灼眼のシャナ~ブラッディメモリ~   作:くずたまご

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※残虐描写有


第ⅩⅠ話 襲撃

「良かったのか?」

「…………」

 

 

 建物の屋根伝いに堂森市中心部、薄桜色の“封絶”に向かう途上。胸元のペンダント、神器“コキュートス”からアラストールが神妙に問うた。

 何が、とは訊かない。

 慶次の懸念は最もだった。確実に封絶は罠だろう。六年間の集大成が今回の事件ならば、首謀者を討滅して終わるほど生易しいものではないはずだ。

 少女は慶次の言葉は決して間違えではないのと理解していた。それなのに、少女はそれを理不尽にも真っ向から斬り捨てた。

 だけど、今はこれで良かったと思っている。

 最初はこれ以上慶次にかき乱されたくない一心に、適当に離れる理由を探していた。そうやって、慶次の粗探しをしていたはずが、いつの間にか彼と過ごした時間を思い出していた。

 ――最初は有象無象の人間の内の一人としか思わなかった。

 ――瀕死の傷を負い、死を覚悟しても、『宝具』を決して手放さなかった隠れた闘争心に、ちょっと興味が湧いた。

 ――頭の回転も速く“紅世”の視点から考えることが出来る希少な存在で、彼となら協力関係を築けると思った。

 ――普段の慶次はただのお調子者で、少し、いや、かなり失望した。

 ――少女の想像もしない過酷な過去を背負っていて、それを微塵に感じさせないほど彼は強かった。

 ――彼の作る料理は、既製品の物とは比べるまでもなく美味しく、なぜか温かいと感じた。

 

 

(……前田、慶次)

 

 

 どれもこれも初対面では想像も出来ず、共に同じ時間を過ごして初めて分かる事だった。

 そして、気付いてしまった。少女が慶次の事を決して嫌っていない……むしろ、好ましいと思っている事に。

 

 

「あいつの懸念が、的外れじゃないって理解してる。真相を知るためにも、あいつの力を借りる必要があるって、分かってる。だけど――」

 

 

 ――私はフレイムヘイズであいつは人間だった。

 

 

「……それだけよ」

「…………」

 

 

 少女は起伏のない、感情を押し殺したような声で言った。

 結局、慶次が人としてどれだけ強くても、好ましい人物だったとしても、所詮人間でしかないのだ。フレイムヘイズにとって小さなミスでも、人間にとってそれは命に係わる事態に発展してしまう。

 だからこそ、少女と青年は離れなければならない。慶次をこれ以上、過酷な運命から離すために。

 それきり口を噤んだ少女に、アラストールはそうか、と返す。

 しばらくの熟考の後、ちょうどビルとビルの間を飛翔したタイミングで、

 

 

「それにしても、我もあのような変わった人間と接したのも、久方ぶりか。いつの世も、人間とは想像を超える者がおる」

 

 

 と、アラストールらしからぬ、冗談めかした事言った。彼らしくない言葉と、すでに慶次が過去になっている事に、寂しさと嬉しさを混ぜて笑う。

 

 

「アラストールから見ても、あいつは変わってるんだ?」

「我を掃除と称して入浴剤を混ぜた湯船に落とそうとした事など……うむ、思い出しただけで腹が立つ」

「はぁっ!? あいつアラストールに何しようとしてるの!? 次会ったら、ぶん殴ってやる!」

 

 

 前田慶次。

 流浪の中で出会った一人の人間。

 少女のありのままを受け止め、短い間だが共に協力した人。

 どうやら、しばらくの間は彼の事を忘れられそうにないらしい。

 会話をしているうちに、封絶はすぐそこまで迫ってくる。

 

 

(私はフレイムヘイズ)

 

 

 少女は強く念じて、フレイムヘイズたる使命を『炎髪灼眼の討ち手』である己に刻みつける。

 

 

「アラストール」

「うむ」

 

 

 アラストールが短く答え、燃え滾る紅蓮を艶やかな黒髪と瞳に宿し『炎髪灼眼の討ち手』が薄桜色の陽炎に飛び込む。その姿に、迷いや戸惑いはない。己が選択に疑いはなく、自信に満ちていた。

 

 

 ――そして少女は、この選択を後悔する事になる。

 

 

 

 

 二つの口に、百を超える眼球。見間違いようもない、慶次を瀕死に追いやった“燐子”が校門を背に立っている。“燐子”を中心に周囲から上がる悲鳴を、どこか遠くで聞いているように感じながら、慶次は対峙した。

 

 

「封絶も張らず、どういうつもりだ?」

 

 

 回答を期待していない詰問をしながら、慶次は鞄と傘を投げ捨て、背負ったバットケースを握る。中には唯一“燐子”に対抗できるバット型の宝具。慶次はやや乱暴な所作で宝具を取り出し、両手で構える。

 向かえるのは百を超える視線。敵意を漲らせたそれらを慶次は決して強くはない身で、全てを受け止める。揺るがず騒がず、冷静そのものと思える慶次だが、その内心は穏やかではない。

 

 

(……マジでやべーぞ)

 

 

 慶次は“燐子”を視界の中心に捉えながら、置かれた状況の悪さに舌打ちする。

 本来なら、戦闘は全面的に椿が担当するはずだった。しかし、その肝心の椿はすでに封絶内に入ってしまっている。

 

 

(確かアラストールが言ってたな。『外界と因果を切り離す』って。椿が帰ってこないってことは、中から外の様子は見えないって事かよ……)

 

 

 おそらく、椿は慶次が襲われている事に気づいていない。つまり、今回は椿の助けが期待できない。加えて、周囲には巻き込まれた生徒たち。

 敵が封絶を張らなかった理由など、疑問は尽きないが、兎にも角にも慶次は己が力のみで、この窮地を潜り抜けなければならなかった。

 心なしかチリチリと腹部が痛み始め、無意識に唾をゴクリと飲み込む。宝具は前向きの感情に反応し、持ち主に力を与えると推測されている。こんな弱気な心根では、十全に力を発揮できない。

 少しでも弱気を和らげ前向きに考えられるように、慶次は一先ず寒さだけのせいではない、硬直し始めた身体を落ち着かせるため、長く細く白い息を吐き出した。固まった身体が、徐々にだが解されていく。

 

 

(今は宝具の使い方も分かってる。時間も稼げば、椿も来るはずだ。落ち着いて対処すれば、どうにか――)

「何が起きているのですか、慶次さん!?」

「美代!?」

 

 

 そうして慶次が精神的な余裕が出来た頃。彼の背後、ようやく追いついた美代が方々から上がる悲鳴に異常を察して、“慶次を助けるために”駆け寄ってきていた。いつもは喜ぶべき彼女の献身も、“燐子”を相手取っている今は悪手でしかない。

 

 

「待て!! 来るな!!」

 

 

 慶次が慌てて声だけで制止してしまった。己が行動の迂闊さを呪うも、一度取った行動を撤回する事は出来ない。

 振り返りもせず、必死に美代を止めようとする慶次の姿。それは常日頃から慶次を想う美代にとってどう見えるのか。当然、身を駆り立てる燃料にしかならない。

 

 

「慶次さん! 今行きます――っ!?」

 

 

 全身を覆う黒く長い直毛。逞しい四足の先には、人など容易に斬り裂いてような大きく鋭い爪。そして、耳を引く重ならない二つの呼吸音と、目を引く全身に散らばった幾百の眼球。

 美代は取り巻きに“燐子”を目撃してしまった生徒たちと違い、真正面からこの悍ましいモノと対峙してしまった。

 

「――あっ」

 

 

 そんな気の抜けた声を上げたと思うと、ストン、と。あまりにあっけなく、美代はその場にへたりこんでしまった。振り返る事の出来ない慶次の耳に、かちかちと歯の根が合わない音が届く。

 慶次の顔が一気に強張る。ただでさえ最悪の事態なのに、美代を庇いながら戦えるほど、今の慶次に余裕はない。幸いにも、“燐子”がすぐに仕掛けてこないから良いものの、このまま戦闘になれば――考えるだけで、慶次はぞっとする。

 慶次はあらん限りの声で叫ぶ。

 

 

「美代! ここは俺に任せて先に逃げろ!」

「分かっています……! 分かっています、けど……!」

「俺の事なら気にするな! すぐに追いつく!!」

「そうじゃないんです……!! 身体が……身体が震えて動かないんです……!!」

「――っ!!」

「動いて……!! お願いだから、動いてぇ……!!」

 

 

 美代が泣き叫びながら懇願するが、彼女の身体は震えるばかりで指一本でさえ動かなかった。それがさらに、美代の焦燥感を募らせる。

 

 

「動いて!! 動いてよ!!」

「落ち着け! お前が行くまで、俺も一緒にいるから!」

「やだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだ……!!」

「……っ、大丈夫。慌てんな」

「ごめんなさい……! ごめんなさい……!」

「いいからいいから。ゆっくり……な」

 

 

 慶次が何度声を掛けても、美代の恐慌は解けない。

 考えてみれば当然の事だった。美代が優秀だと言っても、中身は闘いとは無縁の女の子なのだ。一つの身から二つの呼吸音。百を超えた真っ赤に充血した目玉。この世に非ざる幾百の視線は、女の子には刺激が強すぎる。

 例え想い人が守ってくれたとしても……否、想い人が守っているからこそ、喪ってしまう事を恐れ、ここまで取り乱してしまったのかもしれない。

 

 

(何にせよ、美代が動けないなら、動けないなりに腹括って戦うしかない)

 

 

 現状、美代に何をしても恐怖は収まらない。とてもじゃないが、動けない彼女を置いて戦い、良い結果が得られるとは到底思えない。だが、慶次に逃げ出すという選択肢はなかった。

 一人なら、昨日の惨敗を思い出し、遮二無二逃げたかもしれない。しかし、今の慶次は“独り”じゃない。美代が、正守が、成実が、福子が……ここには、慶次と同じ時を過ごした人が巻き込まれてしまっている。慶次が戦えば彼らを助けられる、とまで自惚れる気はない。それでも、僅かでも皆が生き残る可能性があるなら慶次は――戦う。

 突如、宝具が薄く淡く輝き出す。慶次の強い覚悟に宝具が反応したのだろう、今までの比ではない力が湧き上がってくる。

 身体は羽のように軽く。しかし、宝具を軽く一振りするだけで、まるで剛腕で振り抜いたかのように暴風を生む。

 自然、口角が上がる。今なら、“燐子”が相手でも十分に戦える……否、討滅だってできるかも――と、何時の間にか踏み出そうとしていた足を、慶次は慌てて踏み止まる。

 

 

(リスクなし、とはいかないよな!)

 

 

 自分の感情がそのまま力になる。戦うと覚悟した分だけ、戦える力が与えられる。その感覚を味わって慶次は事ここに至ってようやく、この宝具の危険性に気づく。

 感情が昂り過ぎるのだ。考えてみて欲しい。訓練やらの過程をすっ飛ばして、想った分だけ力が手に入る……それがどれだけ甘美で背徳的な感覚か。その高揚感や、一瞬でも気を抜けば、感情のまま戦ってしまうほどだ。残念だが戦闘の素人である慶次に、そんな状態でまともに戦える技術はない。

 制御するのも一苦労な宝具。しかし、今の慶次にそれを使わないという選択肢は存在しない。使わなければ、真っ先に殺されてしまう。慶次は生死を掛けた戦いの中で、自身の感情も御さねばならなかった。

 

 

(ホント、悪いときには悪い事が重なる!)

 

 

 幸い、と言うべきか。慶次は逆境や土壇場こそ力を発揮する。

 悍ましい化け物と対峙しながら、美代たち仲間に気を配りつつ、己が感情の手綱を握るという無茶苦茶も無難に対処しつつ“燐子”を牽制する。

 雪吹き荒ぶ極寒の中、慶次と“燐子”が睨み合う。

 

 

「ゥゥゥゥゥゥゥッ……!」

「グルゥゥゥゥゥゥゥッ……!」

「…………」

 

 

 “燐子”も慶次の力を警戒しているのか、いつの間にか二つの口からは、不愉快な呼吸音ではなく敵愾心を燃やす唸り声に変わっていた。これを合図に“燐子”の意識と視線が全て慶次に注がれ、周囲の生徒たちは我先に避難し、美代はふらつきながらも立ち上がった。

 

 

(このまま行ってくれ……!)

 

 

 後は美代さえ距離を置けば。そんな慶次の小さな願いを打ち砕くように、突如として“燐子”が頬まで裂けた頭部の口を限界まで開いた。その尋常ならざる形相に、美代は小さな悲鳴を上げると、再びその場にへたり込んだ。

 慶次に背後の美代に声を掛けるほど余裕はない。ただただ“燐子”の行動とその異形に困惑する。

 

 

(このタイミングでどういうつもりだ!? 威嚇、って事はないだろうが……)

 

 

 ――まるで、口から何かが飛び出てきそうな。

 ぞわぞわ! と一気に悪寒が背後を駆け上がる。相手は常識の通じない化け物。有り得ない、などと考えている暇はない。

 慶次は直感に従いその場を反転、ガタガタと震え座り込んでいる美代を抱え、あらん限りの力で横に跳び退る。

 瞬間、“燐子”の口からは人の大きさほどもある巨大な炎の弾が飛び出し、先まで慶次と美代がいた場所に着弾、爆発する。

 慶次と美代は直撃は避けたものの、困惑した分だけ回避が遅れ、至近距離で爆発を受けてしまう。

 

 

「ぐっ!!」

「きゃあああああああっ――あうっ!!」

 

 

 驚愕する暇もなく、炎と爆風を受けた慶次は吹き飛ばされ、背中から雪が溶解した地面に叩きつけられる。熱波が肌に突き刺さり、全身至る所に火傷を負う。燃え上がるような熱さと、身体の芯を揺さぶる衝撃に、慶次は宝具を手放さないのが精一杯だった。迂闊にも、腕の中から美代が投げ出される。

 

 

「うっ……ううっ……」

「っ!? 美代!!」

 

 

 慶次の耳に美代の呻き声が届く。痛みを堪え立ち上がると、美代は慶次から数メートル離れた場所に手足を投げ出して仰向けに倒れていた。ただし、頭からは血を流し、着飾った白いミトンは黒く焼け焦げ、腕を、腹を、足を――そして、顔を半分以上赤く爛れさせ、目は虚ろだった。

 その痛ましい姿に、慶次の胸の内から後悔、絶望が次々に湧き出てくるが、歯を食いしばり無理やり抑え込む。慶次と違い、宝具の効力もなしに至近距離で爆発を受けたのだ。傷はとてもではないが軽傷と呼べるものではない。後悔も絶望も後に回しだ。今すぐにでも治療しないと命に係わる。

 

 

「けい、じ、さん……たす、け……て」

「待ってろ! 今すぐ――っ!?」

 

 

 慶次は美代を治療しようと駆け寄ろうとするが、視界の端に“燐子”が飛びかかってくるのを捉える。避ける時間はない。

 

 

「オオオオオオォォォォォッ!!」

「ブオゥォォオォォォォッ!!」

「――っ!」

 

 

 咆哮と共に吹雪を突き破り襲い掛かる“燐子”の爪を、慶次は宝具で受け止める。

 

 

「――がはっ!!」

 

 

 拮抗は一瞬だけ。耐えきれなくなった慶次は、錐もみしながら吹っ飛ばされた。雪の上を二転、三転した後、再度立ち上がった時には、すでに“燐子”が猛然と爪を振り下ろしてきている。

 

 

「調子に、乗んな……!!」

 

 

 慶次は宝具を思い切り下から振り上げる。工夫も何もなく突っ込んできたためか、宝具は難なく“燐子”の顎に直撃し、身体を浮かび上がらせる。さすがの“燐子”も空中では身動きが取れない。慶次は打ち上げられた隙だらけの体躯を追撃、全力で殴打した。決して小さくはない“燐子”を数メートル吹き飛ばす。

 

 

「――っ!」

 

 

 慶次は歯噛みする。おそらく、さっきの一撃は現在、与えうる最大の攻撃。しかし、“燐子”は苦しんだ様子もなく、すっくと立ち上がった。対して、“燐子”の攻撃を真正面から防御し、殴打した慶次の両手は痛みと衝撃で痺れ始めている。拙いながらも宝具を使えるようになったが、未だ“燐子”との力の差は歴然だった。

 

 

(感情をもっと込める……のはダメだ。今の俺じゃあ、これ以上やったら感情がコントロールできなくなる。それよりも、あいつの弱点を――っ!)

 

 

 “燐子”が地面を踏み抜き、雪が舞い上がる。対抗策を練る暇さえない。再びカウンター気味に殴打を与えるが、やはりダメージが通った様子もなく手の痺れだけが増す。

 さすがに馬鹿の一つ覚えの突進では当たらないと悟ったのか。今度は慶次の周囲を不規則に飛び回ってから、突っ込んでくる。

 一撃目は何とか横っ飛びに回避するが、もはや反撃に移る余裕もない。四方八方を動き回る“燐子”を目で追いかけるのが精一杯で、慶次はただただ翻弄される。

 

 

「どいてくれよ!! このままじゃ、美代が……美代が――っ!!」

 

 

 焦燥感のまま叫ぶ慶次を嘲笑うように、“燐子”が次々と攻撃を仕掛けてくる。慶次はその度に吹っ飛ばされ、地面に叩きつけら、傷ついていく。

 小さな生傷は塞いでいくものの、再生速度以上の速さで蓄積されていく痺れは抜けきらず、防御は杜撰になっていく。

 

 

「……はぁっ、はぁっ……」

 

 

 数度目の攻撃を受け切った慶次は、息も絶え絶えで立ち上がるのもやっとだった。美代を助けるどころか、時間稼ぎさえ覚束なくなっていた。

 

 

(くそっ、せめて、美代を避難させないと……こっちも、“賭け”に出られない……)

 

 

 何も考え無しに慶次も攻撃を受け続けた訳ではない。策、と呼べるほどのものではないが、一つだけ“方法”を見つけていた。だがそれは、確実に周囲を巻き込むだけではなく、己が命を賭けなければ成功しない無茶な策だった。せめて、美代の安全が保障されなければ、踏ん切りがつかない。

 そのとき、幾百の眼球が慶次から逸れた。

 

 

「ほら、独り身美人! “私たち”が来たんだから、しっかりしなさい! おら、このバカップル男、しっかり踏ん張れや! バカップル女は、とっとと治療しな!」

「お、おう」

「わ、分かってるから、そんなに怒鳴らないで名前で呼んでよぉ……!」

 

 

 福子が、正守が、成実が、いつの間にか美代を担いでこの場を離れようとしていた。

 慶次と目が合った正守は親指を立て、成実は笑顔で手を振って、福子は“燐子”に向けて中指を突きつけながら唾を吐きかける。

 どいつもこいつも、頬は引き攣って指先まで震えているくせに、いつも通りの“らしい”姿を慶次に見せつけてくれる。

 自然と頬が綻んできた。痺れが嘘のようになくなり、力が沸々と湧いてきた。

 『宝具』の力は感情を身体強化に転換する事。仲間たちが尋常ならざる“燐子”を、そしてその化け物と平然と渡り合っている慶次を目の当たりにしても、その身を顧みず手助けする……その想いと行動が、慶次の心の内から形容しがたい歓喜を呼び起こし、戦う力に変えてくれる。

 無論、仲間たちが『宝具』の能力など知る由もない。なのに、彼らは慶次の元に来てくれた。それがさらに力を与える。

 美代の避難も始まり、身体も今までで一番強化されている。“賭け”に出るなら今しかなかった。

 

 

(それじゃ、やるとするか!!)

 

 

 “燐子”は慶次に背を向け美代たちを追いかけようとする。

 ――そのコンマ一秒先に、慶次は躊躇なく策を実行していた。

 瞬間、慶次の感情は歓喜に飲み込まれ、『宝具』は光り輝き出す。未だ嘗てない力で地面の蹴り上げると、一足で背中を見せた“燐子”との距離を縮める。

 策というのは何の工夫もない……ただ感情に任せて、『宝具』を振るう事だった。その時の身体能力は“燐子”にも匹敵し得るだろう。ただし、感情のまま戦い続けてしまうという欠点もあったが、幸いにも、“燐子”は慶次が攻めてこないと思ったのか、愚かしくも背を向けた。これならやりようはある。

 

 

「ふざけてんじゃねぇーぞっ!!」

「ガフッ!」

「ギャウンッ!」

 

 

 慶次は勢いそのまま“燐子”を押し倒す。距離がゼロになってしまえば、考えるも何もない。ただ力のままに、本能のままに、獣のように戦うだけだ。

 

 

「っ―――このっ! 大人しく、しやがれっ!!」

「ゥウッ!」

「ガウッ!」

 

 

 力と力がぶつかり、もみ合いになる。慶次は宝具で“燐子”の首を圧し折ろうと、“燐子”は慶次の喉笛を噛み千切ろうと。

 力は互角。一人と一匹は揉みくちゃになりながら二転、三転する。

 そして、

 

 

「うぐっ!」

「オオオオオオォォォォォッ!!」

「ブオゥォォオォォォォッ!!」

 

 

 慶次の幸運もここまでだったのか。勢いが止まった時には、“燐子”が慶次を地面に押さえつけていた。鋭い爪が両肩に突き刺さり、血が噴き出す。

 絶体絶命。だが、感情に飲み込まれた慶次は、臆する事はない。

 

 

(倒す倒す倒す倒す倒す!!)

 

 

 “燐子”の首を宝具一本で押さえ、迫る牙をいなしながら、空いた右手で何度も何度も腹を殴りつける。爪が肩を引き裂いていき、右手も段々と血まみれになっていくが、感情に埋め尽くされた慶次は一心不乱に攻撃を続ける。

 

 

「グゥゥゥ――グ、フッ!」

「オォォォゥ――ガ、フッ!」

 

 

 “燐子”が初めて、苦悶の声を上げ、二つの口から薄桜色の火の粉を噴き出す。慶次の執念についに“燐子”にも余裕はなくなっていく。

 慶次が倒れるのが先か、“燐子”が倒れるのが先か。

 そう思った矢先、

 ガコン、と“腹部の口”が限界まで開いた。

 

 

「て、めえっ、正気かよ!!」

 

 

 慶次に残った僅かな理性が叫ぶ。慶次と“燐子”の間にほとんど距離のない現状、炎弾など飛ばせば慶次だけでなく、“燐子”も無事では済まない。

 答えは返ってこなかったが、腹部の口は限界まで開いたまま慶次を向いていた。考えるまでもない。“燐子”は己を爆発に巻き込んでまでも、慶次を殺そうとしていた。

 抜け出そうと慶次は何度も殴りつけるが、“燐子”は薄桜色の火の粉を吐き出すばかりで、ちっとも力は緩まない。むしろ、慶次を噛み殺そうと余った頭部の口で喰らいついてくる。

 二度目になると、“燐子”に“何か”が集まっていくのが分かる。そして、それが終わるまでに抜け出す事は、不可能だということも――。

 

 

「くそっ――」

 

 

 慶次が再び右腕を振るったのとほぼ同時に。

 “燐子”を中心に爆発が起こり。

 慶次は爆炎に包まれた。

 

 




王大人「死亡確認」


遅筆が治る秘密道具が欲しい。
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