「ぬかった……よもやあれほどまでとは……!」
定まらない視界、歩みを拒絶するように震える足。幻肢痛に苛まれ、自らを嘲弄されているような錯覚に囚われる。
『衰えましたね』
黙れ、と。怒りに任せて辺り一帯を破壊し尽くしてしまいたい衝動に襲われる。だが今のガランは瀕死だ。下手に力を使えばその反動で命を落とす可能性すらある。
闇の魔力により徐々に傷は癒えてきているが、先の戦闘で失った魔力、体力までは戻らない。封印から抜け出して早々、一時的に戦線離脱しなければならないだろう。
次に会ったときこそは、と倒れそうになる体を怒りで無理矢理動かす。
(じゃが……魔力も抜きにあの実力……もしやするとエスタロッサでも──)
「……だから言っただろう、ガラン。慢心が我らに敗北を齎したと。何度言わせるつもりだ」
そんなガランの思考を遮るように、上空から声が耳に届く。
そちらに視線を向けると、メリオダスにそっくりな黒髪の少年が、ため息と共にガランを見下ろしていた。
「くかか……じゃがゼルドリスよ、あのフロランスまでもが裏切ると誰が予想できた?」
力なく笑いながらそう告げられ、黒髪の少年──ゼルドリスは酷く冷めた口調で問う。
「──何? それは本当か、ガラン」
「儂に真偽を問うことほど無駄なことは無い。……ゼルドリス、お主でも危ないやもしれんぞ?」
「……魔神族の誇りを捨てた奴に負けるほど、俺は落ちぶれてはいない」
珍しく真剣なガランの言葉に、ゼルドリスは吐き捨てるように答えた。
■
「では、改めて。私はフロランスと申します。メリオダス兄様とは、兄妹にあたる関係です」
キャメロット王城の一室で、王国の中でも屈指の術士がそれぞれの負傷の治療をしている中、そう切り出した。
ガランが去った後、フロランスを警戒していた面々の警戒を解くために、フロランスは自らの素性を明かしていた。魔神族であることは、メリオダスが明確に明かしていない以上口にはしていないが。
「フロランスがいなきゃ、あの場で全滅してたかもな」
「ふむ……話には聞いていたが、このような人物だったか……」
突如響いた声に、アーサーたちは驚愕と共に石化したマーリンが横たわるベッドへ目を向ける。しかしそこにいるのは変わらず石化したマーリンだ。ならばどこから声がしているのか、その答えはすぐに見つかった。
「どこを見ている。私はここだ」
「玉っころが喋った!」
「マーリンの神器だ」
ホークの言う通り、浮遊しているアルダンからマーリンの声が聞こえる。あまりにも不可思議な光景にフロランスは首を捻るが、考えても無駄だろうと思考を放棄した。
「体が完全に石化する寸前に、この明星アルダンに私の魂を移したのだ。少々不便ではあるが、まあ仕方がない」
「よ、よかった……! って、喜んでもいいのかな?」
「決してよくはないが……〈十戒〉の戒禁は、私の魔力をもってしても解けぬようなのだ。ガラン曰く、戒禁とは魔神の王由来の力……対抗できるとすれば、女神由来の力だろうな」
そこで、フロランスは疑問を覚える。あまりにも見覚えのある魔力を持つ彼女の正体を知っているが故に。
「……? マーリン、私の推測ですが、あなたはベリアルインの娘ではないのですか? ならば戒禁程度破れるはずですが」
「……」
「ベリアル、イン……?」
疑問を浮かべる団員たちをよそに数瞬、面食らったようにパチパチと瞬きを繰り返すマーリン。やがて不透明だったマーリンの姿が搔き消えると。
「……あまりにも永い間生きていたのでな、そのことをすっかりと忘れてしまっていた。感謝するぞ、フロランス」
アーサーたちの背後にあるベッドから声が聞こえた。フロランスはジトッとした目でマーリンを見やり、呆れた様子で口を開く。
「神々の祝福の存在を忘れた、なんて。本人たちが聞けば激怒しますよ」
「中々行使する機会が無かった故にな」
「神々の祝福……!? それは一体──」
「それはまた今度話そう」
驚愕に顔を染めるアーサーを宥め、それよりも、とメリオダスに話の続きを促す。
「ああ。ともあれ、これで不安要素が一つ消えた。問題は、オレたちと〈十戒〉の戦力差だ」
「ふむ……軽く見積もっても、十戒の戦力はこちら側の倍以上はあるだろう。そこに下位の魔神やアルビオンなどが召喚された場合、当然だが戦況は更に悪化する」
「その果てしない戦力差をどう埋めるって言うんだよ?」
現状確認でさえ、絶望するには十分だった。マーリンの説明した十戒の戦力はあくまでも魔力の尽きた状態のことであり、魔力が戻った場合の戦力差はとてつもなく大きい。
それをどう埋めるか。もっともなホークの疑問に答えたのはマーリンだった。
「方法は一つ。〈
「強くなる、って言ってもな。そんな簡単に言われても」
「ふ……この俺様が更に強くなっちまったら、十戒なんぞメタメタに──」
「もちろん、口で言うほど簡単なことではないがな。……アーサー、エリザベス王女。此度の戦において、そなたらの魔力の覚醒は必要不可欠だ」
「マーリン、それは……」
フロランスの呟きを遮るように、アーサーは俯いて内心を吐露する。
「マーリンは私のことを買いかぶりすぎているよ……私は結局、民も聖騎士も守ることができなかった」
「アーサー……」
アーサーは、王としても騎士としても、あまりにも未熟だった。誰にも抜けないという剣を抜き王として即位したものの、王としての心得や剣の腕はまだまだ発展途上なのだ。
そんなアーサーに、マーリンは常に期待を寄せてきた。それはアーサーにとっては重すぎた。
「マーリン様! 私、やります!」
響いた声は、アーサーとは対照的だった。
「私にできることなら……いいえ、今はできなくても、そのための努力ならなんだってしてみせます!」
「……よい目だ」
決意に満ちた表情でそう言うエリザベスを力無く見るアーサー。
その後ろで、フロランスはアーサーとエリザベスを見つめていた。アーサー本人は気づいていないが、彼の秘めている魔力は計り知れない。人間であることを考えれば破格という言葉ですら生ぬるいほど。
一方でエリザベス。決意こそしているものの、フロランスは彼女の魔力が覚醒すればどうなるかを知っているが故に、複雑な心境だった。
「そしてもう一つ、忘れてはならぬ鍵。あの男を探すときが来たようだ」
「あの、男……?」
「ああ。〈七つの大罪〉、〈
■
感情とは何だろうか。
〈
ゴウセルは考える。かつて仲間であるディアンヌは、『想いは心に深く刻まれている。だから誰にも消すことはできない』と言った。
──
誰にも消せないと言うのならば。
『想い』は決して消えないと言うのならば。
──やはり、記憶とは所詮、ただの情報に過ぎない。
「……ゴウ、セル? 今、なんて?」
妖精王の森から
「俺は感情というものを知りたかった。だからディアンヌの記憶を操作した。予想通り、記憶はあっさり消えたようだ」
あっけからんと、悪気など微塵も感じられない声色で言い放つゴウセル。事実感じていないのだろう。あくまで一つの実験であり、その結果ディアンヌの記憶が消えただけ。ゴウセルはそう考えている。
あまりにも非道な思考と行いに、キングは憤怒に顔を歪める。
「ゴウセルッ! 人の記憶をなんだと──」
「キング!」
メリオダスの声に、激情に駆られていたキングは過去の自身の行いを想起する。事情は違えど、したことは同じ。そんなが自分にゴウセルを責める資格は無い。
煙とともに普段の少年の姿に戻ったキングは、真顔で自身を見つめるゴウセルに語りかける。
「……これだけは聞かせて。キミは、どんな気持ちで彼女の記憶を消したの?」
「……気持ち? 質問の意味が分からないな。他人の記憶を消去することになんら必要ないだろう」
またもや悪びれずにそう言い放つゴウセルは、いっそ清々しいほどに人の道を外れていた。
周りも、頭を抱えるしかないようだ。
「必要ない……か」
「どうした? なぜ怒る?」
「ゴウセル!」
体を曲げて、俯くキングの顔を覗こうとするゴウセル。あまりに無神経なその行動をスレイダーが咎める。
やがてキングが顔をあげると、困ったように笑いながら告げる。
「怒ってやいないよ。心底キミを見損なっただけさ。
言葉と同時、キングの神器である霊槍シャスティフォルの第二の形態、『
「団長、合流早々悪いけど、オイラ一人でもディアンヌを捜しに──」
行く。そう伝えようとした瞬間にメリオダスたちがすぐ横を通り過ぎていった。慌てて振り向くと。
「もたもたするなキング! すぐに準備してディアンヌを追うぞ!」
数瞬面食らうが、小さく笑い、返す。
「……うん!」
待ってて、ディアンヌ。キミの記憶は、オイラが必ず取り戻してみせる!
そう決意して。
■
何が何だかよくわからないまま緑色の巨大な豚──ホークママ──に揺られながら、フロランスはメリオダスに声をかける。
「兄様。記憶を取り戻す、とは言っても、具体的にはどうするんですか?」
「まずはディアンヌの身柄の確保。それから考えるかね」
「はあ……なるほど」
当然と言えば当然なのだが、メリオダスはそういう方面に秀でているわけではない。故にどうするか、と言われて具体的なことを言えるほど専門的な知識もない。
しかし、分からないからといって諦めるはずもない。記憶を無くしたディアンヌの行き先は北、巨人族の里──メガドーザであるとメリオダスは推測した。
「頼むぜ、おっ母!」
ホークの声に応えるように、ホークママは大きく鳴いた。
「しかし、300マイルとなると大移動だな」
「確かに早いのは助かるけど……ねえマーリン、どうせならキミの瞬間移動で行けないかな?」
キングは焦りを隠せないのか、丸テーブルをトントンと指で叩きながらマーリンに問う。
「すまないなキング……そうしたいのは山々だが、いざというときのためにも、魔力を温存しておきたいのだ」
「……いざというとき?」
「ディアンヌが向かう先……その途中にあるエジンバラ城跡からとてつもない邪悪な波動を感じる」
「まず間違いなく、〈十戒〉ですね。鉢合わせたら面倒ですので、なるべく迂回するように──ん?」
「どうした? 何か見つかったか?」
言葉の途中、何かを感知したのか首を傾げるフロランス。
「……まずいですね。〈十戒〉とディアンヌが衝突しているようです」
「なんだって!?」
「〈十戒〉側は、ガランとモンスピート。急いで──いや、もう一つ。今度は全く身に覚えのない魔力です」
「そいつは敵なのか?」
「この魔力は……恐らく巨人族です。ガランを攻撃しているので、味方だと思われます」
ガランを中心に大地の魔力が圧縮されたことから、敵ではないだろうとあたりをつける。巨人族特有の強者との戦いを望んでいるが故の行動か、それとも仲間意識からの行動か。理由は不明だが、十戒に立ち向かえる者がいることは喜ばしい。
──ただ、気概だけではどうしようもないのが事実なのだが。
大地の魔力が弾き飛ばされると同時、二つの魔力が大地に沈む。地中に潜って逃走を計ったのだろう。
(二人とも多少なりとも負傷はしているようですが、命に関わるほどではない……上手くガランから逃げ切りましたか……)
安堵したのも束の間、メリオダスたちに特大の殺気がふりかかる。
──直後、獄炎の鳥が、殺意の咆哮をあげた。
「よりにもよってアイツに気づかれたか!」
「団長! 凄まじい魔力の塊が猛スピードで向かってくる!」
「10秒で到達」
「ホークママ! 方向転換して全速前進だ!」
メリオダスの指示通り、即座に方向を転換し走り出すホークママ。だが獄炎の鳥はホークママの移動速度を遥かに上回っている。そして厄介なことに軌道が変化し、結果的に真正面から飛来する形となった。
「来た来た来たーっ! どうすんだ!?」
「オレがいると踏んでの魔力攻撃だろう。『
「待ってください兄様! ホークママの様子が──」
そう言って抜剣しようとした直後、ホークママが獄炎の鳥へ向かって走り出した。
「おっ母!? そっちはダメだって!」
ホークの叫びも虚しく、ホークママに獄炎の鳥が直撃する──と思った瞬間。
ホークママが大口を開け、
■
「いやー、すげえなホークママ。あの強烈な魔力を一呑みなんてよ」
「すごいというか……そういうのを超越してない?」
「お腹は大丈夫……?」
封印解放すぐであったため魔力が尽きたのか、あの一撃以降干渉は無かった。
その側で何かを考えていたマーリンは、メリオダスに声をかける。
「……団長殿、進路の変更を進言する」
「ん?」
「待ってよマーリン! 話が違う! ディアンヌを探す気がないならオイラ一人でも──」
「気持ちは分かるが落ち着けキング。ディアンヌは〈十戒〉と対峙していた強力な存在と攻撃を受ける前に共に気配を絶った。おそらく二人は無事だ」
それに、と一拍置いて続ける。
「我らが迂闊に近づけば、かえってディアンヌを危険にさらすことになろう」
「私も同じ考えです。……マーリン、行く先にあてがあるのですね?」
「ああ、今は何より〈十戒〉と戦うために力をつけねばならん。そのためにはまず──」
「腹ごしらえだな」
「団長殿の力を戻す」
その言葉に、フロランスが納得したように頷き、口を開く。
「兄様の力が弱まっていたのはそれが原因でしたか」
「そうだ。10年前、王国を脱出する折に私が団長殿から奪った力を、な」
「お姉様が……?」
「どうして……?」
揃って疑問の声を上げるスレイダーとエリザベス。
「……んで、それは今どこにあんだ?」
「場所はここからそう遠くない……森の賢者ドルイドの聖地、イスタールだ」
異論は無いと判断したのか、マーリンの進言通り、一行はイスタールへ向かって移動を開始した。
ということで、マーリンの石化解除。
原作読んでて思いましたが、なんでメリオダスは何も言わなかったんでしょうね。まさかメリオダスも忘れてたのか……?
ちなみにガランの左腕はデリエリと同様闇で形成されるようになりました。しばらくは使い勝手に難儀しそう。
フロランスの闘級は次回出るかな!多分!