灼眼のシャナ~ブラッディメモリ~   作:くずたまご

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第Ⅱ話 出会い

 溢れ返った赤の奔流。

 あまりに唐突過ぎる現象に慶次は、

 

 

「……は?」

 

 

 と、茫然と声を上げるしかなかった。

 不可思議な紋章が地を走り、噴き上がった炎が物を、人を呑み込むように周囲に立ちふさがっている。そして、それはある地点を境にピタリと止まっていた。まるで、そこが世界の狭間とでも言うように。

 幻想としか受け取れない光景に、慶次は動くことができない。

 が、その現実逃避も現れた“奴”に粉々に砕かれる。

 

 

「なっ!?」

 

 

 四足歩行の生物、所謂犬が石垣を打ち破り、先まで慶次がいた庭の中央を踏み砕く。

 慶次は驚愕の表情でこれを眺める。正確には、眺めるしか出来なかった。

 そいつは全長で言えば人間ほどある……犬の型に合わせるなら大型犬に分類されるだろうか? とにかく、そいつは大きく、特徴的な白毛は口や目を覆うほど伸びきっている。『コモンドール』という体毛の長い犬種は存在するが、それにしては身体が細すぎる。加えて、毛は針を連想させるほど直毛だった。

 ここまでなら『慶次の知らない犬種』で、別に驚きもしなかっただろう。

 問題はその頭頂部だ。

 犬は基本的に口で呼吸をする。この犬は、それに則って(?)巨大な口で呼吸をしていた……ただし、一つではなく、二つ。頭頂部とその腹部に、鋭い牙を浮かべて。 

 

 

「オオオオオオォォォォォッ!!」

「ブオゥォォオォォォォッ!!」

「っ!?」

 

 

 化け物の瞳に慶次の姿が映る。ただし、頭に付けられた双眼ではなく、全身から逆立った体毛の下、本来なら皮膚が見える部分。そこには幾十、幾百もの血走った“眼球”が慶次を捉えていた。“それ”の機能は本当に“見るだけ”なのだろうか、守るためのまつ毛や瞼はない。

 日常では決してあるはずのない、明らかな“異常”。

 あまりにもありえない現象が、慶次の心を強く揺さぶる。

 

 

(い、一体何が――っ)

 

 

 化け物の持つ幾百の眼球。その全てが慶次を捉える。

 そこには明確な殺意が燃えている。

 心臓の鼓動が飛び上がる。

 ――殺される。

 それは混乱する慶次が、唯一確信を持って告げられる事実であった。

 

 

(なんで――っ)

 

 

 それはあまりに理不尽な事実であった。

 しかし、世界とは身勝手で、どんなに慶次が矮小な存在であっても容赦しない。それは“六年前の事件”で慶次が学べた少ない事柄だ。目の前に決して甘受できない現実があるなら、立ち向かい打ち破るしかない。

 慶次は恐怖を、身勝手な世界に苛立つ怒りに変え、二の足で地面を踏みしめる。

 

 

「くそっ!!」

 

 

 慶次は悪態を吐くと、バットを構え相手の直線状から外れるように、化け物を中心に円状に歩を進める。四足動物である以上、左右の動きは制限される。ならば、前後の動きに横移動で対応すれば隙が出来、おのずと勝機は見えてくる。

 大きく息を吐き出し、右へ一歩。

 慎重に歩を進める慶次の眼に、化け物の後ろ脚が土を掴む。化け物が跳躍の準備に入っる。慶次はいつでも横に避けられるよう、足に力を込める。

 後は奴の飛び込んできたタイミングに合わせて、避けて殴りかかるだけ。

 決して慌てず騒がず、慶次は冷静に場を見極めていた――はずだった。

 

 

「――――ぇ」

 

 

 奴の踏み切り音とともに避けようとしたとき、慶次の眼前に奴がいた。

 振り下ろされた爪を、ギリギリのところで避けると――彼は宙を舞っていた。

 なぜ、と思う暇もなく背中から地面に叩きつけられる。

 衝撃で肺から空気が無理やり押し出され、激痛が頭からつま先まで襲いかかってくる。

 

 

(一体何が起き――っ!?)

 

 

 自分はさっきまで化け物の前に立っていた。もちろん、ただ突っ立っていただけではなく、何が起きても反応できるようにしていた。さらに、奴の動きも計算した上で動いて――次の瞬間に奴は目の前にいて。爪が振り下ろされたときには、自分は地に足がついていなかった。

 何が起きたのか分からない。

 思考が混乱する。

 

 

(馬鹿、な――っ!?)

 

 

 起きた事象に理解が全く追いつかなかった。何が起きているのか全く分からなかった。しかし考えを纏めるどころか、全身を苛む痛みがまともに息を吸うことさえも阻害する。

 それでも、視線だけは周囲を巡らし状況の把握に努めると、化け物の足元にクレーターが出来ている。

 もし先の一振りでクレーターを作ったとしたら、慶次が衝撃のみで吹き飛ばされたことになる。

 

 

「嘘、だろ……」

「オオオオオオォォォォォッ」

 

 

 再び咆哮が轟き、跳躍の態勢に入る。

 現状を否定している暇はない。

 

 

「ぐ……ぉお……っ!」

 

 

 しぶとく掴み続けていたバットを盾にしながら、その場を跳び退る。しかし、煌めく閃光が一陣はバットをすり抜け、脇腹に数筋の爪跡が走る。

 

 

「が……っ!!」 

 

 

 慶次は咄嗟に脇腹を左手で、噴き出す血を押さえつける。手に爪跡に沿って、皮も肉も骨も抉りとられた感触が伝わる。

 口の中が血の味で溢れ返す。

 ヤバい。

 殺される。

 本能が必死に警鐘を鳴らし、転がるようにその場を離れようとするが、足が絡まり上手く走れない。

 意識が遠のく。

 必死に意識を繋ぎとめようとするが、揺れる視界は安定しせず、足取りはさらにふらつき、ついには倒れる。

 

 

(ちょ……冗談、だろっ!!)

 

 

 うつ伏せに倒れた慶次の前方から、砂を踏み躙る音を聞こえる。

 力を振り絞り霞んだ視界を前に向けると、正面に化け物が立っていた。

 幾千の眼球が慶次に焦点を合わせる。

 暗闇にあっても怪しく爪牙が輝き、跳躍の態勢に入った。

 化け物が地面を蹴り上げ、一瞬で幾百の眼球と双口が慶次の眼前まで迫る。しかし、慶次に抵抗する力は残っていない。

 

 

(なん……でだよ……)

 

 

 名家に生まれ、己の才能の無さに絶望した幼少期。

 家族を喪い、遺族に財産を食い散らかされた思春期。

 そのいずれを乗り越え、ようやく平穏が訪れたというのに。

 

 

(俺は……ここで、死ぬ……)

 

 

 化け物の鋭い爪牙が慶次に振り下ろされる。それは慶次の急所を捉え、五臓六腑を斬り裂き命を狩る。明確な死が慶次の脳裏に浮かんだ。

 次に気付いたときはあの世か、はたまた衝撃による激痛か。どちらにせよ、慶次にはもう、打つ手はなかった。

 

 

(悪い、みんな……ちょっと早いけど、みんなのところに、逝くわ)

 

 

 覚悟を決め、強く目を閉じる。

 

 

「……………………」

 

 

 しかし、いつまで経っても衝撃はこなかった。

 痛覚を感じる暇もないのか、とも思ったが手足の繋がった感覚はしっかり残っている。

 息も吸える。

 肺に冷たい空気が入ってくる。

 僅かだが指も動くし、自分が地面に突っ伏しているのも分かる。

 生きていることへの疑問も、ここまで来ると生存の確信へと変わり、再び別の疑問が湧き上がる。

 

 

(何、で……?)

 

 

 閉じた視界を無理やりこじ開け、霞む世界で慶次は見つけた。

 それは気味の悪い双口の化け物ではなく、小さな背中。 

 紅蓮の火の粉を舞い落しながら、腰まで伸びた艶やかな髪を流していた。

 

 

(……って、そんなことより――!) 

 

 

 少女? の先にはあの化け物がいた。

 彼女が立っているのは慶次と化け物の間……つまり、最も危険な場所にいるのだ。手に武器(身の丈ほどもある刀?)が握られているが、一振りできるかさえ怪しい。無論、身を守れるとは到底思えない。

 そこまで思い慶次は危機感をそのまま口にする。

 

 

「あぶな――」

 

 

 ザッ、と慶次の言葉を遮るように土煙が舞う。

 しかし、それは化け物の発した音ではなく、眼前の少女が起こしたもの。信じられないことに、少女から化け物に飛びかかっていたのだ。しかも、奴より疾く。

 疾走する少女は瞬く内に大太刀の間合いに詰め、逆袈裟に一閃。跡には薄桜色の火の粉が舞い散るだけ。

 

 

「すごい……」

 

 

 髪と瞳を紅蓮に滾らせた少女。

 それは可憐に舞い落ちる花弁のように現れ。

 戦場にも関わらず、少女の一歩は舞踏のようでもあり、戦慄を奏でているようで。同じ場所にいるはずなのに、自分とは別世界に立っているのではないかと思う。

 そんな現実離れした感覚以上に。

 

 

 ――美しい。

 

 

 幼く整った顔立ちは、しかし意思の込められた紅蓮の瞳が、決してあどけなさを感じさせない。

 か細い指に絡め取られた、身の丈を遥かに超す大太刀を軽く振る。

 見た目だけではない。存在自体が圧倒的だった。

 

 

「――――」

 

 

 灼熱を灯した艶やかな髪をたなびかせ、少女は振り向きざまにどこか幼さを残す声で呟くが、聞こえない。

 疑問を呈する暇もなく視界に再び霞がかる。

 瞬間、力強さに儚さが加わり、世界が一つの景色になった。

 思わずそれらを掴み取りたくなり掌を伸ばすが、赤い絵の具が世界を穢す。

 

 

「――! ―――っ!!」

 

 

 急速に力を失っていく身体に、慶次はそのまま意識を失った。

 

 

 

 

 ゆっくりと目を開けた先には、白の壁紙とシャンデリアが広がっていた。慶次の生活空間、リビングの天井だ。

 その意外な景色に、慶次は少なからず動揺した。

 陽炎のドーム。

 百目の二口、四足の化け物。

 その攻防、奴からすれば戯れに過ぎない一撃は、確かに彼の身体を引き裂いた。重傷を負ったはずだった。ならば、慶次が次に目覚めるのは病院か、それに準ずる場所でなければならない。

 少なくとも、自宅というのはありえない。

 

 

(一体何が――っ!!)

 

 

 背中を柔らかに押し返すソファーから半身を起そうとすると、激痛が腹部に走る。化け物に抉り刈られた部分がズキズキと痛んだ。

 どうにか起き上がると毛布がずり落ちる。身体を見下ろすと、上半身に包帯が巻かれていた。

 おかしい。

 気を失った時、失血死してもおかしくないほど大量に出血していた。この程度の治療で済むはずはない。

 何か腑に落ちないものを感じていると、

 

 

「やっと起きたわね」

「っ――!?」

 

 

 やや不機嫌そうな声が掛けられる。

 振り向いた先には、“異常”を完全に証明する少女がいた。

 看病しやすいように椅子をソファーの隣に寄せ、慶次の顔を覗きこめるように座っている。

 なぜか瞳と髪は燃え滾る紅蓮ではなく、冷えきった黒色を宿している。さすがに眠いのか、鋭い眼差しは潜めていた。

 

 

「えっと……とりあえず、さっきはありがとう。助かった。で、早速で悪いんだが、これってどういう状況?」

「お前は“紅世の徒”の下僕、“燐子”に襲われたのよ」

「リン……って、何だ?」

 

 

 少女にとっては常識なのか、さらりと訳の分からない単語を大量に用いられ、慶次は思わず疑問を呈す。

 それを聞いた少女は、殊更落胆を示すようにため息を吐くと、視線を胸元のペンダントに落とした。

 

 

「はあ……こんなのに聞かなきゃいけないの、アラストール?」

 

 

 少女は慶次の謝辞と疑問を軽く無視すると、ため息を一つ吐き、視線を胸元のペンダントに落とす。

 こっちがため息を吐きたいよ、と思いながら慶次もつられてペンダントを見る。

 

 

「“燐子”が喰らった跡がない以上、“燐子”に襲われたこやつから情報を訊き出すしかあるまい」

「………………」

 

 

 胸元のペンダントが遠雷のように低く轟く男の声で、同様の難解語を喋った。

 通信機にしては小型過ぎる、声が通り過ぎるなど不審な点が数多あるが、これは何かの通信機だ……と慶次は自分を思い込ませる。内容はおいおい理解しよう、と自身の未理解は脇道に投げ飛ばす。

 静かに混乱する慶次に対して、少女は仕方ないといった風に答える。

 

 

「紅世っていう“この世の歩いていけない隣”。その住人の事を“紅世の徒”。そして、その“徒”が作った下僕を“燐子”って呼んでいるのよ」

「……はい?」

 

 

 さらに話が飛んだ。

 歩いて行けない隣? と頭に疑問符を浮かべる慶次を、少女は露骨に面倒くさそうな表情をする。彼女にとって、これは“常識”と呼ぶべき知識なのかもしれない。ここで慶次が“非常識”だと(彼にとって)一般的な感覚で反論しても、話しが進まなくなるだけだろう。

 とはいえこのまま流れに任せ、話を聞くべきなのか判断できない。

 慶次は寒さで身震いをする。部屋はなぜか、暖房の類が使われておらず、カンカンに冷え切っていた。

 

 

「ストーブ点けていいか?」

 

 

 纏まらない思考を誤魔化すように、慶次は少女に尋ねる。

 少女は何か言おうと口を開くが、吐息が白い事に気付き言葉を呑み込み、

 

 

「……いいけど」

「そっか。んじゃ、点けるぞ」

「ちょっと待って」

 

 

 何気なしに立ち上がろうとする慶次に、少女は制止の声を上げる。

 

 

「……何?」

 

 

 奇妙な姿勢で固まった慶次は、首だけを少女に向けて訊く。

 

 

「その“宝具”を放さないで」

「“ホウグ”とは何なのか、具体的に教えてくれたら非常に助かるんだけど?」

「はあ……お前の右手にあるバットのこと。手放すと傷口が開くわよ」

「開っ――!?」

 

 

 ギョッとして右手を見ると、確かに少女の言うとおり慶次の金属バットがある。しかし、バットと傷口と関係あるとは、慶次には到底思えない。が、少女の表情は真剣そのものである。

 

 

(―――――もう訳分からん)

 

 

 慶次は半ばやけくそにバットを強く握りしめ、ストーブを点ける。上半身包帯(よく見たら下手)に巻かれた男が金属バットを片手にストーブを操作する……何ともシュールな光景である。

 作業をしながら、慶次は今までの出来事を反芻する。

 陽炎の壁。

 謎の四足動物。

 そして、それを退治した紅蓮の少女(今は黒)と、なぞの通信機。

 

 

(どうすりゃいいんだろうね)

 

 

 おそらく、化け物……少女風に言えば“燐子”について情報収集を行うことが彼女の目的であろう。あんな物騒な奴に対処してくれるなら、慶次は喜んで協力するつもりだ。

 だが、少女は普通ではない。化け物を一撃で屠る身体能力に加え、瀕死の状態であった(今はなぜか動けるまで回復しているが)慶次を自宅に留めた。病院へ運ぶ、という至極真っ当な選択を少女はしていない。慶次の常識とかけ離れた彼女も危険と判断せざるを得ない。

 そんな少女の口から語られる内容が“まとも”なはずがない。さっきは興味本位で質問をしたが、これ以上踏み込むべきなのだろうか。引き返すとしたら今しかないだろう。

 

 

(でも、逃げたところで状況が好転するとは思えないんだよな)

 

 

 悩んだ末、少女の言葉の真偽は置いといて、情報を求めることにする。聞かなかったからといって、再び不幸が舞い降りてこないとは限らないのだ。むしろ、先とは比べ物にならない理不尽が襲いかかってきた場合、少女の情報は不可欠となる。腹をくくるしかない。

 ストーブでは青い炎が力強く静かに燃え上がる。

 

 

「時間取らせた。続き、話してくれないか?」

「……分かった」

 

 

 ソファーに座り直し、少女と膝を突き合わすよ。彼の明らかな変化に面食らったのか、少女の返答が僅かに遅れた。

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