灼眼のシャナ~ブラッディメモリ~   作:くずたまご

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プロローグ

 扉を浮かび上がらせる四角い枠の明りが、ぼんやりと部屋を照らす。

 薄闇を塗りつぶした部屋の真ん中、少々体格のよい青年が瞼を上げた。

 目覚めた青年……前田 慶次(まえだ けいじ)は、視界に広がる薄暗闇を呆然と眺める。

 徐々に覚醒する意識の中、慶次には記憶にない場所、としか分からなかった。

 

 

「……っ!?」

 

 

 そうして眺めること十数秒後。

 半分閉ざされていた瞳が突如、驚きで大きく開かれた。

 慶次の身体をあずけるパイプ椅子。クッションもない、とても安価なオブジェクト。なぜか、彼の全身はそこに縛り付けられていた。

 

 

(な……なんなんだよ、一体!?)

 

 

 手は動かせない。

 足も動かせない。

 そして、一文字に張られたテープが、慶次に声を上げることさえできない。

 そもそも、どうして自分がここにいるのかさえ分からない。

 慶次は自分が置かれた状況の危機をようやく理解する。

 同時に胸を焼くような感覚がせり上がってきた。

 焦燥か、それとも恐怖か。異様な気持ちの悪さが駆け巡り、慶次の心を削る。

 しかし、彼は状況を否定しない。恐怖に駆られ、自暴自棄になりはしない。

 これは、彼が本能に任せる愚を理解しながら、人並み以上の度胸を備えていたからだ。ゆえに、彼はこの逆境でもパニックに陥ったりしない。

 状況を受け止め、最善を探す。

 

 

(何が何だかわからんが……とにかく、どうにかしないと)

 

 

 慶次は激しく視線を巡らし、解決法を探る。

 拘束は思った以上に強く、逃げ出すことは不可能。

 口を塞がれた上、ここは密室。助けを呼べば救助より先に犯人が来るのは自明の理。 

 どうしようもない状況だった。それでも、慶次は脱出方法が何かあるはずだと、希望を捨てずに思考を続けるが、

 

 

(……まずい、全く妙案が思いつかん)

 

 

 暑さとは関係ない汗が顔を一筋、二筋と伝う。

 打開策が全くと言っていいほど浮かばなかった。そもそも、慶次は肝が据わっている以外、普通の高校生だ。成績は中の辺りをぶらぶらしてるだけ。器用だとよく言われるが、特に秀でているわけではない。

 緊縛という特殊状況下を突破できるような稀有な技能は持ち合わせていない。

 そして、出た答えは、

 

 

(……何もできない)

 

 

 取った行動は、何もしない。

 ただし、諦観はしない。

 来るべきチャンスに備え決して諦めず、かといって楽観を構えるわけではなく、知覚出来る全ての情報に甲乙付けず、事実として受け取る態勢を取り、そこから逃走のヒントを得る。砂中に埋まった米粒でも探すような、途方もない可能性に自身を賭けるのだ。

 そう決心し、心も身体も身構えた瞬間、

 

 

「準備はできた――」

「っ!!」

 

 

 細い糸をピンと張りつめたように鋭く高い音律が。

 ぬるり、と。

 まるで闇という海から抜け出すように『そいつ』は眼前に現れた。

 

 

「………」

 

 

 このタイミングで現れたのだ、間違いなく『こいつ』が犯人であろう。

 慶次は縛り付けられたまま見上げ、疑問符が一つ浮かび上がる。

 およそ百八十センチ前後ある痩身はジャケットとジーンズに包まれていた。

 十二月中旬にこの出で立ちはどうかと思うが、もしかしたら寒さに強いのかもしれない。まあ、問題なのは服装の防寒ではなくその“色”だ。

 白。

 あらゆる光の波長を反射し、暗闇でも映える明るい色。にも関わらずこいつは本当に目の前に“突然”現れた。加えて、顔面だけは今も闇が漂っている。

 例えるなら、黒く塗りつぶされた夜空に突如浮かび上がる月の“クレーター”。陽光に大きく照らされたはずの部分が見えず、減光された部分だけが見える。見つかるべきときに見つからず、見えるべきは場所は決して見えないという異常。

 慶次の直感が告げる。

 こいつの存在そのものが“異常”だ。

 こいつに関わるべきではない。

 今以上に最悪な事態が起きる。

 だが、椅子に固定された身体は逃げ出すことはおろか、動くことさえ出来ない。

 

 

「計画は順調だ――」

 

 

 『奴』は悠然と歩を進め、白色を纏った右腕を振り上げる。

 先端が鈍く輝きを放つが、手首から先が見えない。

 

 

「終わる――」

 

 

 言葉は慶次に向けられていない。

 それは独り言のようであり、または慶次には見えない第三者に向けられているようで――ここでようやく慶次は唐突に理解する。

 言葉が自分に向けられていない以上、『奴』にとって慶次は興味の対象ではないのだ。

 価値とか優劣ではない。

 『奴』にとって、ここにいるのは誰でも良かったのだ。

 『奴』の歩みが止まり、上がった右腕の先端が徐々に下降の軌跡をとる。

 二人の距離は一メートルもない。

 このまま腕が振り下ろされれば、得体の知れない“モノ”が慶次に触れる。

 

 

(まず――っ!!!!)

 

 

 何かが分からないが、“あれ”が慶次に届けばその時点で終わりだ。

 慶次は必死に離れようとするが、椅子は微動だにせず、縄が軋む音が響くだけだ。いや、音を立てるだけでもいい。僅かでも『奴』の意識を逸らして、光の動きを鈍らせようとする。

 

 

「世界が終わる――」

「っ!?」

 

 

 しかし、慶次の希望はあまりに呆気なく砕かれ、鈍い光は彼の首筋に触れた。

 ――プスッ、と。

 先端が慶次の皮膚を突き抜ける。

 血管を蹴破り、

 肉を切り裂き、

 脂肪を掻き分け、

 ぬるりぬるり、と不快な行進が慶次の体内で続き――それは、突如終わりを告げ、

 

 

「っ!?」

 

 

 無造作に何かを押し込まれた。

 注射器だったと慶次はようやく気付く。が、気付いたところで何もできない。慶次にはどうしようもない。

 “死”が急に現実味を帯び始め、慶次を支えていた希望が崩れ落ち、恐怖と絶望が溢れる。静かに流れていた汗が全身に広がり、止め処なく噴き出し、

 

 

「――っ」

 

 

 唐突に慶次の意識は尾を引いていった。

 何が起きたのか、何をされたのか、慶次は全く理解できないまま視界は黒く染まっていき、

 

 

「世界は救われる――」

「――っ………………」

 

 

 意識が落ちる直前、その一言が妙に頭に残された。

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