魔神族が誇る精鋭、〈十戒〉。
リオネス王国所属の騎士団〈七つの大罪〉、および王国聖騎士。旅の芸人、異国の剣士、若き新王、巨人の戦士──。
ブリタニアでも屈指の猛者である彼らは今、かつてない異常と対面していた。
〈十戒〉との戦闘で敗北し、死の直前だった少女が何事もなかったかのように立ち上がり、戦闘前と何ら変わらない状態で再び〈十戒〉と相対しているのだ。
本人は涼しい顔で〈十戒〉を見遣り、なにかを確かめるように体の各部位を動かしているが、その異質さに皆言葉を失っている。
中でも特に衝撃が大きいのは、ブリタニア一の魔術士マーリンだ。この場の誰よりも魔術に長け、永きに渡り研究してきた彼女にとって、この状況は青天の霹靂だった。
瀕死の状態から一瞬で復活したのは百歩譲ってよしとしよう。問題は、フロランスの内包している
通常、魔力を二種類以上持つことは不可能──魔神王の代理として魔力を借り受けたゼルドリスなどの例外もいるが──と言ってもいい。
魔力とは己の思想や体験から発現するものであり、他人の魔力を宿すということは即ち、他人の魂を受け入れることと同義なのだ。
一つ例をあげよう。
〈十戒〉のフラウドリンに取り憑かれた聖騎士、ドレファス。彼の精神の強さはフラウドリンの操心の術をも意に介さないほどに頑強で、何者にも屈せぬ鋼の魂だ。
しかしそんなドレファスでも、一度フラウドリンの支配下に置かれてしまえば抗うのは難しい。時たま支配を振り切り表に出ることこそあったものの、肉体の制御権を取り返すには至らなかった。
自分以外の精神を──魂を受け入れるとは、それだけの危険性を孕んでいるのだ。
しかし今のフロランスには、多種多様な魔力が潜んでいる。その数は10や20は下らないだろう。人間、妖精、巨人、あるいは魔神。ありとあらゆる魔力がごちゃ混ぜになっているそれに、言いようのない気味の悪さを感じた。
先のグロキシニア戦で語った彼女の魔力による影響か、とマーリンが限られた情報から正体を推測していると、フロランスが動き出す。
「……動き、にくい……これが戒禁の力……」
整った眉をしかめながら、錆びついたロボットのような緩慢な動きで一歩踏み出す。普通ならば動くことさえできないはずだが、フロランスは──
「──大したことはないですね」
と、つまらなさそうに言い捨てた。
そこで、今までほとんど感情を露わにしなかったエスタロッサが、初めて瞠目した。
「俺の戒禁が……
エスタロッサの言葉に、〈十戒〉とマーリンの顔が驚愕に染まる。
戒禁の力を破る。それは聞くものが聞けば馬鹿馬鹿しいと一蹴するほどにあり得ないことだ。
戒禁とは魔神の王より齎されし呪詛。それを破ることはどれほどの力をもった魔術士でも──たとえマーリンであろうとも──解呪することは叶わない。
戒禁を無力化できるのは、それこそ生みの親である魔神王か同じ戒禁、もしくは最高神の加護やゼルドリスが魔神王より貸し与えられた魔力のみだ。
どのような手段を用いて解呪したのか──いち早くその結論にたどり着けたのは、グロキシニアとマーリンだった。
『何故……と言われても、見て覚えた、としか言いようがありません』
「まさか──!?」
「『魔神王』の魔力。貸し与えられた劣化品であろうとも、戒禁を破るのに苦労はしませんね」
淡々と告げられる事実に、ゼルドリスは眉間に皺をよせ、凝然としてフロランスを見る。そして静かに腰を落とし、柄に手をかけた。
ゼルドリスは、今のフロランスが今まで見たきてフロランスとは明らかに
それは200年以上、誰よりも近くにいた弟であるゼルドリスだからこそ理解できた。
いつのまにか、この場の誰にも悟らせず、静かに。そうしてフロランスになりかわった『何者』かに対して、ゼルドリスは触れてはいけないなにかを見た。
一層険しく皺を寄せて、目の前の『なにか』を睨む。
そんなゼルドリスを一瞥し、フロランスは虚空に手をかざした。
「いくら私と言えど、あなた達を一人で相手にするのは難しい。だから少しだけ、そこで静かにしていてくださいね」
フレデリカが指を鳴らす。すると薄紫の立方体──"
同時にフロランスの目の前の空間に亀裂が走り、そこからなにかが姿を見せる。
──それは、剣の柄だった。
片手剣にしては少しばかり大きく、しかし両手剣というには僅かに小さい。
全体に流れている紅いラインは、まるで早く抜け、と言わんばかりに明滅していた。
それに応えるように、フロランスは一息に引き抜いた。
そうして全貌を表したそれは、剣──と呼ぶには憚られるモノだった。
なぜならそれには、
しかしそれを見た〈十戒〉は、ことごとく目を細めた。ただの欠陥品ではないことを、即座に見抜いたのだ。
この世に二つとない、使用者の魔力を十全に引き出すことができる武器──神器であることを。
「神器、解放」
フロランス以外には到底扱うことのできない剣。
銘を──天剣アラギ。
「『魔神王』」
その特性は、『
込める魔力に応じて刀身を形成するという、神器の中でも特異な特性を持つ。
未知の一手にゼルドリスは警戒を高める。
明らかに雰囲気が変わった今のフロランスを前にして仲間たちを救出する余裕はないと判断し、全神経を目の前に向けた。
〈十戒〉の中に、魔神王の魔力を持つゼルドリス以外に"
つまり、完全な一対一。
いつのまにか不利な状況へ持ち込まれたことに、ゼルドリスは内心で舌を打つ。
対照的に、フロランスは余裕のある微笑みを浮かべていた。己の優位を確信している顔だ。……が、ゼルドリスにはどこか焦っているように見えた。
(『奴』の言葉を信じるならば……父上より貸し与えられた魔力を、『奴』はオレと同じように行使できる……つまり魔力に対する優位は失われたも同然。厄介だな……)
それに、とゼルドリスはフロランスの神器──正確には、魔力により形成された刀身を見る。
(……あれは、まさか魔神王の魔力を形にしているのか? だとすれば、それがあの神器の特性というわけか……)
思考を巡らせながらも、決して気は逸らさない。
魔力攻撃は互いに無効。ならば必然的に武力と剣技のぶつかり合いとなるが、ゼルドリスは先ほどの焼き増しになるとは到底思えなかった。
ゼルドリスの知らない魔術による自己強化や幻覚をも行使できるとなれば、慎重にならざるを得ない。
元々、先の勝利はフロランスが弟を殺すということを躊躇い全力を出しきれていなかった故に取れたもの。
だが今のフロランスには油断もなく、また躊躇もない。
かつてない強敵を前にして、ゼルドリスが取った行動は極めてシンプルだった。
「やはり、そう来ますよね」
──全力で、仕留める。
実の姉だろうが、邪魔をするならば容赦はしない。
音も無く、互いの剣がぶつかり合う。
あまりにも静かな衝突だったが、フロランスの立っている場所が凹んだ。それだけの威力を秘めた一撃だった。
ゼルドリスの怒りと憎悪がこもった剣撃を正面から防ぎ、弾き返す。
大きく後退したゼルドリスへ、フロランスが肉薄する。即座に態勢を整えたゼルドリスは、剣が肉体に到達するより早く飛び上がり、袈裟懸けの一振りを回避した。
同時に切っ先を下に向け、闇の翼で空気を叩いて加速。心臓を狙って、渾身の力で突き出す。
しかしそこにフロランスの姿はなく、切っ先は虚しく地面を抉るだけだった。
驚愕のまま、
──"
この魔術は、あくまでも移動手段に過ぎない。どこでも自在に移動できるだけの、便利な魔術。
だが、攻勢に転化したとき、"
文字通り『瞬間』で行われる移動は、その気になれば頭上でも背後でも、正面であろうとも気取られることなく移動することができる。
速度を超越した、線と線ではなく、点と点を繋ぐ魔術。
たとえ発動するとわかっていても、どこに現れるかわからない以上、対処するのは難しい。
(マーリンとメリオダスは既に退避済み……他の〈十戒〉も"
ゼルドリスと剣を交えながら、冷静に現状を確認する。
同時に、自身の限界が近いことを察する。ぶっつけ本番にしてはいい線をいったのではないかと自賛していると、突如ゼルドリスの剣速が増した。
「考え事とは余裕だな……!」
「これでも必死です、よ!」
心外だとばかりに声を上げつつ、小さく剣を弾く。
膠着しつつある。持久戦に持ち込むのは良策とは言えない。
だからこそ、この状況を好転させる一手を、フロランスは打った。一層強く振り下ろされたゼルドリスの剣に己の剣を合わせ、
「"
跳ね返す。
ゼルドリスの放った斬撃は爆発のような衝撃へ転化され、数倍の威力となって襲い掛かる。
メリオダスの扱う"
魔力の伴わないその一撃は、ゼルドリスにダメージを与えるには充分だった。
「くっ……! 貴様、エスタロッサの魔力まで……!」
鋭い目つきでフロランスを睨むゼルドリスだが、その気勢とは裏腹にボロボロだった。
度重なる剣戟による疲労と傷、そしてそこに叩き込まれた"
満身創痍とまではいかないものの、このまま戦闘を続ければ負けるのは間違いなくゼルドリスだろう──が、フロランスもまた倒れる寸前だった。
「はぁっ……はぁっ……」
苦しげに息をしながら、膝をつくゼルドリスを見下ろすフロランス。
加えて、常に魔神王の魔力を刀身の形に維持することも容易ではなく、いつ魔力が解除されてもおかしくない。
一刻の猶予もない。
この場における最善手はいち早く逃走することだが──
「そろそろ限界みたいだなあ、フロランス?」
「くっ……!」
背後から聞こえた声に反射的に振り向いたのと同時、視界の端で拳を振りかぶるエスタロッサの姿を捉える。
咄嗟に挟み込んだ腕をエスタロッサの拳が捉え、軋みをあげた。万全の状態ならともかく、今のフロランスに抗う術はなかった。ボールのようにバウンドしながら、軽々と吹き飛ぶ。
ゼルドリスとの戦闘に集中するあまり、"
ゼルドリスを除く〈十戒〉の消耗は無いに等しく、あと一歩のところまで追い詰めたゼルドリスさえも闇を総動員させて傷を治している。このままでは完全回復まで数秒といったところか。
そうなれば本格的に勝ち目がなくなる。
既に魔神王の魔力はフロランスから失われてしまった。その華奢な体を守る盾は、存在しない。
だがフロランスは決して生存を諦めない。絶対に
逃走する隙が無いのならば、隙を作ればいい。
背中に闇の大翼を生成し、飛翔する。
(一か八か……!)
上段に構えた神器に闇の魔力を通す。
限界を超えて注がれる魔力により、夜闇すら呑み込む漆黒の刀身からどろりと闇が溢れる。
直撃すれば〈十戒〉だろうと下級魔神だろうと等しく消しとばす、破壊の一撃。
飛びそうになる意識を気力で繋ぎとめながら、フロランスは神器を振り下ろし──。
〈十戒〉は、黒の奔流に飲み込まれた。
あるいは壁、とも表現できるだろう。事実、〈十戒〉にはフロランスの放ったそれが闇の壁に見えた。
だが対処できないわけではなかった。
魔神王の魔力を持つゼルドリスがいるのだ。ほんの数秒押し留めることができたらいい。それだけあれば、闇の壁を消し去ることなど容易い。
しかしフロランスは初めからそれを狙っているのだ。そのために極限まで威力を高めて
ほんのわずかな、数秒程度の時間でいい。
「そういうことか……!」
遅れて、意図を察した〈十戒〉の声が届く。
してやったり、とばかりに笑い、フロランスは魔力をかき集めて"
闇の壁を突破し、追撃を仕掛けようとしたゼルドリスの刃は空を切り──後に残ったのは、行き場を失った莫大な敵意と、目も当てられないほどの破壊痕だけだった。
■
「ぷごぁ!? 死にかけじゃねえか!」
リオネス城の大広間。大喧嘩祭りの参加者たちが集まっているその場所に、今にも倒れそうなほどに消耗したフロランスが現れる。
幸いにも彼らの魔力を追って下級の魔神たちが差し向けられる、ということはなかったようだ。
しかし、メリオダスの死により〈七つの大罪〉やエリザベスは大なり小なり精神的に疲弊している。
中でもエリザベスは顕著だ。泣き腫らした目で、今もなおメリオダスの死体の側に佇んでいる。
「すみま……せん……私……」
「喋るな。……ふむ、単純な魔力切れと極度の疲労だな。腕以外のダメージはそこまで深くはないが……エリザベス王女、念のために治してやってくれ」
「……はい」
ぐらついたフロランスの体をマーリンが受け止め、そこにエリザベスが手を翳す。
上位魔神の回復力をも上回る化け物染みた治癒の魔力がフロランスに注がれ、折れて変色した腕と体中に刻まれた傷が一瞬で治る。同時に、灼熱のような痛みと血を吐くような疲労感も瞬時に消え去る。
傷を治してもらった礼をしようと、足に力を入れて立ち上がった──瞬間。
フロランスの視界は闇に染まり、意識がぷつりと途絶えた。
そして、脳からの命令が途絶えた体は、今度こそ硬い床に倒れ込んだ。
"
便利だからね、仕方ないね。
ちなみに天剣アラギくん、どこで入手したのか気になる人もいる……と思います。一応裏設定としてはありますが、特に物語の根幹に関わるとかはないです。