フォウ君がカルデアを散歩するだけ

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カルデア散歩道

 新設されたノウムカルデアの廊下に響くのは小さな足音だった。

 

漂白された地球、編纂事象の唯一の砦、残された人類。その基地の中を闊歩するのは兎とも猫ともはたまた犬ともいえない小さな命、フォウと名付けられた一匹の無垢なる獣だった。

いつもどこからともなく現れ、そしてどこへとも消えていくその小さな獣、新しい塒の中でどうやら今日はいつもの少年を探しているらしかった。

辺りを嗅ぎ分ける様に廊下の中央で鼻を上向けすんすんと小さく鳴く。無軌道にも見えるその足跡、肉球が床に触れる小さな足音とどこからともなく聞こえてくる何かの機械音が耳には入ってくる。新設されたノウムカルデア、時折自分の縄張りであることを確かめるように、いいやその小さな獣にとっては一種の結界なのかもしれないが、時折自分の匂いをつける様に廊下に体をこすり付けていく。

 前のカルデアと比較すればその広さはまだ三分の一にも到達してはいない。元来南極に建てられてたカルデアも建築に数年の歳月をかけていたのだ。彷徨海であっても数か月程度ですべてを複製することは叶わなかったらしい。恒常的な電量供給や施設の調整などこれまでは残った百人弱のスタッフで賄っていた。しかし、旧カルデア襲撃にて残ったのは十人弱、シオンやキャプテンといった新たなメンバーも奮闘してくれてはいるもののやはり時間がかかるのはどうしようもない。遅々としてではあるものの確実に今現在も伸展していく新しきカルデア、それが新たな居場所。

そんなカルデアの新しい匂いの中に嗅ぎ分けたのは嗅ぎ慣れた少女の匂いだった。

「フォーウ」

「フォウさん、こんにちは」

薄紫色の髪をした少女はどうやら丁度指令室へと向かうところであったらしい。近づいて行けばその意をくみ取ったように獣の小さな体を抱きかかえて再び歩き出した。デザインベイビーであった少女、定命の少女、未来を守ろうとした未来のない少女。しかしそれも今となっては昔の話だった。第四の獣からただの小さな獣へと変わったその小さな犠牲によって未来を得た少女。そのことをその小さな獣が覚えているのかは分からない。しかしそれでも羽箒のような柔らかな尻尾は優しく、そして穏やかに揺れていた。

ついでに言うならば背中に当たる感触からすればサイズは一つ上の文字となったらしい。成長とは善哉善哉。

「つきましたよ」

少女のその声に意識を戻すと、そこにはカルデアの中心部、指令室が広がっていた。オペレーターとそして端を駆けるキャプテンという少年と同じ顔をした分身たち、中央の大きなモニターには何やら小難しいグラフや図が映し出されていた。

「おはよう、マシュ。昨日は眠れたかい」

「おはようございます、ダヴィンチちゃん」

そこにいたのはカルデアの技術顧問であるダヴィンチの姿があった。幼い子供の姿となったダヴィンチではあるものの元の姿と比較してもその能力に遜色はないものの指令室に踏み台が置かれたのは小さな変化でもあった。

「マシュの声がするなぁ」

「シオンさん」

その声の主はすぐに見つかった。指令室の端、モニターにつながる配線をいじっていたらしいシオンの足元が見えたのだ。

「使って悪いんだけどコーヒー淹れてくれないか、今手が離せなくて」

「構いませんよ」

そう言って部屋の端へと歩いて行った。

「やっぱり素材が足りないか」

「うん、そうだね。彷徨海でも仕入れられない素材、いうなればこの世にはナイ素材だからね。シンのときの毒みたいなものさ。異聞帯も分かたれた人類史である以上、合成が不可能なわけではないんだけどね、やっぱり分かたれた分だけの年月が違う。その時間を複製すればできるだろうけど今はその時間がナイ」

「やっぱり第四の異聞帯に行くことは確定事項だろうね」

「情報も足りなさすぎるし、準備をし過ぎるということも無いだろうさ」

二人の話を小さな獣が理解しているのか、していないのか、少なくとも指令の椅子に座ったダヴィンチの膝の上で撫でられている様子から察すれば言葉にする必要も無いのだろう。

「まぁ、フォウも今はリラックスしているってことは近々の危機は無いって事なんじゃないかな」

「能天気とは言わないけどね、そのアグレッシブさがあったから君たちは生き残って来れた、そうだろうね」

笑いかけるダヴィンチにシオンは快活に笑う。

その言葉に近くにいた職員たちも小さく笑った。

「そういえばダヴィンチちゃん、今日は先輩の姿をまだ見ていないのですが」

「藤丸君ならならつい十五分ほど前に技術部へ出かけて行ったけど。どうやらすれ違ったみたいだね。何か要件でもあったのかい」

「いいえ、私ではなく」

その言葉に小さな獣はダヴィンチの膝からするりと抜け降りるとそのまま扉の方へと駆けて行った。

「なるほど、今日はフォウが藤丸君を探している訳ね」

「どうやらそのようですね」

「マシュはこれからオルテナウスの調整だったね。それじゃいこうか」

「はい」

「それじゃ後は頼んでもいいかな」

「問題ないとも」

そして二人も又小さな獣の後を追うように扉を出て行った。

 

 

 

 漂ってきたのはまだ新しい機械油の匂いだった。

洞窟を改造したようなその技術部にはあちらこちらからドリルの回る様な音と、何かを削る様な削岩音と何かの待機音のようなうーんという低い機械の音が聞こえた。あちらこちらに置かれた計器や機械に一瞬ここが魔術師の工房であることをさすれてしまいそうにもなる。その中で少しだけ香る塩の香りとそして辿るのはあの少年の匂い。そしてたどり着いたのは大型の装甲車、カルデアの生き残りを救ったシャドウボーダーだった。

「お、フォウじゃん。こんなところで何してんだ」

白い影に気が付いたのは車両の下から出てきたのは車両担当となったムニエルだった。

元々はコフィン担当であった彼も、この緊急時でシャドウボーダーのドライバーともなっていた。今もどうやら前回の異聞帯でのシャドウボーダーの修復も自らの手で行っていたらしい。既に三つの異聞帯を超えた今、その車体には多くのや凹みも見られる。ここ一年という短い期間であっても既に歴戦の雄のような貫禄も漂っていた。溶接のアーク光を遮る遮光面を抱えながら出てきたムニエルの手には大きな川の手袋がはめられており、顔のあちこちにも黒ずみが残っていた。

「あーマシュでも探してるのか。ちがう、じゃあ藤丸か」

「フォウ」

「やっぱりそうか。確かにちょっと前にここに来たけど。そのままシミュレーションに行っちまったからな。今日はロードエルメロイの魔術基礎の講義だったはずだけど十時からだって言ってたから、もう始めちまったと思うが、どうする」

時計を確認すれば既に時刻は十時半、講義は始まっている頃合いだろう。ロードエルメロイの講義ならば素人である藤丸にも一定の魔術礼装の使い方など有用にもなるだろう。しかし、如何せん小さな獣にとっては退屈この上ないものでもあった。

「お前もやっぱり座学は苦手か。俺も一緒だ。こうやって実物いじってた方が楽しいしな」

笑うムニエルに答える様に小さな獣も鳴いた。

「ジャーキーでもあればよかったんだが。元よりこれじゃ何か上げるのも汚れるな。」

体から匂うのは油の匂い、皮手袋の下も機械の油で黒く汚れていた。まだ修理は半ば、洗うには些か早い。

「あと一時間ちょっとくらいかかるな。それじゃ終わったら早めの昼飯にするか。フォウ、お前も待ってるか?」

「フォウ」

「ヨシそれじゃ、ちょっと待ってろ」

そう言ってまたムニエルは面をかぶりボーダーの下へと潜り込んでいく。小さな獣はその姿を見送ると軽い足取りでシャドウボーダーへと乗り込んでいく。半年近く、生き残った十人を運んだ船。虚数の海に沈み、そして異聞帯を駆け抜けたその船。拠点の無かった彼らにとって唯一の安息地となった舟。

人はストレスを感じれば特定の匂いを出す。苦い様な酸っぱい様な渋い様な嫌な臭い。それが閉鎖空間と為ればその発生は避けることは出来ない。まして自分たち以外の人間が死滅しすべての文明が漂白されたこの世界で唯一生き残った十人、いつ存在が消滅してもおかしくない虚数の海。もちろんその匂いがした。その不快な空気は漂ってはいた。

しかし、それでも、それでもあきらめなかった者たちがいた。一度救った歴史が否定されようともすべての大地が白く染められようとも、大切な仲間を失ったとしても、傷を負いながらも立ち上がった者たちがいた。かつて厄災の獣と旅をして、それでもなお、その獣に打ち勝った、者たちがいる。比較するためでなく、ただ、自分たちの信念と願いと唯一のために立ち上がった者たちがいる。

 そのためにすべてを捧げた獣がいる。

ならばただの小さな獣はただの小さな獣としてここにあるのだろう。

せわしなく動き回る彼らの様子を見ながら小さく尻尾を揺らしていた。

 

 

 

 ムニエルと共に赴いた食堂には既に小さな列が出来ていた。羽の付いていないターバンが無数に並び、そして時折英霊や職員たちの姿も混じって見える。

「アジフライのA定食か、竜田揚げのB定食か、悩みどころだな。あっ、まぁいいか」

券売機の前でもたつくムニエルの代わりに小さな前足で精進定食を押してやった。厨房には宝蔵院胤舜が入っていた。最近の高年齢サーヴァントたちに人気らしい。

「めずらしいし、最近ちょっと太って来たからなぁ」

「確かに君はもう少し炭水化物を控えた方がいいかもしれないな」

カレーをよそうエミヤにそう注意されながらもムニエルは自分の腹の肉をつまんだ。

「むぅ、獣枠は既にキャットで埋まっていのではあるが、そうなれば逆にマスコット的になってご主人の一等賞は絵に描いた餅案件なのでは。元より獣耳、小動物系、人類の敵なんて属性もりもりのマスコットも厳しいとなればキャットも又そんなヒロインは厳しいかもしれないのかなと自分を顧みては満月に吠える十三日の金曜の夜なのだが、それでも給仕はちゃんとするぞ、ほい生ツナのカリカリ」

「フォウフォーウ」

「何やってんだお前ら」

横から小皿を持って来たキャットに謎の対抗心と共に友愛を感じながら定食たちを手に取り席へと向かう。少し混み始めていた食堂、声を掛けられたのは丁度席を探し始めたそんな時だった。

「おう、ムニエル、今日はフォウも来たのか」

「そちらさんはそば食ってんのか、ギリシャの大英雄がそばってどうなの」

声をかけてきたのはアキレウスだった。そして目の前に置かれたのが海老天そばだった。

「いいじゃねぇか、それにここにきて初めて食べるものだしな。美味ければ普通に食べるさ」

「まぁそう言うものか」

「そういえばさっきまでシャドウボーダーの整備してたんだっけか」

「そうだけど」

「俺もライダーの端くれだから聞くんだがな、あれは戦車なのか、装甲車なのか」

「一応虚数潜航艇だから船、いいや装甲車、微妙だなぁ」

「戦車なら一応ものとしてライダーの範囲にもなるからな、どこかしらの英霊なりの宝具を纏わせて戦力を強化してみてもいいんじゃねぇかと思ってな」

「なるほど、ボーダー自体を宝具として見るわけか」

「ほかに存在するはずのない虚数の海とは言えさすがに砲塔の一つもついてなきゃ危険もあるだろう。ほら、この前何か見たかもしれないとかマシュの嬢ちゃんも言っていたろう」

「いいアイデアかもしれないが無機物を英霊化してその宝具か、まだ机上の空論ではあるがあとでちょっと手伝ってもらっていいか」

「構わないさ」

小さな獣はそんな小さな議論を聞き流しながら食事へとかぶりついた。咀嚼しながら食堂の中を見渡せばだんだんと人が増えてきた様子が見える。見慣れた昔のカルデアとは違ったしかし、昔と同じ匂いのする食堂。多くの食べ物と仲間たちと時に議論する声や時に悲嘆にくれる声、時に歓談する声も聞こえたあの食堂と何も変わらない。そんな匂いがした。

「そういえば藤丸は食堂に来てないのか」

「マスターか。そういえばエルメロイに連れられて俺たちのシミュレーションに来てたが、今どこにいるか分からないな、ホームズに聞いてみるのはどうだ」

「世界一の探偵を人探しに使うって言うのもっていうのもなかなかに贅沢な話ではあるけどね。探される一般市民って言うのもそれはそれですごいけどな」

「マスターも世界を救った勇者なんだぜ、それくらいの気概を持っててもいいんだがな」

「あいつはあいつであのままでもいいんだろうけどな、難しいところだ」

盛られたカリカリをすべて食べきると尻尾でムニエルの顔を軽く叩いた。

「お、もう行くのか、藤丸によろしくな」

時刻はいつの間にか十二時半を回っていた。

人ごみを避けるようにするりと食堂を抜け出していった。

 

 

 

ホームズの居室のあるのはダヴィンチの工房にもほど近い一室だった。

空いた扉の隙間からその身を押し込む多くの本たちの中に埋もれる様に揺り椅子に座ったホームズの姿を見つけた。本の谷底に埋没するように椅子に腰かけ手を合わせて目を閉じている。その姿は祈っているようにもそして眠っているようにも見えた。

「そろそろ来る頃だとは思っていたよ」

「フォウ」

そのままの姿勢で紡がれた言葉に一瞬びくりと驚く。しかし、元より英霊は死者の影法師、なれば睡眠など必要はない。ホームズのその言葉に小さな獣は少し佇まいをただしたようにも見えた。

「気にすることは無いさ、大体の予想、いいやこんなものは予想するよりもずっと簡単なことだ」

ホームズはそう言ってフォウの頭を撫でた。

「君の求めるものはまだもう少し先にある。何ほんの少し先というだけだ」

目ヤニを取りそして少しだけ荒れた毛並みを梳かしていく。

「そうだな、いつぞやの彼の真似をするならば『待て、しかして希望せよ』というところだろか」

名探偵はそう言うと目を閉じ再び石のように静止していく。

それが彼にとっての休息なのか、推理なのか、それとも別の何かは分からない。

けれど、少なくとも一つのヒントは得た。

小さな獣はゆっくりと、音を立てぬように部屋を出て行った。

 

 

 

 昼下がりのカルデアはそれまでよりもずっと騒がしい。多くの英霊たちや職員、そして魔術師たちが再び動き出す。ある者は壁を補修し、ある者は作戦計画を立て、さらにある者は力を緩ませに会いために鍛錬に励む。一つの目標というわけではなくただ、生きるために励む、それだけのために汗を流す。そんな人間の生きざまを見る。苦悩し、懊悩し、煩悶しそしてそれでも生きる。そんな彼らの姿。その姿に合えて名をつけることなど必要なく意味などなく、そして形容する言葉を持たない。

しかし

「あと少しなのだ、あと少しでっ、ぬぅ、腹が腹がつっかえているのか、昼にうどんを食べ過ぎたせいか、しかし、あの出汁の秘密は何としても会得せねばならんのだ、カツオと昆布の一番出しなのは間違いないのだがあの深みの中のさわやかさが分からない、違う、今はここから抜け出ることが先決なのだ」

「フォウ」

倉庫の端で見つけたのは大きな尻だった。どうにも壁の隙間に手を伸ばし、そのまま詰まってしまったらしい。

「おう、そこにいる誰かいるのか、どうにか引き上げて」

「フォウ」

沈黙が続く、男も小さな獣の正体に気が付いたのだろう。少し考えたように言葉を待った。

「背に腹は代えられん、そこの小動物。どうにか出来んか」

少し泣いているような彼の嘆願にしかたなく脹脛へとかみついた。

「いったぁいっ」

揉んどりを打つ男、しかし拍子にどうやら腹も抜けたらしい。穴から出てきたのは顔を真っ赤にしたゴルドルフ新所長だった。数十分程度はまっていたらしく、血がのぼっている。師小さく荒い呼吸が静まって来た頃だろう、ようやく彼は傍らにいた小さい獣へと話しかけた。

「あーっ、おほん。九死に一生得た、このことに関しては礼を言おう。いかに小動物とは言え我がカルデアの一員であることは変わりなく、このゴルドルフ・ムジークの窮地を脱する一助となったことに感謝しよう。しかし同時に私は君たちの所長でもある。つまりいうなればその職員の仕事の範疇には私の危機を助けるとともにその危機を秘匿する義務も生じるわけで、えーっと、つまり」

ゴルドルフはあたりに誰もいないことを確認して耳打ちしてきた。

「このことは黙っといてね」

「フォーウー」

「なによその目は、従いなさいよっ、私は所長だぞっ、まったく本当に獣畜生め」

「フォーウ」

「まって、分かった分かったから」

意味深に立ち去ろうとした小さな獣を捕まえる。そして手にしたのは小さな肉の塊だった。

「まだ職員どもに振る舞えるほどのものでは無いのだがな。試行錯誤の段階なのだ。ハーブもスパイスもチップも足りないのでな。いくつも代用品で済ませてはいるもののそれなりの味には成って来たからな、それなりの味は保障しよう」

それは大きなベーコンの塊だった。小さな鶏ほどはある肉の塊、ゴルドルフはその固まりを手早く切り取ると小さな獣の前に差し出した。ゆっくりと小さな獣は食べ始める。同時にその尻尾が大きく振れるのがその品評だろう。

「そうか、美味いか」

ゴルドルフはその反応に大きく頷いた。

「この下に秘密の燻製室を拵えてな。そこから取り出してきたものなのだ。しかし、実験と試食をしていたら少しばかり太ってしまったらしい」

彼も自分の分を切り出して口に入れると、ゆっくりと味を確かめるように噛みしめている。

「肉や魚はあるが、それだけでも飽きるからな。食事には多様性がなくてはならん。今もキッチンでは一応普通の食事は出せてはいるもののあれもいうなれば代用品でごまかしているにすぎん。カツオだって昆布だって、豆板醤だって化学合成のものだ。似てはいるものの本物ではない。だからせめて私が本物の料理というものを作ってやらねばならんのだ」

「フォーウフォーウ」

「賛同してくれるか、小動物よ、しかし」

ゴルドルフは少し怯えたように耳添えしてきた。

「これも実は食堂からちょろまかしてきたものだからもうお前も共犯者だからな、運命共同体だ」

「フォーウ」

「もう食べたからな、言い逃れは出来んぞ、獣どもの浅知恵め」

「フォーウ、フォウフォウフォーウ」

「何を言っても聞こえませーん」

子供のように耳を塞ぎ始めた彼から残ったベーコンを奪い去るとそのまま走り去っていく。

「あっ、待ちなさいっ、味の品評とか試験とかまだしていないんだからっ」

運動不足がたたったのか途中でこけた新所長を後に廊下を走っていく。丁度五時の鐘が鳴り響く。それはつまり唯一のマスター―である少年の終業の時間でもあった。

 

「おかえり、フォウ」

自動ドアの先にいたのはただの少年だった。

何のとりえもない、何の特別でもない、ただの一般人ともいえる少年。

「なぜに、ベーコンを加えてんの」

けれど、誰にもできることをやって、そして誰にもできないことをやってのけた少年。

「なるほど、ゴッフ所長の趣味って訳か、燻製とはいい趣味だ。今度教えてもらおうか」

世界を救い、そして世界を滅ぼす誰でもない一人の少年。

「なるほどムニエルさんのところにも行ったわけか、機械の油が付いてる、あとでお風呂に入ろうか」

多くの困難が待ち受けていても折れることの無い無垢なる少年

「なるほど、それでフォウは今日も楽しかったわけか」

そう言って少年は笑った。

「それなら上々だ」

何でもないある春の日の事だった

 

「先輩、お疲れ様です、って、どうしたんですか、そのベーコン」

 




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