灼眼のシャナ~ブラッディメモリ~   作:くずたまご

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第ⅩⅩ話 決戦

 ――堂森計算センター。

 計算センターと銘打っての通り、膨大な機械計算を行うためのスーパーコンピュータが設置されている。医薬品を始めとした研究施設も併設されており、有名無名の企業が周辺にひしめき合う、まさに堂森市新開発・新市街地の目玉である。

 朝日も昇らない未だ薄暗闇の時分、少女は堂森計算センターの入り口に立っていた。ただし、彼女の傍には隻腕の青年もいなければ、少女をここに導いた才女もいない。ただ一人、黒く冷めた瞳で眼前の建物を睨み付ける。

 スーパーコンピュータに薬品の研究施設……美代の推察通り『弐得(ふたえ)の巻き手』の目的がパンデミックならば、新市街地の堂森市計算センターはまさにおあつらえ向きの場所であった。仮に現在いないとしても、新発田家への関与から研究の痕跡が残っているはずであり、少なくとも計画の一端を探る事も可能だろう。だが、少女はそんなまどろっこしい事を考えていない。

 薄暗闇の天空を見上げれば、そこに広がっているのはただの黒い闇、雲一つない晴天。足元には未だ脛の辺りまで雪が積もっており、人や車が動くには苦労するだろう。しかし、天気の峠は超えていた。堂森市が孤立から抜け出すのは時間の問題であり、それはすなわ少女たちに残された時間は少ない事を意味した。

 ――計画を潰す。

 少女の考えているのは、それただ一つだけ。

 そして、それを成すための近道は――、

 

 

「封絶」

 

 

 少女の小さな口から漏れ出ると同時に降り積もった雪の下から紅蓮の模様が立ち上る。堂森計算センターを覆い余るほどの巨大な円形の紋章が地走り、円の外周に陽炎の壁が揺らめき立つ。

 陽炎より内を、世界の流れから切り離す因果孤立空間“封絶”。通常、『フレイムヘイズ』と“徒”の戦いの舞台として利用される“封絶”だが、使い方それだけではない。

 

 

「いた」

 

 

 “封絶”内で動く気配。もちろん、“封絶”で普通の人間は動くことができない。堂森市内に“紅世の徒”の存在は確認していない。“燐子”と考えるには、強大すぎる存在感。

 とすれば、この気配の正体は――。

 

 

「『弐得(ふたえ)の巻き手』!!」

 

 

 怒号と共に少女は入り口に立ち――自動ドアのため開かず――殴り飛ばす。ガラス張りの自動ドアは、ガラスを粉々に砕かれながら、扉ごとビルの中へと吹き飛ばされていった。

 ――パチパチパチ。

 一瞬の静寂ののち、返ってきたのは拍手であった。

 

 

「俺がここいると、よく分かったな。僅かあれだけの証拠からここを割り出すとは、さすがは『炎髪灼眼の討ち手』に選ばれた事はある」

 

 

 闇から浮かび上がる白。

 妙に煌めいて見える純白のジャケットを羽織り、右手の松葉杖を使い、左足一本で歩いてくる痩身の男――『弐得(ふたえ)の巻き手』カル――であった。

 目的の『敵』を見つけ闘志滾る少女に対し、カルは笑みをたたえながらエントランスから歩み寄る。しかし、それは少女の姿を視界に捉えるなり、嘲笑へと変貌した。

 

 

「だが、やはりお前の覚悟とは、()()()()のようだな。そのようなヘンテコな格好をするとは、よほど使命より『人』が大事なようだな」

「……格好は関係ないでしょ」

 

 

 眉をひそめる少女だったが、こればかりはカルの指摘する通りであった。

 まず、紅蓮に染まった長髪を、一纏めにしている。幼い印象を与えていた容貌は、その鋭い眼光も合わさり僅かに大人びている。

 そこまではいい。問題は髪から下だ。

 衣装は季節感を全く無視した()()で、色合いは美しい椿の花模様。動きやすいように袖は引き絞り、履物も動きやすさを重視したのかブーツで、着こなしが完全に大正時代であった。

 さらに顔には、少女らしからぬ派手な化粧が施されていた。特に目に付くのは、肌も見えないほど色濃い黒のアイシャドウに、唇の真紅の口紅。もはや綺麗に魅せる、というよりも派手に見せる事に主眼を置いた化粧である。

 もちろん、このファッションセンスは少女ではなく、どこぞの才女のもの。『士気を上げるのです』という謳い文句を筆頭に、無垢な少女をあの手この手で口車に乗せた果ての姿であった。

 ちなみに少女は内心、この戦装束(と思っている)をちょっと気に入っている。そこには、非日常的な姿で臨む特別感もあったが、この衣装が自分ではない他人が準備した……その事実が、少しだけ『天道宮』での日常を思い出せて嬉しかったからだった。

 少女はそんな感情をおくびにも出さず、カルを見据える。

 

 

「そんな事より昨日の質問、私の答えを持ってきたわ」

「だいたい察しがつくが、一応訊いてやろう。俺と共に来るのか、傍観するのか、それとも――」

「私の、答えは――!」

 

 

 刹那、少女は地を踏み切る。コンクリートの床は砕け散り、少女は一足で一陣の風になり目にも止まらぬ速さで砲弾をも勝る右拳を振るった。

 轟音が堂森計算センターの広いエントランスに響き渡る。少女の拳は、カルの右腕に止められていた。

 

 

「私の方法で世界も『彼ら』も“紅世の徒”から守る!!」

「一番愚かな答えだな……!」

 

 

 少女は答えなかった。カルに伝えたいことはない。戦い、そして勝つ。それだけだった。

 

 

「はぁっ!」

 

 

 少女は一喝とともに、間髪入れず蹴り上げる。寸分違わず顎を狙った蹴りは、しかし風を切り裂くだけで終わる。少女の数メートル先に、すでにカルがいた。

 必殺……とまでは言わないが、少なくとも当てるつもりで放った蹴りが、完全に避けられていた。

 カルの動く足は左足一本。松葉杖を持った右腕は、少女の拳を防ぐために使っていた。普通に考えれば、あの間合いでカルが少女の蹴りを避ける術はない。それなのに避けたという事は、何かしらのカラクリがあった。

 無論、少女はすでにそのカラクリを看破している。

 

 

(足に力を入れた様子も、踏み切った後もない……“存在の力”を『運動エネルギー』に変換してる)

 

 

 通常、ありえない事象を引き起こす“存在の力”。カルは何でも引き起こせるはずの力を、日常にありふれている『運動エネルギー』に変換しているだけであった。とはいえ、その“だけ”も相当な技量がいるのは確かだった。

 例えるなら、走るという行為。考えずに行っているその行為を、どれだけの力でどのような手順でやれば走れるのか、説明するのは難しい。“存在の力”を『運動エネルギー』に変換し動く事は、その難しい説明を実際に行う事と同義と考えてもよい。

 どれだけの“存在の力”をどこに使えば、身体のバランスを崩さず、攻撃を避けられるのか。それもとっさの判断で。少なくとも、少女に同じ事はできない。

 とはいえ、同じような“真似”はできる。“存在の力”で身体能力を上げて、思いっきり走ればいいだけなのだ。カルがそれをしないのは、身体を満足に動かすことができないから……つまり、目の前で見せられた芸当は、カルの苦肉の策なのだ。

 

 

(身体に欠点があるけど、“自在師”としての技量が高い。今の私に、遠距離の攻撃手段はない……それなら!)

 

 

 無論、それで油断するような少女ではない。事実は事実として受け入れカルの技量を高く評価し、再び距離を詰めようとする。

 もちろん、それを許すカルではない。右腕を振るい、薄桜色の炎弾を数発叩き込む。“存在の力”の漏れも形成の揺らぎも見られない、お手本のような綺麗な炎弾だった。

 少女は憎々しげに一瞥すると、避けるのではなくさらに地を踏みぬく。さらに加速したことで、幾つかの炎弾の射線から外れるが、それでも直撃は避けられない。

 しかし、少女は決して慌てる事なく漆黒の黒衣を自身の盾にした。

 『夜傘』。『炎髪灼眼の討ち手』が身に纏う黒衣だ。ただのコートのように見えるそれだが、実際は鉄筋コンクリートが直撃してもこゆるぎもしない、強力無比な盾であった。

 ただの炎弾、それも一発や二発の直撃では傷さえ与えられはしない。それを証明するかの如く、『夜傘』は数発の炎弾の直撃を受けるが、触れる先から爆炎を弾き飛ばした。だけでなく、衝撃さえも完全に遮断し、少女は一切の速度を落とさず、炎弾の雨霰の真っただ中を突き破った。

 カルは再び距離を取ろうと“存在の力”を込めるが、今度は少女がそれを許さない。

 カルが高速で後方に動くのに合わせ、少女は足元に紅蓮の爆発を起こす。“天壌の劫火”アラストールの力、その(ほんの一部分の)力の顕現だ。

 爆発の推進力を使い、少女はカルとの間合いを詰めた。

 

 

「ちっ」

 

 

 舌打ちするカルを少女は容赦なく左足を蹴る。いかな“存在の力”による高速移動も、その始点となる箇所が必要だ。その始点となる左足を、少女は真っ先に奪おうとした。

 堪らず、カルは“存在の力”を用いて上方へと飛ぶ。

 

 

(これで――っ!?)

 

 

 少女は追撃を掛けようとするが、彼女の直感がそれを否定した。

 咄嗟に頭上で両腕を交差させると、衝撃が両腕にのしかかる。カルの左足が、少女の両腕を穿っていた。

 

 

「うぐっ……!」

 

 

 余りの衝撃に少女は真正面から受け止める事を諦め、衝撃のまま身体を後ろに投げ出す。今度は少女が数メートルの後退を余儀なくされた。

 吹き飛ばされながらも、カルの追撃を警戒。さらに、視線をカルが飛んだであろう中空へ投げる。あれだけの速度で跳んだにも関わらず、天井には傷一つついてなかった。

 

 

(今度は“存在の力”で『運動エネルギー』を相殺したの? 器用な奴……!)

 

 

 今回もおそらく、“存在の力”の応用。“存在の力”で天井へと跳んだ勢いを、今度は逆の要領で“存在の力”を使って勢いを殺したのだ。その後は再び“存在の力”で高速移動し、少女に蹴りをあびせた。

 確かに、彼の体術には“存在の力”の多用という無駄が、確かにあった。しかし、物理法則を無視した縦横無尽な動きが、その無駄を補うほどの働きを持っていた。

 苦肉の策、などではない。一つの戦術として、それは確立していた。

 

 

(分かっていたけど、一筋縄じゃいかない)

 

 

 アラストールが見出し、愛した才能。その片鱗に少女は戦慄する。

 だが、それは少女とて同じ。天賦の才を、同じくアラストールに認められた身だ。決して気後れせず、再び足裏に紅蓮の爆発を起こす。爆発の破壊力は推進力となり、少女はさながら弾丸のように高速でカルに躍りかかる。

 カルは淡々と“存在の力”を込め、踏み込みなしで真横へ跳び退る。

 それに対して少女は、床が割れんばかりに踏みしめ急停止し、傍ら、視線だけでカルを追うと――カルは音もなく急停止、再加速。瞬く間に、少女へ蹴りかかってきた。

 少女はそれを『夜傘』の裾を翻し、受け止める。

 刹那、『夜傘』が広がる。頑健なだけでなく、『夜傘』はある程度、伸長や形体を変える事ができる。その性質を利用し、少女は『夜傘』をカルへ巻き付けようとするが、コートの裾は空を切った。カルは少女の思考を看破し、すでに至近距離から退いていた。

 少女は裾の長さを元に戻し、再びカルを視界に捉える。カルはつかず離れずの絶妙な距離で、立っていた。

 

 

(強い)

 

 

 一つの事実として、少女がカルの実力を改めて認める。だが、少女もカルもここまでは小手調べ。戦いはこれから、さらに激化が予想された。

 警戒をさらに一段階高める少女に対して、カルも油断なく少女を見据えながらも、何かを探るような視線をよこす。

 

 

「どういうつもりだ」

「何が?」

「なぜ、あの業物を使わない」

「……」

 

 

 業物――おそらく、『贄殿遮那』の事だろう――を一度も抜かない事を不審に思ったのだろう。少女の真意を探るため、問いだった。

 無論、これは少女……否、少女たちの策の一つだった。少女はそれに正直に答えるつもりはない。ないが――、

 

 

「使う必要、あると思う?」

「欠片も思っていないことを言うな。一瞬でバレるぞ、馬鹿が」

「……」

 

 

 一瞬で看破される少女。

 戦闘中の会話は、単なる戯れではない。相手の思考を読み取るだけでなく、誘導する事もできる……と習った事はあるが、今でも少女はこれが不得手だった。特に、今回はそのせいで、大きな痛手も被った。

 

 

(今まで不得手だからって避けてたけど、今度からは頑張ろう)

 

 

 少女が内心、本格的に交渉術の習得を決心している傍ら、カルは松葉杖をとある一点を指し示す。

 

 

「そして何より、なぜ、いない」

「……」

 

 

 それは少女の胸元だった。そこにはあるはずのもの、神器『コキュートス』――すなわち“天壌の業火”アラストール――がいなかった。

 

 

(そろそろ……よね)

 

 

 少女が僅かに表情に緊張が混ざる。事前に話し合った作戦であれば、いつ事が進んでもおかしくない……と、少女が思ったこのタイミングで、状況が変わる。

 封絶に囲まれた堂森市計算センター、その上階に新たな気配が加わっていた。

 

 

「――前田慶次かっ!!」

 

 

 『フレイムヘイズ』二人を除き、“封絶”内で動ける者は――そんな単純な引き算から、カルは答えを導き出す。

 予想外の展開に、さしもの彼も動揺をその瞳に現すが、それは刹那。すぐさま唇を残酷に歪め、軽蔑の眼差しを少女に向けた。

 

 

「俺を足止めすれば、安全に探れると思ったのか? あまりに愚かな選択だな」

 

 

 言うな否や、再び“封絶”内の状況が変わる。堂森市計算センター、その屋上に次々と新たな気配が現れていた。

 少女やカルと比べるとか細い存在……その力から察するに、“燐子”であろう。

 前日の戦闘、慶次は片腕を犠牲にしてようやく“燐子”を一体を屠った。それが、一群となって真っ直ぐ慶次と思われる存在に、殺到していた。

 間違いなく、慶次の危機。だが、少女は揺らがない。

 

 

(大丈夫――)

 

 

 それどころか、その表情には自信さえ漲っていた。

 

 

「愚かかどうか、確かめてみる?」

「ああ、証明してやろう。前田慶次の死体でな」

 

 

 建物内を駆け降りる“燐子”。一群となった奴らの足音が徐々に大きくなる。一階で対峙する少女たちの近づいている証であると同時に、慶次に迫っている証左でもあった。

 そして、一階が“燐子”の踏み鳴らす音で埋め尽くされ、今まさに“燐子”と慶次がぶつかる瞬間――カルの表情が驚愕に変わる。

 

 

「まさか……貴様……何と愚かな選択を……!!」

「それしか言う事ないの?」

 

 

 少女は見やる。

 カルはまるで理解できない、別の生き物を見るような視線を寄越していた。

 少女から慶次の様子は分からないが、どうやらカルには“燐子”越しに慶次の状況を把握できるのだろう。

 そして確信する。慶次が十二分に作戦を遂行している事を。

 静かに少女が拳を構える。だが、その内心は熱いモノが身体の奥底から沸々と湧き上がってくる。

 

 

 ――慶次が来てくれた。

 

 

 確かに事前の作戦で、慶次は少女と別行動で突入する手筈になっていた。慶次もそれを承諾した。

 それでも、だ。それでも、人間が単独で“燐子”と対峙する。それも、都合二度も散々に打ちのめされた相手に、策を持っていても――普通の人間が立ち向かえるか。

 答えは……否。でも、慶次は事実、来て、戦っている。

 そして、それだけではない。慶次に殺到していた“燐子”の気配が、確実にその数を減らしているのだ。

 “策”とも言えない、無茶苦茶な“方法”。彼はそれを、この苦しい状況で成し遂げてくれていた。

 

 

「全部見えてるみたいだから訊きたいんだけど――」

 

 

 だから、カルに言わずにはいられなかった。

 

 

「私は使命のためだって納得したことなら、“アラストール”だって『贄殿遮那』だって人間に預けられる。人間の囮にだって、なってあげる……お前には、その覚悟もないの?」

「……っ! 貴様、もう手遅れのようだな……!」

 

 

 熱い鼓動を胸に秘め、少女は再び拳を振るった。

 

 

 

 

 時は少し遡り、少女が攻勢を仕掛ける前。堂森市計算センター近辺の建物の屋上に、前田慶次は立っていた。

 片袖だけに改造した学ランを羽織り、『宝具』入りのバットケースを身体に巻き付けるように背負い。そして、その胸と左手には通常では有り得ないものがあった。

 ――神器『コキュートス』と『贄殿遮那』。

 いずれも少女の物で、慶次が持つべきではないもの。それが二つ、慶次の手中にあった。無論、弱い慶次を慮った処置ではなく、全ては使命のためだ。

 昨日、天才同士の話し合いで、どうしても解決しなければならない問題が一つ上がった。それはウイルスへの対応だ。

 慶次たちの勝利条件は『ウイルス拡散の阻止』。極論を言ってしまえば、ウイルスが堂森市内で留まるのであれば、カルを制裁しなくてもよかった。

 とはいえ、カルが大人しくしている訳がない。おのずと奴を抑える役割の者が必要となり、それを成せるのは椿ただ一人だった。

 しかし、何度も言うが慶次たちの目的は『ウイルス拡散の阻止』だ。カルの相手は、あくまで勝つための手段であり、目的ではない。とはいえ、椿はカルを抑えるだけで椿は手一杯になるはずで、本来の目的への対処がおざなりになることが予想された。カルが椿に敗れ暴走し、研究所を吹き飛ばす――などといった最悪の事態にも備えもある。椿に代わりに、研究施設への探索は必要不可欠であった。

 必然的に『宝具』を扱え、ウイルスの抗体を持つ慶次に白羽の矢が立ったが、その役割を果たすには大きな問題があった。

 “燐子”の存在だ。

 カルの側も椿への対応で手一杯の状況。となれば、研究施設の警護にあの悍ましい犬を使わない道理はない。一対一でも辛勝だった慶次が“燐子”の大群と戦えば、結果は火を見るより明らかだ。

 ――そのための神器『コキュートス』と『贄殿遮那』だった。 

 攻撃力を『贄殿遮那』を底上げし、足りない戦闘経験を歴戦を潜り抜けた“アラストール”で補う……言葉にすればそれだけのものだが、問題は“椿の戦闘能力を減らす”という大きすぎる代償を払っていた事だ。

 椿も、提案した美代も、愚策としか思っていなかった。

 

 

「それでも、勝つにはこの方法しかない……か」

 

 

 作戦開始を間近に迎えた慶次は、苦笑を浮かべて呟く。その脳裏には、二人の女性の苦渋の表情が過ぎっていた。

 力強い声で策を伝えながらも、今にも泣きそうな美代。口を強く引き結び、黙っているだけの椿。こんな事を言いたくない、こんな事をさせたくない、でも全員が生き残るにはこの方法しかない……そんな声が彼女たちの表情を見ていると、聞こえてくるような気がした。

 覚悟を決めた。戦うと決めた。それでも苦しんで、信じて、託してくれる。それはきっと、何ものにも替えられないものだと慶次は思う。

 嬉しかった。だが同時に、二度とこんなものを受け取りたくない、そんな顔をさせたくないとも思っていた。

 だからこそ“もう一つの策”――これも策とも言えない、ただの方法だが――は例えぶっつけ本番でも、必ず成功させてやろうと決意する。

 浅く白い息を吐きながら、目を瞑る。その時はすぐに来た。

 

 

「前田慶次」

 

 

 胸元の神器『コキュートス』から慶次を呼ぶ声が上がる。

 

 

「そろそろ時間だ」

「おう」

 

 

 慶次は短く返すと、大太刀に重さに振り回されながら、何とか肩に担ぎ上げる。僅かに腰を落とし跳躍の姿勢に入りながら、今度は白い息を長く吐く。そして、“策”を実行しようとこれまでの事を思い返す。

 “燐子”に襲われた。椿に会って救われ、世界の恐ろしき真実に触れた。いつしかそれは、己の乗り越えたはずの過去にも及び、さらには世界を巻き込んだ騒動へと発展した。

 いつの間に、なんて事態に巻き込まれているのだろうか。だがそれでも、慶次は己が意思でここに立っている。全てに立ち向かい、解決するために慶次は誓いを叫ぶ。

 

 

「アラストール、俺は俺のやれる事を全てやり遂げる!」

「うむ」

「俺の身も心も、全て使う!」

「ああ」

「後は頼んだぞ『親友』!!」

「戦闘は我の領分だ。後は任せておけ、『我が友』」

 

 

 アラストールのその言葉が鍵となったのか、慶次の『宝具』が眩い光を放つ。先日、慶次が“燐子”に使った『宝具』の暴走であった。そして、これが“もう一つの策”だった。

 何のことはない、『宝具』の暴走を意図的に起こし、慶次の身体能力を上げる事であった。だが、先日のような暴走ではとてもではないが、探索はできない。だからこそ、美代と椿が要求したのは暴走の原因となる感情を、限定することだった。

 

 

 ――アラストールを信じる。

 

 

 信頼、ともすれば狂信とも言えるほど感情を持てば、暴走状態でもコントロールできるのではないか、という予想の元、考えられた方法だった。

 無論、試行する時間も余裕もなかった。そもそも、実行できるかどうかも定かではなかった。

 だが昨日の邂逅を経て、慶次とアラストールは確かな絆を持った。今、互いに臆面もなく友と言い合える仲となった。死地へと向かう直前も、アラストールを信じ、そしてアラストールに信じられている……それは莫大な感情となり、『宝具』を意図した暴走へと導いた。

 ここまでは第一段階。大事なのはこの先。アラストールを信頼し、暴走状態となった慶次を操れるかどうかだ。

 

 

「建物へ飛び込め」

 

 

 しかしアラストールは一瞬の逡巡もなく、慶次に命を下していた。それは言外に、慶次を信じていると伝えているようでもあった。それはさらなる慶次の糧となり『宝具』の輝きは増し、そして――慶次は堂森市計算センターの中階へと飛び込んでいた。

 ぶち破った窓ガラスが飛散する中、慶次はド派手に屋内へ着地する。

 

 

「左の部屋からだ。探索は我がする。歩き回れ」

 

 

 すぐにアラストールの次なる指示が飛ぶ。カルに気づかれたのか、上階から“燐子”が殺到していた。時間はない。

 慶次は指示通り? 扉を蹴破ると、部屋の外周を歩き回る。束の間、アラストールは『コキュートス』から周囲を見渡す。ここには、ウイルスに関する物は見当たらない。

 ここでアラストールが一喝する。

 

 

「迎撃準備!」

 

 

 応えるように慶次は大太刀を構える。それとほぼ同時に、外の廊下に通じる壁が吹き飛ぶ。

 “燐子”だ。それも三体。数百を超える夥しい眼球で慶次を捕らえ、三つの咢が彼を食い破らんと殺到する。

 それに対して、アラストールの指示は短い。

 

 

「右へ突」

 

 

 慶次が床を踏みしめる。床はひび割れコンクリートが舞い散る。刹那、一つの突風となった慶次は“燐子”たちを置いて、破れた壁から廊下へと飛び出た。ただし、大太刀の切っ先に“燐子”を貫いて。

 “燐子”の口から背中へと飛び出た大太刀。そこから、血のように薄桜色の火が吹き出ると、“燐子”は崩れるように火の粉へと舞い散った。

 ――今、慶次が……否、慶次()()が“燐子”を完全に超えた瞬間だった。

 だが、慶次とアラストールの目的は“燐子”の討滅ではない。ウイルスに関する情報を取得し、椿を援護すること。そして、カルの野望を阻止することだ。

 “燐子”の討滅は単なる手段。そして何より、数が多すぎた。見つかって一分足らずにもかかわらず、廊下にはすでに十体を超える“燐子”がいた。これを全て一度に相手をするには、今の慶次でもさすがに心もとない。

 

 

「数が多いか……天井を突き破れ。このまま上階の捜索だ」

 

 

 慶次が思い切り飛び上がる。とても人間の頭とは思えない頑丈さで、鉄筋やコンクリートを突き破り、無傷で上階へとたどり着いた。

 事前に薬品を取り扱う部署や、隠し部屋がありそうな範囲は絞ってある。こうやって近道を作れば、戦闘も探索も最小限で行える。

 

 

「三体ほど追撃を斬ってから、探索に移れ」

 

 

 慶次は指示通り、彼が開けた穴から追いかけてきた“燐子”を斬る。さすがの“燐子”も空中で『贄殿遮那』を受ける手段はなく、あえなく火の粉へと帰る。後続は無残にも斬り捨てられる同胞を見て、直接の追撃を断念し他の道へ行く。どうやら、“燐子”に新しい穴を開けるなどという思考はなかったようだ。

 僅かに得られた時間で階を調べつくし、次の階へと向かった。

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