灼眼のシャナとはあまり関係ない箇所が多いので、サラッと読んで下さい。
「それでは今度こそ、また明日」
何か慶次が言いたそうにするが、どうせ『お義父様』呼びが気になったとかその程度だ。おやすみなさい、と美代は慶次に告げ問答無用で電話を切った。
「ふぅっ……」
電話を終え、美代は自室のベッドに寝転がると、思わずため息を吐く。ため息の理由は、大好きな人と会話できたから……などと可愛い理由だけではない。
(私とした事が、思わず嘘泣きをしてしまいました。ですが、慶次さんが怪我をしていたと白状させましたし、六年前の事件と関わっていると分かりました。嘘を吐いたのは心が痛みますが、協力の許可も出ましたし、今朝の減点を取り戻したと考えましょう)
心の中で慶次を騙した事を謝りながらも、その本心は彼の手伝いができる喜びに染まっている。美代は本当にどうしようもないほど、慶次に惚れていた。
(……こんなに夢中になるなんて。“一年前”は考えもしませんでした)
上半身だけ起こすと、美代は自身の机の上に置かれた写真立てを見つめる。そこには、ちょっと硬い表情の美代と満面の笑みの慶次が写っている。去年の冬、修学旅行の時の写真だった。
美代はそれを見ると顔を僅かに綻ばせるが、すぐに暗くなった。
(慶次さんとのツーショットがこれ“一枚きり”だなんて……馬鹿馬鹿。昔の私は本当に馬鹿です)
自分と想い人だけが写った思い出の品。
美代と慶次は同い年で家も隣り合わせの幼馴染なのに、二人だけで写った写真はこの一枚だけだった。
これだけ慶次に惚れている美代だ、さぞかし昔から一途に想い続けていたのだろうと思われるが、実はそうでもない。美代が慶次の事が好きになったのは――正確には気づいたのは――たった一年前だった。それどころか、高校入学辺りまで犬猿の仲だったりする。
理由は簡単だ。
父親同士が政治家で、性格的にも馬が合わなかったから。
相手が苦手とか、話が合わないとかではない。親同士が嫌い合っていた。
本当に、それだけで嫌いだった。
(幼かったとはいえ、お父様の唯々諾々と聞いて慶次さんを嫌って……本当に愚かでした)
慶次と初めて会った時から、お互い罵りあうような仲だった。
それが次第に知恵を付けていくと、美代は自身の才覚を見せつけ、慶次の無能を嘲笑うようになった。
慶次は慶次で能力では敵わないと悟ったのか、徹底して美代を無視した。いないものとして扱った。
そこまでくると、親同士が嫌い合っていたからとか関係ない。本当に本心で、お互い嫌いになった。大嫌いだった。
親もそれを止める所か、むしろ煽っていた。
少しでも相手に優位に立とうと。少しでも相手を貶めてやろうと。そんな汚い心根がぶつかり合い、美代と慶次の関係も心も汚くねじ曲がっていった。
――それが変わったのは、五年前の話。二人が中学一年生の時だ。
美代が夏休みに行った海外旅行のお土産を、慶次に届けろと母と言われた。
さすがに外聞もあるので、お互いあからさまに嫌い合う事はなくなったが、それでも嫌いなのは変わらなかった。正直、この外面向けの“お付き合い”は億劫だった。
それなのに、母は何かにつけて慶次に合わせようとした。おそらく、父親同士のいがみ合いが、自分の子どもにも引き継がれているを心配していたのだろう。美代はそれを理解していたが、あんな『無才で無能な男』を今さら普通に扱うのも癪だったので、聞く事はなかった。
それでも、『家族を惨殺された男』を邪険に扱うのは後味が悪いので、母の命令には素直に従った。
(あの時、久しぶりにあった慶次さん……今思えば、逞しくなっていて素敵でしたね)
当時、美代と慶次は別々の中学校に通っており、顔を合わせるのは実に小学校卒業以来だった。
美代は慶次の噂だけは耳にしていた。
――知らない親戚に遺産を奪われた。
――妄念に獲りつかれた祖父が、あくどい方法で犯人を死刑に追いやった。
――事件は当主につきたいがために行った、慶次の自作自演であった。
噂のほとんどが悪いもので、美代は慶次がどれだけ落ちぶれたのか、後ろ黒い期待をしていた。
それが会うなり厭味ったらしく旅行を自慢した美代に対して、『今まで冷たくして悪かった』と謝ってきた。
てっきり舌打ちだけされて終わると思っていただけに、パニックになった。
薬でもキメたのか、高度な皮肉を覚えたのか、記憶喪失になったのか――などなど、かなり失礼な事を訊きまくった。その度に突っ込まれて、訂正されて、ようやく慶次が本心で謝っていると分かった。
だが、謝った理由は分からなかったので、ついでにそれも訊いた。『そもそも何で俺たち喧嘩してたんだ?』と笑いながら訊かれ返された。
(あのまま慶次さんに指摘されなければ、私はもっとねじ曲がっていたでしょうね)
それから、今までの不仲が嘘のように仲良くなった……なんて事はなかったが、嫌い合うような事はなくなった。学校は違った事もあり、会話もほとんどなかったが、良い意味で段々と慶次に興味を持つようになった。
――遺産を理不尽に食い荒らされて、どうしてあんなに冷静でいられるのだろう。
――祖父が事件ばかり構って、見向きもされないのに、どうして一緒に暮らしていられるのだろう。
――どうして、あんなに素直に謝る事ができたのだろう。
そんな事を、前田家を見かける度にぐるぐると考えた。自分と慶次を比べて、ようやく答えが出た。
強いのだ、人として。
――世界が理不尽だからこそ、全てを失ってしまわないように真っ直ぐ進み続ける。
――例えどんな仕打ちを受けても、本当に大切な人だからこそ寄り添っていられる。
――そして何があっても、人として大事なものを守り抜き、自分の生に誇りを持つ。
どれだけ美しくても、どれだけ才能を秘めていようとも、美代には決して持つ事はできない。慶次が過酷な人生の中で育て上げた、儚くて悲しい強さだった。そこまで強くなるのに、どれだけの困難と苦悩があったのか、美代は想像もできなかった。
答えが出てから、さらに慶次の見方は変わった。
美代には決して持ちえない、強さを持った人。相変わらず会話は少なかったが、そんな彼を心の底から尊敬すると同時に、彼以上の強さが欲しいと、ライバル視するようになった。
――それが、間違った一方的な答えだと気づくのに、一年以上の月日を必要とした。
中学二年生の秋。美代と慶次が仲直りして一年後、慶次の祖父・
葬儀は喪主が中学生とは思えないほどに、滞りなく行われた。
この葬儀には美代も参加した。だが、その心の内は亡くなった者に対する弔いではなく、少し先の彼の未来だった。
きっとこの困難も、慶次なら乗り越える。また強くなって、美代の前に現れる。だから自分も負けない様に強くなる――そんな一方的な想いを勝手に描いていたのだ。
(……あの時の私は、きっと酔っていたんでしょうね、自分と慶次さんに)
葬儀が終わってから、美代は慶次を訪ねた。その心を慮ったのではない、慶次の今後の身の振りが気になって、尋ねようと思っただけだった。
だが、幾ら呼び鈴を鳴らしても、慶次は家から出てこなかった。もう寝たのか、とも思ったが、窓を見れば電気は点いている。
腑に落ちないものを感じながら、美代は何となし窓の中を覗きこんだ。
そこには慶次を何人もの大人たちが取り囲み、全員が慶次を口汚く罵り蔑み貶めていた。軽い気持ちで訪れた美代にとって、その光景はとても見るにも聞くにも耐えられないものだった。気づけば、目を閉じ、耳を塞ぎ、大人たちが去っていくのを待っていた。
それから、数十分後――もしかしたら、数分後だったかもしれないが――とにかく、美代にとって長い長い時間が過ぎた頃、誰かが肩を叩いた。
慶次だった。目の下には色濃く隈が浮かびあがっており、肌は荒れていた。よく見れば、殴られたような傷があった。なのに、彼はすごく心配そうな顔で美代を見ていた。
美代は無理やり家に押し入り、慶次を治療しながら何があったか訊いた。
『面白みのない話さ』
『じいちゃんが死んだから、俺たちにも遺産寄越せだって』
『断ったら、殴ってきやがって』
『警察? 一応言うつもりだけど、あいつら変な団結力あってさ。口裏合わされて上手くいかないんだよ」
『裁判? その前に、弁護士が裏切りやがったから、他のも合わせて一からやり直しだよ』
『嘘吐いてもしょうがないから言うけど、正直ヤバい』
『辛いさ。でも、これ以上失うのは嫌だから、できる所までは頑張るよ』
これが美代が尊敬していた強い人の等身大の姿。
美代は自分が大きな思い違いをしていた事に、ようやく気づいた。
結局、慶次が強かったのは精神力だけだった。本当に凡庸な男なのに、大人たちは慶次に過酷を強いて、慶次はもうボロボロだった。それなのに、大人は誰一人慶次を助けようとしない。独りぼっちの慶次に、誰も手を差し伸べようとしない。それどころか、寄って集って足蹴りにしている。
比喩ではなく、このままでは慶次が死んでしまう。なのに、誰も状況を変えようとしない。
美代は恐ろしかった。状況を理解してなお非道な行いに走る大人たちも、凡庸ゆえ状況を理解しきっていない慶次も。
気づいてしまって、見て見ぬふりはできなかった。
美代は何かと理由を付けて、慶次に口を出すようになった。
家事や勉強などの日常的な技能から、裁判やら警察やら公的機関の適切な使い方など専門知識まで、美代が手助けできる限り口やかましく助言をした。
つまり、元々美代の献身は慶次が好きとかではなく、本当にこのまま放置したら死んでしまうという結構ガチな危機感からだった。
周りは『通い妻』やら『ダメ男製造機』などと囃し立てたが、そうでもしないとこの男は死ぬまで突っ走るんだ。美代はそんな周囲の言葉など無視して、慶次の元に何度も足繁く通った。だが、学校が違うので一緒にいられる時間が短く、全然事態が好転しない。
美代は進学先を堂森高校に変えてまで慶次を追いかけ――後は、今の美代と慶次だ。
(というか、相手を追いかけて進路変えるって、どう考えても好きじゃないですかー! 余裕がなかったのは事実ですが、何で昔の私はそんな事も気づいてないのですかー!!)
美代はベッドにうつ伏せになり、ポカポカと枕を叩く。
皆は慶次を鈍感と言って叩いていたが、当時の美代は本気で自分の気持ちに気づいておらず、好意を持っているという素振りを一切見せなかった。それどころか、慶次の巻き起こす騒動のせいで一切の余裕がなく、ニコリともしなかった。それで慶次を責めるのは、酷というものだろう。
(そのせいで、今も慶次さんの前で自然に笑えないという有難くない副産物まで残っていますし! ああもう、昔の私は馬鹿すぎる!!)
結局、慶次が去年にクラスメートを巻き込んでまでセッティングした修学旅行デート(本人は日ごろのお礼のつもり)を経て、ようやく自分の本当の気持ちに辿りついた。
他人より余分に手の掛かる人。何度も苦労させられたが、その度に土壇場で乗り越えて思った以上の結果を見せてくれて。美代の親が政敵で今も危険視しているのに、そんな色眼鏡で見て接する事は決してしなくて。慶次と一緒に入られる時間はとても大変だけど、同時にとても楽しくて自分らしくいられて。これからもずっとずっと、一緒にいたいと想っていたと……ようやく気づいた。
で、気づいた時には高校生活も残り一年であり、嫌い合っていた時間の方が長いし、色っぽい思い出は修学旅行だけだし。それどころか、すぐに美代の気持ちを慶次に見抜かれてしまって。
もう出遅れて過ぎて、全てが手遅れだった。
(いや、気付かれたのは私をよく見て下さっているって事で嬉しいんですけど! ですけど、この状況、慶次さんじゃないですけど詰んでますよね、これ!)
一年間、さりげなくオシャレとかボディタッチとかしてみたが、進展はない。もう告白するべきかとも考えるが、慶次は好意に気づいてなお、美代を放置しているのだ。慶次が受験などで普通に忙しいという状況もあるだろうが、告白した所で玉砕する未来しか見えなかった。
(……考えても落ち込むだけですし、今は慶次さんを手伝う事に集中しましょう)
気を取り直してベッドから立ち上がると、本棚から背表紙が何も書かれていないファイルを一つ取り出す。以前、慶次の身辺整理の一環で、六年前の事件をまとめたファイルである。
美代はファイルを見直しながら、慶次の異変を推察する。
(昨日までの慶次さんと今日の慶次さんの一番の相違点はバット……そういえばお義兄様はバットを持ってお亡くなりになっていましたね。なるほど、『バントホームラン』を打てるような異常なバットを持っていて、お義兄様が殺されてしまったのは確かに甚だ疑問です。ですがそれが分かったところで、どうして六年前の事件を洗い直す必要があるのか……ここで慶次さんの負傷が関わってくるかもしれませんね。関わってくるとなると、慶次さんに危害を加えた犯人と六年前の犯人を、慶次さんはどういう訳か結び付けている、と)
ここで美代は手を止め、さらに今回の騒動の切っ掛けとなったであろう人物を思い浮かべる。
(あの黒髪貧乳少女が、今回の事件と六年前を繋いだのでしょうか? 六年前と今回の事件、地続きになっている事も念頭に置いて追加調査をするべきでしょうか?)
美代は首を小さく振ると、ファイルを鞄の中に入れる。
(慶次さんの動きが、朝と昼では見違えていました。これがバットの効果だと考えると、おそらく、昨日の体調不良も治したのでしょう……あれだけ便利なバットを持っていても、警戒しているのです。私の想像もできないような恐ろしいものがあるのかもしれません。ともかく、もう少し慶次さんから『敵』と『少女』の事を詳しく訊く必要がありますね)
今後の対策を練っていると、ガチャガチャとドアノブを回す音がする。
美代はウンザリしながら、ドアの向こうに立っている人物に声を掛ける。
「お父様、何の御用でしょうか?」
「美代、ここを開けなさい! 大事な話がある!」
「……お父様、私でなければ一生、口を利かれない事をしているという自覚を持って下さい」
「私はお前の父親だ。何の問題がある?」
予想通りの返答に、美代は大きくため息を吐く。
この傍若無人な態度の人物は、美代の父・
今日も恐らく“あの件”だろうと思いつつ、美代は尋ねる。
「それで、早くご用件を仰って下さい」
「……ふん、まあいい。来週、見合いが決まった。相手の資料を置いておくから、目を通していろ」
「……ちっ」
想像とそっくりそのままの答え。心構えはしていたにもかかわらず、やはり決して受け入られない内容に美代は舌打ちする。
父はそれを分かっていながらも、話すのを止めない。
「先方もお前をいたく気に入ったみたいでな、すぐにでも会いたいと言っている。粗相のないようにしなさい」
「……何度同じ事を言わせるつもりですか」
なるべくゆっくり、静かに、感情を漏らさない様に美代は言うが、言葉の端々には殺気が漲っていた。
対して、父の方も思い通りにならない娘に、苛立ちを隠さず言う。
「口答えをするな」
「口答えもします。だって、私は高校生ですよ? そんな小娘を気に入って、さらに会いたい? これが一般人なら110で一発逮捕です。その方が学生でないのなら、そんな一般常識も携えていない社会人、こちらからからお断りです」
「違うな、一般常識がないからこそ良いのだ。頭はほどほど悪い方が、手綱を引きやすい」
「ですから、私も新発田家次期当主の自覚はあるので、そういった方でも私が大学生になれば吝かではないと言っているでしょう! あ、もしかしてお急ぎですか? なら、他に年も近くピッタリの方がいますから、そちらにします」
「……もうすぐ野垂れ死ぬ男に、まだこだわるか」
「っ! 今、何て言いましたか!!」
父の言葉に、美代は感情のまま壁に拳を叩きつける。
父は慶次の父親・利期が死んでなお、前田家を敵視していた。利期が死んでなお、父は前田家を敵視し、慶次を目の敵にしていた。慶次の事を口にする父は、容赦なく、残酷で、残忍だった。そして、慶次の不幸の幾つかは、彼が手引きしていた。
美代の行動原理は、慶次が死なない様にする事。いつもはある程度、美代も我慢できるが、今日のこの言葉――もうすぐ野垂れ死ぬ――は許せなかった。
「その言葉、今すぐ撤回して下さい!」
「そろそろ現実を見たらどうだ? あんな無能な小僧、もうすぐ死ぬ」
「追いつめている張本人のくせに……!! もういい加減、やめて下さい!!」
「それでお見合いだが、」
「もう話しかけないで下さい!!」
「来週の、」
「話しかけないで!!」
美代は布団を頭からかぶり、耳を塞ぐ。父の言葉は何も聞きたくなかった。
(……慶次さん)
無音になった世界で、慶次の事を想う。
美代の好きな人は、今度は一体何に関わっているのか。美代はまた彼を手伝い、助ける事が出来るのか。一体、慶次は美代の事をどう思っているのか。
色々想いは交叉するものの、美代は目を閉じながら絶対に揺らぐはずのない一つの想いを心に刻む。
「あっ、パックしなくちゃ……慶次さんは私の綺麗な肌が好きですからねー」
――その想いが、たった一息で吹き飛ばされる事を、彼女は知らない。
(今回も絶対助けます、慶次さん)
ラブコメ系ヒロインですか? いいえ、昼ドラ系ドロドロヒロインです。
どうしてこうなった……。
ちなみに、『幕間1』とありますが、2が出る予定は今のところありません。