とある空洞の最奥。本能的に足が竦むような威圧感と粘りつくような怖気が漂うその空間の一部に、小さな罅が入る。
ピシリ、という音と共に罅は徐々に拡大し、黒い炎が漏れ出す。炎は蛇のようにうねり、縦横無尽に宙を駆ける。
「──これですか」
凛とした声が響く。発生源は──空間の罅。
その声に呼応するように、炎は壁に埋め込まれた宝石に食らいつく。瞬く間に宝石は蒸発し、声の主は罅割れた空間から軽やかに抜け出した。
「む、魔力が……封印の影響ですか……」
気怠さに包まれた体を見下ろし、小さく腕を振る
「……まあ良いです。私が脱出できたということは、
小さく溜息を零す少女。その顔には、関わりたくない、という感情が強く押し出されている。
「……あちらの対応次第、ですかね。流石に同族を手に掛けるのは心が痛みますし。うん、そうしましょう」
そうして一人でブツブツと呟きながら空洞を抜けると、その先の光景に少女は目を見張る。
「一体、何年眠っていたのでしょうか……」
少女は、戦火に包まれていたのが嘘のように広がる豊かな自然を見渡す。耳を澄ませば鳥の鳴き声が聞こえる。目を凝らせば優しく触れ合う動物たちが見える。
悲鳴も、慟哭も聞こえない。それはつまり、この地に平和が訪れた証拠だった。その事実に少女は笑みを浮かべる。上機嫌に進むその足取りは軽い。
生命の力強い息吹を感じられるこの場所は、少女にとって心地よいものだった。
しかし、上機嫌だったその足が止まる。
「この、気配は」
感じる。懐かしい魔力を。これは──
「
掠れた声が漏れる。敬愛する兄が生きているということに、少女は歓喜する。
同時に、憤怒に顔を歪める。
「父様──いえ、魔神王。アレは、本当だったのですね」
ギリッ、と。砕けんばかりに奥歯を噛み締め、父への憎悪が湧き出る。今すぐにでも切り殺してやりたくなるほど、堪え難い。
だが、その感情よりも優先するべき事態が起こる。
兄の魔力が急激に高まったかと思えば、次の瞬間には空気の抜けた風船のように萎んだのだ。そしてすぐ近くには、見知った気配。
「っ、いけない!」
なりふり構わず、少女は翼を形成し飛び上がり、自身の出せる最高速度で兄の元へ向かった。
■
時は少し遡り。
〈豚の帽子〉亭にて。
マーリンの
ゴウセルとバン、キングが抜けた穴をスレイダーが埋めてくれないか、というメリオダスの頼みは快諾され、今後スレイダーは七つの大罪と行動をともにすることになった。
事の顛末を見ていたエリザベスは、納得のいかない表情でメリオダスに訴えかける。
「──っ、メリオダス様! どうか私も同行させてください!」
「駄目だ。リオネスを守る戦いは終わったんだ。これ以上をお前を危機に晒すわけにはいかねえ」
「……私は、足手纏いの……お荷物にしかならないんですか……?」
「そのとーり!」
堂々とそう言い放つと、ディアンヌの拳がメリオダスに叩き込まれ、次にホークの蹴りが炸裂した。
メリオダスの伝え方も伝え方だが、その意図を汲み取れないディアンヌとホーク。普段はおちゃらけているが、その実エリザベスのことを人一倍考えているが故の言動だった。
冷たい床をたっぷり堪能したメリオダスはやおら立ち上がると、小さく息を吐いて側にあった椅子に腰を下ろした。
(さて……キャメロットの状況を確認するか)
そのやり取りを一通り眺めていたマーリンは、ひと段落ついたことを察したのか、球体状の神器──明星 アルダンを出現させる。
直後、アルダンが何かを報せるように甲高い音が発せられた。
「この音は?」
「……当初の予定を変更、ただちにキャメロットへ向かうぞ。キャメロット付近で異常な魔力の動きが確認された」
「マーリン、一体何が──」
メリオダスの言葉を遮り、現状確認もままならないまま、〈豚の帽子〉亭はその場から消えた。
■
キャメロット。
新王アーサーの治めるこの王国は現在、未曾有の危機に瀕していた。
山のような体躯を誇る化け物が突如として現れ、今にもキャメロットを滅ぼさんとしているのだ。
聖騎士たちは民間人の避難を終えたところだった。
アーサーは拳を握り、力強く宣言する。
「聖騎士に告ぐ! 遠距離魔力の聖騎士は対象物を囲むよう散開せよ! 近距離魔力の聖騎士は私と共に正面で構えろ! これより謎の巨人を迎え討つ!」
そう告げた直後、聖騎士の一人が声を上げる。
「……アーサー様! 上空に謎の飛行物体を確認しました! 鳥のような……いや……アレは……」
「牛……?」
空を見上げその巨大な影をみて怪訝そうに呟く。やがてその正体が見えてくると、聖騎士たちは驚愕の声を上げる。
「空飛ぶ──豚!?」
巨大な緑の豚は、英雄たちの到着を報せるように、大きく鳴いた。
巨獣アルビオン。〈十戒〉の復活と共に目醒めた、古の大戦にて魔神族に造られた兵器。その巨体故動きは鈍重だが、力と耐久はとてつもない。
生半可な攻撃では傷をつけることすら敵わずアーサー率いる聖騎士と七つの大罪を以ってしても攻めあぐねていた。
そんなとき、メリオダスが店を建てるための軍資金として売り払った神器ロストヴェインがメリオダスの手に戻り、神器の特性を利用してアルビオンの上半身を消しとばした。
ロストヴェインの特性とは、使用者の闘級を半分として実像を伴う分身を作り出すこと。分身が多ければ多いほど闘級は下がっていくが、メリオダスの『
「〈十戒〉……そのような者たちが……」
「正直言って、かなり不味い状態だ。早急に対策を練らねえとな……ん? どうした?マーリン」
メリオダスは、アーサーに事情を説明している傍らで怪訝そうな表情を浮かべているマーリンに声をかける。
「いや……国王の予言が少し気にかかってな……」
「山の如き獣とはアルビオンのことだと思ったのだが、それでは後半の文言の意味が……」
辻褄が合わない。
闇が大地に大穴を穿つとは、一体何を指しているのか──。
その思考を遮るように、遠方から雷のような音が耳に入る。しかし今は晴天であり、雨雲は見えない。
疑問を抱く人々の間で様々な憶測が飛び交う。
──刹那、雲を突き抜け、"ソレ"はやってきた。
押し潰されるような、重厚な威圧。
歴戦の実力者であろうとも、思わず身を強張らせてしまう。一歩でも動けば、その瞬間自分は消し飛んでいる、そんな予感すらしている。
砂塵の中から姿を現したのは、赤い鎧を纏った、見上げるような背丈の人物だった。
「ふむ……七十二歩か。この距離なら七十歩で届くと思うたが……三千年の間になまったものよ」
顎に手を当て、そう呟く。発せられた声色から、その人物が老齢に達しているだろうことが察せる。
「お前は……〈十戒〉のガラン!」
「久しいなメリオダス。やはり儂の予想通りお前さんじゃったか」
カッハッハッ、と軽い口調で笑う老人──ガラン。
そんなガランを見たホークは、声を震わせながらマーリンへ告げる。
「なあマーリン、この魔眼壊れちまってるぜ……?」
「何?」
「だってよ、おかしいだろ。──闘級2万6000って」
あの巨獣アルビオンでも、闘級は5500程度だった。だが眼前の老人はその五倍近い数値を誇る──正真正銘の化け物だった。