今話においては特定できる形容表現がない場合原則イデア/オルト→にょであ神秘系世界、イデア・シュラウド/オルト・シュラウド→STYX所属世界(舞台世界)のつもりで書いています。※間違えている可能性もあります。見つけたらスルーするか誤字報告機能をご活用ください。
灯火のマカリア
ツイステッドワンダーランドの民にとって、異世界・並行世界からの来訪者は珍しいが決して例のない話ではない。それでも、世界中に目を巡らしても十年で十二、三人ほどしか訪れない彼らが、同じ場所に半年で三人もやって来たのは、ジャミル・バイパーの知る限りでも初めてのことだった。
一人目は、異世界から来た。全く異例なる場所、魔の法の及ばぬところから、その人間は来た。それが、九月の一日のことだった。
二人目は、並行世界からだった。こことよく似た、ナイト・レイブン・カレッジからそのひとは来た。青く流れる長髪の、ジャミルのよく知るものとあまりにも似た焔を棚引かせて
その日は秋の最中に、山中の谷の如く気温の落ち込む日だった。鏡舎からの僅かな間だけのために分厚いコートを引っ張り出して、エース・トラッポラは一階の廊下を走っていた。エースの担任であるデイヴィス・クルーウェルはホームルームの遅刻を錬金術Iの成績と混同するタイプ(勿論わざとだ)の教師だから、そこそこ止まりの彼はどうしても遅刻するわけにはいかない。廊下の様相が常であれば、まさしくその通りだったろう。
けれどその日、エースは封鎖中のはずの鏡の間から声がするのを聞いてしまった。
「──いざ導かん、闇の力を秘めしものを」
それは、エースがほんの二月半前に聞いたのと全く同じ声だった。エース・トラッポラが十年も待ち侘びて、この秋にようやく聞いた声だった。エースは自分に急ブレーキをかける勢いで立ち止まると、叱られるだろうことを承知で鏡の間のある方へ取って返した。
扉を開けた先には、地下の炎が立っていた。青く燃える長髪の彼女*1は、けれどエースの知るイデア・シュラウドとは、エースには言語化のできない部分で決定的に違っていた。
この学園に、今年二度目*2になる他世界からの来訪者が現われた瞬間であった。女の名をイデア・シュラウド。
当然のことながら校内は大混乱になったが、幸いにも二つの世界は双方似通った*3世界間移動の概念のある並行世界であった。彼女が
魔法で空間拡張のされているナイトレイブン・カレッジには珍しく十人も入らない第三会議室、そこに九人*5が集まっていた。七寮の寮長*6、学園長、そして世界間来訪者である監督生とイデア・シュラウド。
それが楕円のテーブルをぐるりと囲んで、邪視を恐れる非魔法士のように深々とフードを引き下ろす娘を、残りの十六の瞳がじっと見据えていた。
「では、
その台詞をディア・クロウリーが言い終える前に当の本人、来訪者のイデアが要望を口にする。
「イグニハイドが良いですイグニハイドでお願いします」
喰い気味にそう言う娘の琥珀金の瞳がほとんど泣きそうに潤んでいるのを見て、レオナ・キングスカラーは揶揄いの言葉を押し込めた。夕焼けの草原は生命賛歌の地だ。命を孕むものは人であれ、獣であれ、神秘のものであれ尊重されねばならない。ほとんど本能的と言ってよいそれを、神々の生きる世界であれば信仰と呼ぶだろう。
この世界の住人たるイデア・シュラウドはタブレット端末の向こう側から、(少なくともデータ上は)性別以外は全く同一に映る娘の訴えを聞いていた。当然の内容であり、寝台に寝転がったままでは余り説得力はないが、自身に容易くできる範囲であれば協力しようとさえ思えた。
「……まあそうなりますよなあ。元の環境に近い方がいいだろうしそれで
その言葉に、ディア・クロウリーは勿体を付けて頷いた。自身の許可を殊更強調するように、いつもの口癖までおまけして。
「では当人の希望通り、イグニハイド預かりということにします。私、優しいので。闇の鏡の調査を行いますから、何か分かったら連絡しますね。本日はここまで、解散!」
娘は宣言を聞くなり、カリム・アル=アジームが宴の誘いを言い出すよりも、ヴィル・シェーンハイトがフードの奥を見せるよう告げるよりも早くに席を立った。レオナ・キングスカラーが揶揄を投げるよりはもちろん早い。アズール・アーシェングロットが机を離れるよりも一瞬早く、音もなしに飛来したタブレット端末が彼女の姿を遮った。
「ほんとにうちでよかったの」
「他にどこに行けと」
「や、まあそうだけども」
「あと異世界だからかな……地に足ついてない感じがするから神殿行きたい……せめて地下……」
地下の彼方の
イデアがここで、全くの部外者であることを、一秒一秒の間に証明するような疎外感。それを、この世界の
「……神殿?ってあの神殿?なんで」
「なんで、って……」
イデア・シュラウドとこの世界のすべてのものにとって、神とは遥かな伝承にのみ名を連なすものだった。この世界に神々が存在するとすれば、それはとうに終わった
「まあいいや、着いたよ……はいこれ、寮生用のタブレット。大体の設定はそれでいけるはず。部屋だけならセキュリティ込みで好きに弄って」
「ん。トンクス」
「……オルトには会ってく?」
恐々とそう言うイデア・シュラウドに、イデアは少し考えた。仮にも神族の端くれたるイデアでさえ大いなる父祖の力を借りてようやく成し遂げたことが、神の名すら失われた世界の男に可能だとイデアには思えなかった。イデアとほとんど同じ色の魂を持つ目の前のイデア・シュラウドが、電子の世界の他に何もいない機体を連れてきたとして、
「……今日はいいや。諸々用意ありがと、って伝えといて」
「うん」
おやすみなさい、と細い声が重なった。
イデア・シュラウドの部屋、もといイグニハイド寮長室に来訪者イデアが入り浸るまでは三日も必要としなかった。さすがに並行世界の同一人物なだけあってとかく趣味が合う上、イデアから見て十全のパソコンがある。そもそもが身分証発行前の碌な予算もない状態で必要物を揃えるとなれば、イデアはその大半をこちらのイデア・シュラウドに頼らざるを得ない*7。180cmを超す長身が二人で寝るには狭い寝台なので眠るときはイデアも割り当ての部屋に戻るが、そうでなければ並行世界の同一存在とはいえ仮にも齢十八の男女が一つ布団で寝るのも辞さないほどの様相だった。
「もう一週間もオルトに会ってない……」
自分のものでない寝台に我が物顔で寝転がり、寮内でのみ閲覧可能なデータベースを漁りながら、イデアは今週(彼女がこちらに来たのが八日前なのでほとんど今週しかないが)四度目の嘆きを声に乗せた。イデアが大病院の精密検査もかくやというほどに受けた検査*8のデータを並べて唸っていたイデア・シュラウドは、自分の寝台を占領する娘の言葉の七割も聞き流しながらも応えを返す。
「じゃあ喚ぶ?君たぶん僕より召喚術上手いよね」
イデア・シュラウドはこの異世界の娘のような、息をするように神秘の技を扱いうる存在ではない。死にゆく弟の魂を、此岸に繋いでのけたのだというこの女のようないきものでは、イデアは残念ながらない。ないのだ。
「いや流石に並行世界まで喚ぶの、は……いやいけるかもしれない」
「ほんと?」
イデアの逡巡に、一瞬の諦観に、考えなしの提案に対する微かなる憎悪に、イデア・シュラウドは気づかないふりをした。イデアに対して何もできないのは本当のことだけれど、ただ単に己の肉体を粗雑に扱う習慣がイデアに向いているだけだということに気が付いている。それを、けれど彼女が指摘することもないだろう。
正しさよりも、弟と二人きりで誰にも邪魔されない場所があることを。健やかさよりも、今度こそオルト・シュラウドに置いて行かれないことを。イデアも選ぶのだろうから。それ以外の何も、イデアたちにとっては必要でないから。
物質的なものを転送すること、情報の次元から似姿を降霊すること。その二つは等しく召喚術と呼ばれるが、イデアが得意とするのは圧倒的に後者だった。契約した魔獣の影を写し取ること、上位存在の意思と能力だけを我が身に引き降ろすこと、遠い
物質的な器と違い、魂は魔道の情報体で、ヒトが知覚しうるものはその影だけだ。今なおイデアに繋がれるその
「うん。
「よしやろう」
「なんか妙に協力的じゃない?」
「いやほら拙者三日で音を上げる自信があるので偉いなと」
「なるほど?待ってねできるだけ細かく図面引くから規格違うパーツに気付いたら言って」
これで本当にオルトの召喚が叶うかなんてイデアにもわからない。神々がイデアの世界と同じように力持って居るのならばまだしも、信仰の一切がとうに薄れたこの世界でイデアの権能による保護がどれほど働くのかは未知数だ。けれどいずれにせよイデアの魔力が途切れればオルトは──肉の殻をもたないオルトの魂は、毎秒重なる傷に耐え切れなくなって、地下の深くで青に還るしかない。
イデア・シュラウドはこの三日間というもの計六時間の仮眠だけで「オルト・シュラウド」の機体を造り続けていた。本当のところは彼の弟のための機体ではないので、是非とも「オルト」の姉に造ってほしいところではあったが、問題の彼女は召喚術式と格闘していた。実際上は初対面である教員や、なんとマレウス・ドラコニアやリリア・ヴァンルージュにまで接触しているというのだから「代わろうか?」などと言えるはずもない。
できあがった機体*9を専用のケースに安置して、その周囲に二人掛かりで召喚陣を大小二つ描く。古い古い、この世界のイデア・シュラウドにとっては古文書でしか見たことがないような言語*10と現代共通語、それからこれは自分ではなく弟に書いてもらうべきなのではないかと思う円環状の二次元コード*11で構成された召喚陣を理解できるものはこの世界にはいないだろう。同一存在であるはずのイデア・シュラウドから見てすら基本設計の時点で訳が分からなかった。こちらの世界では失伝した類のやり口だろうと思う。
ミステリーショップに大急ぎで注文したらしい神話じみた衣装に身を包んで、来訪者は小陣の中心に跪いた。(この世界のイデア・シュラウドからすれば信じがたいことに)魔法石を配置した陣の中央で、娘が両掌を合わせて指を絡ませる。
「
イデアは、
「
願う。祈る。オルトを呼び寄せるよりも保護をかけるよりも、まずは経路を開かねばならない。どこにあるかもどこで乖離したのかも判然としない異世界から、オルトのところまで、
「
ハデス様。陛下。
「許す」
「
イデアが魔力を籠めず呟いたのと同じタイミングで、大きな魔法陣が炎のように揺らめきだした。この場にマレウス・ドラコニアがいれば、実世界ならぬ次元に青の焔で形作られた長い籠状の道が延ばされ、同色の魂がその中を通ってやってくる様が目に映ったことだろう。
魔法陣の中央に立てられたポッドの中で、オルトの魔導回路に魔導エネルギーが通り薄く光り始める瞬間を、ただ一人立ち合いを許されたイデア・シュラウドは確かに見ることができた。光から、彼の知覚では捉えきれないくらいの間を開けて、ファンの鈍い音が始まる。
「《オルト・シュラウド》起動します」