灼眼のシャナ~ブラッディメモリ~   作:くずたまご

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第ⅩⅧ話 覚悟

 ストーブと蝋燭の淡い光が照らす薄暗闇のリビング。

 慶次は廊下へと続くドアを塞ぐ様に立ち、部屋の中を見渡す。依子と美代は中央の椅子に座り、同じように机に視線を落とす。二人の間に会話はない。ただただ黙して、時を刻む。

 慶次の首にはペンダント型の神器“コキュートス”がある。必然的に距離は近くなり、慶次とアラストールはごく自然に声を潜めて話していた。

 

 

(最初、どうなるかと思ったけど、案外暴れなかったな)

(貴様の姿が余程堪えたようだな)

(……やっぱそう?)

 

 

 慶次は包帯だらけとなった身体を見下ろす。右の肩口から先はなく、包帯の所々は赤く染まり、消毒液と血の匂いが鼻にこびり付く。

 

 

(これでよく生きて延びておったな)

(アラストールがそう言うぐらいの傷だもんな。こんなの直視したら、やっぱりショックだよな)

 

 

 最初、リビングに着いた時は依子が夫を庇い、美代が父を責める。母娘が不毛で、やるせない言い争をしていた。

 言い争いは依子が慶次を見た瞬間、止まった。漆黒のコート『夜笠』を取り払い、曝け出された慶次の傷に、思わず言葉を失った。そして、勝美を庇う気持ちを萎ませていった。どんな理由があっても、重傷……いや、ともすれば死んでいた人間を撃つなど、到底まともではないと気づいたのだ。

 そのまま場は母娘は口を噤み、今も重い沈黙が場を包んでいた。慶次は何か気の利いた言葉の一つでも掛けようと思ったが、そんな魔法の言葉があるはずもなく、慶次も一緒に沈黙するしかなかった。

 とはいえ、椿から『コキュートス』を借りてまで、二手に分かれたのだ。あまりうだうだ時間を潰していたら、椿の顔に泥を塗る事になる。すぐにでも行動を起こすべきだった。

 

 

(俺は美代に向き合って欲しい。そのせいで、『戦う』っていう選択肢を選ぶかもしれないが……まあ、まずはあいつが立ち直らないと始まらないな)

 

 

 そう改めて決意する慶次が、美代に声を掛けようとするも、胸元の『コキュートス』に宿ったアラストールがこれを遮る。

 

 

(待て)

(何だよ)

(我に任せてはもらえないだろうか)

「……はいぇ?」

 

 

 アラストールのあまりに意外な提案に慶次が素っ頓狂な声を上げる。母娘が怪訝な眼差しで慶次を見るが、適当に手を振ると余裕がないのだろう、勝手に納得されて俯く。

 それはともかく、アラストールである。

 

 

(あ、ちょ、あれ、お前が美代を、でも)

(混乱し過ぎだ、馬鹿者)

(いや、だって、もしかしてアラストールも風邪引くの?)

(そんな訳あるか!)

 

 

 アラストールは慶次に優しくするのではなかった、と若干後悔しつつも、律儀に説明をする。

 

 

(我も人の心情に疎い方だが、新発田美代が相当に貴様を好いている事ぐらい分かる)

(っ、そ、それが今、何の関係が――)

(だからこそ、その言葉が呪いになりかねん)

(……呪い)

 

 

 呪い、と言われ、思い出すのは学校での出来事だった。

 美代が絶望の果てに、『守らなくていいから、最後まで隣に』と言った。原因は“燐子”たちにあったとしても、その発言の源は慶次への好意があった。

 その好意を慶次も――おそらくだがアラストールも――悪いものだとは思っていない。だが、純粋な想いも時と場面によっては呪いのように負の面を見せてしまう……あの時の美代の様に。

 そしてアラストールは今、慶次の言葉がその呪いを再び甦らせる可能性がある……そう言いたいのだろう。

 

 

(その点、我は好かれておらん。むしろ、恨まれているかもしれんが)

(いや、それはそれでダメなんじゃねーの?)

(貴様があの娘を制御出来ん死兵にするより、幾分かマシだ。それにそうなっては、貴様にも悪影響であろう)

 

 

 アラストールの言い分は一々最もだった。絶望されて自暴自棄になってあんな酷い顔をされるよりも、アラストールに任せる方が良いだろう。とはいえ、アラストールがそんな単純な、さらに言えば椿に益のない事を進んでするとは思えない。

 

 

(そりゃごもっともだけど、本当にそれだけか?)

(認めたくはないが、我らだけでは知恵が足りん。あの者の慧眼は此度の解決には不可欠だ。不本意ではあるが、な)

 

 

 美代の鋭すぎる頭脳。カルの計画の一端さえ見えない現状、それは喉から手が出るほど欲しい能力であった。しかし、どれだけ頭が切れても美代は一人の少女に過ぎない。彼女に背負わせるには、あまりにも重すぎる荷であった。今の美代では、それに触れた途端そのまま壊れてしまうかもしれない。そうなってしまえば、計画の一端どころかさらなる悲劇しか呼ばない。だからこそ、アラストールは美代を真の意味で立ち直らせようと声を上げたのであった。

 

 

(全く、少しは言い方ってのがあると思うんだが)

(どうでも良い事だ)

 

 

 ともすれば、美代を利用しようと言う宣言だったが、慶次はそれを止めるつもりはない。確かに、慶次とアラストールの目的は異なるが、向かう先は同じ。すなわち、“美代に立ち直って欲しい”。目的は違えど同じ結果を求めているなら、止めるのは賢い選択とは言えないだろう。むしろ、アラストールの方が効果的に行えるならば、愚かかもしれない。アラストールの事だ、慶次がそこまで察すると計算しているのだろう。

 包み隠さない打算に慶次は苦笑を浮かべるしかない。とはいえ、幼馴染を任せるのだ、一言ぐらい言っていも良いだろう。

 

 

(あんまり虐めんなよ)

(……善処しよう)

 

 

 慶次の苦言にアラストールは苦々しげに返す。こればかりは、本当に自信がないのかもしれない。

 気を取り直し、慶次は視線をコキュートスから美代に変える。同時、アラストールは声を上げていた。

 

 

「新発田美代」

「……」

 

 

 呼ばれた美代は聞いているのか、それとも聞いていないのか微動だにしない。

 

 

「お主は何も悪くはない」

「……」

 

 

 『誰っ!? どこっ!?』と狼狽する依子を余所に、アラストールは語りかける。

 美代は一点を見つめたまま動かない。アラストールはそのまま続ける。

 

 

「この堂森市の災禍を止められなかったのは、全て我らの力不足だ。全ての責は我らにある。すまない」

「……」

「聡いお前の事だ、それを理解した上で己が不甲斐無さを詰っておるのだろう。我もお前のその気持ちは否定せん」

「……」

 

 

 アラストールは美代の気持ちを認めた上で、だが、と続ける。

 

 

「なぜ、前田慶次の傍を離れた?」

「……っ」

「再び前田慶次を傷つけるのが怖いからか? 再び前田慶次の足枷になりたくないからか? 顔の熱傷を慶次に見られたくないからか?」

「ちょっと前田君! 携帯か何か知らないけど、この失礼な人を止めて!」

 

 

 音源は分からなくとも会話が娘に、しかもかなり辛く当たっている事に気づき、依子が間に入ってくる。慶次は無言で欠けた右腕の包帯を動かし、傷を塞ごうと不気味に蠢く肉と真っ白な骨を見せつけ、『意見をするなら、これと向かい合え』と暗に告げる。彼女は気づいたのか気づかなかったのか、口を押えるとゴミ箱に駆けていった。

 邪魔者がいなくなったところで、今度は美代が躊躇しながらもスケッチブックに文字を書く。

 

 

『私が弱いからです』

「確かにお前は弱い。だが、それは前田慶次から離れる理由になり得ん」

 

 

 アラストールは断じて、真っ向から美代の言葉を否定する。

 

 

『いえ、私がもっと優秀だったならば』

「ならば、なぜ前田慶次はこの場に立っている?」

「……っ」

 

 

 指摘され、美代の手が止まる。美代の視線が慶次の胸元、神器“コキュートス”に向く。

 優秀であれば残れたと言うのならば、贔屓目に見ても秀才とも言えない慶次が踏み止まっている事実と相反する。さらに、置かれた立場も違うが何度も瀕死になった慶次の方が立場は厳しく、逃げる理由はあっても残る理由にはならない。

 つまり、優劣でもなく環境でも境遇でもなく、美代が慶次から離れてしまった理由は――、

 

 

「お前には覚悟が足りない」

「っ!?」

 

 

 美代の瞳が大きく開かれる。

 “燐子”に襲われた時も、カルに脅された時も、父が慶次を襲った時も。

 死の恐怖と戦おうとしたか、命を顧みず動こうとしたか、身と挺してでも止めようとしたか。

 美代は己が命が懸かった場面で、何一つできていなかった。それは単に、慶次を守るという覚悟がなかったから。逆に慶次は、危機の度にそれだけの覚悟を持って挑んだ。二人の違いは、それだけに過ぎなかった。

 無論、そんな悲壮な覚悟を闘いとは無縁だった女性に問うなど、常軌を脱した事だろう。だが、惨劇の渦中に立つには、それが最低限の条件だった。

 

 

「これまでの結果にお前の責は一切ない。己を責める事も、感情を考慮すればそれも致し方ない。無論、これから先お前が前田慶次の傍に立てなくてとも、何ら責はない。それでも()()()()に来ると言うのなら、覚悟を決めよ」

「……」

「よく考えて、答えを出すがいい」

 

 

 それだけ言い切ると、アラストールは再び口を閉じた。美代もアラストールから視線を外し、再び机に目線を落とす。

 

 

(覚悟……か)

 

 

 慶次は慶次で問われた内容を――己が持っている覚悟を考えていた。

 濁流のように激しく変わる状況に、慶次は流され翻弄されながらも腹を括った。少しでも踏み止まり前に進むには、それしか方法がなかったからだ。はっきり言って、そこに信念や理念はなかった。

 確かに、身の丈に合っている。だがこれから先、さらに戦いが激しくなった時、果たして慶次が立ち向かっていけるのか不安であった。

 ――と、その前に廊下に続く扉が小さく開く。慶次が扉から退くと、長髪を黒く冷ました椿が、眉根に皺を寄せて入ってきた。

 

 

「椿、終わったのか?」

「……うん」

「? どうした? 何かあったのか?」

「えっと、その……」

「?」

 

 

 慶次は椿に怪訝な眼差しを向ける。すぐにでも説明を始めると思ったのに、どういう訳だが歯切れが悪い。

 

 

「覚悟して、聞いて、欲しいって言うか……何と言うか……」

 

 

 悩みながら選んだ言葉も途切れ途切れで、迷っているのが丸分かりだった。

 

 

「どうも、あまりいい話じゃないみたいだな。けど、珍しいな、お前がこんな悩むなんて」

「……直接伝えると『宝具』に影響が出るかもしれないから、慎重に対処してるだけで……他に深い意味はない」

「そうか。俺は椿が気遣いを覚えた思って、ちょっと感動してたんだけどな」

「勝手に期待しないで」

 

 

 冗談交じりで返す慶次に、素直じゃないようで、とても素直な反応が返ってくる。悪い話は確定のようだ。

 

 

(気遣ってるって言ってるようなもんだろ、それは。全く、慣れない事はするもんじゃないっての)

 

 

 慶次は彼女の不慣れな気遣いに、思わず苦笑いを浮かべる。とはいえ、何でも直球に伝える椿が躊躇するのだ、それが如何に重い事か、言わずとも分かった。

 どこまでも悪化していく状況。未だ“底辺”は見えない。

 依子は不安そうに慶次と椿を見ていた。対して美代は、口を真一文字に結び感情の分からぬ瞳で、机の一点を見つめていた。

 慶次は大きく息を吐き、胸を過ぎる不安と恐怖を飲み込み、覚悟を固める。

 

 

「ゆっくりでいいから、話してくれないか」

「……でも」

「時間もないんだ。面倒な事はとっとと片づけようぜ」

「……分かった」

 

 

 椿が勝美から集めた情報を話し始めた。

 慶次を撃った理由、『弐得の巻き手』との関係。そして――六年前の惨劇との関連。

 

 

「――という事なんだけど……」

「そう……か」

 

 

 全てを聞いた時、リビングには母娘が静かにすすり泣いていた。

 実の親が、夫が、間接的にでも六年前と今の惨劇に関わっている。それはあまりに過酷な事実だった。慶次はせめて自分だけが先に聞いておけばよかったと、少しだけ後悔した。

 

 

「それで、慶次……」

「俺は平気だ。お前のおかげだよ、サンキュー」

「だから別に私は……はぁ、もういいわよ」

 

 

 伺う椿に、慶次は感謝を伝える。すぐに受け入れられたのも彼女のおかげなのは間違いない。それに、慶次を気遣ってくれた事は素直に嬉しかった。

 

 

(まあ、今は俺の事は後回しだな)

 

 

 慶次は涙を流し続ける母娘に視線を転じる。どれだけ心苦しくても、時間は待ってくれない。悲しみに暮れる彼女たちに、慶次は決断を迫らなくてはならなかった。

 

 

 

 

 最初、リビングに真っ先に訪れた慶次を見た時、美代は全く喜べなかった。むしろ、罪悪感で胸が締め付けられる思いだった。

 普段、助けるなどと息巻いているくせに、肝心な時に足を引っ張るに飽き足らず。病院では形だけの覚悟で、慶次をさらなる危険に誘う。美代はそんな現実に向き合うことが出来ず、彼らの邪魔になる――いや、椿からすれば障害にもなり得ない――母を連れ出すという大義名分で、慶次から離れて行った。

 頭の中では分かっていた。慶次が自分を心配し、立ち直らせたいだけだ、と。そこに美代を責める気持ちも、利用するなどという打算もない、と。

 だが、美代にはそれを真正面から受け止める事が出来なかった。また、慶次を裏切るような事をしてしまったら……それを考えると、慶次の傍にいる事さえ怖かった。

 だから、アラストールに話しかけられた時は心底ほっとして……言葉はやや辛口だったが、一つ一つ丁寧に諭され、ようやく自分に足りないもの気づけた。しかしそれでも、芽生えた罪悪感はすぐには拭えず結論は……覚悟は決まらなかった。

 そうやって悩んでいる内に、さらに悪い事実が知らされた。

 

 

(……お父様が、六年前の惨劇の遠因……私はそんな事にも気づかず、隣でのうのうと……)

 

 

 慶次を助けたいから傍にいる。父親の非道も知らず、そんな事を嘯いていた自分が心底嫌になった。そして、助けたいという気持ちは本物だったからこそ……悲しくなった。涙が、止まらなかった。

 覚悟も何もない。もう目の前の事実を受け止める事さえ、美代は出来なかった。

 

 

「ごめんなさい」

 

 

 唐突に母はそう言うと、涙も拭いもせず真っ直ぐと部屋を出て行った。

 この期に及んで、父の傍へ行った。慶次が否が応でも見えていたはずなのに『ごめんなさい』の一言で行ってしまった。

 

 

(何なんですか……誰も彼も、自分自分自分。自分の事しか考えていないじゃないですか……お父様も、お母様も……私、も)

 

 

 父も母も美代も、自分たちしか見ていない。自分しか見えていないから、平気で慶次を傷つけ、現実から目を逸らして、自分の好きなところに逃げ込む。

 

 

(悲しい、苦しい、怖い……六年前の事も、今の惨状も、これから慶次さんの傍にいるのも……だけどこのまま、お父様やお母様の様に自分たちの事だけ考えて、楽な方に逃げた……)

 

 

 慶次は母を止めなかった。いや、それどころか見てもいなかった。見ているのは、美代だけだった。

 

 

(また、ここに残って、私は逃げるの……)

 

 

 慶次は美代の決断を待っている。共に戦うのか、それともここに残るのか。慶次の事だ、決して美代を強請する事なく、自ら下した決断ならそのどちらでもいいとでも思っているはずだ。

 手助けもせず、強要もせず、ただ促す。

 

 

(今、自分とも、慶次さんとも……目の前の全部に向き合わないのが、本当に逃げる事……その結果がお父様とお母様なら、私は逃げたくない)

 

 

 美代は目元の涙を拭い、慶次を真正面から見た。滲みの取れ切らない淡い視界の中、満身創痍の慶次の姿が目に入る。

 

 

(っ、私の馬鹿――)

 

 

 こんな時なのに胸が僅かに高鳴り――美代は当たり前の事に気づく。

 自分はどうしようもなく、慶次が好きだという事に。

 そして、その気持ちは障害の数や大きさで、諦められるものではないという事に。

 これまでも、そうだったように、これからも。

 なら、どうして今も足踏みしているのか。

 

 

(本当に、覚悟が足りなかっただけじゃないですか)

 

 

 全部、アラストールが指摘した通り。何があっても慶次の傍にいるという覚悟が、決意が足りなかったせいだ。

 また関われば慶次を傷つけるのでは。今度こそ、慶次は無事では済まないのではないか。そういった不安は尽きない。時間が経てば経つほど怖くなってくる。

 だが、そんなのもので潰えるほど、美代の想いは小さくなかった。むしろ、さらに恋の炎は大きく燃え上がる。

 

 

(私は……絶対お父様とお母様みたいに、逃げません。真実と向き合います。そして……慶次さんとも、この気持ちで真っ直ぐぶつかります)

 

 

 美代は覚悟を決める。

 

 

「……っ、慶次さん」

「っ! 美代、お前声が――」

 

 

 自然と声が出ていた。

 慶次は驚愕しながら嬉しそうに笑い、すぐさま表情を引き締める。

 

 

「もう一度、私に手伝わさせて下さい」

「分かっちゃいると思うが、この中の誰かが欠けるかもしれない」

「……はい。覚悟はできています」

「今より辛い事が絶対に起きるぞ。それでもいいのか?」

 

 

 慶次が念を押す様に問う。これに頷けば、もう逃げ出す事はできない。だが、それがどうしたというのだ。だってもう、逃げる事はないないのだから。

 

 

「大丈夫ですよ、慶次さん」

 

 

 彼に向けて、美代は自らの呪縛を解き払うように宣言――してしまう。

 

 

「私は慶次さんの事が好きなんですから」

「「っ!?!?!?」」

「……あっ」

 

 

 最後の最後にやらかしてしまった美代に、慶次と椿は盛大に噴き出す事で応えた。

 

 

 

 

 美代は爆弾だけ投下すると、「準備してきます」と言い残して、とっとと部屋を出て行った。何ともいたたまれない空気の中に放り出された慶次たちは、新発田家に残るのは精神衛生上悪いのに加え、慶次がほぼパンツ一丁なのに居た堪れなくなり、自宅に戻った。

 包帯の上に無造作にジャージを着た慶次は、美代が来るまでの間に休息を取る事にした。椿も合意し、リビングで電気の点かない炬燵に入り、お互いミカンを頬張っているのだが、

 

 

「……」

「あの、そんなに睨まれると、非常に食べにくいのですが」

「別に睨んでない」

「いやいや、どう見ても怒りの籠った強烈な眼差しが……」

「怒ってもない!」

 

 

 断じる椿であるが、思いっきりしかめっ面で目尻を吊り上げている。誰がどうも見ても怒っているようにしか見えないのだが、なぜか彼女はそれを認めようとしない。何か理由があって認められないのか、それとも……そもそも、なぜ怒っているのか、自身の感情が掴めず認められないのか。慶次は後者のような気がするが、特に確証がある訳でもない。

 慶次はとりあえず、尋ねる事にする――ミカンを左手で庇いながら。

 

 

「怒ってないならいいけどさ、言いたい事あるなら言ってくれないか?」

「誰もあんたのミカンが欲しいとかじゃないわよ!」

「そうなのか? じゃあ、一体なんだよ?」

「……新発田美代」

 

 

 ぷいっ、とそっぽを向きながら椿が小さく呟き、やっぱりそれか、と慶次は苦く思う。慶次だって美代の好意は察していたとはいえ、あの時、あのタイミングで言われ困惑しているのだ。加えてこれは恋愛事であり、はっきり言えば当事者でもない椿に突っ込まれたくない。まあ、尋ねる椿はおそらく……いや、絶対恋愛などした事ないし、そもそも気遣いとか無縁だ。

 どうやって説明したものか慶次が思案している間にも、椿が続ける。

 

 

「励ますとか言ってたくせに、本当は一体何してたの?」

「何もしてないって」

「どうだか。尋問とか面倒な事を私に押し付けて、楽しんでたんじゃないの?」

「ンな事するか!」

 

 

 ほとんど言い掛かりのような内容に、慶次は堪らず反論する。だが、やはりどう説明するべきか思い浮かばない。そもそも、何でこんな事に頭を悩ませねばならないのか疑問に思ってくる。

 

 

(これもあれだ、アラストールが椿を箱入りで育てたせいだ)

 

 

 全てアラストールの育て方が悪いという事にして、慶次は彼に丸投げする事にした。

 

 

「つーか、喋ってたのはアラストールだけで、俺は本当に何もしてないんだぞ。な、アラストール?」

「ぬっ!?」

 

 

 アラストールは、まさか振られるとは思っていなかったのか、素っ頓狂な声を上げる。そして、怒りの眼光は疑惑の眼差しへと変わり、椿の胸元の神器“コキュートス”へと注がれる。

 

 

「貴様、元々あの者が好いていた事を知っていたであろう! なぜここで我の名を――」

「アラストール?」

「ぬっ!?」

「本当なの?」

「じ、事実ではあるが」

「……」

「事実ではあるが! 不埒なやり取りは一切ない! そも、あのような結果は、この馬鹿の日ごろの行いが――や、やめろ……! 前田慶次を見るような目で、我を見るな……!」

「おいこら。何だよ俺を見るような目って……まあ、いいけど」

 

 

 アラストールに濡れ衣を見事におっ被せて、慶次はへらへらと笑う。そして、ここでやめておけばいいのに、調子に乗って椿のミカンへ手を伸ばした。丁度、ミカンを奪った所で、椿が手癖の悪い左手を気付く。

 

 

「あっ」

「ちっ、こうなったら仕方ない」

「ちょっとあんた何で私の――って、全部食ってんじゃないわよ、この馬鹿!!」

「んぐ、これも『宝具』の影響だ……って、痛い痛い!」

「そんな訳ないでしょーが!」

 

 

 いつもならぶっ飛ばす所、慶次が重傷だからなのか椿は耳を引っ張るに留める。それでも、フレイムヘイズの万力で引っ張られる……というより締め付けられるので、痛いには変わりない。

 上手く矛先が慶次に戻って、アラストールが密かにほっとしていると、

 

 

「お待たせしました」

 

 

 準備が終わったのか、美代が廊下に続くドアからリビングに入ってきたが、その姿は様変わりしていた。

 太腿部までの黒色のタートルネックワンピースに、白いラインが入った黒い薄めのタイツ。いずれもタイトなせいか、胸部や腰部や脚部の女性らしい丸みを大いに強調していた。ばっさり切っていただけの髪型も、左耳だけ髪が掛かったショートヘアに整えられている。よく見れば薄く化粧もしており、彼女の美麗な目鼻立ちをさらに際立たせていた。ところどころ白い包帯が目につくが、それでもその立ち姿は大人の女性を思わせ、さらに言えば色気さえ漂わせていた……足元の巨大なバックパックに目を瞑れば。

 そんな文句なし綺麗な美代だが、慶次の耳を引っ張る椿を見るなり肩を落として落ち込む。

 

 

「そりゃムードも何もなかったですし、慶次さんの眼中にない事は知ってましたけど、もう少し何かあってもいいんじゃないですか……というか、こんな非常事態にイチャつくとか、やっぱりロリコンじゃないですか」

「……手癖の悪い馬鹿を躾けていただけで、別にイチャついてなんかない」

「はいはい、そういう事にしますから、早く適正距離を取って下さい。もう躾は十分です」

「あの……ナチュラルにロリコンとか躾とか言われると落ち込むんで、やめてくれませんか?」

 

 

 椿はまだ満足していないのか、不満そうに美代を睨みつけるが、美代も腹が据わったもので日常で見せる例の無表情で受け止める。ここまで慶次の主張は二人とも完全に無視だ。

 しばし睨み合った後、椿は慶次の剥いたミカンを口に詰め込んでから、慶次の真正面の位置から炬燵に入った。

 美代は口に微笑を浮かべると、慶次の横に座ろうとして――やっぱり恥ずかしくなったのか、炬燵の空いていた場所に座った。

 

 

「それでは、先ほどの情報の精査に入りましょうか」

「あ、普通に始めるのか……まあ、いいけど先に一つ訊いていいか?」

 

 

 先の事を完全に無視し音頭を取り始めた美代に、慶次が間に割って入る。話を始める前に、慶次は少し疑問に思っていた事を尋ねる。

 

 

「何かすごい自然に話に加わっているけど、美代ってどこまで“真実”を知っているんだ?」

「そんなの“紅世”も『フレイムヘイズ』も全部に決まっているじゃないですか」

「えっ!?」

 

 

 驚愕に表情を変える慶次に、椿が呆れながら答える。

 

 

「あんたが寝てる間に全部話したに決まってるじゃない。さすがに説明してもいない奴を付いてこさせないわよ」

「でも、あの時は声が出せなかったし、どうやって会話したんだよ?」

「手話よ……まあ、こいつが手話できた時には、私も最初は驚いたけど」

 

 

 すると美代は慶次には分からない手の動きを見せる。

 慶次が目線で椿に訊くと、

 

 

「右手が恋人、前田慶次」

「おいこら、ムッツリスケベ」

「な、何でムッツリスケベになるんですか……! そ、そういう想像する方がスケベです……!」

「ねえ、スケベってどういう事? 手が恋人ってどういう意――」

「それで、前田慶次の質問は以上か?」

「あ、ああ」

「それでは、新発田勝美より引き出した情報の精査に入るぞ」

 

 

 話しがどんどん脇道に逸れ始めたところで、アラストールが何とか手綱を取って元に戻した。

 美代はわざとらしく咳払いしてから、椿に話を振る。

 

 

「お父様の書斎にあった『敵』のリストから、何か分かる事はありましたか?」

「……これがリストだけど、正直お手上げね」

 

 

 椿がどこから出したのか、一つのファイルを炬燵の上に広げる。数十ページに及ぶファイルには、何時、どこで、何を購入したか事細かに書かれていた。土地や建物といった大きな買い物から、鉛筆や消しゴムといった自分で買えるだろうという物まで書かれている。 ここまで徹底して撹乱されると、カルの作戦に本当に必要だった物を割り出すのは不可能と言えた。しかし、美代はリストを見るなり、不審そうに眉根を寄せる。

 

 

「……おかしいですね」

「おかしいって……まあ、鉛筆ぐらいテメエで買えよ、とは思うが……」

「いえ、そうではなく……あまりにも情報が()()()()()ます」

「! なるほど、確かにおかしいわね」

 

 

 椿も得心がいったのか頷く。と、ここで二人から一斉に視線を注がれる。同時に可哀想な眼差しに変わる。

 一瞬で核心に迫るお前たちの頭がおかしいんだよ、と慶次は思うものの、黙って彼女たちの説明を待つ。

 

 

「新発田勝美の証言によれば、前田利期が行っていた調査っていうのは、ここに載ってるリスト……カルに頼まれて新発田勝美が購入や交渉、運搬した物に関してよ」

「それで、そのどこがおかしいんだ?」

「ちょっと訊くけど、リストを見てあんたは不審に思った?」

「いや、不審に思う以前に、内容がごちゃごちゃし過ぎて何が欲しいのかも全然分からん」

「私も同意見よ。だけど、前田利期が調査したって事は、何かリストに不審な点を見つけた……そういう事にならない?」

「! なるほど。確かに、リストの内容と父さんの行動の整合性が取れないな」

 

 

 ここまで説明されて、ようやく慶次も理解する。

 

 

「つー事は、父さんはこのリストを見て何か不審な点……っていうのは無理だから、リスト以外の情報から不審な点を見つけた……って所か?」

 

 

 椿と美代は揃って頷いてから、今度は美代が言葉を引き継ぐ。

 

 

「慶次さんのお父様は評判の悪い政治家でしたが、在任中は常に地盤は盤石でした」

「えっ? それ関係あるの?」

「大ありです。いいですか、地盤を盤石にするには、とにかく在任中失策を無くす事が肝要です。そのためには、石橋を叩いて叩いて叩きまくるのが、慶次さんのお父様ですよ」

「あんまり聞きたくない、親の一面だが……つー事は、そんなに慎重な父さんなら、ちょっと不審なだけじゃ調査はしないって事か」

「おそらく、確たる証拠がなければ、動かなかった」

「逆を言えば、父さんの手元には勝美のおっさんを調査するに足るほどの、証拠が揃っていた」

 

 

 情報の精査を重ねて進めていく推理。

 靄の掛かっていた六年前の事件が、段々とその姿を現してきた。

 

 

「そうなると、慶次さんのお父様を殺害した理由はどうなるのでしょうか?」

「そんな理由は後で考えて、その証拠とやらを探そうぜ」

 

 

 慶次の答えに、女性陣が二人揃ってため息を吐く。

 

 

「な、何だよ」

「あのね、慶次。書斎ひっくり返しても見つからなかった証拠が、本当に残ってるとでも思ってるの? 残っていたとしても、この六年間でカルが隠滅したに決まってるでしょ」

「うっ……」

「だから、今考えるべきは六年前の事件で残った一番の不審点、殺害の理由よ」

「……証拠持ってたからじゃねーの?」

「あのね、カルは『フレイムヘイズ』なのよ。わざわざ証拠が残る“殺害”をしなくても、証拠と記憶を消去すれば、事足りるでしょ?」

「……でも、実際は……」

「悪手だって分かっているのに、わざわざ人間を使ってまで“殺害”した。悪手を使わざるを得なかった」

「そして、その悪手の原因を突き詰めていけば、お義父様が持っていた“証拠”も見えてくるはず……なんです、が」

 

 

 うーん、と二人の美少女が揃って頭を捻る。

 おそらく、あと一歩。その一歩さえ詰めてしまえば、六年前の事件から今回の惨劇に繋がる情報が得られるはず。だが、その一歩が途轍もなく遠い。

 慶次も頭は捻ってみるものの、何も思いつかない。そのうち、凡人である俺に分かる訳ないと開き直り、のんびりとミカンを食べながら気楽に考え始めた。




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