──だから、言ったでしょう。
感情のない、泥のような闇に満ちた瞳。
額に浮かび上がる、自身と同じ紋様。
その手に握る鉄の刃は血に濡れていて、返り血が頬を赤く染めていた。
覚えている。
これは、3000年前、トドメをし損ねた女神族に反撃を貰ったときの光景だ。
──敵を前に、有利だからと油断するな。友だろうと家族だろうと、敵ならば冷酷になりなさい。でないと、無様に屍を晒すだけですよ。
鉄のように冷たい声色でそう言った奴に、俺はただ、愚直に頷くだけだった。
■
〈十戒〉『敬神』のゼルドリスは苛ついていた。
裏切り者にいいようにされ、無能な兄が人間程度に瀕死まで追い込まれ、あまつさえ謎の襲撃者により多数の同胞が殺されている。
堪えがたい、煮えたぎるような屈辱を味わっていた。
バキ、と。ゼルドリスの握力に耐えきれず奪い取った玉座が破損する。
情けない、嘆かわしい。
何故襲撃者の一人も捕まえられない。
何故人間如きに敗北する。
何故──裏切り者に負けた。
「──ッ!」
砕けそうなほど強く奥歯を噛む。
ここが開けた場所であれば、一帯が焦土となっていただろう。
それほどまでに胸に渦巻く憤怒は強く、大きい。魔神族の王子としてのプライドと強靭な理性で繋ぎ止めてはいるものの、いつそれが爆発し自分に向けられるか、ゼルドリスの配下たちは気が気でなかった。
ただでさえ強大な力を持つゼルドリスが本能のままにそれを振り回せばどうなるかは、火を見るより明らかだ。
「……」
ゼルドリスの脳裏には、フロランスとの戦いが繰り返し映し出されていた。
衰えを見せない膨大かつ強大な魔力。
かつてのメリオダスを幻視した莫大な威圧感。
己を全く寄せ付けなかった、圧倒的な暴力。
たった一撃で意識は朦朧とし、頭には敗北の二文字が過った。ゼルドリスが惨敗を喫したのは、これが初めてと言ってもいい。
魔神王の息子として約束された一線を画す闇の魔力を生まれ持ち、世界でも最高峰の剣士を師に持ち、父のため魔神族のためと鍛え上げた力は〈四大天使〉すら容易く屠ってみせるだろう。
だというのに、歯牙にもかけられず、赤子の手を捻るかのごとく一蹴された。
──甚だ疑問であった。
魔術のみならば一流だが、剣技はよくて二流。女神族との戦には消極的で、いつもフラフラとしていたため戦闘経験などそう多くは積めていないはず。
一体、フロランスと己でなにが違うというのか。
どちらかといえば、ゼルドリスはフロランスよりも環境に恵まれていた。
師に教えてくれと請えば願っていた以上を授けられ、それに応えられるほどの才に恵まれ、膨大な戦闘経験を積み、いつしか〈十戒〉のリーダーにまで上り詰めた。
ゼルドリスという少年は疑いようのない天才であり、秀才である。
ただ──フロランスという少女は、
他者の魔法を遠目から見ただけで完璧に再現してしまうほどの観察眼。
いかに魔力の消費を抑え、かつ威力を底上げできるかを試行錯誤し、独自の魔法を編み出す独創性。
針の穴に糸を通すかのような作業さえ片手間でできてしまう魔力の精密性。
剣の才能こそゼルドリスには及ばないものの、その身体能力と体術はゼルドリスさえ寄せ付けず、圧倒してみせた。
魔神王すら認めるその才は、年月を経れば更に磨きがかかり、いずれは神と同等の領域へと立つだろう。
「……いや。奴にどれほどの力があろうと、どんな仲間がいようと、父上には決して届かん。次こそは……!」
獣のような形相で無差別に殺気を振り撒くゼルドリスの瞳には、憎悪の炎が宿っていた。
■
今より3000年前。
魔神族と女神族という種族は、蛇蝎の如く嫌いあっていた。
魔神族は、女神族を邪悪で殺すべきモノと考え。
女神族は、魔神族を不浄で滅すべきモノと考えていた。
同じ人外、同じ敵意、同じ殺意を持ちながら──しかし女神族には魔神族以外の三種族が味方した。それは、魔神族という種族が魂を、命を喰らうからだ。逆に、魔神族と真っ向から対立する女神族は治癒と光の魔力を持っていた。客観的に見ればどちらの味方をするべきか、それは明白だろう。
諍いは争いへ。争いは戦争へと転じた。
毎日どこかで血の雨が降り、怒号が轟き、憎しみが渦巻いていた。
そんな時代に於いて、魔神王の娘として生を受けた一人の魔神族──フロランスは、異常そのものだった。
膨大な闇の魔力と神懸かり的な魔法の才能を保有し、時期魔神王候補と目されていたメリオダスに次ぐ実力を持ちながら、しかし彼女が自らの意思で争うことはなかった。
フロランスが力を振るうときは、決まって父や兄に命令されたときだけだった。
指揮を執ることも、率先して戦場へ赴くことも、必要以上に命を奪うこともない、異端の魔神。一部では女神族と繋がっているのではないか、という声すらも上がっていたが、フロランスは全く意に介さなかった。
何故、と聞けば、きっとこう返ってくるだろう。
──つまらないから。
と。
(私はあの頃から、なにか一つでも変わったのでしょうか)
そんな昔のことを思い出しながら、フロランスは臨時で与えられた個室からリオネスを見渡した。
平和で穏やかな、心から笑い合える暖かい場所。かつての環境とはまるで正反対で、居心地が良かった。
(昔の私に、今の私の話をしたらどんな反応をするのだろう。嘆くのか……それとも羨むのか)
十中八九後者になりそうだと、薄く笑う。
なにもかもが不自由だった3000年前とは違い、ここでは同胞の目も、父の目も気にする必要がない。無感情で冷酷な魔神族を演じる必要はないのだ。
それあれかしと望まれ、応じた過去。今となっては屈辱でしかない。
愛や善性。魔神王が切り捨てたものの強さを、フロランスはよく知っている。それらを捨て去ることを強要され、ただ戦うための道具にされてきた。
故にこそ思う。
感情が無い生物など、死んでいるも同然だ。
怒りも、悲しみも、愛も、不必要ならば最初から備わっていない。余計なモノならば、持ち合わせているはずが無いのだ。
では何故、自分やメリオダスは感情を持っている?
簡単だ。
そもそも、本当に心の無い殺戮のためだけの駒が欲しいのならば、それを造れば良い。それができるだけの力を魔神王は持っている。何故そうしないのか定かでは無いが、警戒しておくに越したことはない。
そしてそこまで考えて、唐突にある疑問が浮上した。
(いや……冷静になった今、よく考えてみれば──魔神王の目的は、一体なんなのか)
今まで見向きもしなかった、魔神王の思惑。
あの父の性格からして現世を支配するつもりなのか、とも思ったが、それならばメリオダスを放置しておくのはあまりにも不自然だ。
死から蘇る都度感情を喰われ非情となり、同時にかつての──最凶の魔神と呼ばれた頃へ逆行する呪い。現世を支配しようとするならば、真っ先に排除すべき障害は間違いなくメリオダスだろう。それをしなかったのは何故か。
「──
しなかった。あるいはできなかった。
その可能性へたどり着く。
「本当に兄様を排除するなら、初めから呪いを解いて〈十戒〉をぶつければ良い。だというのに、魔神王はそうしなかった。もしかして、魔神王の計画には兄様の存在が必要不可欠……?」
フロランスの脳裏に、最悪の答えが浮かび上がった。
あくまでも『かもしれない』──確証が取れない今、可能性の話ではあるが。
「兄様を魔神王にすることを、諦めていない」
正直に言えば、一蹴したい気持ちでいっぱいだった。
よく考えてほしい。
一つの国を背負う王の息子が、その国を裏切った。しかし、王は憤りこそしたが、裏切られてなお息子を王の座に据えることを良しとする。
普通の人間ならば、陰謀を疑う。
当然フロランスも、魔神王が何か良からぬことを企んでいるのではないかと睨んでいる。
たしかに潜在能力ならば、メリオダスはゼルドリスとフロランスを遥かに凌ぐ。だが魔神族から見れば、メリオダスを魔神王にするのは多大なリスクを孕んでいる。
一度裏切ったものを仲間として──あまつさえ王として迎えるのは、正気の沙汰ではない。
「兄様を魔神王にするのは、あくまでも過程に過ぎない……?」
つまりその先にこそ、魔神王の見据える目的がある、と推測できる。
洗脳、脅迫──考えられる手段はいくつかあるが、どちらにせよロクでもないことであるのは容易に想像できる。
「もしかしたら見当違いかもしれない。けれど、現状はこれ以外の答えは見つからない。……とりあえず、魔神王の最終目標は兄様を魔神王にした先にあると仮定して動かなければいけませんね。今のブリタニアに兄様を殺せるほどの存在がいるかどうか分かりませんが、万が一のことを考えておくべきですかね……」
今後の方針である、『メリオダスたちと共に〈十戒〉と魔神王を討つ』というものに『魔神王の動向に注意しつつ、メリオダスを魔神王にさせないように動く』を付け加える。
中々面倒なことになってきたと嘆息し、ふとある方向へ視線を向けた。
「……おや? 強い魔力が一点に集まっている……? これは巨人族と妖精族のもの……なるほど、ディアンヌとキングが戻ってきたのですね。それも数段強くなって」
少し離れた場所に聳え立つ古城の頂から、七つの強い魔力反応がある。
十中八九、〈七つの大罪〉だろう。
「ふふ……中々面白いですね。どうやってこの短期間で闘級を上げたのか、興味は尽きませんが……そうですね。残る〈十戒〉は、グロキシニアとドロール、それにメラスキュラとゼルドリス……エスタロッサも、きっと生きていることでしょう」
生死不明な二人を除けば、七対五。数の有利は取れている。
理想は、一人一人確実に全員で挑み倒すことだが──
「そう、上手くはいかないでしょうね。ゼルドリスがそんな単純なことをしてくるはずがない。……いや、違う。そうだ、
冷や汗が流れる。
フロランスの推測が正しければ、ゼルドリスやエスタロッサ以上の障害が立ち塞がることになる。それこそ、メリオダスをも超えるほどの存在が。
幼い頃から間近で見続けてきた、
「もし仮に、何の準備も無く戦闘に入れば、まず間違いなく鏖殺される。かと言って、彼らに明確な弱点が存在するかどうか……なんにせよ、そちらの対策も練っておくべきですね。万が一の場合は──」
──この命を投げ捨ててでも、仲間を守ろう。
■
違和感に気付いたのは、つい最近。
手のひらで"
というのも、バイゼルでの〈十戒〉戦以降、体に無視できないほどのある変化が起きていた。放置しておけば命に関わるという類のものではないが、見たことも聞いたこともない事態なのだ。
それは──
「魔力が、増大している……?」
保有する魔力が、増えている。
数値にして1000程度の変化だが、これはあまりにも不自然すぎる。絶えず鍛錬を続けていればそうおかしくはない話だが、ここ数日間フロランスはメリオダスとの手合わせ以外で力を使っていない。つまり、なにもしていないにも関わらず魔力量が増えたということだ。
これからのことを考えると良いことなのかもしれないが、それ以上に気味悪く感じる。いくら成長途中の肉体とはいえ、こうまで突然成長し始めるはずがない。なにかしらの外的要因があるのではないかとバイゼルでの戦い以降の記憶を辿るが、これといって該当する出来事は無い。
強いて言うならば、
「うぅむ……寝込んでいる間マーリンに実験台にされたりとか、してないですよね……」
不気味なほどに思い当たることが無い。
しばらく首を捻って考え込んでいたが、答えが見つかることは無かった。
フロランスのプロフィール置いときますね。
◆身長:147cm
◆体重:40kg
◆誕生日:5月20日
◆年齢:273歳
◆魔力
:他者の魔力を宿し、自在に行使することができる。
◆ウィークポイント:兄弟
◆出身地:魔界
◆自分の好きなところ:特に無し
◆夢・野望:魔神王を倒し兄弟に幸せになってもらう
◆後悔していること:逃げてしまったこと
◆人生で一番恥ずかしかったこと:昔の自分
◆今、一番欲しいもの:兄弟との穏やかな時間
◆好きな動物:鳥
◆好きな匂い:特に無し
◆特技:繊細な魔力操作
◆闘級(15話時点):71000
◆魔力:19000 ◆武力:50000
◆気力:2000