灼眼のシャナ~ブラッディメモリ~   作:くずたまご

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酷いネタバレ
それとちょっと残虐描写あり。


第ⅩⅩⅠ話 敗北

 慶次の役割――ウイルスの捜索――は順調であった。

 最も懸念されていた意図的な『宝具』も暴走も成し遂げた。アラストールの指示も、問題なく聞き分けている。暴走の継続時間もアラストールが指示を出し、慶次がそれに応える度に、さらに互いの信頼感を高まり『宝具』は強い輝きを放っていた。今や“燐子”は慶次たちを足止めする事さえ叶わず、最上階まで探索を許していた。

 

 

「斬り飛ばせ」

 

 

 アラストールの指示に、慶次は逆袈裟に『贄殿遮那』を振るう。片腕で振った上、本人の技量不足により太刀筋は乱れていた。それでも神通無比の大業物による一撃だ。難なくコンクリートの壁を斬り飛ばし、壁の奥のがらんどうを曝した。

 

 

「ここにもない、か」

 

 

 確認するように小さく呟くアラストール。

 堂森計算センターで隠れて研究できる個所を、美代主導でビルの設計図から事前に抽出していた。そして、今の個所が最上階の最後――さらに言えば、設計図から割り出せる最後の場所であった。

 事前に割り出した場所には何もなかった。となれば、残り場所は――。

 

 

「――後ろだ!」

「ギャウッ!?」

 

 

 アラストールの鋭い指示に、慶次は振り向き様に大太刀を振るう。“燐子”は斜めに真っ二つに斬り裂かれ、薄桜色へと散る。しかし、その後ろには数十の“燐子”が狭い廊下を行列を成し、慶次に襲い掛からんとした。

 さすがに数が多い。今の慶次でも、一度にこれだけの“燐子”を相手にはできない。

 

 

「窓へ向かえ」

 

 

 幸い“燐子”は律儀に通路を使って移動している。アラストールは数の少ない外――窓へ向けて動くよう慶次に命令する。窓へ駆ける慶次。数体の“燐子”が彼の前に立ち塞がるが、大太刀の間合いは広い。“燐子”が飛びかかる前に、慶次は全てを斬り捨て、難なく窓へとたどり着く。

 そしてアラストールは、

 

 

「外壁の足場から、屋上へ飛べ」

 

 

 思わず足を止めるような滅茶苦茶な指示。

 しかし、アラストールは出来ると判断した。慶次も彼の指示を信頼している。慶次は一瞬も足を止めることなく窓を突き破ると、外壁沿いの足場を器用に駆ける。そして僅かにつけた助走で跳躍する。慶次は悠々と屋上の柵を飛び越えた。

 屋上へと着地するまでの一瞬に周囲の状況を見渡すアラストール。そこには、アラストールの想像通りの光景があった。

 階下へと繋がる扉と排水溝しかない殺風景な屋上。しかしそこには十数匹の“燐子”がおり、そしてその中心にはまるで守るかのように一匹の白い小さな犬がいた。

 

 

「くぅーん……」

 

 

 空中にいる慶次を見上げ、フルフルと震える子犬。おおよその人間が可愛いと評するであろう外見。しかし、そこからあふれる気配は、決して生物のモノではなかった。

 当然だが、“燐子”も討滅すれば数が減る。だというのに、突入時から“燐子”が減る様子は全く見られなかった。ならば、この“燐子”たちは事前に作られたものではなく、今、作られているのは自明の理。そして、それを叶えるモノといえば――。

 

 

(『宝具』か!)

 

 

 おそらく、半自立型の『宝具』。あらかじめ“存在の力”を込めておくことで、自動で“燐子”を補充していたのだろう。そして、今も『宝具』は“燐子”を生み出している。このまま放置をすれば、状況が悪化するのは明らかだった。

 窓伝いに移動したことで、階下では未だ数十体の“燐子”はまごついている。屋上には『宝具』を中心に十数匹が円陣を組んでいる。一度に相手にするにはともかく、一角を崩し突入するのは、そこまで難しくない。

 防備も薄く、難易度も低い。無論、これはアラストールが“燐子”と動きと習性を解析し、“燐子”を誘導した成果だった。『宝具』を破壊するなら今しかない。

 

 

「子犬を狙え!」

 

 

 慶次が着地と同時に、アラストールが叫ぶ。

 慶次は屋上のコンクリートが割れんばかりに踏み抜く。一瞬で風となった慶次の前に、慌てて“燐子”が『宝具』の前に立つ。しかし、円陣を組んでいた事が災いし、瞬時に立ち塞がったのは僅かに三体。

 慶次は一体を斬り飛ばし、二体目は刺突。そのまま勢いを止めることなく駆け抜け三体目も串刺し、最後は“燐子”ごと大太刀を『宝具』へと叩きつけた。

 “燐子”と大太刀の下敷きになり、子犬は僅かばかり痙攣をする。それが切っ掛けとなったのか、徐々にその身体は崩れていき霞となって消え去った。

 周囲にいた“燐子”も同様に身体を崩していき、数瞬後には静寂が屋上に訪れた。

 慶次とアラストールの完勝だった。

 

 

「良くやった」

「――――」

 

 

 アラストールの短い賞賛に、慶次は『宝具』の輝きで応える。『宝具』の暴走は止めない。まだ戦いは終わっていないのだ。

 

 

「ああ、そうだな。お前には今しばらく負担を強いるが、頼むぞ」

「――――」

「作戦通り次は――」

 

 

 ここまでは、今までの不幸や理不尽が嘘のように順調にいっていた。それでも、慶次もアラストールも決して気を抜いていなかった。むしろ、気を引き締め一分の油断さえしていなかった。

 それでも一瞬の隙が生まれた理由を上げるとすれば……信頼しすぎていた。互いを――そして、椿を。

 紅蓮に染まった世界。『炎髪灼眼の討ち手』による“封絶”。それが慶次たちの目の前から、突如として消え去ったのだ。

 椿が維持していた“封絶”が消える……彼女の身に何かが起きたとしか思えなかった。

 

 

「っ!?」

 

 

 アラストールが常にはない驚愕に染まる。己は成し遂げた。そして、慶次でさえも成し遂げた。ならば、選ばれた者である彼女も必ず成し遂げる――慶次とアラストールが固い絆で結ばれたからこそ起きた、無根拠な過信であった。

 そして、過信が驚愕を呼び越し、一瞬の隙を生み出す。

 

 

「まさか――」

 

 

 指示が滞ったため、自らで動けない慶次は完全な棒立ちとなり、無防備を晒す。その耳には僅かな電子音が届いていたが、その意味を『宝具』が暴走した慶次では理解する事もできず。

 ――カチッ。

 一際大きな電子音と共に、屋上は爆炎に包まれた。

 

 

 

 

「はっ!!」

 

 

 足裏の爆発と共に、椿が拳を振るう。何度目になるか分からない攻撃。だが、それはカルへと少しずつ、そして確実に届いていた。

 

 

「――っ!」

 

 

 舌打ちしたカルが“存在の力”で突如として真横へと動く。椿の拳が、先までカルがいた空間を通る――と思われた、その瞬間。

 

 

「しっ!!」

 

 

 再び紅蓮の爆発が椿の足裏に生まれる。無理やり推進力を真横へと変えた彼女は、しかし寸分違わずカルへと迫る。そしてその勢いのまま左足を振り上げ、カルを蹴り下した。カルの右腕が少女の蹴りを防ぐが、

 

 

「ぐっ――!?」

 

 

 苦悶を漏らし吹き飛ばされる。飛ばされながら、椿の追撃を防ぐため炎弾を数発放つが、それは苦し紛れの攻撃。『夜笠』を盾にした椿に難なく突破され、再び距離を詰められ右拳で一撃。

 

 

「っ!?」

 

 

 カルは寸でのところで右腕で受けるが、態勢が不十分。無様に吹き飛び、二転三転してようやく止まった。

 右腕だけで器用に立ち上がるカル。純白のジャケットはすっかり煤けており、彼を支えていた松葉杖は手にはない。激闘の中、真っ二つに折れ床に投げ捨てられていた。

 対して椿は再び格闘の構えをとる。新品同然だった着物は血と汗と埃で薄汚れていた。ただし、落ちにくい素材を使っているのか、化粧だけは戦闘前と変わっていない。

 二人の戦いは、椿が有利に進めていた。確かに、カルは技量の高い自在師だ。しかし、椿がほとんど力技で、カルの高速移動を封じ込めたのもあり、左手と右足を埋めるほど動きはできていなかった。

 今まで、決定打こそないものの確実にダメージが大きいのはカル。そして何よりも――。

 

 

「慶次は探索が終わったみたいね」

「本当に、しぶとい人間だ……!」

 

 

 “封絶”内の気配をたどれば、慶次の居場所はすでに最上階。おおよそ探索を終わらせ、それでも動きを止めていない。

 

 

(つまり、建物内にウイルスの情報はなかった。こいつが一階で待ち受けていたのも勘案すると、やっぱり地下に研究施設があるんでしょうね)

 

 

 慶次の行動と作戦前の会議から、椿もアラストールと同じ結論にたどり着く。後は彼らが地下に行きやすいようにカルをこの場から離すか、それともここで一気に決着をつけるか。どちらにせよ、時間は椿の味方――と僅かな思案の間に、さらに事態は進む。“燐子”の気配が、封絶内から一斉に消えていたのだ。

 探索だけではなく、“燐子”の討滅まで成し遂げていた。慶次に出来得る、最大限の成果だった。この土壇場で、あんな杜撰な策で。

 椿の口角が思わず上がる。ここまで期待に応えてくれて、心が燃えない訳がなかった。

 だからといって、感情のまま流される訳ではない。頭の芯は冷めきっており、カルの一挙手一投足を見逃していない。もし、アラストールが今の椿を見れば絶好調だと評していたであろう。

 ――だからこそ、相手の『殺し』が変わっていた事を感じ取れた。

 

 

「本当にこの程度だったか」

「……どういう意味?」

 

 

 訊きながら、椿はさらに集中力を高める。何が変わったのか、何をしようとしているのか。一手も見逃さぬよう、カルの指先一本の微動もその眼に焼き付ける。

 そして、気づく。

 

 

「あと二、三手はあるかと警戒していたが、まさか前田慶次で全部だったとはな」

「『自在法』!」

 

 

 カルの右手を包み込む、薄桜色の光。一瞬の内に『自在法』を展開していた。

 今まで、なぜ使わなかったか。色々疑問に尽きないが、一つだけはっきりと分かる事がある。長年培った勘が、あれは危険だとはっきりと警告していた。

 さらに集中力を高める椿。いかなる攻撃にも備え防御を固める少女に、カルは軽く腕を振るった。

 瞬間、薄桜色の光は消えた。何が、と思う椿の前で、変化はすぐに起きた。

 自身が展開していたはずの“封絶”。その核となる自在式が一瞬の内に壊されていた。

 

 

「何で――!?」

 

 

 困惑する椿の前に、隔絶された世界が戻ってくる。捲れ上がったコンクリートの床や、砕け堕ちた壁にガラス。二人のフレイムヘイズによって起きた戦闘の余波は、もう戻すことができない。

 あの『自在法』は何なのか。一体、カルは何のために“封絶”を破壊したのか。

 次々と湧き出る疑問の中、その思考は一つの音でかき消される。

 

 

「これは――」

 

 

 ビル全体を揺るがす、爆発音。そこに“存在の力”は感じられない。となれば、それは爆弾の類だろうが問題はその爆発が起きた場所だ。

 音の震源地は、音の近さやビルの揺れから、この建物の屋上。そして、先まで屋上にいたのは――。

 

 

(慶次を狙っていた……!?)

 

 

 浮かんだ予想に、椿は冷たい汗をかく。屋上に『宝具』(もちろん、現状からの推測)を設置したのも、慶次を半ば放置した事も、“燐子”が討滅される事も、全て計算済みだった事になる。

 そして、慶次を排除したその次は、

 

 

「もう終わりにするぞ」

「っ!? させない……!」

 

 

 滑るように動いて近づくカル。何度も見た、彼特有の移動方法だ。しかし、今までにない『自在法』を右手に纏わせている。

 椿はそれをあえて迎え撃つ。逃げても状況が好転しないことに加え、おそらく先の爆発で慶次は戦闘不能。最悪を考えれば、もう慶次は――。

 

 

(全部取るって決めたの! 誰かが欠ける終わりなんて……絶対に嫌!!)

 

 

 嫌な想像を、椿は振り払う。決意を新たに、心を燃やして戦う。

 先に動いたのは椿であった。右腕の『自在法』。それさえなければ、椿の有利は揺るがない。『夜笠』をカルの右腕に向けて、巻き付けようと伸ばした。

 避けるか、それとも離れるか。カルの動きは椿の予想に反する。いや、そのどちらでもなく、ただ真っ直ぐ突っ切った。

 『夜笠』が『自在法』に触れた瞬間、それは起きた。

 

 

「!!」

 

 

 炎弾でさえ小動もしなかった『夜笠』が、まるで綿のように斬り裂かれていた。カルは減速せず、そのまま右手を振りかぶる。そこには『自在法』はすでに展開されていない。

 連続で使えないのか。それとも、フェイントか。ぐるぐる巡る思考の中、確信しているのは『自在法』に触れれば無事では済まない事だ。椿は『自在法』の展開を見逃さぬよう感覚を研ぎ澄ませ、攻撃に備える。

 そして、カルはそのまま右手を振り抜いた。

 右手を左腕で受け止めた椿は、しかしその顔を苦悶に歪め――吐血した。

 

 

「かはっ……!」

 

 

 腹部に走る激痛。

 視線を下に巡らせ、椿は驚愕する。

 カルの左腕が、少女の腹部を穿っていたのだ。

 

 

「っ、あ、んた……!?」

 

 

 さすがの椿も、これには動揺を隠せなかった。

 白骨……メリヒムたちによって、失われた左腕と右足。失われたからこそ、フレイムヘイズとしての道を閉ざされたのがカルなのだ。だからこそ、椿は左腕と右足を思考から除外していた。

 だが、それは欺瞞だった。十数年、この一撃のため。

 

 

(こんなの、私――)

「分かったか」

 

 

 意識が飛びかける椿に、カルが一気に畳みかける。

 右の回し蹴りが少女の首を刈るように振り下ろされる。

 ほとんど直感で両腕で受けようとし、椿はぎょっとする。奴の右足を包み込む薄桜色の光。まずい、と思った瞬間には遅かった。

 不十分な体制では威力に受け流すことができず、地面に叩きつけられるように吹き飛ばされる。

 そして、

 

 

「あああああああああっ!!!!」

 

 

 椿は常にはない絶叫を上げた。カルの蹴りを……否、『自在法』を受けた細腕が、内側より破裂していたのだ。筋肉も、神経も、骨も出鱈目の方向を向き、血が止めどなく噴き出し、美しかった着物を真っ赤に染め上げる。もはや原型を留めぬ両腕に、少女も激痛にのたうち回り、立ち上がることもできなかった。

 人であれば、心を痛めるような光景。しかし、カルは口を三日月に歪め、少女に近づく。

 

 

「お前とは」

「!!」

 

 

 カルの接近に気づき、椿は口を真一文字に結ぶ。カルを睨み付けるが、激痛はまだ収まっておらず、全身からは異常な汗が流れ続けていた。

 カルは止まらない。足を上げる。狙いは椿の頭。このまま降ろされたら、意識を刈り取られるだろう。

 だが、椿は動けない。両腕だけではない。腹部に攻撃を受けた時、内臓も傷つけられていたらしく、力が入らなかった。

 

 

(みんな、あんなに頑張ってくれてるのに……! 肝心の私が、こんな体たらくなんて……!)

 

 

 人間である慶次が美代が命を張っているのに、己の現状が、悔しかった。

 それでも、自身の敗北を告げる攻撃を前に、ただ見ているだけしかできなかった。

 

 

「積み上げた覚悟が違うんだよ」

(ごめん――)

 

 

 降りてきた足に、椿は一瞬も抵抗できず、意識を失った。

 

 

 

 

「――っ、――!!」

「ぅ……ぁ……」

「覚醒せよ! 前田慶次!!」

「――ぁあっ……!」

 

 

 胸元のペンダントからの怒声に、慶次は沈んでいた意識を浮かび上がらせる。しかし、覚醒とまではいかく、茫然と中空を眺める。霞んだ視界から見る空は、昨日の悪天候が嘘のような明るい快晴だった。しかし、背中に伝わる冷たく柔らかい感覚が、大雪の名残を伝えてくれる。

 その間も、何度もアラストールが怒声を上げるが、どうにも気持ちが引き締まらない。そうして数瞬、晴れ渡る空を見ていると、

 

 

「……封絶! 封絶がないぞ、アラストール……!」

「ようやく、意識が覚醒したか! それも気になるが、慶次、早く補給しろ!!」

「補給って、なんで――っ」

 

 

 アラストールに指摘され、慶次の記憶が朧気ながら戻ってくる。

 突入後、順調に探索を終え“燐子”を討滅した事。そして突如、封絶が消えて動揺のまま屋上が吹き飛ばされ――、

 

 

「いてぇっ!! 全身、メッチャ痛い!!」

 

 

 現状に思い至った瞬間、思い出したかのように激痛が身体を襲った。確かに、宝具によって慶次の肉体は強化されていたが、それでも人間。例え人間が作った爆弾であろうと、屋上全部を吹き飛ばす爆発に無事で済むはずがなかった。全身の大火傷に加え、受け身も取れずに地上まで吹き飛ばされ、全身骨折であった。

 

 

「今更か!? まあよい、近くに自動販売機がある。そこから飲料水を採取しろ」

「あいっ……!」

 

 

 返事も絶え絶えに、慶次は贄殿遮那(奇跡的に手放さなかった)を杖代わりにし、自動販売機ににじり寄る。そして、ポケットから財布を――、

 

 

「馬鹿者!! そんな律儀な真似をせずともよい!! 早く叩き斬れ!!」

「す、すまん……こんな時も、小市民で……」

 

 

 アラストールに一喝され、贄殿遮那をフラフラと振りぬく。雑に斬ったため部品や液体が飛び散るが、もはやそれに気をやっている時間もない。斬った先から零れ落ちた飲料水。片手では開けづらいので、プルも斬り飛ばす。そこから、貪りつくように摂取した。

 そうして、自動販売機の飲料水がおおよそ底をついた時、ようやく一息付く。

 

 

「――ぷはぁっ! ど、どうにか、助かった……って、訳じゃないよな」

「うむ」

 

 

 慶次とアラストールは視線を一点に集める。

 堂森センタービル。

 椿とカルが激しい戦闘を繰り広げている場所……のはずが、今は封絶のみならず、断絶的に続いていた戦闘音も止んでいた。

 

 

「椿が勝って動けないって線は?」

「分からん。しかし、楽観視はせぬ方が良いだろう」

「なら、次は――」

「!? 前田慶次!?」

 

 

 言葉を続けようとして、慶次がふらりと倒れかける。宝具により、かなり回復したがそれでも火傷が骨折が完治した訳ではない。慶次が思っている以上に、彼の容態は重かった。

 身の安全を考えるなら、ここで慶次は引いたほうが良いが――、

 

 

「……捜索、しよう」

「待て、もうお前は限界だ。成果も十分出した。これ以上、無理をするのは――」

「最悪と最良を考えたら、動くしかないだろう」

 

 

 制止するアラストールに、慶次は否を示す。

 

 

「もし仮に最悪……椿が負けていたとしたら、俺は逃げきれない。どの道、殺される。だとしたら、今、俺が生きているのは敵の油断だ。油断を突けるのは、今しかない」

「……続けろ」

「最良の場合……椿が勝って動けない場合でも、すでに封絶も解けて屋上も吹き飛んでる。いつ、ビルが崩壊してもおかしくない。その前に、ウイルスに関する情報を集めなくちゃ、勝った意味がなくなる」

「……こんな時に、成長しおって」

 

 

 アラストールが珍しく悪態を吐く。感情でなく理屈で説き伏せられては、反対することができなかった。

 

 

「それでは、地下へと向かう」

「ああ……つっても、意識保つので精一杯だ。指示、頼むぞ」

「うむ。まずは裏口から入り、予想箇所を一つずつ……違う、そちらではない。右だ」

 

 

 慶次はアラストールの指示に従おうとするが、だんだんと意識が定まらなくなる。視界も朧で、どっちに進めばいいかも分からなかった。

 アラストールは苦言を呈することもなく、丁寧に、それこそ子どもに教えるような細かさで、慶次を案内した。

 

 

「止まれ」

 

 

 そして、いつの間にか着いたのか、アラストールが制止の声を上げる。慶次はノロノロと贄殿遮那を肩に担ぐと、重さに任せて床に振り下ろした。まるでバターのように大太刀がコンクリートに吸い込まれると、そのまま乱雑に斬り返す。コンクリートに鉄骨が捲り返り、粉塵が舞う。

 しばらくして粉塵が収まる。

 薄暗闇の下には、四角い空間が広がっていた。斬り落とされたコンクリートの破片に埋もれたパイプ椅子があり、窓はなく端っこには扉が一つだけあった。

 慶次はこの部屋を見て、茫然とした。

 

 

「さすが新発田美代の予想だ。建造物の鉄筋の数と位置から、完璧に場所を割り出すとは……」

「なあ……アラス、トール……」

「どうした?」

「俺……この部屋、知ってる……」

「何っ!?」

 

 

 椿と出会う十数分前。慶次は一室に閉じ込められる悪夢を見て、跳ね起きた。その悪夢と、今の部屋が完全に一致していた。

 今思えば、あの瞬間に『宝具』に触れていたのだろう。触れて、消された記憶が夢となって、思い出されていたのだ。

 

 

「お前たちに、会う前、ウイルス打たれて……くっそ……早く、思い出して、れば……こんな、時間掛けずに……」

「やめよ。今は前だけ見て進め」

「……ああ……悪い……」

 

 

 ダメージが大きいのか、慶次の思考が自然と後ろ向きになる。このままではダメだと僅かに首を振ってから、地下へと飛び降りる。見覚えのある真っ暗な部屋を通り抜け、扉を蹴破る。

 瞬間、嫌な臭いが鼻を突き、不快な不協和音が鼓膜を揺らした。

 所狭しの並べられた棚には、蜘蛛や百足や見たこともないカラフルな生物が透明な箱に閉じ込められていた。さらに少し大きなケージとなると、蜥蜴のような両生類、ついには人間サイズの犬などの哺乳類もいた。ただし、こちらはそのどれもが目が虚ろで、カサカサという不規則な音に交じって、弱弱しい鳴き声を上げていた。

 さらには、薬品の匂い混じった糞尿と腐臭。そこは、生物研究所とでも言うべきか、不愉快な空間が広がっていた。

 

 

「……これは」

「我が指示を出す。お前は足元だけを見ていろ」

「……頼む」

 

 

 これらを直視するのは耐えられない。さりとて、目をつぶれば不快な異臭と異音で、頭がかき回される。慶次は素直に視線を足元に落とし、無心でアラストールの声を聞いた。

 そうして、アラストールの指示に従い部屋を進んでいくと、重厚な扉が表れた。恐る恐る慶次が開けると、先の生物的なものとは正反対の、定期的な機械音が聞こえてきた。

 大型の計算機……いわゆるパソコン、サーバー機が納められた部屋だった。天井まで伸びた巨大サーバーの数々が、幾重にも連なって置かれている。おそらく、ここでウイルスの解析などをしていたのだろう。

 そう当たりをつけながら、さらに奥へ進む。すると、机と椅子に一台の個人向けパソコン一式があった。

 

 

「これだけ、何か、浮いてんな」

「うむ。とりあえず、電源を上げよ」

「ああ」

 

 

 頷くパソコンのスイッチを入れる。起動するまでの間に、贄殿遮那を壁に立てかけどっかり椅子に腰かけた。休んでいるはずなのに、疲労が次から次へと湧いてくる。一瞬でも気を抜けば、意識が飛びそうだった。それでも、立ち上がる気力が起きず、つかの間の休息をとった。

 ほどなくして、慶次でも知っている有名なロゴがディスプレイに表示される。休息は終わりと背筋を伸ばし、マウスを左手で何とか操作するも、

 

 

「……パスワードか」

 

 

 ログインしようとした直後、早速躓いた。当然のようにパスワードを要求された。

 

 

「どうすっよ、アラストール……」

「――wilhelmina」

「ん?」

「『wilhelminacarmel(ヴィルヘルミナ・カルメル)』と入力しろ」

「あ、ああ……」

 

 

 半信半疑のまま、慶次は左手の人差し指でキーボード入力する。かくして、あまりにあっけなくログインできた。

 研究所の乱雑さとは異なり、日記や研究の進捗が、一目で分かるように時系列で整理整頓されていた。

 

 

「……どれを見るか」

「……ああ。そこの、ああ、それを開け」

 

 

 アラストールの指示に従い、カーソルを動かす。整理整頓されていたこともあり、目的の資料にはすぐにたどり着いたらしい。というのも、その全てがアルファベットで、さらに専門用語の羅列とあり、とてもではないが慶次には読む事はできなかった。

 その上、

 

 

「これ、何語?」

「英語、スペイン語、イタリア語、ドイツ語が混ざっている」

「……は? 暗号文でも作ろうとしたって事?」

「……奴の割には、文脈の乱れが所々見られる」

「素かよ!?」

 

 

 暗号……というより、壊れた精神状態で書きなぐったためか、数か国語に渡る論文になっていたらしい。研究所といい、パソコンの状態にパスワード。おおよそ、カルの精神状態が正常でない事がひしひしと伝わってきた。

 慶次が精神力をガリガリ削られながら、アラストールに資料を読ませること数分。読了したらしく、アラストールの指示が止まる。

 

 

「――まずい」

 

 

 胸元のアラストールが珍しく声に焦燥を乗せ、危機を口にした。

 慶次の頭に嫌な予想が過ぎる。

 

 

「……もう、手遅れって事か」

「そうではない。そうではない、が……現状を鑑みるに、その可能性は高い」

 

 

 アラストールの言に、慶次は思わず喰らいつく。

 

 

「どうしてだよ。拡散はまだしてない。ウイルスの情報も今、手に入れたんだ。何とか外部に知らせれば――」

「狙いが、違ったのだ」

 

 

 慶次が首を傾げる。カルの狙いは人類の滅亡。街を襲い、その大部分を傷つけ、感染させた事でほぼ狙いを達しているはずだ。それなのに、アラストールの言葉はまるで()()()()にも狙いがあり、今まさにそれが成就しようとしていると言いたげだった。

 だが、どうしても慶次の頭の中では、ウイルスとその()()が浮かんでこなかった。

 そうして待つこと十数秒。アラストールが重い口を開く。

 

 

「カルの狙いは初めからあの子――『フレイムヘイズ』だ」


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