グレイの日記帳   作:廓然大公

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グレイの日記帳

「改装工事、ですか…」

 

今朝がた管理人であるクリシュナより伝えられたのは下宿先のこの建物に改装工事を行う事となったという連絡だった。地震も無く酷い天変地異も起こりにくいもののやはり台風の被害などは避け得ない。古い建物も多く残るロンドンではあるもののその建物もやはりメンテナンスあってこそでもあった。そしてそれはグレイの住むこの寮もまだ避けられない修繕でもあった。一日がかりの修繕工事、それはつまり丸一日家には帰れないということでもあり、同時にそれは今晩、どこかに泊まらねばならないという事でもあった。

「そうはいっても」

尻すぼみになる言葉、ロンドンに来て日も浅いグレイにとってここはまだ異郷の町、知り合いも両の手を使えば足りる程で、そしてもちろん頼れるような親類がいるわけもない。モーテルなどの安宿ならば泊れないことは無いだろうが如何せんノーリッジの敷地と師であるロードエルメロイ二世の居室からは些か遠くになってしまう。元よりあまり知らない宿に泊まるということ自体がコミュニケーションの苦手なグレイにとってはあまり得意なことではない。そのくらいならば野宿の方がましと考える程でもあった。

『ホテルに泊まるのが怖いですってんで大都市ロンドンで野宿するってのはさすがに笑い話にもならねぇぜ』

アッドにもそう茶化されながもしかし、今日の宿が決まることは無い。本来ならば少し前に伝えるはずだったものの、数日前まで師と共にスコットランドの方まで出かけていたために伝えそこなってしまったという事だった。管理人にも責任の一端はあるということで心優しくも部屋の荷物は大家の家の倉庫を間借りさせてもらうことにはなったものの生憎とベッドまでは用意できないと言われてしまった。そのために今日はいつもと違い、肩から小さめの旅行鞄が下げられていた。

いつものように師の部屋へと向かう道すがらいつもより濃い霧の町に深いため息が一つ流されてそして消えた。

 

「その旅行鞄はなんだ」

「えっ」

師であるエルメロイの寝起きは悪い。内弟子としてここ数カ月ほど起こしに来て入るものの緊急時や警戒時でなければ夜遅くまで資料や本を読みふけり、今のソファに崩れる様に寝ていることも多く、そしてやはり睡眠時間が足りていないのか朝は幽鬼の様にぼんやりとしていることも多い。そのために持って来た旅行鞄を早急に隠したつもりではあったのだが見つけられていたらしい。目ざといというか、がめついというか。

「いつもの荷物にしては多いな」

「えっと」

ベーコンと目玉焼き、そしてトーストというオーソドックスな朝食を取りながら聞いてきたその言葉に咄嗟に口ごもってしまう。元より口数が多い方ではない上に、決して嘘が上手なわけでもない。悪いことをしているのではないものの罪悪感がのしかかって来た。探る様な彼の視線、フル回転する頭に浮かび上がって来たのは先日見た雑誌の一文。いつもより痛く感じた何か、喉に詰まりかけたトーストを何とか飲み込んで代わりに出てきたのは

「おっ、乙女のひみつ、です」

「はぇぁ」

明らかに尻すぼみになっていく言葉は最後まで聞き取れたかは疑問が残るもののその言葉にロードエルメロイは一瞬固まり、そしてすぐに咳払いをすると

「そうか」

と一言だけ声をかけて早々に朝食を済ませた。グレイというよりもレッドとなった少女も又そそくさと朝食を済ませていく。

ああは言ったものの、彼に頼めば一晩くらいはどうとでもしてくれるだろう。ノーリッジの彼の居室でもこの部屋でも、もしかしたらわざわざホテルを用意してくれても彼の性格から考えれば不思議はない。しかし、グレイはそれをよしとはしなかった。それではあの頃と変わらない。ロンドンに出てきた意味も、師が手を引いてくれた決意も又鈍ってしまう。

そんな気がしたからだった。

ふと部屋の奥の方から水の音が聞こえる。師がシャワーを浴びているらしい。ふと我に返ると残された食器を持って台所へと入って行った。

 

 そして何事も無くいつものように日々も過ぎていった。魔術師でなく、またもとよりよくもないこの頭では理解することも難しい魔術、エルメロイ教室でなければその一端ですらら知り得ないようなものではあるものの、今日は何時にもまして頭に入ってこないのは傍らに置かれた今日の分の着替えの入った鞄であることは間違いなかった。

昼下がり、ノーリッジのキャンパスから少し離れた公園のベンチで一人サンドイッチを食べる。エルメロイは先程唐突にロードバリュエレータに昼食に誘われたらしく、ただでさえ深い眉間の皺をマリアナ海溝の様に深く刻み込みながら胃のあたりを抑えながら出掛けて行った。ロード同士の話でもあるのか、同行はしなくていいと言われたために一人のランチタイムとなっていた。

「どうしよう」

そんな彼女を少し離れた物陰から見守る怪しい人物が二人。

「なぁフラット、やっぱりグレイたんは何か悩んでいるようだな」

「そうだねルシアン君、確かにあの顔は何か悩んでいる顔だね」

「朝からグレイたんの甘く切なやわやわな香りに少しだけ不安のしょっぱい匂いを感じる。それも濃い程ではないから昨晩からではなく、今朝、時間にすれば朝の七時ごろからこの不安は始まったと考えられるつまり今朝からグレイたんは何か悩んでいるわけだ」

「言ってることもやってることも一歩間違えればというかもう間違えなくても捕まるレベルの変態だね、ルシアン君は」

「もはやこの国の法など、ラブリースイートグレイたんの前にはちり紙と変わらない」

「この国すらも敵に回すとは馬鹿みたいだけど、僕としても学友が何か悩んでいるなら解決したいのはやまやまなんだけどなぁ」

「それでフラット、グレイたんは何を悩んでいるんだ」

「そうだなぁ、いつもは持っていない鞄、先生に同行するには少ないし、今日一日中持っているってことは何か大切な物とか」

「アーティファクトのようなものでは無いみたいだぞ、いつものグレイたんの柔軟剤の匂いしかしない、着替えじゃないのか」

「通報してもいいレベルだけどそう言う事ならあの量なら一日分の着替えかな。そういえば女子寮のあたり改装工事があっていたはずだけど」

「つまり、グレイたんは今日改装で家に帰れないから一晩の宿を探しているわけだな」

「そう言う事だろうね、先生に言えばいいのに」

「それが乙女心というものだ、つまりここでグレイたんの宿を確保することが我々の使命という事ではないかねフラット君、そうすれば先生からもグレイたんからの評価もうなぎのぼりという事だ」

「そう言う自分の欲望に素直なとこ好きだよ、ルシアン君」

がっちりと腕を酌み交わす二人の雄たけびに辺りの木々が揺れた。軽く獣性魔術による咆哮とそれを軽く貶すという目に見えない攻防の後聞こえたのは新たな年若い男の声だった。

「うるさいぞ、二人とも。まったくもうすぐ授業も始まるんだから馬鹿騒ぎもそこまでにしておけよ」

「おう、カウレスちょうどいいところに来た。これからそこにいるグレイたんの宿をだな」

「そこってどこだよ」

「あれっ」

二人の視線の先には既にグレイの姿は無い。食事を終えたか、それとも不穏な気配を感じたか、少なくとも二人に築くことは無くその場から去ってしまったらしい。

「しまった、見失った」

「探すよりも宿の手配の方が先じゃないのか」

「でも宿ってどんなだ、ホテルとかか、さすがにスイートとかとってもグレイたん引くんじゃないか」

「そういうとこで妙にへぼくなるねルシアン君、女の友達とかの家とかを紹介するとか」

「いるか、そんな女子」

「僕は知らない」

「駄目じゃねぇかっ」

二人の喧騒をよそにカウレスは一人小さくつぶやいた

「宿ねぇ」

 

昼休み終わるとエルメロイはそのまま会議へと赴いて行った。ノーリッジの私室に残されたグレイは部屋の掃除をしながら考え込む。依然として宿は決まらず、既に昼を回ってしまった。いくつか手の届きそうなモーテルに電話をしては見たものの団体客が入ったらしく既に満員らしい。宿直室というのがあるならばそこを借りるのだが生憎、そんな部屋があるのかは知らない、増して宙ぶらりんの自分が使えるのかも疑問だ。無心で部屋の掃除をすることで問題を先延ばしにする。

中途半端で、どっちつかずの灰色、

あの頃から変わっていない、こんな小さなことでさえも。

「拙は」

自虐的にそう呟いた瞬間であった

「失礼しますわ」

唐突に開いた扉と声に思わず飛び上がる

「ルヴィアさん、どうしたんですか、突然。、師匠なら今会議中で」

「構いませんわ、今日はグレイ、あなたに用があって来たのですから」

「拙に、ですか」

「ええ、あなたにしか頼めないのです」

神妙にそう言うルヴィアにグレイは近づいて行く。

「捕まえた」

そして子猫でも捕まえる様にルヴィアはグレイの胴を掴み上げるとそのまま部屋から出て行った。

「クラウン」

「承知いたしました」

「ルヴィアさん、部屋が、拙は」

「火急の用ですわ」

ルヴィアはそう言うとそのままグレイを連れて出掛けて行った。

 

「うーんこれもいまいちですわねぇ」

「ルヴィアさん」

「こっちは、かわいらしくはあるのですけど色味が華美ですわね」

「ルヴィアさん」

「こっちは、及第点位ですわね、でももう一声、それじゃそれとそれとそれ」

「ありがとうございます」

「ルヴィアさん、これは」

ルヴィアに連れてこられたのはまさしく高級ブティックと言う奴だった。あたりに客は無く、代わりに数人のコンシェルジュと大きな鏡、そして試着用のスペース、そして そこにいるのは来たことも無い様なネグリジェを着せられているグレイとそれを評価し次々と着せ替えるルヴィアの姿があった。

「あ、あの、火急の用とはなんなのでしょうか。それに拙にはこんなに買える余裕はありませんっ」

「あら、グレイ、この私をルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトと知っての言葉かしら。それに私が買うだけよ。あなたは私の代わりに試着しているだけ。そして、たまたま私には入らないからあなたにおさがりとしてあげているだけよ」

「そう言われても」

ルヴィアはグレイの唇に指をあて言葉を封じた。

「グレイ、そう言うときには何というか、この前教えたのではなくって」

微笑みかけるルヴィアにグレイはその言葉の先を無くした。

「あ、ありがとうございます」

「よろしいならばこれをつけておきなさい」

そう言って渡されたのは小さな髪留めだった、金色の小さな百合意匠を凝らした中心に小さな蒼いサファイアの髪留め。銀色の彼女の髪には良く映える小さな髪留めだった。

ルヴィアは満足そうに頷くと同時に向かったのは次の店だった。

 

ようやく解放されたのは既に四時を回ってた。ロンドンの街中、ダウンタウンの中に一人、衣服たちは軽くグレイに補正し直して後日アパルトマンに届けてもらえるらしい。おかげで手荷物は無いものの間のグレイにとっては少しばかり手持無沙汰でもあった。

「泊めてほしいって言えばよかったな」

一人ごちるグレイが聞いたのはまたしても見知った声だった。

「あら、グレイじゃない」

「凜さん」

見つけたのは赤いシャツを着た遠坂凛の姿だった。どうやらその姿は買い物の途中らしく既に小さな袋をいくつか手に持っていた。

「ちょうどいいわ、手伝ってもらえる」

「は、はい」

流されるように返事をして歩き出した先にあったのは近くのマーケットだった。華僑たちの住む中華街にもほど近いその一角にはいつものロンドンとは違う多くの香辛料とそして様々なエキゾチックな食べ物の匂いが漂っていた。雑多な市場の中をトオサカに連れられて進む。中国なまりの英語と、本物の中国語が聞こえてくる。朝一ではないためかあまり混雑しているとは言えないもののそれでも気を付けなければ人にぶつかってしまうほどの人の波の中を何とか抜け出していく。見たことの無い異国のような町と人と匂い。雑多でありながらも生きた人間の色を感じる街。知らなかった、自分一人では知り得なかった新たな道。

「グレイ、何しているの」

「はい、すぐ行きます」

自らその喧騒の中へと飛び込んでいった。

「芝麻醤まで変えたのは良かったわね、英語だとタヒーニだっけ」

「それにしても随分と買いこむのですね」

「まぁね」

一時間弱の買い物の結果、遠坂とグレイの手にはそれぞれ二つずつの紙袋が下げられ、さらにはグレイの手には鍋に入った大きな木綿豆腐も抱えられていた。

「時間もあまりないし胡麻団子と焼売でいいかな、まぁ、麻婆豆腐には罪もないし」

少し意味深に豆腐を見つめる遠坂に少し疑問の視線を送るとするにいつものように何でもない、と笑っていた。

「拙の不勉強で気分を害されたら申し訳ないのですが、凛さんは日本人でしたよね。それでも中国料理の材料を探しているのは何か理由があるのですか」

「ただ、得意ってだけよ。それに日本料理という家庭料理なら私より上の奴も知ってるしね。どっちかと言えばこっちの方がすっぱりさっぱりしてて私好みってだけよ」

「なるほど」

確かに遠坂の性格からすれば繊細が日本料理というよりも火のように大雑把に燃え上がる中国料理の方が性に合っているようにも感じた。

「グーレーイー」

顔に出ていたのか遠坂はいたずらっ子のような視線を向けグレイに覆いかぶさる。

「あ、いや、拙は、ごめんなさい、豆腐がこぼれてしまいます」

「あっ」

唐突に止まった遠坂に疑問を感じ振り返ると彼女はおもむろに背を向け何やらごそごそやっているらしい。再び振り返った時、感じたのは少しだけ首元がすっきりした、そんな感覚だった。

「グレイ、ちょっと来て」

疑問符を浮かべながらも近づいて、そしてするりと遠坂の手がフードの中、首元へと差し込まれた。突然の行動、しかし手には豆腐、成すがまま、されるがままの状態。

「これでよし」

そう言って抜かれた手、気が付いたのは自分の首元に小さな赤いルビーのペンダントが下げられていたことだった。

「こんな高価な物いただけません」

「荷物運びのお礼、私のおさがりだけどまぁその分、思い入れで補完ということで。あの女にマウント取られるのも癪だしね」

「すいませんがなんとおっしゃいました」

「なんでもない、なんでもない。その代わり今日はもっと荷物持ちしてもらうぞ、それじゃ出発」

じゃれつきながらも姦しい時間は過ぎ去っていく。

 

最終的に解放されたのは既に午後五時を回ったところであった。すでに日は落ち、ノーリッジ近くまで戻ってきたはもののやはり今晩の宿は見つからない。声をかけていれば、そんな小さいことも出来ない、墓守が墓穴を掘るとは洒落にもならない。

「ああ、グレイよ、そんなところで何をしている」

「ライネスさん」

そこに立っていたのは師であるロードエルメロイ二世の義妹であるライネス・エルメロイ・アーチゾルデだった。

「いえ、ちょっと買い物に」

「それにしては羽振りが良いようだね」

「いいえ、これは」

「まさか、わが兄からの贈り物とか」

「そんな、滅相も無い」

取れるかというほど首を振るグレイにライネスは笑う。

「冗談だ、さてそれはいいとしてちょっと付いて来給え」

「えっ」

困惑するグレイをよそにライネスはグレイと共に用意していた車に乗り込むとゆっくりと進み始めた。

「あの、拙は荷物を取りに戻りたいのですが」

「荷物とはこれの事かい」

そう言ってライネスは小さな鞄を取り出すと断りもなくチャックを開け、中に仕舞われていた寝巻を取り出した。

「グレイ、いくら気安いとは言ってもこれはもう布だ。服ではない、それにもとより可憐なる婦女子がこんなものを着て言い訳は無いだろうに」

それはグレイがあそこにいた頃からの寝巻、それ以外には持っていなかった寝巻、それ以外には与えられなかったもの。

「まぁ、ルヴィアに揃えてもらったのならいいだろう」

「なんでルヴィアさんのことを」

その言葉を言い終わる前に車は止まった。たどり着いたのはエルメロイの邸宅。つまりライネスの家だった。そのまま案内されるように家の中に入ると電話を持った一人の使用人が近づいてきた

「さて、そう言うわけで君に電話だ」

ライネスに言われるがまま取った電話の先から聞こえたのは効き慣れた師の声だった。

「ライネスに殺人予告があった、今日は護衛がてらそちらに泊まるといい」

「師匠、それはどういう」

「詳しくはライネスから聞くと言い、そう言う事だ、お休み」

そのまま切れた電話、受話器を見つめているとライネスが小さく笑いだした。

「何、カウレスから殺人予告をもらってな、私は今日怖くて一人ではおちおち眠れんのだ。だから今日は私の護衛としてこの屋敷に泊まって行ってはくれないか」

そう、差し出されたのは白く気高い手だった。

「まったく、グレイにはもう少し友人というものについて勉強しなければならないようですわね」

「久しぶりに中華鍋を振ってないと勘も鈍るしちょうどよかったわ。それに一晩泊めてほしいなんて気軽に頼んでいいのよ。まぁこの女に頼むのはあまり勧めないけど」

「あら、あなたみたいに後輩にネグリジェの一つも買ってあげられない人のセリフとは思えませんわね」

「なんですってぇ」

「二人とも喧嘩しなーい」

そこに揃っていたのはエルメロイ教室の女たちだった。

「何、今日は無礼講、知ってるかい、こういうのを日本ではこう言うんだってさ。」

パジャマパティ―

 

「ありがとう」

長くも姦しい彼女たちの夜が始まった。

 

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