恋愛不適合者達の恋愛事情~恋愛しないと決めたのに、見知らぬ美少女に告白されて望まぬ青春がやって来た~ 作:藤龍
「――起きろよ、火鈴」
その囁くような優しい一言で、夢原火鈴は目を覚ました。
まるでまだ夢の中に居るようなふわふわした感覚に襲われながら、火鈴はゆっくりと瞼を開く。
するとぼやけた視界に、うっすらと人の顔が映り込む。どうやらその顔は、こちらを覗き込んでいるようだ。
一体誰だろう? 火鈴は虚ろな意識に鞭を打ち、どうにか視界をクリアに持ち込む。
だんだんと目の前の人物の輪郭がくっきりしてきて、やがて視覚がその全貌を把握する。
――えっ……れ、零司君……!?
その人物の正体はなんと零司だった。
彼がどうしてここに? なんで私の顔を覗き込んでいるの?
突然の事に火鈴は酷く混乱する。さらに遅れて、至近距離に彼の顔がある事に羞恥心が湧き上がり、顔の温度が上昇する。
何か問い掛けようと口を動かすが、何故か声が出ない。オマケに体も動かない。
自分の体に起こった異常に驚く暇も無く、目の前の零司が次なる行動に移る。彼はゆっくりと、自分の顔をこちらに近付けてきた。
――えっ、ちょっと待って……もしかしてこれって……そういう事!?
彼の行動が意味する事を、火鈴は即座に察知した。
零司は今、自分にキスしようとしている――と。
――ま、待って零司君! まだ心の準備が……! 別に全然いいだけど、こういうのはちゃんと手順を踏んだ上で!
が、その言葉は心の内に留まり声に出ない。その間にも零司の顔は、唇は火鈴に迫りつつあった。
――だ、駄目だよ零司君! まだ、今は駄目ぇー!
そう心の内で叫びながらも、火鈴の唇はそれを受け止めようと無意識に薄く突き出る。
そして零司と火鈴の唇が、一つに重なる――
◆◆◆
「――さっさと起きろー! このバカ姉!!」
その怒鳴り散らすような激しい一言で、夢原火鈴は今度こそ目を覚ました。
まるでさっきまでの事が夢だったような重苦しい感覚に襲われながら、火鈴はゆっくりと瞼を開く。
するとぼやけた視界に、うっすらと人の顔が映り込む。どうやらその顔は、こちらを見下ろしているようだ。
「…………零司君……?」
「誰が零司君よ。あたしはあなたの妹の
だんだんと目の前の人物の輪郭がくっきりしてきて、やがて視覚がその全貌を把握する。
火鈴と同じく茜色の髪をサイドテールに束ねた、呆れと怒りの混ざったような形相の小柄な少女。
彼女が自分の妹、真琴である事を確認した火鈴は、さっきまでの事を全て理解した。
ああ、さっきのは夢だったのか、と。
「そっか……夢か……はぁ……」
がっくりと枕に顔を埋め、火鈴は大きなため息をつく。
そうだよね。あんな都合の良すぎる展開、あるはず無いよね。でも、夢でもいいからキスぐらいしたかったなぁ……
などと考えながら勝手に落ち込む火鈴を、真琴は布団を剥いで強引に起こす。
「ほら起きる起きる! さっさとしないと遅刻するよ! 朝ご飯出来てるからね!」
「はぁーい……」
真琴がテキパキとした動きで部屋を出て行ってしばらくしてから、火鈴はのそのそした動きでベッドから降り、着替えを済ませてから部屋を出る。
洗面所で顔を洗い、眠気を吹き飛ばしてからリビングに向かう。
リビングに入ると即座に美味しそうな匂いが鼻腔を擽った。この匂いは、焼きたてトーストとベーコンのものだと、火鈴のテンションが若干上がる。
「この献立って事は……お母さん達はもう仕事?」
「みたい。あたしが起きたらもう居なかった」
「そっか。えへへ、真琴の焼いたベーコンは何故か美味しいから、嬉しいや」
「はいはいありがとうねー。ほら、さっさと食べる!」
朝食を素早く並べ、自分の席に着く真琴。
相変わらずテキパキしてるなぁ、などと感想を抱きながら火鈴も席に着く。
真琴は火鈴よりも二つ下だが、仕事で忙しい両親に代わり、夢原家の家庭を支えている存在とも言える。
火鈴と違ってしっかり者で、現実主義者。彼女らを知る者達からは「本当に血ぃ繋がってんの?」と、疑いの目を向けられるほど正反対の姉妹。実際見た目が似てなければ、誰も姉妹とは思わないだろう。
「いやあ、改めて真琴には感謝しないとねぇ……これからもよろしく」
「姉としてのプライド無いのか。全く……お姉ちゃんがだらしないのは前からだけど、最近は特に酷くない? なんというか……緩んでる」
「え? そうかなぁ? ……そうかもねぇ」
と、火鈴は左頬に手を当てながら、だらしない笑顔を浮かべる。
それを見て、真琴は今にもうへぇ、と言いそうな歪んだ表情を作る。
「ほらそれ。正直気持ち悪いよ? さっきも寝言呟きながらヘラヘラしてたし……まーた変な事でも考えてんの?」
「変な事じゃないよ! 私は今、素敵な恋に酔いしれてるだけだもん!」
「恋ぃ? ああ、なんかさっき零司君がどうとか言ってたっけ? はぁ……今度は妄想彼氏でも作った? いい加減現実見なよ」
「現実だよ! 零司君は現実に居るの!」
「えっ!? 現実に居るって……もしかしてお姉ちゃん彼氏でも出来たの!?」
と、驚愕の文字を顔面に浮かべる真琴。
「彼氏って訳じゃないけど……その内そうなる予定です!」
「ああ……なんだ。つまり片思いね。ビックリしたー……でもお姉ちゃんも、よーやく現実に目を向けるようになったんだね。よかったよかった」
腕を組みながら、うんうんと頷く真琴。
「何目線なのよ……私一応お姉ちゃんだよ?」
「ごめんごめん。でも今まで散々運命の出会いがー、とか言ってたけど、その人とはどんな出会いだったの? 理想高めのお姉ちゃんが惚れるとは、相当な出会いだったんでしょ?」
「あ、聞きたい? 聞きたい?」
「うっわ、目ぇスッゴイキラキラしてるよこの人……いいよ、好きなだけ語れば」
「うん! あれはそう、二年生に進級した初日――」
それから、火鈴はあの日の零司との出会いを三割程度盛って真琴に語った。
「……なるほど。渡り廊下から落ちたところを助けてもらって、コロッと恋に落ちたと。……思ってたよりあっさりしてるね」
「それでもあれは私にとって運命の出会いだったの! あの時助けてくれた零司君の腕の温もりに……はぁ……今思い出しただけでも、心がキュンってなるよぉ」
「はー、さいですか。ていうか、お姉ちゃんなんで渡り廊下から落ちたりしたの」
「え? それは確か……」
人差し指を顎に当てながら、火鈴はあの日事を思い返す。
「あの時は確か……途方に暮れて、落ち込んで手すりに寄っ掛かってたら……偶然そこが老朽化で壊れやすくなってた……って感じだったかな」
「なんで落ち込んでたの?」
「それは……共学になったし、何か素敵な出会いがあるかなーって期待してたけど、何にも無かったから……」
「相変わらず夢見がちな人だなぁ……それで死にかけたとか、シャレになんないよ?」
「でも! そのお陰で零司君と出会えた訳だし! 結果オーライだよ!」
「能天気……」
呆れたようなため息をつきながら、真琴はトーストにかぶり付く。
「で、その人とはどんな感じなの? 上手く行ってんの? 告白はもうしたの?」
「一応、告白はしたよ。断られちゃったけど。でも、仲良くはしてもらってるかな」
「ふーん……じゃあ、今のところ脈無しと」
真琴の遠慮ない一言がグサリと胸に刺さり、火鈴は「うっ……!」と唸りながら胸を押さえる。
「そ、そこまでハッキリ言わなくても……」
「だって告白断られたんでしょ? じゃあそういう事じゃん」
「そ、そうだけど……それには訳があるの! だから、まだチャンスはあるから! これからいっぱいアピールして、惚れさせてみせるから!」
「熱くなるのはいいけど、さっさと諦めるのも考えた方がいいんじゃない? 頑張って結局駄目でしたー、とか虚しいし、努力が無駄になるでしょ」
「……それでも、私は全力でやるよ」
火鈴の口から出た真剣な声に、真琴は口に運び掛けたトーストを止める。
「私は本気で、零司君の事が好きなんだもん。だから、私は全力で頑張る。例え無駄だったとしても、私はこの恋を最後まで追い掛けたいから」
「……そっか。お姉ちゃんはあたしと違って夢追い人だしね、そう考えるよね。じゃ、頑張りな。あたしも応援してるからさ」
「真琴……うん! 甥っ子姪っ子の顔を見せてあげられるように、お姉ちゃん頑張るよ!」
「先進み過ぎでしょ。全くこのバカ姉は……ところで、その人はどんな人なの?」
コップに注がれた牛乳を喉に流してから、真琴は火鈴に問う。
「零司君? えっとねぇ……まるで王子様のようにカッコイイ人でー、とっても優しくて他人思いな……」
「ああ、そういうテンプレなのいいから。もっと詳細な事を教えてよ。頭は良いのかとか、特技とか、趣味とか、家族構成とか」
「え? ど、どうしてそんな事を?」
「だって、頭の良さとか得意な事で将来どうとか変わってくるもんでしょ? 仮にお姉ちゃんとその人が結婚したら、あたし達の家族になるんだから。将来が不安な人が義理の兄になるとか、あたし嫌だし」
――あ、相変わらず現実的というかなんというか……しっかりしてるなぁ、真琴は。でも、零司君の特技とか、家族構成かぁ……あれ?
「…………」
「どしたのお姉ちゃん」
真琴は不思議そうに首を傾げ、視線を斜め上に固定し、静止する火鈴に声を掛ける。
「私……よく考えてみたら、零司君のそういうの知らないかも」
「はぁ? 好きな相手なのに?」
「う、うん……まだ会って半月ぐらいだし……そういう会話、あんまりしてこなかったかも」
火鈴は慌てて過去の記憶を辿ってみたが、そこには彼に関する詳しい情報の類がほぼ存在していなかった。せいぜい彼の恋愛恐怖症になった原因や、世話焼きだという事ぐらいしか知らない。
「お姉ちゃんさ……今までその相手と、どんな話してたの?」
「ど、どんなって……今日は良い天気だねーとか、お昼美味しかったねー……とか?」
「…………はぁ」
真琴からの深いため息という返事に、火鈴は苦笑いを浮かべる。
「お姉ちゃんの事だしどーせ、好きな人と一緒に居るだけで幸せー! みたいにテンション上がって、勝手に妄想して盛り上がってるだけなんでしょ?」
「そ、そんな事……ない、よね?」
「疑問形で返されても困るよあたし」
「う、ううん! そんな事無いよ! 私もその……好きになってもらう為に色々やってるよ! たまに頑張って早起きして、お弁当作ってあげたり!」
「それは良いけど、大事なのはそれよりもまず相手を理解する事でしょ? それなのに好きになってもらう為に頑張る! とか、順序が逆でしょ。そのお弁当作るのだって、相手の好物とか知ってた方が効率的じゃん。知る事知ってから行動起こしなよ。そんなんだから駄目なんだよお姉ちゃん」
真琴の厳しめな言葉に、火鈴は肩を竦める。
「ちょっと言い過ぎじゃない……?」
「別にお姉ちゃんをイジメてる訳じゃないよ? これがあたしなりのアドバイス。好きだとかアピールしたり、幸せな未来想像する前に、まずは相手の事を知れって事! 分かる?」
「……分かる」
確かに、真琴の言う通りだ。自分は零司の事をほとんど知らない。それなのに好きだとか、おこがましい。
――そうだ……もっと知らなきゃだよね、零司君の事を。初めて好きなった人だもん。恋人になるには、そういう一歩も大事な段階なんだ。
「うん……そうだね。私、零司君の事もっと知らなきゃ。ただ好きになってもらうだけじゃ、駄目だよね」
「そうそう。ただ夢見るだけじゃ駄目だよ」
「だよね……なら、こうしちゃいられない!」
そう言うと、火鈴は突然猛スピードで朝食を平らげ、慌てて席を立つ。
「ど、どうしたの急に?」
「少しでも早く学校行って、零司君とお話する! そして零司君の事、いっぱい知る!」
「そ、そんないきなり……焦る必要ないんじゃない?」
「そうかもしれないけど、なんかジッとしてられないんだよ! 今、零司君の事知りたくてたまらない! だから行動する!」
「何それ……本当、思ったら即行動な人だね」
「それが私だもん! それじゃあ先に出るね! 戸締りよろしく!」
駆け足でリビングを出る火鈴。遅れて聞こえた「気を付けてねー」という声を背に、火鈴は家を飛び出す。
早く零司に会いたい。色んな事を聞きたい。彼の事をもっと知りたい。その気持ちを抱えながら、火鈴は学校までの道をノンストップで突き進む。
しばらくして校門前に辿り着く。すると少し離れた正面に、他の生徒に紛れた見覚えのある後ろ姿を見つけた。
「居た……! おーい! 零司くーん!」
手を振りながら大声で呼び掛けると、その人物――月村零司がゆっくりとこちらを向いた。
火鈴はそのいつもと変わらない彼の顔に、大好きな人の姿に胸を熱くしながら、ダッシュで駆け寄る。
「火鈴……大声で呼ぶなって言ってるだろ? 目立つんだから」
「えへへ、ごめんね。私、零司君と早くお話したくて!」
「話? 一体なんの話だよ」
「えっとね、色々! 零司君の事、色々聞きたい!」
「俺の事? また急だな……」
困惑の色を浮かべながら、零司は首を傾げる。
「うん! 私、零司君の事を、好きな人の事をもっと知りたいから! だからいっぱい聞かせてほしいんだ、零司君の事! 駄目、かな?」
「何だよそれ……まあ、別に良いけどさ」
頬を掻きながら、零司は照れ臭そうに言った。
「本当!? ありがとう!」
「全く……で、何聞きたいんだよ」
そう投げ掛けながら歩き出す零司。火鈴はそれを追い掛ける。
「じゃあ、好きな食べ物は?」
「好きな食べ物か……卵料理かな」
「へぇー、そうなんだぁ。じゃあ、今度作ってくるね! えっと次は……零司君って、勉強は得意な方?」
「勉強は……正直苦手だな」
「あ、私も苦手なんだー。今度一緒に勉強会でもする?」
横並びで歩きながら、そんな会話を交える火鈴と零司。
初めて知る事ばかりだ。こうして好きな相手の事を知るのは、なんだか嬉しい。
これから少しずつで良いから、彼の事をもっと知っていきたい。そしてもっと彼の魅力を知って、もっともっと好きになりたい。
「それじゃあ、次はねぇ――」
その為に私は頑張る。彼に好きになってもらう為に。いつか……立派な恋人になる為に!