールを眺めながら、足を進めた。風に乗って鼻をくすぐるのは多分、彼女の匂いなんだろうと思った。甘い、女の子の香り。そう思ったらこんな狭い空間に二人きりでいることを思い出し、ドキドキしてしまった。落ち着け、俺。

 

 

「見えてきたよ」

 

「あ────」

 

 

 そう言われ、まず目に飛び込んできたのは、青い水面が反射させる太陽の眩い光。暗い場所に慣れてしまった瞳を徐々に明るさに慣らしてから、ハッキリと両眼を開きその景色を目にした。

 

 洞穴の出口は入り口とは違い、かなり広かった。そこから見えるのは内浦の青い海。洞穴の向こう側にあるその青は、普通に見る時とは違った美しさを見せてくれていた。

 

 

「どう? 綺麗でしょ」

 

「ああ。めちゃくちゃ綺麗だ」

 

 

 しばらく海に目を奪われていると果南に声をかけられ、そう答えた。彼女がここを俺に見せたいと言った意味がようやく分かった。

 

 なんだか俺なんかがこんなに綺麗な景色を見ていいのか、という気持ちに襲われる。そう思うくらい、果南が見せたいと言ってくれたこの光景は美しかった。

 

 洞穴の出口から吹き入る海風に当てられながら、しばらくの間その美しい海を眺め続ける。

 

 

「じゃあ、そろそろ行こっか」

 

「あ、あぁ。そうだな」

 

 

 忘れないようにこの目に景色を焼き付けていると、果南がそう言ってくる。もう少しだけ見ていたい気もしたが、いつまでもここに留まることも出来ない。場所は分かったんだからまたいつでも来れる。今は彼女の言う通りにしよう。

 

 そう思って果南の後を追おうと足を数歩踏み出した時、前を歩いて行った筈の彼女が立ち止まっていることに気づき、うっかりぶつかりそうになってしまった。どうしたんだろう。

 

 

「果南? どうし───」

 

 

 そう訊ねようとした時、俺は彼女が立ち止まった理由を見つけてしまった。

 

 洞穴の出口付近にある大きな岩の影に、二つの人影があった。一人は制服で、もう一人は部活のジャージ姿。それだけ見ればその二人が高校生であることは明らかだった。

 

 しかし、問題はそこじゃない。問題は岩の影にいる二人が男女であること。こんな人目が付かないところに若い男女。まぁ、あれだ。甘酸っぱい青春の一ページがそこにあった。もっと簡単に言えばフレンチなちゅーしていたのです、はい。

 

 まさかこんな所に人がいるとも、そんな状況に立ち会うともこの子は思っていなかったんだろう。ここであの出口を出て行くことになれば、間違いなく俺達はあそこにいる二人の邪魔をしてしまう。それは俺としても憚れる。出来れば他人の愛の園を穢したくはなかったから。

 

 

「…………っ!」

 

「ちょ、果南。そっちはダメだって」

 

 

 いつの間にか顔を真っ赤にしていた果南はあの二人に気づいているというのにも関わらず、ずんずん出口の方へと進んで行こうとする。だが咄嗟に彼女の腕を掴んで立ち止まらせることに成功。でも果南は黙って俺の手を振り払おうとしてくる。

 

 この子、怒ってます。なんでか分かんないけどめちゃめちゃぷんぷんしてます。

 

 

「~~~~っ!」

 

「一旦落ち着こう、な? あっちから出れば見つかんないから」

 

 

 愛し合ってる高校生の方へと歩いて行こうとする果南を、俺は入り口の方へと引っ張って行く。まったく、何をこんなに力んでいるんだろうこの子は。あんな光景を見て焦る気持ちも分からなくはないけど、ここまでムキにならなくてもいいんじゃないかと思う。

 

 ズルズルと彼女を洞穴の入り口まで連れて来て、ようやく俺は掴んでいた腕を離した。すると。

 

 

「も、もうあんな所で…………っ!」

 

「気持ちは分からなくもない。が、そんなに怒らなくてもいいじゃん」

 

 

 果南は頬を朱色に染めながら洞穴の向こう側を睨みつけていた。怒るのはいいけど、それを邪魔するのには賛成はしないぜ。

 

 

「だ、だって。あんな」

 

 

 狼狽える果南を見て、ちょっと意地悪をしたくなる。

 

 

「もしかして、気になるの? 果南」

 

「──────!」

 

 

 図星だったようです。いや、ちょっと意外だったけど慣れてるよりは安心出来た。

 

 

「やっぱり興味あるんだな」

 

「う、うるさいっ!」

 

「ぐほっ」

 

 

 さらに赤くなった果南に両肩を突き飛ばされ、その拍子に洞穴の壁に頭をぶつけた。超痛い。

 

 その代わり、新鮮な顔を見れたので俺は満足です。

 

 

 ◇

 

 

 

 俺達はさっき来た雑木林の中の道を戻り、海沿いの道路を歩くことなった。怒ってしまった果南は数分の間、口を聞いてくれなかったけどしつこく謝りまくったら許してくれた。

 

 学校に続く坂道を俺達は歩く。太陽は一番高い所を過ぎ、徐々に海の方へと位置を落としていた。坂道に人影は無い。それもそうか。今は夏休みだもんな。この時期に学校に来る生徒なんて、部活をやってる奴くらいしかいないだろうから。

 

 

「信吾くんは浦の星に来たことないんだっけ?」

 

「ああ。遠くから眺めたことしかないな。上るのも疲れそうだったし」

 

「確かにそうかもね。この坂は三年間通っても大変だったから」

 

 

 果南達が通ったという女子高は、長く続く坂の頂上に建てられている。なんだって建設したお偉いさんはこんなキツい場所を選んだんだろう。高台になっていて海が綺麗に見えるだろうけど、毎日ここを上り下りするのは大変だと想像しなかったのだろうか。

 

 

「そう言えば果南って何部だったの? 水泳部とか?」

 

「え゛」

 

「どうした。そんなに嫌そうな顔をして」

 

 

 ふと思ったことを訊ねただけなのに、そう訊いた途端、果南は露骨に渋い顔をした。それを言うのだけは嫌だと顔に書いてある気がする。

 

 

「それはちょっと言えない、かな」

 

「なんで目を反らすんだよ。そんなにヤバい部活に入ってたのか?」

 

 

 ていうかヤバい部活って何だろう。まずもってそんなの部活にしちゃいけないでしょ。すげぇ気になるぞ。

 

 目を合わせようとしても、果南は忙しなく視線を動かして俺の方を見てくれない。普段落ち着いてるこの子がこういう反応をするってことは、相当意外な部活だったんじゃないかと何となく思った。意外な部活か。もしかしたら運動部じゃないのかもな。あんまり似合わないけど。

 

 

「と、とにかく教えられないのっ。諦めてくれると凄く助かるんだけど」

 

「じゃあ帰ったら千歌に訊いてみてもいい? あ、そうだ。ついでに千歌って何部だったのか分かる?」

 

「それは私と一緒─────あ」

 

「へぇ、果南と一緒の部活だったのか。それも意外だな」

 

「じゃなくて。あー、もう…………だから嫌だったんだよ」

 

 

 斜め下に視線を落とした果南は小声で何かを嘆いた。嘘が苦手なんだな、この子。そんな感じの見た目してるし、そこは意外じゃないんだけどさ。

 

 そうして坂道を上って行くと、ようやく校門らしきものが見えてくる。やっぱり長いな。暑さには慣れてるけど、長い間炎天下にいるのは流石に堪えるものがある。少し休みたい。

 

 そう思いながら校舎の方へ足を進めると、制服を着た二人の女子生徒が校門から出てきた。

 

 

「あ」

 

「ん? 知り合いか?」

 

 

 その二人を見た途端、果南が立ち止まって声を出す。女子生徒達は仲良さそうに話に花を咲かせており、坂道の真ん中で立ち尽くす俺達にはまだ気づいてない。

 

 赤い髪をツインテールにした女の子と、茶髪でロングヘアの女の子。二人とも平均的な女の子よりも背が小さいのは、遠くからでも見て取れた。それと、遠目からでも分かるくらい可愛い容姿をしてる。俺としてはどっちかと言えばそっちの方が重要だった。

 

 果南はきょろきょろと忙しなく渡りを見渡しているが、こんな何も無い所に逃げられる場所なんてありはしない。そうしているうちにも二人の美少女はこちらへ近づいてくる。

 

 

「花丸ちゃん。今日は松月に寄って行こ?」

 

「分かったずら、ルビィちゃん。今日もみかんどら焼き食べようかなぁ~」

 

「えへへ。花丸ちゃんはいつもそれだよね」

 

「ずらっ。和菓子はマルのガソリンずらっ」

 

 

 会話が聞こえてくる距離まで近づく。相変わらず果南は固まってる。俺はむしろその二人よりも動かない彼女の方に視線を向けていた。どうしたんだ。何かやましいことでもあったのだろうか。

 

 そんなことを考えているとき、ようやく二人の女子生徒は道の真ん中に立つ俺達の存在に気づいた。

 

 

「あ、果南ちゃ─────」

 

「ずら?」

 

 

 空気が凍る、というのはこういう時のことを言うのだろうか。こんなにクソ暑いのにな。いや、それは関係ないだろ。

 

 騒がしい蝉の声だけが坂道に聞こえてくる。四つの目が明らかに俺を捉えているのが分かった。めっちゃ見られてる。どうしよう。よし、こんな時はとりあえず笑顔で挨拶だ。

 

 

「こんにちは」

 

「ぴぎっ」

 

「ぴぎ?」

 

「ずらっ」

 

「ずら?」

 

 

 そう言うと赤い髪の女の子は謎の鳴き声? を上げてサッと茶髪の女の子の後ろに隠れた。茶髪の女の子はぺこっと頭を下げてきたけど、ずらって何? この辺の挨拶なんだろうか。初めて聞いた気がする。でも昔、千歌とお遣いに行った時お年寄りのおばあちゃんが語尾にそんな感じの訛りを付けていたような。どちらにせよ挨拶ではないな。

 

 赤い髪の女の子は茶髪の女の子の後ろに隠れたまま出てこない。と思ったら、肩越しにこちらをじーっと人見知りをする子供みたいな目で見てくる。何か悪いことでもしたかな、俺。怖がられるような風貌じゃないことだけは自負してるんだけど。

 

 

「は、初めまして」

 

「あ、こちらこそ」

 

 

 背の小さい茶髪の女の子がご丁寧に挨拶を返してくれた。けどやっぱり警戒されてる? っていうか、なんでこの子達は俺達の前で止まったんだろう。理由はなんとなく分かるんだけど、その原因である女の子は俺の隣で何をしてるのだろうか。ねぇ果南さん。あなた、この子達と知り合いじゃないのん? 

 

 次に何をすればいいのか考えていると、隠れていた赤い髪の女の子が俺と果南の顔を交互に見てから何かを言い出した。

 

 

「か、果南ちゃんが…………」

 

 

 おっかない大型犬に睨まれたチワワみたいにぷるぷると震えながら、赤い髪の女の子は俺達の方へと人差し指を向けてきた。

 

 そして、言っちゃいけないことを人気(ひとけ)の無い夏の坂道に響き渡らせる。

 

 

「果南ちゃんが彼氏さんを連れて歩いてるーっ!!!」

 

「は?」

 

「ずらっ?! る、ルビィちゃんっ?」

 

 

 真っ青な顔に見てはいけないものを見てしまったような表情を浮かべる赤い髪の女の子。そんでもってちょっと泣きそうなのは何故だ。俺も恥ずかしくて泣きそうなんだけど。

 

 突拍子のない言葉に何とか弁明しようと考えを巡らせていると、唐突に隣からボッと、コンロに火が点いた時みたいな音が聞こえてきた。どうした。

 

 

「た、大変だよ花丸ちゃんっ! は、早くお姉ちゃんに知らせないとっ!」

 

「あ、待ってよルビィちゃーんっ! マルを置いて行かないで~っ」

 

「あ、ちょっ!」

 

 

 二人の美少女はぴぎいいいいっ、ずらああああっと声を上げながら逆の方向に走り去ってしまった。な、なんだったんだ、今のは。

 

 あまりにも突飛な発言を聞いたからか、体温が一度くらい上がってる気がした。身体中の毛穴という毛穴から汗がドバドバと流れ出してくる。特に一番顔が熱い。くそ、また暑くなったんじゃないか。もう少し自重しろ、夏。

 

 

「………………」

 

「………………」

 

 

 夏の音が響き渡る坂道に、小さな沈黙が作られる。誰が作ったのかは知らない。ただ、この心音が隣に立つ女の子に届かないことだけを祈っていた。

 

 その場に立ち尽くしながらチラッと果南の顔を盗み見る。焦っているのは俺だけだと思っていたが、それは思い違いだったみたいだった。でも、少しだけ意外だった。

 

 果南は赤い髪の女の子と茶髪の女の子が駆けて行った方向を、頬を朱に染めて茫然と見つめている。それは多分、トマトも小学生のランドセルも郵便ポストもビックリするくらいの赤だった。さっきの音の原因はコレか。

 

 

「あ、あの……果南、さん?」

 

 

 気にしなくていい、と声をかけようとしたが、名前から先の言葉が喉の奥から出てこない。いや、あんな風に勘違いされて実はちょっと嬉しかっただなんて口が裂けても言えないし。

 

 だって、こんな可愛い子の彼氏だと思われたんだぜ? 男としてそれを嬉しく思わない奴が何処に居る。まぁ、ただ横に立ってたから偶然そう見えただけなのかもしれないけどさ。

 

 

「…………か、彼氏さん。ふふっ」

 

「…………なんか言った?」

 

「え? あ──────な、ななな何も言ってないっ。言ってないからっ!」

 

 

 訊ねてみると果南はそう言って首をぶんぶんと横に振る。長いポニーテールが左右に振り回されて大変そうだった。アレに意思があったなら怒ってるだろうな、多分。

 

 何を否定してるのかはよく分からないが、別に怒ってるわけではなさそうだった。てっきり気を悪くしたから赤くなってるもんだと思ってた。ちょっとだけ安心してみたり。

 

 学校前の坂に流れる微妙な空気。この空気の名前を俺は知らない。知ってるなら教えてくれ、と夏空に叫んだら答えは返ってくるだろうか。無理だな。空に届く前に、このうるさい蝉時雨に掻き消されてしまうに違いない。

 

 

「…………さっきの子達は、後輩なのか?」

 

 

 間が保たないと思い、声をかける。本当の理由はこのままで居たら一人でドキドキしてるのが彼女に伝わってしまいそうだったから。落ち着くんだ、俺。余計なことは考えるんじゃない。

 

 

「う、うん。そうだよ」

 

「そっか」

 

 

 そこでまた沈黙。会話が上手く続かない。気にすることなんて無いってのに、どうにもこの心は余計なモノを意識してしまっているようだった。らしくない。少しだけ自分が嫌いになりそうになる。

 

 

「あ、あのね」

 

 

 静けさにそっと切り込みを入れるように、果南はそう言って俺の前に立った。顔を上げて、俺よりも少しだけ背の低い彼女と向かい合う。

 

 白い筈の頬は桃色に染まり、長いまつ毛がまばたきをする度にお辞儀をして、そのすぐに下にある綺麗な目は確かに俺を映していた。

 

 見つめ合った時間は両手の指で数えられるくらいだったと思う。けど、何故か果てしなく長い時間に感じた。それはちょうど、十年前の自分が今の自分に辿り着くまでの時間みたいに。

 

 

「何?」

 

 

 黙る果南に問い掛ける。彼女は前に立つ俺に何かを言い掛けたけど、すぐに小さな唇を閉じた。

 

 代わりにくれたのは、温かい微笑み。見ていると安心する、浜辺に打ち寄せる穏やかな波のように優し気な表情だった。

 

 

「えへへ…………何でもない」

 

 

 それ以上俺はもう、何も訊かなかった。ただ、その笑顔を見た心臓はどうにも騒がしくて、鬱陶しくて。蝉時雨がこのうるさい鼓動を隠してくれることだけを、坂道の途中で必死に願い続けていた。

 

 

 

 




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