カルデアが舞台となります
一人用の小部屋に少女の声が聞こえる。
「テーブルよし」
木目の綺麗に流れているテーブルには真新しい綺麗なクロスが書けられている。
「椅子よし」
テーブルと同じ色調の椅子破れも汚れもなく、木の光沢が見てとれる。
「ティーセットとカップも良し」
ワゴンに準備されている茶器は磨き上げられシミの一つも残ってはいない。
「お菓子とお茶はあとでエミヤさんが届けてくれる」
あとは
「内装は」
「今更変えようもないだろうがなぁ。まぁどれだけ準備しても出迎えるのが一般庶民のグレイならそれだけでどんな粗相をするか今考えただけでも楽しみだぜ」
西洋のアパルトマンの一室を模したようなその部屋の中、少女の声のほかにきぃきぃと甲高い笑い声が響く。
「アッド黙って」
「同居人としていくつかアドバイスでもしてやってもいいが代わりに俺にも茶の一杯くらい出してくれてもいいんだぜ」
懐から取り出した大きな鳥かご、中では立方体の友人がいつの間にかくすねていたティースプーンをかじっていた。
「その前にまずスプーンを返しなさい」
「まぁその前にお茶を振る舞う友人がいないものな。おっとこれは図星をついちまったかね。ひぃひぃ怖い怖い。俺は口を出さずにお前が慌てふためくさまを楽しむとするかね」
少女は大きな鳥かごをそのまま大きく振った。甲高い悲鳴と鉄がぶつかるような音、引き換えに軽口も消える。
「どこまで確認したんだっけ」
再び少女は小さくつぶやきながら再び部屋のあちこちを指さし始める。そして間もなく聞こえたのは小さなブザーの音。来客を告げるブザーの音だった。
「は、はぁい」
急いで玄関へと急ぐ少女、ゆっくりと開いた扉の先には小柄な赤毛の若き征服王が立っていた。
「今日は突然の誘いを受け入れてくれてありがとう」
「い、いえ、狭いところではありますがそれでもよろしければ」
「もちろん、ところでその手に持ったスプーンはどうしたんだい」
「へぇっ」
右手にはいまだ少し歯型のついたスプーンが握られていた。懐から小さく笑い声が聞こえた。
かちゃん
手にしたカップが音を立てた。
白の陶磁器に金の衣装が施されたそのティーカップは大方ライネスが用意させたことには間違いないだろう。それだけで自分の一か月の生活費は賄えてしまえることは難くない。目の前に広がるティーセット全て合わせればそれだけで彼女の財産とその身の上まで質に出したとて届かないほどの物たちが並んでいる。今日の茶会のためにライネスより借りた品々。本来自室に置かれている小物とは比べ物にならない品にそれだけで自室だというのに居心地が悪く感じる。
茶器だけでなく、その葉もまたいつも師であるロードエルメロイ二世が飲んでいる三級品などとは比べ物にならないような馥郁たる香りが広がる。エルメロイ邸で飲んだことのあるものに近くはあるもののそれに引けを取ることはないほどの一級品であるということだけは分かる。
ただし微かに感じとれる神気はそれが現の物ですらないことを表していた。サーヴァントになったことで少しだけ鋭敏になった感覚はその気配に二つの存在を感じ取る。シュメールの赤き女神とギリシアの青き女神、そのいさかいがそのディーカップ越しに見えるようだった。
「うん、これはやはり良いものだね。何やら不穏な気配を感じないでもないけれど、この茶葉自体はとてもいい」
「そういっていただけるとありがたいです」
カルデア内にあるグレイの自室。時計塔現代魔術科の寮にある自室にできる限り似せた内装、板張りと木造のような小さな一室。グレイの座るテーブルの対面には若き征服王の姿があった。
「確かにオケアノスの果てにこれがあるならばそれはさらに楽しい旅になりそうだ」
彼は手にしたカップから紅茶の香りを楽しむようにすんすん、と小さく鳴く。まだ少年のしなやかな手に握られたティーカップは少し彼には大きく見えた。
アレクサンドロス三世
古代マケドニアの王であり、エジプトやアジアにまたがる大帝国を築いた若き王。アリストテレスを師とし、その東方遠征は後世に多大なる影響を与えた人類史に刻まれた大英雄のうちの一人。
そして
「これは君が作ったのかい」
盆に並べられたクッキーを一枚とると彼は口の中へと放り込む。ラングドシャの軽い破砕音が聞こえ、る。中に入れたマーマレードのジャムの甘さに驚いたのか、彼は少し目を丸くした。
「い、いいえ。私は多少手伝っただけでほとんどはブーディカさんにお願いしたんです」
「じゃあ、ブーディカがキミからは何も聞かずに気をきかせてこのクッキーを焼いてくれたのかい」
「私がクッキーを焼きたいとお願いしたのです。拙は不得手なのでほとんどブーディカさんと所長さんが焼いてくれたようなものなのです」
「なら君が焼いたクッキーだね」
グレイはそん言葉に少し困惑したように眉を顰める。グレイがしたことなど一度計量を失敗し、二度成型を失敗し、三度焼きを失敗した程度。大げさにも彼女が焼いたとはいいがたく、むしろ足を引っ張ってしまったとすらいえる。彼はそれに気づくと笑みを浮かべた。
「確かにキミの言うようにこの小麦粉だったものをクッキーへと変えたのはほとんどブーディカと所長なのかもしれないけれど、それはあくまで君が作ろうとしたからさ。そうでなければこれがクッキーにはならなかった。パスタやパン、別の物になるかもしれなかったものを君がそう動いたことでクッキーにした。だからこれは君が焼いたクッキーでいいのさ」
「そう、ですか」
そして彼はふと思い出したように立ち上がるとその手を胸に当て居住まいを正す。突然立ち上がった彼の姿にグレイも又飛び跳ねるとように立ち上がった。
「そういえばちゃんと自己紹介がまだだったね。今日は突然の誘いを受け入れてくれてありがとう。僕はアレキサンダー」
「拙はグレイといいます、よ、よろしくお願いします」
差し出されたその手を取る。
別名イスカンダル
師であるロードエルメロイとともに第四次聖杯戦争を駆け抜け、そして師が追いかけた続けたかの征服王の姿だった。
「何故拙をお誘いくださったのかお聞きしてもよろしいでしょうか」
少し遠慮したような、いいやおびええているような声に彼はふと視線を向けた。事の発端は三日前の午後のこと、マスターや他のサーヴァントたちとの演習を終えた時、彼から唐突にかけられたお茶の誘い。しかもこちらがホストという青天の霹靂のような申し出。グレイとてカルデアに来てから他のサーヴァントとの交流もないというわけではないものの、王侯貴族まして自分でも知っているような英雄と言葉を交わしたのは量の手で足りるほどだった。誘いの後、行きつく暇もなく風のように去ってしまった彼の唐突な申し出を断るわけにもいかず、師に相談するも『好きなようにするといい』という一言のみ。ライネスやキャット、パールヴァティーといった面々に師事を受け何とかこの席を取り持っている。コミュニケーションをとることすら不得手な彼女にこの状況はいささか荷が勝ちすぎているようにも思えた。
「単に話してみたかったから、という答えでは満足してはもらえないかもしれないかな」
彼はそういうと少し考えたように唸ると盆の上に載っていた小さなスコーンを二つ自分の皿へと取り寄せた。
「第一の目的は先生のことかな」
「先生、とはロードエルメロイ二世のことでよろしいのでしょうか」
「そう、先生の内弟子とはどんな人なのだろうって思ったんだ」
諸葛孔明の疑似サーヴァントとしてカルデアに召喚されたロードエルメロイ二世、その数奇な縁によって彼はこの若き征服王とともに行動することが多い。追い求めた背中が小さくなり、さらにはその少年が自分に師事しているという奇妙なサイクルに彼の額の皺を少しだけ薄くした事に気が付いたのは少し前のことだった。
「彼は普通の英霊とも違うからね。英霊の力を持った疑似サーヴァント。本来持ってはいない力を持った人間、非凡なる凡人とまで言ったら先生もすごく嫌な顔をするんだろうね」
確かに日頃から自分を客観視し自分の凡庸さを嘆く上にそれでなおその評価を受け入れている彼、その正当なる評価には忸怩たる思いを秘め、マリアナ海溝よりも深い皺を作る様子などありありと想像できる。あまりにも鮮明に思い浮かんだ師の表情に少しだけ笑う彼につられてしまう。
「確かにいつも何かしらに怒っているような顔をなされています」
少年はその言葉に大きく頷くと自分の眉間をつまみ大きく皺をつくる。
そして少年は言った。
「サーヴァントになったんだからもう少し誇ればいいのに」
「それはちがうと思います」
自分でも大きくなった声に驚いた。こぼれるように出たのは否定の言葉。自分でも知っている英雄に対する斬り返しの言葉。自分でも意図していなかったように自然と出たその言葉にグレイ自身もその言葉の意味に気が付くとすぐに取り繕うと言葉を探す。
「どうしてそう思うんだい」
しかし、かの王は言葉を選びあぐねているグレイより先にそう言った。いつものように少年のような傷つくことのないまっすぐな目をしたまま。
「あ、あの人は多分どれほどの力を与えられたとしてもそれを自分の物にはしないのです」
葉巻を根元まで吸い切るような貧乏性で、
自分の格好なんてお構いなしで、
その癖に人の厄介ごとまで背負い込むお人好しで、
そして
「師匠は自分が自分が誇れる自分になりたいんだと思います」
少年のようにただ夢を追う男の姿を。
「それはいいね」
グレイの言葉に彼は大きく笑った。ただ面白そうに、愉快そうに。
「自分が誇れる自分か、随分とまぁ大きく出たものだ」
「そう、でしょうか」
笑い続ける彼にグレイは失言でもしたのかとうろたえる。笑いすぎたというように少年は目元をぬぐい少し息を整えるとごめんねと少し謝りながら言った。
「人間は完璧じゃない。だから何かを成そうとするときにどこかで区切りをつけて誤魔化す。けれどそのごまかしがきかない人間が一人だけいる。何を目指し、それまでの工程を知り、どこで諦め、何をごまかしたかを最も知っている人間が」
彼はそういって自らを指さした。
「自分」
「そう、自分は誤魔化したことを知っているからね。つまり君の師匠は自分がいれば完成しない完璧を求めてそれでなおその完璧を目指すといってるんだ」
「それはおかしいことでしょうか」
その言葉に彼は大きく首を振った
「それでこそ生きるというものだよ」
彼はそういうとまた紅茶へと口をつける。
「一つお聞きしてもいいでしょうか」
「もちろん」
気持ち大きな声で問いかけた。
「アレキサンダーさんは師匠をどう思っているのですか」
少しだけその言葉に彼は眉を顰め考えこんだ。腕を組み少しだけ暫しの間うなり声をあげる。
「難しい質問だけどそうだね。一言でいうならば、どうも思っていない。かな」
「どうも思っていない、ですか」
こともなげに言ったその言葉にあっけにとられる。あまりにも軽く、そしてあまりにも乾いたその言葉に少しだけ何かがチクリと傷む。
「師というならば彼よりも優れた師も劣った師もいろいろと見てきた」
彼の教育をしたというのはかの哲人アリストテレス、グレイでもその名を聞いたことのある賢人。比較とするならば如何にロードといえども分が悪い。
「確かに諸葛孔明としての戦術もそして彼自身の知識も一級だし教師として申し分ない」
しかし
「その知識の末の体験は彼自身だけの物だ」
少年はあっけらかんと言ってのける。あたらしく注がれたレモンティーの酸味がお気に召したのか少し輝いたようにそのカップをとる。
「知識はその体験を得たときにはじめて息づく。彼らが何を想い、何を願い、何のためにその知識を見つけたか、そして何を成しえ何を成しえなかったか。それは彼らだけのものだ。どれほど言葉をつくしたところで語り切れるものじゃない。良きにしろ悪しきにしろそれがその生涯をかけたものならばなおさら」
大陸を渡り、大国を成しそしてそれもすべてただその我欲を成すために歩む彼は言う。
「だから自分の足を進めなければそれは僕にとってはどれも等価なものなんだ」
それにね、と彼はいたずらが成功した子供のように顔をゆがませ笑った。
「人間が生きた旅路なんだ、聞くよりも自分で歩むほうが楽しいだろう」
透明なティーポットの中、ジャスミンの花の匂いとともにゆっくりとその花が開いていく。小さな紫色の花がゆっくりとその色を濃くしていく。
「そういう意味でいうなら今回の人理焼却は不謹慎かもしれないけれど僥倖でもあった。本来召喚されるのはアレキサンダーではない。征服王イスカンダルだからね」
少し恥ずかしそうに言う彼。誰にも言わないでほしいと続けられたその言葉にうなずくと彼はその紅い瞳でじっと見つめながら語る。
「サーヴァントは本来、全盛期の姿で召喚される。オケアノスを求め世界を駆け抜けた征服王イスカンダル。いずれ経験することでありけれど二度と経験することはない旅だ」
英霊に進歩はない。成すべきを成し、人類史に刻まれた過去の亡霊たち。
すでにその身は未来を歩み切った者たち。
ならば眼前の少年がかの約束された道を征服の道を歩むことはない。
「確かに知識として征服王の記憶もある。実感はないけれど確かにその知識はある」
「それはお辛くはないのですか」
その言葉を口にして少しだけ後悔する。死霊相手ではない。どれほど人の領域に踏み込んでよいのか、それだけ人に近づいていいのか。まだその自信が持てない。その機微を読み取ったのか少年はさして気にした様子もなく少年は笑った
「ぼくの愛読書にイリアスがある。ここにもいるような大英雄たちの叙事詩だ。他にも多くの物語を知り、そして憧れた。この身で歩めるのはたった一本の道だけ。だから多くの書物が伝説が、そして英雄譚が僕に別の人生を歩ませてくれる。だから僕は自分の道を進むことができる」
懐から取り出したのは一冊の文庫本。ラテン語なのかグレイには読み取れない。しかし彼は端の少しくたびれたその表紙をなでた。
「征服王イスカンダルの旅も又僕の物であり、そして僕の物ではない夢見る旅の一つ」
開き癖のついたページ、一か所ではなく、パらりとめくれば突き当たるようなその旅路が広がる。
「それは僕の経験でなく、けれど僕が夢見た旅だ」
彼はそう言ってじっとこちらへと向き直る。
ああ、その目をよく知っている。
いつもは濃いくまと充血した不摂生ばかりのだというのに時折見せるその目を知っている。
体力なんてない癖に、才能なんてない癖に、歴史なんてない癖に。
何度も怒り、嘆き、倦怠に苛まれてもそれでも歩みを止めなかった不器用なロマンチスト。
良く知っているあの人と同じ目
遠い日を見ているように
遠い人を見ているように
ただ、あの水平線を望む
「だからどうか僕に聞かせてくれないかな。君の師の、僕たちが夢見る先生の旅の話を」
ちょうどドアをノックする音がする。
扉から微かに漂ってくるのは頼んでいたラズベリーのパウンドケーキの匂い。
それは少し長くなる話にはちょうどよい、大きなパウンドケーキだった。