※10月7日:夕飯がワープしていたので修正
「衝動的に殺害した……とは、考えられないですよね」
「当たり前でしょ。そんな奴だったら、慶次だってあんただって学校で殺されてるわ」
「明らかに私たちに苛立ってはいましたが……確かに、感情だけでは一線を超えませんでしたね」
「とはいえ、殺害する利益があるなら、あいつなら殺す事も厭わないでしょうけど……」
「殺害に利益、ですか……何とも邪悪な判断基準ですね。まあ、私では口封じぐらいしか思いつきませんけど、そこまでメリットがあるようには思えません」
「……私たちの知らない何かが、他にもあるかもしれないわね」
「殺害しなくてはならなくなる、何か……」
あーでもない、こーでもない、と二人の美少女が言い合う。
慶次はそれをミカンを食べながら、のほほんと聞いて……などいなかった。出てくる単語が殺害やら物騒だったのに加え、二人は慶次が足元にも及ばない才女同士だ。すぐに天才特有の飛躍する会話に付いていけなくなって、もはや慶次は考える事もやめていた。
椿と美代は、それを特に咎めることなく議論を続ける。もちろん、二人とも慶次の態度には言いたい事はあったが、栄養補給は慶次の傷を癒すために必要な行為。これも立派な彼の役割であるため、好きにさせる事にした……まあ、たまに慶次の足を踏みつけるのはご愛嬌だろう。
「……もう一度、資料を見直しますか」
「……そうね」
二人の白熱した議論が途切れたところで、険しい表情で美代が切り出した。
行き詰った推理を打開するために、昨日の資料――慶次と椿がまとめた前田家に関する資料と、美代がまとめた六年前の事件に関する資料――を見直す。椿と美代が回し読みしているせいで、慶次の手元には資料が来ない。仕方なく二人が読んでいるものを覗き見る。
「椿、美代、何か分かったか?」
慶次が尋ねると、二人揃って微妙な顔になる。
「殺害状況に、裁判の推移、事件後の堂森市……駄目、どこからも『弐得の巻き手』の関連性が見つからない」
「歴代前田家当主、前田家の功績、堂森市成立までの軌跡、前田家と『鬼灯の剣』……なんですか、この前田家賞賛の資料は? これがこの家から出て来たって、どれだけ自画自賛しているのですか?」
「こんなのしか出なかったんだからしょうがないだろ! つーか、そうじゃなきゃお前に頼らなかったっつーの!」
「それもそうですね」
はぁっ、と三人揃ってため息をつき、資料を投げ出す。
全ての情報は見直した。情報の精査も重ねた。今の推論に間違いはないと、椿と美代は自信を持って言える。
だが、肝心要のカルの計画がまだ見えてこなかった。核心に迫る証拠に近づいてはいるものの、実際に判明するところまでいかない。あと少し……それが近くて、限りなく遠かった。
議論の停滞に訪れる一瞬の沈黙。石油ストーブの淡い光だけが照らす凍えた部屋に、チクタクと時計の音だけが響く。一秒、また一秒、時を刻み、少しずつ夜へと向かっていく。たったそれだけの事が、無性に慶次たちに焦燥を駆り立てていった。
「昨日に続いて、スッキリしねぇな……」
――その言葉は、そんな苛立ちの末に漏れたものだった。
「いっその事、どっかに落ちてないものかね」
慶次の発言に、女性陣二人して眉間に皺をよせ、厳しい目つきで慶次を見た。
ちょっと軽口叩きすぎたか、でもこれも場の空気を変えるためなので見逃して欲しい、などと慶次が心内自己弁護に必死になっていると、
「落とした……いえ、
「……なくはないけど」
美代が言い直すと、椿が神妙な顔で肯定とも否定とも取れない返答をする。慶次としては単なる愚痴だったが思いの外、良い仮説だったらしい。椿と美代が揃って、何やら真剣に考え込んでいる。
「慶次の父親は慎重な男って聞いてたんだけど、そこはどうなの?」
「何事にも予想外は付き物です。どれだけ石橋を叩いても、一度の馬鹿で全てを崩す人だって、いるのですよ?」
「おい、そこで俺を見るな」
慶次は反論するものの、心当たりがあり過ぎた。
この話の流れは胃が痛くなる、と判断して話題を変える。
「そもそも、あれだ……何で失くしたってなると、可能性があるって事になるんだよ?」
「少し『弐得の巻き手』の立場に立てば分かるわよ」
「……分かんねぇよ」
慶次が不機嫌を隠さずに言う。
敵の立場に立つ。
それは戦いにおいて、非常に大切な事だろう。だが、己の両親を殺すと下した思考……いくら時間が経ったとしても、感情が邪魔をして出来なかった。
「全部説明してくれ」
「……仕方ないわね。今回は特、」
「口封じが、必要になるんですよ」
椿が説明する前に、美代がピシャリと言い切る。椿がじろりと睨みつけるが、美代は無視して説明を続ける。
「順を追って説明しましょう。まず、慶次さんのお父様が証拠を持っているという情報を『弐得の巻き手』が知る。そうなれば、『計画』を成功させたい『弐得の巻き手』は必ず証拠の隠滅に走ります。彼は『自在法』を使って、慶次さんのお父様の記憶を消去し、後は証拠の居場所と、他に証拠を知る者はいないか、尋問を行うでしょう……ですが、そこで証拠を
「……どう、なるんだ?」
「記憶を消去しても、自らの手で証拠を消していない。つまり千分の一、万分の一の確率ですが、証拠を再び見つける可能性がある。そして、慎重な慶次さんのお父様なら、このような重大な証拠を不自然に見落としている状況……自分の行動の不審な点に気づき、自らの手に負えないと判断を下すでしょう。きっと、政府などもっと大きな機関に情報を投げ捨てます。つまり、『弐得の巻き手』は万全を期すなら――」
「親父を、殺すしかなくなる……か」
慶次は舌打ちすると、机に突っ伏す。
色々美代と椿が説明してくれるが、何と言われても慶次には殺害理由がいまいち理解できない。いや、理解したくない。どんな理屈をこねようとも、たった一つの事実は変わらなかったからだ。
(やっぱり、母さんも、兄さんも、幸子も……全然、関係ないじゃないか)
考えれば考えるほど胸糞が悪くなる事実。しかし、こうやって不愉快になっている時間もない。慶次は顔を突っ伏して隠したまま、話を続ける。
「だとしてだ。俺たちの次の手は、その失くした証拠を探すってところか?」
「まあ、そうなんですが……」
歯切れの悪い美代。その先を、椿が引き継ぐ。
「時間が経ち過ぎよ。そもそも、六年間『弐得の巻き手』がここを一切調査してない訳ないでしょ」
「まあ、そうだよな……って、じゃあ、俺が何回も泥棒に遭遇したのは――」
「あいつの手の者って考えるのが自然でしょ」
さらりと椿が背筋が凍ること言う。
一歩間違えていたらどうなっていたか、考えるだけでゾッとした。
でも、と椿が続ける。
「何回も遭遇するって事は、『弐得の巻き手』が証拠を中々見つけられなかった事でもある。案外、探したら見つかるかもしれないけど……」
「けど、何だ?」
「そもそも、どうして証拠を失くしたの? どうして、そんな事になったの?」
腑に落ちない、と椿が頭を掻く。
隣で美代も神妙に頷き、
「そうですね。六年間、見つからない場所にどうして失くしたのか……時間がない以上、せめてそれが分からないと、私たち三人では決して見つからないでしょう」
二人の美少女が再び唸りながら考え始める。
慶次は突っ伏した姿勢のまま顔だけを上げると、小さくため息を吐いた。
「……お前ら、これはそんなに難しく考えなくていいんじゃないか?」
「何言ってるのよ。危ない情報を『フレイムヘイズ』でさえ見つけられない場所に、六年間も隠す……普通の事じゃないわ」
「慶次さんが思っている以上に、これはすごい事なんですよ。きっと、普通の人では――」
「ああ、だからそんな難しく考えるなって」
ややこしく考える二人を慶次は制止する。
慶次の家族を死に至らしめ、『フレイムヘイズ』を翻弄する。確かに、行為の結果を考えれば、これはある意味偉業だ。だが、そもそも惨劇を引き起こす事まで読めるほど天才で、前田家を出入りできる者など存在しない。つまり、これはただの結果に過ぎないず、意識して引き起こした事ではないのだ。
となると……というか、そもそも前田家で父の物が紛失するなど、
「幸子しかいないだろ、そんな非常識な事するの」
悪戯盛り、甘え育てられた妹の名を、慶次は迷わず挙げた。
○
慶次が幸子の名を上げると、真っ先に慶次から生前の幸子の行動範囲を訊き出し、捜査に取り掛かった。懐中電灯片手に、幸子が入れるであろう部屋から、隙間とも言える僅かな空間にも手や頭を突っ込み、証拠がないか進めていった。しかし、重症の上に隻碗の慶次には、身体を屈める事も、狭い場所に腕を入れる事もできなかった。
「で、俺は何をすれば?」
身を屈めた事で、四つん這いとなった二人に慶次が尋ねる。ちなみに、慶次の立ち位置は彼女たちの背後であり、極々自然と臀部を慶次に突きつける形になっている。もちろん、慶次は彼女たちの集中力を削がせない……という建前で以て、教えなかった。
「六年前の妹の行動を思い出していなさい」
「まあ、やるだけやってみるけど……」
椿に言われ、慶次は六年前のあの日を思い出してみる。視線は美代と椿に固定したまま。
「六年前ってーと、うちのお姫様は滅茶苦茶不機嫌だったな……ま、そのおかげで俺とじいちゃんは助かったんだけどな」
「助かった?」
「ああ。せっかくのクリスマスだってのに、ずーっと不機嫌だったから、ご機嫌取りにオリジナルのクリスマスツリー作ってたんだけど、それでもあれが欲しい、これが欲しいって言われてな。それで言われた通りの物を買い出しに行って買ってくると……まあ、結果的に幸子の我が儘で、俺は助かったって訳だけど…………あっ」
突如、固まる慶次。徐々によみがえる記憶。その中に、なぜ今になって思い出すのかと問い詰められそうな内容が、ぎっしり詰まっていた。
何時の間に振り返った美代と椿が、不審と語っていた眼差しが、次第に呆れに変わっていく。
「慶次さん」
「な、なんでしょうか?」
「今度はどんな重要な事を今さら思い出したのか、とっとと吐いて下さい」
椿と美代が捜索の手を止め、慶次に詰め寄る。二人とも、目が
慶次は冷や汗を流しながら続ける。
「えっと……幸子の不機嫌の理由は……」
「理由は?」
「幸子が父さんの書斎から、大事なものを取っていって、珍しくかなり怒られたからでした……」
慶次の目の前で、苛立ちで二人が青筋を立てていく。なぜもっと早く言わないのかと、表情が訴えかけてくる。慶次自身、その意見には同意するが六年も前の事なのだ、大目に見て欲しい。そもそも、思い出した事を褒めて欲しい。もちろん、この空気で慶次が言えるはずもなく、最後の爆弾を投下する。
「あと……」
「……あと?」
「その時、家中探してました! つまり、家の中に例の“証拠”とやらは、六年前からありませんでした!」
「「…………」」
「あだだだだ!!」
椿と美代は、無言で慶次の耳を引っ張った。
○
「庭? 本当にそんなところにあるの?」
椿が疑いの気持ちを隠さずに、訊き返す。
慶次が椿と美代の折檻から解放された後、最後の心当たりを告げた。それが、今や見るも無残な有様になった、前田家の庭だった。
家の中を除いて、幸子が行動可能な範囲を考えれば、庭しかないという消極的な理由。それに加えて、もう一つ思い当たる節が慶次にはあった。
「小学校の時、一時期タイムカプセルでも埋めないかって話があったんだよ。で、幸子にその話をしてたら、しばらく色んなところに穴掘ってたから、もしかしたら一緒に埋めたかもしれん」
「……本当?」
「俺も一緒に幾つか埋めたから、可能性は十分ある」
「一つじゃないの!?」
椿は右手のシャベルを、次いで前田家の広大な庭(ほとんど手入れなし)を見てげんなりする。封絶を張って、そこらをぶっ飛ばしてから証拠品を復元……とやりたいが、そうすればカルに椿たちの狙いがバレる。したがって、この広大な庭を椿が己が手で掘らねばならないのだ。幼児の幸子が埋めたため深くはないとはいえ、これだけ広い庭を掘るのは、例えフレイムヘイズでも少々骨が折れる。
「ほらほら。分かったらキリキリ掘る」
それに加えて、縁側で饅頭を頬張りながらお茶を啜る
無論、彼が重傷で今すぐにでも栄養補給が必要とは分かっている。分かっているが、自分が単純労働に励むのに対し、こうも堂々と寛がれては不満が大きくなる……ちなみに、美代は台所で夕飯作っており、ここに来てからというもの、すでに慶次の数倍は働いている。
「わっ! こら! こっちに飛ばすなって!」
椿は土を掘るついでに、調子に乗った慶次に雪の混じった土をぶっ掛ける。二、三回土を被ると、慶次は口に饅頭を詰めて片手に湯呑みで逃げ出す。彼の情けない姿に溜飲を下げたところで、作業に集中する。
すでに外は暗闇に包まれている。しかし、決して雪は途切れることなく降り続け、今もなお白い絨毯を分厚くさせていた。インフラの吹き飛んだ堂森市で、当然灯りなどない。降り積もった雪をかき分け、数年前に埋められたタイムカプセルを掘り起こす……フレイムヘイズの椿でも、気を抜けば見落とす可能性は十分にあった。とはいえ、時間も無限ではない。慎重かつ迅速に。相反する二つを、椿は慣れない作業の中で拙いながらも果たしていった。
○
時間にして二時間ほど。
庭のおよそ三分の一を掘り起こした頃、ちょうど縁側の死角になっている場所で、シャベルの先が何かにぶつかった。椿はそれを傷つけないように、手慣れた手つきで雪を、土をかき分けていく。そして現れたのは、光沢を失った金属製の箱だった。
「これで
額の汗を拭いながら、抑揚のない声で椿が呟く。一個目、二個目で盛大にぬか喜びし、三個目で慶次に飛び蹴りと一緒に箱を投げ飛ばしてからの、四個目。さすがに、喜びよりもまたか、という気持ちの方が大きくなっていた。
それでも、もしも、という事がある。箱に付着した泥を僅かに掃うと、縁側で待機している慶次に持っていく。
縁側の死角から離れると、慶次と一緒に美代もいた。
「椿さん、それで四つ目ですね」
「ええ……どうして、こんなに埋まってるんだか」
「しかも、テストの答案まで入っているだなんて、これを埋めた人は恐ろしく卑怯で卑屈で愚鈍な人間だったのでしょう」
「きっとスケベで頭が悪――」
「悪かった! 俺が悪かったから、二人して俺を詰らないでっ!!」
無駄な苦労させやがって、と椿と美代が慶次をチクチク責めながら、光沢を失った箱を開ける。中にはお菓子のおまけの玩具屋、訳の分からない金属片など、今までと変わり映えのない、幸子目線の宝の山が出てきた。
また外れか。全員の気持ちは一致するが、それでも念のために箱をひっくり返し、中の隅々まで目を通すと――一枚の紙がヒラヒラと宙を舞った。
今まで出た物はプラスチック類や金属片など、金属光沢や鮮やかな色彩を放つ、子ども目線に分かりやすい宝物だった。だが、この一枚の紙はそれらとは一線を画しており、明らかに異質であった。
椿が紙を引っ掴み、慶次たちは椿の隣でそれを覗きこむ。写真だった。そこには、薄汚れた小さな箱の中に、虚ろな目でぐったり横たわった小型犬が映し出されている。
慶次にはそれ以上の事は分からなかったが、椿と美代には何か分かるものがあったのか、二人とも表情を変えた。特に美代の様子は普通ではなく、明らかに顔が強張っている。
「美代、何か分かったか?」
「まさか……しかし、これなら辻褄が……でも、そうなれば私たちは……」
美代はぶつぶつ呟きながら、胸元で右手を何かを梳く動作を見せる。彼女が深く思案する際の癖だが、髪が焼け落ちた今となっては、美代の異常を知らせるだけだ。
慶次は思わず椿を見るが、彼女も小さく首を振る。
「私が分かったのは、この写真に写っている犬が“狂犬病”に疾患しているって事ぐらいよ」
「狂犬病? あの狂犬病……つっても、まあ俺は詳しく知らんが、そんなにヤバいものか?」
「一応、人に感染し発症した場合の死亡率はほぼ100パーセントだから、十分に危険なウイルスと言える。けど、こいつがこれほど取り乱す理由にはならないわ」
椿も見当もつかないのか、彼女も困惑した表情で美代を見る。
相も変わらず、独り言を呟きながら忙しく右手を動かす美代。その様子は確かに尋常ではなく、顔色も悪いが瞳から力は失っていない。今の美代なら、自暴自棄になる事もないだろう。
慶次は美代を信頼し、彼女が落ち着くまでしばらく待った。
五分も経たないうちに、美代は呟くのを止めた。そして、慶次と椿を見るなり、
「パンデミック……それが奴の狙いです」
恐ろしく青白い顔で、美代が絞り上げるような声で言う。パンデミック――カルは世界的な感染症の流行を狙っている――と。“紅世の徒”『フレイムヘイズ』と違い、慶次の“日常”……というより、人間社会側に属する言葉ではあったが、それでもやはり現実離れしており、慶次には今一つ緊張感が伝わらない。
「それは、一体どういう意味?」
椿も美代の真意を測りかねているのか、彼女の質問も要領を得ない。
「……一から順に説明します」
長くなりますから、と美代は付け加えると、リビングへと向う。
リビングには美代が調理していた、シチューの匂いが溢れていた。蝋燭とストーブの淡い光しかなく、まともに視界が確保できないせいなのか、匂いだけで空腹が促されていく。
これだけの料理を、手元に灯りはなく材料も乏しい中、作ったのだ。相変わらずの才女っぷりに内心感心する慶次だが、今の美代はそんな事も頭の片隅にもないのか、料理の用意もしないまま炬燵に座る。椿が匂いの元のキッチンをチラチラ見ているが、慶次が先に炬燵に入ると諦めたように彼女も腰を下ろした。
椿と慶次が座った事を確認するなり、美代は話を切り出す。
「まず前提条件として、確認しなければならない事があります。敵……すなわち、『弐得の巻き手』の目的『フレイムヘイズの使命を完遂する』とは一体何でしょうか?」
「そりゃ、使命完遂なら……“紅世の徒”の討伐じゃねーの?」
慶次の回答に、椿は首を横に振る。
「私たち『フレイムヘイズ』の使命は、『この世と“紅世”のバランスを守る』事よ。“紅世の徒”の討滅は、そのための一手段でしかないわ。その証拠に、“屍拾い”と呼ばれる“紅世の徒”は消滅しかけたトーチのみしか集めないから、例外的な“徒”として見逃されているのよ」
「うへぇ……そんな奴もいるのかよ」
「まあ、今は“屍拾い”の話はいいわ。ともかく、『フレイムヘイズ』の使命は『この世と“紅世”のバランスを守る』……それを完遂って事なら、『この世と“紅世”のバランスが崩れなくする』ってところかしら」
「つまり、敵の目的は現在の対処療法的な“討伐”ではなくて、『歪みの原因そのものを断ち切る事』だとは考えられます」
美代は言いながら、紙に一文を書く。
――“紅世の徒”は『人間』から“存在の力”を奪う。
世界から歪みが生まれる仕組みを、端的に表した一文だ。
「敵の狙いは、この文章が成り立たない様にする事です」
慶次が『なるほど』と頷いている間に、“存在の力”の上に一本、横線が引かれる。
「“存在の力”はこの世に存在するための、根源的なエネルギーです。これをどうこうするのは、議論の埒外でしょう。となると、通常なら“紅世の徒”を討伐、もしくは追放する方法を考える所ですが……」
続いて、“紅世の徒”の上に×印が付けられる。
「敵の戦力や“存在の力”を採取していない事から、武力や『自在法』による解決を画策していないと判断されます。そうなると――」
「待て待て待て!」
慶次は思わず叫んで美代を制止してしまう。
一文の中、美代が残した箇所は『人間』。
――“紅世の徒”は『人間』から“存在の力”を奪う。
この文章を不成立させるために、『人間』をどうすればいいのか。彼女が初めに言った『パンデミック』と繋がり、恐ろしい想像が浮かび上がってくる。
「人間を、滅ぼそうとしてるとでも、言うのか……!?」
言いながら、慶次は己の言葉が身体を透き通るような錯覚に襲われる。
そう、単純に考えれば、『人間』を失くしてしまえばいい。だが、全く現実味が湧いてこなかった。されど、焦燥感や不安はどんどん積もっていく。まるでこれが現実であるかのように……否、紛れもなくこれが慶次たちの現実だった。
愕然とする慶次で、椿は僅かに眉根を寄せただけで、美代に問いかける。
「『人間』を滅ぼす事ができれば、“紅世の徒”は“存在の力”を補給できなくなり、自然消滅するけど、それじゃあ慶次は何で襲われたのよ?」
「慶次さんが感染者だったからです」
「うえっ!?」
美代の回答に、取り乱す慶次。突然、訳の分からないウイルスに感染している、と言われたのだ。取り乱さない方がおかしい……と慶次は思うのだが、椿も美代もアラストールも落ち着き払った目で慶次を見る。
「大丈夫ですよ、慶次さん。いえ、むしろ大丈夫だから、慶次さんは襲われたんですよ」
「……あの、意味が分かんないんですけど」
「『宝具』の効果、覚えていますか?」
覚えているも何も、現在進行形で慶次は『宝具』を使用している。このバット型の『宝具』の事なら、慶次は椿よりも分かっている自負があった。
「そんなもん、身体の強化と再生……って、あ!」
再生……その効果は、傷の治りを早くする事を意味する。
――だが果たして、それは傷だけに適応されるのであろうか。
答えは否。
事実、慶次は“燐子”に襲われた日、身体が怠かった――今思えば、あれがウイルスのせいだったかもしれない――が、『宝具』を振っている内に治っていた。『宝具』の効果は病にも適応される。
慶次は知らず知らずのうちに、カルの計画の根幹たるウイルスに対する抗体を作っていたのだ。
「つまり、俺が襲われたのは、本来なら発病して堂森市を滅茶苦茶にするはずだった俺が、いつの間にか超元気になっていたから?」
「ま、一人分の抗体だから、対した障害とは思ってないみたいだけど」
「元気じゃなかったらそのまま死んで、元気になったら殺されそうになるって……んな理不尽な」
「今さらでしょ」
「……だな」
がっくりする慶次を、椿がばっさり斬る。もう少し言い方があると思うが、まあ不幸で理不尽な目に遭っているのは事実。変に慰められるよりも、はっきりと言われた方が慶次も開き直れるので、椿に感謝の念だけを送る。
「時系列にまとめてみましょう」
美代が一際大きな用紙を広げ、流れるような筆遣いで時間を追っていく。
――まずは、八年前。
「ウイルスの作成には医療関連の研究施設が必要です。この堂森市は新開発の際に建てられた、しかも余っている施設がありました。敵は、そこに目を付けて、お父様の弱みに付け込み、拠点を手に入れたのでしょう」
――続いて、六年前。
「ウイルスの作成には、既存のウイルスを変容をさせるのが一番の近道です。その一環として、狂犬病のウイルスを輸送したようですが、慶次さんのお父様に見つかってしまった。事態の収拾を試みるも失敗し、惨殺事件に見せかけて証拠の隠滅を行った」
――時間は一気に飛び、数日前。
「八年間でウイルスが完成した。秘密裏に慶次さんに感染させ、人知れずウイルスを拡散させようとしました」
――慶次の人生が決定的に変わった、二日前。
「慶次さんの病状も進行し、拡散もいよいよとなった時、彼にとっても予想外の事が起きた。慶次さんが『宝具』を偶然手にした事です。病状が一気に回復している事に気づいた敵は、“燐子”を差し向けましたが、寸での所で椿さんが来てしまった」
――そして、現在。
「積雪によるウイルス拡散の鈍化と、椿さんによる調査……敵にとって、時間は決して味方してくれない状況になりました。ゆえに、敵は作戦を変更し、堂森市に一気にウイルスを拡散する方針に変えた。しかし、ここでも予想外の事態――地震が起きました。結果、インフラが完全に壊されてしまったため、ウイルスは完全に堂森市内で留まり、敵は事態を静観するしかなくなった……」
美代の手が止まる。
――ここから先は、まだ書き記す事の出来ない。慶次たちの行動次第で決まる未来。
「感染爆発が起きるまで、どれぐらいの時間が残ってそう?」
椿が美代に問い質したのは、絶望までのタイムリミット。美代は問われ、ただでさえ悪かった顔色をさらに青白くする。
慶次たちに残された時間……それは、大きく見積もり過ぎれば、ウイルスの拡散を許してしまい、少なすぎれば慶次たちの道筋を極端に狭めてしまい、カルに隙を与えてしまう。これは慶次たちの選択肢を決める、重大な予想だった。
彼女の明晰すぎる頭脳が、問いの重責にいち早く気付いてしまったのだ。だが、美代も半端な覚悟で
「これだけ広範囲な地震と降雪です。周囲の市町村も堂森市と同じような状況と考えても、天候が上向き次第、状況把握の人員はすぐに辿りつくはず。となれば――」
ここで美代は立ち上がると、カーテンを一気に開け放つ。蝋燭の淡い光が庭を照らす。雪は未だ降り続けていたが、朝に比べれば格段に弱まっていた。
「
美代は慶次たちを振り返り、震える唇で言った。
「……」
あれだけの災害があって、人も物も壊されて……不幸の中に偶然落ちてきた幸運は、たったの一日だけ。慶次はすぐには声を返せなかった。それだけ、美代の口から告げられた事は衝撃的だった。
「カルの狙いはパンデミック……という事でいいか?」
「ええ、私からは異論はないわ」
「我からも特にはない」
念のため慶次が確認すると、椿とアラストールから肯定が返ってくる。それが推論により真実味を持たせる事になり、慶次の胸に何か重たいものが圧し掛かるような感覚に襲われる。だが、それがどうした、と慶次は重くなる胸を努めて無視し、一番重要な事を、その口から吐き出す様に問う。
「――それで、どうする?」
「戦う」
間髪入れず、椿から答えが返ってきた。
打てば響くその答えに、以前までの迷いはない。それどころか、黒寂びた眼光は慶次が今まで見た彼女の中で、一番燃え上がっている。
「人類を滅すれば、世界が救われる? 使命が完遂できる? ……怒りを通り越して呆れるわ。世界はそんなに簡単に出来てない。人類がその数を急激に減らすような事になれば、残った“存在の力”の奪い合いになる。そうなれば、未だ嘗てない闘争が、世界に大きな歪みを生む――そんな事、断じて認められない」
椿がそれに、と付け加えると、視線を別の方角へ向ける。その先は、仏壇がある部屋だった。
椿は吐き出すように続ける。
「不愉快なのよ。人間の全てを奪う、“紅世の徒”のような行動が」
椿は不快を隠さず言い放つ。そこに使命もフレイムヘイズもない、ただ一人のヒトとしての感情が込められている。負の感情であれ、初めて彼女の本音を聞けた気がして、慶次は少しだけ嬉しかった。
「その戦い、もちろん私も参加させていただきます」
いつの間にか戻ってきた美代が、炬燵に入りながら続ける。
「敵の計画の成否に関わらず、パンデミックが起きてしまえば私たちの生きる場所はなくなってしまいます。この地に……いえ、この世界に生きる一人の人間として、全霊を持って協力しましょう」
これで三人中、二人が『戦い』を選択した。
答えを示していない残りは一名。自然と全員の視線が慶次に集まる。
慶次としては、選択肢は一つしかない。もちろん、同調圧力などではなく、カルに直接命を狙われているという、差し迫った危機があるためである。しかし、それがなくても……きっと慶次はその選択肢を選んでいただろう。
過去の惨劇を本当の意味で、終わらせるため。
真の意味で過去と決別し、新たなる未来を始めるため。
慶次は覚悟を込めて、その選択を声にする。
「俺も戦う」
慶次の覚悟の意味を、椿と美代がどこまで理解したのかは分からない。ただ二人とも、静かに頷いてくれた。
「「「…………」」」
突如、しんみりした空気が流れる。真っ先に耐えきれなくなった慶次は、あからさまに話題を変える。
「そ、それじゃあ、これから飯にするか!」
「「………」」
全員が覚悟を決めた直後に食事……もう少し、せめて作戦会議とか、もっと話題の変えようがあるだろうと、椿も美代も揃って笑い出す。だが、二人とも異論はないのか、美代は準備を始め、椿は指示に従う。
すぐに炬燵には、シチューとサラダが並んだ。
三人は揃ってスプーンを手に取る。
「そうは言っても、さっきからずっと、お預け状態じゃんよ。どうせ、飯食いながらでも話はできるんだしさ、とっとと食おうぜ」
「はいはい」
「しょうがないですね、慶次さんは。それでは、」
――いただきます。
三人は声を揃えて、笑いがながら言った。
椿の胸元の神器“コキュートス”で、アラストールその様子を感慨深く見ていた。
食べるという行為に、ただ一種の娯楽としか見てなかった少女が、今や食べる以外の楽しみをそこに宿していた。それを必要な事とはアラストールは思わない。ただ、少女のこういった姿を見るのも、決して悪くはないというのも事実だった。
――この時が再び来るように。
椿の胸元の神器“コキュートス”では、アラストールが魔神らしからぬささやかな願いを祈った。
ようやく、事件の大よその概要が判明。
分からないところがあればご質問ください。